「これでようやく煌王国への裁きは完結したな。」
再びの休憩に入ったアインズは一仕事を終えた気分になり、機嫌良くそう言った。
しかし、当然仕事はまだ続く。
この最古の森が神聖魔導国に降るという文言が書かれた、アルベドが作ってくれた文章への合意と署名、捺印がされていないのだ。
ここは素晴らしい森だった。
アインズが知るあらゆる森の中でも特によく育っている様子だった。
トブの大森林や、エイヴァーシャー大森林は精々大人三人で囲めるような木が多いが、ここに生える木々は隣の木と合体して捻くれながら育っているようなものもある。
リアルにかつてまだ森のあった百年前の記録でも、日本ではここまでの木々は縄文杉くらいしかなかっただろう。
樹齢千年を超えるような木は実に見応えがあり、どこまでも荘厳でアインズを唸らせた。
フラミーがあれこれと落ちている紅葉を拾い、どっちが綺麗?と無限に聞き続けてくれる道中も実によかった。
最強葉っぱ決定戦で勝ち残った落ち葉は後日くれるらしい。
あえなく予選敗退となった葉っぱはシャルティアにあげていたが、シャルティアは即座に<
帰ったら皆に自慢すると満面の笑みでしばらくそれを眺めていた姿はなんとも愛らしかった。
この森は無傷で手に入れ、王と言う名の管理者に引き続き丁寧に育て守って貰いたいところだ。
しかし、なんと言ってもあの王がフラミーを見る目はなんとも気に入らない。
神聖魔導国一行は休憩中だが、
「どうなるでしょうね。」
フラミーは少し緊張したように言葉を紡いだ。
「そうですね。大人しく降ってくれると良いんですけど…。」
この森にストレスを掛けたくない二人は、熱心にどうするかと話し合う
流石に魔法を得意とする者達なので、<
「アインズさん、ここって五百年前は竜王が最古の森を支配して雨を降らせてたんですって。タリアトさんは、それを継いでここに雨を降らせてずっと守ってきたって。」
「竜王にもいい奴はいたんですね。意外だ。」
アインズがタリアトに少しも触れず、不愉快なトカゲ達を思い出していると、フラミーはくすりと笑った。
「ツアーさんだって今は良い人です。」
「ツアーには自然の尊さが分からないからなぁ…。」
今でも当然ツアーはアインズの世界征服に懐疑的な為、基本的にそれに力を貸すことはない。
「さすがのツアーさんでもこの森を見たら、殺された竜王みたいに雨を降らせて守りたくなるかも知れませんよ。」
「…"僕は雨が降らないのも世界の選択だと思うよ"。」
アインズがそういうと、フラミーはぷっと吹き出した。
「はははっ、言いそう!言いそうですねー!」
「ですよねぇ、ははは。」
アインズも笑っていると、タリアトが
タリアトは、シャグラ・ベヘリスカともあろう男がすんなりと死に落ちた事を思い返していた。
とても敵う相手ではないのは初めからわかっていたが、実際に目の前で力が行使された瞬間を見ると改めてアインズの力は凄まじいものだと思わされる。
ここでNOと言えば、森は、国は、どんなことになるかわからなかった。NOと言わなければ良いだけではあるが――。
こちらはNOと言える立場ではない、圧倒的な力差があると言うのに、神聖魔導国からの条件は気味が悪いくらいにこちらに害がないものだった。
だからこそ、信用できずにいた。
NOと言うほど愚かではないが、無条件にYESと言うほど愚かでもなかった。
「タリアトさん。」
鈴を鳴らすような声に振り返れば、フラミーと、少し離れたところから様子を見るアインズがいた。
「フラミー君。どうしたんだい?」
「――ここはいい森です。立派な木がたくさん!最古の森って言うけど、本当に地上で一番古い森みたい。」
タリアトはフラミーの言葉にふっと笑った。
「…そうだね。誰が呼び始めたのか私も知らないけれど、遙か昔から最古の森と呼ばれているよ。ごらん、立派な木だろう。」
タリアトが城を支える木を見上げるとフラミーは頷いた。
「今は城を建ててしまったが、この母なる木の虚にその昔は竜王が暮らしていたんだ。だから、私達はここは森の守神のための場所なんだと信じているんだよ。」
「森の守神…。ねぇ、タリアトさん。私、本当にこの森が好き。あなたが守って来てくれて、すごく良かった。」
「ふふ、それは何よりだよ。」
タリアトは静かに微笑みバルコニーの欄干に腰掛け――微笑みを返すフラミーの周りには青い魔法陣が咲いた。
「フラミー君?」
タリアトは数度瞬いた。
その瞳の中には輝くフラミーしか写ってはいないだろう。
事実、神聖なる光景に完全に飲まれていた。
額に汗が伝う。それは畏れを形にしたものだった。
――強い。
死に物狂いで魔法を手に入れ、森の守り神の座を竜王から継ぎ早幾星霜。
魔法を使う時にすぐそばに感じていたものの正体がタリアトには今はっきりと分かった。
部屋の中には口を開け、フラミーを見る国の者達。
「ここが森の守り神の場所なら、私はたくさんここに来ることになりそう。」
フラミーがそういうと、タリアトはなんとか我に返った。
「――"王様と森を守る"だっけね。不思議と君のその言葉を疑った事はないよ。」
フラミーが顔を綻ばせると、アインズは羽織っていたローブを脱ぎ、そっとフラミーに掛けた。
「あ、ありがとうございます。アインズさん。」
「いいえ。冷やさないで下さいね。」
優しい声音だった。
時間が静かに流れ、一幅の絵画よりも美しい光景は魔法陣が強く輝く事で終わりを迎える。
「――<
風が舞う。魔法陣が散ると同時にタリアトの鼻に雨の香りが届いた。
空には雲が生まれ、どんどん分厚くなっていく。
しかし、所々晴れ間があった。
そして一粒――ぽたりとタリアトの鼻にぶつかった。
「――雨だ…。」
晴れ間を残しながら、雨が降り始めた。
バルコニーの下の国民達は呆然とフラミーを見上げていた。
透き通る水滴の中には最古の森が映し出され、ベールのようにサラサラと細かく降り注ぐ雨はまるで緑色のようだった。
雨に連れて来られた空の香りが地上に立ち込める。
これはどれほど遠くまで降っているのだろう。
このバルコニーから見渡せる空は一面綺麗な雨を降らせているようだった。
自然現象以外でこれだけの広さに雨が降るのを見たのは五百年ぶり――絶対的な力を持つ竜王という存在を失って以来だ。
タリアトの何十倍もの広さに雨を降らせている様子のフラミーの力は竜王と同じか、それを凌ぐかも知れない。
かつて竜王が雨を降らせていた時、この森は今よりももう少し狭かったのだから。
「ね、私達、ここを一緒に守れますよ。」
呆然としかけていたタリアトはその言葉を聞くと、欄干から腰を上げ、すぐにフラミーの前に膝をついた。
神聖魔導国の不自然に優しい条件の訳に心から納得がいったから。
「私の小さな女神よ…。君の下になら私は喜んで降ろう。どうか共にこの森を育んで頂きますよう、お願い申し上げます。」
「ありがとう。」
ローブの裾を取るとタリアトは静かに口付けを落とした。
晴れ間と霧雨の間に掛かる虹は幻のように霞んでいて、川にも、
タリアトはあまりのその光景の美しさに雄叫びを上げたい気持ちになった。
昂り波打つ感情は体を駆け巡る。
今世界は確かにここを中心に回っている、そんな気さえした。
「フラミー君――いや、フラミー様。今度こそ教えてくれるね。あなたの住んでいる場所を。」
「もう分かってるでしょう?」
「隣の大陸と言うことだけじゃ迎えの馬車を送れないじゃないか。」
タリアトがフラミーを見る目は天にも上るようにとろけていた。
「私、ナザリック地下大墳墓に暮らしてます。でも、迎えの馬車はいりませんって。」
フラミーはおかしそうに笑った。
それはこの大陸中で一番広い森全土が落ちた瞬間だった。
アルバイヘームはこれからも長き時を生きるが、その日の光景は彼の見た美しい光景トップスリーに入る。
一つは竜王の起こした嵐の夜の最古の森で、もう一つは――いつか、時が来たら語ろう。
最古の森は広いため、まずは
アンデッドが訪れた時は多少の混乱があったが、これまでで一番力ある種族はそうそう恐れ慄きはしなかった。
ただ、この強大なアンデッドが呼び水になり、さらに強大な者が自動で生まれてしまわないかだけは皆警戒したようだ。
他の地域には
どうも信用されない時にはアインズが出て
最古の森は、国の特別管理地となり、伐採を厳しく取り締まられる。
それは最古の森に住んでいる者も例外ではない。
エルサリオン州とも名を与えられるが、皆最古の森と呼んだ。
そして手始めに神殿を一つ。完成はやはり五ヶ月後。
そこが完成すると転移の鏡が置かれ、繋がる先は神都となった。
転移の鏡の左右には七十レベルにもなるアンデッドの
鏡を盗まれないようにするため、いつでも
元は豪華だったであろうボロボロの紫色のローブを纏い、不釣り合いなまでに輝く王冠を被った姿はどこか神聖だった。
神殿の完成以降二つの大陸間はこの鏡で行われる事が一般的になるが、最初に鏡をくぐったのは言うまでもなくタリアト・アラ・アルバイヘームだった。
そして、それに付き添い共にくぐったのは――やはり、いうまでもなくソロン・ウデ・アスラータだった。
ソロンは全てが終わると、教えられた
花を買い辿り着いた場所では、流石に
「…ごめん、遅くなった。」
濡れた薄い四角の石板の前に花を手向け、膝を抱えて座った。
「……俺は自分のことばっかりだった…。お前は本当はこの半年ずっと森に帰りたかっただろ…。本当にごめんな…。」
手向けた花は風に揺らされ、濡れた落ち葉がはらはらと舞った。
ただひたすらにその場に座り、共に生きた彼を想った。
「疲れただろう…。本当、よく走ってくれたよ…。俺、俺…アニラが生き返ったとき、もう悲しいことはおしまいだって思ったけど…お前がいてくれないなんて…シャグラ様がもういないなんて…―――ッ!!」
地面を叩こうと振り上げた手は震え、とさりと地に落ちた。
「……帰ろう、一緒に。俺たちの森に。皆がお前を待ってるんだから。」
そう言い、不器用な笑顔を作った。
「あいつは百億パーセントフラミーさんに惚れてます。」
それぞれの者を
「ははは、やだなぁ。私なんか好きになってくれるのはアインズさんくらいですよ。ねぇ、ナインズ。」
フラミーに張り付く小猿は小首を傾げ、「まんま?」と愛らしい言葉を紡いだ。
「いーや、本当に。あいつはダメですよ。九太、お前は絶対に
「はは、痴漢。」
痴漢だと憤慨するアインズはふと思い出したように、ナインズを抱くフラミーを持ち上げると風呂へ向かった。
「髪の毛一本一本洗います。」
「えぇ!?またですか!?」
アインズはしばらく毎夜毎夜フラミーの丸洗いに精を出したらしい。
その頃、シャルティアはBARナザリックで至高の落ち葉を守護者各員に自慢していた。
「どうでありんすか!フラミー様が妾の為に拾って下さった葉っぱでありんす!!」
高らかに声が響く。
その葉っぱに注がれる視線は羨望、嫉妬、――尊敬。
一人づつじっくりと葉を見ては隣の者に渡した。
「すごいじゃん、シャルティア!いいなぁ!あたしもフラミー様に葉っぱ頂きたいなぁ!」
ジュースを飲んでいたアウラのそのセリフは恐ろしいことに大真面目に紡がれている。
「あ、あの…ぼ、僕、フラミー様に物なんて一回も貰ったことなんてないです…。」
「マーレだけじゃないわ!私もまだ何も頂いた事なんてないもの!一体どんな働きをしたっていうの!?」
アルベドがマーレに賛成するようにハンカチを噛みながらそう言うと、コキュートスもムゥ…と唸った。
「私モダ…。マダマダ働キガ足リナイト言ウ事カ…。」
そんな中、余裕を見せているのはデミウルゴスだ。
「まぁ、私は黒き湖でお花を頂いたけれどね。」
「おんしは差し上げたから、返されただけでありんしょう。」
「……それだって羨ましいわ。私も何か差し上げてみようかしら!!」
アルベドが翼をバッサバッサと動かしていると、これまで影のように静かに過ごしていた男の元に葉っぱが回って来た。
「ンンンン…。これがフラミー様が拾われた葉っぱ…。」
パンドラズ・アクターはじっくり表裏と確認し、優しく撫でた。
「ソレデ、ドンナ働キヲ見セタノダ。」
コキュートスの問いに、シャルティアは意味深な笑顔を返した。
「何?あたし達にも教えてよ!参考にするからさ!」
「ふふ…私はアインズ様のあらゆるお言葉をメモに取って勉強に勉強を重ねておりんした。成長しようとする私にご褒美ありんすね!」
皆「あ〜!」と声を上げた。
「最近シャルティアってメモ魔だもんねー!」
「おんしらもよく学ぶことでありんすね。」
シャルティアの高笑いの横で、パンドラズ・アクターは一生懸命葉っぱの型を取り、それを忠実に再現したものを宝物殿に飾ろうと精を出した。