眠る前にも夢を見て   作:ジッキンゲン男爵

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#76 フールーダの一日

下風月 十五日 6:15

 その日、フールーダはいつも通りの時間に起き出し、まずは自室に備えてある小さなキッチンで一杯のホットマキャティアを淹れた。

 部屋にはお湯を沸かせる程度の小さなキッチンと、ウォークインクローゼット、書棚がある。

 お気に入りの本を収める大きな書棚の隣には年代物の――帝国からジルクニフに送ってもらった――暖炉(マントルピース)が備えてある。

 フールーダとジルクニフは毎週手紙のやり取りをしているので、その中で帝城に置いてきた気に入りのものはほとんど送ってくれと頼んだのだ。

 それもこれも、神のそばに仕えることを許された時に、神よりこう言われたからだ。

「良かろう、フールーダ・パラダイン。しかし、身内の方々に迷惑と心配をかけるのは良くない。ちゃんと手紙を週に一回はエル=ニクス皇帝に送れるな?」と。

 当然忙しいジルクニフはフールーダに返事を出さないことも良くあるが、神が毎週手紙を送れというので、何でもいいからとにかく毎週フールーダは手紙を送っている。

 ジルクニフもまだ属国だった頃は神聖魔導国の貴重な情報源だと必死になってそれを読み、丁寧な返事を出していた。

 が、州となってしまった今、ジルクニフは割とフールーダののろけるような手紙にうんざりしていて、もう返事は出さないで良いか?としょっちゅうロウネに言っては「スレイン州を超える州になさるなら、我慢しましょう…どこにどんな情報があるか分かりません」と窘められる。そして二人でロクな情報の書かれていない手紙に、ロクな情報の書かれていない返事を書くのだ。

 

 フールーダの部屋は南東の角部屋のため、朝日が十分すぎるほどに入ってくる。神都で勤めるようになってから買ったのだが、小さいながら良い屋敷だ。

 フールーダは髭に少しだけ付いてしまったマキャティアを丁寧に拭き取り、枕元に置いてあるハンドベルを鳴らした。

 雇っているメイドが、同じく雇っている料理人の支度してくれたワンプレートの食事を持って部屋に入ってくる。彼らは住み込みのため使用人部屋を与えていた。

 フールーダは朝食は寝室で取る。寝起き一番に着替えるのは好きじゃないし、かと言ってパジャマ姿では極力人に会いたくないのと、朝の静かな時間を邪魔される事を嫌うためだ。

 窓辺に置いてある小さなカフェテーブルに朝食を置くと、メイドはすぐに出て行った。

 早朝の神都を行き交う死の騎士(デスナイト)を眺めながらフールーダは朝食を取った。死の騎士(デスナイト)にたまに手を振るが、当然彼らは見向きもしない。それでもフールーダは大好きな死の騎士(デスナイト)に何度でも手を振る。

 今日は目玉焼きに、粗挽きのソーセージが二本、カリカリに焼かれたベーコンと瑞々しいサラダ。皿の上に乗る小鉢にはホットチリビーンズが乗っていて、寒い朝の活力だ。上等なバターを塗り付けられた食パン。

 フールーダは食パンにサラダとベーコンを乗せて、チリビーンズを少々挟むとかぶりついた。

 パンのザックリと言う音と、野菜のシャキシャキ音。

 ピリ辛な柔らかいビーンズとベーコンがよく合う。

「ふむ、ふむ。」

 使用人達はもっと色々食べてはと言うが、フールーダの朝は大抵こんな感じだ。

 特に他のものを食べたいとも思わない。

 一つ目の適当サンドを食べると、一緒に持ってきてくれているオレンジの果実水を飲む。

 これが非常にうまい。酸味と甘味のバランスが良く、神聖魔導国で暮らすようになってから必ず朝食にはこれだ。先にホットマキャティアを飲んでいるし、体が冷えるような事はない。

 続いて二枚目のパンを手にとり、目玉焼きとソーセージ二本、残りのチリビーンズを乗せてやはり挟んだ。

 黄身が破裂し、とろりと中から溢れるとチリビーンズの辛さを中和してくれる。

 最後にもう一度気に入りの果実水を飲み、フールーダの朝食はおしまいだ。

 この辺りを巡回する死の騎士(デスナイト)もちょうど見えなくなった。

 フールーダは朝食を満喫すると、やはり髭を丁寧に拭き、ベルを鳴らした。

 メイドが食事の片付けをしていると、執事のジェロームが入ってきた。

「おはようございます。パラダイン様。」

「おはよう、ジェローム。悪いが頼む。」

 フールーダはジェロームに手伝われながら威厳を十分に感じさせるローブを身に纏った。

 今日は訳あっていつもよりも幾分か良いローブだ。襟元と袖に付けた香水が良い香りを放っている。

「…よし。」

 あとは髭の長さやこめかみの毛の流れなどのこだわりポイントをチェックすると、大好きなゴーレムの馬車に乗って出勤だ。

 御者席にはジェローム。

 今日も神都の素晴らしい光景を眺めながら魔導省へ着いた。

 馬車に乗っているフールーダはいつも少年のようで、ジェロームは馬車の中から聞こえてくる感嘆の声に「よくもまぁ飽きないよなぁ」と毎朝思う。

 

「おはようございます、師よ。」

 フールーダは高弟のゾフィが迎える声にうむ、とだけ返事をすると自分の執務部屋へ向かった。ジェロームはフールーダを見送り、後は帰りに迎えに上がるまで待ち惚けるのも時間がもったいないため一度馬車でパラダイン邸に戻る。

 フールーダはまずは研究――と言う名の読書タイムだ。

 神より拝借している魔導書の読み込みを行う。

 秘伝の知識らしく、メモを取ったりする事は許されていないので一語一句忘れないように必死に読み解く。

 読解魔法は便利だが、かなり魔力を使うためにそう簡単には読み解けない。

 そうしてあっという間に一時間程度の時間が経つと、魔導省の馬車で魔導学院へ向かう。

 特進科に通う生徒に魔法を教え、今日は午前中一時間だけの為再び魔導省に戻る。

 神都の魔術師組合は魔導省内にあるので、魔術師組合長と近頃のスクロールの売れ行きや、どんな魔法が今世間で求められているのかを軽く話し合う。

 ニーズに合わせた魔法の改良、新たな魔法の製作プランなど、中々一筋縄には行かないが、そういう事の話し合いだ。当然需要は都市でも変わってくる。

 それが終わると早めの昼食を取り、今日は珍しく神官達が話があるそうで、迎える準備を行なった。

 魔導省には会議室や応接間はいくつもある。その中でフールーダが向かったのは二番目に良い部屋だ。

 一番良い部屋は神の降臨にしか使っていない。

「神官長に三色聖典長なんて、一体神殿が何用でしょうね?」

 ゾフィの問いにフールーダは大して興味なさげに首を振る。

「さぁのう。」

 フールーダは自分の身なりを確認した。

 本来政治にも社交にも関心はほとんどない。と言うより、魔法の研究にのみ集中したいと言う願望が相当に強く、その他のことを煩わしく思っている。

 しかし、神聖魔導国に於いて重職に就き、素晴らしい魔法書を貸し与えられ、世界最先端の場所で魔法を研究できる日々のためにもフールーダは無関心を貫く事はできない。

 衣服に乱れがない事を十分に確認できた頃、扉はノックされ、答える暇もなく開いた。

「フールーダ・パラダイン、殴らせなさい。罰よ。」

「うわ!番外席次さん、やめて下さい!!」

「絶死絶命!!あぁ…なんで隊長二人を行かせてしまったんだ…!」

 神殿からの使者達の様子にフールーダは呆けた。

 

+

 

下風月 十五日 12:18

 クレマンティーヌ達ははっと顔をあげた。

 魔力を感じるガラスを響かせるような歌声が瞬く間に大下水道中を駆け巡っていく。

 三人はほんの一瞬だけ聞き惚れそうになったが、己の心をしっかりと持つ事で魅了される事はなかった。

「――どこから聞こえてんだろーね」

「困ったわね…。」

 クレマンティーヌとレイナースは渋い顔をした。

 そこかしこを反響する声はこちらの穴から聞こえるようでも、あちらの道から聞こえるようでもある。

 ここはちょうど合流地点。三人が進んできた通路の他に三つも道がある。

「別れて探す?」

「いや、レーナースの剣はスライムに届きにくい。少なくともあんたは一人になれない。」

 クレマンティーヌのスティレットには魔法が込められているが、レイナースはルーン武器とはいえただの剣だ。彼奴らは切ったところで大した意味はない。

 クアイエッセはクレマンティーヌの隊長としての姿に一瞬顔を綻ばせた。

「じゃあ、ここは僕が――いや、私がやろう。二人とも下がっておいで。」

 一人師団としてそう言うと広くない下水道の脇道で両手をかざした。

「――わーったわよ。レーナース。下がりな。」

「わ、わかったわ。」

 急ぎクレマンティーヌのいる場所までレイナースが下がる。

 

「出ろ。ギガントバジリスク!」

 

 クアイエッセの背後に巨大な黒い穴が浮かび上がった。そこからは召喚されたモンスターが三体一列になってゆっくりと姿を見せ、ギョロリと白目ガチな目で辺りを確認した。

 ホールのように広かった合流地は一気に手狭になった。

「これが…旧法国、人類の切り札の一人…。最強のビーストテイマーの力…。」

 レイナースが喘ぐようにそう言うと、クアイエッセは静かに笑った。

 ギガントバジリスクは難度八十三にもなるモンスターで、蜥蜴や蛇にも似た全長十メートルもの巨体を持つ。

 クレマンティーヌならば一人で何とか一体とは良い勝負ができるだろうが、勝利を収めることができるかは別問題だ。

 ギガントバジリスクはなんと言っても石化の視線や人間を即死に追いやる猛毒の液体を有し、分厚い皮膚はミスリルにも匹敵する。蛇の王だ。

 そんな英雄級の存在でなければ倒すことが難しいギガントバジリスクをクアイエッセは最低でも十体は使役することができる。

 

 レイナースは憧れるような瞳を一瞬曇らせると「その漆黒聖典に…クレマンティーヌもいたのよね…」とちらりと自分の隊長を確認した。

「……あによー。それより、こんなでかいもん出してどーすんだっつーの。もっとコンパクトなの出すかと思ったってーのに。」

「ギガントバジリスクは巨体だけど、蛇のように狭い場所も容易に動ける。ゴブリンの住む洞窟内部の掃討にこれまで幾度となく使って来たからね。もちろん、早急に居場所を知らせる為にもクリムゾンオウルも喚ぶけどね。」

 クアイエッセは本気だった。

 神の名の下に行われる全ての戦いは聖戦。

 先程と同じように丸い闇を開くと、三羽の真紅のフクロウが飛び出し、三体のギガントバジリスクの横に並んだ。通常のフクロウと比べて二回りほど大きいが、ギガントバジリスクと並ぶと頼りないほど小さく見える。

 しかし、普通のフクロウではあり得ないような鋭い嘴に鉤爪――そして、人間のような不気味な瞳がただの鳥ではないことを物語る。 

「スライムを討伐しようとする冒険者達を探してくれるかい?ギガントバジリスクは冒険者を止めて、その間にクリムゾンオウルは私に居場所を知らせるんだ。さぁ、行って。」

 モンスター達はそれぞれ二匹一組になるとあちらこちらへ続く道へ滑らかな動きで吸い込まれて行った。

 

「じゃあ、少し待っていようか。」

 

 ギガントバジリスクは背に召喚主の声を聞きながら、冷たい水が腹に触れることを物ともせずに進んだ。

 暗闇は苦手ではない。相棒として割り振られたフクロウもそうだ。

 フクロウが超音波で辺りを確認しながらギガントバジリスクの前を弾丸のように飛んだ。

 入り組んだ下水道の中で、フクロウは別のチームと行き先がかち合わないように時折鳴き、自分の場所をレーダーのように報告しあう。

 ホー、ホー、ホー

 フクロウの人のような目は丸く開き、誰も向かっていない方へ向かう。

 永続光(コンティニュアルライト)はフクロウの目には少し明るすぎるので瞳孔がキリリと小さくなった。

 そして、フクロウは見つけた。

 ネズミ達が互いの尻尾を咥え、一列になって逃げ出していくのを。

 この先で何かが起こっているはず。

 ギガントバジリスクもフクロウの鳴き声の中聞こえ続ける歌声が確かに大きく、近くなっているのを聞き分けた。




フールーダ、番外ちゃんに殴られちゃう!!
脳味噌弾けそう!

次回#77 冒険の終わり

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