翌日アインズとフラミーが漆黒聖典とソロン、シャグラを連れて煌王国に戻ると、城の玄関脇に幽霊船が止められていた。
二階のバルコニーから冒険者達が出入りをしている。
「あ、陛下!!陛下方がいらしたぞ!!」
冒険者の元気のいい声が響く。
アインズとフラミーはバルコニーの上へ向け軽く手を挙げた。
冒険者達の様子は平和だが、相変わらず空には
まるで夜中のような様子だ。
あちらこちらでトーチに火が灯されている。
ただ、王城玄関には無様に転がっていたはずの者達は一人もいなかった。
それどころか王城周囲に転がっていた兵達や、道端に転がっていた町人達もいなくなっている。
あの状態で動くことなど出来ないはずなのに、とアインズが思っていると、冒険者が幽霊船から梯子を下ろし、降りてきた。
「神王陛下!光神陛下!今イグヴァルジ――さんが守護神様達を呼びに行かれました!」
アインズは"達"と言う言葉に僅かに疑問を持つ。シャルティアは
「そうか。ところで随分片付いているが、ここに転がっていた者達はどうした?」
「はい。王と姫は守護神様がせめてもの情けにと部屋にお運びになりました!私達もそれに感化されて、見える範囲にいる兵達や街の人々はそれぞれベッドやソファ――兎に角床ではないところに移動させました。」
「ほう、シャルティアがな。感心なことだ。」
ここの人間は嫌いだが、あのカルマ値極悪のシャルティアが何の命令もなく人間に慈悲を持って関わりを持った事には感嘆すべきだろう。
程なくしてイグヴァが見えると、その後ろにはシャルティアとデミウルゴスがいた。
「あら?デミウルゴスさん、聖王国を併呑するって言ってたけどもう終わったのかな?」
フラミーが首を傾げていると二人は前に来て跪いた。
シャグラはデミウルゴスの登場にヒュウ…と喉を鳴らし、包帯を巻かれている首を撫でた。
「アインズ様、フラミー様!お帰りなさいまし!」
「おはようございます、アインズ様。フラミー様。」
「ああ、おはよう。私達がいない間――この様子ならどうだったかと聞くまでもないな。」
「はい。何事もなく過ごしんした!」
「それは何よりだ。それにしても、デミウルゴスも来ていたか。」
今日も挨拶替わりにフラミーを褒め称えていたデミウルゴスは頷いた。フラミーは変わらず気恥ずかしそうにしている。
「は。シャルティアに呼ばれまして。」
「そうだったか。シャルティア、旗はちゃんと取り返せただろうな?」
「昨日全てを回収できんしたので、鍛冶長に渡して修復と浄化を頼んでおきんしたぇ!」
「良くやったぞ。しかし、罪人は部屋に連れて行ったと聞いたが甘やかすなよ。」
「もちろんでありんす!様子をご覧になりんすか?」
「ふむ。たまには苦しむ顔でも見ておくか。」
是非是非とシャルティアが進み始めると、フラミーはデミウルゴスの手を取った。
「デミウルゴスさん、待ってください。」
「あ…は!」
デミウルゴスは慌てて跪き直しフラミーを見上げた。
「これ、痛かったですね。」
フラミーはインクの壺を取り出してからデミウルゴスの額の怪我を治した。
しかし、インクに浸されたフラミーの指がその額を撫でると、蠍イナゴはふぃんと悪魔から興味を失い散っていった。
「賢いおでこに祝福ですよ。」
「か、かしこい…おでこ…。」
フラミーはインク壺をしまうと笑った。
「じゃ、行きましょっか!」
ぼんやりとしていたデミウルゴスはハッと我に帰り、急ぎ胸からポケットチーフを取り出すとフラミーの汚れた手を取った。
「お、お待ち下さい。お手を煩わせてしまい申し訳ありませんでした。」
華奢な指を一本一本包みインクの汚れを拭き取る。
強く握ると破壊してしまいそうなので、極力優しく、波が砂をさらう様に撫でた。
「っあ、ハンカチが汚れちゃいますよ。気にしないでください。」
「良いのです。こうして使ってやれる機会に使ってやらなければ、ウルベルト様が持たせて下さった意味もございません。さぁ、綺麗になりました。」
デミウルゴスはフラミーの手からすっかり汚れを取ると手を離した。その顔は実に満足げであり、どこかパンドラズ・アクターを彷彿とさせる。
「じゃあ私が
フラミーはデミウルゴスのチーフを追い手を伸ばしたが、指の後がついたチーフはすぐに胸ではないポケットにしまわれた。
デミウルゴスはフラミーの血を吸わせた戒めのハンカチと共にこれはしまっておこうと思った。
「恐れ入ります。お気持ちだけ。」
デミウルゴスが伸ばされた手の平に唇を落とそうとすると、コツンと頭を叩かれた。
「ほら、行くぞ。全くお前もよくもつな。」
アインズに急かされる形で一行は煌王とマリアネを
ソロンとシャグラを部屋の外で待たせ、アインズは憎悪と恐怖の匂いがする部屋に入った。
窓は全て潰されているが、一箇所だけ
薄暗い部屋の中、二人は並べて寝かされていて、実に静かなものだ。
優しすぎるのも問題だとアインズが思っていると、「わ…」とフラミーの声が短く響いた。そしてアインズも鎮静された。
「おぉ、アインズ様!フラミー様!よくぞいらっしゃいました!吾輩も微力ながらお手伝いさせていただいております!眷属達も新鮮な食事に大喜びですぞ!」
中にいた恐怖公は腹を曲げ頭を下げた。一体どんな体の作りなのか毎度疑問を抱かずにはいられない。
「そ、そうか。それは何よりだ。生きているとなると、どうしてもエルヤー・ウズルスか常闇に限られてしまうからな。眷属達を充分に楽しませてやるが良い…。」
アインズは言いながらフラミーの頭を抱えるように目を塞いでやり、シャルティアとデミウルゴスに振り返った。残酷なことを楽しみがちなフラミーだが、恐怖公と恐怖公の眷属には免疫がない。
「これは、お前達の提案かな。」
「は。御身の生み出す地獄に意見するわけではありませんが、もう少しばかり苦痛と辱めを増やした方が良さそうだと思いまして。」
「いかがでございんしょう!」
デミウルゴスとシャルティアはいい仕事をしたなぁと二人嬉しそうに笑った。
煌王とマリアネの顔にはびっしりと恐怖公の眷属が付いていた。眷属は顔の膿を美味しそうに舐め、偶に皮膚も食っている。
口の中には叫びが漏れないようにサナギのような卵をぎっしりと産み付けられていて、産まれ出た子供達はまぶたを縫い付けられている眼球へ進む。涙で水分補給だ。そして、眼球へ食らいついた。――当然ちょうど良いタイミングで
不意にマリアネの腹が鳴ると、外から
マリアネは口が空くと叫びだし、再び蓋をするようにその口には卵が大量に産み付けられる。
二人は裸に剥かれているが、フラミーへの配慮として陰部には今は布が掛けられていた。普段は晒されているであろうことは、まだ膿を大して吸っていない布から容易に想像が付く。
掛けられる布とは対照的に、ベッドには膿と大量の血液が滲みていて、全く切れそうにないノコギリや錆び付いたナイフ、梨のような形のものを手にする控えの
そして、近くには普段牧場勤務のサキュバスが立っていて、拷問対象が王と姫しかいないこの場所で掛けられる魅了の呪文は――――とにかく、人々の想像する地獄と嫌悪を二人の体に詰め込んでいるようだ。
恐怖公の眷属はあまり直視したくないが、ナザリックの宝に手を出した者にはふさわしいだろう。
どの悪魔もアインズとフラミーを期待に満ちた目でみている。
それが何を求めているのかすぐに理解し、アインズは支配者として最もふさわしい声を出した。
「中々良くやっているようだな。私は恩には恩を、仇には仇を返すべきだと思っている。素晴らしいぞ。自我を崩壊させないよう気を付け、今後も"神の裁き"を楽しませてやれ。」
「「「「は!」」」」
悪魔達は嬉しそうに声を張り上げた。
その様子に上官のデミウルゴスも嬉しそうに頷いた。
「ところで、アインズ様。一つお願いしたいことがあるのですが。」
「どうした、デミウルゴス。」
「実は、少しばかり羊を足したいと思っております。不慮の事故で死んだ分を補給したいのです。」
アインズはデミウルゴスから上がってきていた報告書の一つを思い出す。牧場で飼育されている羊たちは、デミウルゴスや悪魔達の徹底した管理の下に飼育されているので、そう滅多に死者は出ない。しかし、稀に皮剥の最中に突如としてショック死したり、食事中に突然死したりすることもあるのだ。きちんと繁殖もさせているが、なんと言っても羊達は非常に成長が遅い。
「構わないぞ。しかし、死んだ分の補給などと言わずに好きなだけ持って行くが良い。こう言う機会もそうなかろう。」
「ありがとうございます!でしたら、これを機に、牧場の拡充と言うのはいかがでしょうか?支配地域の拡大に伴い、僕達が外に出る事も増え、
「良いだろう。とは言え、あまり広げすぎて羊が見られないようにだけは注意しろ。」
「心得ております。
「ふふ、さてはデミウルゴス。お前、アウラとマーレにパクパヴィルに呼ばれた時からこの時を待っていたのではないか?」
デミウルゴスはメガネのブリッジに中指で触れると、どこか恥ずかしそうにし、尻尾を数度ふぃんふぃんと振った。
「それは、えー…その…。」
「良い良い。ではアウラとマーレをノウハウの吸収の為再びパクパヴィルへ送れ。その後掘削と施設の建造に取り掛かるのだ。地盤の確認も必要となると時間がかかるだろうが――羊の補給は裁きの五ヶ月以内に済ませろ。良いな。」
アインズの絶対者としての声で命令を浴びたデミウルゴスは肩をわずかに震わせた。至高の支配者より命令されると言うのは何とも素晴らしいことだと。
五ヶ月以内と言うのは些か難しい話かもしれないが、デミウルゴスの答えは決まっている。
「はっ!かしこまりました!見事五ヶ月以内に全てを済ませてご覧に入れます!」
「期待しているぞ。さて、それではそろそろ行くか。お前達、今後も忠義に励め。」
アインズは部下の労いを済ませると、恐怖公の眷属に鳥肌を立てているフラミーの体の向きをくるりと変え、その背を押して扉へ向かった。
満足げなデミウルゴスと――自分の手柄が横からとられたような気がし、どこか不機嫌なシャルティアも続く。
外に出ると、待っていたソロンとシャグラが壁から背を離した。
「神王陛下、マリアネ様に…いや、第一王女に一言よろしいでしょうか…?」
アインズはチラリとデミウルゴスに視線をやる。
「五分待て。」
「ありがとうございます。」
ソロンはその場に残り、アインズ達はシャグラを連れ冒険者の復活に向かった。
会ってどうしようと言うのか分からなかったが、兎に角最後に一度顔を見ておこうと思った。
「どうぞ。」
部屋の中からデミウルゴスが声をかけると、ソロンは恐る恐る中に入った。
ただでさえ太陽が昇らない煌王国だと言うのに、カーテンが引かれた部屋はさらに暗かった。見通せないない暗闇の中に何かがいるのではないかと思うと少しだけ恐ろしい。
「すみません。失礼します…。」
「君はたった一人の生き残りだった
「はい。マ――第一王女はどうですか…?」
ソロンは廊下で待っていた時、想像より静かだったと思ったが、中に入ればマリアネは暴れ、唸っていた。
「残念ながら悔い改める様子はありませんね。あれだけの命を奪ったと言うのに、いけない話です。」
しょっちゅうシーツを変えている様子の清潔なベッドの脇には綺麗な花と、飲ませているであろう水が置かれていた。
ため息を吐きその顔を覗き込むと、マリアネはソロンに手を伸ばした。
「ぞ、ぞろ…ぞろん"!!お願い、お願い!!もう嫌なの!!お願いだがら連れ出じで!!」
「…ここより良い場所なんかありませんよ…。」
ググッと拳を握ると、つい殴り付けたい衝動に駆られる。
「やだぁああ!!ここだげはやだあぁぁあ!!!ここは悪魔が――」
マリアネはそこまで言うと目を見開き、ソロンの後ろに視線をやった。
何かとてつもなく恐ろしいものを見ている。そう思いソロンは慌てて振り返った。
――しかし、そこではデミウルゴスが梨を剥いているだけだった。
「どうかされましたか?」
「いえ。それは?」
「あぁ、これですか?第一王女は梨が好きですから。」
「あ"ぅ"…あ"ぁ"……。」
他の者とは違って、王族というだけでまともな食事を与えられ、面倒を見てもらっている筈だと言うのに――膿まみれではない清潔な服も着せてもらっていると言うのに――この王女は足ることを知らないのだと、ソロンは失望を深める。
そして、膿にまみれ震えるマリアネを正面から見据える。
「さようならだ…。」
「ぞ、ゾロん!!お願い!!!待っで!!待っでぇぇえええ!!」
ソロンはこの半年の自分に別れを告げるとデミウルゴスに頭を下げ、その部屋を後にした。
パタリと扉が閉まった瞬間、中からは激しい叫び声が響いた。
殺してやろうと思った。
殺してやりたくてたまらなかった。
ソロンは美しいマリアネの笑顔を一度だけ思い出し、やり切れない気持ちになると同時に、自分の帰るべき本当の場所で心を一杯にした。
そして、マリアネへの感情を憎悪でも、恋慕でもなく、ゼロにする。関心も興味もない。もうどうなっても良い。
しかし、ソロンは最後に聞いたマリアネの叫び声を生涯忘れることはなかったらしい。