議場にはそれぞれ毛の色の違う数十人のビーストマンがアインズ達を迎えた。
「では、セイレーン聖国とワーウルフ王国の説明を。」
ギードが地図を広げると、アインズとフラミーはそれぞれ魔法のモノクルを装備し、地図を覗き込んだ。
それは、二人がこれまで見たことのない地図だった。
「"西方"三大国、我が国から見れば東に位置していたが――これは?」
アインズは西方三大国から峰を越えるように更に東へ指を動かし、トンッと地図に指を落とした。
国名のようなものが何度も書かれては消されている奇妙な場所だ。ちょうど三大国と同じ程度の広さがある。
(ここから見て西方だった訳だな。じゃあうちは西の果ての果てだ。)
「コボルト、サイクロプス、ゴブリン…沈黙…?ずいぶん色々書かれているが小国か?」
「…神王殿はビーストマンの文字を読めるので…?」
「あぁ、読めるぞ。」
「…おぉ、勤勉でらっしゃる…。」
アインズはマジックアイテムの便利さを教えてやろうかとモノクルの持つ効果を伝えようとすると、ギードはぷるりと顔を振ってから続けた。
「――失礼。仰る通り、こちらの東の海まで、小国や国とも言えないような集落が無数に点在しています。小国は五十年や百年程度で支配者が変わり、名を変える事が多い為、その度に書き直して利用しております。ただ、文化も持たない亜人や異形、モンスター達のひしめき合う地や小さな集落には名を与えていません。」
彼らは移動する事も多いですし、とギードは付け加えた。
「どうしてこっちから支配しないんですか?ここの人達が手に入ればもっと戦争に優位になりそうなのに。」
フラミーは不思議そうにギードを見上げた。
「……我々は――いえ、ワーウルフもセイレーンもそちらには近寄りません。ここの中央には今は遺棄された忌まわしき記憶と穢れた地があるので。」
まるでそれ以上聞くなとでも言うような雰囲気だ。
「遺棄せし穢れた地か…。」
汚染されているなら浄化に行かなければいけない。
アインズはこの地図は後で貰えないか聞いてみようとじっと地図に目を落としていると、名前を覚えられなかった議員が口を開いた。
「そこは人間種など見たこともない者達が生きる修羅の地でございますよ。あったとしても――食卓か。」
クスクスと馬鹿にしたような笑いが漏れた。
人間はなんとひ弱な生き物だろうと盛り上がるごく一部のビーストマンの様子は愉快でかなわん、とでも言うようだったが、バンゴーの咳払いでそれは止んだ。
「失礼、神王殿。我々、あまり人間とは関わりを多く持ったことがありません故。」
「いや、気にする必要はない。私は人間ではないからな。」
何?とビーストマン達が顔を上げた。
「私のこの姿は仮初に過ぎん。」
アインズがふわりと手を振ると、一瞬その顔はローブの袂で隠れた。
そして手を下ろした瞬間には――骸。
「私はアンデッドだ。」
ビーストマン達は物音を立てるように立ち上がった。
「な、アンデッドだと!?」「幻覚!?」
この世界に来て、アンデッドでも割と快適に過ごせていたのは全てスルシャーナのお陰だったとアインズが気が付いたのは最近のことだ。
国外で骸を晒すと一々この反応だ。
「そう怯えるな。人やビーストマン、ワーウルフにだって善人と悪人がいるだろう。それと同じように生者を憎むアンデッドがいれば、私のように生者に友好的なアンデッドもいる。」
「友好的なアンデッド…!?善なる悪魔なみに訳がわからん!」
先程アインズを笑った議員の言葉に、アインズは肩をすくめてから隣に座るフラミーの翼を広げ、楽しそうに語った。
「そうか?私の知る中には闇に堕ちた天使もいるし――光に憧れ続ける悪魔もいる。」
デミウルゴスは恐縮したように笑った。
「そんなものがいるのか…。」
「あぁ。お前達の警戒はわかる。だが、私は特別生者をどうこうしようとは思わん。」
アインズが再び手を振ると、そこにはいつもの人の顔があった。
フラミーのすぐ隣にいたギードはまさかと顔を上げる。
「…では神王妃殿も…?」
「いいえ、私は
ビーストマン達は互いの視線でお前は知っているかと問いかけ合う。ギードはバンゴーへ伺うように顔を向けた。
「さたん…浅学ながら聞いたことのない種族ですな。耳が尖っている種族だと
「ん?セイレーンは下半身が魚ではないのか?」
「セイレーン聖国には二種のセイレーンがおりますのう。どちらも上半身は人間によく似ていて、下半身が鳥の種と、下半身が魚の種です。鳥の種は
話が戻り始め、ギードは黒く長い爪で海上都市を指し示した。
「セイレーン聖国は膝下程度まで水没した半水没都市が多くを占めますが、陸上都市と水中都市も持っていて、海上都市ル・リエーの者達と特に盛んに貿易を行っていました。ご存知かは知りませんが、昨年の春に橋が折れたとかでル・リエーが突然沈み、大量の魚人の亡命者がセイレーン聖国へ流れ込んだとか。放っておけばどんどん国が大きくなってしまう。」
「半水没都市か、面白いな。ちなみに言っておくとル・リエーは橋が折れて沈んだわけではない。そこを沈めたのはフラミーさんだ。」
ぽかんと口を開けたギード以下ビーストマン達はフラミーを見つめた。
「沈めたって言っても、柱壊しただけみたいなものなんですけどね。」
はははと気の抜けた声が響くと、なるほど、と何かに納得したような声があちらこちらで上がった。
「それで、最後はワーウルフ王国か。」
ビーストマン達は一瞬何かを確かめ合うように視線を交わした。
「こちらは大した技術も持たぬ野蛮な犬どもの国です。最近老王から若き王に代替わりしました。奴らの支配地は我らの地よりも川が多く流れ、肥沃な土地が広がっております。我らビーストマン同様セイレーンを食用としており、
「待て、お前達はセイレーンを食うのか。」
「食いますが…?」
「牧場はあるのか?」
「ありません。育てなくても勝手にうようよ育っておりますので。」
食糧事情が絡むと難しい。アインズはデミウルゴスが友好国で済ませた理由に思い至った。
確かミノタウロスの国を飲み込まずに現在も友好国として付き合っているのは、人間の牧場が多すぎた為だ。
これは確かに併呑しては統治が小難しくなりそうだと頭を悩ませる。
(ワーウルフとビーストマン、合わせて相当な人口だ…。ビーストマンは多分魔導国羊を食べないだろうし養い切れる気がしないな…。)
アインズはあれこれ考えながら、とにかく友好国として小学校を作らせてくれと頼むしかないと確信した。
(でも他所の王様讃える学校を作らせてくれるってどんだけ友好的な状況だよ…。)
平凡サラリーマンの脳みそで考えても良い案はそうそう浮かばない。
(バカの考え休むに似たりか…。いや、下手の考えだったか?)
考え込むアインズの思考を妨げる声が響く。
「それで、できれば戦場にはデミウルゴス殿にもいらして頂きたいと思っております。神聖魔導国の威光を見せていただければ、と。我々も民もせっかく落とす国を引き渡すのですし――こう言ってはなんですが、やはり納得できるだけの働きをしていただかなければ。」
「もちろん。いいですとも。」
アインズはデミウルゴスの頷きを聞きながら、ここだと確信する。
「ではデミウルゴスの他に我が軍勢もたっぷりと出そう。なんといっても
アインズは念を押した。
「よろしくお願いいたします。」
ビーストマン達が頭を下げると、全員の顔が陰になり、一瞬見えなくなる。
「それで、どちらから行きますか?」
正直どちらからでもいい。
デミウルゴスからの報告ではセイレーン達は魔法による都市開発をしている様子のため急を要さないし、ワーウルフ達はビーストマンに野蛮人扱いされているがミノタウロスの国のように程よく安定している文明らしいのだ。
「お前達に任せる。」
「では、まずはワーウルフの下へ。国民に力を見せるにはちょうどいいでしょう。」
アインズは心得たと頷いた。
「まさか
「魔法はからきしダメだ。どれほどの力を持つのかまるで未知数よ。」
「しかしあれは生まれ以ての王だろう。あのプレッシャーは一体なんなんだ。」
ビーストマン達は唸っていた。
謎の転移の魔法で現れた以上
ビーストマン達は魔法をどこか見下している。
信仰系魔法だけは、怪我や病気への対抗手段として必要だが、魔力系魔法を学ぶ暇があればその強靭な体を鍛えた方がよほど良いし、食料――セイレーンや人間などのひ弱な種が使う技というイメージのせいもある。
騒めく議場で静かに目を閉じていたギードは目を開けた。
「議員皆様。とにかく、まずはデミウルゴス殿をワーウルフ達に討たせないことには話は始まりません。兵の数のご相談を。」
ビーストマン達は身を乗り出した。
それから数日後、あるビーストマンが議場に駆け込んだ。
「議長様と、将軍様に御報告です!神聖魔導国の調査に出ていたヒプノック殿率いる調査隊が帰りました!」
「おぉ!通してくれ!」
デミウルゴスが最初に訪れた時に早急に派遣した隊が帰って来たのだ。
騒めきとともに何人ものビーストマン達が議場に乗り込んでくると、議員達へ頭を下げ、黄土色の毛を持つ者が語り出した。
「ヒプノック隊、神聖魔導国より帰りました。まずはビーストマン国のご報告から――」
消滅という言葉で扱われたその場所は今どうなっているのだろうかと皆が真剣に耳を澄ませる。
「――確かに消滅しておりました。」
「…何?ちゃんと説明してはくれんか。」
バンゴーの問いに、ヒプノックは言葉を発する事が辛いとでもいうような雰囲気だった。
「国はまるっと見知らぬ湖へと変わっておりました。建物も池も、何一つ残ってはおりませんでした。その湖は黒き湖と名付けられ、ビーストマンはただの一人もおらず……。すでに湖の上には新たな水上都市のような物が作られ始めており、ル・リエーにいた半魚人達がちらほらといました。」
「なんだと…?それはおかしい。場所を間違えたんじゃないか?」
ギードは自分の部下を疑うような目で見つめた。
「――国が丸ごとなくなれば、難民がこちらへ押し寄せて来るはずだろう。それに建物を壊し、湖になるように掘るには相当な人材も時間も必要なはずだ。奴隷にしているというならまだわかるが…。」
「…私もそう思い、探し回ったのですが、やはりどこにもビーストマン国はなく、ビーストマンの姿もありませんでした。湖の管理者だと言う
「濁すな、議員皆様の前なのだからハッキリしてくれ。」
「…ギード大将…。それが…ビーストマンに教えることは何もないと追い返されました…。申し訳ありません。神聖魔導国の更なる別の場所へはそこを通らなければ、ミノタウロスの国に入ってしまうため、余計な諍いを生まないよう一度戻りました。」
ビーストマン国がそちらとも戦争をしていた。戦線が増えてしまうのは困る。
はぁーと呆れたようなため息が溢れた。やれやれと首を振る者達もいる。
「デミウルゴス殿の話では全ての種を受け入れ統治していると言っていたが全く何なんだか。」
「そのブラックスケイルなる場所はどうだった?ここと変わりない程に進んでおる場所だったのかが問題だろう。」
むぅ…と調査団は悩んだ後、口を開いた。
「いえ、我らの国の方が余程洗練されているかと。作りかけ、と言うような印象でした。」
「相手はここ数年の新興国。それはそうか。」
ビーストマン達は笑った。しかし、皆がビーストマン国の者はどこへ行ったのだろうと引っかかり続けた。