ゴルテン・バッハは数名の議員の家に立ち寄ってから帰路についた。
彼の乗る馬車は豪華な装飾が施されており、議員の持ち物であるとひと目で分かる。
やがて馬車が止まり、御者が戸を開いた。
「お疲れ様でした。バッハ様。」
「あぁ、ありがとう。ようやく人心地つけそうだ。」
バッハはよいこらせ…と声を上げて馬車を降りた。
「大変ですね。カベリア様はお若いですから、バッハ様のお手伝いが必要なんでしょう。手を差し伸べていなかったら、ベバードの大会もカルサナスの運営もどうなっていたか分かりませんよ。全く仕方ない話です。」
「――そうだねぇ。しかし、若者と言うのは力が漲っていて良いものだよ。今日も途中でカベリアは飛ぶように帰ってしまったからね。やらなくちゃいけない事を思い出したと言って。」
「そうでしたか。カベリア様は
週に何日かカルクサーナスに泊まって働き、週末に自分の持つ都市に帰るスタイルの議員は多い。そうすると、中には馬車を持ってきていない者もいる。
二人は仲睦まじく笑みを交わし、バッハは邸宅へ、御者は厩舎へ向かった。
穏やかに話していたゴルテン・バッハの頭の中は今日生かして帰した番兵の事と、襲ってくるであろう騎馬王のことでいっぱいだった。
番兵の事は明日中に暗殺者を雇って殺す必要がある。知っている者は少ない方がいい。
今日あの塔の中で兵を殺してはゴルテン・バッハが疑われ、番兵を捜索するために鐘の整備室も開けられていただろうが、それ以外のところで死ぬ分には問題はない。うまく殺せれば良いのだが。
玄関を潜ると、妻とメイド達がバッハを迎えた。
「あなた、お食事は召し上がっていらして?」
「まだだとも。今日はまだ仕事があるから、私の部屋に持ってきて貰えるかな。」
「まぁ…ベバードの為に本当によくお働きになるのですわね…。」
「私はね、神聖魔導国の為に働いているんだよ。」
「ご立派でございますわ。」
妻が尊敬しきった顔をすると、バッハは自室へ向かった。
その部屋には邪竜と戦う神々の絵が掛けられていて、バッハはそれの前できちんと頭を下げた。信仰の厚い議員として知られている彼はオシャシンの他に家にもこうして神の絵や像を飾っている。
(――あの番兵を殺す為にも、イジャニーヤと連絡をまた付けなくては。)
イジャニーヤが関わらないと言ったのは騎馬王との事だけの話のはずだ。
あの若造番兵を殺すのなら引き受けてくれるだろう。
ただ、また莫大な金がかかる。他の議員と資金を出し合わなくては。
バッハは机の引き出しからメモを取り出すと、明日一番にやらなくてはいけない事を書き出していく。
イジャニーヤとの連絡、番兵の暗殺、番兵が余計な事を話していないかの調査、今月の神殿への寄付、私兵達の村への派遣――。
トン、トン、と紙をペン先で叩きながら、私兵をなんと言って草原へ派遣するべきか悩む。
皆騎馬王は死んで、草原との戦争は終わったと思っている。
私兵達には制御を失った草原の残党の制圧――いや、威嚇だと言って出てもらうしかない。
そして、なし崩し的に戦争状態へ突入。
仕方がなく夏草海原連合軍――の残党を制圧。
こう言う筋書きで行きたいところだ。
だが、戦いに赴きいないはずの騎馬王が出て来れば、少ない私兵達は殺されるか、生き残ってもバッハ達議員へ疑念を抱くだろう。
やはり、さっさと村を返還すれば良かったのか。いや、そんなことをすれば過去の罪を認めた事になり裁きが待つ。
バッハは思い通りにいかない苛立ちと、裁きへの不安で気が狂いそうだった。
両手で顔をごしごしと拭き、冷静にならねばと自分に言い聞かせる。
(――とにかく騎馬王を殺せれば草原の者達など烏合の衆。真実制御を失った残党になる!そうだ。議員達の持つありったけの私兵を出すのだ…。)
ゴルテン・バッハは気重にため息を吐いた。
そうしていると、鼻腔をくすぐる芳ばしい香りが漂って来た。
自分が如何に腹が減っていたかにようやく気が付く。
(…腹が減っては戦はできぬか。)
メモ帳を丁寧に畳むと、チョッキのポケットにそっとしまった。
その日、バッハは食事を取りながら、カベリアと兎が早く死ぬことを祈った。
「――え?兄貴、夏草海原に行くの?」
「あぁ。制御を失った少数の残党が村を襲おうとしてるらしくて、そんな真似はやめろって威嚇するんだってさ。上院議員達の私兵の殆どが集められてて、ディア何か腕もないのに行くってさ。多分今日行って今日帰ってくるから、番兵の仕事に行く時には戸締り頼んだぞ。」
兄の言葉を聞いたレミーロ・ビビはゾッと背が冷たくなる感触に襲われた。
少数の残党――。
間違いなく夏草海原は連合軍として大部隊で戦場に現れるはずだ。レミーロは兎が首に付けた小さな傷に触れた。
(――兎ちゃん…もう逃げたよな。)
まだあそこにいるのか確かめたかったが、近付いてしまえばそれだけでゴルテン・バッハを刺激しそうな為我慢していた。逃げ
レミーロは一晩寝付けずに過ごし、何もできない自分を恨んだ。カルサナスの皆に真実を伝える事もできないのだ。
もし草原に行った事もないレミーロが昨日の話を言いふらすことで、人々が話の出所を探すような事になれば、それも兎の邪魔になってしまうだろう。
一刻も早く兎が神々の下に辿り着き、戦争を止めてくれるように祈る事しかできない。戦争がなくならなければ夏草海原に出る兄の身が危ない。
兎は神都に資料を持っていくと言っていたが、もし神都まで向かっているなら時間があまりにも掛かりすぎるような気がした。
レミーロは兎が鐘の部屋を出られたことを信じて街に探しに行くべきかと悩んだ。
「――ん?レミー、お前のその首どうした?」
「…どうもしない。」
「神殿行ってちゃんと治して貰わないと、俺みたいに痕になるぜ。」
「兄貴のと違ってこんなのたいした事ないって。」
兄の顔には斜めに大きな傷痕が走っている。肩や腕にも大きな傷跡があった。深すぎる三つの傷痕には白い鱗が新しく生えてくる事はなく、薄紫色の素肌が痛ましく晒されていた。
それに比べ、レミーロの傷は実に浅い。兎が力を加減してくれた事がすぐに分かった。人を平和ボケだと笑った兎は、誰よりも平和を望んでいた。
(兎ちゃん…。どうかカベリア様を殺さないでくれよ…。)
あの状況で仲間達のことを想い、仲間達に恨みが行かないように語れる優しい兎に、殺しは似合わない。平和ボケだとまた言われるかもしれないが、レミーロはそう思った。
「なぁ……兄貴、やめときなよ。残党に威嚇なんて、本当に必要なら陛下方がやる。」
「まぁなぁ。でも、威嚇なら治安維持部隊みたいなもんだろ。わざわざ陛下方の手を煩わせたくないって思う議員達の気持ちはよく分かるんだ。ちょっとの残党くらい、自分らの持ってる兵で鎮めたいって思う気持ちが。」
「だけど威嚇って言ったって武器は持っていくんだろ?小競り合いから同じ過ちを繰り返すことになるよ。………それに、騎馬王が絶対に出てくる。これは戦争なんだよ。」
レミーロが言うと、兄は一瞬呆気にとられたような顔をした。
「お前、騎馬王が生きてると思ってんのか?」
「……思う。だから、兄貴。出るな。これは新しい恨みを作らない為、カルサナスの為でもあるんだよ。」
兄は六年前の戦争以来使っていなかった自分の剣を腰に結び付けると軽く笑った。
「はは。その言い分。お前、さては昨日
「――へ?」
「俺も会ったよ。ディア達と飯食いに行く途中で。その
「騎馬王が生きてるって信じてるなら…兄貴は戦争に行くつもりでいるのか?」
「いいや。そう言うわけじゃないさ。でも、騎馬王が生きてるなら……村に集まりつつあるって言う残党が本当に残党なのか怪しいよな。中心になってたバッハ上院議員も他の上院議員達も、残党だって信じて疑わないみたいだったけどさ。もし騎馬王が生きて率いてるなら、この出撃はかなり危ないものになると思う。」
「……兄貴、分かってるならやめろよ。この出撃は戦争なんだ。騎馬王は生きてるし、草原にいるのは残党じゃなくて本当の連合軍だ。」
「何となく俺もそんな気がする。あの
「事実そうなのに……皆、ただの治安維持だと思ってるなんて、馬鹿げてるよ…。なぁ、兄貴。出たら騎馬王に殺されるよ…。兄貴が殺されて何になる…。」
レミーロは傷だらけで兄が帰ってきた六年前の日を昨日のことのように覚えている。草原を恨む気持ちが起こらなかったと言えば嘘だが、戦争なのだから仕方がないと諦める気持ちと、生きて帰ってきたのだから良かったという気持ちが一番だった。カルサナスが神聖魔導国の一部になってからは戦争が終わったと言われ、全てを水に流す事にしていた。
しかし、もしこれで夏草海原に兄を殺されたりすれば、全てを知ったレミーロは発端のカルサナスも、手を下した夏草海原も恨んでしまう。それは、新しい眠れぬ夜の始まりだ。
レミーロの耳には昨日の夜に兎が叫んだ全ての言葉と、ゴルテン・バッハが吐いた呪いの言葉がべったりと張り付いていた。
「まぁ、何とか殺されないようにやって見て、騎馬王がいたら戦争はやめてコネリエに出てくれって叫ぶよ。俺とディアはさ、戦いに行くんじゃなくて、そのために行くんだ。昨日のディアなんか、俺の名前を忘れるなって
「はははって、夏草海原の人らは本気なんだぞ!戦争ごっこじゃないんだ!!彼らは死に物狂いで来る!!」
レミーロが兄の胸ぐらを掴み上げると、兄はそれを軽く払った。
「そうさ。これは遊びなんかじゃない。俺達は静かに眠れる夜を望んできた。俺達は新しい悪夢が生まれる可能性を少しでも減らさなきゃならない。だから、どうしても行かなきゃいけないんだよ。」
「治安維持部隊を――いや、鎮圧部隊を陛下方がお許しになるなんて俺には思えない!正しい戦いなんてこの世にあるのか!陛下方に陳情するのがたった一つの正しい選択だ!!」
「なぁ、レミー。向こうにいるのは残党じゃなくて軍なんだって思ってるのは、俺達含め片手で数えられるような人数だけなんだぜ?皆治安維持まで陛下方に全部放り投げて解決してもらおうなんて思いもしないんだ。陛下方は確かに俺らを守ってくれる存在だけど、何でもやってくれる小間使いじゃない。治安維持部隊が出るのはもう決定事項だ。」
答え合わせが終わっているレミーロには兄の言い分に頷く事はできなかった。兄はそんなレミーロの葛藤のような物を感じたようだった。
「――ともかくさ、うまく言えないけど、このまま行かなかったら、俺達逃げてるみたいだろ。草原に帰るかも分からない女に伝言頼んで、大将が生きてると思ってる少ない存在なのに皆に手も貸さないで、それで笑ってられるほど、俺たちゃ無関心でいられない。俺達には俺達の新しい正義があるんだ。俺達は仲良くするためにも騎馬王がいるのかを確かめないといけないんだよ。」
「……夏草海原の人らに草原を全部返せれば、戦争は本当に終わって、皆仲良くだってできるのに。そしたら騎馬王だって自分からコネリエに出るって言うかもしれないのに。」
「そうかもな。そんな事がすぐに出来ればいいけど、世の中はそんな簡単にできちゃいないと思うよ。あの村に暮らしてる人らの引越し先用意して、今と同じ生活水準を与えて……最後は神聖魔導国の土地を陛下方が認めてもいないのに勝手に他所様に渡すとか渡さないとか話し合う。そう言うのって、難しいと思うぜ。少なくとも、今すぐどうこうできる話じゃない。なのに残党はすぐそこまで来てる。」
レミーロは駄々をこねるように首を振った。
「……嫌だよ…。兄貴は俺が悪夢を見るのは良いのかよ…。」
「…俺が殺されるのは騎馬王が出た時だ。その時には、騎馬王に絶対次のコネリエに出るように言うからさ。お前もコネリエに出て騎馬王ボコボコにすりゃ、眠れるようになるさ。ま、全部が取り越し苦労で騎馬王がいなかったら元気に帰って来られると思うよ。」
兄はいつもと変わらない清々しい笑顔を見せ、まとめていた荷物を背負った。
「じゃ、俺行くわ。すぐの招集だから。」
「兄貴!全部話すから!遅くとも後一週間待てばきっとあの兎が陛下方に――」
「レミーロ。闇を抱いて光の中に生きろ、だぜ。じゃあな。」
パタン、と小さな音で扉が閉まるとレミーロは近くの椅子を蹴った。
そして、その痛みに足を抱えて、自分の情けなさに泣けた。
「クソォ…。俺は何をどうしたら良いんだよぉ。兄貴、兎ちゃん………陛下ァッ!」
半端に知ってしまった現実はやるせ無い。
神の裁きに怯えるカルサナス。
何もかもを奪われたと怒りを燃やし続ける夏草海原。
神の力を借りる前に何かをしなければと、新しい正義に笑う兄弟。
神の力を借りて全てを終わりにしようと動く兎。
レミーロは顔を上げた。
「……俺にカルサナスの皆を変えられれば…。」
そう呟くと、キィ…と扉が音を立てて開いた。
「兄――え?」
そこには緑の液体が滴る奇妙なナイフを持った黒尽くめの女がいた。
騎馬王達は村まで後一キロ程度の場所に着くと、コキュートスに殺されるまで終わらない戦争の前準備を始めた。
「……騎馬王ヨ、最後ニモウ一度ダケ聞コウ。戦争ハ諦メテクレナイカ。」
騎馬王は毎日尋ねられてきた問いにゆっくりと首を左右に振り、研ぎ終わった鉾に自らの顔を写した。
「申し訳ありません。これが私達の生き方なのです。」
「……マサカ、本当ニ止マラナイトハナ。シカシ、ソノ方ガオ前達ラシイト、今デハハッキリ言エル。」
騎馬王は長年の友人へ向ける笑顔で笑った。
「ありがとうございます。嫌な役回りをさせます。」
「マッタクダ。オボッチャマガドレ程悲シマレルカト思ウト胸ガ痛ム…。私モ良イ戦士ヲ失ウノハ残念ダ。」
「コキュートス様、私達の最後の相手があなたである事に皆感謝しております。私達が死んだ後、どうか夏草海原をより良い方へ導いてください。」
「私モ守護神トシテ付クガ、ココノ支配者ハ我ガ君、ナインズ・ウール・ゴウン様トナルダロウ。ナインズ様ハオ前達ノコトヲ本当ニ気ニ掛ケテ下サッテイル。皆ガ仲良クシテ欲シイトナ。必ズヤ良イ道ヘオ導キ下サルハズダ。」
「お優しい方でようございました。もはや悔いはありません。」
コキュートスが熱心に教育している若き王子。まだ赤ん坊のようなものだと聞いているため、実権はコキュートスが握るだろう。
いつか王子が大人になってもコキュートスがそばにいてくれれば、心配はない。
周りでは続々と支度を終えた戦士達が並び始める。
コキュートスは重たい溜息を吐くと、手を闇の空間へ差し込み――するりと大太刀を抜き出した。
騎馬王も鉾を抜き、二人はそのまま背を向け合った。
騎馬王は戦士達の並び行く群れの中へ戻っていき、コキュートスは遠く見えない場所にある村の前に立ちはだかるように立った。
両者の距離が十分に開く。あの大きなコキュートスが小さく見えるほどに。
そうして、皆が突貫の意思を見せると、騎馬王は目一杯の声を張り上げた。
「コキュートス様!!いざ、尋常に勝負!!」
それを聞くと、コキュートスは手をかざし、両者の中間三十メートル付近に氷の柱が二本大地から突き出した。
「ソノ柱ヨリ先、コチラ側ハ死地!!進ム者ハ生キテ帰レヌ事ヲ知レ!!」
尚もこちらの意思に任せてくれようとする姿勢に、戦士達はギリリと拳を握り締めた。
怒りではない。自らを奮い立たせ、共に食べ、共に旅をし、懸命に生き残る事を伝え続けて来てくれた友との道を分かつしかない事が悔しくて、自分達の不器用さが息苦しくて拳を握ったのだ。
「………コキュートス様のご慈悲だ。私からも今一度問おう。やめたい者は去っても良いのだぞ。」
誰も背を向けなかった。
コキュートスと過ごした日々のお陰で、皆が明確に今日の死を自覚して来た。今日、ここで自分達は死ぬのだと覚悟を決めて来てしまった。
騎馬王はそれ以上問いかける事はなかった。
コキュートスが刀を鞘から抜いたのが見えると、連合軍も一気に武器を手にした。
「最後の悲願!!死した父、母、そして全ての友のため――」皆が希望を夢見て死んで行った仲間の顔を思い出す。共に草原を愛した家族だったのだ。胸が詰まるようだった。
しかし、これでようやく草原が因果から解き放たれるかと思うと、どこか清々しさすら感じるようだった。
「突貫!!」
騎馬王の号令がかかり、戦士達は駆け出した。
「ウオオォォォォオオオオ!!」
男達の雄叫びが草原に響く。コキュートスは静かに構えるのみだ。
空から
地上の先頭には
まず、
ドクン、と騎馬王の心臓が跳ねる。
その一刀で
「……く…くぅぅ………。」
絶死の光景を前に、騎馬王や代表達はまだ行かない。行けない。
騎馬王や代表が討たれれば、戦士達の戦いへの気持ちが切れてしまう。一気に恐怖が襲い、コキュートスの足止めはそこで終わる。
同時刻、戦士ではない者達が村を襲っているはずなのだ。それがどれほどの人数なのか、万いるのか、一人もいないのか、騎馬王達に確かめる術はない。
開戦を前倒しにすると伝えに行った
それでも、一人でも来てくれているのなら、騎馬王達戦士は命をもってコキュートスの足を止め、戦士ではない彼らの歩みを遠きこの地より支えるしかないのだ。
コキュートスは
騎馬王はこれまで何度も共に戦に出て、共に帰って来た大切な仲間達が死んでいくのを見守った。
目を逸らしたくなるような光景だが、目を逸らす事は許されない。
騎馬王はやはり、死に行く仲間を見送ることしかできないのだ。
戦士達が運命に抗うように命を散らした場所は血に塗れ、まるで大地の傷跡のようだった。
騎馬王は本当に自分は生まれて来て良かったのだろうかと思う。
中途半端な希望の象徴は、むしろ皆の諦めきれないという気持ちを掻き立て、哀しみを積み重ねさせたのではないだろうか。
誰か生まれた意味を教えてくれと願うが、誰も答えることなどない。
孤独なふりを気取って来たが、騎馬王は今確かに自分が孤独ではなかった事を思い知る。
「……皆、弱き私を許してくれ。」
戦地へ進む前に一つの武技を発動させる。
――<急所感知>。
弱点――なし。
普通であれば驚愕するだろうが、ここまでコキュートスと過ごして来た騎馬王に驚きはない。
当然のことだとしか思えなかった。
無意味な悪あがきをした騎馬王は駆け出す。それを合図に代表達も駆け出した。
俊足の八本足は一瞬でコキュートスの立てた氷の柱の間を潜り抜ける。代表達はとても追い付かず、今死なんとしていた仲間達が騎馬王の邪魔にならないように道を開けた。
「コキュートス様ァッ!!」
「来タナ!騎馬王!!」
コキュートスの刀は数え切れない血を吸った筈だろうに、一片の曇りもなく輝いていた。
夢とは違い、騎馬王は鉾をなんなく振るうことができた。わずかに安堵が心に満ちる。
真っ直ぐ突き込まれた鉾の切っ先は、紙のように薄い刀が触れ合った瞬間悲鳴を上げるように甲高い音を立てた。
「――ム、ソレハ!?」
ここまで挑んでいた者達の武器であれば瞬時に破壊できただろうが、この鉾には特別な力がある。皆の生命の力が。
騎馬王は自慢の一刀を受け止められた事も、弱点がないと言う事実もものともせず、鉾の軌道を一気に変えて振り被り直す。
その筋にはわずかな迷いもない。
同時にいくつもの武技が発動する。
――<限界突破>、<剛腕豪撃>、<神技一突>。
騎馬王はこれまであらゆる力の探究に取り組んで来たが、これほど武技を用いたのは初めてだ。こんな事をせずとも多くの者を屠って来てしまった。
コキュートスの外皮装甲の隙間に見える細い腕へ向けて鉾を突き出し――それは指先で受け止められた。
「美シイ一閃ダ。」
「恐れ入ります!」
騎馬王は踏み込み直す必要もなく、新たなベクトルの力を加えてコキュートスの鞘を持つ手元目掛けて鉾を振るった。
その時だった。騎馬王の前足の一本に激痛が走ったのは。
鉾を放したコキュートスは、刀の中腹で強靭なはずの騎馬王の身を容易く斬り落としたのだ。
「ッグゥ!!足の一本ぐらいぃ!!」
切断面から血が吹き上がるが、死んだ者は痛いと叫ぶことすらできなかったはずだ。男に泣き言は不要。
崩れかけるバランスを取り直し、馬体に下げていた毒のクナイを手にする。
「ティラァ!貴様のクナイ、返せぬ事を許せぇ!!」
腹部目掛けて突き立てられようとしたクナイもコキュートスの手で優しく止められた。
「――クルダジールマデナラ私ガ届ケヨウ。」
騎馬王は思いがけずこの闇の中で笑ってしまいそうになった。
そして、腹部に思い切り拳が突き立つ。
騎馬王の呼吸が一瞬止まる。何本のあばらが折れたかわからない。
すぐに痛みを止めるハーブを取り出し、噛み締めた。
「ック!!ッふ!!」
まだ生きている者や、騎馬王に道を譲った戦士達、代表達が後ろから加勢をするように駆け出す。
騎馬王が持ち直すまでの時間稼ぎに、文字通り命を賭ける。
震えが起こるような光景だった。
ワジュローの頭が飛んだ。しかし、切断されたはずの頭はコキュートスの腕に噛み付いた。
「――意思ノ
崩れたワジュローの体の影からはマイカが飛び出し、クナイをコキュートスに向けて投げつける。
同時に天からイズガンダラもクナイを矢にしたものを降り注がせた。
いつまでも這いつくばってはいられない。騎馬王は大量の出血に明滅を始めた視界を定め、再び立ち上がった。
死に行く者達は愛する草原のため、ただひたすらに戦った。
後ほんの少しだっていい。草原を取り返し、侵略者達の末裔を追い出すために。
その時、コキュートスの遥か向こうの空が真っ赤に染まった。
「――ナニ?」
瀕死の戦士達は彼方の空を見上げた。
始まっちゃってるよぅ(´;ω;`)皆いい子なのに…あっちこっちで死の匂いが…