下風月 十五日 10:47
三人は無言で進み続ける老人の後を追いながら、どうやってこの場を逃れようかと話し合った。
そして、シルバが手をあげる。
「あの、すみません。」
「なんでしゅかな。お役人様。」
「えーと、僕たちはあなたの案内がなくても平気なんです。ほら、役人だからここの事は解っていますし。」
シルバがそう言うと、湿った足場を小さいネズミが小さな足音を鳴らして、したたた…と駆けて横切った。
そして、バンッと
三人の肩は大きく飛び上がり、キィキィと必死に鳴き声を上げるネズミは
尻尾を掴まれ、逆さに持ち上げられる様は酷く哀れで、いったいそれをどうしてしまうのかと三人が見ていると、
口の中がランタンの炎でゆらりと映し出されると、ぺーさんが小さく悲鳴を上げる。
そして、ネズミは口に放り込まれた。
ギィーッととんでもない鳴き声が響き、続いてゴギャコギャと骨が砕かれる音。
はみ出ていた尻尾はちゅるりと飲み込まれた。
身の毛もよだつ光景に三人はただ呆然と立ち尽くす。
「んん。申し訳ありましぇん。我々もなるべく衛生害獣はこうして見つけ次第美味しく――そう、ぐふふ、駆除しておりまするが、自然とまるで水が湧くように出てきてしまいますのじゃよ。」口を拭いた
「――ほれで、なんでしたかのぅ。ひひ、新鮮な食事につい浮き足立ってしまっちぇ。ほら、あれのせいで中々あり付けませんで。ひひ。」
新鮮な食事、そう聞いた瞬間三人の脳裏には人間を卸して食べると言う亜人達のことが一気に駆け巡った。
そしてここの入り口に掛けられている
もしや注意とは食べられてしまうと言う意味なのでは。
そう思うと、居ても立ってもいられず、一斉に駆け出した。
「う、う、うわあぁぁぁあぁああ!!」
道も何もわからないが、兎に角走った。
途端に小さくなって行ってしまった背中に
「なんじゃ…?お役人様はどうされたんじゃろ…。」
そう言い、最近仲間が地上に行った時に買ってきてくれた
その中からは開いて干したネズミ。
ぽいと口に放り込み、カリカリと噛み砕いた。
「――あぁ、そうじゃ。案内がなくても平気じゃったか。」
そして流れてきたスライムをすくい上げ、手の中でもちもちと弄んだ。
下水は近頃
新鮮な糞も少ないし、どうにもよくない。
そして
「こりでまた暮らし易くなると良いのう。」
うきうきと歩いていると、ふと、「おい」と声を掛けられ、
そちらにはこれまた若そうな人間達。
「ほ?なんじゃらほい。」
「
そういうと首に掛けていたネックレスを鎧の中から引き抜き、小さな赤い玉のトップを見せた。――その中には神聖魔導国の紋章。
「ほや〜。二隊も送って頂けるとはありがたい話じゃ!ひひ!」
「あぁ、私はもちろん、漆黒聖典の神聖呪歌、一人師団、神領縛鎖、紫黒聖典隊長、重爆が来たのだからすぐに元の状態に戻るだろう。」
先に来たたった三人ではあれだけ増えたスライムを減らすのは大変だろうと心配していたが、分隊に六人もくれば文句なしだろう。
一、二、三……――九人だ!
なんと心強いのだろう。
「こちらですじゃ、お役人様。」
「
「ありがとうございまする。
皮膚を守るねばねばも取ったし、人間が嫌うような臭い――
「そうかそうか。合わせてもらって悪いな。我々が帰ったらいつも通りに過ごしてくれ。」
「おしょれいります。」
先の役人達はあまり話してくれなかったし、どこか冷たいと思ったが、この役人は中々良い者達だ。
「良ければ少し我々の家などもお見せしましゅが、どうですじゃ?」
「……いや、我々も積もる任務がある。ナインズ殿下のお誕生日の祝賀会も近いだろう。」
「おぉ、しょれはしょれは。ひひ。素晴らしいことですなぁ。では、真っ直ぐご案内しましょう。」
神の子が生まれてもう一年かと思うと
神都は
感謝を表するために下水の最も綺麗なところに自分たちで祭壇も建てている。
あまり日光も無臭に近くなる事も得意ではないし、人間に触れてしまうと人間は病にかかってしまうので、地上にはそう出ない。大神殿には中々行けない
一年前の誕生祭の時には下水の蓋の下からお祭り騒ぎの街を皆で眺め、酔っ払った親切な人間が嘔吐し、下水にアルコール混じりの吐瀉物を流してくれたりと楽しく過ごした。
「さぁ、そろそろ――なんですが、おかしいのう。」
もにもにとスライムを握ると
「――おかしいねー。これ、どう言う事?」
スライムが大量発生どころか、下水の川にはチラホラとしかスライムがいなかった。少なすぎるくらいの様子だ。
皆水路脇の通路に集まり、ぷるぷると怯えているように見える。
「おかしいにょ。朝まではもっといたのに…。あ、先のお三方がもう討伐してくれたんでしゅかな?」
「三人?誰のことだ?」
隊長がそう言うと、
一応指を折って、一、二、三と数を数え直した。
「先にいらした三人のお役人様でしゅ。皆さんより少し若いくらいの。」
「私達より若い?おかしいな。誰か聞いている者は。」
隊長は漆黒聖典の神聖呪歌、神領縛鎖、一人師団に振り返った。
「聞いてないわねぇ。そもそもこれ、外に漏らしたくない案件でしょぉ?」
「俺も聞いてないな。クアイエッセは?」
「聞いてません。クレマンティーヌ達…も聞いてないね?」
「聞いてない。どーも怪しいねー。私らより若いってのも引っかかる。」
「若くなければ陽光聖典のような気もしますが、私達より若いのでは国の機関のものではないと思いますわ。――ドルノド=ディリ、その者達は国の証を見せましたの?」
レイナースが鎧の中から赤い玉の付いたネックレスを引き抜き問うと、
「い、いえ。当然お役人様かと思ってしまいましちぇ…。」
「冒険者のような気がするな…。既にどこかにスライムが溢れて派遣されたか。あまり減らされ過ぎても都市に悪影響だ。狩り尽くされる前に止めなくては。」
隊長の狩り尽くされると言う言葉を聞いた
時に硬い物などは一度スライムに柔らかくさせてから食べたりもするし、水に溶けた汚れを
清潔な水がなければ
「隊長、冒険者達がどこへ向かったか解りませんし、ここは二班に別れましょう。」
神領縛鎖の提案に皆頷く。目の前の道は二手に分かれていた。
「三人づつに別れるぅ?」
神聖呪歌がそう言うと隊長は一人師団を指さした。
「一人師団、君は紫黒聖典二名と行け。疾風走破が勢い余って冒険者を殺さないように見張ってくれ。」
それは疾風走破すら自分の部下のような口ぶりだ。
「わかりました。――じゃあ、一緒に行こう。クレマンティーヌ、レイナース。」
「はぁ!?お前ら勝手に決めてんじゃねーぞ!こっちはレーナースと二人で紫黒聖典だった事もあるんだから二人で――」
「よし。ではドルノド=ディリ、案内はここまでで良い。私達は行く。」
「お役人様、お願いしましゅ…。申し訳ありません…。」
「良い。気にするな。ここまで助かった。――神聖呪歌、神領縛鎖。行くぞ。……こう言う時に限って占星千里を地上に置いてきてしまったなぁ。」
隊長は長い髪を一つに括り、目の前の道を左へ行った。
「…本当に私らと来んのかよ。」
「ふふ、昔を思い出すね。」
クレマンティーヌは実に不愉快そうに兄を見た。
「思い出したくもねーわ!」
「クレマンティーヌ、なんでそんなにクアイエッセさんを目の敵にするの?」
レイナースの呆れ混じりの声に、ふとクレマンティーヌの表情が変わった。声の調子からも、先程の僅かにふざけ混じりのものは消えた。
「本当になんでだろう?そいつと仕事でいろんな人を殺し続けたから?そんで優秀すぎるそいつと比べ続けられたから?親の愛情がそいつばっかりに行ってたから?それともまだ弱っちかった頃、グルグル回されてたのにそいつが助けに来なかったから?友人が目の前で死ぬのを傍観したから?ミスって捕まって、数日に渡って拷問を受けても迎えに来なかったから?熱せられた洋梨って痛いよね。」
そこには任務だったとしても納得しきれないと嘆く幼子がいた。しかし、それは瞬時に薄れ、再びいつものクレマンティーヌに戻った。
「なーんてね。全部、嘘、嘘、うーそ。そんなことされた事ないって。でも、どーでもいーじゃん。そんなこと。過去を振り返ったって何も変わらない。色々積み重ねてこーなったんだってことさー。」
「ふふ。そうだね。色々あったね。ああ、クレマンティーヌが陛下に連れられて帰ってきた日を思い出すなぁ。二人で神の再臨を喜んで抱き合ったね。」
「黙れ。さーて、行くかね。」
レイナースはクレマンティーヌの地雷を初めて踏み抜いた事を少し反省し、その後を追った。
さすが隊長!褒めてもらえてうきうきしちゃう
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