「これもかな…。」
フラミーは開いていた本を司書Jに渡した。
ぐるりと
壁一面にギッシリと本が詰められていて、上の方は飛ばなければ取りに行けないだろう。
図書館勤務の
フラミーはふわりと浮かび上がり、空中で再び本の選別を進めた。
周りからはお戻り下さいと悲鳴にも似た僕達の声が聞こえるが、一冊づつ持って来させるのも手間だし。それに、梯子なんかを使って落ちればそれの方が一大事だ。
「顕微鏡くらいはセーフなのかなぁ。」
フラミーは手の中の本に視線を落とし、リアルで常識的な知識に触れ呟いた。
眼鏡が存在していれば顕微鏡もいつか勝手に生まれるだろうと思えてならなかった。しかし、自分一人で判断を付けられず、結局こめかみに触れた。
近頃の二人はこの世界に来て今迄で一番離れている時間が長いだろう。
トロールの国を探しに行ったアインズは、昨日朝早くに出掛け、夜中に帰ってきた。
そして今日はまた朝早くに出かけてしまった。とは言え大抵はちょいと出掛けて、すぐに帰って来るのだ。
普通のサラリーマンのお父さんより余程家にいる。
それでも声を聞くときは特別だった。
フラミーは線が繋がった感触に顔を綻ばせた。
『どうした、私だ。今取り込んでいる。』
(………あ。)
「じゃあ…また後にしま――」
『フラミーさん!いえいえ、取り込んでませんよ。』
フラミーは笑った。
アインズはガに向かって杖を振りかぶりながら、ふんふんと話を聞いた。
「…それは難しいですね。顕微鏡か…。」
生物の根源、細胞を観察されるのは何となく嫌だった。
薬草やポーションではない、西洋医学の発展は望むところではないのだ。
魔法に頼る脆弱な存在で良いだろう。
「っぐああぁぁあ!!何なんだ!!一体何者なんだ!!」
腹から内臓を撒き散らしながらガが倒れ、痛みに悶える。
「煩いぞ、臆病者。貴様は一文字以上は覚えられんのか?全く随分賢い者が率いているものだな。えぇ?」
アインズは足元を這い蹲る大柄なトロールを極寒の視線で睨みつけた。
その様は魔王然としていて、シャルティアの背を震わせる。
『アインズさん?』
フラミーの私じゃないよねとでも言うような声が聞こえた。
「あ、フラミーさんじゃないですよ。すみません、話の途中で。」
「ッグゥゥ!訳の分からない事をごちゃごちゃとおおお!」
喧しいので喉を抉るように首の前面を吹き飛ばした。
「――ッッッ!!」
ガは声帯と大動脈を失ったが、見る見る元の形に戻っていく。
痛みに耐えるような顔をすると、側に立っていたトロールの体を掴み、思い切りアインズへ投げ飛ばした。
「ッチ、不潔な物を投げおって。」
「オ任セヲ。」
コキュートスはダンっと足を鳴らすとそれを凍らせ、投げられた者は粉々に砕けてあたりに散乱した。溶ければ恐らく回復が始まるだろう。
「えーっと、それで、顕微鏡ですっけ。ナザリック内ではセーフかなぁ…。いや、デミウルゴスがそこから凄い物作りそうだな…。少し議論してから決めたいんですけど、いいですか?」
『もちろんです。取り敢えずこの本は閲覧制限書にしておきますね。それじゃ、お仕事の邪魔しちゃってすみません。』
ガの顔が恐怖に歪んでいく中、アインズは優しく微笑んだ。
「いえ、今日は早く帰りますね。」
『はい!私待ってます。頑張って下さい。』
フラミーと挨拶を交わしあい、名残惜しげに手を下ろすと、アインズは震える目の前のトロールを見下ろした。
「ほら、早く老人を集めろと言っているだろう。それともまだ嬲られたいか?」
ガは弾けるように行動を開始した。
老いて毛むくじゃらになっているトロールが続々と集まっていく。
「貴様は今何歳だ?」
「わ、わしは百四十四歳ですじゃ…。」
「ちょうど良いな。他の者も似たようなものか?」
どの老トロールも訝しむような視線をアインズに送りながら、その通りと頷いた。
これは何者なんだとごそごそ話していると、走って戻って来たガが頭を地面に押し当て、老トロール達は慌てて口を閉じた。
「やっとどうする事が正解なのか理解したか。さて、ガよ。ここは今日から我が国の一部だ。弱くて何も知らない貴様らはうちの国民になる事で生きることを許してやる。」
「ありがとうございます…ありがとうございます…。」
これで神官達を呼び出し
「シャルティア、老人達をデミウルゴスの牧場に送れ。」
「かしこまりんした!」
門の前で叱られたシャルティアは大急ぎで
「さぁ、おんしらアインズ様の尊き実験の糧になれる事を喜びなんし!!」
老トロール達は「実験の糧…!?」と震えながらも、若く力のある衆が誰も助けてくれない様子に歯向かう事は不正解だと察し、
身内だと思われるトロール達が泣きながらそれを見送るが、アインズは何も感じなかった。
老人の行進の隣でアインズも
竜王国でごっそり手に入った死体は日々
揃った足並みで
「コキュートス、後は任せても良いか。」
「勿論デス。御身ハゴ研究へオ向カイ下サイ。」
助かるとコキュートスの肩をポンポン叩くと、アインズは地に這い蹲るガの顎に杖の先で触れた。
顔を上げさせまじまじと観察する。
「考えて見たらガも髭が生えているし、割と年は行っているようだな。貴様も来い。」
強きガはガクガクと震え、早く来なんしと叫ぶシャルティアに向かった。
コキュートスは支配者とシャルティア、ガを見送ると残されたトロールへ振り返る。」
「サテ、オ前達。」
「ひぃっ!」
「怯エルナ。アインズ様ハ実二慈悲深イ。コノ国デ役ニ立タナクナッタ者達ヲ再ビ戦士ニ戻シテ下サルノダカラ。」
トロールは
「いらっしゃいませ!アインズ様!」
「アウラ。わざわざ済まないな。」
「いえ!でも、あんな物で本当によろしいんですか?」
視線の先にはログハウス。アウラはもじもじと居心地悪そうにしていた。
「あぁ。あれこそ私が求めていたものだ。」
研究室として作られたログハウスは、八畳一間の小さなものだ。トロールは外で寝させれば良い。
アインズがログハウスに近付くと、扉は自動で開いた。
「ん?」
「これはアインズ様!今急ぎ内装を整えておりました!」
中からは良い笑顔のデミウルゴス。
(――やられた!)
アインズが中を覗くと、真っ白な美しい椅子と、恐らく鍛治長が手掛けたであろう見事な執務机があった。
「デミウルゴスよ、あの椅子はお前だな…?」
「その通りでございます!簡素ですが、用意させていただきました。」
デミウルゴスの自信満々な声が響く。
「…今度は何の骨だ?」
アインズは以前にも一度この配下から椅子を贈られていた。
しかし、以前と違い大きな部品が多く、パッと見はただの白い椅子だった。
「今回は常闇の良いところだけを使い、磨き上げ、更に彫刻を施して見ました。如何でしょうか。」
「ほう、お前随分腕を上げたじゃないか!」
まるで知らない謎の生き物の骨だと気持ち悪かったが、常闇の骨で、更にここまで骨感がなくなればそれはもはや芸術だった。
アインズは前に貰った椅子の何倍も趣味の良いそれを前に思わず声をあげた。
「恐れ入ります!お気に召したようでなによりでございます。」
悪魔が嬉しそうに尾を振るとアウラは隣で可愛らしく頬を膨らませていた。
「あ、あたしだって本当はおっきくって立派な研究所を建てたかったんですよ!」
「ははは。建物は本当にこれが正解なんだ。さて、それじゃあ魔法の研究を始めるか。」
アインズが研究所を去ると――「――と、アインズ様は仰った…丸、と。」
これまで静かにしていたシャルティアは何かを一生懸命メモしていた。
アウラは横からそれを覗き込むと、ピタリと動きを止めた。
そこにはアインズの言った言葉、行った行動がみっしりと書き込まれていて、これは一体なんだと視線を向ける。
「…シャルティア 、これ何?」
「アインズ様に何事も考えを巡らせろと言われんしたから…アインズ様の叡智を少しでも参考にしようとしてるんでありんすよ。」
「シャルティア、君にしては良い行いだね。どれどれ。」
アインズに付き従い、共にドアを潜ろうとしていた叡智の悪魔は足を止め、二人の上から手の中のメモに視線を落とした。
「ねー、デミウルゴス。これ、この書き方でいいと思う?」
「…まぁ、理解できるスピードは人それぞれだからね。」
「まぁね…。シャルティア、帰ったらこれを読んで、アインズ様が何を考えてこれを仰ったのかちゃんと考えた方がいいんじゃない?」
「そうでありんすか?」
「「そうでありんす。」」
二人は断言し、研究所を後にした。
外ではアインズが血のように赤い禍々しい時計型の魔法陣を背負っている所だった。
「…なんと凄まじい…。」
「ほんと…。アインズ様って出来ないこと何にもないよね…。」
「死の次は時すらその手に収められんすねぇ…。」
三人は力の奔流を前にそれ以上動くこともできなかった。
「ッ行き過ぎたか!!」
アインズは苦々しげに吐き捨てると、怯えて蹲る一人のトロールにむかって魔法を繰り出した。
トロールの命の巻き戻しは始まり――最初の一人目は見事に赤子になった。
「…消滅しなかっただけましか?」
守護者達は拍手喝采だが、これではいけない。
アインズは赤子になりわんわん泣くトロールを抱いてトロールの国に戻った。
そこではコキュートスに呼ばれた神官達と陽光聖典がマスクをして忙しなく動き回っていた。
「アインズ様。早速一人目デスカ。」
「あぁ…こいつを家族に返してくれ。」
アインズは赤子を壊さないようにコキュートスに渡すと、これとこれと…とトロールが今まで着ていた服も渡し、帰って行った。
その後、アインズは研究室を二日に一度程度訪れては、トロールを赤子に戻した。
力を大量に消費する魔法は二回も使えばふらふらになってしまう為、中々思うように進まなかった。
アウラの作った研究室で、今日はああした、こうした、明日はこうしてみる、とその日のまとめをノートに書きつけ、日に三時間程度は牧場の片隅で過ごしたらしい。
実験に使われる老人達は適当に与えられたテントで暮らすことになったが、トロール国にいた時からあばら家で過ごしていたため大して変わらなかった。
が、食事はすぐそばにある牧場で飼われる魔導国羊を与えられ、今までよりも良い暮らしになったと言っても過言ではない。
これまでの記憶を全て持ったまま人生をやり直せる機会に、若返ったら何をしようと皆わくわくしながら、実験体になれるその栄光の時を待った。
そして何もしないで過ごすのもつまらないと、牧場の手伝いをしながら、なんだかんだと充実した日々を過ごしているとか。
一方国に残ったトロール達は死を待つばかりだったはずの老人達が再びの人生を取り戻して帰ってくるのを楽しみにした。そして――風呂という新たな文化に強烈なカルチャーショックを受けたらしい。
トロールの国に呼び出された神官達は、この地をどこの直轄地にするかと大いに悩んだ。
その場ではどの州にも属さない地としてしばらく様子を見る事になるが、間も無くバハルス州のエルニクス州知事との協議によって、属する先がバハルス州へと決まる。
すると、トロール市と地名が与えられ神聖魔導国民達にも広く認知されるようになって行く。
が、特別何があるわけでもない街はそんなに人も訪れなかった。
しかし、バハルス州に暮らしていた武王と呼ばれるトロール、ゴ・ギンは里帰りしやすくなったと、しょっちゅう実家に顔を出すようになったらしい。
十年前には共に旅をしたこともある腹違いの兄、ガ・ギンが自分よりも随分若くなって帰って来ると、驚きのあまりに腰を抜かしたとか。
「…疲れた…。」
アインズは結局今日も遅くなってしまったと、疲労を感じないはずの骨の身で九階層の廊下を進む。
ある程度強力な始原の魔法は、持ってもいない命そのものから力を絞り出しているように感じる。
肉体ではない場所に疲労を感じると言うのだろうか。
腕輪の力を全開にして大魔法を行使し、力を全て使い切れば骨であっても意識を失うほどに。
黙ってフラミーの部屋の扉を開く。アインズ当番が仕事を取られたとでも言うように残念そうにしているが、疲れすぎていて気に留めるのも億劫だ。
「アインズさん!おかえりなさい。」
「帰りました。遅くなっちゃってすみません。」
優しく微笑む天使は激突するようにアインズの胸に収まった。
外でやらなければいけない事は山積みだが、二度と離れたくなくなる。何度も頭を撫でフラミーの柔らかい髪の毛の中に顔を埋めた。
「…アインズさん疲れてますね?」
「…今日は正直骨のままでも寝れそうです。…とにかく風呂行かなきゃな…。」
アインズが苦笑するとフラミーはアインズのローブをいそいそと脱がし始め、ポイっと放り捨てた。
「じゃあ、お風呂、私が背中流してあげますよ!なんか血生臭いですし。」
「えっ!い、い、い、い、良いんですか!!」
単純な支配者は疲労を忘れ、心の底でシャルティアに感謝した。
そして骨の隅から隅まで丁寧に洗われると、アインズは妙に恥ずかしくなったらしい。