三国は常に戦端を開いていた。
ビーストマン連邦とワーウルフ王国がセイレーン聖国を襲うのは食料と領土のため。
セイレーン聖国がビーストマン連邦とワーウルフ王国を襲うのは国民の保護と、蹂躙の危険を払うため。
ビーストマン連邦がワーウルフ王国を襲うのはその肥沃な地を手に入れるため。
ワーウルフ王国がビーストマン連邦を襲うのは同じ食糧を奪い合う相手を少しでも減らし、女子供までが揃って兵士となる脅威を取り除くため。
他にも様々な理由はあるが、複雑に絡み合う事情があった。
「動きやしねーな。」
ルキースは戻ってきた側近と共に、ワーウルフの戦士達がひしめく中央より後方に建てられている砦にいた。
気が遠くなるほどに長きに亘る戦争で砦はあちらこちらに作られていて、街を守る防壁の外側に更にもう一重の防壁があるようなものだ。
「出撃させますか?」
「いや、まだだ。さっき金色のビーストマンがうろついてただろう。恐らくギード将軍だ。あいつは只者じゃねぇ。」
ルキースも何度もぶつかったことのある油断ならない人物だ。
こと、集団戦術に於いてその者の右に出る者はそういないだろうし、当然本人の力もかなりのものだ。
「ギード将軍ですか…。彼がいてもこちらの半数程度のビーストマンではどうこうできるとも思えませんし、今こそ討つ良いチャンスのような気がしますが…。」
「…甘いな。だからこそ警戒が必要なんだろう。あれ程の男が身を置いてるっていうのに無策なわけがない。」
「なるほど…。」
今日の戦地はどうも胡散臭かった。
相手から必死の闘志のようなものが感じられないように思う。
向こうが動かないと言うならば、できればセイレーン聖国へ出した調査隊が帰ってくるまで開戦は待ちたいと思う。が、ルキース達の前にいる戦士達はグウウ…と唸り声をあげ、闘争本能を剥き出しにしていた。
「やれやれ。こいつらが待てるとも思えねぇなぁ…。」
ルキースが困ったように笑っていると、側近は空へと顔を向けた。
「――ルキース様、セイレーンです。」
視線の先を追うように顔を上げれば、透き通る空を数羽のセイレーンが身を翻し、セイレーン聖国の方へ飛び去るところだった。
「やっぱり組んでやがるか?ッチ。仕方ねぇがここは一時撤退だ。籠って何日か待てば、ビーストマン達も焦れて組んだはずのセイレーンを食い始めるだろうよ。」
「ははは、そうなれば今まで通りの戦争にすぐに戻りますね。」
「そういうこった。」
ルキースはセイレーンの背を見送りながら、一体どうやってあの高慢ちきな
(ビーストマンとの同盟が早く崩れるようにしなけりゃ落とされかねんな…。)
すると、側近が息を飲む気配がした。
「な…あ、あれは…。」
ルキースが空から視線を戻すと、全身の毛がゾワリと逆立った。
これまで戦いへの期待に滾っていたはずの戦士達はくぅん…とまるで子犬のような情けない声を上げている。
「なん…なんなんだ…。」
いつの間にかビーストマン達の列は二つに分かれていて、その間には見知らぬ奇妙な紋章が記された旗を掲げる歩兵隊と騎兵隊がいた。
全ての視線がその見知らぬ一団に注がれる。
いや、見知らぬと言っては乱暴だろう。
それは、全ての生ある者が知る、共通の敵なのだから。
歩兵隊はおぞましき無数の人間の死体――スケルトンだった。
胸当てを着け、手にはそれぞれ円形盾とバスタードソードを持ち、兜を被っている。全ての装備は魔法の力を感じさせ、まるで古き墓守のような雰囲気だ。
更にその者達を囲む騎兵隊も、やはりスケルトン。しかし歩兵隊よりも見事な黄金に輝く
問題はこの者達が騎乗する、正真正銘の化け物にある。
その魔獣は骨の獣の体をしていて、揺らめくような靄を肉の代わりに纏っている。
靄はまるで雷を宿す黒雲のように、膿のような黄色や輝くような緑色にチカチカと明滅していた。
死の危険だ。
生き物が持つ生存本能を刺激され全身が震え出す。
「嘘だ…こんなの、こんなの嘘だ…。」
ルキースは何度も首を振って目の前の事実を否定する。
「だって、だってあれは――あの化け物は――――」
「この化け物は――――」
ギードはそれだけ絞り出したが、あまりにも受け入れがたい現実を前に、その魔獣の名を呼ぶことを脳が拒否する。
もしその想像が当たっていれば、今日ここでビーストマン連邦はおしまいだ。
心臓が殴りつける様に早鐘を打つ。
それはまるで逃げろと体が訴えているようだった。
周りにいるビーストマン達は身じろぎひとつせずに痛いほどの静寂を保っていた。
少しでも音を立てれば死を迎えることになる未来が見え、極限の恐怖と戦い、震えすら抑え込んでいるのだ。
「ん?ギード将軍はこれを知っているのか。」
神王の涼しい声音が響く。
魔獣達から視線を外すこともできずにギードはゆっくりと頷いた。
舌の奥に苦い味が広がるのを感じながら、ついにその名を口にする。
口も舌も震え、言葉はもつれるように紡がれた。
「で、でん…伝説の化け物……――
ギードの声が聞こえてしまった周りのビーストマンが一瞬大きく震え、息を飲んだ。
この付近に暮らす者で
生き物の魂を貪り食う伝説の化け物は、かつて、ここより東に位置する小国家群の中央に存在したビーストマン都市国家に現れた。
たったの三体だった。
当然その都市は遺棄されることになってしまった。
以来その地は沈黙都市と呼ばれ、忌まわしき記憶を孕む穢れた地として恐れられ続けている。
その三体の
何故なら確かめに行く勇気を誰一人として持たないからだ。
魂を求める魔獣が現存するか探し歩き、すれ違えばその瞬間に命は燃え尽きるだろうし、万一見つけて逃げられたとして、追いかけられでもすれば、沈黙都市から再び
ギードとその部下達の怯えは最高潮だったが、そんなビーストマン達の様子とは正反対な、場違いに感じるほどに明るい言葉が続く。
「わぁ、伝説ですって!
神王妃はそういうと、たった一体、何もその背に乗せていなかった
いや、こんな魔獣の感情などわかるはずもないが――神王妃に腹を見せわしわしと両手で靄を撫でられ始めた姿は嬉しそうに見えたのだ。
「よーしよしよし!良い子だねぇ!」
ギードはこれは悪い夢なんじゃないかと思う。
そうでなければあの化け物がこんな風に腹を見せ、まるでペットの子犬のような様になるだろうか。
(起きろ…起きろ起きろ…。起きてくれ…!!!)
ギードは都合のいい妄想に逃げ、顔のパーツが吹き飛んでいくのではと思えるほどに、勢いよく顔を左右に振った。
しかし、更に続く言葉にそんな事をする余裕もなくなる。
「ふふっ、どうしてこんなにアインズさんの生み出す子達は可愛いんでしょうね。」
――生み出す。
目覚めぬ悪夢だ。
「う、う、生み出す…?そ、んな……神王は…死の神だとでも…いうのか…。」
ギードはゆっくりと、人の皮を被ったアンデッドへ視線を送る。
「あぁ、そうだが今更それがどうかしたか?生の神のこともちゃんと崇めろよ。」
死の神は
まるでこの子がうちの生の神ですよと紹介でもするように。
ギードがじっと神王妃――いや、生の神を見ていると、生の神は慌てて両手を振った。
「っん、いえいえ、私のことはそんなに、良いですから。」
「ダメですよ。フラミーさんももっと崇められる神様になってください。」
これが神と呼ばれる存在達だったのかとすぐ様信じた。そうでなければこの状況はあまりにも非現実的だ。
神々のじゃれ合いを呆然と眺めていると、ギードの隣にいたヒプノックがどさりとその場に崩れた。
気持ちはよく分かる。
ヒプノックは全てを悟ったのだろう。
これが死の神――沈黙都市に
(難民など出るはずもなかったんだ…。)
ギードはヒプノックへ向け続けた疑いの目や言葉の全てを心の中で謝罪した。
ビーストマン国は一人残らず死に絶え、生き残る者などいるはずもないのだから。
「殺される…殺されちゃうよ…。」
ヒプノックから情けない声が漏れる。
そんな事はないよ等と何の信憑性も持たない慰めの言葉をかける事はできなかった。
特にこの男は実際にビーストマン国の末路を見てきているのだ。そのショックはギードの比ではないだろう。
すると、トン、とギッシリと指輪のはめられた手が肩に乗った。
びくりと肩を震わせると、死の神は優しげに微笑んでいた。種族が遠すぎるせいで、恐らく、という言葉がつくが。
(あ、俺達死んだな…。)
ギードの心は終わりの時を前にひどく静まっていた。全てを諦めた悟りの境地。
「そう怯えるな。お前達は死なせやしないさ。部下を慰めてやれ。私達に全てを任せ――そして、感謝してもらおう。」
「…え?」
ギードから漏れた疑問は誰に届くこともなく消えていった。神は青い異形を手招く。
「これはコキュートスと言うんだが、うちの亜人専門家だ。さぁ、コキュートス。王を探してこい。」
「カシコマリマシタ。オ任セ下サイ。」
そのやり取りを見ると、女神は立ち上がり、
「じゃ、いってらっしゃい。またね。」
「デハ、行ッテ参リマス。」
コキュートスは巨体からは想像できないほどに軽やかな動きで
次回#21 ワーウルフ王国
こっきゅん、この先出番増えそうですね!
爺と言い、亜人屋さんと言い!