眠る前にも夢を見て   作:ジッキンゲン男爵

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#106 治癒隊

 峻烈な山々の間に、羽ばたく二十名ほどの蛾身人(ゾーンモス)の隊列があった。

 うなるような激しい風に身を任せ、一気に山の頂へ登り、垂直に切り立った岩棚を右に左に見事に避けて滑空して行く。

 

 下から隊列を見上げた者は皆驚き、その()に見つからないように身を隠した。

 

 この山の上には霜の狼(フロスト・ウルフ)凍眼(コールドアイ)と言う知能の低いモンスター達が暮らしており、好き好んでこの山を登る者はあまりいない。今では見ないが、五年ほど前ならば霜の竜(フロスト・ドラゴン )が狩りをすることもあった。

 

 皆整備された山間の道を行くが、蛾身人(ゾーンモス)には関係のない話だ。

 

 広げた羽は下から見上げれば竜の目、上から見れば真っ白で雪山に溶ける。昔からこの辺りに暮らしてきた蛾身人(ゾーンモス)の身体的特徴が彼らの身を守る。

 

 深い谷を渡り、真っ直ぐ神聖魔導国、エ・ナイウルに向かう。

「天気も上々、夕暮れ前には着けそうよな。」

 箪笥のように見える大きな薬箱を体の前に抱えるケル=オラは上機嫌に地図を広げた。

 この治癒隊たったひとりの女で、皆煌びやかな格好をしていると言うのに一人だけ非常に質素な格好をしている。蛾身人(ゾーンモス)は男が着飾る種族だ。

 

「うむ。山からいい風も吹いている。」

 応えたのはイル=グル。

 評議員のリシ=ニアよりこの隊の長を任命された男だ。イル=グルはこの隊でただ一人神聖魔導国に行ったことがあった。

 ザイトルクワエ州エ・ランテル市で珍しい紫色のポーションが完成したと風の噂で聞き、神聖魔導国が作った直通街道の上を飛んで行った。

 結果、珍しいポーションは販売が始まるまでは見せられないと断られてしまったが、霜の竜(フロスト・ドラゴン)にザイトルクワエの頂上でお茶を振る舞われたり、飛竜(ワイバーン)を初めて見たりと中々面白かったらしい。

「片が付いたら何か土産でも物色したいものよ。珍しい花か蜂蜜がいいだろうか。」

「特産のものなら何であっても喜ばれるであろう。そら、もうひとっ飛びだ。」

 国費で行ける小旅行だ。しかも金も稼げる。

 治癒隊は楽しげに笑い、目的の都市を目指した。

 

 評議国を取り囲む山を越え、しばらく飛ぶと全員に聞こえるようにイル=グルが声を張り上げる。

「皆、一度降りようぞ!」

 全員がそれに従い、高度を下げて行く。

 

 足下には神聖魔導国との国境に置かれる関所。そして空中には集眼の屍(アイボール・コープス)

 関所の前には魂喰らい(ソウルイーター)象魚(ポワブド)が並び、評議国では中々お目にかかれない光景だった。

 象魚(ポワブド)魂喰らい(ソウルイーター)が隣に着くと、少しだけ身を固くするが暴れる事はなかった。

 

「ここから先が神聖魔導国かぇ?」

「その通り。ここを抜けたらまた飛んで行く。皆、この列を待っているうちに服を脱ごうぞ。」

 十九名が頷く。

 山を超えて来て、高度を保っていた間は涼しかったが、地上は炎熱の太陽に照らされ地表に陽炎(かげろう)が踊るほどに暑かった。

 

「これは病にかからぬ方がおかしいな…。」

 ケル=オラは苦笑を漏らし、涼しかった上空を仰ぎ見る。

 評議国はここより北にあるためもう少し涼しかった。真夏でもこれほど暑くはない。

 視界の端には関所に続く列。早く空に上がりたい。

 

 ケル=オラは鬱陶しそうに首回りに生える白い毛を結び始めた。何本も三つ編みを作り、少しでも風通しを良くする。

「これ、ケル=オラ。女がそのような格好をして。」

「そう言うでない。このご時世、女だからどうこうなど馬鹿馬鹿しい。」

 

 黙々と結び、完成する頃には大量の三つ編みのせいでウニのようになっていた。男ならばお洒落でそうするのも普通だ。しかし――他所の種族達は良いとして――蛾身人(ゾーンモス)達にとっては女が着飾る事はあまり歓迎されない。

 

「女をそんな格好で連れ回していては我の神経が疑われよう…。」

 

 本来蛾身人(ゾーンモス)の女は家で花でも育てて優雅に暮らしているべきだ。男は女に楽をさせ、外で必死になって働く。

 しかし、女が外に出る時には「こんなにいい暮らしをしている」と見せ付けるような振る舞いははしたないとされ、質素な格好が好まれる。代わりに男は目一杯着飾り、女達に自らをアピールしたり、その有能さの証とした。

 

 そう言う訳で、イル=グルが困ったような顔をするのは当然の事なのだが、ケル=オラはどこ吹く風だ。

「このままでは日光で死ぬる。それより――イル=グル殿。人間が呼んでおるぞ。」

「むむむ、順番か。皆少し待っていてくれ。すぐに手続きを済ませて参る。」

 イル=グルは抱えていた薬箱を下ろし、タスキに掛けていたポシェットからリシ=ニアに持たされた通行証を取り出すと、人間の下へ行った。

 

 小鳥たちがさえずるのを聞き流してイル=グルが戻るのを待つ。

 

「ケル=オラ、ケル=オラよ。」

「――どうかしたかぇ?」

 声をかけてきたのは治癒隊の一人だ。

 

「リシ=ニア殿が治癒費は自由にして良いと仰ったが、治癒費は皆で同じ額にしようと先ほど飛びながら決めた。今治癒費の表を作っているから、ぬしもそれに則るよう。」

 ケル=オラはその男の向こうで数名に囲まれながら表の作成に勤しむ者がいるのを見た。

 

「嫌だと言ったら?」

 顔の半分はあろうかと言う大きな黄色い目をぐっと細められ、如実に嫌な顔をされる。

「この治癒隊の中で治癒費の下げ合いなど馬鹿げている。輪を乱すならば、ここで引き返すが良い。」

 

 一人だけ自分勝手に安い値を設定すれば、人魚(マーマン)達は少しでも安い者の治療に掛ろうと費用の高い者の治療や治癒を拒むだろう。治癒魔法は拒めば効きが悪くなる。

 そうなれば全員が自分勝手な者に値を合わせる必要が出てくる。しかし、値が揃えば自分勝手な者は再び値を下げるだろう。悪循環の価格競争の始まりだ。

 もし人魚(マーマン)が嫌々高い者に治癒を施されたとして、後から支払いを渋られたり、値が高い者の診療所や工房の悪評が流れる未来が目に見える。

 

 この男の言う事は正論だった。

 

「…あいわかった。従おう。」

 

 ケル=オラが重く受け止めた様子を見ると、男は表を作成している者の下へ踵を返し、ふと足を止めた。

「――あぁ、どうしても値を変えたい時はな、高くする分には一向に構わんぞ。」

 嫌味を言われるが、しっし、と手を振ることで答える。

(ふん、偉そうに。)

 

 内心悪態を吐くが、価格競争はケル=オラも望むところではない。しかし、苦労して大荷物を抱えて治癒へ行くのだから相応以上の稼ぎは欲しいところだし――何より自分の預かり知らぬ所で勝手にそんな大事な事を決められたのが気に入らない。

 

 蛾身人(ゾーンモス)達はこれまで猛病なる人間の難病の治療を行ったことはなく、全員が自分の持てる薬草や錬金素材をたっぷり持って来ている。薬は時間が経てば劣化するし、その場で症状に合わせて錬金するのだ。

 

 もちろん治癒隊は皆<病気中治癒(トータルキュア・ディジーズ)>も使えるが、蛾身人(ゾーンモス)は決して魔力が多い種族と言うわけではなく、二、三人も治癒すればすぐに魔力欠乏を起こしてしまうだろう。

 ――だからこそ、<病気中治癒(トータルキュア・ディジーズ)>まで使える者が多い彼らであっても錬金術の腕を磨いて来たのだ。

 

 神聖魔導国の光の神殿から届いた手紙には、海に近い三つの光の神殿に人魚(マーマン)が運び込まれ、日に日に患者が増えている旨が書かれていたらしい。

 少しでも薬箱を軽くしたかったが、無能な光の神殿は治癒の必要な人魚(マーマン)の人数を正確に把握していないようだった。薬箱に詰められた素材は種類も量もものすごいことになっている。

 もちろん治癒隊は神聖魔導国に出稼ぎに行っている人魚(マーマン)の人数から考えて、患者のおおよその人数を推測してから来ているが、所詮推測に過ぎない。

 

 入国の手続きが終わった様子のイル=グルが戻ってくると、ケル=オラは薬箱を抱え直した。

「さて、さて。待たせた。皆、行こう。」

 イル=グルの宣言で皆が一斉に羽を広げる。

 関所に並んでいた人間や、関所に勤めていた人間達は、飛び立つ蛾身人(ゾーンモス)を眩しそうに見送った。

 

 国境の街の上を飛び、昼食や水分補給の休憩をとりながら進んだ。

 休憩で降りるどの街にも、亜人はおろか異形は一人もいなかった。全種族融和を唱える神聖魔導国とは言え、やはり旧王国であれば人間ばかりだ。それに、大した街ではない。

 

「評議国の方がよほど良いな。」

 

 ケル=オラが呟くと、イル=グルは笑った。

「この辺りは田舎であるからな。エ・ランテルは凄まじい都市であった。神都も、神々の婚儀やナインズ殿下の誕生祭に出向いたリシ=ニアを始めとする評議員達の話を聞くところによると瞠目に値するらしい。」

(…神々?イル=グルはこの国の王を神だと思っているのか…。)

 以前出かけた街のことを思い出しているのか、イル=グルは楽しげにあれこれとひとりで喋りだし、いつの間にかその話には別の者が相槌を打ち、盛り上がり始めた。

 ケル=オラは神などいないと思っている。

 それは、あの夜空に浮かんだ竜王と神王の絶死の戦いを見た今でも変わらない。

 力があれば神だと言うなら、竜王達は神なのか。

 否。断じて否だ。

 古代の知識を持つ彼らも神ではない。

 

 街の上を飛んでいると、ぽつりぽつりと神殿を見付ける。

(この国にいる者は皆信じているのだろうか…。)

 どの神殿も扉が開かれており、人の出入りが見える。評議国は訪れる者が少ない為、扉が開けっ放しにされる事はない。

 その視線を感じたかのように、地上の人間がこちらに手を振り、ケル=オラも手を振り返す。

(…喜んでおる。)

 全くおかしな生き物だ。

 ――ケル=オラは少し笑った。

 

+

 

 一行がエ・ナイウルにたどり着いたのは石畳の道に西陽が迫る頃だった。これまで通ってきた都市よりも整備されている。

 ここからは空を行くより、道を歩いて行く方が確実だ。

「――まずは手紙を送ってきた神殿に向かうとするか。」

 イル=グルの提案に異を唱える者はいない。

 地図を見ながらぞろぞろと人間の街を進む。

 途中魂喰らい(ソウルイーター)の牽引する乗合馬車(バス)に乗った。

 人数が多いのでイル=グルが指示する通りに座る。

 各々外を眺めたり、乗ってきた人間と話してみたり、暑さで持ってきた薬箱の中身が悪くなっていないか確認したりと自由に過ごした。

 

 目的の場所で乗合馬車(バス)を降りたケル=オラの視界には、そう立派ではない光の神殿があった。

 評議国に建っているたった一つの光の神殿は、それはそれは見事で、彼女の記憶にある全ての建築物の中でも三本指に入るようなものだ。議員会館や竜王の城にも負けず劣らず――いや、それ以上にも思えるものだった。

 しかしながら、ここの光の神殿は何となく古ぼけており、彫刻などもそう大したことはなく、荘厳さや偉大さを感じない。

 

 地方都市とあればこんなものかとケル=オラが値踏みしていると、イル=グルに肩を叩かれた。

「ケル=オラよ、もう暑さも引いただろう。その首髪はやめい。我に恥をかかせないでくれ。」

「む、そうだった。すまなかったな。」

 いそいそと首の毛の三つ編みを解いて行く。少し跡がつき、ふにゃふにゃとうねっているが、男ならオシャレで首の毛をうねらせる者もいるのでだらしなくはない。――ただ、イル=グルは「あちゃあ…」と言うような雰囲気だった。

 各員がそれぞれ身嗜みを整え終わると、揃って光の神殿へ歩みを進めた。

 

 畳まれた羽は真っ白なマントのようで、参拝に来ている人間達は天使でも見たような顔をして道を開けて行く。

 

 神殿の中もそう大したことはない。そう評していると――ドンっと前方を歩いていた者の背にあたった。

「痛っ。」

 いきなり止まるなと思っていると、その異常事態に気が付いた。

 

 神殿内には絶え間ない咳が響き、人間達すらゼェゼェと苦しげな呼吸をしている。

 

「な…………なんだこれは。人魚(マーマン)が病に罹っているのではなかったのか…?」

 一番前にいるイル=グルが絶句の後に疑問を漏らしていると、それに答えるかのように――「治癒隊の皆様!」

 人間の――おそらく――男が二人駆けてきた。「おそらく」と付いてしまうのは、種族がかけ離れているので推測の域を出ない為だ。

 (オグル)人魚(マーマン)の性別などは髪の長さと胸の大きさでおおよそ別れていて、それと同じ見分け方で正解ならばこれは男だろう。ただ、どちらの種族にも女だというのに髪が短く、胸がない者もいる為注意が必要だ。それと同時に、男だと言うのに太っていて胸がある場合もある。

 

「よ、よくぞいらっしゃいました!私は当神殿の長である、ジーマ・クラスカンです。」「私はリ・エスティーゼ州が旧王都リ・エスティーゼ市の光の神官、ジャミル・モルガーです。」

「ジーマ・クラスカン神殿長、ジャミル・モルガー神官。我は評議国より参った治癒隊の長、イル=グルである。」

「グル様。よろしくお願いします。私はクラスカンで結構です。」「私もモルガーとお呼びください。」

 後ろで聞いていたケル=オラは聞いた事もない名前の略し方を前に一瞬笑いそうになった。

 

 クラスカンがイル=グルに手を差し出すと、ケル=オラは何だ?と二人の様子を見た。

 イル=グルもそれを一瞬眺める。が、どういう事なのか思い至ったのか、弾かれたようにすぐに手を差し出し、軽く握った。

 これは人魚(マーマン)がよくやる挨拶の仕方で、互いの手を握り合い数度揺らす――握手だ。

 似た形状をする(オグル)達にそう言う文化はないので、話すときにお互いが海の中で流されないようにする為に発達した仕草だと思っていたが――どうやら違ったらしい。

 

 評議国で握手などと言うものは人魚(マーマン)以外には普及していない。人魚(マーマン)人魚(マーマン)相手でないと握手を求めない。

 小さな手の者、大きな手の者、たくさんの手の者、手がない者――多様性の中で生きる評議国に於いて、このような体格差や力の差を感じさせる行為はあまり好まれない為だ。もし竜王や岩顕巨人(ガルン・トルン)と握手をすれば手がなくなるだろう。

 しかし、特別不快感も示さず、イル=グルは握手を終えた。むしろ、すぐに気が付かなかった自分を詫びるようですらある。流石、一度神聖魔導国に来ているだけはあった。

 

「――クラスカン神殿長。我はイル=グル。イル=グルと呼んでいただきたい。」

「は、これは失礼致しました。イル=グル様。」

「いや、問題ない。それより、これは一体…。人魚(マーマン)の病では――もしや、人間にも感染を?」

「その通りです…。」

 クラスカンは複雑そうな顔をし、視線を落とした。モルガーが慰めるようにその背をたたき、代わりに応えた。

「イル=グル様。私がこちらへ着任したのも一昨日なのですが、最早私達の力では追い付きません。どうか人々の治癒に手を貸してください。」

 

 ケル=オラは渡りに船だと胸を躍らせる。

 (オグル)達に感染を広げる事はできなかったが、既に神聖魔導国で人間に広がっているのならばそれはそれは稼げるだろう。

 しかし、持ってきた薬草や錬金素材だけではとても足りない。

 鱗粉も、これだけの人数がいるなら評議国に残る蛾身人(ゾーンモス)から取り寄せたほうが良いかもしれない。羽から鱗粉が無くなれば気分が悪くなるし、飛べなくなるので、取りすぎる事はできない。

 フロスト便で手紙を出せば翌日には鱗粉も届くだろう。もしかしたら評議員のリシ=ニアもくれるかもしれない。あの鱗粉は目を見張る物がある。骨の竜(スケリトル・ドラゴン)なら半日もあれば運んでくれるはずだ。

 

 ケル=オラは取り決めの額を思い浮かべながら、すごい収益になりそうだとこっそり笑った。

 

「モルガー殿、そうしたいのは山々であるが……しかし、我らの治療費は神聖魔導国の民には重かろう。これだけの人数となれば、我らとて魔力が続かぬ。故に、確実に薬を飲んでいただくことになろう。薬は様々なものを調合する故、おいそれと値を下げる事もできぬ。こちらにも仕入れ値と言うものがあるのだ。それに、神聖魔導国の民では分割に応じる事も難しい。」

 

 イル=グルの言葉を聞くと、ケル=オラは目を白黒させた。

 何故この男は断ろうとしているのだろうか。評議員のリシ=ニアすら感染爆発を期待していたと言うのに。

 

「イル=グル様…。エ・ナイウル市を持つナイウーア市長に補助金を願う手紙を出します。どうか、何卒…。」

 クラスカンが頭を下げると、イル=グルが振り返った。

「…皆、それで良いか。」

 ケル=オラは一も二もなく頷く。他の者も構わないようだった。

「…………では、我らは人魚(マーマン)の治療をしながら薬の調合を行ったり、病の調査を進めたりしてナイウーア市長の返事を待つとしよう。皆、最初に決めた通り、三手に別れようぞ。」

 人魚(マーマン)が運び込まれている神殿は三つだ。イル=グルの言葉で七名、七名、六名へと分かれた。

 

「皆、行け。まずは評議国の我らが同胞を救うのだ。」

 

 ケル=オラは別の神殿を目指して行動を開始した。

 

+

 

 その晩。治癒隊は海に程近い宿屋のラウンジに集まっていた。ここが治癒隊の拠点だ。

 とは言っても、突然二十名も泊めてほしいと尋ねても、真夏は稼ぎ時なのか、どこの宿もそれだけの大人数は泊まれなかった。その為、この宿屋には二人部屋を五つ、十名が泊まる。後は数名づつ散り散りに部屋をとった。

 

 ラウンジにはバカンスに来ている様子の人間がバーカウンターで楽しげに酒を飲んでいる。この街は観光業が発達しているのか、これまで通ってきた街よりも亜人が多い。

 初めて見る人魚(マーマン)に似た種族の者や、評議国の海蜥蜴人(シー・リザードマン)、長すぎる赤いとんがり帽子をかぶった小人と客は様々だ。

 海蜥蜴人(シー・リザードマン)は海路で来ており、専用の入国入都管理所から陸に上がってきているらしい。

 

「しかし、イル=グル殿は断るのかと冷や冷やしたぞぇ。」

 ケル=オラがそう言うと、隣に座っている男も同意した。

「これ程良い案件は中々ない。断ってはもったいない。」

「まこと、まこと。」

 

 イル=グルは三つの神殿にいる人間と人魚(マーマン)の罹患者数と、完治者数を書いてまとめていた。人数の報告を受けているため、書類から顔も上げずに答える。

「……時間稼ぎ(・・・・)にはああするしかなかった。人魚(マーマン)と違って国も違うのだ。下手に治癒をしてしまって分割にでもなれば確実に踏み倒される。取りっぱぐれてしまえばあまりにも痛かろう。」

 

 調合した薬で完治し、取りっぱぐれなどが出れば大赤字だ。皆イル=グルが治癒隊の代表に選ばれて良かったと思った。

 

「イル=グル殿、それはリシ=ニア殿宛かぇ?」

「そうだ。念のために評議国の光の神殿にも殆ど同じ物を出すが、どうかしたか?」

 

 切りのいいところまで書き終わると、イル=グルは顔を上げた。

 

「いいや。リシ=ニア殿も(オグル)に広がることを期待しておった。相手は人間だが、殆ど望み通りに行っていると、良き仕事を教えてくれたかの御仁に伝えておくれ。」

「………リシ=ニア殿は(オグル)に広がる事は期待しておったが、神聖魔導国の人間に広がる事は期待しておらん。これはむしろ望まぬ結果であろう。」

「……何?では時間稼ぎとは何だ?多くの人間に感染するのを待つという意味ではないのかぇ?」

 

 ケル=オラが訝しむように目を細めると、イル=グルは再び書類に視線を落とし、それを読み返し始めたようだった。

 

「………人間に治癒を施さないための時間稼ぎという意味では一部合っている。これが終わってから話そうと思っていたが――まぁいい。皆知っての通り神聖魔導国は評議国とまるで違う決まりの中で治癒費を定めていよう。……まさに破格だ。国営の交通機関、国営の運送体系、国営のコンドミニアム、国営のアンデッド貸し出し。どれも神王陛下がお手自ら生み出されたアンデッドが担い、維持費がかからん。まるっと国費になる。本当なら、治癒費など貰わなくともいい程にこの国は潤っていよう。」

「……では何故治癒費用を取る。」

 

 イル=グルは先程書いた手紙を二枚目に丁寧に写しながらフッと笑った。

 

「我も同じことを思った。エ・ランテル市より帰った後リシ=ニア殿に伺ったとも。答えはこうだ。"人々が働く事を辞めないように、人々が無駄に治癒をせがまないように、神官への感謝を忘れないように"、それだけの為であろうと。」

 誰かがゴクリと唾を飲む。神官への感謝を忘れない事はイコールで神への感謝を忘れない事だろう。

「――彼らは我ら評議国で治癒治療に従事する者の為、我らの民には破格での治療は決してしない。そんな事をすれば全評議国の患者が神聖魔導国に流れる。では、神聖魔導国の者が我らの治療を受けたとき、神聖魔導国は患者に代わって我らに金を払うと思うか。」

 

「払うであろ?潤っておるのだ。」

 

 ケル=オラは辺りを見渡し、自分が間違った事を言っていないか確かめる。ごく少数が絶望的な顔をした事を除き、皆がその通りと頷く。

 

「………そうか、ぬしらはそう思うか。我はそう思わん。」

「何故!」

 声を上げたのはイル=グルの二つ隣の男だった。

 

「こう言うことが起こるたびに、国費で他所の国の者に治癒費を払うか?これだけの人数の治癒費を?それくらいなら、自国の神官を集めるでろう。何せここは神の国なのだ。その方が国も潤う。」イル=グルはコツコツとペン先で羊皮紙を叩いた。「ナイウーア市長は恐らく明日にでもクラスカン神殿長とモルガー殿からの手紙を受け取るであろう。我がナイウーア市長であれば、さらに上の――ヴァイセルフ州知事へ陳情書を急ぎで出す。」

 

「……そして州より補助金が出る、とは行かぬのかぇ?」

 イル=グルは「行かぬ」と端的に告げてから続けた。

 

「今度はヴァイセルフ州知事が都市長や補佐官の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)と話し合いを行い、神都に手紙を出す。神官長と呼ばれる神に直接仕える者達がこの状況を知るまでおおよそ三日。そこから更に四日もせずにスレイン州や聖ローブル州で仕える名だたる高位神官達が集まるであろうよ。全部で一週間と言ったところか。いや、もしクラスカン神殿長かモルガー殿が神官として既に神都大神殿へ手紙を送っていれば…今から後四日か。」

 

 市区町村の長達が自分の真上に位置する州知事の頭越しに勝手に最高機関に連絡する事を憚れることは容易に想像がつく。しかし、神殿の上には神都大神殿のみが存在する。

 

 分かったか、とイル=グルが皆を見渡す。

 

「では、もう人魚(マーマン)だけ治して帰ることになるんかぇ?」

 ケル=オラが落胆したような声を出すと、イル=グルは頷く。

 

「そうなろう。今日無駄に人間を癒していれば取りっぱぐれるところだった。当初の予定に戻ったと思って、皆大人しく人魚(マーマン)だけ治癒しようではないか。明日には補助金が出ないことを告げられるだろう。しかし、もし神官達が到着するまでに、死にそうな者の治癒を頼まれた場合は神殿から治癒費用を一括で建て替えて出してくれないか我が交渉しよう。」

 

 皆やれやれといった具合だ。それと同時に、イル=グルに「頼む」と頭を下げた。

 ケル=オラは黄色い目を細め、呟く。

「………人間の方が人魚(マーマン)よりもこの病に対して抵抗力があると見えた。すぐにも死にそうな者は今日の時点ではいなかったではないか。」

 

「そうさな。人魚(マーマン)達が全員治ったらまず間違いなく帰国と相成ろうぞ。ボーナスはなし、それだけだ。………しかし、これで人魚(マーマン)は神聖魔導国に海を明け渡したいと言うかも知れん。なんとも面倒な事になりおった。リシ=ニア殿に送る手紙を書く手が重いぞぇ。」

 借金を背負うすぐ隣で破格の治癒が行われて気分がいい者などいるはずもない。

 イル=グルは自嘲するような笑いをあげると、皆が慰めるように肩を叩いた。

 

 その様子を見つめるケル=オラの視線は何かを模索するようだった。




おぉ…確かに自分のところの神官集めた方が良いよね…(書いてて気付く
リシ=ニア賢い

そしてここでユズリハ様に頂いたフララの前髪集だ!!

【挿絵表示】

ここのところフララ見てないですねー( ;∀;)ふららー

次回#107 名案と偽りの神
やっぱり1万字近いと毎日は大変なりねぇ!

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