下風月 十五日 14:47
「下水の巨大スライム?…そんなものの報告までいちいち必要ないわ。」
神都にいる
これまで
アルベドは
今日も執務に勤しむ至高のパパは大真面目な顔で書類に目を通して――いる振りをして妻と子の触れ合いをチラチラと見ていた。執務室の一角にあるナインズプレイコーナーでフラミーとナインズが遊んでいる。ナインズは一歳を目前とし、「ちょうだい」と手を出すと持っている物をくれる程に言葉の意味が分かってきていた。
頬杖を付き、書類に目を滑らせるアインズはそのまま口を開いた。
「何だ、スライムがどうかしたのか?アルベドよ。」
「アインズ様。聖典が下水に生まれた巨大スライムを魔導省に連れ帰ったそうです。なんでもポーション製作チームが下水にポーションの失敗作を流して育ったとか。因果関係の調査実験をしようとしたところ、それが知能を持つ初めての
アインズは書類を机に下ろし、立ち上がった。
「なるほど。私が見に行こう。」
是非見てみたかった。
「しかしアインズ様!至高の御身が下水の下賤なスライムにお会いになるなど!」
「アルベドよ、この世の生に貴賤はない。そのレア――んん。スライムは私が確認しよう。」
そこまで言うとナインズのたっちの手伝いをしていたフラミーが振り返った。
「スライムかぁ。私も行こうかなぁ!」
アルベドはフットワークの軽い支配者二名を困ったように見た。
「しかし…平伏する事も知らない生き物でございます…。」
「アルベド――」
守護者達の崇拝の気持ちはもうよくわかっている。だからこそどうやればうまく説得できるのか、アインズは困った時の苦笑いを――執務中につき骨なので顔は動かないが――浮かべる。
「アインズ様、そのお顔はずるいです…。」
少し頬を赤く染めたアルベドの呟きにアインズは人じゃ無かったよな、と己の顔を触った。確かにアインズは骨だった。
「む?そうか?」
「はい…そうです…。」消え入りそうな声を出したアルベドは下を向くと、はぁ、とため息をついた。顔を上げた時にはいつもの彼女に戻っていた。「畏まりました。なによりアインズ様とフラミー様のお言葉は私の全てでございます。喜んで従わせていただきます。」
「…感情ではなく理性で従って欲しいのだがな。」
「であれば問題ございません。私など御身がお持ちの知識の一欠片にも及ばぬ程度しか物を知りません。御身が確認されるのが一番いいと本当は解っております。」
「……そうか……ならば良い。では神都に出るぞ。」
そう言うとナインズ当番にナインズを任せたフラミーを腕を広げて迎えた。
子供を産んだフラミーは以前より柔らかい。特にやらしい――いや、やわらかい部分を触らないように気を付けて抱き上げた。
付き合う前に触れ合っていた時は――小さかった胸と言い、どちらかと言うと少女のような触り心地の彼女だったが、今では出産した為か成熟した肉体の柔らかさがある。
骨の身に染みてくるふわふわの温もりにアインズの頭の中にはお花畑が広かった。
(それにしても柔らかい!)
ナインズに取られがちな
フラミーのハーフアップのお団子にしている髪から漂う香りがアインズの鼻腔をくすぐる。近頃フラミーはこのお団子とロングヘアを合わせた髪型で過ごすことが多い。
「――ん?」
いつも落ち着く香りが漂うが、今日のフラミーは少し違った。甘く初めて嗅ぐ匂いだ。
何の匂いだろうかと嗅いでいると、フラミーはアルベドを手招いた。
「アルベドさんも来ますか?」
「宜しいのでしょうか?アインズ様とフラミー様とおデートなんて…。」
「で、デートではないですけど…宜しいですよ!ねぇ、アインズさ――アインズさん?」
アインズは腕に座らせるように抱いているフラミーの胸に鼻骨を近づけて匂いを吸い込んだ。
「えっち。」
コツン、と頭蓋骨を叩かれるとアインズは顔を離した。
「あ、いえ。すみません。何かいつもと違う匂いがするなぁ…と。」
「うらやましい…。」
アルベドの横槍はフラミーの匂いを嗅げる事なのか、アインズに匂いを嗅がれる事なのか、どちらが羨ましいのか分からなかった。
「あ!よく分りましたね。これね、タリアトさんが羽のお礼だって送ってくれたヘリオトロープの香油、ぬってみたんてす!焚いても良いそうなんですけど、こことね、ここと――ここ。」
フラミーは首筋と手首を指差すと最後に胸元を示した。
それを聞くとアインズはアルベドにぴっと手を挙げた。
「………お前はここで少し待ってなさい。」
「畏まりました。」
「アインズさん?」
アインズはフラミーを連れて寝室に入った。ぱたりと扉が閉まる。
アルベドは中で起こっていることを想像して鼻を抑えた。
「フラミー様ったら…大胆!」
なんと良い挑発の仕方だろうと悪魔の王が連れ込まれた扉に羨望の眼差しを向ける。アルベドもそろそろ香水を変えようかと思った。
そして一時間は掛かりそうなのでアルベドはナインズのお絵描きに付き合った。
下風月 十五日 16:11
魔導省に子供達の親が引き取りに現れたのは到着から一時間ほどしてからだ。
三人はそれはそれはこっぴどく、これでもかと叱られ続けており、お揃いのタンコブを頭に飾った。
目の前の巨大スライムを絞るように成分を採っているフールーダも大きなタンコブがあり、スライムが暴れたりしないように見張っている聖典達は笑いを堪えて震えた。
スライムは狭い下水で見ると二メートルや三メートルもあるように見えたが、地上で見れば大人の男くらいの大きさだった。それでも、子供達には驚異の大きさではあるが。
「下水に入っちゃいけないって何回言ったら分かるの!!」「聖典が来て下さらなかったら全員死んでいたかもしれないんだぞ!!」「自分達のやることに少しは責任を持ちなさい!!」「
親からの言葉を神妙な顔をして聞く三人の頭の中は今回の素晴らしい冒険と聖典の圧倒的な力でいっぱいだった。
ただ、三人は冒険者よりも聖典の方がカッコいいと確信したと言うのに、聖典が普段何をしているのか分からないし、英雄譚などもない為に困った。
その困りが、神妙な顔の正体だった。
そして、ふとみっちーが目を見開くと、シルバとぺーさんもそれに続くように目を見開いた。
「あなた達聞いてるの!」
「か、かみさま…。」「神様!!」「陛下…。」
「ふざけてないで――」
「賑やかだな。どれ、見つかったスライムを見させてもらおうか。」
深い声音に親達はひっくり返るような勢いで振り返った。普段であれば、子供が「神様」と呟いたとしてもその背後の正体が神だなんて思いはしないだろうが、ここは魔導省だし、神に仕えし聖典に神官、生きた伝説のフールーダ・パラダインまでいるのだ。
聖典達は即座に膝をつき、唐突に現れた神々に低頭した。
「皆さん楽にして下さいね。」
女神の厳かな声が響くと聖典は立ち上がり軽く足を開いて"休め"のポーズをとった。
神々の降臨は雲が渦巻いて光が空から落ち、吸い込まれるような暴風をもたらすかと思いきや、音もなく闇が開いただけだった。
しかしディミトリーがシルバとラーズペールと共に書いた冒険記にはそう記された。事象では起こらなかったが、彼らの目には確かにそれが見えたから。
「ところでこの子供達は何だ?」
「下水に入って遊んでいたところ、このスライムに喰われそうになっていた子供達です。」
「何?」
隊長の答えにアインズがそう言うと、親達は倒れるような勢いで謝罪した。
「つ、次からは決してさせません!」「陛下、申し訳ございませんでした!!」
親の必死な言葉を無視し、アインズは子供を手招いた。
叩かれるのか、すごい魔法を放たれるのか、地獄行きを宣言されるのか分からず、子供達は恐る恐る近寄った。
誰も殺されるなどとは思っていないが、全員胃がひっくり返りそうだった。
「遊びで下水に入ったのか。」
「は…はい…いえ、冒険に…。」
シルバの言葉に続くようにラーズペールとディミトリーは冒険の一切合切を必死になって話した。
暗く深い水路、生きたまま食べられてしまったネズミ、友人と毛布を分け合って食べた昼食、未知の水の流れ、卵の殻の大航海、待ち構えていた脅威。
熱心に話してるうちに三人は興奮し始めていた。
「そ、それで!みっちーはシルバを助ける為に陛下方のお力を借りて魔法も撃ったんです!!」
怒られるかもしれない瀬戸際だというのに、少年たちは誇らしげだった。
ふむふむと全てを聞いたアインズは楽しげに笑った。
「そうか。友人と冒険するのは素晴らしい。知らないことを知ると言うのは良いことだ。いつかお前達も大人になり冒険に出るだろう。ただ、それは冒険者としてではないかもしれない。シルバ、お前の父は我がナザリックの第九階層と第十階層の危険を取り除きにきた。口を開けて我がナザリックを見ていたぞ。」
シルバの父親は恥ずかしげに――しかし、覚えられていたことに感動し顔を綻ばせた。
「ラーズペール、お前の父は今まさに神官になる為に知らない世界を学んでいる。神官は私の国に於いて無くてはならない存在だ。ディミトリー、お前の母は自分の全てをお前に託しているんだろう。世界には常に未知が溢れている。場所は違うが皆冒険の最中だ。全員精一杯冒険して知るが良い。この世界の美しさを。――しかし、死は平等だ。死に急ぐような真似はするなよ。」
「は、はい…陛下…。」「かみさま…。」「わかりました…陛下…。」
アインズは親らしいこと言ったな〜と自分を褒める。友達と冒険するなんて最高の思い出ではないか。
できれば自分もそうしたかった。ナインズも泥だらけになって傷だらけになって外の世界で大きくなると良いと思う。
フラミーが外の学校に通わせたいと言っていたが、アインズも賛成だ。たくさん友達を作ってほしかった。
「さぁ、話は以上だ。フラミーさん。」
微笑んで話を聞いていたフラミーを手招く。
至近距離で神を見上げていた子供達はスライムに近付いて行く神を静かに見送った。ラーズペールは一度スァン・モーナで友達と遠くから神々を見たが、その時は神と知らなかったし、改めて神々だと分かってこうして言葉を交わすと凄まじい感動が渦巻いた。
「ふむ。なるほど、確かに大きいな。それにどうもポーション臭いようだ。神聖呪歌、神領縛鎖。鎖と魅了を一度解け。」
「み"み"りょ……どげ…。」
スライムが復唱すると神々の後ろについてきて居たアルベドが一発軽く平手打ちした。しかし、音はパンではなくバチコーンと言ったところだ。間違いなく人外の腕力だ。
四年生ともなると守護神の名前も顔も皆知っている。授業で習う為だ。習った通り、美しい慈母の笑みを浮かべているが――アルベドは少し怖そうだった。
「知性があるなら今は静かになさい。」
スライムは途端にぐったりとし、何気なかったはずの平手打ちの重さに子供達は目を剥いた。スライムは殴打も斬撃も大して効かないと言うのが常識だから。
「…では拘束を解かせていただきます。」
「お気をつけ下さいませぇ。」
神領縛鎖がパチリと指を鳴らし鎖を解くと、神聖呪歌も歌って魅了を解いた。
――オォーーーン
スライムが唸るとビリビリと空気は震え、一番近くにいるアインズに触腕を伸ばした。
「<
アインズに肩に触れた触腕はまるで高熱のものに誤って触れたかのように荒ぶりすぐさま離れた。
スライムはアインズが一歩進むごとに恐怖するように引き下がって行く。
震える体は波打ち、絶対強者を前になるべく小さくなろうと必死だった。キュウキュウと鳴き声を上げる様子は許しを乞うようでもある。
「ふむ、お前は私の言うことが解るか?人に危害を加えてはいけないと理解できるか?」
「お"ま"…り"がい…が…?」
「理解できるならば、はい、だ。」
「りが…ば…ばい"だ。」
「――ふーむ。」
親鳥の鳴き方を真似するようなスライムは、犬以上の知能があるともないとも断ずることは難しそうだった。赤ん坊に問いかけ、「はい」と言わないからと言って知的生命体ではないと言うのは愚者の行いだろう。
「神よ。これを。」
「どうした、フールーダ。」
アインズはフールーダの差し出す水色のぷるりとした液体を見た。
「これはそのスライムから絞ったスライム油なのですが、こちらをご覧ください。」紫ポーションに一滴垂らすと、紫ポーションはわずかに赤に近付いた。「――色だけ近付いても無意味ではありますが、そやつは使えるかもしれません。」
「なるほど。――……これは似ているな。」
そう言うとアインズはぬぷりと粘度のあるスライム油に指を浸した。
そしてフラミーを手招きそのぬめる指を見せた。
「どう思います?」
指からはねっとりと液体が垂れ、僅かに発光している。
「…このエフェクト、ゾリエ溶液に似てますね。」
アインズは頷いた。
「ゾリエ溶液の代わりになるなら、後はリュンクスストーン、ヴィーヴルの竜石、黄金の秘薬の代替品が見つかれば赤ポーションも夢じゃないかもしれません。」
リュンクスストーンは治癒系の効能を強める効果があり、ヴィーヴルの竜石は属性ダメージ量の増大という効果がある。ユグドラシルではよく見るエンチャント用素材であり、赤ポーションの原材料でもある。他にも色々な材料を用いて作られるが、今代わりの品が見つかっておらず、赤いポーションに近づける為に必要なものはこの辺りだろうと思われた。
二人は頷き合った。
「フールーダ、こいつは強者に従う事は知っているだろう。うまく懐かせられるか。」
「餌をやる事でうまく懐かせてみせましょう。食事をくれる不可欠の存在だと解ればなんとかなるやもしれませぬ。」
餌は糞尿や食べ残しなので特別予算も不要だろう。
「よし、お前の下で責任を持って管理と教育をしろ。もし言葉をまともに話すようになったら扱いは労働者に変わるから注意するように。それから、このスライムから取れる油が有用だった場合は下水から何匹か
「ははぁ!」
フールーダのどこか熱苦しい返事を聞くと、アインズは頷き、フラミーはフールーダの頭を注視した。
「……ちなみにその頭どうしたんですか?」
フールーダは巨大タンコブをさするとなんとも言えない顔をした。
「い、いえ。なんでもございません。」
「そうですか…?」
フラミーは特別回復してやる事もなく、巨大スライムに近寄っていくとぷにょぷにょとつついた。
「…可愛い。あなたはサニー。お名前だよ。言ってごらん。サニー。」
「お"な"ま"…ざに"…。」
子供達と親達はその様子を心を奪われたように見ていたが、途中で神官達に咳払いをされると、ハッと我に帰り、何度も頭を下げ全員が夢見心地に帰路についた。
親達は親達で神が直接子に言葉をかけてくれるなんて、素晴らしい体験をしたと思った。
「…父さま、僕、神官になれるかな。」
ぺーさんがそういうと、同じく翼を背負う父親は頷いた。
「なれるよ。私がなれるくらいなんだから。」
みっちーも母親の手を握り締めた。
「僕、絶対特進科に入るよ!それで、ポーションの製造に携わってまた陛下にお言葉をかけてもらう!」
「そうなったら、お母さんも鼻が高いなぁ。」
そして一人後方を歩くシルバは父親に激突した。
「父ちゃぁん。オレも父ちゃんみたいな設計士なれるかなぁ。」
「ははは。父ちゃんは特別すごいからなぁ!」
「えぇ〜。ねぇ〜父ちゃん〜。」
「一生懸命勉強するんだな!」
神聖魔導国は今日も信仰と冒険に溢れていた。