眠る前にも夢を見て   作:ジッキンゲン男爵

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#113 閑話 遥かなる海

 イワトビペンギンの執事助手エクレア・エクレール・エイクレアーは働き者だ。

「ムギュッ!むっ、むぐぐっ…!」

 朝目覚めると、天空城から拾われて来た双子猫の間から抜け出す。

 何故エクレアの私室にニッセとケットシーがいるかと言うと、直属の上司のセバス直々に「執事助手の下に更に助手として二人をつけます。ナザリックに仕える者として完璧になるまで徹底した教育をお願いします」と言われている為だ。

 生活態度からこのナザリックにふさわしい存在にしなければなるまい。

 エクレアは洗面台へ続く階段を上り、さっと顔を洗うと見事なカールの眉毛を整える。エクレアにも双子猫にも普通の洗面台は高すぎる。

 二匹へ振り返ると、二匹はぬくもりを求めて布団の中へ潜り込んで行くところだった。

 短い尻尾をぴるぴると振り、エクレアは布団を一気にまくり上げた。

「朝ですよ!働く時間です!このナザリック地下大墳墓を私が支配するときのため(・・・・・・・・・)にしっかりと働かなくては!」

 威勢よく声を張り上げると、猫達は尻尾を右から左へ向けて払った。

 それだけでエクレアを吹き飛ばすには十分な風が巻き起こる。

「――っんぁ!」

 エクレアは抵抗もできずにゴロゴロと部屋の隅まで転がった。

「いたた…。」

 エクレアが目を開けると、ひっくり返った視界の中で猫達は特大のあくびと同時にうーんっと伸びた。

「おはようございまぁす。」「エクレア様、寝言は寝て言え。」

「お、おはよう…。」

 この部下達は八十レベルもある為毎朝大変だ。

 エクレアは足をジタバタさせ、ひっくり返っていた体を起こした。

 素っ裸の二匹がズボンを履き、サスペンダーをあげる横でエクレアも蝶ネクタイを締める。

 猫達はきゃんきゃんと甲高い声を上げながら顔を洗い、フラミーに貰った水鉄砲にたっぷりの水を充填し、腰に装備する。

 エクレアは二匹が身支度を進める部屋を出ると、隣の部屋の扉をフリッパーでぺちぺちと叩いた。

 すぐさま扉が開かれると、中には覆面を被った男達がずらりと並んでいた。

「今日の点呼です。さぁ、端から番号を。」

「イー!」「イー!」「イー!」「イー!」「イー!」「イー!」

 無限にも思える時間、男性使用人達の点呼が響く。

 そうしていると、エクレアの脇をしたた…と猫二匹が駆け抜け、「イー!」「イー!」と返事をした。

「これで全員ですね。それでは朝食に参り――っわぁ!!ちょ!わっぷ!!」

 エクレアが朝食の号令を出そうとしたところで背後から伸びた手に突然抱き上げられた。

 振り返ろうとすると、耳元で「………うふふ」と小さな笑い声が聞こえた。その声は間違い無く、戦闘メイド(プレアデス)の一人、シズのものだ。

「お、おやめ下さい!私は――」

「………ケットシー、ニッセ。おはよう。」

「おはようございます!」「シズ女史!シズ女史!」

「………これからご飯。一緒に行く?」

「行きます!食べます!」「僕たち生きるために食べないと!」

 ジタバタするエクレアはそのまま食堂へ連れ攫われた。

 シズが食堂に入ると一般メイド達から「シズちゃーん!」「シズちゃんだー!」と黄色い歓声が上がる。

 同時にエクレアは「ペンギンもいる」「いらない鳥」となじられる。

 シズは全てを無視し、食事を取るのに良さそうな場所を探した。

「………あ、ルプー。」

「んぁ?シズちゃん今朝も鳥連れっすか!」

 一般メイドの中に紛れ込んで食事をしているルプスレギナが手を振ると、シズはその前に座った。

「………鳥だけじゃない。ケットシーとニッセもいる。」

「銃猫?いないっすよ?」

「………あれ。」

 シズが軽くあたりを見渡すが、一緒に行こうと言った猫達は近くにいなかった。

「………あ、いた。」

 二匹は男性使用人に紛れ、すでにビュッフェ台へ向かっていた。

 あの二匹はアインズとフラミー直々に"生きる"ことを命じられているため、生きるために必要なことを一番にする必要がある。ある意味そうあれと創り出されたようなものだと皆納得している。

 猫達はカリカリベーコンと魚のムニエルをこんもりと取るとシズのそばに駆け寄った。

「とってきました!」「食べましょう!」

「………また栄養が偏ってる。」

 二匹がシズの隣の椅子にギュッと身を寄せ合って座ると、今度はシズがビュッフェ台に向かった。

 ここでようやくエクレアは解放された。

「…ふぅ…ふぅ…。」

「朝から疲れてる。」「はい、エクレア様の分。」

 二匹はこんもりムニエルを差し出し、テーブルの上のナプキンを首の後ろで器用に結んだ。

 自分たちの支度が整うと、隣に座るニッセがエクレアにもナプキンを結んでやり、準備完了だ。なにせ、二匹は執事助手助手なのだ。

 三匹は手の平を合わせるとよく揃った声を上げた。

 

「「「いただきまーす!」」」

 

+

 

 食事を終えるとエクレアは一度猫達と別れ、フラミーの部屋のトイレ掃除へ向かった。

 一時期はトイレにフラミーが這いつくばる事もあったので、いつも心血を注いでトイレ掃除をしているが、さらに腕によりをかけてトイレ掃除をしていた。

 ナインズのおまるなど、これでカレーを食べられるほどだ。

「ふふふ…!素晴らしい…!」

 エクレアは満面の笑み――らしきものを浮かべた。

 その横でメイド達がゴミ箱からゴミの回収をする。ゴミは分別が必要なため、一度処理室へ持っていかれる。

 ナザリックにおいてゴミの分別とは、価値有りと、価値無しの二択だ。価値無しのものはそこから更に可燃と食事に分けられる。

 紙屑のように紙として価値があるものは宝物殿のパンドラズ・アクターの下へ行きエクスチェンジボックス――通称シュレッダー――に掛けられ、ユグドラシル金貨へと変えられる。一年分を入れてようやくユグドラシル金貨一枚程度だが、やらないよりはマシだろう。他にもシュレッドするものがあるため、実際に一年金貨が生み出されないわけでもない。

 一方生ゴミのようにエクスチェンジボックスが一切の価値を付けない物は、恐怖公の眷属達や聖母グラントの子供達の食事になるか、第七階層の火山へ放り込まれる。激熱を前にゴミ達は一瞬で蒸発する。

 以前は全て火山へ放り込まれていたが、リサイクルと言う言葉をアインズが創造したのでナザリックは非常にエコだった。

 エクレアは今日もフラミーの部屋のトイレをピカピカにすると男性使用人に命令を下す。

「私を運べ!」

「イー!」

 エクレアは小脇に抱えられると、次なるトイレを目指した。

 トイレは一日四回掃除している。大雑把に朝、昼、夕、晩だ。本来ならば使用ごとに掃除するべきだと思うが、アインズに「フラミーさんがトイレに行けなくなる」と止められた。

 エクレアを抱えた男性使用人は斜め向かいの部屋に着くと扉をノックした。

 しばしの時間が経ち、扉が開けられ一般メイドが顔を出す。毎日のことなので何のために来ているのかはわかっているはずだが、双方確認の手間を惜しまない。

「ご不浄の掃除に参りました。」

「お待ちください。」

 再び扉が閉まってからエクレアは部屋に招き入れられた。

 中ではアインズ、フラミーが書類を手に難しそうな顔をしている。二人の間にはお絵描きに勤しむナインズ。そのそばに立つアルベドとデミウルゴスの顔は自信に満ち溢れていた。

 エクレアを抱える男性使用人が足音も立てずにトイレへ向かう。

 気配を感じたのか、ナインズは顔を上げると瞳を輝かせた。

「おいで、おいでおいで。」

 手招かれるが、ナインズの居場所はなんと言ってもアインズとフラミーの間だ。今至高の二柱は何か難しそうな議題について真剣に考えている。邪魔することは許されない。

 エクレアはそっと下ろされると男性使用人に小さな声で告げた。

「先に行きなさい。」

「イー。」

 男性使用人達がトイレの掃除へ向かうと、エクレアは静かにナインズの下へ寄った。

「ナインズ様、おはようございます。」

 ナインズはそっとソファから降りると、机の下に潜り込んだ。

 エクレアも机の下に潜り込むと、そこには双子猫がいた。

「あれ?エクレア様だ。」「働いて!」

「しー!静かになさい。私は働いてますよ。それにしてもあなた達こそここで何をしているんですか。」

「ナインズ様のクレヨンの補充に来たぁ。」「そしたらナインズ様がここにいてって仰ったの。」

 エクレアは当然二匹の一日のスケジュールを知っている。あまりここに長居しては次の掃除に差し障りが出てしまう。しかし、ナインズの命令では仕方がないだろう。

 エクレアは明日に回せる仕事や、メイド達に回せる仕事があるか素早く頭を回転させた。

 そうしていると――

「そっと、やさしく、やさしく。ギュってしない。」

 ナインズは呟きながら、エクレアの頬を優しく撫でた。

「ッキュッ!」

「しー!」「しー!」

 痛かったわけではなく、トキメキに心臓が高鳴ったせいで思わず声が出てしまった。

「かわいいねぇ。やさしく、やさしく。」

 あまりにも優しすぎる撫で心地にエクレアはだらしなく口を開けた。

「――ナイ君?」

 フラミーがナインズを呼ぶ声がすると、ナインズはエクレアを抱き抱えて机の下から出た。左右からは双子猫も顔を出す。

「おかあたま、にゃんにゃんとね、ぺんぺん。」

「ぺんぺんも来てくれたの?可愛いねぇ。」

「へへぇ。」

「優しくね?」

「やさしく!」

 ナインズに抱えられ、幸福にドロドロに溶けていく。

(…あぁ…なんと愛らしい…。ナインズ様はいつか私の子分にして差し上げても良いくらいに愛らしい…。)

 エクレアがナザリックの支配を目論んでいるのは周知の事実だ。彼はそうあれと生み出された。

 ナインズはエクレアを抱いたままお絵描きを始めた。

 

「それで、如何でしょう?サタンの星である明けの明星を意味するヴィニエーラ様、シャハル様。他にはフラミー様と同じ紫色の肌とのことでグリシーヌ様、ヴァイオレット様、アキレア様など様々なものを考えさせていただきました。」

 メガネの奥でニコニコと目を細める悪魔の尾は軽く揺れていた。

「どれも悪くないな。それにしても、今回は"ユグドラシル"はないのか?」

 アインズはデミウルゴスに渡された娘の名前提案一覧に目を通しながら答えた。

 提案されてもユグドラシルにするつもりは無いが、あまりにも前回――ナインズの名付けの際に提案されたその名前はインパクトが強かった。

「一度御身に却下された名前を再びご提案差し上げる訳にはいきませんので。」

「ふむ、それはそうか。」

 アインズの隣に座るフラミーもアインズが眺めているものと同じ書類を熱心に読み込んでいる。

「どれも可愛いですねぇ。」

 可愛いが、ピンと来る物がない。

 名付けとは難しいもので、ナインズが横文字の名前だったために今更和名を付けるわけにもいかず、二人は手をこまねいていた。

 幾つか二人も名前を考えてはいるが、"ナインズ"のようにこれぞと思える名前が思い付かない。

 四十一人の絆の証として、四十一が最小素数のオイラー素数の生みの親からあやかってレオンハルト――いやいや、それでは男の名前だろう。など迷走に迷走を続けている。

 アインズはナインズの名前を付けたため、第二子の名付けはフラミーに託すつもりでいるが、フラミーは毎日最古図書館(アッシュールバニパル)で目を回していた。

 名前提案書にも載っているヴァイオレットはフラミーも思い付いていた名前だが、"ウール・ゴウン"と続くとなると、語幹がいまいち良くないように感じる。

 後は菫や瑠璃が浮かんだが、やはり日本語名は"ウール・ゴウン"との相性が悪い。

「むむむむ……。」

 

 エクレアはナインズの腕の中でフラミーが唸り続けるのを眺めた。

 暫くそうしていると、ナインズはエクレアの頭に顎を乗せ、ジッと自らの作品を眺めた。

 どことなく難しい顔をしている。

「むむむ……。」

 フラミーの真似だ。顔も声もよく似ていた。

 ナインズの書いた文字はぐにゃぐにゃと蠢いている。

(これほどの物を揮毫できるとは…ナインズ様…実に素晴らしい…!)

 エクレアは心の中で拍手喝采を送った。

 

 しばしフラミーの真似をしたナインズは書いてある字の蠢きが終わると同時にフラミーに振り返った。

「あ…おかあたま、つぎ!つぎつぎ!」

 ルーン魔術師(エンチャンター)のクラスを育てることに決まったため、ナインズは今日も伸び伸びお絵描きに勤しんでいる。ユグドラシル時になかったレア職への道ということでやらせてみることにしたのだ。

 フラミーは一度名前一覧を顔の前から下ろすと、机の上に転がるピンク色のクレヨンを手に取った。

「じゃあ次はねぇ。一郎太君の文字だよ。」

「いちたの?」

「そう。U(ウル)、牛さんだよ。モーモー、可愛いねぇ。力と勇気が出る文字なんだって。」

 フラミーの書いた文字がぐんにゃりと歪んでいくと、ナインズはおかしそうに笑った。

「あはぁ!もーもー!いちたのU(うる)!」

 ナインズが何度も何度も同じ文字を書き始めると、フラミーは再び名前一覧に視線を落とした。

「おとうたま!みてる?ね、みてる?」

 蠢く文字がびっしりと書き込まれた画用紙を見せ付けるナインズの顔は誇らしげだ。

「うんうん、見ているぞ。すごいな、父ちゃんが書いてもぴくりともしないんだから。お前は本当にすごい男だ。」

 ぐりぐりと撫でられるとナインズの相貌が崩れる。

「あるもでみでみも、みて!」

「素晴らしいですわ。ナインズ様に出来ないことなどないのでしょう!」

 アルベドが答えることで、エクレアはナインズにアルと呼ばれたのが誰なのかを理解した。

(私はぺんぺんですよ。ふふふ。一番ひねりのある光栄なお名前を頂戴しています。)

エクレアはにひりと嘴を持ち上げてアルベドを見た。名前を千切っただけではない素晴らしいニックネームだ。

「は。流石ナインズ様でいらっしゃいます。これほどお若くして魔法を身に付けるなど、そう出来ることではございません。」

 デミウルゴスからも讃賞されると、ナインズはメイド達を手招いて画用紙を見せつけた。大絶賛の嵐にアインズとフラミーが軽い苦笑を漏らしていると、部屋にノックが響いた。

 ナインズの作品を褒めるメイド達の代わりにデミウルゴスが来客を確認する。

 

「――アインズ様、セバス達が参りました。」

 エクレアは直属の上司の到着にナインズの腕の中で少し背筋を伸ばした。

「準備ができたようだな、入れてやれ。」その号令でセバスとコキュートスが入室してくる。「――さて。揃ったところで…ナインズ、お出掛けだぞ。お片付けしなさい。」

 ナインズは立ち上がったアインズを見上げると、クレヨンを箱に戻し、お絵かき帳を閉じた。

 エクレアも膝から下ろされる。

「ぺんぺん、おたかづけ?どこ?」

「いえ、私はこれからご不浄の清掃に参りますので、こちらにて失礼いたします。」

 エクレアが頭を下げるとナインズもそれを真似て頭を下げた。

「ぺんぺん、にゃんにゃん、ばいばい。」

「は!」「はーい!」「失礼しまーす!」

 ナインズはお絵描きセットを抱えて部屋の隅のナインズプレイコーナーへ駆け出す。その先には純金で装飾された美しい宝箱があった。冒険者がそれを見つけたら、どんな素晴らしい宝が入っているのかと胸を躍らせるに違いない。

 しかし中にはお絵かきセットや積み木セット、木琴、死の騎士(デスナイト)人形、子山羊ぬいぐるみ、パズル、聖書、絵本と期待するようなものは入っていない。いや、どれもナザリックで作られた一級品だ。やはり、宝箱と言っても差し支えないかもしれない。

 ナインズがきちんと片付けを終えた様子を確認すると、アインズは転移門(ゲート)を開いた。

「デミウルゴス、後は任せて良いか?」

「もちろんでございます。――アルベド、セバス、コキュートス。呉々も御方々を頼みますよ。」

「任せてちょうだい。きちんと護り抜くわ。」

「ご安心ください、デミウルゴス様。」

「デハ、行ッテクル。」

 大人達がやり取りをする横で、ナインズはフラミーに駆け寄り、手を引いた。

「おかあたま、おかあたま。」

「ナイ君は海、初めてだもんね。楽しみだねぇ。」

 一行はアインズの開いた転移門(ゲート)へ入って行った。

 

 部屋に残ったのはデミウルゴス、双子猫とエクレアだ。

「…それで、君達は?」

 デミウルゴスに尋ねられるとエクレアはフリッパーを上げた。

「私は掃除です!それ以外に何の仕事があるでしょうか?この私以上に丁寧な掃除が出来る者はおりません!」

「素晴らしい。君の仕事こそ重要なものだ。この階層を汚くしてしまっては、至高の御方々に対する侮辱とも捉えられよう。」

 微笑んだデミウルゴスは続いて双子猫へ視線を送った。

 再び尋ねられる前に背筋を伸ばした二匹が声を上げる。

「ぼ、僕達ナインズ様に言われたの。」「ここにいてって言われたの。」

「――そうですか。それも重要なことです。」

「じ、じゃあ僕達行くね。」「ナインズ様いないからお掃除行くね。」

 猫達は最も恐れる悪魔の逆鱗に触れないよう、そろり、そろり、と抜き足差し足で歩き出し、扉が近づくと一気に部屋を飛び出した。

「…やれやれ。エクレア君、あれらの教育はもう少し厳しくしなければいけないよ。」

「かしこまりました。全く第九階層を走るなんてとんでもない。」

 エクレアが腰にフリッパーを当てていると、男性使用人にひょいと体を持ち上げられた。

「では、私はご不浄のチェックへ行きますので。」

「あぁ。今日はセバスも外出だ。ナザリック地下大墳墓、九階層は君の手腕にかかってる。」

 エクレアは小脇に抱えられ、クールに立ち去った。

 

+

 

 浜辺には見渡す限り、赤紫色の丸い玉型の花が群れて咲いていた。

 今アインズとフラミーの前には余りにも小さな女の子を抱えるツアレと、それを支えるセバスがいた。

「――クリス。クリスと名を与えます。」

 フラミーはアインズと話し合った名をツアレへ告げた。

 フラミーは真面目な顔をしているし、アインズも満足げだ。

 

 しかし、ここにフラミー以外のギルドメンバーがいたら半数は反対しただろう。

 

 ぶくぶく茶釜がいれば「クリス・チャン?…キリスト教徒(クリスチャン)!?モモちゃん何考えてんの!?」と言っただろうし、ウルベルトがいれば「そんな一発ギャグみたいな名前があるかよ!!」と言っただろう。

 しかし、フラミーは一発ギャグのようなセバス・チャンを思い付いたたっち・みーが付けそうないい名前だと大層乗り気で、「アインズさんはやっぱり私たちのギルマスです!」なんて脳みそが溶けた様なことを言った。

 では、当のたっちがいたら何と言っただろうか。恐らく彼なら――「モモンガさん、クリスチャンの名前はほとんどの場合、男性名ですよ。女性名ならクリスティーナです。」と、そう言ったに違いない。

 幸いこの世界にキリスト教徒(クリスチャン)はいないし、女性名クリスティーナの愛称はクリスだ。

 セバスとツアレは響きとしてまともだったことをアインズではない真の神に感謝するべきだろう。下手をしたらツアスやセバレアと名付けられるところだったのだから。

 

「神王陛下、光神陛下。素晴らしいお名前を頂戴しまして、心より感謝申し上げます。それと同時に、この子は私の子である以前にセバス様の子であると、しかと胸に刻みます。」

 ツアレが深々と頭を下げると、セバスも共に頭を下げた。

「――ツアレ、クリスは一郎太、二郎丸と共にコキュートスに鍛えさせる事になる。場所はナザリック、第六階層だ。もちろんセバスが師範をしても良いぞ。仕事に支障がない程度に、だがな。」

 頭を下げている二人は、神に与えられた子を神に返さなくてはいけない事に痛みを感じた。

 特にツアレの痛みは筆舌に尽くしがたい。

 名を分け合った愛妹であるニニャと二度と会えなくとも、我が子と共にありたい――そう、思ってしまう事は悪い事だろうか。まだ目も見えていない、生まれて一週間ほどの愛しい娘は「ぷぁ…」と声を上げた。

 たった一人の妹を捨てたとして、誰がツアレを責める事ができよう。

 この可愛い我が子の成長をそばで見守りたい。

 ――ツアレは震える唇を開いた。

「へ……陛下方………。わ、わたしは……わたしも……クリスと………クリスと………。」

「ん?何だ?」

 恐れ多くも一度断ったことを、今更白紙に戻して自分を受け入れて欲しいなど、都合がいい。

 しかし、ツアレはついにその言葉を口にした。

「クリスと共に…私もナザリックへ……お連れください……。」

 花咲く砂浜に額を擦り付ける様は哀れですらあった。

 セバスはニニャと離れ離れに暮らす事になっても良いのかと、我が子を抱くツアレの震える背中を見つめた。瞳は驚きに彩られており、共に頭を下げるべきなのか判断が付かない様子だった。

 ナインズを抱いているコキュートスは考える。この愛する至高の存在と離れ離れに暮らす事になる痛みを。

「――元よりそのつもりだ。ツアレ・チャン。」

 アインズの声は涼しげだった。

「ありがとう……ございます………。」

 ツアレは別れの挨拶をニニャに告げて来るべきだったと思うと同時に、ニニャは明日我が子に会いに来ると手紙をくれていた事を思い出した。

 ニニャは今も、二人で暮らしたエ・ランテル西二区にあるコンドミニアムで暮らしていて、ペテルと日々を送っている。

 セバスとツアレが暮らした闇の神殿の隣の館は、明日にはもぬけの空かもしれない。

 しかし、ツアレに後悔はなかった。

「ツアレ、面を上げろ。」

 アインズの言葉に従い、ツアレは顔を上げた。

「はい……陛下……。」

 人の身の神はかくも美しい。初めて骸の(かんばせ)を見た時は恐ろしさに足が竦んだが、ツアレは神の人としての身と同じくらい、骸の身も愛し、敬っている。

 アインズは静かに微笑んでいた。

 そして――

「ツアレさん、出入りは第六階層だけですけど、許してくださいね。」

 フラミーの言葉の「出入り」と「許して」の意味がわからず、ツアレは瞬いた。

 隣にいたセバスはすぐさま頭を下げた。

「――アインズ様、フラミー様。御温情を…誠に、誠にありがとうございます…!!」

「気にするな。フラミーさんのお茶会だって月に一度は第六階層で開かれているし、シャンダール達だって週に三日は第六階層に来ている。意味があり、フラミーさんとナインズに危険が及ばない事ならば、許可をするのは当然のことだろう。だが、稽古は一人で走れるようになってからだ。それまで、クリスにおかしな職業(クラス)を取らせない様に気を付けろ。」

 一人置いてけぼりのツアレはポカンとアインズを見た。

「ツアレさん、大丈夫ですよ。稽古って言っても一日中じゃないですから。ちゃんとコキュートス君が様子を見ながら無理のないようにします。ねぇ、コキュートス君。」

 フラミーが尋ねると、コキュートスはガチンと大顎を鳴らした。

「ハ。勿論ソノ様ニ致シマス。体力ガ着イテ来ルマデハ一日長クトモ一時間。週二日程度カラ始メマス。」

「ね、これなら女の子でも安心でしょう。稽古の時にはセバスさんと一緒に第六階層で見てれば良いですから。」

 セバスはツアレの様子がおかしい事に気がつくと、その肩を叩いた。

「――ツアレ。御方々はあなたがナザリック第六階層をクリスと共に訪れ、そしてエ・ランテルに帰ることをお許しくださったんですよ。」

 ツアレの脳にこれまでの言葉の意味の数々が染み込んでいく。

「あ………ぇ………そ、そんな……。」

「セバスの言う通りだ。ツアレ、お前が第六階層以外を自由に移動することは依然として許可できないが、第六階層をクリスと共に訪れる事は何の問題もない。暮らさせてやれなくて悪いが、これで許せ。」

「ッ……へ、へ……か……!ぅ…、ぅぁ……うぁぁぁぁ!」

 ツアレはクリスを抱いたまま泣いた。

 彼女はこれ以上ない温情に感謝した。もう何も望みはしない。ただ、ただ幸福だと泣き続けた。

 涙に溺れそうなツアレの感謝の言葉は浜辺に響き、ナインズは訳もわからず、コキュートスの首にすがった。

「じい?」

「…オボッチャマ。オ父上トオ母上ハ素晴ラシク、慈悲深イ神々デゴザイマス。」

「よしよしする?」

「イエ。ソレハセバスノ役目デショウ。」

 

 アインズとフラミーはそんな厳しい訓練をさせられると思っていたのかと苦笑した。

 

+

 

 ツアレが泣き止んだ頃、フラミーは浜に咲く花をいくつも摘んだ。

 ナインズもそれを手伝い、束にするとフラミーに渡した。

「はい!」

「――ありがとう。」

 フラミーはそれをひとつの大きな花束にすると海へ向かって投げた。

「あぁー!」

 ナインズはせっかく摘んで母へプレゼントした花が流されていってしまう様子に残念そうな声を上げた。

 フラミーはナインズに何も言わず、胸に光る光輪の善神(アフラマズダー)の前で手を組んだ。

 護衛としてそばに着いているアルベドとヴィクティムも同じように手を組む。二人とも痛みを堪える様だった。

「元気にしていますか。そっちで足りないものはないかな。あなたとも…こうしたかった。今年は来るのが遅くなってごめんね。春は外に出られなかったの。あのね、今度は妹が生まれるんだよ。――私の可愛いミア。」

 フラミーがそう言うと、ナインズは不思議そうにフラミーを見上げた。

「みあ?」

 その問いにフラミーは答えなかった。

 MIA。フラミーは昔、アーベラージというゲームにハマったギルメンからMissing In Actionという言葉を教えられた。

 戦争で行方不明になってしまった兵の事を指す言葉らしい。

 フラミーは欠けてしまったあの子をミアと自分の中だけで呼んだ。

 

「…フラミーさん!」

 アインズが呼ぶ声がすると、フラミーはナインズの手を引いて海から踵を返した。

「はぁい!」

「おいで。ほら、見てください。」

「何です?」

 覗き込んだ先では、ツアレが沢山の花を一列に編んでいた。

「――わ、可愛いですね!これ、どうするんです?」

 フラミーが笑うと、ツアレは腫れた目で照れくさそうにした。

「は、はい!光神陛下、女の子たちは皆これを摘んで花冠にするんです。」

「花冠?」

 アインズもフラミーもそんな物は見たことも作ったこともない。

「えぇ、見ていてください!」

 ツアレは糸のように細い茎を引っ張り、いくつも花を摘んだ。海は深く濃紺に煌き、太陽は残暑に燃えている。

 花畑に座り込む五人は赤紫に埋もれるようだった。

「これをこうして――」

 器用に茎同士を絡めて編んでいく。

 アインズは手近な花を摘んだ。

「どれ、私もやってみよう。」

 波が打ち寄せる穏やかな音と、花の周りを飛ぶ見たこともないような色の蝶達が落とす影の変化だけが時間の経過を知らせる静かなひとときだった。

 ツアレはあっという間に花冠を二本作り上げると、一本をうやうやしげにナインズに差し出した。

「殿下、こちらを。」

 ナインズはそれを受け取ると花冠とツアレを交互に見た。

「ふふ、こうでございます。」

 ツアレはセバスに抱かれて髭を引っ張っているクリスの頭に乗せた。

「あぁー!」

 ナインズは納得行ったようにそれを頭に――乗せられなかった。

「いけません、ナインズ様!そのような下――」と、アルベドが言ったところでアインズが口を開いた。

「――フラミーさん。」

「あ、はひ。」

 ナインズを咎めるアルベドを咎めようとしていたフラミーの手を取り、細い腕に結びつけてやると、半端な花冠はブレスレットになった。

「わぁ、可愛い!」

 腕に括り付けられたれた花冠はフラミーの肌の色によく似ていた。

「ツアレが作ったやつの方が綺麗ですけど。」

 照れ臭いような顔をしたアインズに首を振り、フラミーはすぐにブレスレットに<保存(プリザベーション)>を掛けた。花は魔法がかかったことを知らせるように僅かに光を漏らした。

 アインズが捧げ、フラミーが身に付けたものを下賤と言うわけにはいかず、アルベドは止まったナインズを促した。

 ナインズはそっと花冠を頭に乗せると嬉しそうに笑った。

「アインズさんが作ったのも、とっても素敵です。私、大事にしますね!ねぇツアレさん、このお花って――ツアレさん?」

「どうかしたか?ツアレ。」

 ツアレはじっとアインズ達を見つめていた。セバスがコホン、と咳払いをする。

「――っあ、はい!も、申し訳ありません!」

「このお花、なんて言うお花なのかなと思って。それより、大丈夫です?」

「も、申し訳ございません。ただ――その、陛下方と殿下が…あまりにも素敵で…。」

 ツアレは眠る前にも夢を見ているのではないかと、夢の様な光景を前にわずかに瞳を潤ませた。

「まったくおかしな事を言うな。」

「ツアレさんとセバスさんだって素敵ですよ。」

 フラミーがそういうと、ツアレは軽く目元から涙を払った。

「素晴らしき陛下方、素晴らしき殿下。生涯の忠誠を誓います。」

 ツアレの頬は花のように赤く染まった。

 アインズはこの視線は知っていると思った。一般メイド達がアインズへ向ける視線だ。もしくは聖典や神官が向ける視線だ。

「……期待している。それで、この花はなんて言うんだ。」

 ツアレは家族で二度だけ海に来たことがある。この花冠、ひとつは明日ニニャにあげようと決めている。きっと懐かしがることだろう。

「これは"アルメリア"と言います。"海のそばに"と言う意味だと、母が教えてくれました。」

「海のそばに――。」

 フラミーが海を眺めながら呟いた。

 世界征服を決意したときも、初めて二人で出掛けてミアを見送ったときも、ナインズに名を与えたときも、いつでも二人のそばには母なる海があった。

 フラミーの視線の先に過去の多くを見たアインズは更に一本摘んだ。

「それに決めますか?」

 左手を取り、指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)の煌めく指にアルメリアを結んでやる。

「大事なこと、簡単に決め過ぎかな?」

 アインズは笑うと首を左右に振った。

「簡単じゃないさ。ずっとどうしようか悩んでたじゃないですか。」

 二人が何を決めようとしているのか分からず、ツアレは黙って話に耳を傾けた。

「――アルメリア。全ての命が生まれて帰っていく海のそばに。私達が見られるはずもなかった美しさに添い続けて。」

 フラミーが腹を撫でるとアインズは静かに微笑んだ。

 ナインズが四十一人の絆の証だとしたら、アルメリアは二人の絆の証だろう。

「守護者たちに提案はもう良いって言わないとな。」

「ふふ、きっと皆またダメだったかってガッカリしますよ。」

 二人は静かに笑い合った。




皆様、セバス娘と第二子にいろいろな名前のご提案を頂きありがとうございました!
セバス娘はエマにしようかと思っていたんですが、話を書いていたら唐突にクリスチャンという名前を思いつき急遽変更。
ちなみにアルメリアちゃんは最初ヴァイオレットにしようと思ってたんですが、皆様から色々な名前を頂戴すればするほどヴァイオレットは却下になりました。エバーガーデン。

それでは本編でご紹介し切れなかった名前の候補達の細かい説明をこちらで。
アルメリア(赤紫色の花で、本編通り海のそばにと言う意味があります。開花は日本なら3〜5月らしい…。)
シャハル(ヘブライ語で夜明け)
ヴィニエラ(ロシア語で明けの明星=サタンの星)
アキレア(赤紫色の花)
グリシーヌ(藤)
ウィステリア(藤)
ヴァイオレット(菫)
ヴィオラ(菫)
レオンハルト(41が最小素数のオイラー素数を生んだレオンハルト・オイラー先生にちなむ)

もし弟だったらレオンハルトだったかな…。
いつか弟が生まれることがあれば…いや、長いかなぁ。
ちなみにオイラー素数は「 E(n)=n^2+n+41 」のnに39までの数字を代入すると全部素数になるらしいっすよ!すごいっすね!
最小素数の41は、当たり前ですが0をいれると作れます!
40をいれると1681で、41x41の合成数です。
ここでまた41っていうのが美しくて気にいってはいるんですけど…レオンハルト・ウール・ゴウン。うーん、これはキザキャラ。

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