『モモンガお兄ちゃん!時間だよ!モモンガおに――』
ぷつりと音が切れる。
テスカが描いた円の中心から、ほんの少しだけずれた位置にそれは生まれた。
強風を伴い、大地から巻き上げられた砂が縦に伸びていく。落ちている小石や空にいたコンドルを引き寄せ、その中に収める。
コンドルは瞬く間にズタズタに引きちぎられ、すぐにコンドルと言う形を失った。
「始まったな」
アインズはフラミーが身を守るバフを唱える横で、この現象の正体を調べるべく魔法を唱えた。
「<
砂嵐に阻まれていた視界は途端にクリアーになり、真っ直ぐ見通せるようになると更に魔法を重ねる。
「…<
「どうです?」
フラミーからの問いに、アインズは首を振った。
「んー、魔法の痕跡はどこにもないみたいですね」
「はぇ〜…こんなにすごい竜巻なのに…」
「ツアーはこれがなんだか知っているか?」
腕を組んで竜巻を見上げたいたツアーは首を振った。
「知らないね。それで、これはなんなんだい?」
「それをこれから確かめに行く」
言っているそばから竜巻はぐんぐん成長していき、フラミーは目や口に砂が入らないように嫉妬マスクを装備した。それから、髪の毛が風に揺れて鬱陶しいので結い上げる。久々のお団子だった。
テスカも狐の面を顔に掛けた。それは昔懐かしい夏祭りイベントで手に入ったお面だ。
ちなみにアインズも無駄にコンプリートして持っている。属性を付与することができる以外、防御力も何もない面のためお遊びでしか利用しなかった。今もドレスルームにぶちこんであるはずだ。余談だが、お面屋の隣にあった射的屋は、回避率が異常に高い的が置いてあった。そう、的は置いてあるだけでなく回避するのだ。弓師と弩師の
あの日のペロロンチーノの発狂が懐かしい。大量のハズレ参加景品を抱えて、『姉ちゃん!お金なくなっちゃったからお金貸して!貸してぇ!!もう落とせるのォ!!』と言っていた姿は、夏祭りのあるべき姿だったような気がする。
さて、アインズは骨でいれば無敵だ――と思っていたが、口の中や肋骨の中に次々と砂が入ってきて気持ちが悪かった。
なんなら、すでにローブの中は砂まみれだ。
(…帰ったら三吉くんの世話になろーっと)
そんな事を考えながら、一行は大竜巻へ挑んだ。
竜巻に触れた瞬間、チリチリ…と骨の手には無数の砂が当たり、骨の身が削られたような気がした。もちろん、そんな訳はないが。
テスカも試しに触ってみる。
「やはり、すごい力ですね」
痛みはないようだ。八十レベルまで下げたテスカの体でも問題ない事を確認すると、フラミーも竜巻に触れた。
「っわ!飛ばされちゃいそう!」
「気を付けてくださいね。じゃあ、行きますか!」
「未知への旅へレッツらゴー!」
オー!と至高の支配者二名が拳を掲げると、テスカも遅れてオー!と一応拳を掲げた。そして、手を挙げないツアーをフラミーがコンコン、と叩くとツアーも腕を挙げた。
いざ竜巻へ。意気揚々と足を一歩踏み入れた瞬間、アインズは浮き上がった。
「っうぉ!!」
しかし、すぐに<
テスカの首にも<
ツアーは飛ばされそうなフラミーと手を繋ぎ、ザク、ザク、と足を砂の中に思い切り差し込みながら歩いた。
見渡す限り、砂色の世界。
普通ならば何一つ確認できないだろうが、四人の視界は魔法によってしっかりと確保されているため、砂嵐に阻まれたりはせずに遠くまでよく見えた。
人間が立っている事など到底できないような暴風の中、四人は砂に紛れて草や砂岩、無数の鉱石が降り注いでいるのを見た。
「なるほど。探索隊が戻らなかった理由はこれか」
アインズが呟くと、ツアーは頷いたが、フラミーは自分の耳に手を当て、何か言った?とジェスチャーした。
竜巻の中は、まるでジェット機のエンジンの目の前にいるような騒音で溢れている。とても周りの音を聞けるような状況ではなかった。
「竜巻を!!調べに来た!!探索隊が!!帰らなかったのは!!鉱石が!!危険すぎる!!せいですね!!」
大声でもう一度言うが、フラミーはまた耳に手を当てた。
(うーん、これは無理だな)
伝える事を諦め、当たりをキョロキョロと見渡す。
そして、風の向こう――おそらくこの竜巻の中心部に、砂が吹き上げられていない場所を見つけて三人は同時に指をさした。
頷きあい、中心部を目指して進んでいく。
吹き荒れている鉱石が進んでいく四人の体に何度もぶつかった。
「――っいて」
アインズはガツンッと巨大な鉱石が頭にぶつかると声を漏らした。
六十レベル以下の攻撃と認識されているらしく、痛みもダメージも皆無だったが、鈴木悟の残滓が脊髄反射で口にした。
(はー、やれやれ。肋骨の中も砂と鉱石だらけだよ…。これ、このまま人になったらどうなんだろ……)
などと頭の中で文句を垂れる。
再び鉱石が当たる。痛みがないからと言っても、当然気持ちがいいわけもない。
フラミーも体に鉱石がぶつかるたびに痒そうにしていた。ツアーの鎧はカンッ!コンッ!ガンッ!と鉱石がぶつかるたびに音を鳴らした。
スピードを上げ、更に中心を目指す。分厚い風の壁は一行の行き先を阻むように吹き荒れた。
アインズ一人ではもう少し手間取ったかもしれないが、フラミーと合わせて二人分のバフがあればこの程度の竜巻ごとき、どうということはない。
一行は風に流されたりもしながら、ようやく暴風を抜けた。
バフっと音を立てて潜り抜けた先は、穏やかで風一つない砂漠だった。
舞い上がっている砂は、今アインズ達が竜巻を抜ける際に発生させたものだけだ。
「……台風の目…?」
アインズが呟くと、嫉妬マスクを外してぷるぷると顔を振っていたフラミーが訂正する。たくさんの砂が落ちた。
「竜巻の目ですね。静かだし――見て、空」
紫色の指の先を目で追う。
暗闇も昼のように明るく見えるアンデッドだった為、すぐには気付かなかったが、上空は巨大な星空が広がっていた。宇宙が見えていると言っても過言ではないかもしれない。
「す、すごいですね……。何なんだいったい……」
「見て下さい。あそこの星なんて引き伸ばされて見えてる」
丸いはずの光はいくつかがバナナのように湾曲して見えていた。神秘的な空に、二人はしばし心を奪われた。
テスカも、この空は一体何なのだろうかと見上げ、自分の中でいくつか仮説を生み出していく。そして、納得のいく答えを導き出した。
「…私の予想なのですが、ひとつお話させていただいてもよろしいでしょうか?」
「もちろんだ。聞かせてくれ」
テスカが頭を下げると、髪の毛からぼろりと砂の塊が落ちた。フラミーもお団子に刺さってしまっているアレコレを抜いて落としている。
「湾曲して見えている星がある所から言って、竜巻の中心の上空は大気が歪んでいるのかと思います。それも、歪みはレンズ状である可能性が高いです」
「どうやらそのようだな。しかし、何故レンズ状になるのかと言うところが不思議だ。これは魔法の力を感じないし、単なる自然現象だろう」
「帰ったら
「そうですね!あぁ、でも、三日もNPC達に預けっぱなしの子供達がむくれるかな」
「リアちゃんはきっとしばらくコアラでしょうねぇ」
あはは〜などと笑い声をあげていると、テスカは一人だけシリアスな顔をして話を続けた。
「アインズ様、フラミー様。私は砂漠の上空に長い間暮らしていていくつか気が付いた事があります。砂漠の早朝、太陽が昇ってすぐのまだ砂が冷たい時間。気温が急激に上がっていくタイミングでよく蜃気楼ができていました。以前お話しした通り、地上都市に住む人間達は、かつて存在していた遊牧民と揃って、
「
「えぇ、そうです。しかし、私は思っていたんです。目に見えるものは、本当に目の前になかったとしても、温度や付随する現象によって見えるようになる事があるんじゃないかと。それだけ大きな幻覚を生み出せるほどの力を外に感じなかったことや、憎き竜王達のこともあり、ずっと私はその透明な竜について考えていました。ですが――この空は、私の中で燻っていた疑問の一つの答えになったような気がします」
「………どうなんだ?ツアー」
ツアーは興味深げに空を見上げていた。そして、その姿勢のまま答える。
「ここに竜王はいないよ。竜がいるような話も聞いたことがないね」
それが真実かどうかアインズには分からないが、「何故そんなことを知りたいんだい」と聞いてこないところから言って、おそらく竜はいないのだろう。
「そうか……。それで、テスカ。お前の疑問の答えはなんだったんだ?」
「この考え方が正しいのかはわかりません。ですが、敢えてお話しさせていただきます。物を見る時、暗闇では<
アインズの骨の口とフラミーの口がパカリと開く。
テスカはもじもじしながら、「なんて、どうですか?」と二人を見た。
人の知識と言うものは恐ろしい。物が見える理由などアインズは考えたこともない。原理がわかっているから、と言うのもあるかもしれないが。
「……光は確かに直進する物だし、時に屈折もする。鏡に光が反射することから想像がつくだろう。ここはいわば、瓶の底なんだな」
「瓶の底、ですか?」
「そうだ。瓶の底から見える世界は歪んでいるし、大きくなるだろう。お前の言う通りレンズ状になっているからだ。きっとここは空気の巨大レンズが天体望遠鏡のように作用して宇宙が見えてしまっている訳だな」
「うちゅう……。それが、空の星の海の名前なんですね」
アインズがしまった、と口に触れ、フラミーは両手をばたばたと振った。
「宇宙の話は忘れてください!それにしても、テスカさんは賢いんですね。色々なことをよく観察して、考えて、とっても偉いです!」
「ありがとうございます。何も知らない故の、ささやかな努力に過ぎません」
照れたようにテスカが笑う。アインズはこのまま話を逸らそうと決めた。
「お前がそう言う感じだと言う事は、お前の創造主もきっと色々なことに興味を持つタイプだったんだろうな。どんな奴だったんだ?」
テスカは流石にギルドの管理権限も持たされているだけあって、賢いかもしれない。
戦士だと言うのにそんなに知能を上げてやる必要はなかっただろうと、八欲王達に文句を付ける。まぁ、ギルドマスターがログインしていなくてもギルドの管理メニューを開けるようにするためのNPCだったようだから、あまりおバカな設定は付けなくて当たり前だろうが。
テスカとは少し役割が違うが、アルベドも重戦士のくせに頭がいい。
そして、ツアーが何かを言おうとすると、フラミーはしっと指を口に当てた。
「……私の創造主は学識に富んだ方でした。私の知らない多くの言葉を知っていて……――あぁ、もちろん、アインズ様とフラミー様に及ぶものかはわかりませんが。なぜなら、我が創造主は五行相克を使って魔法を取り戻した後、人格なき学識に寄って砂漠にあった大帝国を滅ぼしました。いえ、滅ぶきっかけを与えたと言うべきかもしれませんが。本当の知識人や賢者であれば、あのような真似は……できなかったでしょう」
「……そうですか。でも、最初から悪意で何かをする程おかしな人ではなかったんだろうなって思いますよ。テスカさんはいい子ですもん」
髪にいまだ砂がたくさん乗っているテスカの頭を軽くはたいてやりながら、フラミーは言った。
「はは、このように良くして頂いたとナザリックの皆に言ったら、きっと八つ裂きにされます。だけど、ありがとうございます。もし我が創造主が善意でやっていたのなら、その方が良いなと思います。ただ、崩壊してしまうと言う未来を予測できなかったのには苦笑してしまいますが」
アインズは、テスカの創造主が大帝国に与えた人格なき学識というのは、おそらくこの世界ではまだ判明していない数多のリアルの知識だろうと思った。
それがリアル復活のためなのか、はたまたリアルと同じ轍を踏ませないために敢えてリアルの知識を与えたのかは分からない。
アインズ達と目的を同じくした人物だったら、是非会ってみたかったと思う。
そんな願望は、形を変えてアインズの口から溢れでた。
「……お前の創造主はリアルをどう言っていた?」
「リアル、ですか。申し訳ありませんが、我が創造主はあまり私に話しかけてはくれませんでした。私達エヌピーシーは人形であると仰っていたので。……そんな信用に足らない存在だった当時の俺の事をぶん殴ってやりたいです」
テスカとイツァムナーは特別なNPCとして殺されなかった。しかし、親同士の殺し合いと、仲間が殺されていく様はすぐ側で見続けていた。
創造主達を止められなかった後悔と、ツアーを始めとした竜王を恨む気持ち、心を開いてもらえなかった寂しさは今なお彼の心を燃やしているような気がした。
アインズはこれ以上何かを言っても、何かを言わせたとしても、黒焦げになったプレイヤーの死体を復活させてやらない以上テスカを傷付けるだけかと口を継ぐんだ。
ツアーは何か言いたいようだったが、フラミーに止められたこともあり、軽くため息を吐くと床に座った。
プレイヤーとしてアインズとフラミーは黙祷を捧げる。もしかしたら、同じ志を持っていたかもしれないプレイヤーを想って。
静寂が訪れると、四人は自然と空を眺めた。
心を奪われるような宇宙の景色はどこまでも荘厳で、自分というちっぽけな存在を忘れさせた。
「とりあえず、良いものが見れて良かったですね」
「はひ、本当…。万華鏡の中に落っこちたみたいです…」
心地良い時間が続いていたが、テスカは突然ハッと竜巻へ振り返った。
「…どうかしました?」
「いえ…この方角から何やら血の匂いが…。弱い者が竜巻に近付いて来ているようです」
「あ、紫黒聖典が怪我しちゃって呼んでるのかな?いつでも呼んでって言っちゃったから。魔物に襲われてるといけないんで、私、ちょっと行ってきます」
フラミーが砂から立ち上がり、尻を軽くはたくとツアーもゆっくりと立ち上がった。
「あら?ツアーさんも行きます?」
「あぁ。僕も少し外に用事ができたようだからね」
フラミーは再び嫉妬マスクを被り直し、白金の鎧と共に砂嵐の中へ消えて行った。
「――テスカ、お前がいつか創造主と同じ場所へ行きたいと思う日が訪れたら言うがいい。その時にはエリュエンティウごと葬ろう」
アインズの申し出に、テスカは微笑んだ。
「ありがとうございます。ですが、私達は墓守です。マスター達の空の墓も、新しいマスター達の暮らす墳墓も、きっと守って生きていきます。生きろと言うのが、今のマスター達の望みですから」
「そうか」
「はい」
アインズも動かぬ顔で笑みを返し、砂に寝転んだ。
(他所の単なるデータだと思ってたけど……こいつも今は生きてんだな)
何となく感慨深い気持ちになった。しかし、他所の子は他所の子だ。
アインズの中で、テスカは一郎二郎と同じくらいの位置まで上がった。
つまり、庭に住み着いている餌付けした野良猫だ。
アルベド達守護者はテスカ達エリュエンティウ組の事を庭木に巣を張る蜘蛛だと思っている。害虫を食べてくれることもあるので基本的には良い存在だが、ふとした時に存在に気が付いてしまうと目障り――と言ったところか。
「――あれ?」
テスカが再び竜巻に振り返る。
「どうかしたか?フラミーさんが戻ったか?」
「いえ…紫黒聖典にしては人数が多いようです」
「シズとケットシー達ではない…んだよな。魔物か?」
ナザリックの者達が互いの存在に敏感なように、エリュエンティウの者達も互いの存在に敏感なので、気配を間違えたりはしないだろうと思えた。
「魔物という雰囲気ではない気がしますが……。一、二、三……多少の力を持つ者が五人はいます。いや、
「何?心配だな」ツアーは一緒にいて何かが起きても、そんな事で死ぬ君じゃないと言って何もしない可能性もあるのだ。
「念のために行くぞ」
「はい!」
弱くて人数もわからないような存在に押される人ではないが、敵意と聞いては寝転がってもいられない。
「……後でまたゆっくり見たいな」
さくさくと砂を踏みしめるアインズからこぼれ出た言葉に、テスカはもう一度
「あぁ、神様……。宵切はこの時をずっと待っていました。どうか、お姿をお見せください……」
そう言って手を伸ばされ、フラミーは咄嗟に手を取った。この手はこれ以上竜巻に近付けば砕ける。
「あれ?どうしてここに私がいるって分かったんですか?紫黒聖典に聞きました?」
「か、神様…?」
「はひ。一応そう言う事になってますけど…あなたは?冒険者さん……じゃなさそうですけど……?」
フラミーは感激した様子の女性を前に首をかしげた。
「あぁ!私はこの年の宵切姫でございます!ずっとお慕い申し上げて参りました!あなた様の為、宵切は今日という日までずっと、ずっと生きて参りました!!きっとお姿を見せてくださると、宵切は信じておりました!!
「はは、そ、そうですか――ん?くりあ…なんです?」
いつもの国民の熱苦しさに若干引きかけていたが、耳慣れない言葉が聞こえた気がして聞き直す。
すると、大量の青い人と、尾の生えた人に囲まれた。どれも見たことがない人種だった。
「
一気に言われ過ぎてフラミーはほとんど聞き取ることができなかったが、この青い人達と尾の生えた人達は、何故か自分を
「
そして、威嚇するように一気に怒鳴り声を上げた存在。その仮面は間違いなく、アインズが海上都市で直してあげたものだ。
「――イビルアイさん。お久しぶりですね。えーっと…私にとっての命ですか…?」
「あ、えっと……その肌……その翼……。まさか、光神陛下……?」
その問いに、フラミーは少しだけ悩むと答えた。
「……違います」
人違いをされているなら、国民は基本的に暑苦しいので神様ではないと言い張った方が楽だ。まだ嫉妬マスクを被っているので言い逃れができるはず。
――などと。この妻にしてあの夫。この夫婦には身分を問われると違うと答える習性があるようだった。
「いや!!絶対そうだ!!光神陛下!!生の神として君臨していながら、何故御身はこれ程までに残酷な真似を許すのですか!!」
「え、えぇ?何がです?」
ものすごい勢いだった。何故かラキュースからの視線には絶望が見え隠れしている。
「人間!!神になんたる口を!!」
青い肌の人達も怒り始め、明らかに魔法を放とうとしている。
フラミーは未だ手を繋いでいる宵切姫を名乗る女性とイビルアイを交互に見ると、どうしてこうなった?と内心首を捻った。
そうしていると、ツアーも砂嵐から姿を現した。
「インベルン、さっきから何を騒いでいるんだい?君はこんなところで何をしている?」
「ツ、ツアー?お前こそこんな所で何を――は!お前が
宵切姫はツアーを見ると、その鎧の双肩に乗る竜の顔のパーツを見て瞳を輝かせた。周りの人々も「おお!」と声を上げている。
「あなたは従者様だったのですね…!」そう言い、フラミーの手を離す。「
「……僕は竜だけれど、そんな名前ではないよ」
「いえ!いいえ!あなた様こそ――ッゴホ」宵切姫は少し血を吐いた。「……あ、あなた様こそ、私の求めてきたお方です…!あ、あなた様にお仕えするため……宵切は今日まで生きて参りました……!どうか、どうか私をお連れ下さい!!」
「いや、そう言うのは僕は――」
ツアーはそう言いかけ、ちらりとフラミーを確認した。
「ん?なんです?」
「いや、なんでもないよ」
何かがツアーの中で決まると、ようやく頷いた。
「――そこまで熱意があるならアーグランド州で働いてもらおうかな。ちょうど再来年で辞めてしまう従者がいるからね。君、アーグランド文字は書けるかな?その者の代わりをやらせたいんだけど。速記をして議事録をとったり、時に手紙を書いたりするんだ」
「……も、申し訳ありま…せん。わ、私は文字は……何も……」
そう語っていると、宵切姫はその場にドッと倒れ伏した。
「あ、大丈夫ですか?<
フラミーが竜の落とし子の杖を取り出すと、周囲が再びどよめく。
宵切姫はすぐに目を覚まし、自分の胸に触れて傷がなくなっていることに目を丸くした。
「あ、ありがとうございます。従者様」
「…従者じゃないですけど、良いですよ。ツアーさんは私の大切なお友達ですからね」
「つあーさま……」
宵切姫は砂の上に座ったまま、うっとりとツアーを見上げた。
「僕の事はヴァイシオンか、
「心得ました。ヴァイシオン様」
フラミーはめでたしめでたし、と心の中で呟く。
しかし――
「……ツアー。見損なったぞ!貴様、人のことを奴隷か何かだと思っているのか!!」
響き渡ったイビルアイの声は泣いてしまいそうだった。
「インベルン。僕は働きたいと言うから働いて良いと言っているだけだけど、何か問題があるのかな」
「人を脅して働きたいと思わせ、自由を奪う事は悪魔の所業だ!!」
「……そう言われても、僕は別に何もしていないんだけど。……君、僕は別にうちに来なくても良いけれど、どうする?」
ツアーが見下ろして尋ねると、宵切姫は何度も大きく頷いた。
「働きます!!働かせてください!!御身のお世話をさせてください!!」
その様子に、何が悪いのかとツアーは再びイビルアイを見た。
「らしいけど……。僕には何が問題なのかよく分からないよ」
ツアーの言葉に、蒼の薔薇は頷かない。
それどころか、武器を持つ手の中からギチィリ…と音が鳴る。襲って来ようとしている様子ではないが、何かどうしようもない感情に苛まれているようだった。
「人間はどうやら少し変わっているのです。ヴァイシオン様、もう参りましょう。」
そう言って宵切姫が大竜巻の方へ向かおうとすると、フラミーは咄嗟に宵切姫を抱き寄せた。フラミーの方が小さかったが。
「だ、ダメですよ!!これに触ったらあなた死んじゃいますよ!?いくらでも復活させてもらえるなんて思わないでください!!」
フラミーが注意をすると、宵切姫は何度も瞬きをした。蒼の薔薇からは小さな喝采が漏れた。
「あ、あの…ですが……」
「……君、本当に僕のところで働くつもりはあるのかい?」
ツアーが覗き込む。
「も、もちろんでございます。私はこちらから参ろうと思ったのです」
「…悪いけど、僕のところで働きたいならそう言う事はやめてもらえると助かるね。家はそんな場所にはないよ」
「そ、そうでしたか。早とちりをしてしまい、申し訳ありません」
「素直だね。良いよ」
ぺこりと頭を下げると、宵切姫は自分の尾を見て目を丸くした。
「あ……尾が………」
「良かったね。フラミーが治してくれたよ」
「……尾があっても…よ、よろしいのでしょうか…?」
「構わないけど…」
「切らなければ御身の下へは行けないのだとばかり思っておりました」
ツアーはフラミーから不審がるような目を向けられた。
「いや、そんな事はないよ。だから、ちゃんとフラミーに礼を言ってくれ。光の神の強大な力は易々と使われるべきではないと言うのに、手を貸してくれたんだ」
「はい!光の従者様。ありがとうございました。心より御礼申し上げます」
「いえいえ。良かったですね。それから、従者じゃないです」二度目の否定だった。
宵切姫は確かめるようにツアーを見上げた。
「フラミーは従者じゃないよ。僕より身分は上だ。下手をすれば僕が従者として働くこともある」
「え!?で、では…!
宵切姫の視線が熱い。
「いや…私達はただのお友達です……」
フラミーは思わず目を逸らした。狂信の色が見えたから。
すると、ツアーとフラミーを交互に見ては感激していた様子の宵切姫が目を大きく見開いた。
「っえ!?あ、お、お、お逃げ、お逃げ下さい!!」
「え?」
「ん?」
フラミーとツアーが振り返ると、竜巻の中から骸骨が出てくるところだった。それはもちろん、国民の大好きな死の神だ。
「の、の、呪われた兵士!本当にアンデッド!!お逃げください!!どうか、どうか!!」
周りの人々も腰を抜かしたり、刺激しないように後ずさったりしている。それはどこからどう見ても国民の反応ではなかった。
アインズはそんな反応にガックリ来ている様子だ。
「宵切姫さん、あなたの事教えてください。あなた、どこから来たんですか?」
「お、お、お話しいたします!ですが、ですがそれより!!早く!!ヴァイシオン様と共にお逃げください!!」
「大丈夫ですよ。ここにいて下さいね」
ひゅるりと飛んでアインズの下に戻ると、蒼の薔薇も困惑したようにアインズを見ていた。
「アインズさん、この人達国民じゃないみたいですよ」
「ですねぇ。あぁあ…。暑苦しいか怖がられるのニ択ってどうなんです?」
「はは、可哀想可哀想です」
アインズの頭を撫でてやると、アインズが片腕を前に軽く伸ばす。鳥を止まらせるような要領だった。
座っていいよのポーズだ。すぐに腕の中に収まり、空を飛ぶ力を切った。
アインズはフラミーを腕に座らせるように片手で抱えると、恐慌状態じゃない蒼の薔薇に一歩近付いた。
「で、これはなんなんだ?よく聞こえなかったが、ツアーが何かしたのか?」
「あ、へ、いや…えぇ?」
イビルアイを始め蒼の薔薇は混乱状態に陥っていて、何も言葉にならなかった。
「……<
フラミーが杖で蒼の薔薇を指し示して魔法を唱えると、蒼の薔薇はハッと我に返った。
「あ、陛下方!!し、失礼しました。んん、えっと…あの…宵切姫はもしや死の神たる神王陛下が呼んだので……?ツアーは神と勘違いされている……?」
「呼んどらん」
アインズがピシャリと言い放つと、イビルアイは確かめるように言葉を紡いだ。
「……一応お聞きしますが…神々は生贄を欲してはいないですよね……?」
「生贄…?」
「あちらに神へ捧げると言う生贄の姫が…。ツアーが連れて帰るようですが」
イビルアイのセリフに、フラミーは即座にアインズを見た。
嫉妬マスクを被っているフラミーの視線は誰にも捉えられないが、アインズは確かに視線を感じた。
アインズはまた生贄騒ぎかとイビルアイの示す方を確認する。
――そこには、上半身裸の青い肌の民族がずらりと勢揃いしていた。蠍の尾のある人々は服を着ていると言うのに。
アインズの中に、忌むべき三つのワードが並んでいく。
脱衣。生贄。儀式。
「……クレマンティーヌ!!」
その怒号に、「っひゃい!!」とすぐに返事が返った。
竜巻から出たテスカが紫黒聖典を呼びに行ってくれていたのだ。
駆け寄り、膝をつくとクレマンティーヌは蒼の薔薇一行を睨み付けた。
「クレマンティーヌ!お前、おかしな宗教をやっていないだろうな!!」
「やっておりません!!」
「誓えるか!!」
「誓います!!」
「では、私はおかしな風習が根付いたらどうすると言った!!」
クレマンティーヌとレイナースの顔は真っ青だった。ネイアと番外席次は何?と視線を交わす。
「ま、ま、まちごと…街ごと消す、です……」
可哀想なクレマンティーヌの声は所々ひっくり返っていた。意味をわかっていなかった二人の顔もサッと青くなる。
「今私達は生贄が必要か聞かれている!これはお前のせいではないと断じて言えるか!!」
「か、か、確認させてください!!」
「行け!!生贄はあちらだ!!」
クレマンティーヌは恐れをなしている宵切姫達の下へ駆けた。プーマよりもチーターよりも早かった。
「おい!おめーら何もんだ!!」
まるっきりチンピラだった。
「わ、私は宵切姫です!我らが主神たるヴァイシオン様へ捧げられる生贄の姫です…!」
宵切姫は真っ直ぐツアーを指し示していた。
「……主神?そうなのかい?」
「はい!ヴァイシオン様!」
ツアーはなんだかこの娘は思っていたより厄介かもしれない、と思った。
「ツァインドルクス=ヴァイシオン!てめぇ、へーか方に良くして頂いてるっつーのに図々しくも神を名乗るつもりか!?」
「いや、そう言うつもりはないよ。――宵切姫と言ったかな。僕は竜だけど神じゃない。神はあの二人だ」
ツアーが指をさすと、宵切姫と周りの司教達は困ったようにツアーを見た。
「いーか!神々はあちらのお二人だけどな!神々は絶対生贄なんか受け取らないって事を覚えとけ!!」
「あの…はい……」
宵切姫はどうするべきなのか分からなくなった様子だった。
「宵切姫。僕は神じゃないけど、それでもうちで働きたいのかい?」
「よ、よろしいでしょうか…?」
「……僕はどちらでも構わない。もちろん無理に働けとも、来るなとも言わないよ。どうするかは君が決めると良い」
「……やはり、やはり私はヴァイシオン様の為に生きてきたので……できればお供したいと思います」
「そうかい。解ったよ。帰ったら君はまずアーグランド文字を覚えるところから始めると良い」
「はい!」
クレマンティーヌはこれがクレマンを名乗って煽っていた宗教とは全く違う宗教であることを確信すると踵を返した。
無駄に怒られてしまった。今回の旅は一度も怒られていなかったと言うのに。前に砂漠に来た時は寝坊したせいでデミウルゴスにこってり叱られた。
棚からぼたもちならぬ、棚からゴキブリだ。思いがけない幸運どころか、思いがけない不幸。
クレマンティーヌは続いて蒼の薔薇の前に立ちはだかった。
「あんたらさぁ、へーか方が本当に生贄を欲しいなんて思ってんの?」
「あ…いや……も、申し訳ない…。宵切姫があまりにも切実に神の下へ行くと言っていたもので……。そこからちょうど本当の神々が現れて…なんと言うか…混乱してしまった……」
「ありゃツァインドルクス=ヴァイシオンに用意されてた生贄だったんだよ!へーか方は生贄なんか一切いらねーの!」
「わ、私も今ではよくわかっている…。一応確認しておこうと思っただけで……本当にすまなかった」
「ったく。本当にわかったんだか。ほんとにもー」
クレマンティーヌはブチ切れながらアインズ達の下に戻り、再び膝をついた。
「神王陛下、光神陛下。あれは全く邪神教団とは無関係です!」
胸を張って答えると、アインズは鷹揚に頷いてみせた。
(……じゃあ何で?)
頭の中には混乱がいっぱいだ。今日ここにツアー含め、アインズ達が来ることを知っていたのはナザリックの者達と、神殿機関――紫黒聖典だけだったと言うのに。
「陛下……光神陛下……。私は最初にとんでもない口を……」
見上げるイビルアイに、フラミーは苦笑した。
「いえ、気にしないでくださいね。神様に生贄持ってきたって言われて私達がいたら……まぁ……ね」神様とか言っちゃってるのが悪いんだよね…と小さく呟いた声は誰にも届かなかった。
「申し訳ありませんでした……」
イビルアイ含め、蒼の薔薇から放たれる雰囲気は地獄だった。
「蒼の薔薇まーじでふざけんなよ」
クレマンティーヌはいつまでもぶちぶちと文句を言っていた。
「……クインティアの怒られ方、ロックブルズに聞いてたよりすごかったわね」
「本当ですね。やっぱり先輩ってある意味本当すごいです」
「ネイア、それ褒めてないわよ」
大層肝が冷えた紫黒聖典は吹き荒れる砂の中暑さを忘れた。
そして、風が徐々に弱まり始める。
「――あ!お、終わっちゃう!!」
「え!」
フラミーとアインズは萎んでいく巨大竜巻を残念そうに見送った。
あーツアーへの生贄だったのかぁ〜(!?
次回#140 呪われた兵士
26日を目指して書きますよう!