眠る前にも夢を見て   作:ジッキンゲン男爵

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#130 閑話 射手の悩み

 飛竜(ワイバーン)に跨り、空を駆ける青年が二人。

 一人は全ての髪をギュッと後ろに一つに結んでいて、もう一人はもじゃもじゃ髪を一本の三つ編みにしていた。

「マッティ兄さん、別に一緒に来なくても良かったのに!そろそろ産まれるんでしょ!」

「まぁな!だけど、今日明日ってわけじゃあないはずさ!」

 二人の兄弟はごうごうと風が鳴る音に負けないように大声で話をした。

「――さぁ、そろそろ大神殿だ!」

 兄のマッティがそう言うと、弟のティトは首に下げた角笛をくわえ、騎乗している二体の飛竜(ワイバーン)に降下を命じた。

 二体は上空でひらりと身を翻し、神都大神殿の竜舎と厩舎前に降りた。

 大神殿保有の竜舎には、飛竜騎兵(ワイバーンライダー)の里から里子に出された飛竜(ワイバーン)達が暮らしている。

 ティトは自分の飛竜(ワイバーン)から降りると、聖典を乗せるのにふさわしいとティト自身が選び、送り出した四頭の飛竜(ワイバーン)達に駆け寄った。

「皆、久しぶり!元気にしてたかい!」

 飛竜(ワイバーン)達は親を前にしたように甘えた声をあげた。

「ティト、俺は到着したって神官様達に報告してくるからなー。」

 マッティが声をかけるとティトは飛竜(ワイバーン)に顔を擦り付けながら「いってらっしゃーい」と返事をした。

 神殿に捧げられた飛竜(ワイバーン)達の鱗の艶は健康そのものだが、里の飛竜(ワイバーン)に比べると少し太っている。

 竜舎を担当してくれている神官に毎日飛ばせてもらっているはずだが、里の飛竜(ワイバーン)程は飛べていない――もしくは贅沢な食事を取りすぎているせいだろう。

「皆あんまり太ると長距離飛行に参っちゃうぞ?」

 ティトの言葉をわかっているのかわかっていないのか、飛竜(ワイバーン)達はティトの腕を甘噛みした。基本的に外皮は硬いが、口の端の肉は柔らかい。

「これからしょっちゅう草原まで飛ぶ事になるんだ。ここからは結構距離がある。途中で脱落でもしたら里の笑い者だよ。」

 神都からティト市までと、ティト市から夏草海原の中心まではちょうど同じくらいの距離がある。

 ライダー達はいつも身軽な格好で飛竜(ワイバーン)に乗るが、聖典は鎧から武器までフル装備なので普通のライダーを乗せるよりも重たい。飛竜(ワイバーン)の体に傷がつかないように鞍も背負うのだ。草原滞在中に食べる食料も多少持って行く。

「相当ハードだぞ。聖典の皆さんに恥ずかしいところを見せないでくれよ。」

 陽光聖典は力量の差が他の聖典よりもあるため、飛竜(ワイバーン)ではなく馬を使っている。漆黒聖典は一人師団であるクアイエッセが召喚する魔獣に乗ることができる。

 つまり、飛竜(ワイバーン)に乗るのは紫黒聖典だけだ。

 他の二つの聖典に移動で劣るような事があっては神都での飛竜(ワイバーン)の使役はなくなってしまうかもしれない。

 せっかく神が配慮して与えてくれた仕事を自分達の手で手放すようなことになるのは避けたい。

 クゥゥーと飛竜(ワイバーン)達が上げる声の中、ティトは飛竜(ワイバーン)達にあれこれ話を聞かせた。

「そう言えば皆、今度マッティ兄さんに子供が産まれるんだよ。兄さんはお前達が心配だから一緒に来た――って言ってたけどさ、本当は草原を見てみたいだけなんだろうな。ふふ。義姉さんが聞いたら呆れるぞ。」

 竜舎にいる飛竜(ワイバーン)達は意味がわからないなりに親兄弟のように思っているティトの話に耳を傾けていた。

 一番若い飛竜(ワイバーン)は時折ティトの腹や腕に顔を擦り付けながら話を聞いた。

 

 竜舎の外にはまるで石器時代からあるような古い腰掛けが二つあり、小鳥がピチピチと歌っていた。

 しばらくティトが飛竜(ワイバーン)達に里でのことを話していると、小鳥達が一斉に逃げ出した。

「――ティトさん?」

 その呼びかけに、ティトはすぐに振り返った。

「あ、ネイアさん!」

 駆け寄ったネイアは背の大きくなったティトを見上げると、バイザー越しに微笑んだ。初めて飛竜(ワイバーン)の騎乗指導に来た四年前は同じくらいの背丈だったというのに、すっかり男らしくなってしまった。

「ティトさん、もしかして夏草海原までの飛行、一緒に来てくれるんですか?」

「その予定です。皆さんが草原で訓練してる間、こいつらのことも少ししごいてやろうかなって。」ティトに顔をポンポン叩かれた飛竜(ワイバーン)は嬉しそうに喉を鳴らした。「――本当は明日騎兵(ライダー)の里からご一緒しようと思ってたんですけど、どうせなら最初から一緒に飛んだ方が皆の新しい癖とか気持ちも掴みやすいし。」

「気持ち、ですか?」

 ネイアは瞬いたが、バイザーを着けているためにティトからは見えない。

「そう。気持ちです。うーんと、例えばティルコナはこの中では一番若い飛竜(ワイバーン)ですし、やっぱりまだ寂しいみたいです。もともと群れの生き物ですからね。」

 ティルコナ、――ネイアに割り振られた飛竜(ワイバーン)は首を傾げた。

「そうなんですね…。私ももっとかまってあげた方がいいんでしょうか?」

「ほどほどに。構いすぎると今度は構えなかった時に怒りっぽくなりますからね。」

「はー…難しいんですねぇ…。」

「ははは。でも、大事にされてるってことはこいつらも分かってますよ。」

「そうだと良いんですけど。」

 ネイアが困ったように笑い、ティトは「ところで――」とネイアの抱えている大きな袋を指さした。

「ネイアさんは鱗取りに?」

「あ、そうなんです。飛ぶ前に痒そうなのは取ってあげようと思って!」

「じゃあ、手伝いますよ!」

 二人は飛竜(ワイバーン)が顔を出している所に掛けてある棒状のゲートを潜り、竜舎の中へ入った。

 飛竜(ワイバーン)は脱皮の代わりにこうして鱗を代謝させているので、古くなった鱗を取ってやるのだ。

 放っておくと痒くなって自分達で掻いてしまう。そうすると、古い鱗の隣にある新しい鱗まで剥けたりするので自然界の飛竜(ワイバーン)達の鱗は飼育されている者達より綺麗じゃなかったりする。後は、思いがけないところに鱗が落ちていたりすると靴の裏が切れてしまったり、足を怪我する原因になるので鱗取りは売却益目的でなくてもある程度は行った方が良い。

 二人は鱗を流れている方に向かって撫で、浮きかけている鱗を探しては取ってやった。

 古い鱗の下には新しい鱗が輝いていた。

「――こうしてると、女神様と一緒に鱗取りをしたのを思い出すなぁ。」

 ティトが嬉しそうに呟くとネイアは微笑んだ。

「私も、光神陛下がベラ・フィオーラ様とベロ・フィオーレ様を連れて鱗取りに来てくれたのを思い出します!すごく尊い光景でした。」

 二人は美しい光景を思い出そうとするように少し目を閉じた。

 その後、四頭いる飛竜(ワイバーン)全ての古い鱗を取ってやった二人は古い腰掛けで休憩した。

 時折り木の枝が風に揺らされる。風はどこか秋の香りがした。

 特別な思い出を共有しているわけでもない二人だが、こうして黙って座っていられるほどに二人の仲は良い。

 初めて会った時、ティトとネイアはお互いのことをこう思った。

 ――神を正しく理解できる人。

 年も近い二人は尊敬に似た気持ちを互いに向け合うだけでなく、自身の境遇をそれぞれ相手に重ねていた。

 どちらも神を連れ帰り、誤解なく神を理解して救いをもたらした者だ。

 神を正しく理解できたニグンをはじめとする彼らは故郷と国の英雄だ。

「そういえば、ティトさんは秋生まれですよね!上風月!」

「あ、はい。もうじき十九になっちゃいます。」

「自分が歳を重ねるよりも、知ってる人が歳を重ねる方がなんだか時間の流れを感じちゃうなぁ。」

 ネイアは神都に来てからの多くのことを思い出して笑い、ティトも頷いた。

「僕もそう思います。兄さんに子供が産まれるんだもんなぁ。僕らも歳をとったよ。子供、かわいんだろうな。」

「良いですね。私もいつかは子供を持って、四十くらいまでは聖典として働きたいなぁ。四十は流石に無理かなぁ。」

 聖典長のレイモンは四十より前に漆黒聖典を卒業しているが、父パベルは今も現役の弓兵隊長だ。父のようにいつまでも最強の射手でいられれば良いのに――そう思う。

「じゃあ、ネイアさんと結婚する人は神都にいなきゃいけないんですねぇ。」

「私が飛竜(ワイバーン)で飛んで行きますよ!――なんて、私用で使ったら怒られちゃうんでしょうか?。」

「…じゃあ、僕が飛竜(ワイバーン)で飛んでこようか。」

 ティトはいつもより随分大人っぽい顔をして微笑んだ。

「あ、え?それって……え?」

 鳥達が静かにさえずる中、ネイアは何度も瞬いた。そうしていると、遠くから「おーい、ネイアー」と声がした。

「――あ、クレマンティーヌ先輩の声。」

 ネイアは今の時間が終わってしまうことに惜しさを感じた。神の言葉の意味は何でも間違いなく理解できると言うのに、自分のこととなると難しい。

 さっきの言葉の真の意味を早く聞かなければ――そう思っていると、ティトに「返事した方がいいんじゃない?」と促され、ネイアは軽く頷き目一杯息を吸い込んだ。

 体の中に溜まりかけた熱を全て吐き出すように返す。

「はーい!!せんぱーい!!竜舎にいますよぉー!!」

 静かな時間の終わりにティトはうんと伸び、すぐにその場にクレマンティーヌは姿を表した。

「あぁ、ネイア――と、ティト。おーっす。」

「こんにちは、隊長閣下。」

 クレマンティーヌはティトを茶化すように軽く小突き、ネイアの前で立ち止まった。

「今陛下が来てさー、夏草海原での訓練に陛下方も一緒に来るって。」

「え!じゃあ、馬車で――」

「いや、陛下方は魔法で行くってさ。私らは予定通り飛竜(ワイバーン)で行くから、飛竜(ワイバーン)(あぶみ)一応磨いといてくんない?汚れちゃいないとは思うんだけどさー。」

「わかりました!任せてください!」

 ネイアは薄い胸をドンと叩いた。

「サンキュー。ほんじゃ、私は泥障(あおり)一番良いやつ出して来るからさー。悪いけどそれまで任せたよ。レーナースと番外もすぐ来るから。」

 そんじゃよろしくー、と付け足すとクレマンティーヌは竜舎のある中庭から踵を返した。

 鎧は着用していないため黒いTシャツに短パン姿だが、隊長用のマントは掛けている為紫黒色のマントが軽く翻り風をはらんで揺れた。

 クレマンティーヌの背が見えなくなるとティトも動き出した。

「兄さんの戻りが遅いから、僕も兄さん探しに行こうかな。また明日よろしくお願いします。」

「あ――はい!マッティさんにもよろしくお伝えください!」

 ティトはクレマンティーヌが向かった方とは別の方へ向かい、すぐに見えなくなった。

 

「…女神様と陛下もいらっしゃるなら、僕と兄さんも里で一時休憩する時に着替えた方が良さそうだな……。」

 

 ティトはそう呟くと、訓練と移動に向いているこざっぱりとした自分の身なりを見下ろした。

 

「告白ももうちょっと良い服の方がいっかぁ〜…。」

 

 草原でそんな真似をしたら陛下に笑われるかな、そんな事を思いつつ。

 

+

 

 黒き湖。

 広大なこの湖は水上コテージが大量に建ち並ぶ水上都市と、魚の養殖管理を行う巨大生簀に分かれている。

 管理者には水精霊大鬼(ヴァ・ウン)蜥蜴人(リザードマン)が当てられており、生簀の魚を誰かが勝手に持ち去ったりしないように見張ったり魚の世話を焼いたりしていた。

 蜥蜴人(リザードマン)は元々トブの大森林に住んでいた者達だ。スーキュ・ジュジュやキュクー・ズーズーは自らの部族を連れてこちらへ越してきていた。

 トブの大森林にある瓢箪池に残るシャースーリュー・シャシャや弟のザリュース、ゼンベル・グーグーとの別れを惜しんだが、二度と会えない訳ではないし、向こうの池が手狭になったりする前に別れようと自ら進んでこちらへ越してきた。養殖技術も天空城で習い、ナザリックで相当に腕を鍛えられた為彼らには何の不安もなかった。どこでだって見事に生き抜く事ができるだろう。

 たまにデミウルゴスやコキュートスが様子を見にきてくれるのはこちらに来ても変わらない。その時に互いの暮らしについて尋ねたりしている。

 ちなみに、引っ越して来た時、上半身が魚の半魚人が割と多くいたのには大層驚いた。魚好きな蜥蜴人(リザードマン)達は歩いていてよだれが出そうだったらしい。しかし、今では良い隣人だ。

 

 そんな湖のほとりに、今日は大小二つの影が腰を下ろしていた。

 一人は怒ったような泣いているような仮面を被っていて、場違いにすら感じる高級な仕立てのローブを身に付けていた。

「うまいじゃないか。後一匹釣れたら帰ろう。」

 現存する神、アインズ・ウール・ゴウンの言葉に、隣に座っていたナインズはうなずいた。

「へへぇ、お母さま喜ぶかなぁ。」

「喜ぶとも。きっと花ちゃんも喜ぶぞ。」

 ナインズは虫籠を開いた。

「ケンゾクさん、お願いします。」

 その言葉に我先にとゴキブリ達がカゴを出ようとする。皆至高なる存在の息子の役に立とうと一生懸命で、言葉を飾らないとしたら――とても気持ちが悪い。

 アインズが軽く目を逸らしていると、ナインズの手の中に丸々とよく太った眷属が乗った。

「ちゃんと後で助けてあげるからね。しっかり掴まっててね。」

 眷属が釣竿の糸にしっかり捕まるとナインズは優しく眷属を釣り糸で括ってやり、竿を振った。

 ぽちょん…と軽い音を立てて眷属付きの糸が湖に垂れる。

「おっきいの釣れるかなぁ!」

「あぁ、釣れるとも。」

 色々な餌を試したが、ナザリック産の眷属が一番魚の食い付きが良いようだった。エントマによると外のおやつ(・・・)と比べて、味や香りがまるで違うらしい。外はパリパリ、中はしっとりクリーミー。想像するだけでよだれが出るとか。

 水面で眷属がジタバタすると、クンッと釣竿に力がかかる。

「うわっ!お、お父さま!」

 大きい魚なのか一瞬ナインズの腰が上がる。

「九太、大丈夫だ。落ち着いて引いてみろ。」

 十レベルを超えるナインズに釣れない魚など外にはそうそういない。国民の大半は三レベル以下なのだ。

 ナインズは腰を落として踏ん張り、一気に竿を上げた。

 今日一番の大物が日の光を浴びてキラキラとしぶきを上げながら一瞬宙を舞う。

「わぁ!」

 ベチンッと音を立て地面に落ちると、魚は凄い勢いでジタバタした。

 ナインズはすぐに魚を押さえつけて口の中から恐怖公の眷属を引っ張り出した。

 軽く負傷しているが命に別状はない。怪我をした眷属は籠に移動させられた。

「――デミウルゴス、これは腹が丸い。何を食べているのか確かめるのに向いているだろう。お前の研究に持っていくが良い。」

 アインズは静かに控えているデミウルゴスを手招いた。

「は、畏れ入ります。ナインズ様も宜しいでしょうか?」

 ナインズは虫籠に手を突っ込み、「そっと、優しく…」と呟きながら眷属を撫でていた。

「――あ、うん!良いよぉ!」

「ありがとうございます。では、こちらは頂戴いたします。」

 デミウルゴスが頭を下げる横で、アインズは釣れたばかりの魚達を指さした。

「<集団標的(マス・ターゲティング)(デス)>。」

 ぴちぴちと暴れていた魚は死んだ事にも気付かないうちに息を引き取った。

「殺しちゃったの?」

「そうだ。魚は早いうちに痛みなく締めたほうがストレスが掛からなくて美味い――と、ブループラネットさんが言っていたからな。それに、無駄に苦しませる必要もあるまい。」

 ふんふん言うナインズはアインズの手元を覗き込んだ。

「これで食べられる?」

「いいや、ハラワタを出さないと苦いだろう。」

 アインズは無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)から信じられないほどに美しいナイフを取り出し、魚のエラを開いた。どう考えてもそのナイフは魚のハラワタを出したりするようなものではないだろう。

「エラをとって、内臓をとって、血を洗ってから持って帰るんだ。良いか、九太。フラミーさんや花ちゃんにはなるべく命を奪わせたくないし、血にも触れさせたくない。お前もそう心がけるんだ。」

「はぁい。お父さまはとってもお母さまとリアちゃん想い。」

 アインズとしては彼女達の悪魔的な部分が刺激されてしまう可能性があるものには極力触れ合わせたくなかった。血や苦しみを映画感覚で楽しめるのは危険だ。

 アルメリアが万が一大人になる途中で「あの州は全部牧場にしたい!」などと言い出したら――そう思うだけで冷や汗が出る。

「…そうだろう。フラミーさんは私の半身だ。九太も花ちゃんも、私の大切な一部だ。」アインズは言いながらエラを外し、顎下から肛門までの腹をぷつりと開いて内臓を取り出した。

 最古図書館(アッシュールバニパル)で確認してきたが、実践と知識は大きく異なる。しかし、よく切れるナイフを使えば魚の(わた)抜きなどどうと言うことはない。

「お父さま、ぼくも!ナイ君も!」

 ナインズがやりたそうにすると、アインズはちらりと息子の顔を確認した。残虐に目覚めていないか、今は善性に傾いていると思われるカルマに問題が起きていないか、それが問題だ。

 ナインズは命を奪ったり痛めつけてやりたいと思っている様子ではなく、純粋な興味に満ちているようだった。

 しかし「――刃物はまだお前には危ない。斬撃に対する完全耐性を手に入れなくちゃならん。これはお前の身を容易く切るだろう。」

「むぅ…。」

 ナインズが少しむくれるが、アインズは残る魚の腹も開いた。ナインズはその手元をじっと眺めていた。

「ナイ君やりたい…。」

「今度な。完全耐性を手に入れたらいつでもやらせてやる。――さ、これで内臓も最後だ。」

 腹の中からは真っ赤な血に染まるハラワタと白いテラテラしたものが出た。

「これが内臓?」

「これは内蔵だが――こっちは白子だな。火を通したら食べられるかもしれん。」

「しらこ?」

「――卵の一種だ。」

 手際良く内臓と白子、魚をそれぞれの袋にしまい、ナインズに持たせた。

「内臓を恐怖公にやってから帰ろう。眷属を貸してくれた礼だ。それに、狩り殺した者の責任として、無駄にすることなく使わなくてはならん。それが供養と言うものだ。」

「クヨウ…。」

 アインズは血のついた自分の手とナインズの手に<清潔(クリーン)>を掛けるとナインズの尻をはたいた。

「よし、帰るぞ。足元に気を付けろよ?<転移門(ゲート)>。」

「はぁい!」

 アインズとナインズは手を繋ぎ、その場を後にした。デミウルゴスはそこで蜥蜴人(リザードマン)と魚の育ち具合について話し合ってから帰った。

 

 ナインズを連れて氷結牢獄に出る。アインズは目的の部屋へ進み、扉をノックした。

『開いておりまするぞ。』

 中から恐怖公の声がし、アインズが扉を開けようとするとナインズが急いでノブを取った。

「ぼくが開ける!」

 なんでもやりたいお年頃だ。

 扉が開くと、ぞわりと眷族達が道を避け、黒い波が立つ。その先で恐怖公がうやうやしく膝をついた。どうやっているのかは謎だが。

「これはアインズ様、ナインズ様。」

「恐怖公さん!ありがとうございました!」

 ナインズは平気で中へ駆け込んでいき、アインズに持たされた内臓入りの袋を差し出し、連れ出していた眷属達を家に返した。

 ナインズは生まれた時からこれがいることが普通なため、恐怖公にも眷族達にも特別どうこうと言う感情を抱いていない。

「おぉ!ありがとうございます!こうして色々な物を賜れ、おかげさまで吾輩の眷族達もふくふくとよく育っておりますぞ!」

「良かったです!しんせんなうちにどうぞ!」

 袋ごと渡すと、恐怖公はそれはそれは丁寧に受け取った。

「…お父さま、しらこもあげてもいい?」

「何故だ?」

「皆、もっとよく育つように。卵は栄養がたくさんってお母さまが。」

「ふむ、偉いな。おやり。」

 ナインズは軽く頭を下げると恐怖公にもう一袋与えた。

「畏れ入ります。アインズ様にも心より感謝を。」

「気にすることはない。さて、私達はまた出かけなければならんからこれでな。」

「は!」

 アインズはナインズを抱き上げ第九階層へ飛んだ。

 フラミーの部屋の前に着くと、ナインズが戸を叩く。

「お母さま!ぼく、ナイ君!」

 扉はすぐに開かれた。

 ミニキッチンで何やら支度をしていたフラミーは視線を上げると微笑んだ。その腹にはアルメリアがべったりくっついていた。

「おかえりなさい。楽しかったです?」

「フラミーさん、帰りました!」

「お母さまー!楽しかったー!」

 アインズがフラミーへ駆け寄ろうとすると、ナインズがその脇をすり抜けるように駆け抜け、フラミーの膝にぶつかった。アインズは自分がしようとした事が如何に子供じみていたかを見ると、こほんっと咳払いをした。

「ナイ君、お魚いっぱい釣れた?」

「いっぱい釣れた!全部お父さまが内臓までとってくれて、ぴかぴか!」

「えーすごい!アインズさん、ありがとうございます。」

 微笑まれると弱い。アインズはナインズの頭をぎゅうぎゅうと撫でると笑った。

「いえ、簡単なことしかしてませんよ。――さ、花ちゃーん、お父さん帰ったぞー。」

 アインズがアルメリアを覗き込むと、アルメリアはぷいと顔を逸らした。近頃はコアラのようにフラミーに張り付いているのが大抵で、フラミーは片手しか自由にならない。

「や。おかちゃま。」

「えっ、は、花ちゃーん?」

「アインズさん。」

 フラミーがこつこつ、とアインズの顔を叩く。いや、その顔にかかりっぱなしの嫉妬マスクを叩く。

「ん――ぁ、そうでした。見えないから忘れちゃうんだよな。」

 アインズが嫉妬マスクを外すと、アルメリアは笑った。

「おちょちゃま!」

「ふふ、へへ。さー、花ちゃんは父ちゃんとお話ししよう。」

 だっこ大好き魔人のアルメリアの引越しを済ませると、フラミーはナインズから魚の入った袋を受け取った。

 魚は軽く洗い、これまた絶対に料理に使う物ではないだろうと断言できる壮麗なナイフを取り出し鱗をゴリゴリと剥がした。

「お母さま、お魚の血が出たらぼくがやってあげる!」

「ナイ君は優しいね。でも大丈夫。お魚さん、もう全然血は出ないみたい。アインズさんが上手にやってくれたおかげだね。」

「おいしくなる?」

「おいしくなるよ。」

 フラミーは喋りながら丁寧に魚を三枚に卸した。

「お弁当できたら、キバオー見に行く?」

「うん。皆の差し入れももうできたから、これを揚げてパンに挟んだら完成だよ!」

 微笑みながらぽふぽふと小麦粉をはたき、コカトリスの溶き卵につけ、パン粉をまぶす。

 ナインズはフラミーのやった通りに真似て衣を付けた。もはや手に衣を付けているのか、魚に衣を付けているのかわからないような有様だ。

「――これで全部だね。じゃあナイ君はおてて洗ってね。」

「おてて洗う!」

 ナインズが離れていくとたっぷりの油に指をちょいと入れて温度を確かめる。熱への耐性を持つ体にはどうということはない芸当だ。

「いい温度。」

 とれたての魚達をほんのり黄金色の油の中にゆっくりと落とし込んでいくと、からから、じゅわじゅわと音がした。ナインズがメイド達に手を綺麗に洗われる横で魚はきつね色に変わり、油が弾ける音が細かくなる。

 カリカリに揚がったところでバットに取り出し、油を切って粗熱を取る。

「ぼく次は何したらいい?」

 手を綺麗にしてもらったナインズが再び戻ってくると、フラミーは焼けているパンと出来上がっているタルタルソースを渡した。

「じゃあ、ナイ君はこれ塗ってくれるかな?」

「はぁーい!」

 ナインズがおぼつかない手つきでソースをパンにぬり、フラミーはそれにレタスと粗熱が取れた魚を挟んだ。

 完成したフィッシュフライサンドをピクニックバスケットに詰め込んでいく。

 今日夏草海原に持って行くバスケットは一個や二個ではなく、相当な数だった。聖典達の昼食と、騎馬王達人馬(セントール)に食べてもらうニンジン料理が入れられている。

 馬なのだからニンジンが好きに違いないと言うフラミーの思い込みだ。

 全ての用意が済む頃、フラミーの部屋にはコキュートスが訪れた。

「アインズ様、フラミー様。オ荷物オ持チイタシマス。」

 コキュートスがそう言って大量のバスケットを持つと、ナインズはコキュートスに両手を伸ばした。

「あ、あ!ぼ、ぼくやる!やるよ、じい!」

 普通の守護者ならばここでNOと言うだろうが、コキュートスは嬉しそうに頷いた。

「デハ、御身ニハコレヲ。」

 一番小さなバスケットを差し出されると、ナインズはそれを受け取り嬉しそうに笑った。

「へへ、ナイ君偉い?役に立つ?」

「トテモ助カリマシタ。アリガトウゴザイマス。」

 ナインズがコキュートスを見上げたままアインズの開いた転移門(ゲート)へ歩き始める。

 すると、ナインズの足は何でもないところでツンッと絡まり、「わっ!!」と声を上げ――「<時間停止(タイムストップ)>。」

 余裕を持ったアインズの声が響いた。

 ナインズごと凍りついた世界の中、アインズは驚いて振り返ったまま硬直しているメイドの横をすり抜けた。

「あぁあぁ…。本当にすぐに転ぶじゃないか。」

 時間が止まった世界の中アインズが苦笑するとフラミーもくすくす笑った。

「なんでもやりたいけど、うまくいかないんですよね。」

「オボッチャマノ気ヲ逸ラシテシマイマシタ。申シ訳アリマセン。」

 そう言って頭を下げたコキュートスも、この世界で囚われることはない。

「いや、お前のせいではないさ。むしろいつも感謝しているとも。」

 アインズはコキュートスに笑い、斜めになっているナインズを支え、離されかけていたバスケットを持つと時は動き出した。

「っあぁ!――あ?」

 首根っこを掴まれ、転びかけていた体は倒れることなく引き戻された。

「お父さま!なんで!」

「時間対策を九太もいつか考える必要があるな。さぁ、お出かけの時間だ。」

 ナインズにバスケットを持たせ直し、コキュートスを先頭に一行はゲートをくぐった。

 

 闇の先では慌てて膝をついた様子の聖典達がいた。

 漆黒聖典隊長と番外席次以外は皆肩で息をし、訓練の壮絶さを物語っていた。

「神王陛下、フラミー様。それからコキュートス様、ナインズ様、アルメリア様。ようこそいらっしゃいました。」

 馬体に汗をかく騎馬王は以前よりもどこか穏やかそうな顔で一行を出迎えた。

「キバオー!お昼ご飯持ってきてあげたよ!」

 ナインズが駆け寄ると、騎馬王は地面に伏せて視線の高さを合わせた。

「これはこれは、ありがたき幸せ。ちょうど休憩にしようと思っていたところです。皆さん、続きは腹ごしらえを済ませた後にしましょう。」

 騎馬王の言葉に陽光聖典達と、紫黒聖典、漆黒聖典の半数は崩れるように地べたに座り込んだ。

「ふん、あんな大したことない奴のしごきでだらしないわね。全員八足馬(スレイプニール)の尿で顔でも洗った方がいいんじゃない。」

 番外席次が鼻を鳴らすと、アルメリアを抱いたフラミーが首を傾げた。

「ルナちゃんは疲れてない?休憩はまだしないのかな?」

「疲れました!フラミー様、疲れましたー!」

 番外席次――新しい名をフラミーに貰うと意気込んでいた彼女は"ルナ"と半月の夜に名を与えられていた。

 理由は黒い夜の色の髪と、白い月の色の髪が半々に分かれているから。アルテミス、ダイアナ、ルナ、ムーンといくつも考えたが、番外席次は常軌を逸したよう(ルナティック)な性質を持つのでルナに決めたらしい。

 しかし、フラミーと紫黒聖典しか彼女をルナと呼ぶ者はいない。紫黒聖典も家でしか呼ばないため、ほとんど番外席次呼びだ。紫黒聖典以外がルナと呼ぶと、頂戴した大切な名前――祝福を気安く呼ぶなと掴みかかられるらしい。

 フラミーに駆け寄った番外席次からは先程の冷たげな雰囲気は霧散していた。

 その日は人馬(セントール)達と聖典、それからティトとマッティの皆で昼食をとった。

 人馬(セントール)はニンジンの入ったものを大量にフラミーに勧められた。

 彼らはニンジン以外も食べるが、美味だったためよく食べた。

 以来フラミーは夏草海原を訪れる時には大抵ニンジン料理かニンジンを持参する。

 人馬(セントール)はやっぱりニンジンが大好き。フラミーの心のメモに刻まれた。

 

+

 

 その夜、紫黒聖典のテントの前でティトはネイアにもう一度遠回しな告白をした。

 鈍いどこかの神達と違い、ネイアはすぐに言葉の裏を読み取りYESの返事をした。

 そうしてネイアがテントに戻ると、中にはニンマリした三人。

 しかし、バイザーを外したネイアの顔は後悔と不安に彩られており、茶化そうと思っていた三人はすぐに目を見合わせた。

「……どーした?」

 クレマンティーヌの問いに、ネイアは自分の顔を抑えてテントの中でぺたりと座り込んだ。

「先輩方…。考えてみたら私、ティトさんの前でバイザー取った事ないんです…。この目を見たら、嫌われるかもって思って…。私は先輩方みたいに綺麗じゃないですし……この歳になるまで男の子と付き合ったことなんて一回もないですし……。」

 レイナースはそんな事かと笑った。

「ネイア、もしティトが私達紫黒聖典の大切な目を理由に嫌いになるような男だったらこっちから願い下げじゃない。気にする事ないわ。」

「そーそー。それにレーナは確かに美人だけど、暴力体質で婚約者に逃げられてんだから人間見た目より中身――ッゥ!?」レイナースの鉄拳がクレマンティーヌに降り注いだのは言うまでもない。

「本当にクインティアはバカね。それよりネイア、あんたの目、強そうで良いじゃない。弱そうなよりずっと良いわ。」

 番外席次からのなんとも言えないフォローも飛ぶ。

 ネイアはまだ不安そうだったが、近いうちにこの目を見せてみようと決めた。

 二人の静かな恋は始まったばかり。




ユズリハ様に頂いた"セントールの群れを前に「綺麗すぎるだろ…」御身"です!

【挿絵表示】


ちなみにルナちゅわんは読者様アイデアです!
かわいい小噺をいただきました!

+

綺麗な半月の夜に、番外席次とフラミー。
「番外ちゃんは白黒半分で、お月さまみたいねぇ」
「不思議な色合いですよね…。開き直って、こんな髪型にしておりますが」
「きれいだと思うよ。似合ってるし可愛い」
「キャワン……♡」
「きゃわん…?うーん、それにしても月かぁ。アルテミス、ダイアナ、ルナ、ムーン…」
「フラミー様?」
「私たちの世界での、月の呼び方よ。番外ちゃんのお名前にどうかしらと思って。アルテミス(射手)よりもルナのほうがイメージね」
「私はルナですか」
「(ちょっとルナティックな所もあるからね…)うん。勝手なイメージだけど」
「いいえ、フラミー様からいただくお名前…嬉しいです。やっと"わたし"という存在になれる気がします」
そして数日後。
神官の一人「おおい、ル」
「気やすく呼ぶな殺すわよ」
「早い…だって…名前…」
「そうよフラミー様にいただいた名前よ。気やすく呼ばないで頂戴。今まで通り貴方たちは番外で良いわ。まぁ話すこともそう無いでしょうけど。用はないわね?じゃあ行くわね」
「あっ、ちょっ…」
一方紫黒聖典達と。
ネイア「ルナさん、光の神殿にお祈りに行くんですけど、一緒にいかがですか?」
「いいけど。ロックブルズも行く?」
レイナース「私も行くわ。ありがとう、ルナ」
「クインティアは…別に良いわね」
クレマンティーヌ「ちょいちょいちょい、行くっつーの!!ルナちゃんつっめた」
「……」

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