太陽すら遮らんとする巨木。
悍ましき血濡れの魔樹の足元、ランポッサⅢ世はガゼフ・ストロノーフと共に、神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王と対峙した。
まず、礼を言うことが先決だとはわかっている。
しかし相手は自らが統治する国、それも直轄領の割譲を求めている王だ。
ランポッサはこのまま手放しに相手から受けた恩を認めるわけにはいかなかった。
万が一、「帝国からも魔物からも民を守れないならば、神聖魔導国に都市を引き渡せ」と言われでもすれば、リ・エスティーゼ王国にはもはや抗うための方便はない。
神聖魔導国は
きっと、エ・ランテルを飲み込めばエ・ランテルに十分すぎる支援をするだろう。
支援をして民を助けてくれることは良いが――なんと言っても、これでエ・ランテルをとられた場合の王国の経済的損失、地理的価値の損失、三国間の関係の変化、国内の貴族達の力の増長。なにひとつとして受け入れられるものははい。
結果として、もしかしたら多くの命が失われることになるかも知れない。力のない王として、更に王から力を削ぐために貴族達が王の持つ他の領地を見限れば、他国と戦争をせずとも貧困が広がり、民は飢えていく。
(そうなれば何十万人が苦しむかわからぬ……)
ランポッサは悩みに悩んだ結果――(この者をただの通りすがりとして処理するしかあるまい……)
今回のことは非常事態だ。ランポッサは国際問題は一度横に置いて、ただの人間同士として話をすることに決めた。
もしこれが傲慢な王であれば、挨拶などせずに王都へ飛んで帰り、すぐさまエ・ランテルの復興支援団の編成をするのだが、ランポッサは律儀な男だった。
「我が戦士長のみならず、エ・ランテルまでお救いいただいた事、心より感謝しますぞ。
なんと言われるか、ごくりと唾を飲む。
「――ん?いえ、当たり前の事をしただけですよ」
神聖魔導王の返事は、ランポッサが望む何よりのものだった。
事態を汲んだ神聖魔導王の慈悲深き返事に、ランポッサは心の中で深く頭を下げた。謝罪も感謝もろくにできない自分の立場が呪わしい。
おぉ……と周りにいた神聖魔導国兵士、王国戦士、帝国騎士達が慎しみ深き魔導王の返事に感嘆の声を上げていた。
そして神聖魔導王の視線はランポッサⅢ世の斜め後ろへ向いた。
「元気そうだな、ストロノーフ殿」
「ゴウン殿も元気そうで……いや。元気と言ってもいいのかな?あれから人間、もしくは
「ははは。あの時から私は何も変わっていないとも」
軽い笑い声をあげた魔導王は何か言葉を探すように視線を彷徨わせた。
そして、破壊されたエ・ランテルをゆっくりと眺め、すぐに魔樹の遺骸を眺めた。
その姿は、まるで壊れてしまった日常そのものと、ここで不本意にも一生の幕を閉じる事になった人々を悼み、苦しんでいるようだった。
「ゴウン殿……あなたという人は……」
戦士長が再びその名をつぶやくと、魔導王の後ろから捕獲魔法で拘束され地面に座る番外席次と呼ばれていた戦乙女が声を上げた。
「いつまでそんな呼び方をするつもり?近隣国家最強」
その不機嫌な雰囲気は、事態をあまり理解できていない様子の者達に伝播していった。
「そうだ。きちんと神聖魔導王陛下とお呼びするべきだよなぁ?」
「国王陛下の態度は少し良くないんじゃないか……?」
声を抑え、近くにいる者と皆がひそひそと喋った。
ざわめきが生まれてくると、どこかからか誰かの通りの良い――しかし、怒りを孕むような声がした。
『不敬です!皆声をあげて抗議しましょう!』
それを聞くと、何故か皆声を上げるべきだと思った。
心を塗りつぶされるような感覚が押し寄せるが、神聖魔導王に命を救われた者達は何の疑問も抱かなかった。
「そうだ!国王陛下の態度はおかしいです!」
「戦士長だって何もしなかったくせに!!」
「国王は神聖魔導王陛下にきちんと礼をしろ!!」
「神聖魔導王陛下の優しさにつけ込むな!!」
「誰がエ・ランテルを守ったと思ってるんだ!!」
場はどんどん熱を持ち、ヒートアップしていった。
『皆、神聖魔導王陛下を再び讃えるんだ!』
またどこかからか深い声が聞こえた。
そうするべきだとしか思えない。まるで体に誰かが入り込み、かわりに叫ぶようだった。
「「「神聖魔導王陛下万歳!」」」
これはきっと、重なる不満がついに爆発したのだろう。
ズーラーノーン事件に苦しんだエ・ランテルを祖国に助けて貰えなかったことや、行きたくなかった戦争に行かされたことや、身近な人が戦争で目の前で死んでいったことや、魔樹に踏み潰されていれば二度と家族とは会えなかったこと。
人々は口から出る言葉の温度とは裏腹に、どこか冷静な気持ちで考えた。
「「「神王陛下万歳!!」」」
爆発的に広がる民の声に、ランポッサⅢ世は何も言えなかった。
しかし、慎み深い神聖魔導王は国王の手前それを素直に受け取りはしなかった。
増えゆくその唱和に応えることなく、左右を見渡した。
「デ、デミウルゴス……デミウルゴスはどこだ。いや、すみません、フラミーさ――」
光の神に何かを言いかけると南方の衣装に身を包む尾を生やした男が小走りで周りの守護神と呼ばれた異形の中に混ざり、丁寧に頭を下げた。
「は!デミウルゴスここに」
「お前と言う奴は本当に……。さぁ、静かにさせろ」
畏まりました、と返し立ち上がると、神聖魔導王を称え続ける人々に向かって大声で呼びかける。
「皆さん!!神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下がお話になります!!」
しかし、人々の興奮はまるで収まらない。
『皆さん!!ゆっくり、ゆっくりでいいです!少しづつで良いのでお静かに願います!!』
そうもう一度大声で呼びかけると、徐々に人々は静かになっていった。
魔導王の守護神と言うのは頭ごなしに物を言わない、人の心に寄り添うような者らしい。
「お待たせいたしました、アインズ様」
うむ、と魔導王は返すと、苦しみのせいか静かにしているランポッサとガゼフへ向いた。
「失礼したな……。こんなことよりも……そうだな……えー…………」
そういって目を閉じたのか魔導王の瞳の灯火は消えた。
皆察した。この王は死んだ者たちへ黙祷を捧げていると言うことに。
遠くのわかっていないもののためか、先ほどの守護神が厳かな響く声で周知する。
『皆さん。神聖魔導王陛下に倣い、死した者へ祈りを捧げましょう。黙祷』
誰もが静かに目を伏せた。
え?と誰か若い男が呟いた声が聞こえたが、誰もが熱心に死者へと祈りを捧げた。
魔導国の者たちは、どうか哀れな死者達を導いてくださいと、目の前の神々へ祈った。
一分程経つと、『お直りください』とまた丁寧な声が響いた。
ランポッサⅢ世は一番最初に国王の立場としてどうしたら良いかと考えたが、神聖魔導王は何よりもまず死者を悼む事が一番だと考えていたという事がその場にいた全てのものに伝わった。
ガゼフは考えていた。
この慈悲深さ、法国は確かに村々を焼いたが、それを見過ごせなくなって降臨した神だと言う噂は本当かもしれない、と。
既に命を救われたのは二度目なのだ。
驕りかも知れない。――それでも、自分は王国内ではもう誰よりもこの王の本質を知っているだろうと思えてならなかった。
そんな事を考えていると、城壁の方から都市長のパナソレイ・グルーゼ・デイ・レッテンマイアがこちらへ走って来るのが見えた。
その後ろには冒険者組合長のプルトン・アインザックと、魔術師組合長のテオ・ラケシルが続いていた。
「へ、陛下……!こちらにおいででしたか!」
パナソレイが息も絶え絶えにランポッサⅢ世に話しかけると、魔導王は自分は都市長に陛下と呼ばれる者ではないと示すかのように、背を向けた。
「お、おお……!パナソレイよ……。またもこの様な凄惨な事件にエ・ランテルが巻き込まれてしまったこと……一体何と謝れば良いか……」
「いえ……王よ……。このような事を一体誰が予見できましょう……」
言葉を交わす王と都市長に、金髪ボブカットの猫のような女から横槍が入る。
「まー神王陛下は予見してたよねー?そして人々を助けようと最初っから動いてた。漆黒聖典のあたしらがここにいるってのは何よりの証拠なんじゃなーい?」
兄妹だろうか。よく似た男が肘で小突いて黙らせる。
王国戦士団の鋭い視線に何も感じないと言うように女はヘラヘラしていた。
沈痛な面持ちで地を眺めた後、ランポッサⅢ世はハッとし、パナソレイに一番大切なことを訪ねた。
「……それで、都市の民は無事か?中はどうだ……?」
都市内はズーラーノーン事件の経験を生かし、避難は順調だった。
しかし、番外席次が突っ込んで崩れた城壁から魔樹が見えると一気に混乱状態になってしまったらしい。
そこからは、文字通り地獄絵図と化したが、すぐに神話の戦いの火蓋が切られたのだった。
その後パナソレイは都市内部で冒険者や魔術師組合員達の協力を得ながら、更なる民の避難や、帰宅困難者のための避難所の確保などに精を出していた為、少し遅れての登場となったらしい。
「そうか……。何という……。お前もよくやってくれたな……」
国は国王だけでは作られない。
そして国王も国があるだけでは務まらない。
民がいて、初めて国王と国が生まれるのだ。
ランポッサⅢ世は空を仰ぐ。
どこまでも続く空は、視界の端に映り込む巨大な魔樹の遺骸によって穢される。
忌々しげについそちらを見てしまうのは仕方のない事だろう。
「な!?君は!?」
突如響いた驚きの声に、王は魔樹の存在を瞳と頭から追い出した。
それは普段冷静な、元冒険者としても活躍した冒険者組合長のプルトン・アインザック。その人が発した物だった。
ぞろぞろと街から出てきていた冒険者達も何事かと駆けて来る。
「いや、肌の色が……いや、しかし!しかし!!」
そう言ってアインザックがジリジリと神聖魔導王の方へ近づいて行く様子に、誰もがハラハラしていると――
「わっ!アインザックさん!」
「やっぱり!君はプラム君だろう!!」
都市を半壊させ、大量の死者を出したズーラーノーン事件をわずか二人で解決に導き、カッパーからアダマンタイトへと異例の大昇格を以って名声を欲しいままにした謎の
がっつり顔を見せて冒険者をしていたフラミーさん、少しはアインズ様を見習ってもらいたいものですね!
次は息抜き閑話です。
コキュートスはちゃんとリザードマン達を掌握できてるかな?
2019.05.13 もんが様誤字修正ありがとうございます!適用させて頂きました!