聖書は語る。
一.神の再臨を。
二.エ・ランテルに訪れしザイトルクワエと言う
三.十四万の殺戮と復活を。
四.邪悪なる竜が放った真夜中の夜明けを。
五.ある女王が呼びせし悪魔の軍勢を。
六.ビーストマン国に顕現せし太陽と、再創造された湖を。
七.――
聞いただろう。
天使達が国を通ったその日、ラッパを吹き鳴らしたのを。
見ただろう。
一つの星が天から城へ落ちたのを。
それは底無しの奈落を開く鍵だった。
穴は巨大な炉のように黒い煙を立ち昇らせ、太陽も空気すらも黒く染め上げた。
世界は闇に閉ざされたのだ。
しかし、国の端に住んでいた者は知る。
この国の一歩外は今日も美しい朝を、生命溢れる昼を、輝く夜を迎えている事を。
煙の中からは蠍にも似た狂逸醜怪なイナゴが溢れた。
彼らは、地の草木花、またすべての生命を損なうことを禁じられたが、額に赦しの印を持たない者に苦しみを与える事を言い渡された。
彼らは、人を殺さず、苦しめることだけを許された。
彼らの与える苦痛は地獄を凝縮したようなものであった。
苦痛から逃れようと人々は死を求めたが、死は与えられず、死を願えば願うほどに死は逃げて行った。
彼らは奈落の主を王に戴いた。
そして、絶対的なる神を持っていた。
――だからやめようと言ったのに。
フィリナは必死にソロンの
落ちないようにするだけで精一杯だ。
その背には恐ろしく優しげな声が響き続ける。
天から地獄の支配者が『悔い改めよ、煌王国は神の裁きを受けなければならぬ』と言い続けるのだ。
そこかしこに蠍イナゴに刺され、膿にまみれ、のたうちまわる国民がいる。
しかし、なぜかフィリナは蠍イナゴに襲われることは無かった。
フィリナはソロンの消え入るように呟かれた「…フィリナ様も同胞を皆殺しにされればそのような事は仰れませんよ…。」と言う言葉を思い出す。
「これは…これは罰なのですか…。あの日
たった一人、綺麗な肌と自由をその手にするフィリナには救いを求める手が伸ばされ続ける。
水一つ含ませてやる事すらできず、立ち止まる事なく進み続ける。
気が狂わんとする中、神とすら呼ばれることもある
「神様、かみさまぁ…!!お赦しを…お赦しを…!!告解を…!!」
フィリナの告解を聞く神父も――神もいなかった。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい――」
アインズのみが使えるその超位魔法は、やはりこの世界では脅威以外の何者でもなかった。
降り注ぐ邪悪なイナゴ達は家を喰らい破壊して侵入し、人を蠍の尾で刺す。
その尾の毒には
死をも凌ぐ痛みの中、人々は生活を営む事など出来はせず、皆床に這いつくばり痛みと呪いを口にした。
痛みに耐えられずに皆自殺を考えるが、あまりの苦痛の前に身動きを取ることすらできない。
国家運営などできるはずもないこの国は放っておけば、自動解呪の五ヶ月後を待たずして崩壊するだろう。
ユグドラシル時代、アインズはこの魔法に"大したことのない超位魔法"の烙印を押していた。
第七位階の
ギルド拠点の建物を多少破壊し、拠点の修復のために金貨を消費させるくらいしか能がない嫌がらせ魔法だったのだ。
使用するとゲーム時間の五ヶ月はパーティーやギルド、クランの仲間の額に"神の印"が浮かんでしまうのも不評だった。
しかし、ことこの世界において
刺された箇所が膿に塗れ、全ての者がその場で痛みに釘付けになりもがくなど、大災害だ。
当然刺す場所は一箇所では済まない。
次々と出す蠍イナゴは、刺すだけでなく、痛みにもがき食事を満足にとれない人間に変わってその口の中に侵入し、胃の中で静かに栄養となる。
豊富なタンパク源は人間が五ヶ月、生きるためだけに生きるには十分だ。
もがく者は口から腹の中へ向かって蠍イナゴが歩くのを感じるだろう。
そして管理されることのない農作物は、恐らくこの五ヶ月で荒れ果て、届くことのない太陽を前に痩せ細る。
五ヶ月を越えたとして、誰も元の生活に戻ることはできない。
痛みに噛み締める歯はボロボロになり、臼歯は割れ、更に苦痛が増す。
「さて、では改めて聞こうか。何故わざわざうちの冒険者達に
アインズは這い蹲る汚物と化した煌王を見下ろした。
「ああぅあ……ぁあぁあ!!」
「やれやれ。何を言っているのか解らんな。答えず、悔い改めぬと言うなら更なる苦痛を得る事になるぞ。」
煌王の眼は大きく見開かれた。眼球を膿がつたう。
「わ…わか…わか……。我がぐにが…。」煌王がそう言うと、開いた口にヒョイと
口に手を突っ込み、嘔吐く様子はとても見ていて気持ちの良い光景ではない。
「なんだ?早く言わんか。」
アインズは本当に早く言って欲しかった。フラミーが煌王の様子を見る目はどこか興味深そうな気がする。
ごもごもと苦しむ煌王に代わり、マリアネが口を開いた。
その瞳は追い縋るようだった。
「ッングゥ。私が…我が国が――…はぁ…ふぅ…――
そんな事だろうとは思っていた。
アインズが興味を失おうとしていると「うそだ…」と呟く声がした。
額に印を持つ
「嘘ですよね…?だって…煌王陛下も…マリアネ様も…お優しく…俺に…。――痛みから逃れる為に、地獄の神の気にいる嘘の答えを仰ったんですよね?」
「なるほど、見方によってはそうなるな。」
記憶を見て真偽を確かめても世間がそれを信じないことがあると言うのは問題だ。
すると、ッゴブと煌王が膿を吐いた。
「…ぐぶぶ…ふは…はは!お、お前は今すぐ帰らなげれば後悔ずるぞ!」
「何?」
「今頃、
煌王は膿の下で表情を変えた。
「そんな事か。我が国の属国を襲った
「嘘だ!!ここがら数十日はががるはずだ!!」
「記憶を見て転移してきたのだから一秒もせん。名は確か――そう、シャグラだ。シャグラ・ベヘリスカの記憶を見て来たのだ。」
アインズが呆れたようにため息を吐いていると、煌王は絶句した。
その悲壮感に溢れる背にフラミーは近付いた。
「ねぇ、あなた
「あ…ぅ…なんで…。」
「殺された人達に真実を聞きに行くんです。さぁ、立って。」
「こ、殺されたひとに…しんじつを…?」
「あんた、殺された
「じ、慈悲深い…かみさま…。」
「そうだ。神々の行いには無意味な事なんてないんだよ。必ず最後には救いがある。さ、あんまり陛下方をお待たせしちゃいけない。
そして「
「ソロんん!なんであんだばっがり平気なのぉお!聖水を!!神殿に行っで聖水をぉ!!」
マリアネの必死の訴えに
その瞳には真実を見ようと言う強い意志が宿っていた。
「良い子。」
フラミーの微笑みに引かれるようにその足は止まることなく進んだ。
アインズは真実を見に行く為、
「馬車を取って来てくれ。それから、この場を任せられる――そうだな、シャルティアを呼ぶのだ。念の為に印をつける事を忘れるな。」
シャルティアはカースドナイトのクラスを修めているし、この光景に対して忌避感を持たないだろう。デミウルゴスは聖王国の後片付けをしているし、他の守護者達はあまりこう言う光景を好まないように思う。
アルベドは了解の意を示し、ナザリックへ続く
それを見送ると、アインズは冒険者達を手招いた。
「お前達は没収された装備を探してくると良い。それから、殺された冒険者達が葬られている場所も探しておいてくれ。」
モックナックの記憶によれば、殺された者達はアンデッドの発生を抑止するために連れて帰られていたはずだ。
「――か、かしこまりました!どうぞお任せ下さい!」
冒険者達は辺りの惨状に顔を青くしていたが、腕が鳴るとばかりに城の中の探索についての話し合いを始める。
ほどなくして馬車を用意したアルベドがシャルティアと共に戻って来た。
「アインズ様、フラミー様。お待たせしんした。」
優雅に低頭したシャルティアは秋に染まる街よりも深い紅の瞳で面白そうに辺りを見渡した。
「シャルティア、粗方アルベドに聞いているだろうが――万一
既に呪いにかかっているものが額に印を書く心配はしていない。膿で書けないだろうし、かけてもすぐに膿に押し流されてしまうだろうから。
「は。このシャルティア ・ブラッドフォールンが耐え難き苦しみを与えてみせんしょう。」
「うむ。それから、旗を探せ。盗まれほどかれた我らの栄光の旗を全て取り返すのだ。」
シャルティアの瞳が驚愕に彩られる。
「は!?ほ、ほどかれた!?それは、あの旗達のことで!?」
シャルティアはいつもの廓言葉も忘れ、フラミーの天使達が持つ、国旗にもなっている"アインズ・ウール・ゴウン"と、モモンガ、フラミーを示すそれぞれのサインが描かれた旗を指差した。
「そうだ。素材にされていても構わん。糸一本見逃すな。手段は任せる。」
「は!!おまかせを!!」
アインズは頷きながら、フラミーが呪言で脱がせたチョッキ状にされた旗を取り出し、シャルティアに渡した。アルベドはフラミーの呪言で脱がせて貰うなんてご褒美だと更に切れていた。そうは言っても血で汚れるのは頂けない。
怒りを燃やすシャルティアの横で、フラミーは手を繋ぐ
「あなた、お名前は?」
「お…わ、私はソロン・ウデ・アスラータ…。ウデ=レオニ村、ウデの民………です。」
「ソロンさんですね。私はフラミーです。この馬は方向だけ言えば進んでくれますから、あなたはここに座って村までの道を伝えてください。」
「――わ、わかりました。」
アインズとフラミー、そしてアルベドは馬車に乗り込み、ビジランタ大深林に向けて出発した。
フラミーに馬車からおいで、と言われた獅子の顔の天使――八十レベル代の
ソロンは何度も何度も王城と、苦痛の中自分の膿に滑るマリアネを振り返った。