下風月 十五日 11:18
「っはぁ、っはぁ……っひぃ〜。」
シルバが情けない声を上げ減速すると、後を必死に追っていたみっちーとぺーさんも減速した。
「あ、あんなのが都市の地下に住んでて…っはぁ、本当に大丈夫なの!?」
ぺーさんはずっとセイレーン州の半水没都市のスァン・モーナに暮らしていた。
向こうでは汚物は汚物プールに行き、やはり
スレイン州には――かつてスレイン法国と名乗っていた六百年前から
「き、キモかったなぁ。見たかあれ、ゾッとするよ本当に!」
シルバは鳥肌の立つ腕を一生懸命さすった。
「…それにしても、ここはどこだろう?もうあの謎の影を探すどころじゃなくなっちゃったね。」
みっちーはあちこちにランタンを向け、あたりを確認した。
そこは円形に広く、天井も高かった。四方に通路があり、一瞬三人は自分たちがどこからきたのか分からなくなるのでは無いかと嫌な悪寒に襲われる。
「でも、水が臭くないし、すごく綺麗だから外には近いんじゃない?」
「確かに。深部だったら汚い水のはずだもんね。」
三人のいる所は非常に綺麗な水が流れていた。ともすれば飲めるのではないかと言うほどに綺麗だ。飲まないが。
しかし、そう言う発想を抱くと――「喉乾いたね…。」
「目一杯走ったもんなぁ。」
「お腹も空いたぁ。」
三人はそれぞれ鞄を前に抱え、中身をごそごそと探った。
みっちーはノートを三ページ切ると二人に一枚づつ渡し、濡れていないところをきょろきょろと探すと一枚を尻に布いて腰を下ろした。
「ここら辺は随分綺麗みたいでよかったね。」
ネズミが歩いたような跡もないし、ナメクジもいない、苔も生えていない。
まるで最近建て直したばかりのように綺麗だった。
「へへ、付いてるみたい。」
シルバとぺーさんもそれに倣って共に腰を下ろし、再び鞄に手を突っ込んだ。
「ほら、母ちゃんの膝掛け持ってきたよ。」
「うわ!汚すと怒られる!」
「濡らさないように気をつけて使わなきゃね。」
三人は輪になって座るとシルバのミニ毛布を分け合うように膝にかけた。
毛布の真ん中にランタンを乗せるとじんわりと暖かさが伝わってくる。
それから、ぺーさんは
「はい、あったかいよ。」
「気が効くね。」
数口飲むとシルバに渡し、みっちーは夜のうちにくすねておいたパン一本をバキッと三つに割り、鍋から失敬した茹で卵をそれぞれ二人に一個づつ渡した。
シルバも持ってきたみかんを剥いて真ん中のランタン脇に置いた。ぺーさんも続くように紙の包みを広げて真ん中に置く。いくつかに切られたエメンタールチーズだ。まぁるい穴がたくさん開いていて、そこに指を突っ込まずにはいられない。
「勝手に食べていいよ!」
「さんきゅー!」
ようやく一度荷物を下ろした肩は途端に軽くなり、大人達が肩凝りなんていうものに悩まされているのはこう言う感じなのかなと少し親を思い出した。
家出してるわけでもないのにみっちーがどこか寂しくなったのは、今頃母がこの茹で卵を探して困っている姿が簡単に浮かんでしまったから。
みっちーが卵にじっと視線を落としていると、シルバは訝しむように問いかけた。
「みっちー…もしかして、これ、生卵?」
「え?――あ、違うよ!茹で卵!さ、食べよう!」
「へへ、下水だからむいた殻はそこに捨ててもいいね。」
「そう思うと下水は案外住みやすい所かもしれないなぁ!」
三人はちょぴっと湿気たパンを齧り咥えると、ランタンに卵をコンコンと当て、殻を剥いた。
「これ、綺麗に剥いて後で流して誰の殻が一番よく流れるか競争しようぜ。」
シルバの挑戦状にNOという者などいるはずもない。
三人は殻の形を極力バラバラにしないように丁寧に剥いた。
そして、細かくなってしまった殻を下水に浮いている小さなスライムのそばに落としてやり、残った殻船を膝に置いたまま三人はパンと茹で卵、チーズに交互にかぶりついた。
――その時、焚き火を囲み、新たな友だと思える者と取った食事は友を持たず孤独であったモモンの胸をいつまでも照らした。しかし、モモンは殺生をした日には光神陛下への忠誠として、決して人前で物を口にすることはない。命を奪うと言う事の重みが、神に育てられし彼にはよくわかっていたから。それでも、彼はいつまでも焚き火の側で光神陛下と漆黒の剣達と肩を寄せ合った。
みっちーはこういうことかと、モモンの英雄譚に載っていた一説を思い出した。
手早く昼食を済ませると、持ってきたノートとインク壺、ペンを取り出す。
「うーん、何て書き出すのがいいかな…。」
コツコツとノートを叩くと、二人が覗き込む。
「何書くの?」
「宿題?」
「僕らの冒険譚さ!ぺーさんはこう言うの得意だよね、何て書くのが良いかな?まずは題名からかな?どんな題名がいいと思う?」
「うーん、そうだねぇ…。あ、試される大下水道とか!」
「はは、それ聖書の章のパクリじゃん。でも気に入った!じゃあここにまずは…。」
みっちーはペン先をペロリと舐め、ツボにぽちょりと先を浸す。
ノートの表には堂々と彼らだけの冒険譚の題名が書き込まれた。
まだ中身は真白だが、それだけで三人は偉大な今日の冒険が伝説となる予感がしてニシシと笑った。
シルバはインク壺が母の膝掛けに悪さをしないように蓋を閉め、一文目を考えるのを手伝った。
「やっぱり、神都の大下水道だってちゃんと書いた方がいいよ!冒険の始まりはあの雨の日から!」
「よし。神都…大……下水…道…っと。」
みっちーが書き連ねていると、遠くで大聖堂が十二時を知らせる鐘を打った。
ずっと地面に座っていた三人は足も痺れ、お尻も痛くなっていたことに気が付いた。
「冒険譚は後でまた家でゆっくり書こう!シルバの家に泊まれたらいいんだけど。」
「帰ったら母ちゃんに頼んでみるよ!じゃあ行こうか。殻流そうぜ!」
「あ、殻忘れてた。はは。」
三人はそれぞれ片付けを行い、立ち上がって鞄をしっかり背負い直すと卵の殻を流した。
「あっちが下流だったから、あっちに――あれ?」
殻は不思議なことにぐんぐんと流れを遡って行った。
いや、よく見ると流れは先ほどまで流れていたはずの方向と真逆に向かって流れていたのだ。
「…なんで?」
ぺーさんの疑問に答えられる者はいない。
しかし――「これこそ未知だ!行こうぜ!あっちだ!!」
シルバは元気よくその方向を指差した。が、みっちーはまさか、ぺーさんが言ったように本当に魔物ではないかと恐れ、足がすくんだ。
「どした?みっちー。」
「ぺ、ぺーさん…。魔物だったら、どうする?ぺーさんは魔物だと思うんだよね?」
わずかな沈黙が二人の間を流れると、殻船は速度を上げた。
「っあ!行っちゃう!オレの!」
シルバが駆け出すとどうするもこうするも考えていなかったぺーさんも後を追うように走り出し、みっちーは持ってきたペティナイフの場所を頭に浮かべ、追いかけた。
「こっちだ!こっちだ!」
三人は夢中で走った。
すると、流れが
下水にはたくさんの水色のスライムがびっしりと詰まっていたのだ。
流した卵の殻はとうにスライムにもくもくと食べられてしまった。スライムの大きさはそれこそ、鶏の卵ぐらいの大きさの物から、枕くらいのものまで様々だ。
どれももちもちと近くのスライムにぶつかり狭苦しそうにしている。
「すっごい量だなぁ!」
「今ならスライムの上も歩けるんじゃない!」
「あそこの水が綺麗だったのはここにたくさんスライムがいたからだね!」
しかし、水は綺麗だが、進めば進むほどに妙な臭いがあった。
さっき食事をとった場所は臭いなどはなかったのに、三人の鼻には薬品のような臭いが届いた。
そして、角を曲がった途端、先頭を行っていたシルバがビッと手を出した。
「待て!!」
「っびっくりしたぁ!いきなり何だって言うんだよ〜。」
みっちーはクレームを付けると、前方に見える謎のものに向けてランタンを持ち上げた。
「はぁ…はぁ…な、なに…?」
シルバとみっちーの向こうには青みを帯びたはがね色の巨大なぷるぷるとしたものが、みっちり…と詰まっていた。
「なんだ?これ」
「つっついてみよう!」
ぷにょぷにょと柔らかなそれはされるがままだった。
「なんかかわいいね。スライムのお母さんかな?」
三人で熱心につついていると、薄暗い中で誰も気づかなかったシルバの服に着いていたパン屑がぽろりと落ちた。
その瞬間、水面に石を投じたように道に詰まる巨大なスライムはぞわりと蠢いた。
――次の瞬間、無数の触手が一気にシルバへ伸びた。
「っうわ!?」
目の前を間一髪で触手が通過するのを本能とも言える箇所をフル活用して避けた。
しかし、片足は取られ、誰も気付かなかったパン屑は飲み込まれて言った。
シルバが派手に尻餅をついた時「お"……お"い"……ぉ"い"じぃ……!」とおぞましく聴き取り辛い声が聞こえた。
そして、オォーーーンとあの雨の日に聞いた唸り声を上げた瞬間三人は目を見合わせた。
「スライム!は、はなせ!!」
「ずら"…はな"…?…はな"ぜ……。」
知能の低い者はシルバを真似るように言葉を紡ぐ。
「っこのぉ!!」
シルバが持っていたペティナイフで足を覆うスライムを切ろうとすると、まるで水と油が交わることが無いようにさっと刃を避けてまた元のようにくっついた。何度でも同じ事で、ナイフはカツンっと音を立てて床に突き立った。
気味の悪いスライムは、周りにいる無数の小さなぷよぷよとしたスライム達をも飲み込み、たえず形を変えた。水を吸い込んでこの通路の向こうへ流しているようだ。
シルバの振りかぶる刃は一刀たりともスライムを襲うことはなかった。
急ぎぺーさんとみっちーがシルバを引っ張るが、スライムから逃れられる様子はなく、シルバは「足が取れる!」と痛みに叫んだ。
「スライム!シルバを離せ!!」
「ずら…じ…じば…ばばぜ……。」
スライムは徐々にシルバの足を引き込み始め、みっちーは刃が立たない事を認識すると、授業用の
「離せ!!」
しかしスライムは離さず、みっちーは力いっぱい叫んだ。
「<
杖の先を向ける方に微かな明滅が飛び、スライムの体にもちりと刺さった。
「ま"ま"じ…ま"じろ"……。」
スライムは一瞬ゾゾっと波打ち、シルバを引っ張ることをやめた。
「で、出た!!魔法だ!!」
「やったぁ!!みっちー流石だよ!!」
ぺーさんの言葉にみっちーはニヒリと笑ったが「――っあぁ…。」
猛烈な脱力感に床に膝をついた。魔力欠乏だと授業で習った状態に納得すると同時に無力な自分が恨めしくなった。学校では零位階までしか教えないと言うのにディミトリーが放った魔法は第一位階。術者の力によって光の数や大きさは変わるが、ディミトリーのすべての力を吸い上げて魔法は繰り出された。
「っあぁ!!靴が!!」
シルバの叫びに足下を見下ろすと、靴は徐々にほろほろと形を失い始めていた。
ぺーさんは引っ張る力を強めるが、足は引き抜けない。
「っくそ!この馬鹿力ぁ!!」
みっちーもなんとか立ち上がるとぺーさんを手伝い一層強い力でシルバを引っ張った。
「足が外れちゃうってば!!」
それを聞くとぺーさんはシルバから手を離し、数歩後ずさった。
「ぺーさん!?逃げるの!?」
みっちーの問いに首を振る。
そしてぺーさんは大きく息を吸った。
それは都市の中で使う事を禁じられている歌。
両手を組んだラーズペールは、天の使いのようだった。
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歌を聞いたスライムはシルバを離すことはなかったが、溶かす事はやめた。
下風月 十五日 12:18
地上にいた
ほのぼのモブ話!!!!
御身が出る話に飽きたと言う意見にこれでもかと乗る(えぇ
すごいよ!五話も御身が出てないよ!!
次回#76 フールーダの一日
そして明日はフールーダ!!極まってる…!
日に日にお育ちになる殿下を頂きましたよ!可愛いねぇ…
©︎ユズリハ様ぁ
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