眠る前にも夢を見て   作:ジッキンゲン男爵

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#141 姫の決断

「――ただいま。皆」

 生きる者のいない、どこまでも広がる死の都市。

 守るべき国民も、王冠も持たない王女。王と王妃の血を引く正統なる王位継承者。

 焼け朽ちた城内で邪眼(イビルアイ)は仮面を外し、玉座の前で膝をついた。黒焦げになった玉座には短杖(ワンド)とガントレット、ボロボロの服、それから灰の山が置かれていた。

 胸の前で手を組み、祈りを捧げる。

 蒼の薔薇も同じように玉座の前に膝をついた。

「――どうか安らかに。あの日、何が起きたのか結局私には何も分からなかった。父よ、母よ……。本当にすまない……。どうか私を赦してくれ……」

 祈りと懺悔は伽藍堂の玉座の間に響き渡った。

 ラキュースは初めて来たその場所で、玉座に乗る灰の正体を悟る。

「――イビルアイ。もしあなたが望むなら、私達は今回受け取れる報酬の全てをここに持って来て、<死者復活(レイズデッド)>の糧にしても良いわ」

 ガガーラン、ティア、ティナが頷く。

 イビルアイは赤い瞳をそっと閉じた。

「いや…無駄なんだ」

「なんで…?試してみる価値はあると思うわ」

「あそこにあるガントレット、あれはこのインベリア王国の国宝で、鷲獅子王の爪(ガントレット・オブ・グリフォンロード)と言う。その隣の 短杖(ワンド)も国宝で、名を虹よりこぼれし白(ロスト・ホワイト)と言う。……虹よりこぼれし白(ロスト・ホワイト)の効果は――<死者復活(レイズデッド)>だ」

「じゃあ……」

「あぁ。ゾンビはゾンビとして蘇ったよ。お笑い種だろう。光神陛下は…そこまでの力を人には与えてはくださらない。当然だ。光あってこその闇。闇を受け入れるしかないんだ」

「そうなのね……。でも……だからこそ陛下方はイビルアイの全てをいつでも赦して下さるのよ。きっと、あなたのことが分かってるから」

「……そうだろうか」

「そうよ。だって、あなたはたくさん加護を与えて頂いているもの。その闇に打ち勝つための」

 イビルアイの瞳は何かを考えるようだった。

 生の神から見放された地。取り戻すことすら許してはくれない生の神――。闇を抱いてなお生きろと、残酷なほどに優しい神は言う。

「……私に生の神からの加護はないと思っていた。だが……そうだな。私にこのタレント(・・・・・・)を与えて下さったのも、厳しい教えも、全ては慈悲だったのかもしれない」

 見上げるイビルアイの視線の先に城の屋根はない。所々燃え落ちてしまっているせいで、まっすぐ空へと続く。

 こぼれ落ちてくる光はこの場に積もり漂う埃を映し出し、はっきりと軌跡を浮かべた。

 光に輝く生の力を込めた杖はわずかに雨に濡れ、涙をこぼすようだった。

「――陛下……」

 イビルアイは今信じる神々に祈りを捧げた。

 どれだけ残酷な力を持った神々だとしても、時に自分を救ってくれないとしても、世界には必要だし、――何より、愛さずにはいられなかった。

 かつて信じていた太陽の男神ベ・ニアラと、月の女神ル・キニスは地上を顧みることはなかった。ラキュースは透光竜(クリアライトドラゴン)は存在しない、人の願いが生み出した存在だと言っていたが、もしかしたら太陽と月の神もそう言う存在だったのかもしれない。きっと世界には実在しない神がたくさんいて、人は弱さゆえに実態のないものに縋ろうとするのだろう。

 だが、今は真実の神が君臨してくれている。じきに、存在しない神は消えて行くだろう。

 

 ふと、屋根の朽ちた場所から鳥が飛び込んできた。

 それは真っ直ぐ柱に向かう。

 途端に城の中は賑やかになった。

 柱には小さな鳥の巣が作られ、チヨチヨとひよこ達が歌って親から与えられる食事をねだった。

「……ここも、じきに自然に飲まれるな」

「そうね。新しい命がここにも生まれて行くみたい。きっと、イビルアイが見たこともないような姿になって行くわ」

 ラキュースは灰の積もる玉座に近付くと、そっと服をどかした。

「――あ、あぁ!」

 ラキュースが手に取った服はばらばらとその形を失ってしまった。イビルアイは駆け寄り、破片と思い出を掻き集めようと手を伸ばし――灰の中から小さな木の芽が出ていることに気がついた。

「イビルアイ。もう、きっとここにはアンデッドは生まれないと思うわ。闇はずっと闇のままではないもの。後のことは任せて良いって、陛下方も、あなたのお母様とお父様も、きっとそう思って下さってる」

 イビルアイの視界は歪んだ。

 インベリア王国は今真なる終わりを迎え、新しい世代と世界への始まりを告げる。

 溢れる瞳の泉から落ちる雫は何度も新しい芽吹きへ落ちた。

 イビルアイの震える声は、小鳥達の囀りの中をしばらく響いた。

 背をさする仲間達の熱はどこまでも優しかった。

 どれほど泣いていただろう。涙も枯れ、目元を拭ったイビルアイが告げる。

「――私はもう、インベリア王国には(・・・・・・・・・)来ない。忌むべきこの場所が、いつか命で溢れかえり新たな地名を与えられた時、私は私の知らない場所を冒険しよう」

 小さな背に見える決別の覚悟を、短杖(ワンド)は静かに見つめた。

 

+

 

「でも、良かったのか?短杖(ワンド)とガントレット、国宝だったんだろ?」

 城を後にし、森と砂漠に飲まれ始めている街を行く。

 ガガーランの問いに、イビルアイは肩をすくめた。

「五十年後にでも冒険に来て、あれを見つけ出して見せるさ。インベリア王国の国宝ではなく、冒険の(いさおし)として持って帰る」

「その頃には冒険者が来て盗んじまってるかもしれないぜ?」

「もうインベリアに主はいない。盗まれるんじゃなくて、持ち出されるだけさ。だが、冒険に来た時にどうしても見つからなかったら、短杖(ワンド)とガントレットを探す旅に出るかな。あれだけのマジックアイテムだ。きっと人の世に出回れば噂になる」

「気の長い話だな」

 イビルアイが笑い、崩れている石畳の破片を蹴ると、双子は城へ振り返った。

「……罠を仕掛けておいた。簡単には持ち出されない」「持ち出せるほどの力がある人物なら、きっと名を轟かせているはず」

「…それはもし五十年後に私が取りに来た時も発動するんじゃないだろうな」

「もちろん発動する。一人でくれば抜け出せなくなる」「イビルアイじゃなかったら多分死ぬ」

「人が死ぬような罠を仕掛けるな!!」

 噛み付くように叱りつけると、イビルアイは遠くに見える朽ちた城へ振り返った。

 長いイビルアイの髪がそよ風に揺れる。

「さようなら、お父様、お母様。キーノはまた、旅立ちます」

 イビルアイの別れを、誰も茶化したりはしなかった。

 渡り鳥が一行の頭上を飛び去って行く。

 イビルアイは、その場所で久し振りに綺麗な空気を吸えたような気がした。

「――さて、お前達が婆さんになった後蒼の薔薇に入れる乙女を探しにいかなくちゃな」

「ば、ばあさん…!」

 ラキュースは悶えるような声を上げた。

「この俺のお眼鏡に叶うようなやつがいるかな」

 ガツン、とガントレットを嵌めた手を打ち合わせ、ガガーランが不適に呟く。

「ロリを私たちで育てれば良い」「なんならショタだって許す」

 双子の性癖発表には誰も耳を貸さなかった。

「ザイトルクワエ州に帰ったら、手始めにアングラウス道場を見に行くぞ!子供のクラスもあると聞いたからな!その後、リグリットと連絡を取ってリ・エスティーゼ州に行く!ヴェスチャー・クロフ・ディ・ローファンの剣道道場に良い娘がいないか確認だ!」

 五人でオー!と声を上げる。

 蒼の薔薇はここまでの地図を描かなかったので、ここが発見されるまではまだもう少し時間がかかる。

 王女の再びの出発を、今は亡きインベリア王国が見送る。

 誰もいない静かな場所へと戻って行く。

 取り残された城の中の短杖(ワンド)とガントレットは、重なり合うように倒れた。

 

 それから十年、二十年、三十年と時を重ねる中、インベリア王国の国宝は灰の中から生まれた木の中に取り込まれる。

 緑に溢れる廃墟の遺跡に冒険者達が出入りするようになっても、国宝に気付く者は一人もいなかった。

 そして、来たる五十年後。

 新しい仲間と共に地図の更新に訪れたイビルアイは、必死になって国宝を探し回る。

 二つのマジックアイテムが世間に出回った噂は誰からも聞いたことがなかった。

 きっとまだここにあるはず。――もしくは、大型動物に飲み込まれたか。

 必死になって探し回り、どうしても見つからなかった時、イビルアイはあの日灰の中から生まれていた新芽を思い出す。

 そこには、両親の体を形作っていた灰から生まれた新しい命が、イビルアイの涙を糧に大きく成長して待っていたらしい。

 イビルアイは国宝のありかを悟り、魔法の痕跡を探す。

 木の中に確かに国宝の鼓動を感じ、穴を開けて取り出すか、切り倒して取り出すか大層悩むとか。

 イビルアイが無理にそれを取り出したかどうか。

 それはまだ先のお話だ。

 

 だが、一つだけ言えることがあるとすれば、その木はイビルアイが去った後も元気に成長を続けていると言うことだ。

 周りには豊かな生態系が育まれ、鷲獅子(グリフォン)達が暮らし、件の木から取れる葉はまるでポーションのように人を癒す。

 だが、<保存(プリザベーション)>を掛けたとしても、摘みたての時に絞れる雫でしかその効果は発揮されない。

 冒険者達はその木を鷲獅子よりこぼれし恵(ロスト・グリフォン・グレイス)と呼んで、近くで怪我をすると立ち寄ったとか。

 そこで、何人かの冒険者は見かける。――王のように大きな鷲獅子(グリフォン)が優雅に木に寄りかかる姿を。

 

 さて、あれこれと不思議な逸話を持つ木だが、その中にマジックアイテムがある故に力を持つのか、はたまた成長時にマジックアイテムがあった故か――

 

 知っているのは新しい蒼の薔薇と、イビルアイだけだ。

 

+

 

「帰りも美しい砂漠を見せてやりたかったが…仕方がないな」

 アインズはスルターン小国でツアーと、ツアーの新しい召使いの生贄の姫を見た。

 馬車はすでに満員なので、これ以上人を乗せることはできない。それに、狂信者が同じ空間に長くいることはお断りだ。楽しい旅も台無しになる。

「悪いね。今度また旅に誘ってくれ」

「そうするか。次はナインズやアルメリアも連れて行きたいし、あまり過酷じゃない場所を選ぶから楽しみにしておけ」

「それは嬉しいね。楽しみにしているよ」

「あぁ。次はお前に自発的に美しいと言わせて見せるさ。――<転移門(ゲート)>」

 アインズが人の身で楽しげに笑うと、ツアーも竜の身で笑った。

「――フラミー、何か困ったことがあればいつでも僕のところに来て良いからね」

 ツアーがいつもの別れの挨拶を告げると、フラミーは頷いた。

「はぁい!ありがとうございます。君の存在はアインズを孤独にしない為にも必要だ、でしょ。」

「ふふ、その通りだとも。それじゃあ、また会おう」

「またねー!」

 ツアーが転移門(ゲート)に足を踏み入れると、ラクダを引いた宵切姫もぺこぺこと頭を下げて転移門(ゲート)をくぐって行った。

 転移門(ゲート)が閉じると、フラミーは振っていた手を下ろした。

「ツアーさん、宵切姫さんの事気に入ったのかな?」

「どうでしょうねぇ?アーグランド文字も書けないのに、何かあいつらしくなかったですね」

 アインズとフラミーは揃って首を傾げた。

 

 転移門(ゲート)をくぐった先で、ツアーはいつも鎧を置いている窪みにまっすぐ向かった。

「もう少ししたら、うちで従者として働いている者が今日の評議会での議事録を持って来る時間だから、それまでその辺で待っていてくれるかな。少し前に蛾身人(ゾーンモス)の娘がまずいことをしてね。以来全ての議事録に目を通す事にしたんだよ」

「ぞーんもす…でございますか?」

「まぁ、そう言う事も少しづつ覚えて行くと良いよ」

「無知で申し訳ありません。精一杯学ばせていただきます」

「そうしてくれ。わざわざ引き取ったんだからね。じゃあ、僕は鎧から意識を切るから」

「え!ヴァイシオン様!」

 宵切姫は呼び止めたが、鎧はくぼみに収まるとピクリとも動かなくなった。

 久しぶりに一人になると、ふっと息を吐いた。

「……頑張るのよ。私だって宵切姫ですもの。落夜と崩夜に胸を張れる活躍をして見せなくちゃ」

 ぎゅっと目を閉じてパンパンっと両頬を叩いて気合を入れる。

 宵切姫は学ばなければいけないことばかりだ。これまでの宵切姫は一体どうやって学んだのだろうと思うが、学びきれずに追い返され、帰ることも出来ずにどこかでひっそりと命を絶ったという可能性もある。

 宵切姫は自分で何もかもを調べ、覚え、学び、きっとこの竜王の役に立って見せると誓った。最後の宵切姫の名に相応しい働きをして見せるのだ。今後集落への加護は竜王のさらに上の神が与えてくれる。これまで助けてくれていた感謝を、立派に形にして勤め上げて見せるのだ。

 ただ、一番の難所は文字だろう。

 文字というものがこの世に存在していることは知っているが、蠍人(パ・ピグ・サグ)の多くは字を書けない。殆どのものは絵に描いて残されてきている文化故の弱点。数字くらいは書くが、縦に三本線を書いて、それに横に二本線を書くと言うシンプルな方法だ。これ以上の事ができない宵切姫は、果たして自分にアーグランド文字なる竜の字を書けるようになるかと不安になる。

「……ううん、ダメね。弱気なんていけないわ」

 よーし!と父の用意してくれた宵切姫のための美しい衣装の袖をまくり、一緒について来てくれたラクダの顔をわしわしと撫でた。

 ――すると

「…少し静かに待っていてくれないかな」

 頭上から響く、艶を含んだ豊かな声音に宵切姫は驚き飛び上がった。

「っは!!も、申し訳――」

 見上げた宵切姫は、薄暗く広いホールの中に長く伸びる階段を見つけた。

 その先には――透光竜(クリアライトドラゴン)として伝え聞いて来たよりも余程美しく、荘厳な竜が宵切姫を見下ろしていた。

 白金の鱗はまるで月光そのもの。喉に脈打つ青い光は砂漠の空。大気を切り裂く翼は大きく、一振りするだけで砂嵐を呼ぶに違いない。

「か、神様……」

 その頬を自然と涙が伝い落ちる。

「……僕は神じゃないと言ったろう。竜王は神じゃない。だからこそ――」

 ツアーはその先の言葉を口にしなかった。

「は、申し訳ありません…。ヴァイシオン様……。宵切姫は、ヴァイシオン様に全身全霊をかけてお仕えする事を今再びお誓いいたします。あなたが学べと言えば学び、死ねと言えば死に、最後はあなたの血肉となります」

「じゃあ、休めと言ったら休んで、帰れと言ったら帰るんだね。僕は決して短気ではないけれど、他の従者が君の事を無能で足を引っ張る存在だと言えば帰ってもらう」

「はい。ですが、宵切姫はどの生贄よりも見事に働いて見せます」

 ツアーは従者は生贄じゃないと訂正しようと思ったが、今は一般常識に欠けている様子なので、少しづつ他の従者が生贄じゃないことを学んでいけばいいかと思った。

「やれやれ……」

 そっと大顎を手の上に乗せて寝そべる。賃金はどれくらい渡すべきなのだろうか。

 他の従者と同じだけ渡すように適当に言っておけばいいか。

 ツアーはふぅー…と息を吐き出した。

「まぁ……蜃気楼の…!」

 宵切姫は何か感動したような声を上げた。

「……何だい」

「い、いえ!何でもございません!静かに、静かにいたします」

 宵切姫はラクダを冷たい床に座らせてやると、そのすぐ隣にちょこりと正座した。

 落ち着かないのか毒針を有した尾はピンと伸びていた。

 どうせ使い物にはならないだろうから、誰かに使い物にならないと言わせて早く家に帰そう。ツアーが決めると、ちょうど扉が開いた。

 竜も出入りできる大きな扉には、中くらいの生き物が出入りできる扉と、人サイズの生き物のための扉がついている。今開いたのは人サイズの生き物のための扉だ。

白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)、本日の議事録を――おや?」

 紙の束を四つの手で抱えた蛾身人(ゾーンモス)はふわふわの翼をはためかせてホールに入ってくると、宵切姫の隣にそっと降りた。

「この風変わりな獣と娘は一体…?」

「拾って来た。宵切姫と言うそうだよ。イル=グル、君に宵切姫の世話を――いや、教育を頼んでも良いかな」

 宵切姫は正座のまま手を床について深く頭を下げた。

「構いませぬが――、薬の調合ができるので?」

「薬の調合は毒の調合と解毒薬の調合ができます」

 自分にもできることがありそうだと宵切姫は胸を躍らせた。

 しかし、ツアーは宵切姫にそんなことをさせようと思っているわけではない。

「いや、イル=グル。薬の調合ではなくてね、君が辞めてしまった後に僕の従者として働けるように教育して欲しいんだよ。もちろん、無能なら追い返すからいつでも言っていい。住まいは城の上を使わせていい」

 イル=グルは一瞬訝しむような顔をしたが、何かを察したのか頷いた。

「――…引き受けましょうぞ。では、宵切姫。ぬしを無能だと思えば我はすぐにでも白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)にその旨をお伝えする。我は厳しいぞ」

「覚悟の上でございます。イル=グル様、どうぞよろしくお願いいたします」

 宵切姫はもう一度床で頭を下げた。

「うむ。では少し待て」

 イル=グルは四枚の羽を広げるとツアーの元へ飛んだ。

「本日の議事録はこちらに置いて行きますゆえ、お目通しを」

「助かるよ。いつも悪いね」

「いえ。お立ち会いいただいた裁判で、すぐに引き取ると言っていただいたご恩がありますゆえ」

「まぁ、ケル=オラ事件は君は何も悪くなかったからね。裁判官も隊を率いていたからと言って君に刑罰を下すのは心苦しそうだった。それに、僕はたまたま裁判に立ち会っていたから咄嗟に保護観察官を名乗り出てしまっただけだからね。……あれからもう一年。君の保護観察も残すところ二年だ。それで、保護観察が終わってここを出たらどうするんだい」

「……恐れながら、ここで学ばせて頂いたことを糧に評議員に立候補しようかと思っております」

「そうかい。それはリシ=ニアも喜ぶ。大したことは学べないだろうけど、頑張ってくれ」

 イル=グルは床に四本の手を付いてぺたりと頭を下げ、再び飛び上がった。

「では、そちらの者を連れて失礼いたしまする」

「うん、お疲れ様」

 扉の前に降り立ったイル=グルは「こちらだ、こちらだ」と宵切姫に声を掛け、宵切姫は急いでラクダを引いて立ち上がった。

「ヴァイシオン様、宵切姫は一度おそばを離させていただきます」

「……分かったから早く行きな」

「はい!」

 ラクダは石の床を歩きにくそうにし、小走りの宵切姫の後を追った。

 二人と一頭が扉を潜って出ていくと、ツアーは一度うんと伸びた。

「フラミーの前だからと言って、慈悲深いふりをしすぎたかな」

 正直宵切姫などいらなかった。文字の読み書きもできない小娘など、それも、生贄の姫など、全く欲しくもない。この場所で働くのは、ともすれば評議員になることすら出来るほどの才人ばかり。従者とは言うが、彼らは時にツアーの仕事を代行することもできる。ここを出られなかったツアーの代わりにツアーも出席しなければいけない評議会に出席し、それの報告と議会とのやり取りなどを行なっていたほどだ。

 イル=グルはまだ新しいメンバーだが、その能力の高さは折り紙付きだ。たった三年で出て行ってしまうのが惜しいほど。

 そんなイル=グルの代わりになるほど、宵切姫は成長できないだろう。それに、あと五十年しか生きない生き物では、働けるのは後三十年ほど。はっきり言って、立足兎(パットラパン)を雇うようなものだ。差別するわけでは無いが、知能の伸びがあまり良く無いため、立足兎(パットラパン)はこの竜王の城でわざわざ働かせるような生き物では無い。

 ――それでも宵切姫を引き取ろうと思ったのは、フラミーに慈悲深くいろと願う一方で、自分が慈悲深く過ごすことを億劫に感じていてはいけないような気がしたのだ。

「はぁ…やれやれ……。調停者も楽じゃない」

 だが、あのイル=グルの様子から言って、無能の烙印を押して早いところ帰したいというツアーの意思は伝わっただろう。

 夜行性の生き物だと言うことも伝えなかったので、イル=グルは昼行性の生き物と接するようにバリバリ仕事を任せ、そして行き詰まる宵切姫に告げるのだ。

 ――ぬしは無能であるな…。我はご報告に参ろうぞ。

 と。

 これで一件落着だ。

 フラミーの前で慈悲深い姿も見せたし十分なはず。

 ツアーは大きなあくびをすると、今回の旅を思い出しながら眠りについた。

 この体で外に出る事はあまりないが、外の世界は飽きるほどに見て来た。

 だが、ナインズと夜空を見上げたり、アルメリアに引っ付かれたり、アインズが「父ちゃんはな」とツアーに向かって間違えて言ってしまったり、フラミーが鎧についている毛を優しくブラッシングしてくれたり、お礼に羽についた砂を落としてやったり――。そう言う触れ合いは、十三英雄として旅をしていた時以来、彼らが初めてだ。

 三日間、楽しい旅だった。

 紫黒聖典と天空城のエヌピーシー達は少し鬱陶しかったが、次の旅はどこへ行くのだろう。

 ツアーはアインズとフラミーが出かけるたびにこの世界をより深く愛していくことを感じた。

 美しいだろうと言って聞かせてくる言葉に嘘はなく、心から何でもない風景に感動しているのだ。

(――美しい世界を守りたい、か)

 出かけるたびに彼らと向き合えていく事を感じた。

 彼らの真実の心根を信じて良かった。

 

 とは言え、本当に良かったのかはまだまだ分からないが。

 

 竜王はよく眠る。猫のようによく眠る。

 無駄に起きていては、体が大きい彼らはたくさんのエネルギーを使い、すぐに腹が減る。

 夢を見るカロリーは大したことはない。

 

+

 

 廊下を行く二人と一頭。

「ぬし、字も読めず、計算も多くはできず、何ができるのだ?」

 イル=グルの黄色い瞳にじっと見つめられる。宵切姫は胸を張った。

「掃除、洗濯、炊事は全て出来ます。身の周りのお世話でしたら、誰にも負けません」

「掃除は多少役に立つかも知れぬが……基本的にそのような事は白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)は求めてはいまい。竜王は自らのテリトリーにあまり深く他者を置く事を好かぬ」

「で、では……」

「ぬしは何もできはすまい。まずは一週間読み書きを教えるが、それも仕事の傍らでしかできぬ事を知るが良い。きっとぬしは帰りたいと言うであろう」

 竜王の城の一室。パタリと扉を閉じながらイル=グルは言った。

「やります…。やってみせます…!」

「そうか。その獣の世話も自分でする事になる。恐らく象魚(ポワブド)の餌も食べぬだろう。獣の食事を取りに行くところからやらねばならぬぞ?ぬしの時間は本当に少ない。嫌になればいつでも言うがよい。見たところぬしはやる気だけはあるようだが」

「はい!命を捧げる覚悟で参りました。必ずやイル=グル様とヴァイシオン様に認めていただけるよう立派に成長してみせます!」

「……うむ。では、ここがぬしの部屋ぞ。荷物はここに置き、まずは象魚(ポワブド)の魚舎にその獣を置きに行こうぞ」

 宵切姫は急いでラクダの背から荷物を引っ張り下ろした。ラクダの背には逆三角形型に山のように荷物が載っていた。

 ラクダの限界積載量は七百キロなので、見えているほど大変ではなく、ラクダからすれば容易い事だ。彼らは軽トラックすら背負って歩ける。

 葛籠は八個、布団や布、小さな折りたたみ式のちゃぶ台、何枚ものお盆、すりこぎが三本、壺がいくつか、水袋が六、何か種子でも入っていそうな革袋が四、干し草、サボテン、それから空の鳥籠。

 荷物を下ろすだけでも細い腕には大変な作業だ。

 だが、イル=グルは手伝ってやらなかった。

 宵切姫は額に汗を浮かべ、やっとの思いで荷物を下ろした。

「――む?それは?」

 そう言ってイル=グルが指さしたのは、大きな壺だった。

「は、こ、こちらは――」ゼェゼェと息を吐き、汗を拭うと宵切姫は続けた。「こ、こちらは、私の血と……砂漠の恵みを……はぁ……ふぅ……入れた酒でございます。ヴァイシオン様へ捧げるものですので、次の御目通りの際に――お、お運びいたします」

 壺には丁寧に蓋をしてあり、イル=グルは壺の封印をそっと解いた。

「この匂い。――ぬしの血は薬か?」

「――ふぅ…。はい。蠍人(パ・ピグ・サグ)の毒尾にかかれば、蠍人(パ・ピグ・サグ)の生き血が解毒薬となります。私達の血は私達を毒から守ります。この酒は更に大司教様が魔法の効果を与えた奇跡の酒なのです」

「興味深いものぞ…。これは一杯もらえぬかな」

 宵切姫はこの先達に気に入られたかった。

 しかし、首を振る。

「申し訳ありません…。ヴァイシオン様のためのものですので……」

「ふぅむ。竜王の物を横から取ろうと言うのはよくないな。諦めよう。さて、では行こう」

「はい!!」

 宵切姫は干し草とサボテンをラクダに載せなおした。

 薄暗い廊下を行き、外に出る。時は正午。キラリと光る太陽が宵切姫を見下ろした。

 太陽を見るとどっと眠くなる。しかし、気温があまり高くないため眠りのスイッチが入る事はなかった。

「…ここは涼しいところですね」

「もう秋だからな。山の頂きには深い雪も積もっておる」

「ゆき……?」

「なんぞ?ぬしは雪も知らぬのか」

「も、申し訳ありません…。雹は稀に見ましたが……」

「良い、良い。もし一週間ぬしが耐えられれば、雪を見に山へ連れて行ってやろう」

「ありがとうございます!」

 宵切姫は絶対に雪を見られると信じた顔で笑った。

「……む」

 イル=グルの中にちくりと罪悪感が刺さる。

 嫌な役回りを頼まれたものだ。しかし、使い物にならなければ仕事を失うと言うのはどこでも同じ。イル=グルは心を落ち着けた。

 竜王の城はごく一部の者にのみ明かされ、全く分かりにくい所にある。

 城を出た宵切姫は、城を振り返り微笑んだ。

 岩山に隠れるように存在するその城は、透光竜(クリアライトドラゴン)の本殿と似ているように感じたから。これが本当の社なのだと思うと幸せな気持ちになる。

 岩で出来ている階段は、人工と自然の間のような見た目だ。

 階段を降り切ると、大きな魚が巨大な洞窟のように窪んでいる場所に身を横たえていた。総勢四頭だ。魚は象のような足が生え、象の半分くらいの長さの鼻をしている。ちなみにスルターン小国には象がいる。

 洞窟の前には広い川が横たわっていて、宵切姫が初めて見るような大きな川だった。

「――おや?イル=グル殿」

 そう言って洞窟から顔を出したのは三人の海蜥蜴人(シーリザードマン)だ。

 太顎砂蜥蜴人(サンドリザードマン)を食べる宵切姫は家畜小屋かなと思った。

「皆、どうも。ここに新しい獣を置いてもよろしいかな」

「構いませんが、肉食は困りますよ」

「宵切姫、その獣は肉食ではあるまいな?」

「は、はい!これはラクダと申しまして、草やサボテンしか食べない優しき子です!家畜や使役動物に危害を加えるような真似はいたしません!」

「それでしたら、どうぞ。白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)の新たな従者ですか?」

 宵切姫が頷こうとすると、イル=グルがそれを止めた。

「まだ見習いぞ。来週まで耐えられるかわからぬ」

「おやおや、イル=グル殿は手厳しい」

 海蜥蜴人(シーリザードマン)達は軽く笑い、宵切姫は急いで空いてそうな場所にラクダを連れて行った。その背から干し草とサボテンを入れてある革袋を下ろしてサボテンを二つと干し草を少し取り出す。

「カタレィオ、ここで大人しくしているのよ。私は行くけれど、お利口にしていられるわね?」

 ウワァァァァァ…と鳴き声を上げ、ラクダは床に座り、もそもそと食事を取った。針の生えたサボテンを食べる口が痛そうだった。

「このラクダの名前はカタレィオと言うので?」

「えぇ。そうなのです。姫の船という意味の名です。日に一度世話に来ますので、よろしくお願いいたします」

「水やりくらいでしたら、お任せください」

「いえ、ラクダは水も食事もその気になれば一週間取らなくても大丈夫なので、私がもし来られなくともあまりお気遣いなく。私は全て自分でできますので」

 海蜥蜴人(シーリザードマン)達はへぇ〜…と初めて見るラクダを見上げた。

「……ところで、皆様はヴァイシオン様に食べていただけるのですか?」

 正直言って羨ましかった。もちろん、身を粉にして働くことも喜びを感じるが、最後は竜王に食べられ、その身の一部となりたかった。

「……食べ?え?」海蜥蜴人(シーリザードマン)達は目を見合わせた。

「宵切姫、何を言っておるのだ?白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)はそのような真似はせぬ。白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)の冒涜はよせ」

「――冒…?は!失礼いたしました!!」

 考えてみれば宵切姫と同じ物を口にする事はないのだ。それは確かに冒涜的な考えだ。

「さぁ、次の場所へ行くぞぇ」

「はい!」

 イル=グルに言われると、宵切姫は急いでその後を追った。

 残されたカタレィオは、初めて見る生き物達の中でじっと座り、長いまつ毛を伏せた。

 海蜥蜴人(シーリザードマン)は大人しい良い子だと、不要とは言われたが水をやった。象魚(ポワブド)の糞を川へ掻き出すために川から汲んできた水だが、まだ清潔だ。川の水は象魚(ポワブド)海蜥蜴人(シーリザードマン)も飲むため大丈夫だろう。

「カタレィオ、ここの仲間を紹介しよう。俺はジュラ・ゾゾ。こっちはチレザー・ゲゲ。それから、シャダーン・シュシュだ」

 海蜥蜴人(シーリザードマン)達は交互にカタレィオを撫でてやった。

 象魚(ポワブド)もその巨体でカタレィオの側に座り直す。

象魚(ポワブド)はあっちからシープイ、プンプン、ポリチャ、パーファだ。皆いい子だ。プンプンは光神陛下をお乗せしてここまで来たことがある。この中の大将だ」

 カタレィオは言われている意味が分かっているのか分かっていないのか、そっとプンプンの巨大な足に顎を乗せた。

「ふふ。愛らしい生き物じゃないか」

「本当だな。さて、ジュラ、シャダーン。輿(ハウダー)の掃除をしよう」

「やるかぁ」

 三人は象魚(ポワブド)の背に付ける輿(ハウダー)を持ち、川まで洗いに行った。

 とても重いので三人掛りで一つづつ運ぶ。

 海蜥蜴人(シーリザードマン)がいなくなった洞窟の中で、カタレィオはプンプンを見上げた。

 プンプンは半端に長い鼻でそっとカタレィオを撫でた。

 大きな耳のように見える鰭を軽くばたつかせて虫を払う。

 

 動物達の中でどんな話が行われ、何を通じ合ったのかは分からないが、彼らは友達になった。




宵切姫ちゃん、頑張れるのかな……?
ちなみに魚象さんの見た目がよくわからなかった方はエレファントノーズフィッシュをぐぐるとわかるかも知れません!そいつに足が生えてるんや…!

次回#142 宵切姫
11/1に上げちゃうぞ!!姫ちゃぁん!!

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