眠る前にも夢を見て   作:ジッキンゲン男爵

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#121 群れの新人

「オ前ガ騎馬王ダナ。」

 ビリビリと震えるような強烈な力を感じた。

 

 騎馬王は瞬時にこれが王の側近の一人であると確信し、頭を下げた。

「…如何にも。良くここがお分かりになりましたな。」

「ウム。御方ノオ(チカラ)ヲオ借リシテ参上シタ。私ノ名ハコキュートス。ナザリック地下大墳墓、第五階層ノ守護者デアリ、神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国ガ守護神ノ一人デアル。」

 名乗りを上げたコキュートスへ、騎馬王はうやうやしく頭を下げた。

「お噂はバンゴー殿よりかねがね。ご存知の通り、私は夏草海原連合軍、騎馬王にございます。」

「騎馬王ヨ。貴様ハ我ガ神聖魔導国へ攻メ入ロウトシテイルソウダガ、ソノ鉾、収メテハクレナイカ。」

「……我々が攻め入ろうと言うのは神聖魔導国ではなく、カルサナスです。カルサナスの者達はいつでも自分たちの事しか考えていない。我々はその場所が誰のものなのか最後に分からせてやらねばならないのです。」

「粛清シヨウト言ウノカ。」

「言葉を変えれば。」

「ヤメテオケ。オ前達ガ生キ残レル可能性ハ万ニヒトツモ無イ。」

「それでも……それでも我々は行わなければ。無礼を承知で敢えて言わせて頂きます。我々の事情に踏み込まれるには、あなた様はあまりにも無関係な存在だ。これはカルサナスと夏草海原の話。例えカルサナスが神聖魔導国の一部になろうとも、あなた方は本質的には部外者である!」

「……カルサナスハ既ニ、我ガ支配者アインズ・ウール・ゴウン様ノ御名ノ下デ守ラレシ場所ダ。事情ハイゼナ・バンゴーヨリ聞イタ。同情ハスルガ私ハオ前達ヲ止メネバナラナイ。」

「我らの最後の戦い。止まらぬと言ったら。」

 騎馬王の馬体の筋肉はまるで膨張するようだった。

 夏草海原連合軍の発する空気がギリギリと張り詰めていく。

 ――しかし、コキュートスは涼しげに告げた。

「止マルト言ウマデ説得スルノミ。私ハ今日カラオ前達ト過ゴソウ。最後マデオ前達ヲ説得シ、ドウシテモ攻メ入ルト言ウノナラ……ソノ時ニハ私ガ一人デ迎エ打チ、オ前達全員ヲコノ手デ斬ル。」

「煩わしい奴…!」そう、ワジュローが不快げに息を吐いた。

 騎馬王は一瞬目を丸くし、ワジュローを止める事も忘れていた。コキュートスはただ命令されてやっていると言うよりも、何か強い信念のようなものを感じさせた。

「や、やめよ。ワジュロー殿、待つのだ。――コキュートス殿。貴殿はお優しくいらっしゃるようですな。今すぐ我らを切り捨てると仰らないのは何故です。」

「我ガ君ハ戦イヲオ望ミデナイ。オ前達ガ傷付ク様ト、傷付イテ来タ日々ヲゴ想像サレ、心ヨリオ嘆キニナッタ。オ前達ハイツカ神聖魔導国ノ一部トナルダロウ。ナラバ、無意味ナ殺生ハ私ノ望ム所デハナイ。私ハ国民ヲ傷付ケル刀ヲ持チ合ワセテイナイ。」

「ま、まだ国民になるとも言っていない我らを国民として扱おうと仰るのか!?」

「ソウダ。オ前ハ百年前ニ関ワリヲ持タナカッタ私達ヲ無関係ダト言ッタガ、望ム望マナイハ置イテオイテ、コノ世ニ生ヲ受ケタ時点デ既ニオ前達ハフラミー様ノゴ加護ニ触レタ者ダ。騎馬王ヨ、私モ敢エテ言オウ。生ノ神タルフラミー様ノ僕デアル私ハ、オ前ト無関係デハナイト。」

「馬鹿な…。」

 騎馬王が呟くと、人犬(コボルト)のワジュローは威嚇するように数度吠えた。

「貴様!訳のわからん事をのたまって!共に過ごすだと!?追い出してくれる!!イズガンダラ、支援を!!」

「やめろ、ワジュロー!」

 人鳥(ガルーダ)が二人がかりでワジュローを止め、耳打ちした。

「相手は一人で迎え撃つと言っているのだ。村を落とすにはそれの方が都合が良い!」「かの者は魂喰らい(ソウルイーター)が出ない証明だ。ここに置けば相手の手の内も知れる!」

「――ッチィ!相手の手の内を掴む前にこっちが丸裸にされちまう!」

「抑えろ、今は抑えるんだ。ワジュロー!」

「ック……!寝首をかかれたら死んでも死にきれんぞ!!」

「皆で見張れば良い!」「その為に我ら人鳥(ガルーダ)偵察団がいるのだ!」

 ワジュローは鼻を鳴らすと、どかりと草の上に座った。

「好きにしろ!!」

 これまでカルサナスの刺客が来た時には捕らえて話を聞き、全員殺してきた。どの池に集まり会議をしているのかなどを知られれば、待ち伏せをされて一網打尽にされる危険性があるためだ。休戦の六年の間にも何度かカルサナスからの刺客は来ていたが、力のある男達が対応して来た。

 騎馬王はワジュローが腹を立てる横で、コキュートスを真っ直ぐに見つめた。

「コキュートス殿。若者達は説得で止まるやもしれませんが、おそらく我らは止まりませぬ。それでも、本当に共に過ごされますかな。」

「アァ、過ゴソウ。」

「私はやはり、神聖魔導国は無関係だと思っております。しかし、思惑は種族ごとそれぞれにある。その振りかざした正義感に殺されぬようにお気を付けて。」

 コキュートスは面白そうに息を吐いた。

 

+

 

 首狩り兎は走る。

 一心不乱に神聖魔導国への帰路を駆けた。

 自分の足で走って五日もかかる道のりだ。

 遠路遥々来てやったというのに。騎馬王、なんたる体たらく!

 そう悪態を吐く首狩り兎の目からは涙が溢れそうだった。

「させてたまるか!騎馬王さん…マイカさん…殺させてたまるかァッ!!」

 スカートが翻る。美しく懐かしい夏草海原の青草の香りがする。

 生まれた時から変わらぬ優しい風に乗り、綿毛で浮かぶ種子が、愛に踊る蝶が、彼方より帰ってきた渡り鳥が空を行く。

「カルサナス!俺はやってやる…!」

 首狩り兎は常々カルサナスの情報を集め、夏草海原の人兎(ラビットマン)の里へ運び続けて来た。

 戦争は前線で戦うことが全てではない。このオリハルコン級冒険者並みの力を持つ人兎(ラビットマン)はその事をよく理解していた。

 騎馬王はアダマンタイト級冒険者よりも力がある。あれこそ真の戦士。

 ならばと、首狩り兎は夏草海原連合軍と共に戦場に出ることよりも、その戦場が有利になるようカルサナスの要人を暗殺したり、防衛軍の兵力情報を盗み出したりすることを選択し、自分の役目に徹して来た。

 そんな折、オスクとの出会いは首狩り兎にとって僥倖だった。

 住むところ、食べるもの、全てを用意して賃金までくれる。賃金はほとんどが女装と情報収集のために消えて行った。

 

 首狩り兎が駆けていると、前方には戦争に出ない一般の人馬(セントール)達がいた。生まれたばかりの赤ん坊が母親達の間を嬉しそうに駆け回っている。

「おーい!おーい!」

 警戒されないように手を振り、一気に駆け寄ると、人馬(セントール)達は珍しいものを見たように首狩り兎を迎えた。

人兎(ラビットマン)じゃない。こんなところで一人ぼっち?寂しかったわね!」

「いや!私、これから夏草海原連合軍の秘密任務に行くの!お願い、私を夏草海原の終わりまで送って!」

 首狩り兎は少し声を高くそう言った。周りからは突然群れの輪に入ってきた者を確かめるため男達が集まり始めていた。男達は混合魔獣(キマイラ)の接近を警戒して群れの周りを歩くのが一般的だ。

「まぁ!良いわ、少しだけ待ってね。ねー!あんたー!ちょっと!早くこっちに来てー!」

 女達はより若い女に子供達を任せ、危険がないと分かり歩いて戻ってきている男達を手招いた。

「びっくりしたよ。俊足の生き物が群に入ったと思ったら人兎(ラビットマン)じゃないか!久しぶりに見たなぁ。」

 

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 男達は懐かしむように目を細めると、手を差し伸べた。首狩り兎はすぐに手を取り、握手を交わすとブンブンと手を振った。

 次々と握手を交わしながら、あちこちから伸びてくる手に頭を撫でくりまわされる。

 人兎(ラビットマン)は里を持ったが、ごく稀に遊牧を忘れられない者が一人でうろついていることがある。

 しかし人兎(ラビットマン)は孤独に弱い事が多いので、草原で出会った時には皆こうして「愛している、孤独ではない」と表現してくれるのだ。そうすると大抵どの人兎(ラビットマン)も家が恋しくなり里に戻っていく。

 もちろん、首狩り兎には無縁の話だ。――いや、実は寂しがり屋かもしれないが。

「ど、どうも!どうも皆さん!ねぇ、私連合軍の秘密の任務の途中なのよ。悪いんだけど、西の終わりまで送ってくれないかしら!」

「連合軍の?軍の皆様はどうしたんだ?」

「秘密任務だから言えないのよ!それより、送ってくれんの!くれないの!」

 送ってくれないなら用はない。今は時間が惜しい。

 首狩り兎は今は女のふりをしていたのは失敗かと思う。連合軍に女はかなり少ない。疑われているだろうか。

 しかし、首狩り兎の瞳を覗き込んだ人馬(セントール)は微笑んだ。

「連合軍の方とあればもちろん良いとも。途中まで連れて行こう。ただし、子供達も走れるスピードになるが良いだろうか?」

「もちろん!それでも私が走るよりよっぽど早いわ!」

 瞬発的なスピードは首狩り兎が上回るが、継続的にそのスピードを保つ事はできない。数メートル以上を走るなら人馬(セントール)の方が圧倒的に上だ。

「じゃ、乗れ。俺が一番体力がある。」

 人馬(セントール)が身を低くしようとすると、首狩り兎はひょいと身を翻して背に乗った。

「――お、やるな。流石に連合軍の秘密部隊なだけはある!」

「どーも!」

 首狩り兎は愛らしく笑った。

「お前、名は?俺はアストール。」

「私は――ライア・マイカ。」

 咄嗟に口にしたのは尊敬してやまない騎馬王(ヴェストライア)と、人兎(ラビットマン)の代表のフィロ・マイカの名前だった。

「ライア・マイカ、良い名だな!しっかり掴まれよ!」

 そう言ってアストールが前足を天へ向けて高く上げると、首狩り兎は一瞬落ちそうになった。しかし、すぐに晒された美しい人間の体に掴まり嬉しそうに笑った。

「おわっ――と!ハハっ!まかせてよ!」

「ふふ!皆、進行方向を変えよう!連合軍の勇敢なるライア・マイカの為!西へ!!」

 子供達は嬉しそうにワァー!と声を上げ、アストールの周りに近寄った。

 何十頭といる人馬(セントール)達が一斉に進路を変更し、首狩り兎の目指す神聖魔導国へ駆け出した。

「ライア・マイカ!女の子なのにすごいね!」「アストール兄様はこの群れで一番強いんだよ!」「本当はアストール兄様も連合軍に参加できるくらい強いけど、群れの為に残ってくれたんだ!」「私人兎(ラビットマン)って初めてみたぁ!ライア・マイカは寂しくないのぉ?」「ふわふわのお耳!かわいんだねぇ!」

「へへ、寂しくないよ!私は寂しくならないために、戦ってんだから!」

 子供達の無垢な瞳に笑い返す首狩り兎は一つのことを悟る。

 この命を守りたいと、皆戦いへ行ってしまうのだ。

 守れなかったこの命達のため、皆戦うのだ。

 代表達からすれば、首狩り兎などこの子供達とそう変わらないのかもしれない。

 しかし、首狩り兎とて命を捨てて戦っても良いと思ってここまで来た。

 オスクはいつでも戻って来て良いと言ったが、二度と戻れないと覚悟も決めた。

 首狩り兎は鼻の奥がツンと熱くなるのを感じた。

 

「夏草海原へ――勝利を!!」

 

 拳を掲げると、皆が声を上げて応えた。

 

+

 

「あれ、どうするんすか。」

 ワジュローは少し離れた場所からこちらを眺めているコキュートスを親指で指し示した。

「あまり見られていては組み手の訓練はし辛いですね。」

 応えたイズガンダラの後ろでは弓兵隊が訓練を続けている。

 弓兵隊は見られたところで大したマイナスは無いが、連携を取る人犬(コボルト)達はコキュートスの前では大した訓練もできない。作戦の漏洩につながる。

 コキュートスはここにいると言ってから、騎馬王や代表者達に特別何かを言うこともなく、少し離れたところからじっと隊を眺めていた。それこそ、戦い方を研究するように。

 ひとまず騎馬王はコキュートスの存在に興奮している八足馬(スレイプニール)を宥めてやっていて、人兎(ラビットマン)達は移動の疲れを癒す為に草の葉を干して重ねた煎餅状の兵糧を食べていた。

「本当に説得する為に来たのか?ただ作戦を調べるスパイに来たんじゃないかと思うんすけど。」

「…もしそんな事の為に来たのだとすれば、一人で迎え撃つと言う言葉も怪しいですね。」

「全てが疑わしいな…。」

 二人がコキュートスの様子を伺っていると、クルダジールが仲間の若い人馬(セントール)を連れて動き出した。皆が丸腰だ。

「あいつら、何をするつもりだ…?」

 ワジュローとイズガンダラが止めるべきかと思っていると、クルダジールは何の心配もないと言わんばかりに頷き、コキュートスの側へ向かった。

 トッ、トッ、トッ、と軽快な足取りだ。

「神聖魔導国、コキュートス様。」

 グルダジールは一度コキュートスに頭を下げると、自慢の筋肉が晒されている上半身をしかりと張った。

「ム、ドウシタ。オ前達モ私ガ見テイル事ガ気ニナルカ。」

「気になります。しかし、それ以上にあなた様のお力が気になるので、手合わせをお頼み申し上げに参りました。」

「――ホウ。乗リタイガ、私ハオ前達ヲ戦争ニ向カワセナイ為ニ来テイルノダ。ナラバ、オ前達ヲ鍛エルヨウナ状況ニナルノハ私ニトッテ不本意ダト解ッテ言ッテイルノカ。」

 向かい合うクルダジールにコキュートスの表情を掴むことはできない。しかし、何か面白い提案をしてくることを期待しているように見えた。

「勿論です。私達はコキュートス様にも、全ての代表の方にもご納得いただく為、こうしてお願いに参りました。」

 ジッと見つめられ、クルダジールの掌にじわりと汗がにじむ。

 コキュートスは顎をしゃくって見せることで、続きを促した。

「――騎馬王様はコキュートス様に、我々若者の参戦を止める口説きを期待していらっしゃいます。イズガンダラ様はコキュートス様のお力をここで見極めたいとお思いですし、ワジュロー様は追い出したいとお思い。なので、私達はコキュートス様の手の内の全てを探り、尚且つ追い出すほどぶつかり合う事が一番だと思いました。一方コキュートス様には、我々の心を打ち砕くだけのお力をお示し頂くか、ぶつかり合いの中で我々を説得されては如何でしょうか。手合わせを行うことでの全員の利益は完全に一致しているのです。」

 コキュートスは組んでいた四本の腕をゆっくりと解いた。

「フフフ。騎馬王モソウダガ、オ前モ正直ナ男ダナ。人馬(セントール)ノ気性カ。」

「我々は続く者の誇りとなる騎馬王様のように生きたいと思っているだけです。」

「面白イ。良イダロウ。手合ワセ、シテミヨウジャナイカ。」

 コキュートスはシュー…と白い息を吐き、足を肩幅に開いた。

 その仕草だけで、いつでも来いと言っていることが分かる。

 戦士同士の間には余計な言葉など不要だった。

 クルダジールが馬体に掛けてある鞄から布を取り出すと、周りにいた人馬(セントール)達がそれを掌に巻き付けてやった。素手の殴り合いになるだろうが、相手の体は人馬(セントール)の身の何万倍も固そうに見えた。

 準備が済むと仲間達が周りから離れていく。

「――武器ヲ用イテモ良イノダゾ。」

「恐れ入ります。ですが、コキュートス様は何もお持ちではないのですから、まずはこれで!」

「面白イ。来イ!」

 その言葉と共にクルダジールは馬体に力を漲らせ、風のようなスピードで一気にコキュートスへ踏み込んだ。

 コキュートスはスピードに追いついていない為か、特別な構えも見せずにクルダジールを迎える。

「ッチェストォ!」

 クルダジールは迷いなく、コキュートスの二つ並んでいる大きな瞳へ向けて拳を突き出す。

 模擬の手合わせだと言っているが、クルダジールからは宣言通り、ここを追い出すだけの傷を負わせて見せると言う確固たる意志が漲っていた。

 だが、コキュートスはわずかに屈伸し、完全に拳を見切った無駄のない動きで回避する。

 巨体とは思えぬスピードでありながら、筋肉の使用率は最小限。構えなかった事がスピード不足ではないとはっきりと分かる。

「大振リスギルナ。」

「なんの!<疾風加速>!」

 ビリリと体に漲るものを感じると同時に、コバルトブルーの外骨格が覆っていない、黒い腹の柔らかそうな部分へ向けて前足の膝を突き込む。

 二足歩行のものならば、パンチをした後に踏み込み直す必要があるが、後ろ足で大地を蹴る事ができる人馬(セントール)に大勢の立て直しは不要。

 繰り出される一撃は二足歩行の者よりも、速さも力も乗っている。

 鎧を着ていない者の内臓を破裂させるには十分だ。

 騎馬王もこれまでどれだけの敵を蹴散らしてきたかわからない。

 辺りからはどよめきが上がった。

 人馬(セントール)の蹴りは左右に避けるのが当たり前だ。二メートル程度なら容易にジャンプできる脚力から逃れるには前後の回避や、受け身は命取りとなる選択だ。

 しかし――コキュートスはクルダジールの膝が腹に入ろうとしたその瞬間、足を一本後ろへ下げ、横を向くように体の向きを変えるだけでいなした。

 そして目前を通過しようとしたクルダジールの体を引っ張り、蹴り入れようとした力そのままクルダジールは地面に引き倒された。

 膝がずりずりと擦りむけ、両手を地についたクルダジールは馬体からも大量の汗をかいていた。

 運動そのものは大したことがなくとも、コキュートスから放たれるプレッシャーを前に、本能が悲鳴を上げていた証拠だ。

「な、なんたる…動体視力…。……お見それいたしました。」

 始まりから十秒前後しか経っていない。クルダジールは顎から垂れた汗を拭い、大きすぎる壁を見上げた。

 情けないが、これはとても倒せそうにはなかった。

「武技ヲ使エルトハ知ラナカッタ。一撃目カラ使ワナカッタノハ何故ダ。」

「加速したまま二撃を繋ぐと、スピードに体が着いていけない為です…。」

「ナルホド。改良ノ余地ガアルナ。」

 そんな事ができるのは人馬(セントール)の中では騎馬王だけだ。しかし、コキュートスの言葉は不思議とクルダジールならばできると信頼しているような優しさがあるような気がした。

 クルダジールはコキュートスを見上げたまま、思わず笑ってしまった。

 すると、野の空気を切り裂くような声が響いた。

「――何をしている!!」

 びくりと肩を震わせ、クルダジールは振り返った。

 騎馬王が怒りと不信感を抱いた瞳をコキュートスへ向けていた。

「騎馬王。手合ワセヲシテイタ。」

「手合わせ!?ふざけた真似を――!!」

 普段は温厚な男だが、騎馬王はコキュートスを信用して群れに留まることを許したのだ。傷付けないと言ったのは"青草の約束"だったかと、裏切られた怒りや自分の甘さに苛立ちが隠せない様子だった。

「き、騎馬王様!私からコキュートス様に手合わせをお願い致しました!!」

 慌ててクルダジールが叫ぶと、今にも掴みかかりそうだった騎馬王は驚きに目を丸くした。

「な――馬鹿者!!」

「申し訳ありません!しかし、本気の本気で挑んだので、本当に自分に必要なものが何なのかが分かりました!」

 騎馬王はクルダジールに何も答えず、コキュートスへ頭を下げた。

「コキュートス様、ご無礼を。」

「イヤ。私モ勝手ナ真似ヲシタ。悪カッタナ。」

「とんでもございません。」

 クルダジールは二人のやり取りの中に、一つのことを確信する。

 それは、騎馬王は手合わせなどしていないと言うのに、コキュートスの力を見極めているようだと言う事だ。

 身分のある相手であると言う事以外に、敬意を払うべき相手であると確信している様子だ。

「良イ若者ヲ連レテイルナ。アレハ名ヲ何ト言ウ。」

 クルダジールは痛む膝に鞭打ち、なんとか立ち上がると頭を下げた。

「クルダジールと申します。戦士を継ぐ者と言う意味の名です。」

「ソウカ。騎馬王、オ前ガ名付ケタノカ。」

「えぇ、そうです。よくお分かりで。クルダジールの父は良い戦士でした。」

「"デシタ"?」

「はい。クルダジールの母が身篭っていた年の、三十六年前の戦争で討たれたのです。なので、私が名付け育てました。」

「デハ、オ前ノ子モ同然カ。」

 コキュートスの言葉に、騎馬王は一瞬きょとんとし、クルダジールは強くうなずいた。

「――そう、なのでしょうか。」

「ソウダロウ。私ガオ仕エスル殿下ハ父君モ母君モイラッシャルガ――不敬ナガラ我ガ子ノヨウニ愛シク思ウ。」

 騎馬王はちらりと自らの八足の馬体を見下ろした。

 コキュートスはその顔を見た事があると思い、じっと見つめた。

(……コノ顔ハ……。)

 間違いない。

 常闇との戦いの後、血溜まりで抱きしめ合って泣いたアインズとフラミーの――あの時の顔に非常に似ていた。

 自らの無力を嘆く、守護者達にとって忘れられるはずもない痛みの叫び。

("コノ人ハ親ヲ知ラナイ。愛シテヤルト楽シミニシテイタ"……。"私ガ弱イセイダ…ゴメンナサイ"……カ……。)

 コキュートスは心の中でアインズとフラミーの言葉を紡いだ。

「――コキュートス様は良い王陛下の下にいらっしゃるのですね。」

「マサシク至高ノ御方々ダ。」

 

 夕暮れが訪れる頃にはコキュートスは希望した全員と手合わせをした。

 皆三十秒と掛からずに膝をつき、各々自らに必要なものを見出していた。




コッキュン、弟子がいっぱいで嬉しいね〜〜!

モブセントールさんの絵はユズリハ様にいただきました!

【挿絵表示】

セントールさんいけめんですねぇ。
髪の毛命!!

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