砂漠をのしのしと進むラクダは、馬と違って上下の揺れは少ないが、前後への揺れが多かった。この前後運動に慣れるまでが少し苦労するが、慣れてしまえば快適だ。何より――馬と違って基本的に走る事はなかったが――人が砂に足を取られながら歩くより余程早い。
宵切姫は、この砂漠の知っていることを教えると言ってくれたが、この砂漠のほとんどのことを
特別何を話していなくても、大切な儀式の前なので気まずさを感じたりはしない。むしろ厳かで重々しいこの雰囲気は望むところだろう。
しかし、この重みに耐えられそうにないラキュースは鞄から地図を取り出し、見える範囲の地図を更新した。
マジックアイテムで、ラクダの十歩がどれくらいの距離なのかを測り、それを元に書き込んでいく。
馬は歩く時に斜対歩と言って、右前足を出す時に左後ろ足を共に動かす。その時左前足と右後脚は地面に付いており、逆に左前足を出すときには右後ろ足が連動する。常に二本の足が地面と接していて、安定性は良いが歩数を図るのは難しい。
その点ラクダは側対歩と言って、左前足と左後ろ足、右前足と右後ろ足が連動する歩き方をするので「一、二、三……」と着実に数えて進むことができる。
と言っても、やはり大きな岩の場所くらいしか書くことはない一面砂の世界だが。
「……ラクダがいると、砂漠もずいぶん楽ね」
話す事もないので、そんなことを言ってみる。
「……そうだな。大人しくていい子達だ」
「地図を書くならラクダで移動するのが絶対良いわね」
「あぁ」
会話は終了した。
それ程までに衝撃だったのだ。
三十年に一度の今日産まれる子供は「宵切姫」と名付けられ、生贄になるべく三十年の時を生きる。
そして、三十歳を迎える数日前に尾先を切り落とされ、強烈な力を持つコカの葉を噛んで痛みを止める。
蒼の薔薇の前を行く宵切姫に不安は微塵もなさそうだった。
「……宵切姫は、逃げろと言ったら逃げてくれるだろうか」
「どうかしら…。もし逃げたかったら、連れ出してって言ってくるような気もするけれど……」
「俺達は送り届けるって言ってたし、逃がしてくれるなんて露とも思わないんじゃねぇか?よし、俺がちょっと話してきてみるぜ」
ガガーランはそう言うと、馬と同じ要領でラクダを走らせた。
ラクダは歩かせることが多いが、走らせれば野を行く馬と同じだけのスピードで砂漠を駆けることができる。
すぐにガガーランは宵切姫の隣に着いた。
「なぁ、宵切姫?」
「はい!どうかされました?」
「お前、将来の夢とか、やりたいこととかないのか?」
「将来の夢、ですか?
「…たとえば、子供を産んでみたいとか、もっと広い世界を見に行きたいとか、そう言うことは?俺達がお前の全部をサポートするぜ?」
「ありませんね。
「……お前は、この先に何が待ち受けてるのか知ってるのか?」
「もちろんです。私は
「……
「見えないそうです。宵切姫だけがお姿を見られます。だから宵切姫がいるんです。今では
にこりと笑った顔は、どこまでも誇らしげだった。
「そうか……。あー、俺はまた少し後ろを警戒してくるな」
「はい!よろしくお願いします!」
ガガーランはラクダの速度を下げ、仲間と合流するのを数秒待った。
「――ガガーラン、どうだった?」
「悲報が二つある。予想通りの悲報と、予想外の悲報だ。どっちから聞きたい」
双子が手を挙げた。
「予想通りから」「その間に心の準備をする」
「そうか。宵切姫は逃げ出したいなんて思っちゃいないらしい。全てをサポートされたとしてもだ。旅に出るのも傷がつきそうで嫌だとよ」
「それは確かに予想通り」
「じゃあ、予想外の悲報はなんだったの?」
ラキュースの問いに、ガガーランは暗い顔をした。
「
しん…と蒼の薔薇が静まる。
「それはつまり、宵切姫以外は人払をさせられて、宵切姫にしか姿を見せないと言うことか?」
「……いや、そのままの意味だ。姿が見えない。
「……厄介だな。<
「それが良さそうだな。俺がそれをさらに深くまで叩き込むか」
「そうしてくれ。ダメージが大きければ大きいほど相手は魔法の効果を維持できなくなる可能性が上がる。――しかし、もし敵いそうにない程の難度の場合は<
「厄介なやつ」「ガガーランにビビって逃げれば良いのに」
四人で作戦を立てている間、ラキュースは一人ずっと難しい顔をしていた。
「ラキュース、お前もその作戦でいいか?」
「……ねぇ、その作戦、本当に必要かしら」
「…は?」
ラキュースの視線は宵切姫の背中に注がれていた。
「もしも……もしも宵切姫様が
「もしや、ラキュース。お前の超技"
「おいおい!いくら相手が竜でも、あんまり力を解放すると一国を飲み込む程の漆黒のエネルギーが放射されちまうんじゃねぇのか!?」
「無理はしない方がいい。暗黒の精神によって生まれた闇のラキュースに乗っ取られる」「戦闘中は注意が敵に向く。油断したら肉体を支配されて魔剣の力が解放される」
四人の大真面目な様子に、ラキュースは顔を赤くした。そして、金魚のように口をパクパクさせ、何とか言葉を紡いだ。
「え、あ……いや!えーっと、そ、それね。あは、あははは!いやぁ、う〜ん!!」
しどろもどろだった。二十五にもなった彼女は、十代の頃に侵されていた
「まずは無理をせず私の考えた作戦でいこうじゃないか」
そうしようと四人が言う中、ラキュースはもう一度自分の考えをなんとか口にした。
「ま、待って!えっと、あのね。もし宵切姫様が
「なんだと?毒針が戻れば生贄の資格を失うからか?」
「いいえ、なんだかおかしいわ。どうして
「そりゃあ、何か看破するような力があるんじゃねぇか?」
「……もちろんそう言う可能性もあるけど、私達は一つ、大切なことを忘れてる気がするの」
「大切なこと…?」
「そう。"神"と言う存在について、大切なことよ」
四人はどう言う意味かと首を捻った。
「それはなんだ?私達は神官じゃないから解らん」
「……私達の国には今神々がいて下さってる。だけど、陛下方が再臨して下さるまで、私達は何を信仰していたか覚えてる?」
「四大神だろ?それがなんだって言うんだ」
イビルアイは少し焦れた様子だった。
「そう、四大神。四大神は、私達見た事もないし、生まれた時には存在しなかったわ。それでも信仰してた。私達はかつて神が存在していたと確信していたけど、現存するかどうかには拘らなかったのよ。神様に大切なのは、今存在すると言うことよりも、その教えを信じられるかって言うことなんだと思うの」
「だからなんだ?
「……私はそう思ったの。
ラキュースは半ば確信に近い気持ちで話したが、仲間達の瞳は懐疑的だ。
「しっかしなぁ?あの…ユーセンチとか言ったか?あの悪魔神官――じゃなくて、魔法神官は力を見なければ信じないって言ってたぜ。
「その目にした力は、三十年に一度の大竜巻なんじゃないの?」
「じゃあ、その大竜巻はどうして定期的にきっかり三十年で出てくるんだ?それこそ、誰かが起こしてるとしか思えねぇだろ。それに、生贄を何もいないところに捧げるのか?」
「それは……そうね……」
ラキュースの中で導き出されていた答えはバラバラに砕け散った。
「ま、強大な竜なんかいないって思いたくなる気持ちは分かるけどよ」
「とにかく今は、確実に
「……分かったわ」
それでも、神官としての勘のようなものが、ラキュースの中では燻り続けた。
その後道中では
後に魔物に襲われることはなかった。
ラクダの足の裏は柔らかく膨らんでいて、砂地の地面に対する力をうまく分散させ、足が砂に埋もれないようにできている。その作りのおかげで歩行音はほぼ最小限に抑えられているため、足音を聞きつけて襲ってくるような魔物がほとんど寄って来なかったのだ。
馬の蹄だったら一点づつにかかる力が大きいため、すぐに砂に埋もれてしまうだろう。雪の上をかんじきを履いて歩くと埋もれないのと同じ要領だ。
昼を迎える頃には、砂漠の景色も徐々に変わってきていた。砂ばかりだった砂漠は、山のように大きな岩の塊ばかりになり、岩山の頂上には
最初の岩山はガガーラン一人分くらいの大きさだったのが、今ではガガーランを縦に百人並べても全く届かないような大きさの岩山ばかりだ。
一行は
双子はその岩を"六百ガガーラン"と測定した。
垂直に反り立つ岩壁の間には、人が十人程度横に並んで歩けるくらいの道があった。岩の裂け目の隠れ道だ。
そこは直射日光が遮られていて、割と涼しく通ることができた。無論、寒かったり薄暗かったりするほどではない。
ラキュースと双子は多少縮尺が狂っていても良いと、懸命にその場を地図に書き起こしながら進んだ。
時折ガガーランやイビルアイから差し出される
その頃には、出発当初の重苦しい雰囲気は消え、この冒険を割と楽しんでいた。
裂け目の隠れ道をしばらく行くと、浅い川のようなものがあった。
「
宵切姫の言葉に五人は頷き、ラクダを降りた。
ラクダ達は一目散に水の下へ行き、いつまでもいつまでも水を飲んだ。
オアシスというほどの水場ではないが、多少の雑草は生えていて、五人は晩に食べられそうな実をむしって集めた。他にも、水をたっぷりと汲んだり、顔を洗ったりすることを忘れない。
そうしていると、ふとガサガサ……と草むらが揺れた。
魔物かと抜剣すると、そこからは"一ガガーラン"程度のワニが姿を現した。
「あ、いけません。ゲルタに暮らすデザートクロコダイルは、
「し、しかし…ラクダが食われるんじゃ……」
ワニはもそもそと地面を這い、ラクダの脇を通り抜けて水に浸かった。
よく見れば、草むらの中には口を大きく開けたワニ達がいて、その口の中や背には小鳥が集まっている。
「ね?大丈夫でしょう。彼らはララク集落のオアシスにも住んでいましたよ。皆さんが泳いでいた辺りからは一番遠い、橋のかかってる深いところですけどね」
自分達のすぐそばをワニが泳いでいたかもしれないと思うとゾッとする話だった。
「そ、そうだったんですね…」
「宵切姫のお父さんが言ってた」「橋のかかる深い方には行くなって」
「その辺りは聖獣であるワニも住んでいるので、身を清めるための聖域に定められているんです。だから、父も近付いて欲しくなかったんでしょうね」
蒼の薔薇は「ははーん」と納得の声を上げた。
そうしていると、満足するだけ水を飲んだ様子のラクダが人の輪の中に戻ってきた。
「はは、可愛いな」
「さぁ、それじゃあ行きましょう。神殿まではもう少しのはずです!」
しゃがんだラクダに跨り直し、再び一行は神殿へ向かって歩き始めた。
いつしか岩肌にはラクダや馬を遊牧させるような絵が刻まれはじめ、そのくらいになると、
そして――「あれじゃないか!なぁ、起きてくれ!」
イビルアイの声に、眠りこけてコブに寄りかかっていた
岩の道を通り抜けた先には、岩山を削り出し、まるで壁画のように聳え立つ神殿があった。
「あぁ!本殿です!良かった、無事に辿り着けたんですね!」
宵切姫と護衛達が感激の声を上げるが、蒼の薔薇は複雑そうに笑った。
本殿の入り口は神殿に絡み付く巨大な白い竜が彫刻してあり、それが
さらに、神殿の前には既にラクダが何頭も座っていて――神殿の中からは青い肌の
先程は男しかいなかったが、ここには女の
ただ、露出された胸には大きなネックレスがかかっており、ほとんど隠れていたし、肘や肩から伸びる黒い角が邪悪であまりいやらしい気持ちが湧いてこない。
「宵切姫様、お待ちしておりました。大司教、バーリヤ・コトヌィール・ヒノノヤマヤ・アバリジャィールです。中の掃除と準備は整っておりますので、どうぞ中で潔めの儀式を」
「バーリヤ大司教様、よしなにお願いします」
「は。――おや?そちらの人間は?」
ユーセンチと同じ問いを向けられる。恨んでいた人間種と共にいれば当然のことか。
「宵切姫様を
「それはそれは。この後
「――え?
「おりませんよ。お体が入り切りませんからね。しかし、次の行先はそう遠いわけではありません。この神殿にある神の道から外に出ると砂地の砂漠に戻るのですが、そこから三十分ほど歩いた所にあります」
想像よりも長旅だった。
「分かりました。警護のため、一応神の道を見せていただいても?呪われた兵士のことも気になりますし」
「構いません。宵切姫様には儀式があるので、その間にご覧ください。おい、ラクダを連れて行くついでにご案内しろ」
愛想の良い
薄暗い廊下にはまばらに明かりが灯され、壁に刻まれる荘厳な壁画が浮かび上がる。
深部に近付くと、心臓を取り出して捧げる乙女と竜巻が描かれていた。
言い知れぬ神聖性と畏怖を肌で感じていると、儀式の大広間に行き当たり、広間の中央には小さなプールがあった。
「あそこでもう一度宵切姫様には身を清めて頂きます。今はまだお支度中なのでいらっしゃいません。遊牧民達が生贄の姫を捧げる時にも、同じようにしていたそうです」
説明もそこそこに、広間を後にする。
再び薄暗い廊下を抜けて行くと、外の光が差し込んでいた。
光の下に出てみれば、そこはまた岩の裂け目の隠れ道だった。
しかし、表と違って大きな堀がある。深さは二メートル半はありそうで、広さは小さめの公園くらいか。
「このあたりに隠れ道のゲルタに続く穴があり、大雨が降りゲルタが溢れると堀に水が溜まります。この水を使って、遊牧民達はその昔ある程度快適に砂漠を遊牧していたと言います」
「貯水池ですか。生活の知恵ですね」
「そうですね。それに、この神の道は神の降臨を知らせるための場所でもあるので――」
来た道にはなかった現象だ。
「おぉ、もうじき
「はい、ありがとうございました」
ラクダを放した魔法神官とにこやかに別れた蒼の薔薇の手はそっと武器にかけられた。
「宵切姫達が来る前に降臨するなら、その間に叩いてしまおう。余計な気を使わなくて済むし、思いっきり戦える」
イビルアイの言葉に反対する者は一人もいなかった。
「行きましょう」
「「「「おう!!」」」」
威勢のいい返事をし、それぞれラクダに乗るとのしのしと神の道を進んだ。
神の道を渡る風は次第に強くなり始め、五人の遮光服はバタバタと音を立てて揺れた。
「――お、見ろよ!裂け目の道の終わりだぜ!」
くねる裂け目の道を最初に曲がったガガーランが指差す前方には、猛烈な日射に白くすら見える砂漠があった。
「イビルアイ、念のために魔法を!」
「言われなくても!<
イビルアイの瞳は砂漠を舐めるように見渡し、空もくまなく確認した。
「どう…?」
「――いない。まだ何もいないみたいだ」
期待外れというような声音だった。
「仕方ない。やはり宵切姫を待つか…」
一行は少しでも涼しい裂け目の中で宵切姫を待った。一歩裂け目を出た砂漠は太陽に照りつけられ、日陰とは比べ物にならない暑さだ。
待っている間も、イビルアイは何度もあたりを確認して竜の降臨を確かめた。
せっかく発動させた看破の魔法が解けてしまう頃、神の道を通る風圧は先ほどの比ではないほどに強くなっていた。
まるで砂嵐のような勢いの風は、やがて目を開けていることも辛くなってくると――
オォォォォォ――ン――
と唸り声のような音を鳴らした。
裂け目全体が鳴り響き、降臨の合図かと身構える。
「あ、あれ!!」
「なんだ!!」
ラキュースが指さした砂漠の先には、小さなつむじ風がができていた。
それは次第に幅も高さも成長し、巨大竜巻の名に相応しい、猛烈な竜巻へと成長していく。
直径は数キロ、高さは測定不能なほどだ。
竜巻からそう近いわけではないこの場所ですら、ゴォォォ――とまるで地鳴りのような音が聞こえた。
裂け目に響いていた音は竜巻が成長を終える頃には鳴り止んだ。
「ま、まさか……」
「あれが…
あのガガーランが息を飲む。
ゴクリと言うあまりにも大きな嚥下音は、彼女の畏れをよく表していた。
「はっきり言うぞ」そう前置きをしたイビルアイの声音からは、語りたくもないと言う雰囲気がありありと伝わってくる。
「――あんな竜巻を発生させることができるような竜が相手では、倒すことは不可能だ」
その言葉に異論を唱える者などいるはずもなかった。
うーん、竜はいるのかな?いないのかなぁ?
ちなみにラクダの情報はナショナルジオグラフィックとディスカバリーチャンネルから仕入れてきました!
すごいんだなぁ、ラクダ!
次回 #138 竜巻と砂嵐
21日を目指すぞぉ!ぜってぇみてくれよな!