眠る前にも夢を見て   作:ジッキンゲン男爵

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#27 魚の青

 テルクシノエはいつもなら恐ろしいはずの海域を迷いなく進む。

 

 後ろには魔法の力を使っている様子の神王とアンデッドが続く。

(そろそろだわ…。)

 スピードを落とし、止まる意思表示をする。

 巨大な岩に手をつき、息を潜めるように身を隠すと、テルクシノエの濃紺の髪は昆布のように揺らめいた。

「この先がシー・トロールの集落ですわ。彼らはとても力が強く殴られでもすれば――」

 そこまで言ったところでテルクシノエは首を左右に振って言葉を区切る。

「失礼いたしました。神王陛下ほどのお方には不要な心配ですわね。」

「…水の中でも世界にかかる翻訳機能は健在か。さて、トロール相手はまず一発殴ってからだな。テルクシノエ殿、一応これを。」

 神王は懐から、紅玉髄(カーネリアン)を中心に、その周りを五芒星が取り囲むネックレスを出した。

「こちらは…?」

「恐怖に対する完全耐性をもたらすアイテムだ。破滅の王(ドゥームロード)もさる事ながら、場合によっては私も<絶望のオーラ>を放つ。その時に君が恐怖に支配されないように離さず着けていなさい。」

 テルクシノエはその能力はよく分からなかったが、素直に頷きネックレスを首にかけた。大きなチャームがふわりと浮かぶのを手でそっと抑える。

「有り難く拝借いたします。」

「あぁ――ん、来なさい。あっちを向いて。」

 何かと近付き背を向けると、ネックレスは外された。

「何かご無礼を…?」

「いいや、チャームが引っかかりそうな時はこうすると良いと、フラミーさんが教えてくれたんだ。」

 細く美しい――女性もかくやと言う白魚のような指はテルクシノエの首の周りを数度周る。

 チェーンを首にクルクルと巻いて、チョーカーの様に付けると、魔法の装備のそれはピタリとテルクシノエの細い首に隙間なく着いた。

「まぁ、恐れいります。お手数を。」

「良いさ。さぁ、殴り込みだ。」

 骨の筈のその顔は笑ったようだった。

 感謝の意を示すため頭を下げ、再び顔をあげると、神王はアンデッドを連れ海底を歩くシー・トロールの集落へふわりと降り立つところだった。

 慌てて追いかけ、神王の斜め上あたりで止まった。

 

 やがて神王とトロールが顔を突き合わせると、何が起こっているのか分からないとでも言うようにトロールは数度目を瞬いた。

 

「……ア、アンデッド?」

 

 その声を切っ掛けに、周りにいるトロール達の中でさざ波のように「アンデッド」と言う言葉が伝わっていく。

「その通りだ。あー、ザ・リビングと言うんだったか?昔タブラさんに教えて貰ったが――もう忘れてしまったな。」

「なんで、人型のアンデッドがこんなところに……いや、セイレーン!!」

 トロール達の視線が一気にテルクシノエに集まる。

「セイレーンがアンデッドを使役するとはな!おぞましい奴め!!」

「ふむ。そう見えるのか。混乱してるところ申し訳ないのだが――」

「殺してやれ!!臆病者の国の畜肉が!!」

 ぞろぞろとトロール達が集まりだすと、テルクシノエの中には自発的に発生する恐怖が広がった。

 

「骨をボリボリと食うのもうまいからな!!セイレーンを食った後に足先からじっくり食らってやるぞ!!」

「やれやれ。トロールはどいつもこいつもダメだな。おい、命が惜しくば服従しろ。」

「服従だと!そんな事が――」

 言い切る前に神王は手に持っていた金色の芸術品のような杖を振りかぶり、水中とは思えないスピードでトロールの足を砕いた。

「服従しろ。まだ必要か?」

「ッグああああ!何をやった!!」

「もうそれも飽き飽きしているんだ。――あ、いや、良いことを思いついた。少し待て。」

 神王はふとこめかみに触れた。

「――デミウルゴス。私だ。今シー・トロールの下にきているのだが、どうだ?これは良い気がしないか?永久機関だぞ。臭くもないしな。」

 何の話だろうと思っていると、王の身の回りには大量のトロールが襲いかかった。

「神王陛下!!」

 すると、途端にトロール達の目も口も大きく開かれ、大きく歪んでいく。その感情の正体は恐怖。それも想像を絶するような圧倒的な恐怖。

 テルクシノエは何がどうなってしまうのと見ていると――「ヒヒャアアアアアア!!」

 トロール達は奇怪な叫び声を上げ、途端にあちらこちらへ散らばるように泳ぎだした。

「――<絶望のオーラⅣ・狂気>、<集団全種族捕縛(マスホールドスピーシーズ)>。」

 神王から黒い靄が立ち昇ると同時に放たれた魔法陣は、一気に泳ぎだしたトロール達を捕らえた。

 トロール達は絶望に染まった顔をし、まるで地獄に飾られる彫刻のようにピタリと動きを止めた。

「まだまだいるか。破滅の王(ドゥームロード)、適当に捕らえて来い。こいつらは楽しいお引越しだ。」

 アンデッドが黒い靄のかかる戦鎌(ウォーサイズ)を構え、空を飛ぶように泳ぎだすと、神王はすっと手を振った。

 すると、苦悶の表情を浮かべる半透明の存在が十体現れた。三人の影が混じり合うように揺らめいている。

 

 その者達は、セイレーンだった。テルクシノエはあまりの事態に目を向いた。

「い、嫌!!おやめ下さい!!陛下!!どうかおやめください!!」

 テルクシノエは思わず神王の腕に縋る。目から溢れる体温は海に混じり、温度を失った。

「――ど、どうした?なんだ?」

「お、お許しください!!どうか皆を静かな眠りに!!」

 神王はふむ、と一つ声を上げるとテルクシノエを押すようにそっと離れた。

「これは上位死霊(ハイレイス)だ。その姿は見る者と同じ種族になってしまう。これは私の目にはただの靄だ。」

「あ……で、では…トロールに食われた同胞では――」

「――ない。安心しなさい。さぁ、上位死霊(ハイレイス)達よ。破滅の王(ドゥームロード)の手伝いをして来い。」

 アンデッド達が水の抵抗を感じさせない動きで移動を開始する。

「テルクシノエ殿、悪いが少し私は水面へ上がる。君はここにいられるか?」

「は、はい…。何かあれば歌います。」

「そうか、では少し待っていてくれ。」

 そう言うと王は水面へ上がっていった。

 後を追うようにアンデッド達がトロールを抱えて上っていく。

 子供も赤子も無差別に海面に連れ去っていくが――果たして海面へ連れて行きどうするのだろうかと少しだけ考える。が、分からずに思考を破棄した。

 

「…それにしても不思議な人。」

 

 テルクシノエは初めて見る自分より強く、そして優しい男を見上げ続けた。

 

+

 

「高位の死霊使い(ネクロマンサー)だったのか?」

 シー・ナーガは手の中に水玉(ウォーターボール)を浮かべテルクシノエを睨み付けた。

 助けを求めるように神王を見れば胸に手を当てテルクシノエを見ていた。

「よくぞわかった。これこそ我が主人よ。」

「陛下!?何を――」

「ふふ、少しは気が晴れたか?」

「あ、え?」

「さて――ナーガよ、つまらない冗談を言った。一つ聞かせてほしい。お前達がセイレーン聖国を襲う理由はなんだ。」

「狩り、ハンティングと言っても良い。これを見ろ。」

 自慢げに着ているベストを引っ張る。数えきれない色にキラリと輝くそのベストは無数の半円が折り重なってできているようだ。

「っく…。野蛮な…!」

「あれは――セイレーンの鱗か?」

「ふふ、良いだろう?指導者よ、テルクシノエと言ったか?お前も私達のコレクションに加えようか。」

 シー・ナーガ達がくつくつと魔の笑いを漏らした。

「ふむ。食事ではないわけだな。必須アミノ酸だと困るからな。」

「ひっす…なんだ?」

「私もよく知らん。言ってみただけだ。ところで、殺されるのとひれ伏すの、お前はどちらが良い。好きな方を選べ。」

「アンデッドよ!選ぶのはお前の方よ!!」

 開戦の合図のようにシー・ナーガの一人が叫ぶと、無数の魔法が霰のように降り注ぎ、テルクシノエは両手を顔の前で組んだ。

「やれやれ。地産地消と行くか!!」

 組んでいた腕が取られるとテルクシノエは抱えられていた。

「ッキャ!陛下!?」

 肩に乗せられるように抱えられ、まるで釣れた魚を運搬するようだった。

(…私などただの魚だとおっしゃるんだわ…。)

 テルクシノエが抱えられながらうーん、と唸っていると周りのシー・ナーガは死んでいた。

 降参だと叫ぶナーガ達は哀れっぽい声を出したが、テルクシノエは残念ながら哀れだなんて思いもしなかった。そして、これこそがこの王を前にした者が取るべき行動だと胸にストンと落ちる。

「ではここは我が国の飛び地とする――が、神官も神殿もないな…。こんな地域は初めてだ。」

 どうしたものかと言いながら、死体を次々とアンデッドに変えていく。

「まぁ後のことは追い追い考えるか。ナーガよ、今後は我が国の法に則り生活せよ。後で詳しい説明をする死者の大魔法使い(エルダーリッチ)を送る。」

 ぺたりと海底に頭を擦り付けるシー・ナーガ達が何度も頷くと再び二人は移動を開始した。

 

 そして、海巨人(シージャイアント)のいる深海域を前に、テルクシノエは水圧がきつくて降りられないと神王を見送った。

 最初に召喚されたアンデッドが守るようにと言いつけられた為、側でふよふよと浮いている。

「陛下は一体何者なのかしら。」

「我が神は神だ。」

「やはりそうですわよね。それにしても、陛下は――」

「私がどうかしたかね。」

 しょんぼりとした海巨人(シージャイアント)数人を従えた神王がふわりと戻ると、テルクシノエはちょっとした興味心と初めての小さな憧れに任せて口を開いた。

「陛下はお妃やご側室はフラミー陛下の他にどれほどお持ちなのでしょうか。皆様にフラミー陛下へ向けるほどの愛情を?」

 神王はフッと笑ったようだった。

「私は生涯フラミーさん一人しか愛さない。あの人の他に妃も側室も持ちはしない。」

 テルクシノエの中には衝撃が走った。こんな王がいたのかと感嘆したくなる。

 僅かに世継ぎの問題を心配するが、全ての乙女が憧れるであろう王としてのあり方だ。

「素晴らしいですわ!フラミー陛下はお幸せですわね!」

「…いや。多くの事を我慢させ、強いてしまった。しかし…ふふ、そうだな。きっと幸せにしてみせるさ。」

「応援させてくださいませ。」

「ありがとう。ヒメロペー殿も、テルクシノエ殿も非常に好感が持てるな。君たちが指導者で良かったよ。」

 

 眼窩には優しい朱。

 そっと骨の手で頭を撫でられると、テルクシノエの中で音がした。

 

 それは、まるで空の上から落ちたガラス玉(ビードロ)が、鏡のように凪いだ海へ無抵抗に落ちたような透き通った音だった。

 或いは、熱雷を孕む黒雲に、大地を焦がすような稲妻が轟いたような音だった。

 胸に触れれば、朱を求めて高鳴っていた。小さな憧れが形を変えた。

 

「さぁ、それじゃあ戻ろう。――お前達も見送りはここまででいい。」

 神は海巨人(シージャイアント)に手を挙げた。

 

+

 

 アインズがテルクシノエと共に宮殿に戻ると、謁見の間ではない場所へ通された。

「ヒメロペー殿の部屋に?」

 テルクシノエと目を見合わせ、扉を開くと、中はさながら宝石箱だった。

 開けたばかりの箱からは様々な色彩のドレスが出ていて、フラミーは知らない服に着替えていた。

 ヒメロペーも先程会ったのとは違う服に身を包み、フラミーの翼を恍惚の表情でブラッシングしている。

 アインズはそれは俺の仕事なんだけどと少し思うが、野暮なことは言わない。

 

「アインズさん!テルクシノエ様!おかえりなさぁい!」

「アインズ様ー!」「あ、あの、おかえりなさいませ!」

「神王陛下、テルクシノエ様おかえりなさいませ!」

 アインズが入って良いのかと迷っているとテルクシノエに手で促された。女の花園のような場所に恐る恐る踏み入れる。

 アインズはフラミーの手を取ると、恐怖公に以前叩き込まれた踊りのようにくるりとフラミーを回した。ふわりとスカートと髪が舞い、思わず頬が緩んでしまう。

「これどうしたんですか?可愛いなぁ。」

「えへぇ、お小遣いでお買い物しちゃいましたぁ。ナインズの分も買いましたよ!ヒメロペーさんに両替してもらって!」

 フラミーは目立ちはするだろうが、拝まれる事のない街を満喫したようだった。

「えー俺も行きたかったです。そしたら俺のお小遣いで買ってあげたのに。」

 ショッピングデート。良い響きだ。

 ちなみに支配者達の月給はたった金貨三枚。世界で一番薄給な支配者だろう。とは言え殆ど使う事が無いため溜まっているし、今のところ不自由もしていない。

 余談だが金貨三枚と言えば、バハルス州の平民三人家族が一ヶ月暮らすのに必要な額だ。金貨が十枚で白金貨一枚なので――ヒメロペーにほいとやった白金貨は恐ろしい値段だ。しかし、ヒメロペーもそれが分からない女ではないので、結局ここに帰ってきてから、きちんと同額を用意し、フラミーに返したらしい。

「次はアインズさんも行きましょうね!どれも背中が開いてたから、アインズさんには何も買わなかったですし。」

「行きます、行きます!他には何買ったんですか?」

 フラミーはえっとねー、とナインズに買ったものをあれこれ見せた後、自分の服や装飾品を出してみせた。

 それを見たアインズは――「よく似合いそうです。フラミーさん」それしか言わなかったが、やはりフラミーは嬉しそうに顔を赤らめて笑った。

 

 夫婦のやり取りを他所に、テルクシノエはヒメロペーに海での事を報告した。ヒメロペーは一部始終を聞くと、頬に手を当て、一言つぶやいた。

「フラミー様だけを愛するなんて素敵ですのね…。」

「…ヒメロペー様、陛下のお力を信じていらっしゃらないですわね?」

「あら、そのような事はありません。第十位階を操る神王陛下ですから、そうならない方が不思議ですもの。」

「それは…そうですわ。」

 ヒメロペーはふとテルクシノエの首を指差した。

「ところで、そちらは?」

「っあ、これは神王陛下より拝借したものですわ。お返ししなくちゃ。」

 僅かな名残惜しさを感じる。しかしテルクシノエは迷いなくそれを外すと、フラミーを愛でるアインズの下へ進んだ。

 

「陛下。こちらありがとうございました。」

 振り返り、差し出された骨の手の中にネックレスを返す。

 ちゃらりとチェーンが鳴り、テルクシノエはちらりとフラミーの首に輝く美しいネックレスを見た。

 自分はそれを貰えない存在だとよくわかっている。しかし、それはそれでいいのだ。

 テルクシノエの小さな恋は、きっと生涯叶う事はなく、いつか忘れて美しい思い出になるのだろう。

 結末の見えている恋というのも良いものだと、テルクシノエは爽やかな気持ちでネックレスから手を離した。

 彼女は次の日から毎日首にチョーカーをはめるようになった。

 アインズへの気持ちが泡のように消えてゆくまで――と思っていたが、ところがどっこい、中々忘れられず、いい男も見つからずにため息を吐く日々が延々と続くのではあるが。

 一方ヒメロペーもフラミーの真似だと大喜びで同じようにチョーカーを着けるようになる。そうしてセイレーンの乙女の間ではそれが大流行するのだが――そこに至るまでにはまだあと数週間の時間がかかるようだ。

 

「恐ろしい思いをさせて悪かったな。さて、それでは改めて聞こうか。我が神聖魔導国を見に来てくれるかな。」

 指導者二人は頷き合うと、是非にと声を上げた。




「いいともー!」

次回#28 見学会

勢力図いただきました!©︎ユズリハ様

【挿絵表示】

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