「……これで七人目。まさか
エ・ナイウルにある光の神殿――かつては土の神殿だったものだ――の神殿長であるジーマ・クラスカンは呟いた。
この数日、
神官達は具合の悪そうな
殆どの病気を瞬時に癒す事ができるこの魔法だが、何事にも一部例外というものがあり、今
彼らの罹っている猛病と言う特殊な病気や、呪いの効果がついた<
より上位の治癒魔法である、第三位階の<
しかし、<
辛そうな呼吸音が神殿の治癒室に響く。
「困ったな…。」
ジーマが呟くと、
「クラスカン様、旧王都に高位の神官を送って欲しいとフロスト便で手紙を送りましょうよ。もし旧王都の手がいっぱいなら、聖ローブルに――ん?」
ラライが最後まで言い切る前に、寝かされている
「だ、大丈夫です…神官様…。寝ていれば……良くなりますから……。」
完治させることはできないが、<
「良くなったら…評議国に一度帰り――ッゴホっ!!」
長く話そうとすると咳き込んでしまう様子に、やはりこれは良くないとラライは思い直す。
「やはり神官を呼び出す手紙を書きます。今のままでは評議国に戻ることも難しいでしょう。このままでは治癒も難しいです…。」
ゲホゲホと咳をし、弱々しく首を振る。その一回一回の咳ごとにどんどん命を吐き出しているよな気がし、神官達は気が気ではなかった。いや、事実命を削っているのだ。
少しでも呼吸が楽なように<
「で、でも…ッゴホッゴホ!」
二人のやり取りを見ていたジーマは心配そうな顔をしているラライの肩を叩いた。
「ラライ君、これ以上は話すことも難しい。それに、患者の了解なく別の都市の神官を呼び出すことはできない。」
「し、しかしクラスカン様…。」
「治癒魔法には治療代を貰わなくちゃならない。高位の神官を呼べば治療代は大きく膨れる。」
「大きくって言ったって、そんな大した額じゃ――」
ラライはそこまで言うと、全てを理解したようにハッとした顔をした。
「クラスカン様…まさか…。」
「――そう。評議国は属国だが、神聖魔導国の治療システムは受け入れていない。彼らは治癒に関わる税の払いをしていないんだよ。我々と同じ値で治療を受けることはできないんだ。ラライ君はまだ神官になったばかりだから想像が付かないかもしれないけれどね、五年前にリ・エスティーゼ王国が神聖魔導国の属国へと変わる前までは治療には莫大な額がかかっていたんだよ。特に――猛病は。」
五年前に王国が属国になった時、その治療システムはガラリと変わった。しかし、評議国は属国と言っても、旧王国や旧帝国とは異なる形態をしている。
神聖魔導国のあらゆるシステムを次々と受け入れた両国家とは違い、様々な事を断っているのだ。聞き及ぶ話によると、属国化に伴うあらゆる擦り合わせが難航したらしい。
結果、彼らは同じ神殿システムの中にいる者とは違い、評議国の者の治療には国から補助金が出ない。
かつて猛病の治療には、非常に高額な報酬が必要だった。その金額は普通の者がどれだけ努力しても通常の手段で稼げるとは思えないような額で、もし稼ぐとしたなら、冒険者――いや、ワーカーになるしかなかった。
評議国では今でもその額が生きているのだ。
評議国は単一種族国家ではない為、それぞれの評議員が違う思惑の中におり、寿命もバラバラだ。短命種は長命種の治療費を税で払うような真似はしたくないし、治療費で食っている魔法や製薬錬金が得意な亜人は報酬を縛られる事を嫌う。
それに、評議国は「戦争をしない為に仕方なく属国になってやっている」と言うスタンスを崩していない為に信仰心も無い。――そんな彼らにも治癒魔法の力を光の神が与えている慈悲深さには頭が下がる思いだ。
もちろん神聖魔導国は自由な信仰が許されているので誰も文句を口にはしない。
では、慈悲を掛けて無償で治してやるかと言うと、神官達も彼らから治療代を貰わずに治すことはできないのだ。どの神殿にも一人は
それは、無償治療を見張ると言うよりは、多く貰いすぎていないかを見張っていると言う方が正しいかもしれない。普段、怪我をした子供などが泣いて神殿に訪れたりすれば無償治療をしてやる事もあるのだ。とは言え、無償治療も大々的に行えば注意や処分を受けることになるだろう。
ここの神官に<
もしこれだけ大掛かりな事を無償で行えば国中の猛病の患者達を無償で治さなければ不公平だと非難が殺到してもおかしくはないだろう。
では、神聖魔導国民と同じ額での治療をすれば――と思うが、それもまた、評議国に住む多くの亜人達が安い治癒を求めて国境の神殿に殺到するようなことになりかねない。ここに大量に来られても困る。
解決にはやはり、評議国に変わってもらうしかないのだ。
ジーマはラライに告げる。
「しばらく様子を見て、それからもう一度考えよう…。」
<
「……わかりました。」
ラライがそう返すと、聞き耳を立てていた神官達も静かに作業へ戻った。
「光神陛下…どうかご慈悲を。」
ジーマの祈りは咳に掻き消された。
「ナイくーん、今日はかぼちゃとお豆のミルク煮ですよぉ。」
自室のミニキッチンで、フラミーは鍋に浸る木ベラに<
今日は若干の腰痛はあるが調子がいい。座り続けていると気が滅入るので、フラミーは久々に夕飯の用意をしていた。
「おまめぇ?」
「そー、お豆。甘くて美味しいよぉ。」
「おまめおいしいお!」
ナインズはとびきりの笑顔でフラミーの真似をした。
「ふふ。アインズさんを呼ぶ前にお片付けしようね。」
「おたかづけしようね。」
ナインズはお絵かき帳を閉じ、クレヨンをしまうとナインズ当番に「はいっ」と渡した。
当たり前のように受け取り、ナインズ当番がナインズボックスにお片付けをする。
フラミーはその様子を見て眉間を抑えた。ここ一月、コキュートスやナインズ当番に任せてばかりであまり細かいところまで見てやれていなかったが、息子は生粋の支配者になろうとしている。
(小学校行く前に…幼稚園も行かないとダメかもしれない…。)
しかしそんなものは作っていない。保育園は民間で自然と出来上がり、親達が働いてる間に子供を預けたりしているようだが。
「ナイ君、クレヨンしまったのは偉かったけど、最後まで自分でちゃんとお片付けしよう?」
「おたかづけ、した。」
「フォスに渡すのはお片付けじゃないでしょ?」
「ほす、したいって。」
ナインズが控えるフォスを指差す。
フラミーもこれまで何度も「私がやります」「やらせてください」「そうあれと作られました」と言われ続けて来て、多くを頼んでいる。親がそうしていれば子もそうして当然だ。
ナインズ当番とフラミー当番は何がいけないのだろうと困ったような顔をしていた。
これは夜にでもアインズに相談するべきだろう。
「…取り敢えず、アインズさん呼びに行こっか。」
フラミーが手を伸ばすと、ナインズはそれを取り、二人はアインズの部屋へ向かった。ナザリックは相変わらず教育に関しては最弱の場だ。
フラミーがノックしようとすると、ナインズがそれを止め、小さな手で扉を叩いた。
細く扉が開かれると、ナインズはぎゅうぎゅうと扉を押し、アインズ当番が慌てて扉を開く。
「おとうたま!おとうたま!!」
ナインズがもちもちと駆け込んで行くと、フラミーは疲れたような顔をして後に続いた。
「九太、来たな!フラミーさんに苦労を掛けてはいないだろうな?」
骨のアインズは寄ってきたナインズを抱き上げ、膝に座らせるとふさふさになった頭に鼻骨を埋めた。ナインズとフラミーの匂いがする。
「アルベド、今日はここまでだ。片付けておけ。」
アインズは筆記用具を片付け、ノートや資料に重ねた。
「かしこまりました。後はお任せください。」
アルベドが机の上の物の片付けを始める。
「きょう、ここまでだ。」
ナインズが真似をすると、アルベドもアインズも微笑ましいような顔をし、フラミーはぶんぶんと首を振った。ナインズのお片付けはこれと全く同じだった。
「ナイ君、お父さんは遊んでてお片付けしてもらってるんじゃないの。このお片付けはアルベドさんのお仕事だけど、遊んだお片付けは自分でしないと。」
ナインズは言われている意味を理解しようとしているのか、ぐりぐりと自分の頭を両手で触った。
「明日はお母さんがお手伝いしてあげるから、一緒にちゃんとお片付けしよ?」
ぐぬぐぬ言うナインズの様子に、アインズは無用な瞬きを数度し、自分の膝に座るナインズを覗き込んだ。
「九太、お片付けしてないのか?」
「おたかづけ、した!」
「お前がしたのか?」
「ほす、したぁ!」
ナインズが本日のナインズ当番を指差す。
アインズは納得すると、自分の机の上からアルベドが回収しようとする資料に手を置いた。
「アルベド、やはり片付けも私がやろう。しまう場所を教えろ。」
「しかしアインズ様。書類整理など至高の御身がされるような事では――」
「私がしようと言うのは書類整理であって書類整理ではない。ナインズの教育だ。今はフラミーさんも体調が万全ではないのだ。私が教えねばならん。」
アルベドが渋々と言った様子で手を引くと、アインズはナインズを抱いたまま立ち上がった。
以前ナインズの教育方針を知恵者三名に納得させた時には非常に胃が痛い思いをした。しかし、そのくらい出来ずに何が支配者か、何が父親か。
「ナインズ、少しでも多くのことをできるようになれ。お前はもう兄になるのだから。」
「あにぃ?」
「そうだ。フラミーさんのお腹も大きくなって来ているだろう。あそこにはお前の妹が――守らなければいけない者がいるんだ。フラミーさんは今も不調な日があるが、これからもっとお腹が大きくなれば座っているのも辛くなる。その時、ナインズもフラミーさんを手伝えるようになっていなくてはいけない。手伝われるだけの男になるな。」
ナインズにはまだ難しい言葉達だが、仲間にナインズを一日も早く社会人――大人にすると誓っているアインズは真剣だった。
「もちろん私も多くのことを手伝われて暮らしているがな。しかし、手伝われて当たり前だと思ったことは一度もない。私はフラミーさんにもアルベドにも、当番のメイド達にもいつも感謝している。さらに言えば、ナザリックはここにいる者以外にも、多くの手で支えられているんだ。私はそう言う日の目を見ない者にも、いつも深く感謝しているのだ。」
アルベドはうっとりと頬を染め、メイド達は目元をハンカチで拭いながら聞いていた。
「当たり前に手伝わせるな。出来る限りは自分で行い、止むを得ず手伝わせたときには感謝しろ。できるな。」
アルベドが無言で差し出す箱に書類を仕分け、指示に従い片付けを進める。ナインズはその手元を眺めた。
難しい言葉の羅列を前に、混乱している、と言う様子だ。しかし、彼なりに何かを懸命に考えているというのが手に取るように分かった。
「ナインズ、手本になる兄になれ。」
「あに?」
「そう、兄だ。」
ナインズは難しい顔をすると取り敢えず「あに」と呟いて頷いた。
「――さぁ、私はもう少しお片付けをするから少し待っていなさい。」
ナインズはアインズに下されるとソファで待っているフラミーの下へ戻った。
「おかたま。ないくん、あに?」
「うん。ナイ君はお兄ちゃんになるんだよ。」
フラミーは小さな頭をさらりと撫でた。
次回#3 友の亡骸
毎日コロナの話を見てるとコロナで頭がいっぱいになりますよね。
せめてお話の中でくらい病気をやっつけてやるぜ!!
試されるジルクニフ編の帝都で、モモンの幻覚を見破ったジエット君のお母さんも猛病でしたよねぇ
しかしモモンの神様フェイスを見た彼って生きてるんだろうか。
オシャシンも出回っちゃったし、記憶を書き換えられたかな…?