眠る前にも夢を見て   作:ジッキンゲン男爵

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試される砂漠
#131 姫の旅立ち


 人は決して忘れられないようなことがいくつもある生き物でしょう。それが良い思い出ばかりの私はきっと、幸せ者なのだと心から思えるのです。だからどうか、私を行かせてください。

 

+

 

 宵を過ぎた月の輝く頃。

 

 ある家の中では厳かな祝宴が開かれていた。

宵切姫(よいぎりひめ)、お前は私の――いや、我が一族の誉れだ。来週の出発が待ち切れないよ。さぁ、どれだけでも好きなものを食べなさい。」

 張りのある父の声には隠しきれない幸福が乗せられていた。

「ありがとうございます、お父様。」

「どれ、私が一番良いのをとってやろう。」

 父が並ぶ食事に手を伸ばし宵切の皿に取り分ける。

 数えきれない兄妹達が宵切姫を祝福の瞳で捉えていた。

 砂漠の砂で作られた家の中にはトーチがいくつも掛けられていて、全ての瞳を輝かせている。

 

 宵切はこの家で食べられる最後の食事を前に幸せに微笑んだ。なめらかな美しい褐色の手は、父が取ってくれた食事を取り小さな口へ運ばれた。

「宵切姉様、すごく綺麗…。」

 妹の落夜(らくよ)は、宵切の生まれてこのかた一日たりとも櫛削ることを忘れられなかった真っ直ぐな黒い髪の毛をうっとりと眺めた。深すぎる黒は光を反射する時青く見えるものだ。トーチに照らされる姿は女神のようだった。

 

 宵切は来週この家を出てしまう。

 

 この大きな美しい黒い瞳も、光を反射する毒を有した尾節も、今週いっぱいで見納めだ。

 身に纏うのは一番上等な絹の衣裳で、幾枚も重ね着をしていてかかとまで届くほどの長さだった。宵切の門出の日を思い、宵切が生まれた時から父が苦労して集めた衣裳達だ。家を出る日に着慣れずに転んだりしては家の恥なので、今日から一週間この服で過ごす。

 

「――太顎砂蜥蜴人(サンドリザードマン)の頬肉、嬉しいです。お父様、落夜と崩夜(ほうよ)にもあげていいかしら。」

 一番年下の妹達に良いものを食べさせてやりたいという宵切の心がこもった言葉に、父は頷いた。

「お前がそうしたいならばそうなさい。」

 実家で行える最後のわがままを快く受け入れる。

 

 宵切は愛され、生まれた時から姫として一族の誉れとして育てられた娘だった。

 

+

 

 ある秋の日、イビルアイは広々としたリビングをそわそわと行ったり来たりしていた。

 テーブルの上には朝市で買った果実ジュースやパン、蜂蜜壷が並べてあり、仲間達は食事を取っている。

 

「イビルアイ、そううろちょろすんなって。これでも飲んで落ち着けよ。」

 ガガーランが呆れたような口調でミルクをすすめた。

「いや!座ってなどいられん!!」

「じゃあせめて歩くのはやめてくれ。飯時だぞ。」

「私も座りたい気持ちは山々だが、次にいつ神王陛下がご降臨されるかわからないじゃないか!」

 目をギラギラと光らせ、どこか腹立たしげに答える。

 

 イビルアイは神様目当てでしょっちゅう闇の神殿にも光の神殿にも礼拝に行っているというのに、この間たまたま用事があり礼拝に行けなかった日に限って神がエ・ランテルに降臨したらしい。

 しかも神はあろうことか神殿からエ・ランテル魔導学院まで歩いて行ったと言うではないか。神は新しいポーションの研究の成果をひとしきり確認し、そのまま帰っていったそうだ。

 こうなってはイビルアイの気持ちは収まらず、ソワソワといつでも神の降臨に立ち会えるように備えているのだ。

 

「はぁ…お前たちだけで行かせれば良かったのに!この!私のバカ!バカバカ!」

 降臨の日、イビルアイは仲間たちと共に魔法道具屋に行っていた。

 隣の大陸を神が訪れて早ニ年。こちらの大陸では手に入らない変わった鉱石やハーブがいくつも発見された。

 しばらく神殿機関が研究する為に一般市場まで出てこなかったのが、ついに流通が始まったのだ。まだ希少価値が高く、値段もそれに比例して高額だが、アダマンタイト級冒険者としては是非ともチェックしておきたかった。

 イビルアイをして見たことのないアイテムや素材が溢れる様子につい長居してしまった。

 そしていくつもの要か不要かわからないようなアイテムを買いうきうきしながら店を出たら、街の者たちが皆神々の噂をしていた。

 その時のイビルアイの顔と言ったらない。仮面の上からでも絶望とショックが見えるようだった。

 

 そして今の顔も。

「分かった分かった。じゃあお前は神様探して徘徊でもしてこい。側でうろつかれてちゃあ落ち着きゃしねぇ。」

 ガガーランにしっしと手を振られ、「まったくその通り」と頷く双子に背を押され、ラキュースに「いってらっしゃーい」と見送られ――――イビルアイは流れる連携で見事に家を追い出された。

 

「……おい!!追い出すやつがあるか!お前達それでも仲間かー!!」

 ぱたりと閉まった扉はしんと静まり、たまたま出てきた隣に住んでいる者がきょとんとした顔をしイビルアイを見ていた。

「……す、すみません。はは。さーて、礼拝礼拝…。」

 そそくさとその場を立ち去ったイビルアイは流石に暗殺者(ツアー)を連れて行ったことも水に流して貰えていると信じ、一人闇の神殿に向かった。

 

 動像(ゴーレム)が美しく刈り込んだ木々の生えるコンドミニアムの庭を抜け、寒空の下色付いた街路樹を眺めながら行く。

 この葉が全て落ち切る頃には神の子達の誕生日が来る。

 

(ここに越して来てもうじき丸六年か。慣れたものだな。)

 

 学校帰りの子供達が有名人のイビルアイに手を振るのに適当に応えていると、不意にトン、と肩を叩かれた。

 ――このイビルアイをして接近を感じさせなかった。

 

 イビルアイは強い殺意を持って背後の存在へ振り返った。

「誰だッ!!」

「っわ、落ち着いてください。私です。」

 

 両手を挙げて苦笑を見せる男は――

「三騎士の激風じゃないか!久しいな!お前がいるってことは皇帝――じゃなくて州知事もそばにいるのか?」

 さらりとした金髪が風に揺れるニンブル・アーク・デイル・アノック、通称激風は私服のようだった。それも、割とめかし込んでいる。

 

 イビルアイは攻撃魔法をいつでも撃てるように伸ばした手を下ろした。

「実は今日私は非番なんです。それで、カーベイン元将軍のところにお茶会に誘われまして。」

「あぁ、なるほどな。気を付けていけよ。じゃあな。」

 イビルアイはそれだけ言い、立ち去ろうとするとニンブルに引き止められた。

「ちょま!待ってください。帝国街はどちらですか?神殿に立ち寄ったら迷っちゃいまして。」

「ん?そういう事か。そこで水上バス(ヴァポレット)に乗ればすぐだ――が、案内してやるか。あの時の礼に。」

 防衛点検の際にゴキブリルームを受け持ってもらった恩義は計り知れないため、未だに感謝の心を忘れていない。

 

 イビルアイは元帝国軍人や元帝国貴族が多く住んでいる通称帝国街へ行ける水上バス(ヴァポレット)の乗り場へ向けて歩き出した。

 

「ありがとうございます。エ・ランテルをちゃんと歩いたのはカーベイン様がまだ将軍だった頃以来なんで助かります。神都には割とよく行くんですけどね。」

「ん?という事は帝国軍としてここに来たことがあるのか?」

 イビルアイの問いにニンブルはふっと遠い目をした。

「…聞かないでください。」

「……そう言うならそうするが…。」

 中心から東へ向けて真っ直ぐ通る川が見えてくると、そこでは死の騎士(デスナイト)達が川から落ち葉をさらっていた。

 街を綺麗に保つと言うことの大切さを思い知る。

「……フールーダ様がみたら興奮しそうだな。」

 ニンブルの呟きには疲労が見えた気がするので、イビルアイは敢えて何の返事もせずに水上バス(ヴァポレット)に乗った。

 

「ちょうど水上バス(ヴァポレット)が来ていて良かったな。」

「本当ですね。おかげさまで約束の時間に間に合いそうです。」

 二人肩を並べてシートに座ると、イビルアイは一つの疑問を口にした。

「しかし、お前ほどの身分がある男が乗合馬車(バス)でザイトルクワエ州まで来たのか?」

「えぇ、いつもは御者に頼んで馬車を走らせるんですが、しばらく馬は見たくない気分だったんで魂喰らい(ソウルイーター)便の乗合馬車(バス)で来ました。」

「馬を?なぜだ?」

 ニンブルは土産の入った紙袋を大切そうに抱くと苦笑した。

「いえね、近頃紫黒聖典との手合わせに行くと、彼女たち八足馬(スレイプニール)に乗って手合わせするって言うんですよ。」

「ス、八足馬(スレイプニール)か…。そんなものとよく生身で渡り合おうとするな…。」

 生身、と言う表現に若干の違和感を覚えたニンブルが訝しむような目をするが、すぐに何かを納得したようだった。

 

「――いえ、騎馬戦ですからこちらも馬に乗ってますよ。それにしたって、普通の馬と八足馬(スレイプニール)じゃ話にならないくらい力や素早さに差があるんですけどね。」

「全く神の部隊も大変だな。防衛点検の時に奴らの力は嫌と言うほど感じたが、それでもまだ高みを目指しているのか。」

「まったくです。手合わせに付き合うこっちの身にもなってもらいたいですよ。」

「はは、本当だな。しかし、紫黒聖典は漆黒聖典や陽光聖典と手合わせする方法もあるだろう?わざわざお前達三騎士が付き合ってやることもない。」

 紫黒聖典はずば抜けた神人一人と、サポート、撹乱、露払いの四人で構成されている。

 イビルアイはかつて陽光聖典と対峙し戦ったこともあるが、たった四人の紫黒聖典だが大部隊の陽光聖典とも渡り合えるだろうと思えた。

 そんな四人組の相手を、言葉は悪いが三騎士程度に務まるとは思えない。

 

「それはそうですけど、まぁ、昔のよしみもありますし――好きなんです。」

「なるほど。確かに紫黒聖典の一人、レイナース・ロックブルズは元四騎士。重爆とか言ったか。」レイナースはオシャシンが出回っている為神話の一部としてほとんどの国民がその入隊の経緯を知っている。「――戦闘好きなら楽しいだろうな。」

「いえ、戦う事じゃなくて、重爆のことが好きなんです。」

「そうか。重爆が好きなのか。――ん?」

 ニンブルは穏やかに、こともなげに告げたので一瞬何のことだかイビルアイには分からなかった。さっぱりした性格なのか照れたりもしていない。

 

「綺麗な人だなくらいにしか思ってなかったんですけどね。人生わかりませんよ、本当に。」

「そ、それで、告白はしたのか?」

「してませんよ。神都とアーウィンタールじゃあ遠いですし、今すぐどうこうなる気持ちもありませんから。彼女は一度婚約者に裏切られてますし、聖典である今の生活を何よりも愛していますからね。急ぎすぎてもよくないでしょう?今はたまの訓練で会えれば良いと思ってます。」

「そうか…。じゃあ、お前の片想いなんだな。」

「どうでしょうね?」

 そう微笑むニンブルは両想いだと確信しているような気がした。すると、水上バス(ヴァポレット)は帝国街に近い停留所に着いた。

「――あ、ここだ。降りるぞ。」

「はい。」

 二人は立っている人を避けて船を降りた。

 

「おや?ここからの道は分かりそうです。わざわざ一緒に乗っていただいてありがとうございました。」

「いいや、私も面白い話が聞けてよかったよ。お前達の進展を祈ってる。」

「それはそれは。ではまた年末の神の子の誕生日会でお会いしましょう。」

 定期的に会う機会があるのはありがたいが、あまり何年も会いすぎるとイビルアイの身体の変化がないことにいつか気がつかれてしまうかもしれない。中にはイビルアイを矮躯(わいく)の異種族ではないかと噂している者もいる。

 

 手を振り去っていくニンブルを見送るイビルアイは生きる時間が違う友人の背が見えなくなるまでその場に止まった。舞い散る落ち葉の中を進むニンブルの背は、まさしく今を生きる命の輝きのようなものを感じさせた。

 

(――ま、気付かれてもその頃にはアンデッドへの忌避感は随分減ってるだろうな。)

 

 ここの停留所でも死の騎士(デスナイト)が落ち葉を川からさらっていた。

 なんとでもなるさと自分に言い聞かせ、イビルアイは引き返す水上バス(ヴァポレット)が来るのを待った。

 

(……しかし、いつかは蒼の薔薇が無くなることも覚悟しておかなきゃならんな。)

 

 今の時間は何にも変え難いほどにキラキラと輝き、毎日を幸福に暮らしているが、仲間達も年を重ねる。

 次の新しい仲間を見付けて蒼の薔薇に引き込むのか、リグリットが蒼の薔薇を引き連れてくる前の日々に戻るのか――。

 

(一番は神王陛下のお手元に行けることだがな…現実的な未来はちゃんと考えておいた方が良いか。)

 

 リグリットも体の時間の流れを緩やかにしているが、いつかはいなくなる。ツアーはその点イビルアイがこの世から執着を無くすくらいの時間は生きてくれるだろうが――そばにはいてくれないだろう。

 イビルアイは「はぁ…」と声を出してため息を吐いた。

 

 すると――「乗らないんですか?」

 気が付けば引き返す水上バス(ヴァポレット)がイビルアイの前に止まっていた。

「――あ、あぁ。すまない。乗る……いや、やっぱり乗らないんだ。」

「そうですか。ドァ閉まりイェッス。」

 イビルアイは癖の強い開閉注意を出す幽霊船長に頭を下げ、歩いて神殿と家の方へ向かった。

 

 一度自分を見つめ直したほうがいいかもしれない。まだ蒼の薔薇解散までは時間があるだろうが、方針を決めなければ。今後の生き方が変わる問題なのだから。――死んでいるが。

 仲間を探して蒼の薔薇を続けていくなら、リグリットにヴェスチャー・クロフ・ディ・ローファンを紹介してもらった方がいいかもしれない。

 彼はかつてリ・エスティーゼ王国で活動していたアダマンタイト級冒険者で、リグリットとチームを組んでいた。今では剣道道場を開いて新たな力を育成している。

 御前試合で優勝したガゼフ・ストロノーフを半ば無理やり道場に連れ込み、座学や剣技などを仕込んだ男でもあり、イビルアイはヴェスチャーを高く評価していた。

 ただ、彼も高齢なため行動するのが遅すぎると師範が変わって道場と顔をつなげなくなる危険性がある。

 

(女がいるといいんだがな。惚れた腫れたは厄介だ。…まぁ、今女がいなくても十年か二十年以内に女が弟子入りする可能性もあるか。)

 

 何だかんだと孤独だった日々に戻る気は起こらず、自然と蒼の薔薇存続の向きで心は決まっていた。

 しかし――(……一応あの場所(・・・・)がどうなっているのかは見に行っておくべきかもしれんな。)

 もし一人ぼっちに戻ったとしてもあの場所(・・・・)に帰るつもりはあまりない。

 それでも久しぶりに足を運ぼうと思ったのは、なんとなく墓参りに行くくらいの気持ちだった。

 

(………そう言えばあの辺りはまだ地図がほとんど完成していなかったな…。)

 

 帰って仲間達を冒険へ誘い出そう。

 そうと決めると、イビルアイは<飛行(フライ)>を唱えて浮かび上がった。

 家へ向かって飛ぶ。

 あの場所(・・・・)に行きたいと皆を誘うのは初めてだ。

 イビルアイの全ての始まった場所。そして、全てが終わった場所。

 もう数えることも億劫になるほどの昔に滅んだ故郷。――滅ぼされた故郷。

 廃墟にはイビルアイの身内だった者がゾンビとなり闊歩していたが、今はもう炎で清められているので、過ぎ去った時だけが残っているはずだ。

 あそこまで行くとしたら、ブラックスケイル州から数週間かけて山を越えて南に歩いて行くか、南の砂漠にあるエリュエンティウから遥か南東に一週間と数日かけて歩いて行くか、だ。

 この忘れられた王都までは相当な距離があるため、道が厳しいこともあり冒険者もまだほとんど行けていない。誰も知らない、気が遠くなるほどに遠い、寂しい場所だ。

 イビルアイが転移で行くとしても何度か中継地点を挟み転移を繰り返す必要がある。

 となれば、転移と地図作成を繰り返して向かうと良いだろう。

 

 <飛行(フライ)>の効果が切れ始めた頃、イビルアイは家に帰り着いた。

 庭に直接降りると侵入者だと思われてゴーレムにつまみ出されるため、一度コンドミニアムの前に降りて歩いて帰宅する。

「おーい、帰ったぞー。」

 扉を開けると、仲間達が振り返った。

 

「イビルアイ、おかえり。」

 そう一番に言ってくれたのは、数えるくらいしか会ったことがない――「なんだ。ティラじゃないか。珍しいな。どうかしたのか?」

 

 ティラはティアとティナの二人と並ぶとまるきり<影分身>しているようだ。

「やっと帰った」「イビルアイ、行方不明」そう言う双子の反応は面倒くさそうだった。

「行方不明だと?」

 イビルアイが首を傾げると、ガガーランが答えた。

「ティラが来たからお前を呼びに神殿に行ったんだよ。そしたらお前闇の神殿にも光の神殿にもいねぇんだから。」

「あぁ、野暮用ができてな。結局神殿には行かなかったんだ。で?わざわざ私を呼びに来たってことは、なんか用でもあったのか?」

「ふっふーん。これでようやく話せる。私の話はイビルアイが戻ってからした方が喜ぶと言われて止められてた。私は口が軽いからうずうずしてる。」

 

 ティラはプフの上にアグラをかき直し、そろそろ話して良いかと蒼の薔薇を見渡した。

 

「何だなんだ?私が喜ぶ話…?」

「良いから、ほら。イビルアイも座りなさいよ。」

 ラキュースに安楽椅子を勧められ、イビルアイは身を沈めた。

 

「おっほん。じゃあ、話す。まず、このクナイは騎馬王って言う超絶格好いいおじさんに貸して、返して貰ったナイスなクナイ。知っての通り私はおじ専。」ティラはそう言うと毒の魔法が込められているクナイを全員に見せびらかした。「そんでもって、こっちが私も登場する、今度アーウィンタールの闘技場で発売が始まる民間人による自伝書、"夏草海原の戦士達"。なんと出版前に一冊貰えたのだ。」

 

「なんだそりゃ?」

 今のところ、イビルアイが聞いて喜ぶ情報はひとつもない。イビルアイは何の事か分からずラキュースを見た。

「ここからよ、ここから。」

 

「この本には、まだ聖書にも編み込まれていない夏の始まりにあった夏草海原の物語がある。私が出てくるのは最後の方。満を辞して私が登場する。全部で十行くらい。もしこの自伝が聖書の作成の一助になれば、ついに私も聖書に登場する可能性がある。冬にはなんと劇にもなると出版前から決まってる。」

 

 イビルアイ達蒼の薔薇は聖ローブル州の生死の神殿に置かれてる聖書に登場しているため、ティラは一歩遅れての聖書登場となるだろう。

 そこまで聞いて、イビルアイは何となく皆が何故自分にこの話を聞かせたいのか理解し始めた。

 

「そりゃ良かったな。良い伝説に残るって言うのはやっぱり悪い気はしないな。」

「本当にその通り。私は今すごく機嫌がいい。ちなみに、この本にも書かれている通り――」そう言って最後の方をティラがめくると、蒼の薔薇面々は顔を寄せて本を覗き込んだ。「こないだ神王陛下と光神陛下にお会いした。ナインズ殿下とパンドラズ・アクター殿下、それからコキュートス様にもお会いし――」

「何だって!!」

 あまりにも食い気味なイビルアイの様子に蒼の薔薇は笑った。

「な?お前も聞きたかっただろ?」

 ガガーランが軽くイビルアイを小突く。イビルアイは首がとれてしまいそうなくらいに何度も頷いた。

 

「そ、それで!神王陛下は、お、お元気だったか!!」

「元気。骨だったけど多分元気。」

「あぁー!陛下ぁー!どっちのお姿も素敵です!」

「……そう?」

「そうだろ!お前の目は節穴か!」

「ちなみに、光神陛下はどう見てもお元気だった。すごかった。怒るとめっちゃ怖い。」

「む、あの女神が怒ったのか。女神はああ見えて相当な力を持っているからな…。私はその力の外にある者だが、生者だったら飛びついてたよ。あぁ……それにしても殿下方のお誕生日会まで待ち切れない!」

 

 ありがたいことに一冒険者である蒼の薔薇がこう言う国の催し物に行けるのは、ラナーが護衛という名目でラキュースに声をかけてくれる為だ。ほんのわずかな時間でも同じ空気を吸えるだけで――イビルアイも神王も呼吸していない気がするが――幸せな気分になれてしまう。

 イビルアイはラナーに大変感謝している。

 

「それで、ティラ!何か陛下とお話ししたか!」

 ティラはム…と声を上げ記憶をなぞり始めた。

「………話してない。話してる姿を見てた。」

「それだって羨ましいな!あぁーなんで私を呼んでくれなかったんだ!」

「カルサナスの一大事だったから、そんな暇ない。」

「カルサナスの一大事?そう言えばカルサナスは若い議員がずいぶん増えたみたいだし、女神を怒らせたなんてどうかしたのか?」

 イビルアイが首を傾げると、ティラはギュムッと本を押し付けた。

「読めばわかる。説明はめんどくさい。長すぎる。」

「あ、あぁ。ありがとな。これ貰って良いのか?」

「ダメ。一冊しかない。今読むべき。私はそれを返して貰って帰る。」

「………この分厚いのを今読めと?」

 

 イビルアイはパラパラとページを巡り、ほとんど一番最後で手を止めた。

「陛下方が出てるところだけ読むなんて真似はむしろ不敬。」

「――バレたか。なぁ、悪いんだけど私は冒険に行く先を決めたから出発の準備をしなきゃならないんだ。」

 

 その言葉に、ティラの足元の床に座っていたティアとティナが瞳を輝かせた。

「どこ?」

「久しぶりの冒険。早く行こう。」

「あぁ。私の故郷、今は亡きインベリア王国だ。ディ・グォルス砂漠を越えていく予定でいる。」

 この砂漠はここから南西に位置し、インベリアはここからおおよそ南東にある。ブラックスケイル州からいくルートは一度も行ったことがないため転移ができない。そうなると月単位の時間がかかってしまう。

 二人はディ・グォルス砂漠とはどこだと目を見合わせ、ラキュースが捕捉する。

 

「私たちの言うところのドォロール砂漠よ。確か蠍人(パ・ピグ・サグ)って言う種族がいるらしいって聞くけど…中々出会えないそうよね。エリュエンティウ市の冒険者達も国に入れって説得するために探しに行ってるらしいけど。――それにしても、どうして突然そんなところに…?」

 

「……墓参りだ。しばらく行ってないからな。炎で浄化されたとは言え、いつまたアンデッドが沸いてもおかしくはない。たまには……見に行かなきゃな。」

「…お前がそんなこと言うなんて初めてじゃねぇか?何にせよ旅の間に食う飯買いに行かなきゃなんねぇな。途中までは転移で行くんだろ?全部で何日分用意する?」

 

 ラキュースの隣から腰を上げたガガーランは買い物用の鞄を肩にかけた。

「あぁ、転移だ。だが、途中途中で地図も作るだろ?なるべく余分に持っていこう。"ドワーフの革袋"に入るだけいっぱいと、あとは水、防寒具と遮光服だ。」

「あいよ。あー、俺遮光服なんかあったかな。」

「私の貸してあげても良いわよ?」

 ラキュースからの親切にガガーランはにこりと微笑んだ。

 

「入らねえ。」

 

「……そうね。今のなし。エリュエンティウ市で買ったらどう?」

「そうするか。じゃ、俺はちょいと食材調達に行くぜ。」

「私も行くわ。皆は旅の準備をお願い。」

 そう言い、ラキュースとガガーランが出かけていくと、双子とイビルアイも準備をするために隣室へ消えた。

 

 ――そして取り残されるティラ。

「……本、持って帰っちゃおうかな。」

 呟くと、扉から顔が三つにょきりと出た。

「数日で帰ってくるからここで待っててくれ!」

「それは長い。」

「けちんぼ。」「聖書の先取り読みたいのに。」

「なぁー、皆読みたくはあるんだよ。数日かけてゆっくりじっくり。置いてってくれないか?」

 

 それを聞くと、ティラは少しだけ機嫌のようさそうな顔をした。

「じゃあ、貸してあげてもいい。ただし汚したり失くしたりしたら――」

「持ち出したりしないし、絶対に汚さない。誓う。」

「当然私達も誓う。」「まぁ、汚すとしたらイビルアイ。」

「おい!人のものを汚すわけがないだろ!」

「ふふん、わかった。そこまで言うなら仕方無い。また適当に時間を見て遊びに来る。それまでに読破するように。」

「あぁ!ありがとう!」

 

 亡国の吸血姫は機嫌良く鼻歌を歌い、旅立ちの準備に消えた。




お出かけだ!!
亡国の吸血姫未読の私がその一帯を書く自殺行為ですね。
地図との整合性をなんとか取ろうと必死。


吸血姫既読の方は地名があってるだけだと思って寛大にお願いしますm(_ _)m
眠夢時空の地図はもはや原作時空で明らかにされていない場所まで読者の方に作成していただきました。
これを埋めていく感じでここまできたので、ご理解の程よろしくお願いいたします。
また、悟転移をした吸血姫の時空とは通ってきたルートが違うため大きく歪みが発生していると解釈していただけるとありがたいです。
最後に、多くの方が亡国の吸血姫は未読なため、感想欄での亡国の吸血姫のネタバレはご遠慮くださいますようよろしくお願いいたします。

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