「よーし!そこで……
イズガンダラの指示で一斉に
カカカカッと硬質な音を上げ、立てられている木製の人形に無数の矢が突き立つ。
「そこ!得物はギリギリまで隠すんだよ!何やってんの!!」
「――随分磨き上げられているな。」
騎馬王から感心したような声が漏れた。それは、彼らがこの自由な六年間、決して手を抜かずに今日まで過ごしてきたであろう日々への称賛だ。
全員から今年の戦争で全ての決着がつくという覚悟が漂っており、誰もが強い緊張感の中で訓練を重ねていた。
一帯は戦争へ向け、全身の血が沸き立つような空気で満ちていた。
張り詰めた空気は言葉を解すことがない
強力な魔獣である彼らも騎馬王の前では通常の馬のように大人しくなった。
そうしていると、一体の
「
そう言い終わるや、訓練を重ねていた者達は互いの肩を叩き合い、これまでの恐るべき野生の形相は穏やかなものへとなった。
彼らもまた、今年で戦争が終焉を迎えると理解しているのだ。
各代表の会議の場として、一つの
皆若い者を二、三人従えているので、
これまで訓練をしていた者達の体の毛は汗に濡れていた。
皆が各族の代表だが、やはり全ての頂点に立つ男――騎馬王が一番に口を開いた。
「マイカ殿、久しいな。」
「ご無沙汰しております。騎馬王殿もお変わりなく。」
「そう言ってもらえると気が休まる。若者にはただの老馬だと思われてもおかしくはない年だよ。」
「騎馬王殿がただの老馬では、我々はただの子兎ですよ。」
二人の戯けたような様子に皆軽い笑い声をあげた。
そして、笑い声が自然と引いていき、騎馬王は全員の代表の顔を見渡した。
「――これで、全員となったな。」
皆力強く頷く。騎馬王はなんとも形容し難い気持ちに襲われた。
「……今回、皆にはまず問わねばならない事がある。例えその答えが皆の望むものであろうがなかろうが、答えた者やその種族を悪く言ったりはしないでほしい。」
ここまで言われて、これから何を言われるか解っていない代表はいない。
それぞれ、重々しい息を吐いた。
「カルサナスが神聖魔導国の一部となった事実を、
「はい。夏草海原連合軍も、ビーストマン州で?」
「その通り。ビーストマン州の街で皆と情報共有を済ませて来た。それに当たって、今年の戦いには本当は参加したくないと言う種族はあるだろうか。」
誰も一切の身動ぎを見せなかった。
「……参戦したくないと言っても、それは決して責められるようなことではない。相手は以前にも増す超巨大国家の一部となった。カルサナスと違って神聖魔導国の戦法や抱える兵力など、我々は何も知らないのだ。だから、他種族へ義理立てのような真似はせずとも良いのだぞ。」
騎馬王は子供を諭すように優しい声で告げた。
一番に答えたのは
「――水臭いっすよ、今更。なぁ?」
「元より、参戦するつもりがないならビーストマン州を出たとき、夏草海原へ散っていた。そうですよね。」
「私達も当然参りますとも。嫌な者はこの池には集まらない。それが全ての答えです。」
「………すまん。」
「何を。おかしな事を仰る。」
「あんま俺達を見くびらないで欲しいところっすよ、ほんとに。」
「相手が強かろうと弱かろうと、我々の悲願は変わりません。」
強い決意が瞳に映る。騎馬王はこの瞳を、一体何度見送って来ただろう。
子供の頃から幾度となく、この瞳に救われ、この瞳を救おうと誓って来た。
「皆、頼む。」
「「「応!!」」」
腹の底に響くような低い声が一斉に響く。
その様子に、若き者達は何故か無性に感動させられた。
「さて――」そう口を開いたのはマイカだ。「皆様にはお伝えしなければならない重要な情報があります。おい、お前。一歩前へ。」
マイカに言われ、後ろに控えていた
騎馬王は目を細めた。
その者は可愛らしい顔立ちをしており、ひらひらとしたレースのスカートを履いていた。
「――首狩り兎か?」
「どーも。」
彼は軽く顔を傾けて微笑んだ。
そう、彼だ。スカート姿が非常によく似合うが男だ。
この格好をしていれば相手は油断するし、股間を攻撃されることもないため敢えて女のような出で立ちをしている。
可愛らしい仕草も相手を油断させる一つなのかもしれないが、普段から彼はあんな感じなので、もしかしたら女装は趣味でもあるかもしれない。
そんな可愛らしい外見を持つ男には不似合いだが、彼こそ夏草海原と
彼は普段はアーウィンタール市にある闘技場の支配人と護衛契約を結んでいるので、夏草海原の中でただ一人神聖魔導国に暮らす者だった。
「変わらぬな…。いつまでも幼子のようだ…。」
騎馬王がしみじみと言うと、マイカと首狩り兎は父親を前にしたように照れ臭そうに笑んだ。
「騎馬王殿、皆様。首狩り兎は神聖魔導国の王陛下と王妃陛下、その側近達に会ったそうなのです。是非話をお聞き下さい。」
首狩り兎は一流の戦士兼暗殺者として以外にも才能を持っている。
それは相手を見抜く目だ。戦士や暗殺者として修羅場をくぐり抜けてきた経験から来る人物評価論は信頼できる。
「そうか。バンゴー殿はコキュートス殿かデミウルゴス殿が戦場へ出れば我々は死ぬしかないと言っていたな…。この二人が何者かは知らないが、聞かせてくれ。神聖魔導国に君臨すると言う大いなる存在の力とやらを。」
「コキュートスとデミウルゴスも側近だね。うちの国じゃ守護神なんて呼ばれてる。王妃も側近も超級にやばいよ。神王に至っては竜王よりやばいかもね。目の前を横切られるだけでゾクゾクする。」
騎馬王はそこで一度手を挙げ、首狩り兎の言葉を遮った。
「首狩り兎、一国の王陛下を神王などと呼び捨てにするのはやめなさい。」
騎馬王の嗜めに、首狩り兎はぷくりと頬を膨らませ、すぐに顔を戻した。
「へーい。」
「うむ。それにしても…神聖魔導王陛下か。バンゴー殿が神々の力を見せつけられたと言ったのは正しい評価だと認めねばならんな…。」
「うん、バンゴーが誰だか知らないけど、そいつの言うことはほとんど当たりだと思う。こないだうちの闘技場に神王――陛下達と側近が劇を見にきたとき、側近二人の足音はここにいる誰であっても敵うようなもんじゃなかった。」
「あなたや騎馬王様も敵わないのですか?」
「そう、無理だろうね。」
「あなたは騎馬王様にも勝てないと言うのに、なぜ分かるんです…。」
「分かるよ。騎馬王さんと戦ったりすりゃ俺はボロボロになって死ぬけど、奴ら――じゃなくて、あの方達と戦えば俺は瞬きもせずに死ぬ。ってかここの人らは聞いた?トロール市の話。」
皆が顔を見合わせ、情報を持っているか確認し合う。
それだけで、トロール市のことを知っている者がいないことを首狩り兎は確信する。
「あそこ、老いた戦士達を神王――陛下が次々と赤ん坊に変えてらっしゃるらしいよ。うちのオスクも武王と一緒に赤子に戻った武王の兄貴を鍛えるとか言って、しょっちゅうトロール市に行ってる。」
「……つまり?」
「神聖魔導国は無限に強者を抱えることができるってわけよ。多分側近達も何度も赤ん坊にされては訓練を重ねて最強の存在になったんだと思う。」
「そんな事がありえるのか…?」
あまりにも非現実的な話を前に、誰もが訝しむような声を出した。
「――信じるも信じないも皆の勝手だけどさ、俺も死ぬ為に戦場に出るのはいくらなんでも御免なんだよね。今年で最後だって分かってるから来たけどさ。」
「首狩り兎!お前は本当に口が過ぎる!!」
マイカが強い口調で嗜めると、首狩り兎はベッと小さな舌を出した。
「それで、さ。今度はそっちの番。夏草海原連合軍の神聖魔導国の評価は?どうやって勝つつもりなの?」
全員の視線が騎馬王へ集まった。
「今年の戦争は数えきれない血が流れるだろうな。…やはり総力を上げるしかあるまい。しかし、本当に文字通り総力を上げればこの夏草海原から強き男はいなくなる。クルダジール、こちらへ。」
「はい。」
クルダジールは騎馬王の側に身を伏せた。
「お前のような若者は今年の戦争には出るべきではない。私は首狩り兎の話を聞いて、今確かに確信した。すべての戦死者達の為にも、残りの土地も奪い返さねばならないが――その前に、種族として絶滅するようなことは避けよう。お前は残ってくれるな。」
「き、騎馬王様!私もむざむざ死ぬつもりはありません!残りの土地の奪還は、戦死者のみならず、夏草海原に住むすべての種族の悲願です!!」
「お前はまだ若い。荒寥とした夏草海原を見たことはないはずだ。お前の持つ恨みは我ら上の世代より押し付けられた幻想。この戦いに出るのは荒れた夏草海原を知る者だけにしないか。」
「そんな……騎馬王様だって戦中のお生まれなのに…。」
「まぁ、な。しかし私はお前達と違って荒れ果てた野を見て育った。それに、この戦いの先にのみ安寧を見出している。」
「そ、それは私達であっても――」
「戦わなかったこの六年の間に、お前たちが安寧を見出していなかったとは言わせないぞ。そう言う者は今回の戦争に関わる必要はあるまい。」
騎馬王とクルダジールのやり取りを見た種族の代表達は、自らの後ろに控える若者に「お前達もだ」と声をかけた。
「――それじゃ戦力減るから勝てる確率が下がるけど?」
首狩り兎が軽口を叩くと、マイカはじろりと視線を送った。
「首狩り兎よ、これは我ら上の世代の決死の覚悟だ。若者は置いていく。しかし、荒れた夏草海原を見た事がある者は、希望するならば戦士でなくてもこの戦いに出す。そう言うことを騎馬王殿は仰っているのだ。」
「え?それ勝てんの?」
「荒れた大地を知る全員が死ぬか、すべてを取り戻せばそこで恨みは絶たれる。お前達若い世代は神聖魔導国へ老人がやったことだと言って許しを乞い、再び安寧の中に暮らしなさい。」
「いやいやいや、おかしくない?皆死ににいくの?皆誰かの父親や母親なのに。それで俺ら若者世代にカルサナスを恨むな、神聖魔導国に許しを乞えって無理があるじゃん。」
首狩り兎が代表達を見渡す。全員既に腹をくくり終わっているのか、話し合いが始まる前と今で表情が変わっている者はいなかった。
「我らとて自殺しにいくわけではありませんよ。全滅の可能性が高い場合に使うと決めている作戦があります。それは戦士達が自爆などの手を使ってでもカルサナス軍を止め、戦士ではないものがあの村の家々を打ち壊すと言うものです。」
騎馬王が頷き、続ける。
「夏草海原は住める場所ではないと思い知らせたとき、私達は真なる勝利を迎え、死した戦士達のもとへ召されるだろう。残された者の痛みは時が癒してくれる。」
「な…。」
首狩り兎は絶句した。
若い戦士達が絶望したようにそれぞれの代表に抗議する様は、悲痛に満ちていた。
「――お、俺はそんな馬鹿げた話、認めないよ。」
「認めず、我らを笑ってくれ。そして神聖魔導国で生きろ。ここは今年の戦争を終えたとき、神聖魔導国の一部となるだろう。お前は皆に神聖魔導国で生きるのに必要な礼儀を教えてやれ。」
「騎馬王さん!!あんた、本当に老いちゃったのかよ!!」
「ふふ、老いたのだな。バンゴー殿をどこか腰抜けだと思ったが、私も腰抜けだ。戦いの中にあると言うのに、これからを生きるお前たちの生を思うと戦いを忘れる。」
「う、嘘でしょうよ…。百戦錬磨、夏草海原に君臨する希望の星の騎馬王が…。」
首狩り兎が認めたくないとばかりに首を振ると、騎馬王は依然として老いを見せない射抜くような光を放つ瞳で笑った。
それは決して戦いを忘れていない、腑抜けや腰抜けが見せられるものではない――戦士の笑みだった。
首狩り兎はそれを見ると、ハッと何かを思いついたような顔をした。
「帰る」たったその一言を残して垂れ幕を飛び出して行った。
「――失望されたろうか。などと、この期に及んで自分がどう見えているかを気にすると言うのも馬鹿げた話か。」
騎馬王が自嘲すると、「あなたは希望の人ですよ」と誰かが言った。
その証拠に、静寂の下りた
「やれやれ。親がしつこければ子もしつこいか。」
代表者達が苦笑していると、不意に
慌てるような羽ばたきだ。
「き、騎馬王様!草原の向こうより見たこともない異形が!」
「何?いつものカルサナスの暗殺部隊か?それとも、バンゴー殿が仰っていたようにアンデッドか?」
「い、いえ…!カルサナスの者でも、アンデッドでもありません!あんな異形、私は見た事がありません!」
「――とすれば神聖魔導国よりの使者か…?開戦を告げられるかもしれんな……。全員、
騎馬王の一声で全員が腰を上げる。垂れ幕が左右に寄せられ、続々と
遥かなる夏草海原の先から、たった一人見たこともない異形が近付いてきているのが見えた。
「一人ということは…戦うつもりはないのか…?」
相手はこちらが戦いに挑む姿勢を見ても一切の反応を見せない。
(…殺されないと言う圧倒的な自信か…はたまた神聖魔導国とは無関係な知能のない者か…。)
一方的な武力を持っているはずの神聖魔導国から話し合いを求められる可能性は非常に低い。
騎馬王は思考を巡らせるが、全ては想像の域を出ない。
まだ距離はある。
正確な
(このプレッシャー…。まさか、本能が怯えているとでも言うのか…!)
「騎馬王殿、どうしやす!」
「待て!相手は丸腰。何が目的か突き止める必要がある!」
夏草海原連合軍は丸腰で現れた正体不明の相手に剣を抜くほど落ちぶれてはいない。
ズン、ズン、と足音が鳴る。一歩近付くごとに騎馬王は生存本能を刺激されるようだった。
その異形は異形と言うには美しすぎる。
全身が水のように澄みきったブルーだ。硬質そうな外皮は空と太陽を写し、暴力的なスパイクの伸びた尾をしていた。海よりも青い瞳は真っ直ぐに騎馬王を捉えいるようだが、表情は読み取れない。
それは互いの手が届かぬ距離で立ち止まるとゆっくりと口を開いた。
「オ前ガ騎馬王ダナ。」
騎馬王はビリビリと震えるような強烈な力を感じた。
いやぁ…草原の皆様はとっても理性的だなぁ…。
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