眠る前にも夢を見て   作:ジッキンゲン男爵

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#136 狂った価値観

「――聞こえますか?聞こえますか?こちら、アダマンタイト級冒険者、"蒼の薔薇"のイビルアイ」

 夜明けを目前とした世界。

 テントの中では、イビルアイがエリュエンティウの冒険者組合にいた受付嬢に伝言(メッセージ)を送っていた。

『――蒼――アイ――いか――たか――」

 ぶつぶつと音の途切れる伝言(メッセージ)では、正確な情報を送ることも、受け取ることも不可能に近い。

 仕方なく、イビルアイは伝言(メッセージ)を切った。

「ち、流石に無理か」

 昨日の夜のうちに伝言(メッセージ)を送った時には、受付嬢は早くも寝ていたらしく全く繋がらなかったのだ。

「どうする?宵切姫様との約束の時間まで、もうあまりないわよ」

「…仕方がない。宵切姫をその砂漠の神殿とやらに連れて行った後、急いでエリュエンティウに戻るぞ。念のために、砂漠と一部接してるブラックスケイル州にも鳩を飛ばすように頼まなきゃならん。呪われた兵士に誰かが接触するようなことがあれば大変なことになる」

「……イビルアイだけでも、先にエリュエンティウに一度戻る?まさかタイミング悪く呪われた兵士に会うとも思えないし」

「…私も少しそう思ったが……いや、やはり危険だ。呪われた兵士は砂漠の遊牧民(バダウィン)だったんだから、その遊牧民と縁のある砂漠の神殿に向かう集団に近づいてこない保証はない。特に、たった三十年に一度の儀式で大司教が逃れた先の魔人(ジニー)も来ると言うんだ。呪いを解く方法を調べに行ってくると言い残した大司教がいないか見に来る可能性は十分にある」

「なぁに、もしかしたらアンデッドになって自分で上手く死ねてるかもしれないぜ」

 ガガーランにトン、と肩を叩かれ、イビルアイが「そうだとしたら一番良いんだがな。もしまだ彷徨っているなら、解き放ってやりたいが…」と答えていると、互いの髪を結び合っていたティアとティナの身支度が済んだ。

「できた。片付けて向かおう」

「行くか」

 ぞろぞろとテントを出て片付けをする。

 外はやはりとても寒く、イビルアイ以外の全員が真冬の装備だ。襟巻きをぐるぐるに付け、分厚い毛布のようなマントとコートを着ている。

 一行が向かった先は昨日の祭りの会場だ。

 空がほんの少し白み始めた頃、舞台の上で宵切姫は何か別れの挨拶をしていたようだった。ちらりとラキュースと目が合うと、宵切姫はこちらへ両手を伸ばした。

『――そして、今日という大切な日のため、新しい友をこの地へ送ってくれた透光竜(クリアライトドラゴン)様に感謝を!』

 一晩中お祭り騒ぎをしていた蠍人(パ・ピグ・サグ)達が大きな拍手と好意に満ちた瞳で迎えてくれる。

 よく寝ないで平気だな、と思うが、彼らにとっては人間にとっての二十四時くらいの気持ちなのだろう。

 子供達は眠そうな顔をしているが、大人たちのテンションはむしろ上がっているようだった。

『では、宵切姫は参ります!愛する全てにお別れを!さようなら、さようなら!!』

 宵切姫は舞台を降りると、多くの仲間たちと握手を交わし、別れを告げあった。

 そんな中、宵切姫の両親が落夜を連れて蒼の薔薇の下にやってきた。

「人間の冒険者達…。昨日は本当にすまなかった。宵切姫のことを、どうか安全に連れて行ってやってほしい。――よろしくお願いいたします」

「あぁ、どうか謝らないでください。両種の歴史も知らずに突然訪ねてしまった私達にこそ非があったのですから。宵切姫様のこと、どうぞお任せくださいませ」

「ありがとうございます…。無事に神殿まで辿り着ければ、後はスルターン小国から来る魔人(ジニー)が多く合流してくれます。蠍人(パ・ピグ・サグ)にも、地を潜って現れる魔物達に対抗するためと、この日の護衛のために戦士団はおりますが……何分、私達は三十年に一度しかここを出なくなって久しい…。あなた達のように砂漠を渡る力がある者が共に宵切姫を守ってくださるとなるととても心強い…」

「戻ってきて、宵切姫様を無事に神殿までお届けしたことを必ずやご報告することを誓います」

 両親は深々と頭を下げ、この場所まで到着した宵切姫に道を譲った。

「お父様、お母様。三十年間今日という日までお世話になりました。宵切は宵切姫としてその責務を全うして参ります」

「…宵切姫、本当に美しくなって。気を付けて行ってくるのですよ。あなたは私達全蠍人(パ・ピグ・サグ)の誇りです」

 母の目元には涙が浮かび、抱き合う二人の姿に蒼の薔薇は鼻の奥がつんとした。

「宵切姫、お前が生まれた三十年前のこの日、どれだけ多くの蠍人(パ・ピグ・サグ)が喜んだか……。お前は全ての蠍人(パ・ピグ・サグ)に愛されているんだ。どうか、透光竜(クリアライトドラゴン)様によろしくお伝えしてくれ」

「はい!透光竜(クリアライトドラゴン)様のご加護がいつまでもこの地にあらんことを!」

 その別れを聞いた蒼の薔薇の顔が僅かに曇る。

(ドラゴン)が出迎えるのね…。神様って言われてるくらいなんだから、理性的な人なのよね?」

「それはそうだろう。暴虐な(ドラゴン)なら、討伐依頼が出ているはずだ」

「昨日から気になってたんだけど、その辺りに竜王様がいるとか、そう言う情報をツアー様に聞いた事は?」

「ない」イビルアイはピシャリと言い切った。「そもそもツアーは基本的に竜王がどこにいるとかの話をしない。竜王にも縄張り意識のような物はあるし、思惑はそれぞれだからな」

「それはそうね」

 ラキュース達が会って話したことがある竜王はツアーくらいのものだ。ただ、見るだけならばもう少しいる。神の子の誕生祭に来ていた竜王を何体か遠目に見ていたのだ。

 あの時の竜王達から放たれる圧倒的存在感は、ある程度力を持つ者達を震え上がらせた。

 その時にはっきりと認識したのは、竜王と普通の竜では全く比べ物にならないということだ。

 冒険の最中に出会ったどんな竜とも違う、異次元の存在だった。

「――おい、見ろ!あそこ!!」

 ガガーランが指をさした先では、砂嵐の壁が薄まっていっていた。

 砂嵐は徐々に勢いを失い、うっすらと地平線が見えたと思った瞬間、最初からそこには何もなかったかのように広陵とした砂漠が広がった。

「お、おい。大丈夫なのか?外敵が入ってきたりしないのか?」

 イビルアイの問いに宵切姫は笑った。

「大丈夫です。砂嵐は月に一度はこうして消えてしまいますので、ご心配は無用です。このタイミングでスルターン小国から毎月物々交換の商人の集団(キャラバン)と魔法神官が集落を訪れてくれます」

 説明に誘われるように、砂漠の向こうからは馬のような、馬ではないような生き物に跨った集団が近づいて来るのが見てとれた。

 蒼の薔薇は、あれがイビルアイの言っていたコブのあるラクダという生き物かと察した。

 ラクダ達は一歩一歩をしっかり踏みしめ、じっくり歩いていた。

「スルターン小国では太顎砂蜥蜴人(サンドリザードマン)を飼育しているので、生肉や干し肉、生きたままの物とたくさん持ってきてくれます。絹やお塩、他にも色々。私達はそれと交換に、ヤシの実や唐辛子、胡椒、魚、それから蠍人(パ・ピグ・サグ)の猛毒を絞ってお渡ししています」

「あ、だから宵切姫は尾を切られているのか?」

 イビルアイはそれなら仕方がないかもしれないと僅かに思ったが、宵切姫は首を振った。

「これは神様――いえ、透光竜(クリアライトドラゴン)様に危害を加えないと言う証明です。三十年に一度透光竜(クリアライトドラゴン)様がそのお力を示してくれる時に生まれた、透光竜(クリアライトドラゴン)様の御使いたる宵切姫だけが賜る栄誉なんです。私も儀式のためについ先日切り落としたんですよ。痛くて泣いちゃうかと思ったんですけど、これがあるから大丈夫でした」

 そう言って見せたのは――「コ、コカじゃないか!ライラより余程危険なものだぞ!!」

 手術のような野蛮な行為をする種族は大抵痛み止めとして麻薬であるコカを使っていた。よって、ミノタウロスの王国にもコカはある。しかし、ミノタウロス王国では口だけの賢者によって手術時以外の使用は禁止されている。幻覚を見せたり、妊婦の摂取は奇形児を産んだり、最悪大量摂取をすれば死ぬ事もある。

 神聖魔導国では使用を禁止された薬物であり、所持するだけでも罪になる。当然同盟国のミノタウロス王国からの輸入、密輸は硬く禁じられていた。

 ミノタウロス王国に常駐するようになった神聖魔導国の使節――差別されないために亜人と異形が送られている――は、手術という危険極まりない方法をやめさせるために、ミノタウロス達に回復魔法を教えたりと尽力しているらしい。だが、魔法に向かない種族らしく、それの進行は遅々として進んでいないらしい。

 ミノタウロス王国には補助金を渡し、小学校まで建てているそうだが、やはり子供達もほとんど魔法を覚えられていなかった。神聖魔導国の一般的な国営小学校(プライマリースクール)では一年生で今は三名くらいは神との接続を可能としている。一方、ミノタウロス王国では六年生時点で、全部で三名だった。

 

「まぁ、コカをご存知なんですね。私はライラという鎮痛薬は存じ上げませんが…コカは危険な鎮痛薬なんかじゃありませんよ?御使いたる宵切姫しか使用を許されていませんが、これまでの宵切姫は皆きちんと役目を全うしましたもの」

 宵切姫は変わらぬ微笑みのまま、コカの葉をそっと胸元にしまった。

 全て事もなげに言っているが、強い鎮痛成分を持つコカを噛んで尾を落とし、その後の痛み止めにもコカを使っているなんて。人間が四肢を失うのと同じだけの痛みが彼女を襲っているのは間違いなかった。

「つ、使いだって…。もしや昨日、新たな宵切姫が生まれると言っていたが…今日生まれる子は皆宵切姫と名付けられ、お前と同じ運命を辿るのか!尾を切り落とされるなんていう!」

「えぇ。そうです!素晴らしい栄誉でしょう!今年は今までで一番多くて、きっと五人生まれるんです!透光竜(クリアライトドラゴン)様も三十年後にお喜びになります」

「貴様子供達の未来を――」イビルアイが食ってかかろうとすると、ラキュースとガガーランが慌てて止めた。

「イビルアイ!落ち着いて!!」

「イビルアイ!!いいか、聞け!!」そう言ったガガーランは声を落とした。その声音はとても低く、また、硬かった。「もしこれを透光竜(クリアライトドラゴン)って野郎が押し付けてんなら、俺達はそいつを討伐すれば良い。この世に真の神はただお二人だけだ。俺達はそれを知っている。だから、良いな。今は護衛の隊を外されるような事は慎むんだ」

「――く!そ、それで。どうする。きっと宵切姫も魔人(ジニー)も抵抗するぞ」

「魔法で眠らせたり、虫除け団子を炊いたり、方法はいくらでもあるだろ。安心しろ。全てが終わったら、宵切姫は神聖魔導国の神殿に連れていくんだ。そこでコカの中毒症状を抜いてもらって……正しい教育を受けさせてやれば良い」

「……そうだな。解った。すまなかった」

 ごそごそと話し合い、イビルアイが落ち着くとガガーランとラキュースはそっとイビルアイを離した。

「あの、大丈夫でしょうか……?」

 宵切姫は心配そうに眉を下げていた。

「大丈夫だ。すまなかった。コカが強力すぎやしないか、少し心配しただけだ」

「まぁ、お優しいんですね。大丈夫ですよ」

 そう言っていると、魔人(ジニー)の集団が到着した。

「やあやあ!蠍人(パ・ピグ・サグ)の皆様、お変わりないようで!!」

 先頭にいる男は、砂色の毛皮をした大きな瘤が二つあるラクダからふわりと降りた。

 降りる時には足下に風が巻き起こり、足音一つ鳴らなかった。

 魔人(ジニー)の肌の色は真っ青で、空を飛んでいれば存在に気付けるかも怪しい。蠍人(パ・ピグ・サグ)達と同じく、たっぷりとしたズボンを履いているが、上半身はさらされていた。両肩と両肘からは全部で四本、天に向かって黒い角のようなものが生えていて、角と胸元には揃いの金色の模様が刻まれていた。

 眼球は黒で、瞳は赤く怪しく燃えている。アンデッドとは違う、魔族の赤だ。歯は恐ろしく尖り、肉食獣を彷彿とさせた。

 魔人(ジニー)は俗に、悪魔と人間の合いの子であると言われているが、それにも納得だ。

 ラキュースは思わず数歩後ずさってしまった。

 そんな様子を全く気にせず、後ろにいる魔人(ジニー)達も続々とラクダから降りる。

 そして、宵切姫の前で膝をついた。

「やぁ、やはり今年の生贄の姫はこれまでで一番お美しいですねぇ!!」

 生贄の姫――。

 蒼の薔薇は耳の奥でキン――と高い音がなったような気がした。

「恐れ入ります。ユーセンチ魔法神官様、どうぞ透光竜(クリアライトドラゴン)様の加護を再びこの地にお授けくださいませ」

「それはもちろんでございます。宵切姫様の護衛の皆様がお戻りになり、私たちも物々交換が済んで集落を出たら、また砂嵐の壁、<砂嵐の結界(ハブーブ・フォース・フィールド)>を掛けましょう!」

「ありがとうございます。それでは、お待たせすることになってはいけませんので、私達はそろそろラクダを取りに参ります」

「えぇ!どうぞお気を付けて。透光竜(クリアライトドラゴン)様にご加護の感謝をお伝えください!」

 常に口調は明るいが、地の底から響くような声音は悍ましさを感じずにはいられなかった。

 宵切姫が歩き始めると、ユーセンチと呼ばれた魔人(ジニー)は蒼の薔薇を見て首を傾げた。

「おや?そちらは人間では?」

「――あ、はい。私達は人間です。神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国で冒険者をしています。私達は……宵切姫様を……神殿にお連れする……その……護衛の任に付きます……」

 ラキュースの声は明らかに沈んでいた。生贄とは、食べられてしまうと言うことなのだろうか。それとも、側で奉仕することを言うのだろうか。どちらにせよ、"神官"や"巫女"と呼ばれていないのだから、個人を捨てて自由を捨てさるであろう事は明らかだった。

「それはそれは。宵切姫様は大切な生贄です。どうか、無事に我らが守護神様の下までお連れください。私達魔人(ジニー)は人間種に忌避感はないのです!私達に神の教えを授けてくださった砂漠の遊牧民(バダウィン)の大司教様も人間でしたし、遊牧民の子孫は今もスルターン小国に暮らしていますからね!」

 魔人(ジニー)なりの笑顔だろう。恐ろしい牙がニッと剥き出しになる。

 全種族融和を唱える神聖魔導国の民として、ラキュースも精一杯の笑顔を返した。

「そうでしたか。私は魔人(ジニー)は初めて見ました。スルターン小国、もし良ければ場所をお伺いしても?」

「良いですよ。ですが、今日だけは砂嵐が止んでいますが、スルターン小国も普段は砂嵐が囲んでいます。もしいらっしゃるなら――そうですねぇ。今日宵切姫様を送った帰りにでも、神殿にいる神官達と共にいらっしゃるのが良いかもしれませんね!ここからだと、スカラベの方角に太陽三つ分ですが、神殿からなら蜘蛛の模様を越えれば良いだけです!」

 説明は何一つ理解できなかったが、念のためにラキュースはララク集落の砂嵐の前まで作っていた地図にメモを取った。

 その隙に、イビルアイが尋ねる。

「ユーセンチ――魔法神官殿と言ったか。あなた方は透光竜(クリアライトドラゴン)を信仰しているそうだが、その教えはどのようなものなんだ?」

「ご興味がおありのようですね!とても良いことです。たっぷりとお聞かせしましょう!――と、言いたいところですが、宵切姫様の出発が遅れてもいけないので、手短にお話しいたしましょう。私達は風の魔法を使います。長年その風の魔法の源は一体何なのだと話し合われていたのですが、砂漠の遊牧民(バダウィン)の大司教様がいらっしゃって、それこそ透光竜(クリアライトドラゴン)様のお力だと教えてくださいました。透光竜(クリアライトドラゴン)様を粗末にすれば、暴風が巻き起こり、日照りが続き、風の魔力はなくなってしまうとも。私達はこの風の力がなければ生きてはいけない種族です。お分かりになります?」

 イビルアイは仮面の下で苦々しげな顔をした。

「……なるほど。では、蠍人(パ・ピグ・サグ)は風の魔法を使わないようだと言うのに、何故生贄を?」

「それはちょうど、砂漠の遊牧民(バダウィン)が絶滅した頃まで話が遡りますね。砂漠の遊牧民(バダウィン)には人間が多くいた。亜人もいたんで、亜人と交わった者も多くいましたがね。あなたは人間だからエリュエンティウという地についてはご存知で?」

「もちろんだ。そこは私達の国、神聖魔導国の一部なのだから」

「そうでしたか。エリュエンティウの方達は砂漠の遊牧民(バダウィン)と仲が良かったようですねぇ。砂漠の遊牧民(バダウィン)が自ら壊滅し、二度とエリュエンティウに現れなかった時、エリュエンティウの方達はそれが蠍人(パ・ピグ・サグ)の仕業だと思いました。蠍人(パ・ピグ・サグ)は今でこそ小さな集落ですが、当時はスルターン小国すら大きく上回る大王国でしたからね。今は亡き大帝国ディ・グォルスの次に、この砂漠の覇権を手にしていたのです」

「……まさか、それでエリュエンティウの人々は――」

「えぇ。子供を産んで大人しくなった砂漠長虫(サンドワーム)達から徹底して子供達を奪い、蠍人(パ・ピグ・サグ)の大王国にけしかけたんですよ。その時の様子は凄まじかったものです。建物や道すら破壊して、子供も含め国中に数え切れない砂漠長虫(サンドワーム)が発生したのですから!――おっと、私はまだ生まれていませんがね、祖父母から聞いていますから。スルターン小国には壁画も残っています。その時に蠍人(パ・ピグ・サグ)春宵暴夜(しゅんしょうあらびや)大王は深傷を負って亡くなりました。一時的に統制を失い、血の匂いが漂うこの地には夥しい数の魔物や獣も押し寄せました。えぇ、皮切りとして何人かを血祭りに上げられれば、後は何もしなくても勝手に飢えた魔物達は来ますからね」

 イビルアイがショックを受けた様子を慰めるように、ユーセンチは肩に手を置いた。黒く尖った爪が優しく肩甲骨に触れる。

「しかし、安心してください。魔物が襲来する中、苦労して蠍人(パ・ピグ・サグ)は私達スルターン小国に助けを求めにいらっしゃいました。人間と魔物が二度とこの地を襲わないようにするには、どうしたら良いかとね。当時私達は蠍人(パ・ピグ・サグ)に何かと助けられていたので、すぐにここに参りました」

「その為の…砂嵐……」

「その通りです!私達が砂嵐を巻き起こしています。もちろん、当時は広大すぎて全てを覆うことは無理だったので、この地に何人も魔人(ジニー)が暮らして手助けしていました。ようやく生活が落ち着いた時、ここで何かが起きていると聞き付けたのかもしれませんねぇ。タイミング悪く、忌まわしき狂乱の兵が現れ、またこの地の人々は減りました。その時には魔人(ジニー)も幾人も死にましたとも。そのくらいになると、ようやく私達の力でこの地を砂嵐で覆い尽くす事も容易となりました!その砂嵐を起こすそもそもの力の源は――透光竜(クリアライトドラゴン)様です!なので、魔人(ジニー)と共に蠍人(パ・ピグ・サグ)透光竜(クリアライトドラゴン)様に感謝しているのです!お分かりになりました?」

「……よく解った。よく解ったとも。今この地に集う蠍人(パ・ピグ・サグ)と、魔人(ジニー)が私達を生かしてくれている心の広さには本当に頭が下がる思いだ。本当に悪いことをした」

「いえいえ!私達魔人(ジニー)は人間に特別どうこうという感情は持っておりませんよ。最初に言った通り、スルターン小国には大司教様がいらっしゃいましたし、私達にありがたい教えをくださったのも大司教様ですからね。教えを頂かなければ、今頃祀られなくなった透光竜(クリアライトドラゴン)様はお怒りになり、この美しい砂漠を一切の生き物が住めない場所へと変え、私達からも風の魔力を奪い去ったでしょう!と、お分かりになります?」

 邪悪な微笑みから、イビルアイはそっと目を逸らし、軽く深呼吸をした。その身に、呼吸など不要だというのに、イビルアイは今でも呼吸している。

「そうか……。だが、実は私達の神聖魔導国にも、魔法の力を司る神々がいるんだ。私が知っている情報が正しければ、風の魔法を使う時にお側に感じる気配、それはフラミー様と言う命と光、空を司る女神によるものだ。その点ユーセンチ魔法神官殿はどうお考えかな」

 光と闇の神の魔法領域についての話し合いは幾度となく神官達の中で持たれている。と言うのも、神々に聞いても「そんな事は考えてみれば解るだろう…」と言われてしまい、答えを考えるのも修行の一つであると捉えられているのだ。

 今一般的に魔法詠唱者(マジックキャスター)に知られているのは、先ほど言ったように光の神は命、光、風、水の魔法の力の源であり、闇の神は死、闇、土、火だ。

 火は一見光の神の領域のようでもあるが、火の力が最も集まっているのは地中であり、死をもたらす存在であるため闇の世界に属すると言うのが一般的な考え方だ。

 一方水は空から降り注ぎ、命を育むため光の世界に属する。

 しかし、火は光り輝き、多すぎる水は底なしの闇を生み出す。土は生き物を育て、強い風は嵐を呼んで命を奪う。闇が訪れなければ眠れる日は訪れず、光が迸れば稲妻となって人々を脅かす。つまるところ、神々とは背中合わせの存在である――と、学校の教科書には書かれているらしい。

 一応これを基準としてこれまでの四大神の神殿の看板の掛け替えは行われた。ただ、リ・エスティーゼ州には、土や火の神殿であっても、どうしても光の神殿にしたいと言う神殿が多くあった。復活劇によるところだと思えば、仕方のない事だ。

 そんな事を知る由もないユーセンチは軽く首を振った。

「申し訳ありません。そう言う名前の神は、砂漠にはいないかと思います。一度も聞いたことがありません」

「そうだろうな……。しかし、ユーセンチ魔法神官殿も、エリュエンティウの天空城はご存知だろう?」

 ユーセンチは微笑んだまま頷いた。

「あの空にある城は遥か昔、フラミー様の使いである天使達のため、フラミー様がこの地にお造りになったものだ」

「おやぁ?あれは八欲王の城のはずですが。最初は地にあり、八欲王が世界を書き換える力を使った日から、空に上がったと。そういう風に、歴史書には記されていますよ」

「八欲王が使ったのは世界を書き換えてほしいと天に願う力だ。これを聞き届けたのは世界に位階魔法を与えてくださったフラミー様と、アインズ・ウール・ゴウン様で間違いない」

「ふふ、ふふふふ。面白いお話ですね。俄には信じられません。私達はずっと透光竜(クリアライトドラゴン)様より賜るお力で魔法を使ってきたので」

 イビルアイは心の中で舌打ちをした。

 しかし、神聖魔導国は宗教観の違いを許している。神直々に、「自分以外の神を崇めている者達を弾圧するような真似や、無理矢理布教するような真似はするな」とお達しが出ているのだ。

「……いつか、信じられる時が来るとも。信じたいと、自ら思うときが」

「それはそれは。来ると面白いですねぇ。ですが、私達は力を見なければ信じませんので、難しいかもしれません」

「それなら――」

「さぁ、もう時間も時間です。宵切姫様達は準備が整っていますよ。宵切姫様をよろしくお願いいたします」

「………あぁ」

 心が冷たくなるようだった。

 宵切姫と護衛達は、この村で育てているフタコブラクダに跨っているところだった。もちろん、蒼の薔薇の分のラクダも用意されている。

「私達も今日生まれる次の宵切姫様を見に行かねばなりませんからね!お分かりになります?」

 ユーセンチの仮面の如き笑顔にイビルアイは何も答えず、涙ぐんで宵切姫を眺める両親に迫った。

「おい、お前達は良いのか?娘が行ってしまうぞ」

「えぇ、もちろんです。本当に良かった。この日のために大切に育ててきた娘です。」

「これほど光栄な日はありませんものね、あなた」

「そうだね。どうぞ道中よろしくお願いいたします」

 娘を生贄に捧げられることを本心から喜んでいる様子だった。

「…竜の待つところへ行くんだぞ。娘の気持ちを考えた事はあるのか!」

「それは何度も考えましたとも。宵切姫の私達への感謝が毎日伝わって来ましたからね。宵切姫はずっと今日の出発を楽しみにしていました。あぁ、何よりあの嬉しそうな顔。見てやってださい」

 宵切姫はまだ行かないのかと焦れたように蒼の薔薇に振り返っていた。早く行きたくてたまらない、そう言う幸福感が滲み出ている。

「……残酷だ。残酷すぎる」

 その言葉に、ユーセンチも両親も首をかしげた。

「何が残酷なのですか?あぁ、宵切姫になれない者もいると言うことがでしょうか」

「それは仕方のないことです。どれだけ憧れても、三十年に一度の今日という日に生まれることができなかった娘達は宵切姫にはなれないんですから」

 先程まで言葉が通じていたというのに、突然別世界に来たかのようだった。言葉は通じていると言うのに、意思が伝わらない奇妙で気持ちの悪い感覚。

「イビルアイ……行きましょう」

 ラキュースに促され、イビルアイはキッと言葉が通じない者達を睨みつけてから宵切姫の待つ下へ向かった。

 その背と、ユーセンチを交互に見たラキュースは、一度ユーセンチに頭を下げてその背を追った。

 蠍人(パ・ピグ・サグ)の明るすぎる見送りに、その胸は苦しくなるばかりだった。

「自分の娘を…仲間を…。無意味な神に捧げるなんて……くそ…!」

 イビルアイは手が痛くなるほどに拳を握りしめた。

 

 そんな旅立つ背を見送ると、魔人(ジニー)商人の集団(キャラバン)は元気よく物々交換を始めた。

 樽いっぱいの蠍人(パ・ピグ・サグ)特製の唐辛子酒を受け取った商人は、早速味見をし、青い体をカァーッと真っ赤にして「効くぅー!!」と心地良さそうな声を上げた。頭の上からはボフンっと煙が上がっていた。

 そんな中、魔法神官達はユーセンチに付いてその場を離れた。

「やれやれ、人間も宵切姫になりたかったのかな」

「そうかもしれませんねぇ。選ばれた特別な者というのは、いつの世も羨望と嫉妬の的ですよ」

 そんなことを話しながら、蠍人(パ・ピグ・サグ)達の案内に従い、次の宵切姫に会いにきた。

「おぉ!選ばれし五名の母、調子はいかがですか?」

 妊婦達はすでに陣痛が来ている様子で、額に汗をかいていた。周りには医師も立ち会っている。

「大丈夫です。でも、ッ……もう少しで、う、生まれます…!」

「一応様子を見ましょうね」

 妊婦の腹を出し、血と毒の混じった模様の確認をする。この毒に子供が侵されないよう、母体は産気付く。確実に今日生まれるのだ。

「ふむふむ、とても素晴らしい、ちょうどいい量です。今年の宵切姫様は本当に素晴らしい方でした。次の宵切姫様達も、今年の宵切姫様のように立派に育ってくださると良いですねぇ」

「はい…!が、頑張って……み、見事に育ててみせます!」

「えぇえぇ。そうしてください。あぁ!三十年前に宵切姫様を取り上げた日のことを思い出してしまいますねぇ!」

 ユーセンチは楽しげに語りながら、多くの手術道具を取り出した。

 それは、男として生まれてしまった宵切姫の陰茎と睾丸を切り落とすための道具や、臍の緒を切ってやるための道具、万が一今日中に子供が生まれない場合に帝王切開をする為のメス、傷口を縫い合わせるための針と糸など様々だ。

 五人もいれば今年はきちんと産まれてくれるはずなので、無理に帝王切開をする必要はないだろう。

 もし男と女が産まれれば、男児は宵切姫にしなくても良いかもしれない。

 ちなみに、男ではいけない理由は簡単だ。生贄は純潔の乙女でなければならない。ある時は男児しか生まれず、皆顔を青くしたものだが――乙女にしてしまえば関係ない。

 神聖なる存在の条件は厳しいのだ。

「はぁ、儀式を見にいけないのが残念でなりませんねぇ」

 ユーセンチが残念そうに溜息を吐くと、共に来ていた魔人(ジニー)が答えた。

「ユーセンチ様も、儀式へ行かれますか?ここは私達だけで管理できます。先月、前もって相応しい妊婦が五人もいると教えていただいたので、今回はかなりの大所帯で来ていますし」

「おぉ…おぉ…!!なんて、なんて、素晴らしい仲間なんでしょう!!しかし、私はここでやるべき事をやりますよ!向こうはバーリヤ大司教が万事うまくやってくれるはずですからね」

「よろしいのですか…?」

「えぇ、もちろんです!それより、任せてくれと言ってくれたあなたの言葉に胸が震えました。この感動、お分かりになります?」

 

 興奮したような声に、魔人(ジニー)達も蠍人(パ・ピグ・サグ)達も幸せそうに笑った。




神聖魔導国の人達も魔法使う時に「陛下方の気配を感じる!!」とか言ってるからなぁ!!お分かりになります?

次回#137 砂漠の神殿
19日0時を目指して書きます!!

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