明かり一つ灯らない薄暗い大議場堂の廊下に二つの足音が響く。
「この廊下を曲がって…渡り廊下を行けば資料塔だよ…。」
後ろ手に縛られている兵は行き先に向けて顎をしゃくった。
「そうか。この先に警備はいるか?」
兵は首を振った。首狩り兎達は見回りがいる場所を避けてここまで来たのだ。
「多分常駐してる奴はいない。だけど、通り掛かってればいるかもしれないな。」
曲がり角につくと、首狩り兎は縛っている兵の手首を握ったまま首の後ろにナイフを当てた
「誰もいないか確認しろ。」
兵はため息を吐くと、こっそりと資料塔に続く渡り廊下を覗き込んだ。
「誰もいないよ。」
「よし、行き止まりまで進め。」
兵は「よくやるよ…」と呟いてから渡り廊下を進んだ。
ここまでは想定していた幾通りかの中で、最善に近い状況で来られている。
兵もぶつぶつと文句を言いながらも大人しく従っている。
渡り廊下には二人分の足音が嫌に大きく響いた。
行き止まりにある資料塔の扉が醸し出す重厚な雰囲気は、ここまで見てきた建物の雰囲気とは異なっていた。
この塔はそもそも都市国家同士で戦争をしていた頃に、カルクサーナスのトップが最後に逃げ込むことを目的として建てられた砦だ。
大議論を終え、戦争の終結と共に、後から大議場堂を塔の隣に建てて繋いだのだ。
塔の中にはカルクサーナスの重要な機密も保管されていたので、最後の砦を開放する事と合わせて、カルサナスの中心となるカルクサーナスが胸襟を開いたことをはっきりと周りの都市国家に知らしめた。平和の象徴の塔と言っても過言ではないかもしれない。
塔の頂上には鐘が下げられていて、戦時中は敵の襲来を知らせ、今は時を知らせている。
首狩り兎は兵から奪っておいた見回り用の鍵を兵の顔に突き付けた。
「どれがここの鍵だ?」
「一番デカくて重いやつだよ。」
「――これ?」
大きく凝ったデザインの鍵を見せると兵はうなずいた。
その反応に満足し、首狩り兎は扉の鍵穴を軽く覗き込む。中には少なくとも罠になりそうな物は入っていない。間違った鍵を入れた瞬間にボカン!と言うのはよくある話なので、確認を怠らない。
「何やってんの…?」
「うっせぇぞ。ぶっ殺されたくなかったら応援するか黙ってろ。」
「こえー…。」
兵の引きつるような声を聞き流し、首狩り兎はゆっくりと鍵を鍵穴に差し込んだ。念の為に兵が恐れるような顔をしていたり、逆に喜ぶような顔をしていないことを確認する。
首狩り兎は兵の言葉を丸っとは信じていなかった。
扉に耳を当て、おかしな音が鳴らないのを確認しながらゆっくりと錠を回した。
その時、ガチリと硬質な音が響いた。素直に鍵穴と鍵が噛み合った音だ。
「っあ、危ないぞ。」
兵が首狩り兎に一歩近付いた瞬間、首狩り兎は兵を引き倒し、その喉にナイフの切っ先を当てた。
「応援するか黙れって言ったのが解んねぇのかよ。傷付けられないと思ったら大間違――」
そう言っていると、ドアの模様だと思っていたものがカチカチと小さな音を立てて動き出した。魔法の施錠扉だった。
「耳が巻き込まれちゃ可哀想だと思っただけだよ。本当に怖い兎ちゃんだなぁ…。」
組み敷かれている兵は苦笑した。
「……そうかよ。それにしてもこの扉、もう少し静かに開かないのか?」
「静かになるわけないでしょうよ…。毎回こうやって開いてんだから。」
「仰々しいったらありゃしねぇな。」
扉の模様は噛み合い、外れ、また噛み合う。
解錠が済むまで、首狩り兎は兵の喉にナイフを当てて扉が完全に開くのを待った。
何分にも感じた解錠のカラクリが動きを止めると、扉は自動で開いた。
首狩り兎は兵を引っ張り立たせ、開いている扉に向かせた。
「おい、もういっちょ確認しろ。」
「――誰もいないよ。」
そもそも資料塔の出入りはそう多くはない。警備員も中まで確認する者は少なかった。資料塔は毎日来るような場所ではなく、新しく議題が持ち上がったときに必要に応じて議員達が資料を取りに訪れるような場所だ。
兵を先に入れてから首狩り兎も中へ身を滑らせた。
すぐに扉を閉めると、扉はまたカチカチと音を立てて施錠し直したようだった。
四角錐形の塔の中には窓がなく、
塔とは言え、避難所として作られただけあり、真っ直ぐに伸びる廊下にはいくつも扉があって、その先に階段がある。
「…部屋が多いな。歴史資料室と戦争資料室はどこだ?」
「逆に聞くけど、俺にわかると思う?」
「……わかんないのか?見回りもするのに。」
「わかんないよ。普段議員さん達も塔の係の人らに案内してもらってるし。」
資料塔係は議員達が欲しがっている情報を出したり、資料整理をする司書のような存在だ。他にも議会の速記を行ったり、新しい歴史書を作ったりもする。
「仕方がないな…。一部屋づつ確認して行くか。」
首狩り兎は見回り用の鍵を一度ポシェットにしまった。
入って来た魔法施錠の扉には内側にも鍵穴があった。つまり、入るにも出るにもこの鍵が必要なのだ。砦として逃げ込んだときに、誤って解錠してしまわない為のセキュリティだろう。
今の首狩り兎にとっては持って来いの作りだ。出るときには、ここに兵を置き去りにして鍵を持って逃げれば良い。そうすれば、追手が迫るまで余裕を持って逃げ出せる。
とは言え、時間をかけていると門に残してきたもう一人が不審がって探しに来るかもしれないので急がなければならない。
首狩り兎にかかれば、このレベルの兵がもう一人や二人現れても難なく殺せるが、それはきっと騎馬王の望むところではないだろう。神聖魔導国になる夏草海原を生きる若者達が冷たい目で見られるような真似はなるべく慎むべきだ。
首狩り兎は自分の両頬をパンパンっと叩いた。
「よーし、気合入れて探すか!」
一人でエイエイオー!と声を上げて進み出した。
「なぁ兎ちゃん、やめときなよ。」
「あ、お前はここで縛り上げられてるのと、一緒に資料探すのどっちが良い?」
「……一緒に行く。」
「よし。そんじゃあ水差してないでキリキリ歩け。」
首狩り兎は兵を半ば引きずり、資料の捜索を開始した。
ある部屋は親交のあった旧バハルス帝国の法令などが置いてあった。ジルクニフや先帝とのやり取りの書簡なども丁寧にまとめられている。
またある部屋には旧アーグランド評議国との貿易の歴史や航路の一覧があった。さらに別の部屋には都市国家ごとの習わしがどっさりと置かれ、二階に上がった部屋には議会資料や参考文献などが収められていた。
どれもカルサナスの言葉で書かれているので、想像よりも確認に時間がかかる。
中には読むことができない書物もあるが、そう言うものは限定的な種族達の情報の可能性が高いので深掘りはしなかった。
次々と確認をしていく中で、兵は首狩り兎に尋ねた。
「なぁ、兎ちゃん。そんなに歴史資料書が見たいんなら、一般公開の時に申し込めば見せてもらえたんじゃないのか?」
「…見るだけじゃダメなんだよ。神都に持って行って王――陛下達に見て貰うんだ。お前らカルサナスに都合が悪い情報も全部。」
「気持ちはわかんなくないけどさぁ。そんなこと今更やって何になるんだ?」
「今更だと?今だからやるんだよ。騎馬王さんや代表の皆が死なずに済むかもしれない。」
「騎馬王や代表は戦犯で裁かれるのか?」
首狩り兎は背表紙の文字を撫でていた手を止めた。
「……戦争でぶっ殺されるんだよ。」
「でも戦争は終わっただろ?六年前に。」
「ほんっとうにお前らカルサナスはお花畑だな。」
首狩り兎は兵を睨み付け、兵を縛っている紐を引っ張った。犬の散歩のような状態で次の部屋を目指す。
「なぁ、兎ちゃん。俺、兎ちゃんの言ってることよくわかんないんだけど…。」
「分かるまでてめぇの胸に聞きやがれ。」
悪態を吐く首狩り兎は無造作に次の扉を開いた。
そして「――ッキャ!?」
女の驚いたような声が響き、首狩り兎は一瞬跳ねた。
部屋の中には大人しそうな人間の女と、闘牛のような角を生やす老人がおり、二人は目を丸くして扉の方へ視線を送っていた。
「ラ、
牛角の老人が叫ぶ。何故こんな時間にここに人がいるんだと首狩り兎は苛立った。
見付かってしまっては手段は限られる。
「静かにしろ!歴史資料と戦争資料を出せば悪いようにはしない!」
結局こうなってしまった。頭が痛くなりそうだ。
首狩り兎は兵を引き寄せ、その首元にナイフを押し当てた。蛇のように柔らかな白い鱗にプツリと紫色の鮮血が浮かぶ。
「いっ……。」兵から痛みを訴える小さな声が漏れ、首狩り兎はこれ以上ナイフが入ってしまわないように力を緩めた。
「分かったから、その方を離してください!」
女が声を上げる。怯えの色があるが、芯の強さのようなものを感じさせた。
「こいつを傷付けられたくないなら、まずはゆっくり伏せて頭の上で手を組みな。」
女と老人が言われた通りにすると、首狩り兎はさっと辺りを見渡した。
コネリエをする男達の石像を見つけると、兵の事をそこまで連れていった。
縛っている腕を石像の足にさらに括り付けながら、小さな声で尋ねる。
「――悪いな。首は痛むか。」
「…い、いや。」
「そっか、良かった。夏草海原の若い奴らが皆俺みたいだって思わないでくれよ。」
「……兎ちゃん、本当にやばいからやめなって…。今なら許してもらえるよ…。何も盗ったり壊したりしてないって俺が証明するから…。」
「いい奴だな。だけどお前、ちょっと平和ボケしすぎてるぜ。」
首狩り兎は口角を上げるとナイフを逆手に持ち直し、伏せる女に近付いた。
「よーし、よしよし。そのまま大人しくしてろよ。」
女と老人だったのは不幸中の幸いだ。よく鍛えた亜人の若い男では、相手を無傷のまま拘束するのは難しかったかもしれない。
「……あなた、歴史資料と戦争資料なんて、一体どうするつもりなんです。」
「持ち出させてもらうぜ。なぁに。全部読んだら神様が返してくれるだろうさ。そう心配するなよ。」
「神様?神王陛下と光神陛下に提出するのですか?」
「当たり前だろ。俺らの国に他に神様名乗ってる奴がいるか?」
首狩り兎が女の腕を縛り上げようとしたその時――首狩り兎の視界は回り、背中が地面に叩きつけられた。
「――ッグゥ!」
痛みが襲うと同時に、脳内に大量の危険信号が灯る。
「兎ちゃん!!」
頭を打ったのか平衡感覚を失い視界が明滅している。しかし、泣き言を言っている暇はない。
なんとか視界を定めるために軽く首を振る。首狩り兎の眼前には闘牛角の老人がおり、怯えと怒りを感じさせる表情で顔を赤くしていた。
牛角は首狩り兎のナイフを掴む手を冷たい石の床に押しつけ、拳を握りしめる。
いくら老人とは言え、戦闘に向いた亜人種だった。
人質もいると言うのに、まさかこうも抵抗してくるとは。人質や女を傷付けられても構わないと思っている証拠だ。
(――やっぱカルサナスはこうでなくちゃな。)
首狩り兎は何故か笑いがこみ上げた。
「
硬く握り締められた拳が一気に顔面に降り注いで来ると、咄嗟に顔を避ける。
ズンっ…と重たい音が鳴り、石造りの床にわずかな欠けを生んだ。
そして、再び振り上げられた拳には血が滲んでいた。自らの拳を痛めるほどの一撃。
牛角は、首狩り兎を失神させようとか、無力化させようなどと言う生易しい気持ちで殴っていない。
確実に頭蓋骨を割って殺してやろうと言う固い意思を持っている。
「――<能力向上>!<肉体向上>!!」
首狩り兎は二撃目が降り注ぐ前に二つの武技を発動させた。全身に力が漲り、押さえつけられていない手と自由な足で牛角を思い切り突き飛ばした。
首狩り兎は元来パワー型の戦闘は向かない。その俊敏性を生かして、相手の死角から一気にケリをつけるスタイルだ。
組み伏せられていなければ、優勢を取り戻せる。
突き飛ばされた牛角が本棚に背をぶつけて尻餅をついた。棚から大量の本が降り注ぎ、競技大会の資料が大量に散らばる。コネリエの像と言い、ここは競技大会の資料室だったようだ。
「っく…!」
牛角が痛みの声をあげた。首狩り兎はナイフを手に本に埋もれるように座っている牛角へ迫る。
「やめて!やめなさい!!」
女の制止を聞かずにナイフを振り上げ、頸動脈へ向けて一気に振り下ろした。
殺さなければ殺される。戦場の掟だ。首狩り兎の赤い瞳は命を奪う時のものへと変わった。
そして――ガツンッと鈍い音が響く。
それは首を狩った感触ではない。牛角は首狩り兎の一撃を散らばった本で防いでいた。
純粋な力だけでは牛角の方が上。ならば本に突き刺さったナイフには固執していられない。首狩り兎はすぐにナイフを本から引き抜くことを諦めて飛び退いた。
牛角は本の中からゆらりと立ち上がり、本からナイフを引き抜いた。そして構える。
普通は突き飛ばされて痛みを感じた瞬間と言うのは咄嗟に動き出せないものだと言うのに。それに、この構え。この牛角の老人は戦いの中に身を置いた事がある存在に違いなかった。
「よう、おっさん。一応聞いておいてやるぜ。あんた、名はなんて言う。」
「……ゴルテン・バッハと申す。」
(――ゴルテン・バッハ…!こいつ、カルクサーナスの――!!)
首狩り兎が殺すべき男だ。
百年前に草原の返還に反対した議員の一人。当時はまだ三十代程度の若者で、都市国家間戦争の時代を生きた軍人上がりの男。カルクサーナスの古株中の古株親父。
「夏草海原連合軍の間者よ、ここで死ね。」
「面白ぇ。ようやく戦争らしくなってきたな。」
首狩り兎は新しくスカートの中からナイフを取り出した。
「やめて下さい!バッハ上院議員様も!傷付け合う必要はありません!資料を渡しましょう!」
女の悲鳴じみた声が響く。
「いいや、この
「――で、では、私がこちらで人質として待ちます!バッハ様は神殿へ行き、陛下方にこちらへご降臨頂くようにお願い申し上げて来て下さい!あなたも、陛下方に資料をお見せしたいのならそれで良いでしょう!」
首狩り兎ははんっと笑い声を漏らした。
「断る。俺は神様達に会う前に百年前を生きた上院議員共を殺しに行かなきゃならんのでね。神様達はそれを見逃しちゃあくれないだろ?」
「連合軍の野蛮人が。」
「好きに言え。」そう返し、首狩り兎はふと気付いた。「ゴルテン・バッハ、お前は何故俺を夏草海原連合軍と呼ぶ。カルサナスに来て、どいつもこいつも戦争は終わったとぬかしやがったのに。お前だけは連合軍が解散したとは思ってないみたいだな。」
ゴルテン・バッハはぐぬぬ…と声を上げた。
「……俺らの騎馬王様はもう動いてるぜ?」
「騎馬王が…?騎馬王は死んだのでは…?」
女が呟くと首狩り兎は女を睨み付けた。
「……兎。騎馬王は死んだ。私達がそんな言葉に惑わされると思うか。カベリアも耳を貸す必要はあるまい。」
「――待て。カベリアだと?カルサナス都市国家連合から一番に神聖魔導国へ降り、カルサナス州の知事職に就いた、あのリ・キスタ・カベリアか。」
「……そうです。私がリ・キスタ・カベリアです。もし本当に騎馬王がまだ存命で戦争を挑もうと言うのなら、州軍を動かし、神都へ応援を呼びます。終わったはずの戦争が再び火を上げたと。」
「終わったはず、ねぇ。お前らは神様達にもそう言った訳か。そりゃあ、神様達が俺らを助けようとしてくれない訳だ。友好条約も停戦協定も結んでない癖に、あんたらは勝手に戦争を終わった事にして、真実を歪めたんだ!」
「し、真実を歪めてなど!騎馬王が死ねば夏草海原連合軍は事実上の崩壊です!束ねる者がいなければ、協定も条約も結べるはずがないでしょう!あなた達は国家ではなく個なのですから!!」
「また騎馬王さんが死んだなんて言いやがるのか!あの人は死んでなんかいやしない!だから俺達は草原の奪還を諦めた日なんか一日だってなかった!お前らのせいで夏草海原の命がいくつ奪われたと思ってやがるんだ!!」
「それはこちらも同様です!私達は今度こそ戦争は起こらない、もう無駄な血は流れないといつも信じて来ました!だと言うのに、水場や野牛の独占をやめて静かに暮らしているだけのカルサナスの民を、あなた達夏草海原連合軍はどれだけ苦しめて来たと思っているのですか!!あの村の方達にはもう何の罪もないと言うのに、あなた達は草原を自分達のもののように振る舞って!」
首狩り兎はナイフの切っ先をゴルテン・バッハからカベリアへ向けた。
「自分達のもののように振舞う?面白ぇ。夏草海原はよぉ、俺たちのものなんだよ!何百年も前からずっと美しく守ってきた!それをあんたら侵略者が滅茶苦茶にしたんだ!!だって言うのに、罪もない村人だぁ!?あの時に死んだ奴らの魂はまだ、あの草原で苦しんでんだぞ!!」
夏草海原には数年に一度、稀にアンデッドが沸いてしまうのだ。そうなれば、戦士達は同胞だった者をもう一度殺さなければならない。これ程までに哀しい事があるだろうか。
「過去の過ちが清算されないものだと言うのなら、この世に生きていられる者は神々しかいません!私達は悔い改めて暮らしているではありませんか!!」
「本当に悔いてるのなら、何故草原を返さん!ポーズだけ反省を気取って、それで全部終わるなんて本気で思っているとしたら、お前は歴史の立会人にすらなれていない!お前みたいな、自分達だけに都合が良い綺麗事を言って、神様達にすら嘘をつくような奴がトップに立ってるから……だから貴様らカルサナスは腐ってるんだ!若い奴を殺す気はなかったが、はっきり解った!お前も草原の敵、カルサナスの膿みだ!首を差し出せ、カベリアァッ!!」
首狩り兎はナイフをカベリアの喉に向けて振るった。
柔らかな白い肌の首が裂け、血が吹き出る――はずだった。
飛び掛かろうとした首狩り兎は頭上に影を見るとその足を止めた。
両者の間にはズズン……とコネリエ像が倒れ、破片が飛び散る。もうもうと白い埃が立った。
「兎ちゃん、やめろ!それだけはやっちゃいけない!!」
縛っていたはずの兵は手首に血を滲ませ、縄から抜け出していた。
「――平和ボケ!応援してるか黙ってろって言ってんのに!クソが、殺しておくべきだったか!」
「兎ちゃん、お前のやりたい事は解ったから、殺すとかそんな事言うな!俺達は本当に騎馬王は死んだんだって思ってたんだよ!!」
「国民にそう言って、こいつらは上がりを決め込んでたんだ!平和ボケにはわかんないかもしれな――」
吠えていると、首狩り兎の鳩尾に膝がめり込んだ。その膝は埃の中から突然現れたように見えた。
「黙れこわっぱ。」
「――兎ちゃん!?」
直撃したゴルテン・バッハからの蹴りは首狩り兎の呼吸を止めた。慌てて自分で背中を叩いて肺を再び動かそうとすると、その背は思い切り踏み付けられた。
「――ッガァ!!ッハァ!ハァ!」
「これで吸えるだろう。ありがたく思え。」
「ぎ、ぎざまぁ!」
「お、お待ちください!バッハ様!そこまでなさらなくても!!」
「リ・キスタ・カベリア。このくらいせねばこれには理解できまい。おい、兎。我らは決して神聖魔導国に百年戦争の真実を歪めて話して来たわけではない。そんなもの、事実終わった話なのだから話すだけ無意味なのだ。」
「ぞうがよ…。じゃあ…俺は神都に――いや、神様達に陳情に行ぐぜ…。神聖魔導国は併合の時に歴史と文化を聞くはずだ…。その時にカルサナスが百年戦争を勝手に終わったことにしたってな。カルサナスは神様達に真実を話さなかった、不信心者共の土地だってことをよぉ!」
よろりと首狩り兎が立ち上がると、握り締められた拳が再びその身に降り注いだ。
「――ッブッ!」
痛みに息を吐き出すと、首狩り兎は意識を失い崩れ落ちた。
「口の利き方に気を付けろ。――そもそも陛下方に陳情に行く必要はない。騎馬王を葬れば戦争の事実などなくなる。夏草海原連合軍も瓦解するのだからな。」
「バ、バッハ様!?騎馬王は本当に生きているのですか!?」
ゴルテン・バッハの瞳は恐怖に濁っていた。
「生きている。だが、カベリア。それが露見すれば、お前も、お前の祖父であるべバードの古鳥も他人事ではないぞ。お前も百年戦争を告白しなかった。それに、私達が陛下方へ出した書類に目を通し、それを神都へ提出する事を認めたのだからな。」
べバードは一抜けでカルサナス都市国家連合を離れた。その時、べバードの事は詳しく話せどカルサナス全土の詳細は話さなかった。
都市国家連合は所詮連合であり、カルサナス国のべバード市だったわけではないのだ。
その為、後に他の都市国家が吸収されるたびにカベリアは書類に目を通し、提出の許可を出してきた。
もちろん、べバード合併時には過去にベバードから百年戦争へ出兵した事は話した。しかし、べバードは夏草海原と隣接していないので、騎馬王が攻めて来たら援軍を送る程度で良かった事もあり、都市国家連合を抜ければ援軍を出すこともなくなるため詳しくは話していない。百年戦争に言及することは他国の内情に踏み入ることと同義だったのだ。
経済戦争に陥っていた中でも、カベリアは他の都市国家への配慮を忘れなかった。――だと言うのに。
カベリアは信じられないものを見るように首を振った。
「な、なぜ…。何故騎馬王が死んだなどと嘘をお話になったのです…。」
「あぁ、若きカベリア。夏草海原との戦いの仔細を言えば神聖魔導国――いや、陛下方はどちらの肩を持つと思う。」
「神聖魔導国の一部となったカルサナスを助けてくださるはずです!」
「若いな。永劫の時を生きる神王陛下と光神陛下が、自分の国の傘下に入っただけのカルサナスを助けると本気で思っているのか?」
「そ、そうでなければ…何のための国名の改名と合併ですか…!」
「そんな小さな世界で神々は生きていらっしゃらない。良いか、かの神々と邪竜の戦いを思い出すのだ!あの果てしない力の応酬を!そして、教えを思い出せ!!光神陛下の生み出した全ての生を愛し、セイタイケイを守り、美しき世界を維持しろと言う言葉を!!」
「それが…何だと……。」
ゴルテン・バッハはカベリアの両肩を掴むと、鬼気迫る顔で言った。
「カルサナス都市国家連合が生み出されし百年前、我々カルサナスの行いで死んだのは彼奴等夏草海原連合軍だけではない!!夏草海原に生える草木、鳥、虫!獣!!我らは最早、夏草海原連合軍の何万倍もの命を奪ったのだ!!」
「――であれば、懺悔し告解を!!神々は許す事でしか許されないとお教えです!!お許しくださるに決まっています!」
「ええい!だから貴様は甘いと言うのだ!!許しには罰が付き物!!あの、げに恐ろしき力を持つ神々の罰を受けねばならんのだぞォッ!!」
カベリアはそれを聞くと上院議員の腕を振り払った。
「情けない!!あなた、それでも上院議員の一人ですか!?」
「笑いたくば笑え!あの力の前に足のすくまぬ者などいるはずがない!これは百年前の当時を知り、夏草海原を返さないと言った多くの議員の中で決められた事だ!!百年戦争の切っ掛けは決して神王陛下のお耳に入れるわけにはいかんのだァッ!!」
「きっかけ…?まさか、私が目を通した後の書類から百年戦争の記述も変えて提出して…!?」
「あぁ、そうだ!しかし、カルサナスの承認印は押されているぞ!!我がカルクサーナスにはカルサナスの印璽のデザイン原画が残っていたからな!!」
「そんな隠し事…バレないはずがない…!バレないはずがないのに!!」
「バレる前に騎馬王を抹殺すればいいだけの話だ!だからこれまで私達は何度も騎馬王を抹殺しようと試みてきたのだ!!――だと言うのに……無能どもが!雇った暗殺部隊は尽く騎馬王に殺られ、イジャニーヤも今後は関わらないの一点張り!!どいつもこいつも無能、無能ゥ!!」
ゴルテン・バッハはウゥ…と呻く首狩り兎の腹を何度も蹴った。
「やめて!死んでしまうわ!!この人は私達の敵だった人だけど、それでもこの人の言い分は間違ってなかった!バッハ様、どうか陛下方に全てをお話に――」
カベリアが庇うように首狩り兎に覆いかぶさると、ゴルテン・バッハの蹴りはいとも簡単にカベリアの柔らかな腹部へ入った。
「ッツゥ…!!」
丸まり、痛みに自らの身をかき抱くと巨大な手はカベリアをひょいと持ち上げた。
「おい、兵!兎を運べ!」
兵は震えるようにゴルテン・バッハを見上げていた。
「運ばないなら、お前はここで死ぬことになるぞ!」
「い、今すぐ!!」
兵が首狩り兎を持ち上げると、ゴルテン・バッハは部屋を出た。
「リ・キスタ・カベリア。お前は本当に邪魔な女だ。我々が何故食えなくなるギリギリまで神聖魔導国に入れなかったのかも何も知らず、平気で大議論の結果を破りおって!邪竜との戦いを目の当たりにして、神王陛下と光神陛下の教えが伝え聞こえて来た時、どれだけの上院議員が恐れ震え上がったか貴様は知りもすまい。私達とて、夏草海原の歴史そのものである騎馬王を抹殺できればすぐにでも神聖魔導国に入りたかったというのに!!」
ゴルテン・バッハは呪いの言葉を吐き続けながらいくつもの階段を登った。その後ろを兵も続く。
「リ・ベルン・カベリア、あの若造め…!いつも己ばかり安寧を手にして!大議論の約束を孫娘が破ろうと言うのに、自分に危険がないからと認めるなど、卑怯極まりない!!私はお前達カベリア家の人間が大嫌いなのだ!!」
「お、おじいさま…。」
「お前はその兎と共にいろ!おい、兵!入れてやれ!」
「は!!」
その言葉と共に二人は一部屋へ放り込まれた。
「ベバードの古鳥には私がお前の消息を伝えよう!せいぜいそこで
兵は伸びている首狩り兎を見てからうなずいた。
「も、もちろん、誰にも喋りません!」
「よし。今夜兎は来なかった。そして、カベリアはもう随分前に帰ったのだ。あぁ、もしかしたら、帰る途中で
カベリアが「ま、まっ…て…!」と声を上げて扉の外へ出ようとすると、バタンッと音を立てて扉は閉められ、すぐに施錠の音が続いた。
カベリアにはこの部屋がどこなのか覚えがある。
ここは資料塔の頂上の一歩前の部屋だ。鐘の点検に必要な備品や、昔鐘を打っていた
この部屋が開かれるのは、
鐘のある更なる上階へ続く階段の前にも施錠された扉がある。
カベリアは今入って来た扉を叩こうと手を振り上げ――脇腹の疼くような痛みにすぐに崩れた。
「うぅぅ…おじいさまぁ…。神王陛下…光神陛下ぁ…。」
丸まっていると、ふとカベリアに影が差した。
目を開けると、首狩り兎がカベリアを冷たい瞳で見下ろしていた。
「本当に醜いな。お前達は。」
「な…気付いていたのですか…。」
「あぁ。ずっとな。これでお前にも解っただろう。百年前を生きた上院議員達を殺さなければならない意味が。」
「………確かにバッハ様は間違っています。ですが、死ぬべきだとは思いません。」
「……奪われた事がない女に賛同を求める事は間違いか。」
首狩り兎はポシェットから一番小さい"ドワーフの革袋"を取り出すと、服を一着取り出した。
「…兎さん。あなたの名前は?」
「俺か。俺は首狩り兎。名前は忘れた。」
「そんな…名前を忘れる人なんかいませんわ。」
「そうかよ。騎馬王さんだって、名前を捨てて"騎馬王"として歯ぁ食いしばって生きてるぜ。俺も、草原を取り戻すまでは名前を取り戻すつもりはない。」
喋りながら首狩り兎はスカートとブラウスを脱いだ。可愛らしい白いチュールのペチコートに白いキャミソール姿になると、新しい服に袖を通していく。紺色のブラウスに同じく紺色の落下傘スカートを履き、柄物のスカーフを頭に巻いて耳を隠せば完成だ。
カルサナスの言い分は全て聞いたのでとっとと資料を集めに行って、こんな塔からとんずらしなければ。そして上院議員達を一人でも多く殺して、神都へ――。
首狩り兎は予定外の事に巻き込まれてしまったが、自分の計画には何の狂いも起きていないことに鼻歌を歌いたい気分になった。ただ、ゴルテン・バッハにぶん殴られた事と、ナイフを一本盗まれたのが悔しいが。まぁ、殺してしまえば悔しさも落ち着くだろう。
ゴルテン・バッハは今頃、ここを首狩り兎が出られずに野垂れ死ぬと思って油断している頃だ。
すっかり身支度を終えた首狩り兎は、絶望したように床に座り込むカベリアに振り返った。
この女こそここで野垂れ死にするのがお似合いだが、一発殴っておいても良いかもしれない。
そう思っていると、カベリアは口を開いた。
「……もし私にここを出る事ができたなら、私が草原を返還できるように州知事として精一杯手を尽くすのに……。でも、すべてはもう遅いんですね……。」
「……何?どう言う心変わりだ?」
「私達は"祖先の罪を子は引き継がない"と教育されて来ました…。それは、草原へ対してではなく、都市国家同士が昔戦争をしていて、隣人の親や子、隣人そのものを殺したような過去があるからです。」
首狩り兎はカベリアの言葉に、黙って耳を傾けた。
「……そして私は騎馬王に戦争を仕掛けられるようになってから生まれました…。だから、あなた達から奪ったと言うよりも、奪われそうになっていると言う気持ちでいたのだと、今日初めて気が付いたんです…。あなたに"ポーズだけ反省を気取っている"、"自分に都合がいい綺麗事を言っている"と言われて……そうかもしれないと思いました。カルサナスが草原に酷いことをしてしまったのは昔の事だと、どこかで思っていたのが、あなたにカルサナスの膿みとまで言われてようやく解った……。勝手な話でしょう。」
「そうか。じゃあ、お前も着替えろ。」
首狩り兎は簡潔にそう言うと、もう一着服を取り出してカベリアへ放った。
「――え?」
「ここ出られたら草原返してくれるんだろ。そのなりで出て行ったら、すぐにカベリアだってバレる。あんたがココを出たってあいつの耳に入ったら次は必ずその手で殺される。」
「…あ、ありがとうございます。でも、ドアも開かないのに…。」
首狩り兎は鉄製の扉に触れた。資料塔の扉はどれも破壊されないように厳重な作りをしている。篭城決戦用の建具だ。
「――誰がいつ扉が開かないって?」
「え…?」
その手の中には鍵の束があり、チャラリと音を立てた。
「平和ボケがここに残らなかったお陰で鍵のありかがバレなかった。あいつ、平和ボケだってのに俺が鍵を持ってるって言わなかったしな。」
「番兵さん…。」
少し得意げな顔をすると、首狩り兎は耳を澄ませ、扉にぴたりとくっ付いた。
足音や生き物の気配はない。出られそうだ。
「――で、どれがここの鍵か知ってる?」
「は、はい!任せてください。」
カベリアは痛む腹を抑えて、よたよたと近付き、何本もある鍵から正解の一本を選んだ。
扉は滑らかに開かれ、首狩り兎はカベリアから鍵を取り返すと、そっと階段下を覗いた。何もいない。
「俺は安全確認してるから、着替えな。」
「はい!」
カベリアは大急ぎで着替え始め、それも済むと二人は階段を降り始めた。
「っぅ…。」
「腹、痛むのか。」
「へ、平気です…。」
首狩り兎は面倒くさそうに一度ベッと舌を出すとカベリアに手を伸ばした。
「手伝ってやる。」
「優しいんですね…。」
「違う。お前が草原を返すって言ったからだ。」
二人は手を繋ぐと黙々と階段を降りた。
「――なぁ、あんたは何でこんな時間まで資料塔にいたんだ。」
「…いよいよ競技大会が始まりますから。最後にもう一度、競技大会の資料をよく見ておこうと思って。今年の開催地はべバードなんです。前にべバードで競技大会が開かれたのはもう五十年以上昔で、べバードは多くが人間種なこともあって、当時運営の中枢にいた人は殆ど残ってないから……最後にもう一度、競技大会の資料をよく見ておこうと思ったんです。それで、仕事が全部終わって資料塔に来たら、バッハ様が追いかけてらしたんです。手伝ってくださると。」
「………なるほどな。あんたが一人で夜に資料塔に入るなんて、あのじいさん焦ったろうな。」
ぽつぽつと階段を降りて行き、カベリアは途中で足を止めた。
「――こちらに歴史資料と戦争資料があります。」
「お待ちかねだな。」
二人は資料室へ向かった。
あらま〜!神様達、力を見せつけすぎちゃったんだね〜!
牛角牛角と書いていて、焼肉食べたくなっちゃったよぅ。