#45 航海の終わり
「おーーい!!陸が見えたぞー!!」
時に雪すらチラついた春先の日、長きに亘る航海を終え、船上に声が木霊した。
世継ぎが生まれた神と、数えきれない人々、家族に見送られて出航した幽霊船はついにその時を迎えたのだ。
甲板には多くの冒険者が駆け出した。
薄ら寒い朝、船が小さな波を散らす先に緑の影を見せていた。
「あれが新大陸か!!」
「見えてるのは森みたいだな?誰もいなかったらどうするよ!!」
「陛下が見てこいって仰ったんだから誰も居ないわきゃねぇだろ!!」
「採集、冒険、マッピング!ッカァー!!冒険者冥利に尽きるぜ!!」
各々がこれから始まる冒険に胸を躍らせると同時に、ここに辿り着くまでに行った凄まじい戦いや、目にした美しい景色を思い出した。
聖王国からここに辿り着くまでにはシー・ナーガや
アダマンタイト級冒険者が乗っていないことに不安を感じる者は一人もいなかった。
豪雨の夜には激しく揺れる船を、通称海の守り神――シードラゴンに守ってもらったりもした。
波が沸き立ち、船を襲い、風がごうごうと響いた夜。
荒々しい波が砕けると、シードラゴンは現れた。
シードラゴンは両手両足が退化し、長い身体を持つ。シーサーペントよりもドラゴン寄りの見た目をしており、捧げ物をする事で船を守ってくれる温厚な存在だ。人間と同等か、それ以上の知能を持っている。
雨が上がり、シードラゴンが海面から高く首をのぞかせ、虹を背にする様はまさしく神の如きものだった。
――しかし、この船に乗る者でそれを神だと思う者はいなかったらしい。
本当の神を目の当たりにした事がある者達の神へのハードルは相当に高かった。
異種族同士が手を取り合う事が当たり前になった神聖魔導国の者達は皆「生きることに協力し合う素晴らしい光景だ」そう思ったらしい。
船の後ろに波が襲い、
幽霊船は霧を発生させる事で地面から一メートル程浮遊できるため、明日からは幽霊船を宙に浮かべ、船で移動する予定だが、今日は一先ずその場で止まる。
ここの土着の者達が幽霊船に怯えてしまわないようにという配慮だ。
柔らかな潮騒が小さなしぶきを上げる。
船からは縄梯子が降ろされ、それを伝うように次々と男達、女達が――中には当然亜人も――船を降りた。
そんな中、梯子も使わずにバシャンと船から飛び降り、波に足を下ろした者がいた。
その男――"クラルグラ"のイグヴァルジは首から下げた冒険者のミスリルプレートに相応しい、力強い佇まいだ。
イグヴァルジを追うように、"クラルグラ"の者達が三人、次々と波へと降りる。
瞳には各員それぞれ違った感情を宿しているが、共通するのは好奇心。
柔らかな海風が目に染みるように吹き抜け、足元をさらうように波が流れた。
イグヴァルジは新たな大陸を眺めると不敵な笑いを漏らした。
その瞳に一番輝く色は野心。
(俺はこの冒険でトップを取るんだ。そしてオリハルコン、アダマンタイト…。英雄と呼ばれる存在になるんだ。)
子供の頃に村にやってきた詩人の語る
仲間すらもこの男にとっては頂点を取るための駒に過ぎない。
自分こそがかの十三英雄と同等の英雄になる男なのだ。
自分以外の強者はこの世に不要だと思っているイグヴァルジにとって今回の仕事は素晴らしいものだった。
アダマンタイト級は神の地の防衛点検に出て以来、装備が直っていないとかで一組も乗っていない。
(ざまぁみろ、アダマンタイトのクソ野郎共。これでようやく世代交代だ。)
イグヴァルジは防衛点検中のアダマンタイト級の荷物番と言うプライドのない仕事を冒険者組合で紹介された時から、現在アダマンタイトを名乗る者達を何となく敵視している。
受けた冒険者もいたらしいが、そんな奴らは"冒険者"を名乗るべきではないだろう。
今回オリハルコン級は何チームか乗っているが、強さはイグヴァルジの方が上のように感じた。
上手なパーティー編成を行ったな、と言ったところか。
「ここでてっぺん目指すしかねぇな。」
ざぶざぶと進み、ついに踏み締める大地。
浜の目の前は早速森だった。
周りではオリハルコン級冒険者が早くも植物の採集を始めていた。
神聖魔導大陸――神魔大陸と呼ぶようになり始めている自分達の大陸――にない薬草や毒草があれば、国益になると言うわけだ。
他にも
ああ言う地味なことは適当に他のチームに任せ、珍しい魔獣の捕獲や、マッピング、ここの住民の発見と行きたい所だ。
イグヴァルジは仲間を手招いた。
「おい、俺達はとにかく進んでみようぜ。」
「賛成だ。」
「夕方までにここに戻って今日の野営地を整えれば良いんだもんな。」
「イグヴァルジがいれば森も怖くない。」
「任せておけ。どんな森でも俺の庭にしてやるよ。」
イグヴァルジの学んで来た職業はフォレストストーカー。野外での行動に特化したものだ。
全員が進む事に何の躊躇いもないが、一人の仲間が思い出したように、「あ」と声を上げ提案する。
「
リーダーはイグヴァルジだ。
非常に優秀な冒険者なので、人格は置いておいて、チームの決定はリーダーに任せるべきだと皆思っている。
これまでイグヴァルジに付いてきたおかげで、"クラルグラ"はメンバーが一人も欠けたことがない。
イグヴァルジは悩んだ。
しかし、何かを成し遂げたときや、発見した時に「
「…いや、まずは俺たちだけで行く。
そう言うと、ちょうどオリハルコン級の者達が
仲間達はすぐさま、たしかにと納得して頷いた。
「行こうぜ。」
イグヴァルジは鬱蒼と茂る森へ踏み込んだ。
木々が互いを避け合うように葉を伸ばす様を見上げる。
広葉樹の広がる豊かないい森だ。
一行は適度な緊張感を持ちながら警戒を怠らずに進んで行く。
途中ガサガサッと音が鳴る度に剣の柄に手を添えた。
暫し歩くと、イグヴァルジは全員に見えるよう、「止まれ」のハンドサインを作った。
「おい!そこにいるやつ!ゆっくり姿を見せろ!」
その視線の先には大きな木が生えていて、人間一人二人くらい平気で隠れられそうだった。
全員が抜剣する。
「出ないなら殺されても文句は言えないぞ。」
「おい、イグヴァルジ。それはまずいだろう。友好的にと言われているんだ。」
仲間がイグヴァルジを嗜めていると、木の影から小さな影が姿を見せた。
痩せた
「ゲゲゲゲゲ!」
「っちい!!ゴブリンはゴブリンでも小鬼かよ!!」
「やるぞ!!」
エ・ランテルで当たり前に見る言葉の通じる賢いゴブリンとは違う、知能の低い下品な生き物だ。
この生き物は貪り、生殖し、寝る事しかしない。
四人は船上でなまりかけていた身体を動かす最初の機会に昂った。
「武技!<回避>!」
棍棒を振るわれた一人が後ろへ軽々と飛び退くと、イグヴァルジが気合十分に叫ぶ。
「だオラァ!ッシャア!!」
自分を大きく見せ、相手を萎縮させる為に亜人のチームがよく行う技だ。船上でも何度かやっていたが、特に知能の低い者相手には効果覿面だ。
びくりと体を震わせた一瞬の隙を見逃さず、イグヴァルジは剣を握る手に力を込める。
「<斬撃>!」
剣がゴブリンを上半身と下半身の真っ二つに分けた。
"クラルグラ"はいつでも、例えそれが野ウサギ相手だとしても本気で取り組む。一瞬の隙が生死を分けるのだ。
「よし、吊るしておこうぜ。」
「あいよ。」
いそいそとロープを取り出し、ゴブリンの上半身と下半身を木に吊るした。
「これでここいらのゴブリンは怖がるだろう。」
起こるかもしれない強い魔獣との戦闘を控え、なるべく体力を温存したい。
ゴブリン達への威嚇だ。
さらにゴブリンからダラダラと流れる血を顔に塗る。
人間臭さを消し、なるべく穏便に森を渡る知恵だ。
その後四人は特別何かと戦闘をすることもなく、森を探索し続けた。
「…そろそろ戻るか。」
まだ日は高いが、夕暮れが訪れてから戻るのでは遅すぎる。
今日のところはオークやゴブリンの足跡くらいしか見付けられなかったが、四人は海へ戻って行った。
既に何チームも戻ってきていて、船から今夜の食材を下ろすところだった。
粉袋、ぶどう酒の樽、
航海中は魚を釣ったりもしていたが、生きた鳥や牛なども積んできた。今はもうすっかり食べてしまってなくなったが。
「お、"クラルグラ"お疲れ!」
そう声を掛けてきたのは、同じくエ・ランテル出身の冒険者チーム"虹"のモックナックだ。
「お疲れ。飯炊き班はもう決まってるんだな。俺達は警戒網でも作ってくるわ。」
「はは、あれは地味な割に足腰疲れるから皆やりたがらないのに偉いんだな。」
「よせよ。俺は死にたくないだけだ。」
イグヴァルジの本心からの言葉を、心の広さととったモックナックは、ほうと声を上げた。こう言う命に関わる作業を他人に任せるのが大嫌いなだけで、むしろ他人がやってもやり直しをするためいつもは嫌われがちだ。
誰も信じることのない男は割と忙しい。
イグヴァルジは船から降ろされ、放置されている箱の一つを無造作に開けた。
「ビンゴ!」
中には鈴の付いた細いロープが入っていた。
隣の箱を開けた仲間は大外れ。中身は魚を開いて甲板で数日放置した干物だ。
ロープは相当な長さの為、付いている鈴もたくさんあり、一人で持ち運ぶのは困難だろう。
仲間と二人がかりで運び、野営地として十分な広さだと思われる範囲を囲んでいく。
様々なチームが協力し合い、日が暮れた頃には皆が腰を落ち着けることができた。
久しぶりの地上の夕食は豪勢だった。
中には鹿を獲ってきたチームや、野鳥を獲ってきたチームもあったし、草の採集をしていたチームは食べられる草も摘んでくれていた。
生野菜のサラダは久々だった為、皆うまいうまいと大喜びでがっついた。
デザートは船上の時からお馴染みのワイン。
まだ夜はとんと冷えるので、スパイスを生む生活魔法を使える者が温めたワインにスパイスを加える。
今回旅をした皆が大好きな至福の一杯だ。
冒険者達は足の指先まですっかり温まるほどに飲んだ。
当然、幽霊船長も飲まされた。
その時には、カッツェ穀倉地帯のアンデッドに伝わる怪談話を聞かせてくれたりもしたらしい。
長きに亘る航海は、人間、亜人、アンデッドを問わず、冒険者達を家族のようにまとめた。
いつしかお祭り騒ぎも終わると、パチパチと薪が弾ける音が響く。
一人二人とそれぞれ自分達のテントへ入っていく。
「明日もがんばろうな。」
「きっとすぐに人も見つかるさ。」
「見張りは頼むぞ。すぐに代わるからな。」
「気にするなって。おやすみ。」
「あぁ、おやすみ。」
「また明日。」
「神王陛下、良き夜をありがとうございます。」
「光神陛下、良き日をありがとうございました。」
そして皆が眠りについたその夜、森は夥しい量の血に濡れた。