セイレーン達は戦争のない生活を堪能していた。
ビーストマン連邦とワーウルフ王国はやはり一つの国家となったようで、互いの国をしょっちゅう使者が行き来しているのを調査隊が幾度も目撃している。
恐らくいつかはビーストマンとワーウルフの連合軍が攻め入って来てしまうだろう。
しかし、少しでも彼らの姿が見えれば、再び最高位天使の召喚を行うつもりだ。
テルクシノエとヒメロペー、そして中でも力ある者達は儀式の水庭に詰め続けていた。
時折調査隊が戻り、「変わりありません」と告げるのがここ数日の日常だった。
「もう戦争が終わっていたらどれ程いいかしら。」
テルクシノエが呟くとヒメロペーも本当に、と微笑んだ。
「もし全ての戦争がなくなって、真実の平和が訪れたら…テルクシノエ様はやりたいこととかありますの?」
テルクシノエはわずかに悩むと、ふっと笑いを漏らして語り出した。
「ヒメロペー様は…ここより遥か北西の地にアーグランド評議国と呼ばれる
ヒメロペーは目を閉じ、記憶を探るようにしてからゆっくりと頷いた。
「覚えております。多くの亜人が手を取り合い暮らす、それはそれは素晴らしい国だって。」
「ふふ。そう、素晴らしいですわよね。確か
その旅人が来たのは、もう何度月が昇って落ちたか解らない程に昔。
「まぁ…素敵。その時には私もご一緒させてくださいませ。」
二人は訪れるはずのない日へ思いを馳せ笑い合った。
「あの時の旅の方はまだ生きてらっしゃるかしら。」
「あの方、沈黙都市からおかえりになれたの――きゃっ!何!?」
ヒメロペーの言葉を遮ったのは、地響きだった。
水庭の四角いプールが大きく波打ち、大理石の床にあふれた。
ただ、地震とは違う。ただ一回。
巨大なものが地面に落とされたかのようなたった一度の衝撃のような揺れだ。
「敵襲!?今すぐ魔力を!!」
テルクシノエがいち早く叫ぶと慌てて周りのセイレーンたちから魔力が送られてくる。
尻餅をついているヒメロペーを何とか起こし、二人で手を掲げる。
宮殿内ばかりか、宮殿の外からも悲鳴が聞こえてくる。
(そ、そんな…!いつの間にこんなところまで…!!)
テルクシノエは苦々しげな顔をし、歌い出した。魔力が集まるまで、少しでも魅了の歌を見えている空に向かって歌い、ここに敵襲が来るのを抑える。
ヒメロペーも続くように歌いだした。
歌を遮るように悲鳴が聞こえ続ける。
一体どれほどの人数が悲鳴をあげているのだろうか。
この神聖なる儀式の水庭において最も似合わない声を引き起こす者達に――鉄槌を。
二人は大きく息を吸い、召喚を行う。
「「<
太陽が顕現したと思えるほどの光が満ちた瞬間、水庭への扉がけたたましい音を立てて開く。
そして、入ってきた
「テルクシノエ様!!ヒメロペー様!!
一瞬間の抜けた空気が流れた。
言葉の意味が即座に理解できない。いや、理解できようはずもない。
この同胞が嘘を吐くはずがないと解っていても、意味不明だった。
まだ五万のビーストマンが現れたと言われた方が納得がいくだろう。
「はい?」「なぁに?」
しかし、事実振動は起き、今も悲鳴が上がっているのだ。
ヒメロペーはテルクシノエを抱えると空に向かって飛び上がった。
そして、宮殿の外に鎮座する黄色い竜を見ると皆が口をあんぐりと開けた。
強固な鱗に包まれた強靭な肉体に、セイレーンを遥かに超える寿命。
様々な特殊能力や魔法を持つ竜といえばこの世界最強の存在だ。
冒険者に退治される例も事欠かないが、それと同じくらい怒れる竜によって滅ぼされた都市や国家も存在してきた。
おおよそ三十年前に南方のある国の一都市が滅ぼされてしまったことは記憶に新しい。
そんな存在が街のど真ん中にいるというのはとんでもない非常事態だ。
「な、なに…!なんで竜がいるの!!」
「まさかアーグランド評議国が援軍を?噂をすれば影?」
「あり得ませんわ!向こうに何のメリットもありませんし、何よりここを知っているとも思えない…!」
「と、とにかく敵対者なら
ヒメロペーは後ろについてきている天使へ振り向いた。
『えっと、皆さん聞こえますか!?あたしは神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国からの使者、アウラ・ベラ・フィオーラです!』
このタイミングでとてつもなく大きな声が響き渡った。
竜へ目を凝らせば、その背には二つの小さな影が乗っていた。
影は日に焼けたように黒い肌の子供だった。
「あれは――
「神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国…
『この国と戦争をしていたビーストマン連邦と、ワーウルフ王国はあたしたちの国の王、神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下が降し、神聖魔導国の一部となりました!アインズ様はとっても慈悲深い御方なので、この国との戦争はおしまいです!』
おぉっと歓声が上がる。
「素晴らしいわ…こんなことが起こり得るの?」
「停戦協定を結んだ暁にはお礼を何か用意しなくちゃいけませんね。」
二人は幾らくらいが妥当だろうかと考える。
あまり、安い金額を渡しては借りになってしまい、これから始まるであろう近所付き合いに支障をきたすだろう。
『そこで、セイレーン聖国にも神聖魔導国へ降って欲しいとあたし達の王様は言ってます!ここで一番偉い人は今すぐに出てきてください!』
停戦協定を結びに来たのではないのかという驚愕に二人は目を見合わせた。礼金を寄越せと言われる方が簡単だ。
『――そこの天使連れてる人達かな!』
ビッと指をさされると二人の背には僅かに何か名伏しがたい感情が這い上がった。それは、何故か恐怖に似ていた。
竜が恐ろしいのはわかるが、目の前の子供は非常に整った顔立ちをしている以外、本当にただの子供だ。
今一瞬感じた物がなんだったのか分からないまま、二人は歌うように声を張り上げた。
「セイレーン聖国、
「セイレーン聖国、
数日後――。
静かな大地には春時雨が降り、晴れたり止んだりを繰り返し、霞が立っていた。アインズとフラミーはアウラとマーレを連れてセイレーン聖国へ向かっていた。
シャルティアはブラックスケイル州、コキュートスはワーウルフ州、デミウルゴスはビーストマン州と、守護者は殆どが出ずっぱりだ。
ナザリックはアルベドとパンドラズ・アクターが、どちらの方が早くナインズの目の前でルビクキューを全面揃えられるかと言う勝負をしながら守っている。これは現地の者からナインズヘ送られてきたおもちゃだ。今日もナザリックは平和だった。
フラミーは久々の馬車から楽しそうに外を眺めていた。
「セイレーンは何を食べるんでしょうね?」
「雑食ですかね?なんでも食べると良いんだけどなぁ。」
アインズのそれを聞くと、アウラはふんっと鼻息を漏らした。
「アインズ様とフラミー様がなんでも食べろと仰るなら、そうするべきだと思います!」
「だ、ダメだよお姉ちゃん。不満が出ないように統治しないと…。」
そう。恒久的な税金になってもらうには結局良い統治がベストなのだ。
アインズは向かいに座るマーレの頭をさらりと撫でた。
兼ねてよりアインズの中で危ぶまれていたビーストマンとワーウルフの食料問題は、黒き湖での養殖がうまくいっている為、意外にきちんと回っていた。
当然国内だけでは賄えず、亜人がわんさかいるアーグランド評議国や都市国家連合から輸入もしている。
こう輸入量が多くなると
アインズのスキルである<下位アンデッド創造>で
ただ、
一方国内の畜肉業者の下には出稼ぎに来ている
余談だが、<中位アンデッド創造>では一日十二体のアンデッドを制作できる。今回活躍した
街と街、州と州を繋ぐバスとしても活躍していた。
戦いの日には国中の運送業が一時停止したが、前もって通達されていた為文句を言う者はいなかった。
そうして相変わらず大量に死体を使っていると、アインズは再びいつか死体不足が発生しかねない言う問題に直面した。
苦肉の策として、死んだ者はこれからは墓ではなく神殿に持ち込むと言う法を定めた。
闇の神が魂を救済・供養し、光の神が新たな命を与えるという名目で神殿での死体受け入れを始めたところ、すぐさま死体の持ち込みは始まり、中には墓を暴いて死体を持ち込む者達も出た。
信じられないことにデミウルゴスからの進言によって「供養料」も取っており、死体も貰って税金ももらうなんて、アインズは少し詐欺みたいだなと思う。
ちなみにそれに伴い神殿の隣に霊廟の建設も始めた。持ち込まれた死体は日中そこで保管され、一日の終わりに第五階層へ持ち込まれる。
これだけうまく回っている神聖魔導国だったが、アインズには一つ気がかりな事が増えた。
それは「神様として供養や輪廻転生を行なっている」と遂に自ら国民へ発信することになってしまった事だ。
(これで死体問題は一気に解決だけど…ある意味別の問題が更に深刻になったな…。)
自らの手で首を絞めるスタイルに苦笑せずにはいられない。
馬車がしっとりと冷たい春の霞に包まれて進んでいると、巨大な防壁が現れ、全てを拒絶するかのようにぴたりと閉まっていた扉はゆっくりと開かれていった。