眠る前にも夢を見て   作:ジッキンゲン男爵

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#72 汚物喰らいのSOS

 紫黒聖典の朝は早い。

 クレマンティーヌは日の出とともに起きだすとぶるりと震え、一人ぶつぶつと面倒くさいだの、まだ寝たいだのと文句を言いながら着替えを進める。

 聖王国が無事に聖ローブル州と相成り、国や憎き上位森妖精(ハイエルフ)共から支援がたんまりと届くようになってから紫黒聖典は神都に帰って来た。

 漆黒聖典も新大陸から帰り、陽光聖典はいつも通りコキュートスと沈黙都市周辺の探索と部族の吸収に出ている。

 クレマンティーヌはパジャマを豪快にぽいぽいと脱ぎ捨て、黒いシャツに長ズボン、仕上げにもこもこの温かい靴下を履き部屋を出た。

「っいぃっくしぃ!!っひぃーさみぃなー。」

 

 鼻をすすりながら腕をさすっていると、向かいの部屋の扉が開いた。

「先輩おはようございます!」

「おーネイアー早いじゃーん。」

 クレマンティーヌは一瞬くしゃみが煩さすぎて起きたのかと思ったが、部下である第三席次、凶眼の射手――ネイア・バラハはいつもの散切り頭を小さく一つに無理矢理くくり、どこかリラックスした格好で書類を抱えていた。

 その目には目つきを誤魔化すための眼鏡が光っている。彼女の視力は紫黒聖典一なので完全なる伊達だ。

「あんたまさか徹夜?」

 だとすれば隊長であるクレマンティーヌの失態だ。仕事は決められた時間内でのみと決められている。聖王国の復興支援作業中は仕方がなかったが、平時であれば余程のことが起こらなければ徹夜など言語道断だ。

「いえ!私もつい三十分前から始めたばっかりです!」

「夜明けより前から働くなっつーの…。何してたわけ?」

 ぴらりと書類を一枚その腕の中から回収する。上から順に目を滑らせていると、恐縮していたネイアは胸を張った。

「ナインズ殿下の御誕生祝賀会の警邏ルートを私なりに考えてみました!いっつも先輩がこう言うのされてるんで、たまには私もと思って!」

 実によく書けている。流石に聖騎士見習いとしてあの頭のおかしな女の下についていただけはあると言うことか。

 クレマンティーヌはネイアの言葉に耳を傾けながらどんどん読み進めていった。

 

「こりゃ良いね。これベースで漆黒聖典とすり合わせしよーか。」

 クレマンティーヌはネイアの腕の中に一度資料を返した。

「ありがとうございます!それにしても先輩はいつも早いんですね?」

「別にいつもじゃないよー。」

 この書類と案を作ろうと思って今日はたまたま早かったとは何となく言えない。クレマンティーヌは悩むと誤魔化すようにネイアの背を数度叩いた。

 

+

 

「やっ、クレマンティーヌ。」

「話しかけんな。」

 神都・大神殿に設けられた聖典達用の一室で、クレマンティーヌはよく出来た兄のクアイエッセを一瞥もせずに答えた。

 そんな対応を取られてもクアイエッセはどこ吹く風だ。非常に優しげで、敵意など皆無な雰囲気すらある。

「疾風走破は今日も反抗期か!ははは!」

 クレマンティーヌは巨盾万壁の笑い声に不愉快そうな視線を送った。

 漆黒聖典にいた時からまるで変わらない扱いだ。

「静かに。そろそろ始めましょう。」

 漆黒聖典隊長の掛け声で両聖典は居住まいを正した――が、一人そうしない者もいる。

 かちゃかちゃという音に全員の視線が引っ張られた。

 誰がその音を立てているのかなど、確認する前から全員予想がついていた。

 音の正体を視界に収めれば、そこには想像通り、番外席次・絶死絶命がルビクキューを玩んでいた。

 隊長はこれは止められる者などいないなと、無視して話を進めようと決める。

 しかし――「番外。やめーや。始めるよ。」

 クレマンティーヌの声が響くと番外席次はそれをコトン、と机に置いた。

 漆黒聖典はどうなってしまうんだと――以前番外席次が漆黒聖典にいた頃を思い出しゴクリと唾を飲んだ。

 全員が続く言葉は「クインティアの片割れ、殺されたいの?」だろうと予想する。が、番外席次の答えは違った。

 

「はぁ。一面しか揃えられなかったわ。」

「昨日二面揃えてたのに?」

「崩れたのよ。三面目を揃えようとしたら。神王陛下にやり方を教えて頂いたのに出来ないなんて一生揃う気がしないわ。陛下のご説明も難しすぎたし。」

「揃えんでもいーわ。その情熱どっかに向けらんないの?」

「クレマンティーヌ、話がそれてるわ。漆黒聖典の皆さんが待ってるんだから。ほら、番外席次もそれしまって。」レイナースはそう言ってから漆黒聖典達へ向き直った。「――皆さま、申し訳ございません。」

「仕方ないわね。それで?何を話し合うの。私は結果だけ聞かせて貰えば良いわ。」

 漆黒聖典は心の中で「おぉ…」と声を上げた。

 これでも相当に丸くなったのだ。

 以前なら「時間の無駄」と言って部屋を出て行き、隊長に後から話を聞こうとしただろう。やはり神は偉大だ。

 

 そうしてようやく話し合いが始まろうとすると、不意にノックが響いた。

 最も聖典にいる時間の短いネイアがすかさず立ち上がり、扉を小さく開けた。

「はい。――あ、レイモン様。」

 三色聖典のトップがそこにはいた。

「少し話があるんだけど入ってもいいかな。」

 念の為ネイアが二名の隊長に目配せする。二人とも許可するように頷いて見せた。

「どうぞ。どうかされました?」

 レイモンは部屋に入ると、自分で適当な椅子を引っ張り寄せて座った。

 

「さっき汚物喰らい(ファエクデッセ)が大聖堂を訪れたんだけどね――」

「汚いわね。消毒したの。なんだか臭ってきそうだわ。」

 番外席次はかつて漆黒聖典にいて、今やすっかり老けた――と言っても四十代後半の――三色聖典長レイモンの言葉を遮った。

 汚物喰らい(ファエクデッセ)は悪臭を放ち、時にねばねばぬらぬらとし、皮膚炎や脳炎、それから人畜共通感染症を媒介するあまり歓迎されない住民だ。

「絶死絶命…もちろん消毒しましたよ。神聖なる大聖堂が病の元になってはいけませんからね。」レイモンは丁寧に答えると、んんッと咳払いをしてから続けた。「それで汚物喰らい(ファエクデッセ)が――」

汚物喰らい(ファエクデッセ)ってクアイエッセに似てない?」

 クレマンティーヌはへらへら笑い、クアイエッセもよく似た顔をして笑った。

「やだなぁ、クレマンティーヌ。似てないよ。」

「……クインティア兄妹、聞きなさい。汚物喰らい(ファエクデッセ)が、近頃衛生(サニタリー)スライムが異常に増えすぎて困っていると言いに来たんだ。今にも溢れそうだと。」

 汚物喰らい(ファエクデッセ)衛生(サニタリー)スライムの酸に耐性を持っている共存者だが、増えすぎれば食事が減るし、住処がスライムまみれと言うのも不愉快だろう。

「そうですか。今度こそ冒険者に活躍してもらう良い機会かもしれませんね。」

 口を開いたのは隊長だった。時間乱流が確かにと笑う。

「あいつらも活躍の場を期待してたしね。じゃ、レイモン様お疲れ様でした。僕たちナインズ殿下のお祝いの会の事で忙しいから。」

「でも冒険者達は復活したてだったりするわよねぇ?みぃんな痩せちゃってたりしてたし、使い物にならないんじゃないかしらぁ。」と、微笑む神聖呪歌。

「ははーん、そう言う事でありますか。だからここに来たわけですね。下水なら天使を送れる陽光聖典向きだと思いますぜ。」

 巨盾万壁の言葉に神領縛鎖も肯く。

「セドランの言う通り。俺もそれが良いと思います。もしくは元気のある冒険者に出てもらう。」

 特に口を出さないがレイナースもそれが良いと心の中で賛成する。下水などまっぴらごめん。一歩も入りたくなかった。

 

 レイモンは大きくため息をつき、後輩であり部下である面々を見渡した。

「陽光聖典は沈黙都市周辺で事に当たっている。それに今回冒険者はある事情から使えないんだ。」

「予算の問題ですか?」

「航海の報酬はほとんど返金されたって聞いたけど。」

 それぞれの言葉にレイモンは首を振ると、低く抑えた声で通達した。

 

「今回来た汚物喰らい(ファエクデッセ)は魔導省と魔導学院の間の下水に、特に衛生(サニタリー)スライムが異常発生してると言っていたんだよ。だからこれは――国営機関の失態の可能性が非常に高い。汚物喰らい(ファエクデッセ)も魔導省と魔導学院が何かをやらかしていると思っているからこそ冒険者組合ではなく大聖堂に来たんだ。大量発生の根源を絶てるのは国だけだと。」

 

 聖典達は目を丸くした。なんとも言えない空気が漂う。

 この神都で、国営機関の失態など最悪以外の何者でもない。

 神に最も近い神都はどこよりも洗練されていなければならないと言うのに。

「……地下を占います。」

 占星千里は眼鏡のブリッジをくんっと押し上げ、スクールバッグからスコープを取り出した。

 窓へ向かい、真昼の明るい星など一つも見えない空へ向けてスコープを覗き、キリキリとピント調整を行った。

 

 それを横目で見ていた番外席次は聖典達をゾッとさせる不快げな長い息を吐いた。人によってはそのオーラだけで腰を抜かすだろう。

「なるほどね。そういうこと。私はフールーダ・パラダインを殺しに行けばいいの?」

 魔導省も魔導学院も最高責任者はフールーダだ。

 久々の暗殺かぁとクレマンティーヌがスティレットをくるくると回す。

 しかし、レイモンは慌てて手を振った。

「絶死絶命!今回聖典は衛生(サニタリー)スライムの数を減らすだけです!我々神官が魔導省と魔導学院の調査に出ますから。フールーダ様を殺したりすれば神王陛下がお怒りになりますよ。」

「ッチ。分かったわよ。」

 神の名を出され、番外席次がすぐに引き下がるとレイモンは安堵に小さく息をつき、聖典全体に通達する。

「ナインズ殿下の祝賀会の時に衛生(サニタリー)スライムが側溝から溢れるような事がないよう、皆で手を尽くそう。」

 勇ましい返事が返った。

 

 しかし何にしてもフールーダは一発殴らないとダメだと聖典達が言っていると、占星千里が戻った。

「皆さん、お待たせしました。…どうやら魔導省の下水にスライムがみっしり詰まっているみたいです。あれはちょっと汚物喰らい(ファエクデッセ)に同情します…。」

 実際に地下の様子を見られた訳ではないが、占星千里は状態を読んだ。

 

「…いきますか。大下水道。」「…しゃーないね。」

 両聖典の隊長二人は呟いた。神のためにならどんな仕事もできる聖典に先ほどまでの後ろ向きな雰囲気はなくなっていた。




き、綺麗な下水だから…ね(綺麗な下水

次回#73 身近な未知

ユズリハ様に居住まいをただす面々と正さない番外ちゃんをいただきました!

【挿絵表示】


マルッとユズリハ様より引用
> 何が言いたかったネタかというと、
> ①4姉妹の礼の尽くし方の差
> ②一応エラい人相手なのにこの扱い
> ③足音や気配でフララを判断できる番外(レイナースとクレマンもあやしい。ネイアは分からないけど番外がこんな態度を取るのはフララか陛下だけと知ってるから追随
> ④この変わり身。
> っていう…

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