下風月 十五日 12:21
どこからか美しい歌が微かに聞こえる。
「これ、魔力を感じるけど神聖呪歌の声じゃないわよね。」
番外席次はネイアに尋ねた。
「多分違うと思います…。」
フールーダと共に調査を続けるレイモンや神官も顔を上げ、しばし耳を澄ませた。
「――違いますね。これは神聖呪歌の歌ではありません。都市内で一体誰が…。」
レイモンも違うと結論付けると皆厄介事続きだと唸るようだった。
そんな中、窓の外を
「ま、
番外席次の問いにフールーダは頷いた。
「夏に完成した紫色ポーションを更に神々の血に近付ける為の実験を行なっていたのですが、どうも失敗作を流していたことが原因のようですな。魔導学院と魔導省で行っている研究ですが、失敗作は何の力も持たないので。」
蓋を開ければなんて事のないつまらない理由だ。
「フールーダ様、今後はそのような物は紙か何かに吸わせて燃えるゴミとして出して頂かなくては困ります。
「反省しておる。まさかそんな事になっていようとは。」白く長い髭をしごくフールーダはそう言うと、ふと思った。「――とすると、エ・ランテルでも同じことが起きておるかもしれんか…。」
神官達と紫黒聖典二人の目に剣呑な光が宿る。
「エ・ランテルでもポーションの研究を?」
そんな細かいことまでは管轄違いのため当然レイモンは知らない。
「そりゃあそうじゃ!人の数だけアイデアと知識はある!!だから魔導学院でも学生達に研究に参加させておるんですからな。特に、紫色ポーションは神都の魔術師ではなく、エ・ランテルの薬師・バレアレが完成へ導いた物。そもそも魔法はこの世の理。知識を修めることとは――」
フールーダの長い説教を聞き流し、レイモンは紫黒聖典を手招いた。地下に潜っていない漆黒聖典は祝賀会の日の警邏ルート確認へ出ている。
本当は紫黒聖典のこの二人もそちらへ行ってもらって良かったのだが、番外席次がフールーダを一発殴るためについて来ていた。
真面目な顔をして気持ちよさそうに魔法について語るフールーダの頭には大きなタンコブができていた。
「先に大神殿に戻って
「かしこまりました。では、私達は行きます!」
「ネイア、早く。」
ネイアがいい返事をしていると、番外席次はもう扉へ向かっていた。
慌てて後を追い、魔導省を後にした。
下土月 十五日 12:38
「見つかったようだね。」
クリムゾンオウルが戻るとクアイエッセは一度自分の腕にそれを止まらせた。
「――ん?」クリムゾンオウルはまるで急かすようにクアイエッセを引っ張った。「…切羽詰まってそうだね。急ごうか。」
「はいよー。スライムが全滅させられたら最悪隣の市からもらって来なきゃならないしねー。」
「そんな事になったら神都が侮られるわ。」
クアイエッセの腕からフクロウが飛び立つと三人はその後を追った。
三人の鼻をポーションのような臭いがつくようになった頃、透き通るようだった歌声は枯れ始めていた。
「全くいつまで歌ってんだかねー。」
「スライムを呼び集めて一気に狩ろうって魂胆ね。」
水路には大量のスライムが所狭しとつまっていた。
「…ギガントバジリスクは戦闘不能にされたのかな。繋がりは絶たれていないから殺されてはいないけれど…。」
冒険者が歌い続けていると言う事は、ギガントバジリスクがスライム狩りを止め損ねていると言うことだ。
フクロウが直角に曲がる。
「そこだ!!」
三人が姿を見せた瞬間、歓声があがり、クレマンティーヌはドンッと小さな生き物が胸にぶつかったのを感じた。
「あ?」
見下ろせば、茶髪の坊ちゃん刈りの少年だった。
「冒険者さん!!シルバを助けてください!!」
「大人だあ!!」
水路には見たこともない巨大なスライムが詰まり、少年の足を掴んでいた。
そして喉を抑えて必死に歌う
ギガントバジリスクは命令と違う様子にどうしたら良いのか分からず、取り敢えず近くの水路から顔を出してクアイエッセにどうすればと言うような視線を送っていた。
クアイエッセは一先ずここまで案内してくれたクリムゾンオウルを再び下水道の向こうへ放った。
「……なんだこりゃ。」クレマンティーヌは呆れたように子供達を見た。「レーナース、切り離してやんな。」
「はぁ。冒険者どころか子供とはね。まぁ、確かに私達より
レイナースが抜剣し、スライムに近付いていくと、キンッと剣は閃きシルバの足はスライムに包まれたまま切り離された。
茶髪の坊ちゃん刈りは歌っていた
「ぺーさん!お疲れ様!もう大丈夫だよ!」
「っあ"ぁ〜!よかっだぁ!もう…歌えない。」
ぺーさんがガラガラ声で歌うのをやめた瞬間、硬直していた巨大なスライムは再びシルバに触腕を伸ばした。
「っうわぁ!!」
「い"、い"だ……い"だ……い"…。足抜げちゃゔよ"…。」
スライムはそう言いながら、自分の切られた部分を取り込み直し、シルバの足を再び捕まえた。取り込み直したところからはシュウシュウと白い煙が上がり、それはポーションの匂いがした。
「った、たすけてぇー!!ぺーさーーん!みっちーー!!」
溶けかけだった靴やズボンがボロボロと形を失っていく。
「なんだってーんだこいつ!?おい!ギガントバジリスクの毒牙を!!」
クレマンティーヌはクアイエッセに振り返ると、クアイエッセは優しい笑顔のまま答える。
「…スライムは減りすぎると困るよね。さぁどうしたものかな。」
神都のためになるなら、子供は死んでも仕方がないね。クアイエッセの言葉にはそんな響きがあった気がした。
クレマンティーヌだって別に子供なんか好きじゃないし、その子供が一匹死ぬ事で都市のためになるスライムが生き延びるならその方が良いと解っている。
しかし、レイナースの信じるような目が、クレマンティーヌにそうさせる事を許さなかった。
「――ッチィ!てめぇに期待した私がバカだったよ!!レーナ!!あんたがもっかい切ったら私が魔法叩き込む!!」
「解ったわ!!」
「やれやれ、クレマンティーヌは変わったね。」
クアイエッセはクレマンティーヌが魔法を込めているスティレットを腰から抜き出すのを眺めながら呟いた。
クアイエッセだって以前なら人間を救うためなら何でもしたろうに、神の通達ひとつで変わってしまった。
巨大スライムはレイナースの剣が怖いと解ったのか器用に体を変形させそれを避けた。
「これならスライムは殺されないで済みそうだね。さて、皆は一度帰ってくれ。」
クアイエッセは心温まる笑顔を作る。
漆黒聖典の仲間を迎えに行ったクリムゾンオウル以外の召喚したモンスター達との繋がりを断ち帰還を促していると、足音が三つ向かってくるのが聞こえた。
そして、再びクリムゾンオウルがクアイエッセの腕に止まる。
「おかえり、お疲れ様。君ももう帰って良いよ。」
「ホーッ。」
クリムゾンオウルが帰還すると同時に仲間は到着した。
「一人師団!冒険者と戦闘か!」
隊長達が来ると、クアイエッセは首を振った。
「おかしなスライムが出ています。あれは殺さずに地上に上げた方が良さそうなのですが、子供を一人食べようとしてます。」
視線を向けた先ではクレマンティーヌとレイナースがスライムと戦っていた。
「子供ぉ?あぁ、そう言う事ねぇ。解ったわぁ。神領縛鎖、お願いしても良いかしらぁ。」
神聖呪歌の微笑みに神領縛鎖は頷き両手を前に掲げた。
「ま、最初からある程度は調査のために連れて帰る予定だったしな!<縛鎖・改>!!」
背から大量の鎖が現れると、紫黒聖典などお構いなしに鎖は巨大スライムへ向かい、ギチリと捕まえた。クレマンティーヌの髪を擦り、レイナースの顔面すれすれを鎖が伸びていた。
クレマンティーヌはレイナースの目の前の鎖を見ると強い怒りが沸いた。
「っあぶねーな!!ちったぁやり方考えろや!!」
「考えてるぜぇ、疾風走破!誰にも当てやしない!!」
神領縛鎖が口角をニヒリと上げるとスライムはオォ……と唸り何とか抜け出そうと身をよじった。
神聖呪歌は胸の前で手を組んだ。
「さぁ、スライムちゃん。私の歌を聞くときよぉ!そこの坊やも、歌はこうやって歌うんだって覚えないとねぇ!」
神聖呪歌の歌がスライムの耳――耳があれば――に届くとスライムはぷるりと震えた。
セイレーンの少年もぽかんとそれを見た。「――テルクシノエ様とヒメロペー様みたいだ…。」
「――離しなさい。私達は国民を守る義務を負う神聖魔導国の守護者。」
美しい音色に乗せた命令が響く。
スライムはシルバの足をペッと吐き出した。
「っうわ!」
「シルバ!」「シルバー!!」
子供達は溶解液に触れて丸出しになってしまった、シルバの赤くひりつくような足をさすった。
「さぁ、地上に帰りましょうねぇ。」
神聖呪歌は歌う事をやめたが、その効果はぺーさんの歌のように切れたりはしなかった。
魅了されたスライムは神領縛鎖に引きずられた。
スライムに巻き込まれないようにクレマンティーヌは子供二人を小脇に抱え、レイナースも子供を一人抱き上げて急いで後を追った。
「疾風走破、無闇矢鱈と殺せば良いってもんじゃない。」
漆黒聖典隊長の言葉に、クレマンティーヌは子供を下ろすと不快げに答えた。
「そこの野郎が子供なんか死んでも良いみたいなことを言うから仕方なくやったんだっつーの。」
「やだなぁ。僕はスライムは減りすぎると困るって言っただけだし、皆無事じゃないか。」
クアイエッセの微笑みにレイナースは確かにと笑い返したが、クレマンティーヌは知っている。
あのタイミングで漆黒聖典が来ていなければ子供は食われ溶かされていた事を。
クレマンティーヌが睨みつけていると、クアイエッセはクレマンティーヌの乱れた髪を直した。
「触んな!!」
「クレマンティーヌ、僕はタイミングを見極められないほどもう愚かじゃないよ。すまなかったね。」
かつては愚かだったと言うような言葉だった。クレマンティーヌの不愉快な気持ちは行き場を失った。
「っち!むしゃくしゃする!」
そう言うとクレマンティーヌはレイナースの背におんぶされるように飛びついた。
「っキャ!何なのよクレマンティーヌ!重いじゃない!」
「うっさい。レーナースがあんな目で見たせーでこっちは無駄に労力使ったんだから帰りは運んで。」
「もー!クレマンティーヌ、太ったわよ!!」
「あぁ!?」
子供達はいかにも優しげな神聖呪歌にあれやこれやと話していた。「あらあら。まぁ、うふふ。」と答える神聖呪歌は話の半分は聞いていないだろう。
クアイエッセは重そうにスライムを引きずる神領縛鎖から、何本か鎖を受け取り共に引っ張った。
「っはぁ…あそこから出るしかねぇのかな。」
「多分ね。一時間は歩かないとダメかな。」
「やんなっちゃうねーまったくよぉ…。」
「ふふ。――エドガール、クレマンティーヌは変わったね。」
「…クアイエッセも変わったんだから、変わるもんでしょーよ。」
クアイエッセは嬉しそうに笑った。
一行の歩いた後は巨大スライムが汚れをこそげ取り、下水は新品のように綺麗になった。
「あ!お役人様達!」「お役人様〜!」
帰り道で案内をした
「こりゃしゅごいですのう。」「見事見事。」
「このスライムがいなくなればすぐにまた元の下水に戻るだろう。もし何かまたあったら――手紙でもなんでも送ってくれ。」
「ほほー!わかりました。」「そりで、良かったら下水街を見ていかれましぇんかな?」
そう誘ったのは先ほど案内してくれたのとは別の
しかし、やはり聖典は下水街の案内を断り、子供達は嘘をついた事を謝罪した。
水路を出ると、大量の
聖典から歌声とスライムの説明をすると、
立ち去り行く背は妙に人間臭く、聖典たちは目を見合わせて少し笑った。
どこにでも良くある、普通の冬の日の午後だった。
「さーて、うんじゃ、ガキ共は親に迎えに来てもらおーかねー。」
クレマンティーヌの言葉に子供達は今までで一番恐ろしいとでも言うように背を震わせた。