眠る前にも夢を見て   作:ジッキンゲン男爵

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#128 氷解

 カルクサーナスの神殿。

 厳かな空気が漂う長方形の堂内は壁一面に立体彫刻が施され、カルサナスの戦いの歴史を物語っていた。

 正面に据えられた神々の像が全てを取りなす一つの作品のように見えるが、それまで特定の神を持たなかったカルサナスにおいて、ここは百年前の内乱で死んだ者達の魂を清めるための場所だった。

 

「デミウルゴス様が参ります。」

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)からの通達が堂内に響く。

 ここの神殿に勤める神官と、謁見を求めたカベリア、首狩り兎が膝をついた。

 首狩り兎は闇の神ではなく、まずは生命を生み出す光の神に話を聞いて欲しいと思っていた。光の神の方がカルサナスの草原への行いに怒ってくれるような気がしたから。

 しかし、この期に及んで未だここに神がすぐに降臨すると言うことを信じ切れていない。

 女神はこの間の観劇に馬車で現れたのだ。

 今日会いたいと伝え、そこから都合を付けてもらって馬車で神都から来てもらうとすると、ここに来るまでにどれだけの時間がかかるだろうか。

 守護神などは自分の守護都市であるカルサナスを見に来ていればすぐに駆け付けてくれるだろうが、神々などはそうはいくまい。

 カベリアはここに女神もすぐに現れてくれると信じているようだが、首狩り兎はこうしてぐずぐずしているうちに、今にもゴルテン・バッハの手の者が神殿に雪崩れ込み、大切な資料を全て奪い去るのではないかとハラハラしていた。

 本当なら今頃上院議員達を殺しているはずの頃だったと言うのに、草原の返還に全力を尽くすと言っているカベリアからの反対に渋々頷き殺害計画を畳んだ。

(もし奴らが来やがったら…あっちから逃げ出して…死者の大魔法使い(エルダーリッチ)を盾にして……。)

 首狩り兎が不敬とも取れる逃亡計画を立てていると、神聖なる像の前に楕円の闇が現れた。

 しかしそれ以上何も起こらない。

(これがなんだってんだ…?)

 首狩り兎は謎の闇を眺め、無為な時間を過ごした。

 しばらく待つと、そこから一人の男が現れた。

「デミウルゴス様。お忙しい中、貴重なお時間を頂戴いたしまして、誠にありがとうございます。」

 カベリアが感謝の意を告げると、これが守護神の"デミウルゴス"かと首狩り兎は思った。

「いえいえ。その言葉は直々にお見えになるフラミー様に伝えて下さい。さぁ、フラミー様がいらっしゃいます。」

(――まじ?)

 本当にここにすぐに女神が来るのかと瞬いていると、カベリアが頭を下げ、首狩り兎も慌てて頭を下げた。

 頭を下げたまま目だけを動かし、闇を凝視する。

 デミウルゴスは闇に手を差し入れ、薄紫色の手を引いた。

 何の躊躇いもなく、むしろ喜ばしさすら感じさせる表情の女神が現れた。

 汚れひとつないローブに純白の翼。討議場に来たのは何かの間違いで、神殿こそが真なる居場所であると思わされる。

 その後を子供と、黄色い守護神が続く。宗教に詳しい者ならば全ての守護神の姿と名前を知っているのだろうが、首狩り兎はこれまで「カルサナスの言い分だけを鵜呑みにする王達」だと思っていた為、大した信仰も持っていなかったのであまり詳しくない。

 守護神の名前くらいは分かるが、オシャシンが出回っているわけでもない守護神の姿には多くの者が馴染みがないのだ。しかし、神都とエ・ランテルの住民達だけは例外だ。大神殿やエ・ランテルの神殿には守護神達の姿が描かれたステンドグラスもあるため、この二つの都市の者達は普通の都市の住民よりもかなり詳しい。

「カベリアさん、お待たせしました。楽にしてくださいね。」

 その声と共に、カベリアと首狩り兎は深く下げていた頭をゆっくりと上げた。

「光神陛下…。お呼び出ししてしまい申し訳ございません…。」

「良いんですよ。そろそろかなって思っていましたし、私が来るのは当然のことですから。気にしないでください。」

 首狩り兎の丸い目は一層丸く見開かれた。

(こ、これが女神……。カルサナスが罪を告白する日を待っていた……?)

 ようやく話す気になったカルサナスを前に、女神は喜んでいる。

 首狩り兎は相手がとても人知の及ぶ存在ではないと今更ながら確信した。

「やはり全てをお分かりになっていらしたのですね……。私は……カルサナスが恥ずかしいです。世界の命の母たる御身を前に、私は…私達は……。」

「……ん?カベリアさん?」

「光神陛下、本当に申し訳ありませんでした…。」

 カベリアがべたりと床に頭を擦り付けると子供が女神の手をとった。

「お母さま、どうしたの?カベリアさん、悪いことしたの?」

 お母さま――女神をそう呼ぶ存在が何者なのか首狩り兎は瞬時に理解する。娘のように美しい顔立ちをしているが伝え聞く特徴と年の頃から言ってそれは神の子――ナインズ・ウール・ゴウンだ。

「え?わ、悪いこと?カベリアさん、悪いことをしたって思ってるんですか?」

 女神からの言葉は首狩り兎をしても酷に聞こえた。

 悪いと思っているのかという問いは、裏返せば悪いと思っていなかっただろうと言う糾弾だ。

 カルサナスの罪を本当に理解して反省しているのかと突き放すようだった。

「はい……はい……。申し訳ありませんでした…。本当に、本当に……陛下……。」

「落ち着いて。ゆっくりでいいから、ちゃんと全部話してください。」

「はい……。」

 カベリアが何から話し懺悔すべきなのか整理を始めると、首狩り兎は軽く深呼吸をしてから声を上げた。

「――光神陛下、ナインズ殿下、そして守護神様。私は首狩り兎と申します。畏れながら、私にも発言のご許可を頂けないでしょうか。」

「もちろん良いですよ。詳しく聞かせて下さい。」そう言った女神は望むところだと言うような雰囲気だ。

 首狩り兎は一つ目のドワーフの革袋をポシェットから引き出した。

 その中から一冊の資料を――全ての始まりが書かれた資料を取り出すと、頭の上に掲げるようにして差し出した。

 資料は死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の手に渡り、続いてデミウルゴスの手に渡り、デミウルゴスが恭しく女神に渡した。

 なんと面倒な、と思ってしまったのは首狩り兎が庶民だからだろう。王妃ともなれば、神ともなれば、これくらいの面倒なやり取りは当然のはずだ。

「――では、僭越ながら私から説明を始めさせて頂きます。」

 首狩り兎は草原とカルサナスの因縁について滔々と語り出した。

 カベリアが途中カルサナスの当時のやむを得ない事情を挟むと、首狩り兎は宿敵を見る目でカベリアを睨んだ。

 神殿の中に二つの視点からの歴史が響く。

 広い堂内には顔を青くしていく神官達の呼吸と二人の紡ぐ言葉だけが満ちる。

 張り詰めていく空気に神の子は漠然と恐れを成したように女神に縋った。

 壁にかけられた永続光(コンティニュアルライト)が、戦争の恐ろしさを見せ付ける壁画彫刻達を浮かび上がらせる。

 声が響いていると言うのに、静寂に満ちた異様な空間だった。

 そんな場所だったからこそ、語り続ける首狩り兎の耳には神殿の外で誰かが話す声が自然と届いた。

『私は今月の寄付に来たんだよ?』

『ありがとうございます。ですが、ただいま中で謁見を――』

『謁見!?誰が誰に!!』

『は、え、えっと、光神陛下にカベリ――』

 外の会話はそこで途切れた。

 次の瞬間、神殿の扉は開け放たれ、外から太陽の光が堂内に差し込んだ。

「へ、へ、陛下!!陛下、違うのです!!陛下!!」

 入ってきたのはゴルテン・バッハだった。しかし、昨日の夜に見た肉食獣のようだった姿が嘘のように、恐れ、怯え、震えていた。

 駆け込もうとしたゴルテン・バッハはふわりと宙に浮いた。

 いや、神殿の扉を守っていた死の騎士(デスナイト)によってつまみ上げられたのだ。

「オオオァァァアアアアアア――!!」

 死の騎士(デスナイト)の咆哮に合わせ、ビリビリと大気が震える。

 不敬者を抹殺する前の号砲だった。

 街のどこにでもいる死の騎士(デスナイト)が一転――殺戮に飢えたアンデッド本来の姿を取り戻す。

 

 殺される。

 侵入者ではない首狩り兎すらそう思った。

 死の騎士(デスナイト)の手の中にあるフランベルジュは容赦なくゴルテン・バッハの体に迫り――

「やめろ。」

 平凡な男の声だった。

 ゴルテン・バッハの腹にめり込もうとしていた白銀の輝きはピタリと動きを止めた。

「他者を傷付けていない者を殺す許可は出してないだろう。」

「オォォーン――」

 悪鬼羅刹のようだった死の騎士(デスナイト)はそっとゴルテン・バッハを下ろした。

 首狩り兎は誰があの死の騎士(デスナイト)を止めたのかと正面に自然と視線を戻した。

「フラミーさんが関わるとどうも短気でいかんな。」

「しかし、アインズ様。フラミー様のいらっしゃる神殿の扉を勝手に開けると言うのは万死に値する行為と言っても過言ではないのでは?」

「父上、死の騎士(デスナイト)の判断は至極真っ当なものかと。」

「……お前達は本当に……。」

 守護神達と当たり前のように会話を始めていたのは、この国の王にして闇の神、アインズ・ウール・ゴウンに違いなかった。

「へ、へいかがた…。へいかがた……。」

 解放されたゴルテン・バッハは足枷でも嵌められているような遅々としたスピードで神殿を進んだ。

 カベリアと首狩り兎のことなど目にも入らぬ様子だ。

 首狩り兎は心の中でざまぁみろと思ったが、そんな余裕は冷たい響きを持つ声が発せられた瞬間消え去った。

「大切な話をしていたのに。邪魔を。」

 女神は凍てつく視線でゴルテン・バッハを真っ直ぐ見つめていた。隣に立っていた神が驚いた顔をしたような気がしたが、骸の顔に表情はない。

「――へ、へいか…。その、その大切な話は……カルサナスにはずっと……事情があったのです……。命のため、御身の生み出した命のため、ずっと…ずっと事情が……。」

「思い出した。あなた、あの日のダンスパーティーにもいましたね。上院議員。」

「そうです、陛下。その通りです。我が君。どうか、この哀れな老いぼれにも話をさせて下さい…。カベリアの語るカルサナスは軽薄かもしれませんが……当時を生きた私からすれば、もっと……もっと多くの言い分があるのです……!」

「言ってみなさい。」

「と、当時、夏草海原との戦争が始まってしまった時、我々は夏草海原のルールなど知らなかったのです…。戦後の食糧難を乗り切るためには夏草海原から引くことはできませんでした…。そうしなければカルサナスは食べるものを奪い合うため再び互いに弓を引いたかもしれません…。結果的にこのような事になってしまいましたが、当時の決断に救われた者は数え切れないと思います。」

「他には。」

「ほ、他…他には、ンン。今では草原に何の影響も及ぼさない村があるだけです。」

「草原を草原じゃなくしておいて、何の影響も及ぼさない?てめぇ!言うに事欠いて――」首狩り兎が口を挟むと、女神からの鋭い視線が飛んだ。「いえ、失礼しました…。」

「ご、ご覧の通り草原の者共は野蛮です!今のが証拠なのです!夏草海原は我らが神聖魔導国の罪のない村に攻め込んで来ようとする不敬者たちなのです!わ、私達はそれの討伐のために私財を投げ打ち私兵を出しました!!今日中に見事討伐してご覧にいれましょう!!」

「今日中に討伐だと……。」首狩り兎が小さく呟く。

 ゴルテン・バッハは全力疾走した後のように肩で息をし、びっしょりと汗をかいていた。

 静かに神判の時を待つ。

 女神はため息を吐いた。

 それに肩を揺らさなかった者はいはい。

「――私は自然を大切にしない人とは誰とだって戦います。それが神聖魔導国の人なら、神聖魔導国の人とだって。カルサナスが相手ならカルサナスとだって。どこだって誰だって関係ない。分かりますね。」

 目がくらむ程の光に焼き尽くされそうだった。首狩り兎は眩しそうに目を細める事しかできなかった。

 カベリアとゴルテン・バッハの表情を確認する余裕はなかったが、畏怖の念を感じている事がはっきりと分かる。

「首狩り兎さん、草原が心配ですか。」

 唐突な言葉に首狩り兎はぶんぶんと首を縦に振った。

「そうですよね。でも、草原にはうちのコキュートス君を出しているから、そう心配しないでください。戦争をするなと騎馬王を説得しているはずです。」

「へ?は、は……はは。守護神様を…?」

 首狩り兎は最初から救われる道があったのかと、白痴のように笑いを漏らした。神は最初から全てを見抜いていたのだから、当然と言えば当然のことだろう。

「へいか……へいか………。カルサナスは……私達は………。」ゴルテン・バッハの声が響く。

「……カルサナスの行いは許されざるものです。騎馬王がカルサナスへ挑もうと言う気持ちが私にはよくわかります。ですが、カベリアさんが草原を返そうと決めた事は評価できると思っています。そうでなければ、草原を汚す者達は私が殺さなくちゃいけない所でした。広い草原が自浄作用を失うところまで行かなかった事を、カルサナスは夏草海原連合軍に感謝しなさい。」

 その冷たい視線は光の神と呼ばれる存在だとは思えなかった。

 まるで、世界を混沌に叩き落とす魔王のようで、首狩り兎はあまりの息苦しさに何度も唾を飲み下した。

 カベリアとゴルテン・バッハがべったりと床にひれ伏しているが、首狩り兎もそうするべきかと迷った。

 そうしていると、神殿の外が騒がしくなった。

 競技大会前のパレードでもしているのだろうか。

 騒ぎを鎮めるため、神官達が慌てて神殿の外に声をかけに行く。

 扉がわずかに開かれると、外からは数えきれない者達の声が響き、神殿内に溢れ返った。

 ――騎馬王は生きている。

 ――神々は全てを知っている。

 ――カルサナスは懺悔を。

 声は真っ直ぐに神殿へ近付いて来ていた。

 首狩り兎は、まさか夏草海原連合軍がここまで来たかと瞳を輝かせた。

「確認を。」デミウルゴスが顎をしゃくると、神官が動き出す間もなく、首狩り兎が慌てて立ち上がった。

「俺が行きます!今すぐ!!」

 扉へ駆ける。

(皆、俺たちは救われるよ!皆、皆!!)

 首狩り兎の足取りは軽かった。

 そして、二枚の扉を思い切り開け放つと――

「兎ちゃん!?」

 先頭にいたのは平和ボケだった。

「――へ?何で…?」

 平和ボケは黒ずくめの女と共に首狩り兎に駆け寄った。

「兎ちゃん!どうしてカルサナスの神殿に!?」

「いや…カベリアがここにしようって言うから…。それより、お前、これ何…?」

 平和ボケの向こうには大量のカルサナスの亜人達がいた。

「あぁ!この人が騎馬王が生きてる事を証明してくれるって言うから、この人と一緒に俺も全部を皆に話したんだよ!兎ちゃんが神都に向かってる間に上院議員達を皆で糾弾できるように!」

「こいつ誰…?」

 黒ずくめの女はつまらなそうな目をした。

「私はティラ。ある人に騎馬王の暗殺を頼まれて、騎馬王に返り討ちにあったうえにクナイを大量にとられた女。」

「な、なんだそれ…。」

 首狩り兎は引きつり笑いを浮かべた。

 すると、平和ボケが頬を撫でる。首狩り兎は鬱陶しそうな目をしたが、そこからは今にも涙が落ちそうだった。

「泣くなよ、兎ちゃん。俺達はここに入ったゴルテン・バッハを引き摺り出したら次の上院議員を捕まえに行くよ。村には上院議員達の私兵が行ってるんだ。私兵を止めさせないと。もう誰も――」

「誰も戦わなくて良いと、伝えないといけないですね。村は草原に返還します。それにしても、私兵を出してるって、デミウルゴスさんは知ってました?」

 首狩り兎の後ろから姿を現した者に皆腰を抜かした。平和ボケ――レミーロ・ビビの話を信じなかった者や半信半疑だった者達は気持ちを入れ替えた。

「申し訳ありません。存じておりませんでした。至急コキュートスに連絡を取りましょう。向こうで戦闘状態に入っていると国のためになりませんので。」

「そうしてください。」

 首狩り兎は戦争の終結と、草原が返還されるその時が着々と近付いている事を肌で感じた。

「兎ちゃん、良かったな。」

「…あぁ…。平和ボケ、お前のおかげでカルサナスを許せそうだよ…。」

「ははは、良かった。俺達は陛下の決めることについて行くって決めてるからさ。俺達はきっと仲良くできるはずなんだ。」

「仲良く…か。」

 首狩り兎は「良かったなー!」と笑う宿敵だった亜人達に泣いたような顔で笑い返した。

 

+

 

「戦ウナトアレ程言ワレタトイウノニ。クルダジール、何故オ前ガココニイル。オ前達ガ我ガ国ニ手ヲ出セバ、若者ト草原ニ未来ヲ繋ゲタト信ジタ父達ノ思イヲ踏ミニジル事ニナルゾ。」

 コキュートスはハルバードをクルダジールに突き付けた。

「狼煙を上げられれば、コキュートス様は騎馬王様との戦いをやめて必ず来て下さると思いました。」

「……ソレデ父ヲ守ッタツモリカ。代ワリニ貴様ラ若キ戦士ハ罰ヲ受ケルノダ。父達ハ嘆クダロウ。」

「皆を焚きつけた私を罰して下さい。」

 若者達が群れを離れたあの日、クルダジールは諦め切れていない様子だったが、コキュートスはまんまと策にはまったわけだ。

 コキュートスの大顎がガチンと音を鳴らした。

「――本当ニ父ニヨク似テイル。」

 クルダジールが頭を下げる。

「ソレデ、戦イタイ者ハ。」

 カルサナスの亜人達は一斉に武器を放り捨てた。

「俺達は陛下方の意思に従います。」

「良イ判断ダ。夏草海原ハドウスル。」

 最後の戦いを託されていた一般の者達は立ち向かいたかったが、初めて見る絶壁のような強者を前に腰が抜けていた。

 そんな中、若者達がぞろぞろとコキュートスに向かい合っていく。

 誰かが「やめろ」と声を上げる。

 鉾を構えたクルダジールの瞳には死への覚悟があった。

「尊敬できる人達ほど早く死んでいった。こんなこと、もう十分だ。私達よりも、騎馬王様や父達が草原に残ってくださる方が――未来のためになる!死ぬのは私達だけで良い!!」

「馬鹿者ダナ。騎馬王ガ泣ク。」

 コキュートスから殺気が流れ出る。

 村につけた火はコキュートスに消されたが、まだ高く高く狼煙のような白い煙が立っていた。

 死ねば魂はその煙に乗り、空から見下ろしてくれている父達の下に帰れるだろう。苦しみも涙も超えた場所へ。

 大人になれなかった友達とも再会できるかもしれない。

「いざ!!」

「ヤレヤレ。モット視野ヲ広ク持ツベキダ。」

 クルダジールが駆け出そうとした時、その足下にはビッと風を切って一本の鉾が突き立った。

 

 赤い帯が風に揺れる。

 

 その象徴的な旗印が誰を意味するのか分からない者はいない。

「――き、騎馬王様?」

 クルダジールと若者達がその鉾の持ち主を探そうと視線をあげると、夏草海原側からは悲鳴じみた声が上がり、カルサナスは騎馬王だと声を上げた。

「や、やめろ…。クルダジール……お前たち……。」

 騎馬王は八足馬(スレイプニール)に掴まりやっとの様子で歩いていた。

 血が失われすぎた瞳は色を写しているとは思えなかった。

「騎馬王様!!」

 クルダジールが鉾を投げ捨てて駆け寄ると騎馬王は八足馬(スレイプニール)に掴まりながらようやく座り込んだ。その周りには沢山の八足馬(スレイプニール)達がいた。

「はぁ…お前は…本当に大馬鹿ものだ……。私の代わりに多くのものを残せと言ったのに……。」

「騎馬王様、お怪我が!だ、誰か薬草を!!今、今何かをご用意いたします!」

「クルダジール……。私はコキュートス様を少しでも足止めしようと駆けてきた……。しかし、カルサナスと村を見て全ては終わったと確信した……。」

 カルサナスの者達は武器を捨て、静かに騎馬王の様子を見ていた。村の半分は焼け落ち、多くの場所が凍りついて人が暮らせる様子ではない。後半分は惜しかったが、殆ど取り返せたと言って良いだろう。

「皆、やり切ってくれたのだな……。後は、もう誰も死ぬ必要はない……。戦争の産物である私の他には……。」

「き、騎馬王様!嫌です!!そんな、そんな事を仰らないでください!!騎馬王様のため、皆がここに来たのです!!」

「私の為…。まったく…本当に頑固などうしようもない息子ばかりだ……。誰がそんなことを頼んだと言うのだ……。」

「それは、それは…しかし…!あぁ、とにかく今はお静かに!血が、血が!!」

 深傷(ふかで)でここまで駆けてきたせいか、傷口からは止め処なく血が流れ、騎馬王が通ってきたところには赤い道ができていた。

「あぁ…死ぬ前にコキュートス様に謝罪を申し述べねば……。コキュートス様は……。」

 そう言って辺りを見渡す騎馬王の目の前、クルダジールの隣にコキュートスはしゃがんだ。

「私ハココニイル。」

「あぁ…コキュートス様……。申し訳ありませんでした……。まさか若い者がこのようなことをするとは……。しかし、多くの者がここでも、あの戦いの地でも死にました……。私もこれで死にます……。どうかお許しを……。」

「検討シヨウ。」

「ありがとうございます……。ああ…せめて、戦いの中に死にたかった……。」

「残念ダッタナ。シカシ、ソウハ行カナイラシイ。」

「悔しいです……。御身に……もっと早く……出会いたかった……。」

 騎馬王は短い息を吐き出し、目を閉じた。最早目を開けていられる力も失われ始めていた。

「き、騎馬王様!父様!父様、目をお開け下さい!」

「とうさま…か……。お前はあたたかいな……。」

「父様、良くなります!良くなりますから!!嫌です!!お願いだ!!そんなの!そんなの!!」

 騎馬王にすがるクルダジールの慟哭が響く。コキュートスは二人に背を向け、その場を離れた。

 騎馬王は目を閉じたまま静かに微笑み、クルダジールの声に耳を澄ませ、その温もりに身を任せた。

「…ちちと……呼ばれる日を夢見ていた……。しかし…お前の真実の父は……私などより…よほど良き戦士であった……。」

 そう言いながら、今際の時を見送ったクルダジールの父を思い浮かべた。

 クルダジールは本当の父によく似ている。思えば、彼も兄貴分として騎馬王をよく慕ってくれていた。良い者達ほど早く旅立ってしまう。

 幼いクルダジールはうまく走れなかったような頃から必死にちょこちょこと後をついてきて、しょっちゅう転んでは照れ臭いような笑みを浮かべていた。

 騎馬王は愛し子との時間を思い返した。走馬灯のように思い出が駆け巡る。力が失われていく。息をするという事がこれほどまでに億劫な事だとは――。

「父様…父様……。どうか…目を……目をお開けください……!」

 そして、ふとクルダジールは自分を見下ろす存在に気が付いた。

「――ぇ?」

 呆気にとられてつい声を上げてしまう。

 見下ろしていたのは見たこともない種族の者で、天国にでも騎馬王を連れ去りそうだった。

「騎馬王――いえ、ヴェストライア。カルサナスは罪を繰り返しました。あなたはそれの抑止力となり、今日までよく戦いました。私は草原を守るあなたが生まれて来た事を誇りに思います。」

 もはや口を開くことも叶わぬ騎馬王の瞳から涙が一つ落ちた。生まれて来たことすら間違いだったかと自身の存在を疑いながら戦い続けて来た男の流した生まれて初めての涙は、愛した草原に迎えられ、草の上を撥ねた。

 クルダジールは全てを理解しているようなその者を見上げ、呟いた。

「あなたは……。」

 コキュートスが膝をついている。その隣には一度群れを訪れたデミウルゴスもおり、やはり膝をついていた。

「し――。ヴェストライア、起きるんです。あなたは必要な人でしょう。――<大治癒(ヒール)>。」

 クルダジールの腕の中で絶命の時を迎えようとしていた体に生命の力が漲る。

 失われた血と脚が戻る。

 火は消えたと言うのに空に立ち込めていた白い煙は、まるで騎馬王の生を見届け安堵したように晴れた。

 死んだ魂が霧のように漂流し続ける平野があると、昔首狩り兎から聞いた事があった。

 あの煙は戦士達の魂の形だったのかもしれない。

 輝かんばかりの青空が草原を照らす。

 王につき従ってきた八足馬(スレイプニール)達が天高く足を上げていななく。

 騎馬王はまるで何もなかったかのように目蓋を持ち上げた。瞳は生のエネルギーに溢れ、太陽の光を反射して煌めいた。

「皆――私を許すと言うのか。この戦争の産物を――!皆――!皆――!!」

 クルダジールの胸から起き上がった騎馬王は空に手を伸ばした。

 ゴウッと草原に風が吹き抜ける。

 何もつかまなかったが、確かに何かと触れ合った手は名残惜しげに下ろされた。

「ヴェストライアさん、生きてくれますね。」

 母のように優しい響きだった。

 騎馬王は凄まじい生の力を持つその者が何者なのか、すぐに理解した。

 運命と言うものが、自分の行き着く場所を定めるものだとするなら、この出会いは運命そのもの。この命は運命に運ばれ続けて来たのだと騎馬王は確信する。

 この人に会うため、この人の生んだものを守るため、この人に命を与えられた。

 コキュートスが初めてこの群れに来たときに言った言葉の全てを思い出す。望む望まないは別として、この世に生を受けた時点でこの人の加護に触れていると言う言葉を。

 騎馬王は静かに頷いた。

「もちろんでございます。――フラミー様。」

 フラミーは嬉しそうに目を細めた。

 その隣にいた幼い子供がそっと優しく騎馬王の馬体を撫でた。

 

+

 

「終わったのかな。」

 首狩り兎を送り届けた人馬(セントール)のアストールは空に無限に広がり始めていた白い煙が晴れたことを見届けた。

「アス、ライア・マイカがやったのかな?」

「あぁ。彼もやってくれたんだろう。だけど――きっと、皆がやってくれたんだ。」

 戦争を止めて、多くの命を守るために、きっとアストールが知るよりもずっとたくさんの者達が奮闘したのだ。

 アストールは爽やかに笑うと、来たる秋と冬に向けて銀色草原へと進路を変えた。

「皆、行こう!きっと銀色草原に着く前に、父さん達に出会えるはずだ!!」

 カルサナスの村の前を通って、この群れから戦いに出た父や戦士達を迎えに行こう。

 

 きっと、生きて出会えるはずだ。

 

 アストール達は高らかに歌を歌って冒険に出た。

 

 その後、夏草海原には平和な歴史が刻まれ続ける。

 穢されることに怯え、怒り続けて来た草原は、特別自治区として保護され自然を愛する支配者の名の下にいつまでも美しくあり続けた。




皆………(´;ω;`)騎馬王くん………

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