眠る前にも夢を見て   作:ジッキンゲン男爵

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#127 戦いの狼煙

「一体誰ガ……!」

 コキュートスは戦争の匂いを感じると、見えもしない村へ振り返った。空が赤く燃えている。

 デミウルゴスから連絡はない。州軍は動かされていないはずだ。

 口の端から垂れた血を拭った騎馬王は無言で鉾を構え直す。しかし、対するコキュートスは静かに刀を納めた。

「コノ戦イハ預カラセテ貰ウ。私ハ我ラガ神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国ノ地ニ起コッテイル事ヲ確カメニ行カネバナラナイ。」

「……行かせはしません。」

 戦士達はコキュートスをここに縫い止めるため、ジリリと動いた。

「――ナルホド。ソレガオ前達ガ命ヲ投ゲ出ス本当ノ理由ダッタカ。」

「……そうです。哀しみを終わらせる為。行かせはしません!」

「私ハ戦争ヲ止メルト言ウ最大ノ勅命ヲオッテイル。阻メルト思ウナ。」

 コキュートスとしては武人としての敬意を表し、向かって来る者とは戦士として剣を合わせたかった。

 しかし、絶対命令を受けているナザリック地下大墳墓が守護者の道を阻むと言うのであれば――。

 コキュートスは封じていたオーラを解放する。

 ナイト・オブ・ニヴルヘイムのクラス能力である<フロスト・オーラ>。極寒の冷気によってダメージを与えつつ、相手の動きを鈍らせる特殊能力だ。

 力を抑え込む。

 範囲を広く、ダメージ量を少なく。

「コレクライダナ……。」

 コキュートスを中心に抗い難い冷気が、瞬時に半径五十メートル近くを覆い尽くす。それは空までも届いた。

 急速すぎる温度変化によって大気がゴウッと悲鳴を上げた。

 草と花は凍り付き、飛び立とうとしていた虫が落下する。それを合図にボトボトと人鳥(ガルーダ)も落ちて行く。

 まるで、全ての終わりを暗示するようだった。

「………フム、デハ行クカ。」

 オーラは霧散した。

 時間はごく短く、吹き荒れた冷気の嵐は夢か幻だったかのようにかき消える。

 しかし、凍り付き刃のようになった夏草(エテリーフ)と大地に転がった数えきれない戦士達の体が、地獄の嘆きの川(コキュートス)が訪れた事を裏付けた。

 無人となった野からコキュートスは踵を返した。

「あっ……っく………。ま、待て………!」

 痛みの中手を伸ばした騎馬王と代表達、数人の強者が言うが、コキュートスは止まらずに村へ向かった。

 

 コキュートスの背はあっという間に見えなくなり、騎馬王は痛みの中、脂汗を流しながら凍り付いた傷にギュッと布を巻き付けた。

 凍ってしまったお陰で血が流れていた時よりも調子がいい。とは言え、戦いが終わった為に気持ちの張りが切れてしまった。

「――ッく…!」

 周りの戦士達は急速な冷えに体を蝕まれ、瀕死状態だった。

 特に人鳥(ガルーダ)達は落下の衝撃から骨が折れ、動ける状況ではなさそうだ。

 何とか息を整えると、騎馬王は立ち上がった。

「――皆、私はコキュートス様を追う…。」

「き、騎馬王殿…、私も……。」

 フィロ・マイカとア・ベオロワ・イズガンダラが起き上がろうと震える手で大地を押すが、騎馬王は首を振った。

「残りの動ける者はここにいてくれ。混合魔獣(キマイラ)が血の匂いを嗅ぎつけてじきに現れる。皆を守ってほしい。」

 コキュートスの放った信じがたい冷気は戦士達の足を止めたが、命まで奪われた者は少なかった。

 騎馬王は村に向けてよたよたと歩き出すと、斬られて死んでしまった者達を踏みつけてしまわないように細心の注意を払った。

 死体と血に塗れた場所を抜ける間、一瞬これは夢ではないかと思う。

 しかし、無限に広がるかと思われた死の大地は終わりを告げた。

(……いける。)

 騎馬王は少しづつ速度を上げ、最後は風のように早く走った。後方で共に行きたいと叫ぶ者達の声がするが、振り返らなかった。

 心臓が鼓動を打つたびに、失った前足の場所がズキズキと痛む。

 バランスが変わった身体はうまく言うことを聞かないが走れない程ではない。

 騎馬王は必死に走った。

 凍り付いた傷痕が溶け出し、強く縛ったと言うのに血が失われていく。

 体が大きい分、心臓も大きいため血流が早い。

 もう少しだと言うのに。これだけの距離を走り切れない程弱くはないのに。

 騎馬王は黒く闇に落ち始めた意識の中で足だけを動かした。

 遠くに八足馬(スレイプニール)の群れが見える。

(――あぁ…。そっちだな…。分かっているとも……。)

 彼らは自分達の王がどこへ向かおうとしているのか理解しているようで、まるで先導するように走りはじめた。

 いつもなら追い抜くようなスピードで走れるというのに、今日ばかりはどれだけ足を動かしても、八足馬(スレイプニール)達に騎馬王が追い付くことはできなかった。

(私は夢の世界を生きているのか…?)

 騎馬王は見覚えのある景色の中、必死に八足馬(スレイプニール)を追った。

 そして、あと少しで戦地に辿り着くという時、その足はもつれ大地に転がった。

 ザリザリと体を擦り剥きながら転び、立ち上がれと足に訴え掛ける。

 戦士だというのに、戦いの中ではなく誰も見ていない野で死ぬ事になるのか。

 誰の記憶にも残らず、歴史と草原の海の中に溶けて消える事になるのか。

「こんな場所で――死んでたまるか…。」

 騎馬王は何とか震える体を起き上がらせて前を見据えた。

 その時、すぐ耳元で八足馬(スレイプニール)(いなな)きが響いた。

 遠い先しか見ていなかった騎馬王は促すように自らの顔を覗き込む八足馬(スレイプニール)達に笑った。

「ふ……行くとも。」

 手を伸ばすと、特に大きな八足馬(スレイプニール)が立髪を騎馬王の方に垂らし、騎馬王は八足馬(スレイプニール)に掴まって再び立ち上がった。

「――助かった。悪いが、向こうに着くまで肩を貸してくれ。」

 その歩みは牛のように遅々としていた。

 

+

 

 乱戦だった。

「騎馬王はどこだァッ!!」

 ディア・フェルベックの怒号は治安維持部隊の中に響き渡った。

「ディア!!あまり前に出ると危険だ!!」

 友人のメロア・ビビは片腕のない彼の側で戦い続けていた。戦うと言っても、まだ治安維持部隊は誰も剣を抜いてはいない。

 皆鞘に収めたままの剣で敵を失神させている。相手は戦士だとは思えないような力しかないため、何とか戦線を維持できている。――が、もしかすればそれも時間の問題かもしれない。

 相手は既に得物を抜いている。

「――くそ、本当にレミーの言う通りこれじゃ戦争になっちまう!」

「だが、騎馬王はいねぇ!こいつらは確かに残党だ!!」

 メロアの盾は片腕のないディアに降りかかった人馬(セントール)の剣を弾き返し、ディアは人馬(セントール)の胸に爪痕を付けた。

「ッグァああ!」

 四本の爪の痕が人馬(セントール)の胸に焼き付き血が吹き出す。しかし、致命傷ではない。

 カルサナスの治安維持部隊は残党の命を奪う許可まで得ているとは思えなかった。

 夏草海原の残党はジリジリと村へ進んでいた。

 ――そして、ヒュンッと高い音が何度も鳴る。

 メロア達治安維持部隊の上空を無数の流星のような光が流れていた。

 一瞬何が起きたのか理解できなかったが、治安維持部隊はそれが矢だと言うことを理解した。

 どの矢にも火が付けられており、それは真っ直ぐに村へ飛んでいた。

「な…!?そ、草原の奴ら、やりやがった!」

 村が燃え上がり始めると、戦から身を守るために家の中から様子を伺っていた村人達が悲鳴を上げ逃げ出していく。

 同時に、草原の残党も呆然と空を見上げ、そして悲鳴を上げた。

 両軍共に戦争で火を使ったことはなかった。下手をすると草原中に燃え広がり、敵味方の区別なく死ぬかもしれないからだ。

 残党もそれが分からない筈がない。

 しかし、メロアは見た。空にいる、若く戦士然とした人鳥(ガルーダ)達が尚も火を焚べようとする様子を。

 若く強靭な肉体から繰り出される矢は音よりも早く村にたどり着く。

(――戦争ごっこじゃないんだ!!彼らは死に物狂いで来る!!)

 メロアの脳裏に弟のレミーロの言葉がよぎると同時に、背には嫌な汗が流れた。

 ――あれは残党ではない。

 メロアとディアの本能が叫ぶ。

「「――騎馬王と夏草海原連合軍か!!」」

 この残党の向こうに騎馬王がいるはずだ。

 二人が残党を掻き分け向こうへ行こうと進み始めると、それを武力行使の発端だと理解した治安維持部隊の者達が抜剣した。

「貴様ら、それでも草原に暮らす者かぁ!」「セイタイケイを考えろぉおお!!」

 方々で剣戟の響きと残党の血しぶきが上がる。

 戦争状態に突入したが、治安維持部隊の半分は火消しに動いた。

 鎮火の為に見えている池へ駆ける者達。

 燃え広がらせない為、燃えている家の周りに建つ家を打ち壊す者達。

 延焼の危険がある物を移動させる者達。

 ここは水も少ないし、消防隊の魔法詠唱者(マジックキャスター)もいない。

 神聖魔導国の地を守る事を是とする彼らは何の指示も受けずとも綺麗に役割分担をして動いた。

 戦闘行為を続けられる者が減った状況で、残党は治安維持部隊の倍はいるかもしれない。

 しかし、素人同然の動きをとる残党は剣を抜いた私兵達の前ではボロ雑巾のようなものだ。

 私兵達が勝利を確信して切り進む。

 統率されている訳でもない残党のことだ。そろそろ逃げ出し始めても良いはず。

「――なんなんだ。なんなんだよ…!」

 メロアとディアは憤るような声を上げた。

 残党達は連合軍の到着と共に撤退するのかと思いきや、彼らは後ろに控えていると思われる連合軍と治安維持部隊を出会わせまいと動いているようだった。

 この残党達の並々ならぬ闘志は何だと言うのだろう。まるで全員が初めから死を覚悟していたかのような奇妙な空気を纏っている。

 そんな中、禁じ手である火を使う連合軍の若者は未だ空に。

 火を分け合い、矢を燻らせていく。

 何とかなりそうだとタカを括っていたはずの村人達の悲鳴は止めどなく、乱戦場には様々な種の亜人が入り乱れる。

 これまで力が拮抗していたのが嘘のように、残党は押されて多くの者が命を落とした。

「…貴様ら、こんな死に方で本当に良いのかよぉー!!」

 ディアの遠吠えのような絶叫が響く。尊厳のない死を迎える者はどちらの軍勢にも大勢いた。

「出てきやがれ騎馬王ぉ!!こんな事、俺たちはもうやめなくちゃいけないんだぁ!!」

 しかし、騎馬王は出てこなかった。

 時は刻一刻と過ぎ、残党の排除と滅殺までもう一息というところで――ディアとメロアは残党の向こうに目を細めた。

「――来たか?」

 遠方には土煙が立っており、多くの人影が向かって来ていた。

 移動速度はかなりのもので、ここまで来るのにもう幾ばくも時間はかからないだろう。

「え、援軍だ!!夏草海原連合軍だ!!」

 誰かが叫ぶ。そして、誰かが返す。

「連合軍は騎馬王が死んで解散した筈だろ!?」

「まさか、本当に騎馬王が――!?」

 治安維持部隊は足がすくんだ。誰も死と戦争を覚悟して来なかったと言うのに、治安維持部隊を更に上回る戦士達の登場だ。

 ディアとメロアは眼前の人兎(ラビットマン)を蹴り飛ばすと進んでくる者達の姿をしかと見た。

 溢れる生命力。若き戦士達。

「夏草海原連合軍!着火人鳥(ガルーダ)隊に続き、カルサナスより草原を取り戻す最後の戦いに馳せ参じた!父達よ、愚かな息子達を許せ!!」

「や、やめろ、お前達!どうして出てきたんだ!!」

 連合の名乗りに返したのは残党の叫びだった。

 途端に残党は治安維持部隊に背を向け、援軍との間に立ちはだかった。

「な、なんだ…?」

 治安維持部隊が残党の不可解な動きに呆気にとられる。

 残党は正規軍とも言えるような風体の援軍を進ませまいとした。

 残党の何人かが治安維持部隊に切られるが、構っていられないのか背から血を流しながらも吠えた。

「お前達は来ちゃいけないんだ!!」

「お前達若者までも神聖魔導国に弓を引いたら草原はおしまいだ!!」

「やめろ!やめるんだ!!」

「お前達は未来のために、草原のために騎馬王様の言いつけを守れぇ!!」

 その言葉にディアとメロアは我に返った。

「――騎馬王!騎馬王はどこだ!!」

 ディアの言葉に応えたのは若き人馬(セントール)だった。

「騎馬王様は命を投げ出しコキュートス様と鉾を合わせていらっしゃる!!夏草海原連合軍の最後の戦い、目に焼き付けろ!!カルサナス!!」

 その言葉を聞いて、冷静でいられる神聖魔導国の民がいようか。

「き、貴様ら守護神様に!?この……この草原の野蛮人共がァ!!神々に弓を引く意味を思い知れやぁあ!!」

 残党を押しのけた連合軍と治安維持部隊――いや、残党鎮圧部隊は剣を合わせた。

 連合軍の若者達の力量は、全員がまるで歴戦の勇者のようだった。

 普通若い者は力があっても技術が劣る。

 だと言うのに、彼らは神への冒涜に殺気を漲らせる鎮圧部隊の剣を、まるで指導するように弾き飛ばしていく。

 何故か残党達が連合軍の多くの足止めを行ってくれているお陰で両者の力は再び拮抗した。連合軍は残党に手を挙げることはなかった。そして、鎮圧部隊も連合軍を止める残党を切らなかった。

「お前達が殺されちゃあ、草原はおしまいなんだよぉ!!」

「退いて下さい!もう誰一人死なせないために俺達は来たんですよ!!」

「若いお前達が火をくべたなんて知れたら…!どうなってしまうか分かっているのか!!」

「この戦いの狼煙が全てを終わらせます!!皆さんは引いて下さい!!」

 連合軍の到着から死者は出なくなったが、泥沼の戦いだ。

 奇妙な三竦みの戦いは鎮圧部隊か連合軍のどちらかが死に絶えるまで続くかのように思われた。

 しかし、その時は突如として訪れた。

 背筋を凍り付かせる圧倒的な力がその場にいた全ての者の生存本能を刺激する。

 一気に襲い掛かって来た凍てつく波動は、猛烈な炎を上げていた村を凍り付かせ、天すら青き炎で包まんとするようだった。

「コキュートス様……。」

 名を呼ばれた戦いの神はその四本の腕に武器を持っていた。

 

+

 

「カベリアさんが?」

 フラミーはアルメリアが放り出した始原の力を抑制する腕輪を着け直してやりながら首を傾げた。

 先日アルメリアの分の腕輪も完成したが、アルメリアは隙を見つけると腕輪を外して床に落としてしまう。

 大人しく着けられていたナインズとはまるで違い、ダメだと言うと潤んだ瞳で黙ってフラミーを見上げるのだ。

 それで「仕方ないな」と言ってやれる問題ではないので、フラミーは何度も腕輪を拾い直してはアルメリアの腕に抑制の腕輪を戻した。

 ちなみにナインズの腕輪はツアーの鱗が主な素材だったため外側が白金(プラチナ)で内側が漆黒だが、アルメリアの物は常闇の鱗が主な素材だったために外側が漆黒で内側が白金(プラチナ)だ。

「着けてないとダメなんだよ。お母さまを困らせちゃだめだよ」と言うナインズと、しつこく腕輪を落とすアルメリアの間で最近初めての兄妹喧嘩も勃発した。

 いつも優しいナインズが怒る様子に何かを感じたのか、その後しばらくは腕輪を着けていたが、今はナインズがいない時に腕輪を落としている。

 アルメリアは今も着け直された腕輪をジッと見つめ、いつ外そうかと企むような目をしていた。

 

 その様子に、フラミーの部屋を訪問しているデミウルゴスは少し困ったような顔をしてからフラミーの問いに答えた。

「――は。カベリア州知事が、御身もご存知のあの事(・・・)で至急お会いしたいとの事です。」

 フラミーはあの事とはどの事だろうと一瞬首を捻った。

 最近のカベリアは競技大会の運営に忙しく、お茶会はしばらく辞退と言っていたので、かなり久しぶりの連絡だ。

 次に会う約束をしていたのは――そこまで考えると、フラミーはすぐに何のことか理解し、「あぁ!」と声を上げた。

 競技大会の観覧席を用意すると前々から言ってくれていたので、チケットでもくれるのだろう。

 競技大会まで後幾日もないのだ。そろそろ呼び出されてもおかしくない頃合いだろう。

「すぐに準備しますね。どこまで行きます?」

 フラミーはアルメリアをナーベラルに抱かせた。ナーベラルとルプスレギナは相変わらずおむつ清潔(クリーン)係として控えている。

「カルクサーナスにある神殿までお願いいたします。私が転移門(ゲート)を開き、そのまま護衛も兼任してお供いたします。」

「はぁい。じゃあ、アインズさんにカベリアさんの所に行くって言って来なくちゃ。ちょっと待ってて下さいね。」

「畏まりました。」

 デミウルゴスは眼鏡の向こうで嬉しそうに目を細め、そっと扉を開いた。

 フラミーは軽く礼を言うと、自室を後にしてアインズの部屋の扉を開いた。

 フラミー当番は一つも扉を開けられなかったことに非常に残念げな顔をした。

「こんこーん。アインズさーん、私ちょっとデミウルゴスさんとお出かけしますね。」

「――ん?フラミーさん、どちらまで?」

 アインズはこれまでで一番と言っても良いほどに分厚い書類の束から顔を上げ、隣に立つアルベドは恭しげに頭を下げた。

「カベリアさんがあの事(・・・)で呼んでるんです。」

 アインズの瞳の灯火がスッと書類に降りた。

「――なるほど。分かりました。これに一通り目を通したら俺もすぐに追って行きますから、あっちの事お願いします。」

「私一人でも構いませんよ?」

「いやいや、行きますよ。締めるところはきちんと締めなきゃいけませんからね。」

「そうです?」

「えぇ。」

 アインズがニヤリと笑ったような雰囲気を出す。フラミーはちゃんと家長がお礼を言うのが筋かと頷いた。

「じゃあ先に行きますから、また後で。」

「気を付けて下さいね。」

 フラミーは軽くアインズに手を振って部屋を後にした。

 そして、アインズがお礼を言うならナインズもいた方がいいかとフラミーはこめかみに触れた。

 何でも観劇観戦できるのが当たり前だと思ってしまうのは教育上良くない。ナインズからもきちんと礼を言わせた方がいいだろう。

 コール音がたった一回だけ響くと、線の先が繋がる感触がした。

『――パンドラズ・アクターです。』

「あ、ズアちゃん。私です!今少しいいですか?」

『フラミー様!如何なさいましたか?』

「カベリアさんに会いにカルサナスまで行こうと思うんですけど、ナインズも一緒に連れて行こうかなと思って。お勉強、中断できそうですか?」

 喋りながら進み、フラミー当番が満足げに開いた扉をくぐる。

 中ではデミウルゴスが床に落ちた腕輪をアルメリアに献上していた。

『――もちろんでございます。カベリア州知事に会いに行くと言うことは、過程(・・)をお見せすると言うことで宜しいでしょうか?』

「過程――…そうですね。過程。何がどうやって手に入るのか知るって良いことだと思うんです。どうかな?」

『素晴らしいかと!』

「そうですよね!じゃあ、キリのいいところで私の部屋に来て下さいね!」

『すぐに参ります!少々お待ちくださいませ。』

 フラミーは伝言(メッセージ)を切り手を下ろした。

 伝言(メッセージ)はこちらが切るまで効果の使用制限時間まで無限に繋がってしまうため躊躇いは不要だ。

「デミウルゴスさん、ナインズも連れて行きたいんですけど、良いですか?少し待たせちゃうんですけど。」

「もちろんでございます。このデミウルゴス、感服いたしました。ナインズ様には素晴らしい影響になるかと。」

「ふふ、良かった。」

 フラミーが自分の思い付きを心中で褒め称えていると、扉が数度叩かれた。

 フラミー当番がフラミーの表情を窺い、静かに扉に向かう。

 扉を細く開き、フラミーの許可なく入れて良いと言う無言の意思に従うべき相手なのかを確かめる。

 確認作業は早々に終わり、扉はすぐに開かれた。

「――お母さまー!」

 銀色の髪を揺らすナインズは顔いっぱいの笑顔で入ってきた。

 真っ直ぐにフラミーに向かい、ボフッとぶつかった。

「わっ!ふふ、ナイ君もお出かけしようねぇ。」

「はい!」

 続いてカツ、カツ、と踵で音を立てて現れたパンドラズ・アクターは帽子を脱いで踊るように膝をついた。

「フラミー様。パンドラズ・アクター、御身の前に。」

「ズアちゃんもいらっしゃい。お勉強途中で切り上げてもらっちゃってすみません。あんまりこう言う機会ってないのかなって思って。」

「今しか学べない事を優先するのは当然のこと!是非参りましょう!」

「ありがとうございます。じゃあ、デミウルゴスさん。転移門(ゲート)お願いします。」

「は。今すぐに。」

 フラミーはカルサナスだとベバードの迎賓館にしか行ったことはない。

 デミウルゴスは転移門(ゲート)を開くと一度フラミーに頭を下げた。

「先にあちらの確認をして参りますので少々お待ち下さい。」

「はぁい。」

 そんなもの必要ないのになぁと思うがナインズも連れて行く為大人しく待つ。

 デミウルゴスは一歩足を進めると、突如として硬直した。

「――ん?」

 共について行こうとしていた八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)やハンゾウ達、部屋にいる全ての者の視線がデミウルゴスの尻尾に注がれている。

 尻尾はアルメリアの小さな手に掴まれていた。

 アルメリアは外嫌いな為転移門(ゲート)も嫌いだ。これの先に嫌いな外がある事を理解している。

「あらら。リアちゃん、デミウルゴスさん放してあげて?」

「おかぁ。」

「お母さん達ちゃんと帰って来るから。」

「やんやぁ。」

 デミウルゴスの尻尾には暴力的な装甲が施されているので、下手に引っ張ったりすれば手を切る可能性もある危険な箇所だ。

 フラミーは硬直しているデミウルゴスの尻尾に触れると、そっとアルメリアの手を放させた。

「すぐに帰って来るからね。」

「おかぁ。」

「本当にすぐだから。良い子にしてて。」

 フラミーがアルメリアの黒翼を広げて顔を隠してやると翼の下でアルメリアはムンムン唸った。

「――で、では。参ります。」

 デミウルゴスが気を取り直して眼鏡を押し上げる。

 フラミーはこの尻尾の装甲の中はどうなっているんだろうと、また余計な興味を持ちながらアルメリアから取り返した尻尾を放した。

 ネズミのように細い尻尾の先にハート型の先端が付いた悪魔らしいものなのか、それともこの装甲の形と変わらないどこかムカデじみた形の物なのか――それとも、オタマジャクシがカエルになる時にお尻に付けているあの尻尾のような具合なのか。

 もし変態途中のオタマジャクシのような尻尾だったら――「デミウルゴスさん、装備って全部脱げますよね?」

 フラミーの興味は止まらなかった。

「ぬ……」デミウルゴスはまた進めようとしていた足を止めた。「脱げますが……以前申し上げた通り、アインズ様のご許可が…いや…御身が望むのなら……いや……しかし……。」

「ちょっと見るだけなら?」

「ちょっと見るだけなら…えー…いつかまた…今度…。」

 フラミーはそれを聞くと顔をパッと明るくした。

「じゃあ、今度ちょっと装備の下見せて下さい!」

 デミウルゴスが謎のデジャブを感じる横で、表情がないはずのパンドラズ・アクターはベキベキと顔中に血管を浮き上がらせた。

 一方ナインズはそんな事はどうでも良いと言わんばかりに、転移門(ゲート)のあたりでウズウズしていた。




はぁ、はぁ!
明日も更新するぞぉ!!
次回#128 氷解

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