眠る前にも夢を見て   作:ジッキンゲン男爵

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#110 酒池

 一匹の骨の竜(スケリトル・ドラゴン)が空高く駆けていた。

 首に下げられた、皮紐と青い鱗でできたペンダントが風に流されて行く。

 山を舞い上がり、舞い降りる。

 霜の竜(フロスト・ドラゴン )に教えられた通りの空の道を、山にかかる雲をかき分けて翔んだ。

 

+

 

 エ・ナイウル市、ジャンド・ハーン宅。

 小さな家にはベンチが二本並んで置かれ、そこには五名程度が座り、今か今かと自分の番を待ちわびている。

 皆玄関を潜る時には、一度深々と眼前のカーテンへ頭を下げてからベンチに掛けた。

 そして――尊き神の声を生涯忘れないようにと静かに耳を傾けていた。

 

「次の者、用件を。」

 

 ケル=オラの一日は充実している。

 昼は信者の治癒、日が落ちると一日を締める会議に出席、その後この家で寝ずに治癒薬を作り、深夜になるとこっそりとここを出て神殿で素材の補充、翌日には信者の感謝を聞き流しながら眠ると言う生活を送っていた。

 最初の頃は信者たちの感謝もちゃんと聞いていたが、自分ではない者への感謝など聞いても仕方がない。あの時もお助けいただきなんのかんのと言っているが、今治癒された事に感謝して欲しいところだ。

 

 しかし、人魚(マーマン)は分割払いになるのに対して、信者達は一両日中に何とか金を作って持って来ようとするのでいいお客だ。蔑ろにしたりはしない。

 ウールという新通貨が登場し、銀行という概念が生まれた神聖魔導国では神殿への寄進や寄付のためならサクッと金を貸すらしい。

 咄嗟に始めた神様ごっこだが、我ながら素晴らしいアイデアだった。この国は潤っているとイル=グルも言っていたし、多少無理をさせても簡単に転覆はしまい。

 随分多くの者を治癒し、多くの報酬を受け取った。

 これだけあれば竜王の鱗を買うだけでなく、酒池肉林も楽しめそうだ。

 

(しかし――神だから治癒がありがたい、神だから急いで治癒費を払う、というのは少し不快だな。)

 

 ケル=オラは組み立て式の箱に入れてある金銀財宝と、うなるほどの金に振り返った。これはフロスト便で自宅に持って行ってもらうように昨日のうちに手配をしておいた。

 ジャンド・ハーンには「今日は我が使いが来る」と言ってある。幸い骨の竜(スケリトル・ドラゴン)は神王が生み出したものなので、そう言われれば、ただのフロスト便でもありがたく見えるだろう。 

 

 明後日には治癒隊の帰国が決まっているので、万が一にも疑われないように明日には姿を(くら)ます。

 ジャンド・ハーンには人々をよく救ったと手紙を残そう。「残りの患者は神殿の力だけでも救いきれる」とか、そう言う文言も書いておけば安心するはずだ。

 ハーンには心から感謝しているので、彼が働いた分の金は置いて行くことに決めている。漁船を買い直せる位の額は置いていくべきだろう。

 信者達は見事信仰を示した事で神直々に救われ、話す機会にも恵まれたと幸せそうにしているし、後はケル=オラが帰り着けばハッピーエンドで無事閉幕だ。

 

 いつかは再びこの街を訪れても良いかもしれない。ジャンド・ハーンが元気でやっているかも知りたい。

 

 ケル=オラがそんなことを思っていると、次に並んでいたと思われる者が進んでくる気配がした。

「光神陛下!御身に息子をお救いいただいた者です!本日は信仰を示しに参りました!――ほら、ロジェ。あなたもちゃんとお礼を。」

 この声の女は確か、泣きながら夜中にここを訪れた者だ。触覚が感知している空気の震えも間違いない。

 ジャンド・ハーンが倉庫に寝に行く直前だったので強く印象にある。

「そうか。私もぬしらを救うことができて良かった。」

 それはケル=オラの本心だ。

 老齢の者を救うより、若い子供を救うというのは気持ちが良い。

 小さな足音はパタパタと駆け寄って来ると、カーテンのすぐそばで立ち止まり、摘んだばかりのように瑞々しい花と石ころをジャンド・ハーンが用意したトレーに乗せて差し入れた。

 

「……これは?」

「光神へーか!これは、僕のいっとう大切なものです!受け取ってください!!」

 続いて母親からも治癒の報酬に十分な金品が差し込まれる。少年は幼く、症状も割と軽かったので薬は少量で済んだ。これで全額だ。額にして四百万ウールほどか。

「――そうか、そうか。よく持って来てくれたな。」

 花を拾うと、ケル=オラは小さな口をあんっと開け、花をむしゃりと食べた。

「うむ、うむ。これは良いものだ。」

 評議国には咲いていない花だがうまい。

 帰ったらミモザのふかふかサラダを山のように食べたいものだ。

「それは、お父ちゃんと植えた木に初めて咲いた花です!神殿でお願いして、ぷりざべーしょんの魔法を掛けてもらいました!」

「そうか、良い木を植えたな。」

「はい!!それから、石は、お父ちゃんと最後に遊びに行った浜で拾ったやつです!」

 母親が鼻をすする音がする。

(――最後?父親は死んでいるのか?それとも…家出か?)

 どちらにしろ、ケル=オラに出来ることはない。

 それに、石は別に欲しくもない。

「石は返そう。これはぬしが持って初めて価値がある。」

「え?でも、へーか。僕はへーかに信仰を…。」

「花は受け取った。これはぬしが持て。」

 ケル=オラは石をトレーに置き、押し戻した。一応最後まで夢を見せてやりたいし、バレればお咎め無しとはいかないと思われるため石を捨てて行くこともできない。

「わ、わぁ!ありがとうございます!」

 感極まっているようだ。良かった良かった。

 並んでいる者も感動しているのか鼻をすすっている。

 母親から再び長い感謝が述べられ始めると、ケル=オラは短い仮眠に着こうと寝っ転がった。

 聞こえないようにあくびをし、むにゃむにゃ言う。

 ここに来て一生分働いたかもしれない。

 そして目を閉じ――しばしの間、感謝を聞き流す。

(慣れればいい子守唄だな。)

 ジャンド・ハーンが用意してくれているソファは寝心地の良いものではないが、これも慣れた。

 ――ふ、と意識が眠りに吸い込まれる。

「――でして、子を持つ親として、陛下にはどうか、この人の子も癒して頂きたいのです。」

(――ん!?)

 ケル=オラは慌てて体を起こした。

 何か重要なことを言われていたようだが、まるで聞いていなかった。

「こんにちは。私の子の事も癒してください!」

 母親に続くように若そうな女の声がした。

(なんだ、治癒か。)

 ケル=オラはほっと息を吐く。

「どれ、何歳の子だぇ。症状を述べよ。」

 赤ん坊は熱を出しやすいし、もしかしたら新猛病ではないかもしれない。

「はひ!えっと、ゼロ歳で、症状は咳です!」

ひとあおひとあお(こふこふ)。」

 聞こえてくる咳に、ケル=オラは首を傾げた。

「……それは本当に咳かぇ?」

 咳のような声を上げているが、何の問題もなさそうだ。

「ヴィクティムー?喉痛い痛いですよねー?」

あおみどりひ(はい)こげちゃときわ(その)くわぞめくりうのはな(とおり)たまごたいしゃ(です)!」

「え!ちょ!」

 そのやり取りだけで分かった。

 ケル=オラは心底深いげに息を吐いた。

「ぬし、それは赤ん坊ではあるまい。それとも、知能の発達が早い種族の赤ん坊かぇ?何にせよ、病に罹っていない者を治す事はできぬ。私と言葉を交わしたいと思うのは分かるが――馬鹿にするのも大概にせよ。」

「――え!?あなた、嘘だったの!?」

「わ、わわ。ち、違うんですよ?騙そうとか思ったわけじゃなくて、えっと――」

 何か言い訳をしようとしているが、商売の邪魔だ。

「ジャンド・ハーン、連れ出せ。」

「かしこまりました!!」

 カーテンの向こうでハーンがふざけた親子に近付いて行く足音がすると――「な、な!?蜘蛛!?」

 ハーンの驚愕の声がした。

「これ以上の接近は許されない!」「人間、引け!引け!」「後一歩でも進めばその足無くなると思え!」

 声はいくつもあり、突然団体が現れたようだった。

 

 一体何が――。

 

 ケル=オラは好奇心に負けると部屋の隅に行き、こっそりカーテンの端から外を覗いた。

 

 そこには、見たこともない蜘蛛型のモンスターがわんさかいた。蜘蛛達の真ん中にはフードを目深に被り、赤ん坊を抱く黒髪黒目の女がいた。

(なんだ…?あれは……。)

 蜘蛛達は異常に美しく、皆使命感を帯びた兵士のような顔付きをしている。あらゆる女を虜にするような目元をしていて、つい視線が吸い込まれる。

 素晴らしい造形だ。

 ただ、八足歩行の為、顔はいいが全体的なルックスとしてはケル=オラの好みではない。

「陛下は本当に困ってる人しか助けないって言ったのに!子供を持つ者同士と思って信じた私がバカだった!!」

 そう叫んだのは支払いに来た母親だ。侮蔑したような視線を女に向けていた。

「す、すみません。本当に騙すつもりはなかったと言いますか…あ、いや…あったようななかったような…。」

 女は釈然としない言い訳をしている。

 

(…いいから外でやってくれ…。)

 

 ケル=オラが邪魔な奴め、と思っていると、ハーンのそばにあるキッチン横の勝手口が開いた。

 全身鎧と、それを止めようとするおかしな仮面の男が入ってくる。

「あ、あなた達!!」

 報酬を支払いに来た母親が睨みつけるような視線を鎧に向けた。

「アインズ、もう十分だろう。無駄な時間はおしまいだ。」

 ――アインズ?

 ケル=オラの疑問は誰もが感じたようで、多くの者が白痴の如く同じ言葉を繰り返す。

「アインズ…?」

「だから盾は喋るなって――…はー…もー…。」

 顔を隠す男は鬱陶しそうに一度頭をかくと――フードを下ろした。

 そこには――とんでもない値が付きそうな銀糸の髪。

 無造作に外された仮面の下には神殿で見たことがある――作り物めいた顔。

 蛾身人(ゾーンモス)とはまるで違う種族だが、人魚(マーマン)(オグル)森妖精(エルフ)達と親交がある為これが非常に美しいと言う事は分かる。

「おんしら、頭が高ぅございんすよ。神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下でありんす。即座に膝を着きなんし。」

 入り口にはいつの間にか仮面を被った奇妙な女がいた。

 人々が膝をついて行く。皆が感極まっているようだった。

「やれやれ…。楽にしろ。私は女神を迎えに来ただけだ。」

 ケル=オラは慌ててカーテンの隙間から離れ、薬箱に素材と薬を片付けて行く。

 人々の視線がカーテンに集まっているのを感じる。

(――まずい、まずい!!)

 まさか王直々にこんな場所に妃を迎えにくるなんて――。

(馬鹿げている!!そんな馬鹿げた話があってなるものか!!)

 本物の女神はどこにいるんだとケル=オラは内心で悪態を吐く。

 持てるだけの金を――紙幣という文化があって良かった――詰め込み、薬箱を抱え込む。

「し、神王陛下!!ご、ご、ご降臨、心より感謝申し上げます!!ぶ、無礼者が失礼いたしました!!こ、光神陛下は、こ、こちらに!!」

 ジャンド・ハーンがカーテンへ近付いてくる。

 

(――やめろ!開けるな!!頼む!ジャンド・ハーン!!)

 

 心中の抗議は何の意味も為さず、部屋の隅にある暖炉へ向かおうとした時――シャッと音を立ててカーテンが開かれた。

 

 ケル=オラは走りかけようとした無様な格好で振り返った。

 

「――あ、あ…………ぇ………。」

 

 カーテンを開けたジャンド・ハーンは一瞬呆け、目だけを非常にゆっくり動かした。必死に女神を探しているような、脳が事態に追いついていないような――そんな顔だ。

 その向こうの信者達も膝をついたまま、ポカリと口を開け呆然とケル=オラを見ていた。

「アインズ、確保しても良いかな?」

 鎧が尋ねると、神王は頷いた。

「まぁ、現場は抑えたからな。」

 ケル=オラが逃げねば、そう思ったところで煙突の中から二つの影が姿を現した。

 闇に溶けるような黒い肌の影は闇妖精(ダークエルフ)だった。

「じゃ、あなたはこっちね。えーと、なんだっけ?侮辱罪と愚劣罪?」

「え、えっと、あの!神都で裁判を受けてもらいます!」

 ケル=オラは弾かれたように声を上げた。

「ま、待て!!待ってくれ!!私は評議国の者だ!!評議国から、べ、弁護する者を――」

「はいはい、続きは法廷でねー。」

 闇妖精(ダークエルフ)に言葉を遮られる。

「法廷に行くために弁護する者を呼びたいのだ!そ、そうだ!この街には私の仲間がいる!イル=グルと言う蛾身人(ゾーンモス)を呼んでくれ!!」

「ふーん、イル=グルね。マーレ、取り押さえといて。あたしはそれを探しに行くように指示してくるから。」

「わ、わかったよ、お姉ちゃん!あの、おばさんは、お、大人しくしてくださいね。」

「おば――!?」

 少女はそう遠慮がちにケル=オラの手首を捕まえた。とても少女だとは思えない力は、岩顕巨人(ガルン・トルン)よりもよほど強い気がする。振り解けるようなものではない。

 

 おばさんと言う言葉にひっかかるが、ケル=オラは少しでも罪を軽くする方法を模索し始めた。

 

「悪かった!確かに名は騙った!その事は詫びよう!!しかし、治癒を施し、それの対価として支払われるべき額を大きく超えて金品を受け取った事はないぞぇ!!もう必要ないと断ってきた!!」

 

 ケル=オラは言い切り、辺りを見渡す。

 ジャンド・ハーンに弁護を頼もうと視線を送ると――その顔は真っ青で、「そんな…ちがう…おれは…」と繰り返していた。

 

「正当な対価を受け取る事は何の問題もないはず!お妃の名は借りたが、そうでもしなければ人間達は支払いを渋ったであろう!!イル=グルも同意するはずだ!!」

 

 誰も何の声も上げてくれない。

 

「人間達よ!ぬしらは治癒を安くみているが、治癒とは、命とは、本来これだけの重みがあるのだ!ぬしらに治癒を施す為に使った素材は、中には誰かが命懸けで取りに行ったものすらある!!ぬしらの命は、誰かの命の上にある事を――治癒魔法は誰かの努力に掛けた時間の上にある事を知っているのか!!だと言うのに、ぬしらは女神が治癒してくれたから金を払うだの、信仰を示すなど!!――ぬしらこそ命を支える者に間違った方法を取らせたのだ!!一切の責任がないなど、努努(ゆめゆめ)思うなよ!!」

 ケル=オラは一頻り叫び、その肩は疾走した後のように上下に激しく動いた。

 部屋にはケル=オラの呼吸音だけが続いた。

 

「――ふむ、一理あるな。」

 

 それは神からの助け舟だった。

「で、では――」

 

「しかし、それでフラミーさんの名を騙って良いことにはならんし、その問題も最初から評議国が我が国のシステムを受け入れていれば起きなかった。我が国は治癒に必要な素材を取ってきた者には国からそれに見合っただけの金を払っている。その金はこの地で暮らす者達が払った税金だ。後の文句はこの――ツァインドルクス=ヴァイシオンに言え。」

 コンコンと叩かれた鎧は腕を組んだ。

「僕に言われても困る。僕は絶対君主じゃないんだ。評議員で話し合った結果を無理矢理ひっくり返すような真似はしないよ。」

「ツ、ツァインドルクス……ヴァイシオン……。」

 ケル=オラはその見事な鎧を呆然と眺めた。

「敬称は付けてもらいたいものだね。」

「続きは法廷で支配(ドミネート)を受けてから裁判員に語るが良い。マーレ、連れて行け。――<転移門(ゲート)>。」

「ド、支配(ドミネート)!?嫌だ!!評議国の裁判を!!せめて人道に則った方法で――」

 ケル=オラは指示を受け張り切っているマーレに引っ張られると、なす術もなく引きずられるように目の前の闇に吸い込まれて消えた。

 

 それを見送ったジャンド・ハーンの唇は震えていた。

「そんな…そんな……。」

 ここに女神に会いに来ていた人々の視線が冷たい。

「――あぁ、お前のことを忘れていた。行け。それとも引きずられたいか?」

 ハーンは圧倒的上位者である神を相手に、抗議や反論できるような男ではない。ただ、ボロボロと涙を零した。

「も…申し訳…………ござい…ませんでした…。」

 震える足で一歩一歩進む。

 皆を騙すつもりなんて、カケラもなかった。

 ただ、皆を救いたい、クン・リーや自分のように死んでしまわないように助けたかった。――いや、きっと自分は死んでなんていなかったのだ。

 なんと言う思い込み。

 ハーンは己の愚かさを悔やんだ。

 そうだ。考えてもみろ。

 神々は闇を抱いてなお生きろと、そう言っていたのに。光にのみすがる事は結果的に生への冒涜だと、聖ローブル州の生死の神殿から写されてきた聖書を読んだ時に知ったのに。

 こんなに、こんなにも、光の神の事も、闇の神の事も敬愛してやまなかったのに。

 ハーンは自分自身を特別な存在なのだと思い込んだ。いや、そう思いたかった。

 家族のように愛した友を失い、自分には何か救いがもたらされても良いはずだと思ってしまった。

 床が柔らかくなったような錯覚を覚え、足がもつれそうになる。

「へいか……へいかだと…おもったのに……すくいが……みんなを…………ただ……生きてほしかった……。」

 どしゃりと膝をつくと、ハーンはその場でおいおいと泣き始めた。

 

 それは、あまりにも哀れな背中だった。

 

「アインズ、これは本当に共犯か?」

「……全ては法廷でわかる事だ。我が国の法廷ほど公正な場所はない。」

「そうかい。」

 ハーンのすぐそばでは淡々としたやりとりが行われた。

「それじゃ、フラミーさん。裁判見に行きますか?」

「うーん、そうですね!せっかくなんで、行こうかな?」

 ハーンはそれを聞くと涙で濡れた顔をあげた。

「へ、へいか……?」

 黒髪黒目の乙女はハーンを見下ろすと微笑んだ。

「私的には中々良かったですよ!ドキドキしました!」

 それはどう言う意味なんだろうと思っていると、金髪の令嬢に引き立たされた。

「早く立ちなんし。御方々の貴重なお時間を取るんじゃありんせん。」

 ハーンは黒い闇に向けて歩かされながら、黒髪黒目の乙女から目が離せなかった。

 そして、闇をくぐらされる直前、乙女の髪は白銀になり――あの日から焦がれ続けた金の瞳。白き翼。

 ハーンは闇に足を一歩踏み入れてなお、爆発する煌めきから視線を外す事はなかった。

 ――明けの明星。

 ハーンは思わず手を伸ばす。光を求めるのは全ての生き物の(さが)なのだろうか。

 それはあの日の再現のようで――光はもう一度だけ、ちらりとハーンを見た。

「またね。」

「陛――」

 手を振られ――ジャンド・ハーンは闇を潜った。

 

「偽物と同時に裁判が始まったら、あの男の分は見られませんよ。」

 アインズの言葉にフラミーは「あ」と声を上げた。

「じゃあ、"またね"じゃなかったですね。」

「そうですよ。さぁ、俺たちも神都の裁判所に――ん?」

 アインズは自らの生み出したアンデッドがこの家の目の前にたどり着いたのを感じた。

「なんだ?」

 アンデッド反応の正体を確かめる為に外へ向かうと、玄関から家の中を覗き込んでいた人間達が道を開けていく。

 アインズが家の外に出ると、並んでいた人間達は腰を抜かした者を含め、全員が膝をついていた。

骨の竜(スケリトル・ドラゴン)じゃないか。何をしにきたんだ?」

 アインズは近付くと、創造主へ敬意を示すように姿勢を低くした骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の首に、紺碧の鱗が結び付けられているのを見つけた。

(なんだこりゃ。識別番号か何かが書かれてるのか?)

 鱗に触れ、裏返してみるが何も書かれていない。

 支給されたものにしては皮紐は粗末だし、結ばれ方も汚い。

「なんです?これ。」

 隣からフラミーが鱗を覗き込み、ツアーが答えた。

「これはただの人魚(マーマン)の鱗だね。」

人魚(マーマン)の鱗?誰かの悪戯か?」

 アインズは骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の首からぷちりと鱗をもぎ取った。

「フラミーさん、見ます?」

「あ、ありがとうございます。」

 フラミーは受け取り、日に透かして鱗を眺めた。

「――綺麗ですねぇ。人魚(マーマン)達、神殿で治療を受けてましたよね。」

「裁判はやめて、人魚(マーマン)見に行きます?」

「ふふ、素敵。でも、こうなると大変ですよね。」フラミーが辺りを見渡す。

 信者達は手を組んで祈りを捧げていた。

 列の後ろの方の者達は、おそらくずっとこの家にいたフラミーが外に出てきたと思い込んでいるだろう。

 時折「こっちだ!こちらにいらっしゃってる!」「お二柱がお揃いだぞ!!」という声が聞こえ来ていた。

 路地の入り口にはどんどん人が増えていた。

「…難しそうか。」

「ですねぇ。」

 フラミーは困ったように笑い、鱗に視線を落とした。

 ――そして、くんくんと匂いを嗅いだ。その瞬間目をくちゃっと閉じ、腕を目一杯伸ばして顔から鱗を遠ざけた。

「うっ、く、くちゃいです。」

「…え?どれどれ。」

 アインズはフラミーの手のひらの鱗に鼻を近づけると、顔を顰めた。

「……靴みたいな匂いしますね。ばっちいからぽいしましょう…。」

「はひぃ…。えーと…ゴミ箱は…と…。」

「フラミー、鱗は髪の毛みたいなものなんだから、気にしないで良いと思うよ。」

 フラミーの手のひらの鱗をツアーがその場に放り捨てる。アインズはフラミーの手に<清潔(クリーン)>を掛けた。無駄に良いコンビネーションだった。

 フラミーもアインズの手とツアーの手に<清潔(クリーン)>を掛けた。

「じゃ、今度こそ裁判行きましょうか。」

「そうですね!ふふ、どんな風にここまで漕ぎ着けたのか聞いてみなくっちゃ!」

「そうですね。再発防止のための研究ですよ。」

「はーい!たっぷり研究しましょうねぇ。」

 もちろん二人ともただの好奇心だ。アインズはフラミーを抱き上げると、嬉しそうに笑った。

「アインズ、僕も裁判を見てもいいかな。」

「好きにして良いぞ。」

「助かるよ。」

 三人揃って家の中に開きっぱなしの転移門(ゲート)へ向かう。

 人間の中で馴染もうとしていたアルベドとデミウルゴスもどこからともなく現れ、その後を追った。

 

 家の中ではパンドラズ・アクターとコキュートスが金品の確認をしていた。そして、勝手口には派手な格好をしている蛾身人(ゾーンモス)を掴んでいるアウラがいた。

 パンドラズ・アクターは軍服を翻すように振り返り、膝をついた。

「父上、神都でしたら聖典もおりますし、私はこちらで返金を行おうかと思います。」

「………そうか、任せる。正しい額を返せるように――アウラ、お前もここに残れ。<吐息>を使うことを許可する。」

「かしこまりました!じゃ、あんたは裁判に行くんだよ!アインズ様達にご迷惑をおかけしないようにしてよね。」

 アウラは捕まえてきた様子の蛾身人(ゾーンモス)を離した。

「かしこまりました。まさか守護神様がこれほどいらっしゃるとは…。」ぶつぶつ言うと、蛾身人(ゾーンモス)はアインズとフラミーの前で一度跪いた。「神王陛下、光神陛下。お初にお目にかかります。我はイル=グル。アーグランド評議国より派遣されし治癒隊隊長。この度は…何やら我が隊の者が恐れ多くも光神陛下の尊き御名を騙ったとか…。隊を任された者として何とお詫び申し上げれば良いやら…。」

 蛾身人(ゾーンモス)は心底申し訳なさそうにしていた。その仕草は評議国の者だと言うのに、まるでアインズ達を信仰するようだった。

「――イル=グル……。君はリシ=ニアがよく評議員にしたいと言っている肝入りの治癒師だね。」

 ツアーがそう言うと、イル=グルは顔を上げた。

「は。仰る通りリシ=ニア殿とは交友関係があります。ところで貴方様は……?守護神様ではないとお見受けしますが…。」

「こんな格好だけれど、僕は白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)だよ。君の話はリシ=ニアから聞いたことがある。」

 イル=グルは深く頭を下げた。

「永久評議員殿。通りでその姿をエ・ランテル市の神殿にある資料や像でお見受けしなかったわけぞ。恐れ入ります。」

「君は今回の事件と関係なさそうだね。裁判所には僕が付き添おう。立ってくれ。」

 ツアーに促されるが、イル=グルはすぐには立ち上がらず、アインズとフラミーへ許可の視線を送った。

「立て。」

「イル=グルさん、行きましょう。」

 そこでようやくイル=グルが立ち上がる。

 フラミーを運んでいるアインズが転移門(ゲート)へ足を進めると、「陛下方!申し訳ありませんでした!!」と、アインズ達を列から追い出した者達が一斉に声を上げた。その中には、当然あの母親と少年もいる。

「やれやれだな。私達は気にしていない。お前達も気にするな。」

「皆さん、病気のときはちゃんと神殿に行ってくださいね!」

 一行は裁判所へ消えた。

 

 続々と人口密度が下がって行く家で、パンドラズ・アクターはパンパンっと手を叩いた。

「では、返金を始めます。」




っく!300話目で試される評議国はおしまいにしたかったけど、無理だった…!!
しかも次回予告詐欺をかましてしまいました

次回#111 肉林

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