眠る前にも夢を見て   作:ジッキンゲン男爵

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#115 閑話 小さな命

 ある冬。第五階層、氷山の錬成室。

「――ナインズの時より力の成長が遅いみたいだね。」

 ツアーはロッキングチェアに掛けるフラミーの前に跪き、大きく丸い腹に触れていた。

「じゃあ、アルメリアは抑制の腕輪がなくても平気です?」

 フラミーの問いにツアーは首を振った。

「安全を取るならやっぱり抑制の腕輪は必要だと思うよ。問題は僕から取れた鱗は全てナインズにあげてしまったから、暫くは剥がないと取れないという事だね。前に渡した分は僕が自分のために使おうと思って長い年月ためてきたものだったから。」

 ツアーは共にフラミーの大きな腹に触れるナインズに視線を送った。ナインズの腕に輝くは抑制の力を持つ白金(プラチナ)の腕輪。それはツアーの視線に反応するように空色の亀裂を脈動させた。

「困ったな。あの量を取るならお前の全身から剥がなきゃならん。やはり夏にあの偽物女を罰した時に金剛の竜王(ダイヤモンド・ドラゴンロード)も没収させて貰えばよかった。」

「…アインズ、あの時も言ったけれど金剛の竜王(ダイヤモンド・ドラゴンロード)は無関係だ。」

「分かっている分かっている。少し愚痴を言っただけだ。で、お前は剥がせてくれるのか?」

 アインズの容赦ない問いにツアーは困ったように口元に手を当てた。

「断りたい気持ちは山々だけれど……そうするしかないのか……。常闇の鱗や部位はどのくらいあるんだい?」

「見に行くか。」

「あぁ…。仕方がないから足りない分を僕が補填するよ…。」

「やるとしたら痛みがないようにフラミーさんに持続系回復魔法を掛けてもらうし、お前は眠らせるからそう心配するな。」

「……痛みがないとしても嫌なものだね。」

 痛くないからと言って生爪を剥がすことを了承してくれる者はいないだろう。

 ツアーは立ち上がる前に、フラミーのローブの前面を閉めてやろうとローブに手を掛けた。

「あ、これはこのままで良いんです。ありがとうございます。」

「そうかい?君にしては珍しい格好だね。」

 大きなお腹を抱えるフラミーはアインズの神器級(ゴッズ)アイテムのローブを着ていた。

 アインズがモモンガ玉を見せているのと同じようにローブは前面が開けられており、丸い大きなお腹を見せている。

 

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「はは、あんまり似合わないですよねぇ。」

 フラミーが苦笑する。

「いつもの方が君らしくはあるね。」

「らしさはな。でも、ちゃんと可愛いですよ。それに安全第一です。ナインズがお腹にいた時もそれを着てて貰えばよかったな。」

「おかあたま、かわいい。」

 アインズとナインズが、ねーと声を上げる。

「フラミー様、良ケレバオ腹ニ掛ケル物ヲオ持チシマショウ。」

 静かに控えていた第五階層の主、コキュートスが言う。

「えへへ、皆優しいです。じゃあ、長くなりそうだからお願いしますね。」

「カシコマリマシタ。」

 コキュートスは雪女郎(フロストヴァージン)にここで控える様に目配せをし、錬成室の出口へ向かった。

「あ、じい!じい!」

「ハ。如何ナサイマシタカ?」

 駆け寄るナインズを待つ。ナインズはコキュートスへ手を伸ばした。

「ないくんもね、いく!」

「オォ…!デハ、ジイガ大白球(スノーボールアース)ヲ簡単ニゴ案内致シマショウ。」

 二人は手を繋いで錬成室を後にした。

 ナインズは何度も振り返り手を振って粉雪の中に消えた。

「――じゃあ、私達も氷結牢獄へ行くか。」

「そうだね。フラミー、また後で。」

「はひ!お二人も行ってらっしゃい。」

 素材運びを担う雪女郎(フロストヴァージン)を引き連れ、二人も錬成室を後にする。フラミーは常闇に近寄らないし、姿も見ない。アインズも見せないし近寄らせようと思わない。

 アインズとツアーはコキュートス達とは違う方向へ歩みを進めた。

 氷結牢獄が見える頃には風に乗って――

「…それにしても、アインズ。このおかしな鳴き声はなんだい?」

「――フラミーさんの家庭菜園のバロメッツだ。案外美味いぞ。お前にもやろうか。」

 うんともいいえとも言わず、二人は雪原に溶ける様な真っ白い綿毛に身を包むバロメッツの前にたどり着いた。

「思ったより普通な見た目だね。一つ貰おうかな。」

 ツアーが冷えた鎧の手で羊毛に触れると、羊は寒さから身を守る様に首を短くした。

「その羊はナインズの気に入りだ。近頃は毎日ルーンを刻んでいるから育ちもいい。」

「ルーン?ナインズはまた変わった魔法を使うんだね。」

 ナインズが刻んだルーンは大きく、歪だ。

「本当になぁ…。私もそう思うよ。しかし、<魔法の精髄(マナ・エッセンス)>で確認したんだが、位階魔法よりかなり消費魔力が少ないようだ。発動まで時間はかかるがな。」

 武器に付与する時も、位階魔法による魔化では材料代がかかる。高額な魔法武器の半分は材料代だ。

 一方ルーン武器の材料代はゼロ、製作時間は通常の魔化の三倍。

 使用する為の手順が多く、代償が少ないのがルーンの特徴だ。

「発動まで時間がかかる魔法はあまり良くないね。本当にナインズを一人で外に出すなら、誤って始原の魔法に手を出さないくらいには強くなって貰わなくちゃ困る。」

「おっしゃる通りで。」

 二人は氷結牢獄へ消えた。

 

+

 

 フラミーはロッキングチェアにもたれ掛かり、限界突破の指輪を見つめていた。

 まだまだ完成しない美しい宝だ。

 楽しみだなぁ、とオーダーメイドの指輪を前に顔を綻ばせる。

 そっと足を下ろし、椅子を揺らした。

 自分作曲の歌を口ずさみ、腹を撫でる。中で娘が動くのを感じた。

「よしよし、外は綺麗だよ。」

 フラミーがとん、とん、と腹を叩くと軽い痛みが起きた。

 いつもの前駆陣痛に腰をさする。ナインズの時も産まれる何日も前から前駆陣痛がきたものだ。

 側で浮いていたヴィクティムも降りてきて、フラミーの腹をさすった。

 ナインズが生まれて約二年。ナインズは再来週神都でお誕生日会を開いて貰えると聞いて、お誕生日会を楽しみにしている。お誕生日会と言うものが何なのかは分からないが、守護者達が張り切っているのだから楽しいことに違いないと言う具合だ。

 二人ともたまたま冬生まれになる。できればナインズの誕生祭までにアルメリアにも出てきて貰えると助かるのだが。

「リアちゃん、そろそろ出ておいで。」

 そう言っていると、膝掛けを持ったナインズとコキュートスが戻ってきた。

「おかあたま!じいの!」

 ナインズは駆け寄り、フラミーに優しく毛布を掛ける。

「ありがとうね。ナイ君とコキュートス君は優しいなぁ。」

 コキュートスは青い顔を染め、嬉しそうにプシュゥと息を吐いた。

 フラミーはナインズを撫でながら、治まる様子がない前駆陣痛に無詠唱化した<大治癒(ヒール)>を掛ける。無意味だと分かっていてもやってしまう。

「リアちゃん、ナイくんだよ。ナイくんは、おにいちゃん。いちたも、おにいちゃん。ナイくんね、じいの家行った。雪だるま見た。それからね、じいの家はね、キラキラ。おかあたまの髪の毛ある。りんごのうさぎたんもある。」

 ナインズがフラミーの痛む腹に耳を当てながら一生懸命中に向けて話した。ナインズは今、言語の爆発期を迎えている。「危ないから一人で階層を移動してはいけない」などの理屈も理解できるようになった。

 フラミーはお腹に向かってお話をするナインズの姿を微笑ましく感じると同時に――これはまずいと額に汗を浮かべた。前駆陣痛どころか、陣痛かもしれない。

「…………ナイ君、ちょっとお母さんお部屋に戻るね?」

「なんで?」

 腹から耳を離したナインズはフラミーの苦しそうな表情にギョッとした。

「え?え?おかあたま?じい、じい!」

「フラミー様、アインズ様ヲオ呼ビシマスカ!」

 途端に騒がしくなる錬成室で、フラミーは何とかロッキングチェアを立った。

「あ、いえ…そんなに急がなくても大丈夫です。」

 しかし、万一ここで生まれれば出てきた瞬間寒さに凍り付いてもおかしくない。フラミーは転移門(ゲート)を開いた。

「ごめんね。お母さんちょっとお休みしてくるから。」

「ないくんも行く!!」

「ナイ君はここにいてお父さんに伝えてくれる?急がなくて良いからって。」

「や!ないくんも行く!!」

「ナイ君は偉いから、ちゃんとここで待ってられるでしょう?」

 フラミーはコキュートスへ目配せをした。

「オボッチャマ、コチラデオ待チシマショウ!」

 ナインズが抱き上げられるとフラミーはヴィクティムと共に部屋へ帰った。

「じい!おかあたま!」

「オ嬢チャマガオ産マレニナラレルカモ知レマセン。ドウカ御身ハコチラデオ待チヲ。」

 やだやだとナインズがジタバタしていると、アインズとツアー、大量の素材を持った雪女郎(フロストヴァージン)達が戻って来た。

「ん?九太、なんだ。何がそんなに嫌なんだ?」

「おとうたま!ないくん、お部屋いく!」

「第五階層は飽きたか。コキュートス、フラミーさんはどうした。ナインズを部屋に――」

 アインズはそこまで言うと、コキュートスの様子から一つのことにハッと思い至る。

「――まさか。」

「ハ!フラミー様ハ腹部ニ痛ミヲオ感ジニナラレテイルゴ様子デシタ。コチラデナインズ様ト待ツヨウ指示サレオ部屋ニ。」

「アインズ、コキュートス君。ナインズは僕に任せて二人はフラミーの下へ行け。フラミーは今が一番無防備だろう。」

 ツアーがナインズを抱き上げると、二人は一瞬だけ悩むような仕草を見せ――頷いた。

「すまん、ナインズを頼む。<転移門(ゲート)>。」

「ツアー、感謝スル。」

 二人が転移門(ゲート)を潜っていくと、すぐに転移門(ゲート)は閉じられ、ナインズはツアーの鎧から離れようとジタバタした。

「つあー!ないくん、いきたいよ!」

「やれやれ、じゃあ、僕と向かおう。」

 ナインズはパッと顔を明るくした。

「いいの?」

「あぁ、いいとも。ただし、僕はゲートを開けない。歩いて僕と部屋へ向かおう。」

 人型生物の出産にかかる時間を知らないツアーはその間に生まれてくれる事を祈った。

「じゃあ、ないくんが…うんと、うんと、連れてく。つあー、連れてってあげるね。」

「助かるよ。」

 二人は錬成室を後にすると、白い雪を踏み第六階層へ降りる転移門に向かった。ナインズは普段コキュートスと二人で遊ぶ時は転移ではなく歩いて移動する為道をよく知っている。

 途中死体の並ぶ湖に差し掛かると、ナインズはそれを指差し、凍りつく死体達に付けた名前を聞かせた。

 その後第六階層に下りれば、子山羊達に乗って遊び、湖畔まで出て一郎太と二郎丸にツアーを紹介した。

 しばらく四人で駆けっこをして、飽きると解散した。

 他にもフラミーとたまに苺狩りをする畑でツアーに苺をもいで与えたり、ハムスケに餌をやったりもした。

 遊び疲れると湖畔で居眠りをし、ツアーはまだ生まれないのかと内心で溜息を吐く。

 夕暮れだった第六階層に夜が訪れると、ナインズはツアーの膝の上で目を覚ました。

「ん……おかあたま?」

「やぁ、ナインズ。僕はツァインドルクス=ヴァイシオンだよ。さっきアインズから連絡があってね、第七階層で食事を済ませてほしいそうだ。」

 ツアーが見下ろすとナインズは辺りがすっかり暗くなっている事に気が付いた。

 ナインズは暗くなる前に第九階層に降り、晩餐ができる前にアインズに執務を終えるように告げに行かなくてはいけないのに。それがナインズの日々の仕事なのに。

 ナインズは慌てて起き上がると自らの仕事のために駆け出した。

「つあー!はやく!はやく!」

 しかしツアーは走らない。

 よく置いて行かないなと思うが、普段誰かしらが常にそばにいるため一人になったことがないのだろう。

「ナインズ、急がなくても食事は逃げない。」

「つあー、ないくんは!おとうたまに、おしまいするの!ないくんのお仕事!」

「…何を言いたいのかよく分からないね。何にせよ、今日は第七階層で僕と食事を――」ナインズも何を言われているのか分からないのか、不安そうな顔をしていた。「あー…。下で、ツアーと、ご飯。分かるかい?」

「そうなの?」

「そうだとも。」

 ナインズは円形討議場(アンフィテアトルム)とツアーを交互に見て何かを考えた。

「じゃあ、ないくん。お仕事ないのかぁ。」

「厳密に言えば今日は僕といることが君の仕事だ。つまり、ツアーといる。ナイクンのお仕事。これも分かるかい?」

「そうなの?」

「そうだとも。」

 ツアーがナインズに追いつくと、ナインズはツアーの手を握った。

 二人が第七階層に下りると、悪魔達がそのまま赤熱神殿へ二人を案内する。

 ナインズはたまに遊びに来る事もあるデミウルゴスの部屋に通された。

 魔将達が食事を出し、二人は食事を取った。と言っても、ツアーは眺めているだけだ。

「つあーは?つあーも食べる?」

「――ん?いや、僕はこの体では食べない。アインズも骨の体の時は食べないだろう。」

「ないくん食べていい?」

「良いとも。全て君のものだ。」

 ナインズは嬉しそうに笑うと食事を進めた。

「――ナインズ、君は良いね。優しく穏やかだ。」

「ないくんはね、やさしくそっとする。ギュってしない。」

「そうかい。偉いじゃないか。」

 鎧とナインズの奇妙な食事会は終わった。

 悪魔達が片付けを進め、ナインズは再び第九階層へ降りる転移門へ向かい始めた。

「待て、ナインズ。君は今日、水上ヴィラで僕とお泊まりだ。」

「おとまり?」

「寝ることさ。」

「ねることさ。」

 ナインズがツアーと全く同じ言葉を発すると、ツアーはナインズを抱き上げた。

 心の中で何もしやしないと悪態を吐く。ずっと側に八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)やハンゾウが付き纏っているのだ。

「じゃあ、行こう。」

 ツアーはナインズと共に第六階層に戻った。

「ないくん、おかあたま会いたい。」

「一晩くらい我慢するんだ。竜の子なら一人で過ごす時間の方が多い。」

 ナインズはひんひんと声を上げ始めるとツアーにすがって泣いた。

「………やれやれ。泣くんじゃない。君は男の子だろう。」

「ないくんは、ないくん。」

「強い男になるんだ。君もまた、世界の命運を握る一人なんだから。」

 水上ヴィラの中には既に布団が一組敷かれていた。

 ツアーはナインズの背をさすってしばらく布団の上で座って揺れた。フラミーの真似だ。フラミーならこんな時歌を歌うのだろうが、生憎ツアーにこういう時に似合いの歌の持ち合わせはない。

「つあー?」

「なんだい。」

「ないくん、おふろと、はみがき。」

「どれも早急に必要じゃないだろう?」

「おふろ、ない。寝んねいいの?」

「今日は特別だとも。ほら、もう布団に入るんだ。」

 ナインズは渋々布団に入ると、掛け布団をめくってツアーを見上げた。

「つあー、寝んねしよ?」

「いや、僕はここで――」

「寝んね…しようよぉ…。」

 ナインズが泣こうとする。ツアーは竜の体で溜息を吐くと鎧を隣に潜り込ませた。

 天井には湖に反射した星の光が踊っている。

「つあー、お話しして。」

「お話?」

「うん…。おとうたま、おかあたま。ドーンって。どらごんやっつけるお話…。ほね分けっこするの。」

「………それは僕が教えてほしいくらいだね。」

 二人は黙って天井を眺めた。

「つあー、お歌してぇ。」

「うーん、そうだねぇ…。歌はな……。そうしたら、僕が知るアインズとフラミーの話をしよう。」

 

 ナインズは黙って耳を傾けた。

 

「君の両親と初めて会った時、この者達の根は悪だと僕は確信した。世界に悪い影響を与えるに違いないとね。しかし、僕の古い友人もそうだった。彼はいい友人だったんだ。そして、アインズを信仰していた。そうじゃなければ僕はきっとあの時戦いを挑んでいただろうね。僕は結局僕の友人が愛したアインズを信じてみることにしたんだ。だから、その時はお互い約束をして僕は帰った。」

「うん…。」

 

 ナインズは頷いたが、あまりよく分かっていないようだった。しかし、何かを喋りかけられていれば良いのだろう。ツアーは続けた。

 

「アインズは僕との約束を破らなかった。約束と言うのは簡単なもので、アインズは"フラミーや守護神に手を出されなければ世界を蹂躙しない"、僕は"アインズが世界を蹂躙しなければ手を出さない"と言うものさ。だけど、僕はアインズに戦いを挑んだ。僕は確かに世界の悲鳴を聞いたからね。僕はどこかでアインズが何か恐ろしい事をしていると思った。だけど、後になって聖王国の聖騎士がフラミーに向けて剣を振るったと蒼の薔薇に聞いて知ったよ。アインズはフラミーにそんな真似をされれば世界に悲鳴の一つも上げさせて当然だったんだ…。」

「うん…。」

 

 天井に映る揺らめきは波打ち弾ける。聖騎士がフラミーへ剣を下ろしたその時を見せたようだった。

 

「結果的に約束を破ったのは僕になってしまった。代償として僕はアインズに全てを奪われたけれど、アインズはそれで全てを手に入れられたわけじゃなかった。アインズもフラミーも、いつも二人でいるというのにどことなく孤独そうだった。二人はいつも互いを何かに奪われやしないかと怯えていたよ。丁度今の君のように。」

「うん…。」

 

 数拍の間に波打つ音が聞こえる。

 

「そして二人は常闇の竜王(ディープダークネス・ドラゴンロード)と戦い、大いなる犠牲を払った。今までのぷれいやー達ならきっと魔神になっていただろう。だけど、二人はこれまでの凡ゆるぷれいやーと違った。互いを孤独にすることはなかった。しかし、力を持つ者は常に孤独と隣り合わせだ。ナインズ、君もいつかは孤独を知る日が来るだろう。その時、僕は君と共にある事を約束する。だから、いつか君が真実の孤独を感じたら――」

 

 ツアーは控える不可視化状態の僕達の位置から聞こえないように、ナインズを抱きすくめて極限まで声を落とした。吐息のような声だった。

 

「――評議州にある僕のところか東方の国へ行くといい。東方の国はビーストマン州を越え、沈黙都市を越えた先だ。沈黙都市から何日も何時間も東へ向かって歩くと、君はきっと小島がたくさん浮いている海に行き当たるだろう。そうしたら、海が腰くらいの浅い場所を探すんだ。そこには月の満ちる日にはすっかり潮が引いて広い道が現れる。この大陸の隠された広いところへ渡れるんだ。そこには信頼に値する竜王がいる。」

「うん…。」

 

 ナインズの目にはこの間生まれて初めて見た海という広い水たまりが真っ二つに割れて道が現れる様がまざまざと浮かんだ。

 

「君はぷれいやーと戦える。ともすれば始原の魔法を持つアインズとすらいつか互角に戦えるようになるかもしれない。強くなれ、ナインズ。そのどこまでも透き通った心のまま。」

 ツアーの話が終わる。ナインズは天井を見上げたまま口を開いた。

「つあー、ないくんね。起きたときに眩しいって思ったの。ここはどこって思ったの。」

「うん…?朝のことかい?」

「ううん。ないくん、ずっとおかあたまといた。でも、起きたら寒い。こわかった。だからおーいって言ったの。そしたらね、皆泣いてた。どうして泣いてたのかな。でもね、ないくんも泣いてた。皆ないくんを待ってたよ。皆ないくんが大好きなの。」

「君は言葉も何も分からずに産まれたのに、産まれたときにそう思ったのかい。」

「うん、ここはすごく――きれいなばしょって思ったよ。」

 ナインズはそう言うとツアーの鎧のお腹をぽん、ぽんと叩いた。

「ねむれ、ねむれ。」

「……わかったよ。………悪かったね。」

 ツアーはナインズを抱え直すとナインズの言ったことの意味を考えた。

 ナインズが本当に伝えたかったこと。

 それは――

「……俺は本当は孤独だった。だけど、この世界ではそうならずに済みそうなんだ…。そんなに怯えるなよ……お前だって…竜王なんだろ………。」

 ツアーはアインズにかつて言われた言葉をなぞった。

「なぁに?」

「いや、なんでもない。君は確かにアインズの子のようだ。ナインズ。」

 ツアーは静かに竜の身の目を閉じた。

 

+

 

「おとうたま、みてぇ。」

 ナインズはベビーベッドで眠り続けるアルメリアの背に生える翼を指差し振り返った。

 生まれて三日経ったアルメリアの翼はまだ一本も羽毛が生えておらず、薄紫色の肌が露出していた。小さな翼は時折パタパタと羽ばたかれ、まるで飛ぶ練習をするようだ。

「あぁ…見てるぞ。」

 仕事をほっぽり出し、寝室から出ようともしないアインズはナインズと並んで新しい命を眺めた。

「おかあたまも見たい?」

「いや、フラミーさんはもう少し寝かせてあげよう。まだお休みが必要なんだ。」

 部屋にはフラミーとアルメリアの寝息が響いていた。

 ナインズは丸くなっているアルメリアの頭をそうっと撫でた。

 少量の銀色の髪が生えているが、肌の紫に馴染んでしまいほとんどハゲている。 

「んぅぅ………。」

 一言だけ漏らしたアルメリアは一層羽を動かし、うつ伏せになった。

「あ、花ちゃん。ダメだぞぉ、こっち向うねぇ。」

 アインズは誤って窒息しないようにゆっくりアルメリアを横向きに戻した。

 ナインズなどは寝返りを打てるようになるまで四ヶ月は掛かったが、体の構造が違うアルメリアは既に寝返りを打ってしまう。首は座っていないので、横を向いたままだが心配は尽きない。

 アルメリアが生まれて三日、アインズは一度も眠っていない。しかし、骨の身でいれば何の問題もないことだ。

 アルメリアは羽を動かしてすぐに毛布を何処かにやってしまうが、アインズは何度でも毛布を掛け直した。

「ね、ね、おとうたま。」

「んー?」

 小さなフラミーを見つめる赤い瞳は優しく愛しげに光り――どこかだらしない。

「ないくんの羽は?」

 アインズはその問いを受けるとナインズの頭をくしゃりと撫でた。

「九太は羽は生えないぞ。代わりにいつか飛行(フライ)を教えてやるからな。」

「ないくん羽がいい。ないくんだけ羽ない。おそろいない。」

「父ちゃんも羽はないだろ?父ちゃんとお揃いじゃないか。」

「ないくんの骨は?」

「骨なら九太にもあるぞ。それに、ここの線も父ちゃんとお揃いだ。」

 目の下を撫でられたナインズは、自らの小さな手に視線を落として頬を膨らませた。

「ない。」

「いいや、この皮膚の下にあるんだ。」

 アインズは数日ぶりに人の体を取り戻すとナインズの手を握った。

「どうだ?これは骨だろう。」アインズはナインズの手の甲をグリグリと触った。「父ちゃんも皮膚の下にある。触ってみなさい。」

「やさしく、そっと、ギュってしない。」

 ナインズはいつもフラミーに言われる言葉を返すと、アインズの指輪がぎっしりとはまる手を優しく撫でた。

「はは、お前は偉いな。本当に偉いよ。」

「へへぇ。」

 血とは不思議なもので、フラミーにこれだけ良く似ているナインズだと言うのに、アインズともそっくりな顔をしている。

 二人は友達のように笑い合うと、またしばらくアルメリアを眺めた。

 そうしていると、アルメリアが再び羽ばたき、毛布を退かした。

「――おっと、おてんばだな。はは、フラミーさんもじゃじゃ馬娘だったから仕方ないか。」

 アインズは転移して来てまだ三ヶ月程度の頃のことを思い出す。デミウルゴスの身包みを剥ごうとしていた時のことだ。

(デミウルゴスさんが私の一番の理解者だと思って、か。)

 アインズとて、フラミーの一番の理解者である自負がある。もちろん当時もあった。

 あの時、無償に苛立たしく思ったものだが――今思い出しても妬けてくる。

「……俺もそんな風に言われてみてぇなぁ…。」

 アインズがあぁあ、と声を漏らすと、ナインズは首を傾げた。

「おれも?」

「…いや、こちらの話だ。九太、父ちゃんは九太の一番の理解者だからな。」

 ナインズはそれを聞くと嬉しそうにうなずいた。

 

「ないくん、こどくじゃないよ。」

 

 アインズは数度瞬く。孤独などどこで聞いたのだろう。

 

 すると――「あいんずさぁん。」

 フラミーの声だ。

「あ、はい。おはようございます。」

「悟さんは私の一番の理解者ですよぅ。文香ちゃんの理解者ですよぅ。」

 そう言うと、のそのそとベッドの上を移動してアインズの腰にひっついた。

「はは、本当かなぁ。」

「へへぇ、ナイ君にはあげられないのです。」

 頬をぐりぐりと擦り付けるフラミーの様子に、アインズはおかしそうに笑った。




ナインズ様、ずっと誰かが話しかけてくれる環境にいる+レベルも高いからどんどんお利口になっていく…。
本当にあっという間に大人になっちゃうのね…。
ツアーはナインズ様を、アインズ様が暴走した時の保険にしたいんだろうなぁ。

そして御身装備コスプレフララを食らえ!
杠様に昔いただいたものです!

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