ネイアの実家はホバンスの一等地に建つ二階建てで、階段を上がってすぐのところにネイアの部屋がある。
広さは十分あり、紫黒聖典四人で過ごしても狭さを感じさせない。
番外席次は実家なんてものを持たないので始終もの珍しそうにしていたが、今はネイアとレイナースと三人でベッドで眠っている。
クレマンティーヌは妹達が眠ると聖典報告記を書くために一度一階へ降りた。
ピアノが置かれている広くクラシカルな玄関ロビーを通り、リビングへ向かう。
ステンドグラスの貼られた扉からは明かりが漏れていて、開けばパベルがソファで剣を磨いていた。
「――おや?まだ寝ていなかったんだね。」
「まーぁねー。ちょちょいとやらなきゃいけないことがあるんだー。」
クレマンティーヌは年長だから敬うなどという事はしない。
しかし、パベル・バラハ――狂眼の射手は敬意を払うに値するだろう。
ヘラヘラとした口調だが、きちんと頭を下げてから部屋に入った。
「隊長さんは大変だねぇ。さぁ、座って。」
向かいのソファを勧められ、素直に座る。
持ってきたノートと羽ペン、インクをローテーブルに載せると、クレマンティーヌはちらりとパベルの磨く剣を見た。
「――それは?」
「これかい?これはね、妻の形見だよ。悪魔騒動の中で落命したんだけどね。最近見つかって届いたんだ。」
剣を見つめる目は――やはり、ネイアのものと同じように殺人鬼のように恐ろしいが――優しさと温かさを感じさせるものだった。
「妻は毎日こうして磨いていたから私が代わりにそうしてやろうと思って――は、いるけれど、毎日とはいかないもんだ。はは。自分の弓の手入れもある。でも、君達がさっき武器の手入れをしているのを見たら、なんとなく今日はやらなきゃいけないような気がしたんだ。」
朗らかに笑う。
クレマンティーヌは家族なんていい思い出はひとつもない。
漆黒聖典第五席次、兄のクアイエッセは今こそ仲良くしてやっているが特別関わりたいとも思わない。向こうは普通に話しかけて来るが。
ふーん、とクレマンティーヌは目を細めた。
「ネイアに磨かせてやったら良かったのに。相当きっちりやるよー。」
「はは、ネイアは聖典でどうかな?よくやっているかな。」
「そりゃーもう。デミウルゴス様一押しの隊員だしね。」
「おぉ!さすがネイアだ。だが、あの子は本当は弱い子だ。イモムシを怖がって泣くような子なんだ。普段寂しがって泣いたりしていないかな…。あれは私に似て本当に可愛い、いや、私に似てと言うのは可哀想か…。こんな目になんで生んだのよなんて昔怒られてしまったしな…。しかし――」
長々と愛する娘について語られるのを右から左へと流しつつクレマンティーヌは日誌を書いていく。
「――ん?仕事の邪魔かね?」
(邪魔だっつーの。)
クレマンティーヌは言葉を飲み込んだ。
神殿で漆黒聖典や陽光聖典と寝ずに済んだのだから、ある程度のサービスはしたほうがいいだろう。
「ネイアの良いところは私もよく知ってるからさー、気持ちはわかるよ。」
パベルの表情が急変する。
つい身構えたくなるような悪鬼羅刹のごとき目だが、クレマンティーヌはこれが実のところ照れただけだということをよく知っている。
家ではネイアもバイザーを外して過ごしているのでこの"目付き悪すぎ種族"の感情はよくわかる。
「そうか!それで――」
再び長そうな話が始まると適当に相槌を打ち、再び日誌の更新を始めた。
今日、
レイナースと二人で組んだ手から番外席次を空へ飛ばしたりもしたが、当然のように避けられ、思うようにいかなかった。
クレマンティーヌはこういう時の為に、あの七面倒くさい
陽光聖典は聖騎士達や聖王国神官団と共に天使を使い捕獲に助力していたし、漆黒聖天は第九席次・神領縛鎖、エドガール・ククフ・ボ-マルシェの足止めする力や、クアイエッセの呼んだギガントバジリスクで気を引いたりと見事に戦い抜いていた。
紫黒聖典は今日怪我人を運ぶくらいしかできず――神殿で飼われている
反省点を書くとクレマンティーヌはつまらなそうに日誌を閉じた。
パベルはいつの間にか剣はしまい、精神の昂りを抑えるように静かにウイスキーを飲んでいた。
「飲むかい?」
「いや。明日に響くとまたどやされるからやめとく。気持ちは受け取っとくよ。」
「真面目なんだね。」
「あぁ?」
知ったような口をきかれ、つい不愉快気な声を漏らしてしまった。
「ネイアは先輩先輩と君達によく懐いていて…本当にあの時陛下方にネイアを任せて良かったよ。寂しいけれど、あの子のああいう顔を見れるのは本当に嬉しい。ネイアには友達は三人くらいしかいなかったしね。」
「別に私らだってお友達じゃないってぇの。レーナースも、ネイアも、番外も――」
クレマンティーヌがただの隊員と言おうとすると、二階からゴスンと酷い音が鳴った。
三人であの一人用のベッドに乗っていたのだから誰かが落ちたのだろう。
「――ったく世話の焼ける妹達だなー。私はこれでもういくよ。付き合わせて悪かったね。」
「いいや。私こそありがとう。話を聞いてくれて。オルランドはろくに人の話を聞きやしないからね。」
「そりゃ良かった。」
クレマンティーヌが扉を開けると、二階からレイナースの「もっと寄りなさいよ!」だとか、番外席次の「ロックブルズうるさい」だとか、ネイアの「寝かせてくださいよぉ」だとか、騒ぐ声が微かに聴こえた。
「はぁ。しゃーないなー。じゃ、また明日。」
パベルは家族としてネイアと隊員を大切にする隊長を優しい瞳で見送った。
「お前、ネイアは神々に素晴らしい祝福を受けてるよ。」
話しかけられた剣は笑ったようだった。
「ネーイーアー!あっそびーましょー!」
早朝、ネイアは馴染みの友人の声が窓の外から聞こえ、飛び起きた。
「あっ!学校!!」
「ねいあーうるさーい。」
ソファに転がり、顔に布を掛けているクレマンティーヌからのクレームに自分はもう学生ではなかったと我に帰る。
レイナースはベッドで眠る事を諦めたようで、ソファでクレマンティーヌに引っ付くように眠っていた。
咲いたばかりの花のように美しい顔を「ねむいわね…」としかめる。
「あ、すみません。先輩。」
「ネイア…寒い。」
続いて隣に眠る番外席次がもぞもぞと布団を引っ張った。
ネイアはベッドを抜け出すとカーテンと掃き出し窓を細く開け、人が一人出られる程度の小さな半円形のバルコニーに出た。
「あー!ネイアー!!本当にいたー!!」
「もっちゃん!ぶーちゃん!それにダンねーも!!」
「久しぶりー!!」
「あはっ!」
ネイアは手を目一杯振った。
「ねー!出かけるまで話聞かせてよー!」
「あ、えっと…隊長に確認するから待って!!」
今日の出発時刻まで二時間程度はあるはずだ。ネイアは部屋の中に顔を突っ込んだ。
眩しい…と番外席次が布団に潜っていく。レイナースは起き出し、毎朝の美容タイムだ。
「クレマンティーヌ先輩、友達が――」
「あー聞こえてたって。いーんじゃない。朝飯食うまで好きにしな。朝飯の時にはいつも通りミーティングするから、それまでね。――レーナースぅ〜。寒いからまだ寝ようってー。」
「ダメよ。完璧な状態じゃなきゃ外に出られないんだから。」
「っちぇ…番外、入れて。」
クレマンティーヌはオシャシンもあり国中に顔を知られているレイナースに振られるともそもそとベッドに入った。
「クインティアはソファで寝なさいよ。」
「いーじゃーん。」
「っひ、冷たいじゃない!私に気安く触んないで!!」
ネイアは漫才が始まる前に外に戻った。
「隊長が朝ごはんまでいいって!あんまり長くは話せないけど、玄関開けるからそっちで待ってて!」
友人達はキャー!と喜ぶと玄関へ向かって走って行った。
部屋に戻りカーテンを開け、着替えを進める。
「先輩方、番外席次さん!私先に行ってますね!」
「あいよー。」
クレマンティーヌからの怠そうな返事を背にネイアは部屋を後にした。
一階に降り、母のピアノの隣を通って扉を開けた。
「ネイアー!!」「お邪魔しまーす!」「おはよー!」
三人が早朝とは思えない元気さで入ってくると、リビングからパベルが顔を出した。
「お?久しぶりじゃないか。おはよう。」
「おじさん、お邪魔しまーす!」
「あたし達、ネイアの話聞かせてもらおうと思って!」
「でも聖典は忙しいだろうって、来ちゃった!」
「はは、元気が良いな。――ネイア、私はもう済ませたけど、隊長さん達は朝ご飯は食べるんだよね?」
ネイアは外から入ってくる冷たい風を締め出すように扉を閉めた。
「皆食べるよ!三十分くらいしたら降りてくると思う!」
「じゃあ、お話をしながらで良いから用意を手伝わないと。」
「はぁい。皆は座ってて良いからね!」
ぞろぞろとリビングを抜け、ダイニングキッチンに行くと、お手伝いのおばあさんが忙しそうに食事の支度をしていた。
「ネイアお嬢ちゃまおはようございます。お久しぶりですね!また逞しくなって!」
「おばさん、おはようございます!すみません。隊の分まで用意させちゃって。」
「いいえ、光栄な話ですよ。うふふ。」
父も母も一流の戦士として働いていたのでバラハ家は手伝いの女中を週に何度か呼んでいた。
友人達もなんだかんだと手伝いをしてくれ、朝食の準備は早々と整った。あとは盛り付けるだけだ。
ネイアはリビングに戻ると、最近あった事を友人達に話した。パベルもそれを聞き、一々感嘆した。
全てを語るには時間がとても足りなかった。
しかし、クレマンティーヌ達は気を遣っているのかすぐには降りてこなかった。
「ねぇ!ネイア、隊長さんってかっこいいの?」
ダンねーからの質問にネイアは大きく頷いた。
「かっこいいよ!すっごく尊敬できるし、神王陛下の教えを多分一番守ってる人かも!」
「えー良いなぁー!隊長さんっていうくらいだし強いんだよねぇ。」
ネイアは少し考えた。
「強さ――は、番外席次さんの方が上かなぁ…?」
「番外席次?」
「うん、私の後輩で――」と言いかけるとネイアは頬を左右にみょいんと引っ張られた。
「私は後輩じゃないわ。何年漆黒聖典にいたと思っているの。」
「わ、わんがいへきひはん。」
「おはよーさーん。」「おはようございます、パベルさん。」
鎧もきちんと着て、あとはガントレットをすればいつでも出られる様子の紫黒聖典がリビングに入って来た所だった。
「隊長さんはまだ寝てるの?」
友人達にキラキラした瞳を向けられると、ネイアは引っ張られて赤くなった頬をぐりぐりと揉みほぐした。
「えっと、こちらが隊長のクレマンティーヌ先輩だよ。」
「え!お、おんなのひと…?」
クレマンティーヌはダイニングに向かおうとしていたが足を止めた。
「あ?女だけど?」
ネイアの背にたらりと汗が流れる。
女の子扱いされ、三騎士に決闘を申し込んだ日の事が思い出される。
「すっごーーい!!本当にカッコいい!!」
友人達がきゃあきゃあとクレマンティーヌに寄りはじめると、ネイアはハラハラしすぎて胃に穴が開くかと思った。
「サインなら金貨一枚で売るよー。」
クレマンティーヌは涼しい顔で笑うとブイサインをひらひらと振りダイニングへ消えて行った。
「まったく何言ってんだか。銅貨一枚でだっていらないわよ。――ネイア、あなたも鎧は着ておかないとダメよ。」
「は、はい!」
「いい、私は後輩じゃないわ。あんた達もよく覚えておきなさい。」
レイナースと番外席次もダイニングへ消えていくとネイアは何事も無かったことにホッと一息吐いた。
そして、たるんでいる顔をパンっと叩く。
「じゃあ、私も朝ごはん食べてもう出動するね。」
「あぁあ。ネイアったらかっこいいなぁ。あんな人達と神都で暮らしてるなんて憧れちゃう。」
「忙しいのにお邪魔しちゃってごめんね。」
「またお話聞かせてね!」
「うん!帰ってきたらまた遊びにきてね!」
ネイアは友人達を見送り、いそぎダイニングへ向かった。
「すみません、先輩方!」
仲間達は食事に手を付けずにネイアを待っていた。
「ほら、さっさと座んなー。――おばちゃん、ありがとー。」
「ミーティングの前にネイアの地元の話を聞かせてもらわなきゃね。」
「全くネイアの方が先輩だったのは砂漠に行くまでだけの話しだってのに。」
ネイアはいつもの家族達に笑うと食卓についた。
「「「「いただきまーす!」」」」