Lesson#1 入学式と上位森妖精
スレイン州神都。
今尚続く神話の時代を象徴する都市。
街は目覚め、人々が行き交い始めた頃。
「たくさん友達が出来るといいな」
「お母さん達は今日この顔で行くからね」
現存する神々は誰よりも優しい顔をして笑った。
「はい!お母さま、お父さま!」
茶色い革のスクールバッグを背負い、ナインズが頷く。
フラミーはナインズの髪と瞳、顔に入る亀裂のような線に幻術をかけた。
銀色に輝いていた髪と金色の瞳は黒く、目の下の線は消えた。
「――ナイ君、お名前はなんて言うんだっけ?」
「キュータ・スズキです!」
それは、特別な一人としてではなく、ありふれた一人として学校に通う事を勧めたアインズ達からの願いの名前だ。
「よく言えました。いっくんも良いかな」
フラミーが言うと、側で花子と共に控えていた一郎太が頷く。
「はい!ナイ様のことはキュー様とお呼びします!」
「ありがとうね。でも、九太って呼び捨ててもいいんだよ」
「き、キュータ…」
ナインズは嬉しそうに笑った。
「一太とキュータだね!」
「は、はい!」
二人が手を繋ぐと、アインズが「さあ」と声を上げた。
「行こう。入学式の日に遅刻してはいけない」
「はぁーい!」
一行が出たのは大神殿の一室。
その部屋にはナザリックへ続く転位の鏡が置かれ、今日の日のために作られた百レベルの
部屋を出ると、たくさんの神官達が五人を迎えた。
「神王陛下、光神陛下。ナインズ殿下の
「わざわざ見送りはせんでも良いと言っているのに。だが、ありがとう。これから毎日ここからナインズは出掛けていく。暮らすわけではないが、毎日通れば何かと迷惑もかけるかもしれないが、よろしく頼む」
「は」
神官達は深々と頭を下げ、ナインズは神官達に手を振った。
「いってきまぁす」
「いってらっしゃいませ、殿下」
神殿を抜け、転移三年目に完成した大聖堂を抜けていく。
ナインズに与えられた一室は一般の者が立ち入らない区画にある。
大神殿は簡単に言えば五区画に分かれている。
一つ目は所謂お役所仕事を行う場所で、スルシャーナのギルドホームの崩壊時に残った古い大神殿。
二つ目は三年掛けて新設された、礼拝に使われる大聖堂。
三つ目は神官達が寝泊まりをする場所。
四つ目は儀式を行うための広いプールがある中庭が三つ。
最後に宝物殿や書庫と言った神殿業務に必要な物が揃っている場所だ。
宝物殿にはスルシャーナ達のギルドに置かれていたであろう宝もあり、神聖魔導国内に散見される他の神殿とは一線を画した場所だ。ナザリックにとってめぼしい物はなかったが、エリュエンティウの宝物殿と同じようにたまにパンドラズ・アクターが整理に訪れている。中でもお気に入りはクレマンティーヌが昔闇の巫女から奪い取った叡者の額冠。ユグドラシルではあり得ない、再現不可能なアイテムだ。
ちなみに書庫は二つあり、神官や許された一部の者しか立ち入れないものと、一般開放されている聖書などが置かれているものがある。
ナインズの部屋は神官達用の書庫の横にある大階段を上がった先だ。階段が折り返す場所には美しいステンドグラスがはめられ、まだ三対しかない翼を広げるフラミーが描かれている。ちなみに、このステンドグラスは一般の者は中庭からしか見ることができない。
一行は朝の掃除を行う神官達に頭を下げられ、大聖堂を出た。
ナインズの胸の中は期待でいっぱいだ。
今日から小学生。六歳だ。
「一太、道をちゃんと覚えて行こうね!」
「はい!」
一郎太はナインズよりも余程外に慣れていない。二人はキョロキョロと神都を見渡しながら進んだ。
大神殿へ続く大通りにはたくさんの路面店がある。
良い匂いを漂わせるパン屋さん、セイレーン達が服のディスプレイを進める服屋さん、色とりどりの傘が開かれた傘屋さん、ポーションの釜にもう火を入れて煙突から煙を吐き出す薬師の家、新鮮な果物が並ぶ朝市。全てを挙げればきりがない。
パン屋を曲がり、テラス席のある小さなカフェがある二つ目の角をもう一度曲がる。
「神都は少し都会すぎたかな」
アインズが言うと、フラミーは確かにと笑った。
「エ・ランテルの方がもう少し落ち着いてたかもしれませんね」
「セバスもいましたしね。まぁ、神官達の神都にしてほしいって気持ちもわかるんですけど」
「あんまり側にNPCがいすぎないほうがきっと良いですよ。セバスさんはあんまりやらないタイプでしょうけど、お友達と遊んでて不敬だーってなったら台無しですもん」
「ふむ…それはそうですね」
ぽちぽちと歩いていると、徐々に周りには人が増え始めた。
入学式は親と登校するため、小学校の周りは多くの人出だ。
ナインズと一郎太は初めて見るたくさんの近しい年齢の子供達を前に瞳を輝かせた。
「お、お父さま!こんなに子供がたくさん!!」
神都は依然として人間種が多い都市だが、ビーストマンやセイレーン、
「あぁ、たくさんいるな。皆と友達になるんだぞ」
「なります!」
アインズはナインズの頭をくしゃっと撫でてやった。
「校門で写真を撮ってから就学通知書を提出しに行こう」
「お写真!」
カメラは世間に出回っていないので、校門にわざわざ立ち止まる人はいない。
ナインズは一郎太と校門の前に立った。
アインズは写真を撮ると、なんか父親っぽい気がすると思った。
フラミーとナインズの写真、アインズとナインズの写真、ナインズと一郎太の写真、そして、花子と一郎太の写真。この写真は後でちゃんと一郎にあげなければ。
何となく感慨深い気持ちになる。
(…こんな風にして貰えた事なかったからなぁ)
鈴木悟の母は忙しい人だった。あの世界と繋がっているとは思えない空を見上げ、母を思い出した。
フラミーも同じことを考えているようだった。
「行こう!お父さま!皆行ってるよ!」
「――ん、そうだな」
一行は入学受付へ向かい、キュータ・スズキと一郎太の就学通知書を出した。多くの種族がいるため、苗字を持たない者も何人もいる。
ナインズと一郎太は六年生から胸に名札の付いたカーネーションを止めてもらった。
「――スズキくん、一郎太くん。僕達が教室まで一緒に行ってあげるからね」
「あ、ありがとうございます」
「ありがとうございます!!」
二人にとってこれだけ年上の子供は
彼らは三年後の小学校卒業と共に、再びナザリックで訓練を受けることになるだろう。レベルアップの比較対象にするために。
「じゃあ、私達は先に席に行って見てるからな」
「一緒に行かないの?」
「ここから入れるのは生徒だけだ。さぁ、行きなさい。一郎太、頼んだぞ」
「はい!」
二人は一度振り返り、親達に手を振って子供達の流れの中に消えた。
「――俺たちも行きましょう。保護者席は順次埋まって行くそうですから」
「通路に近いところに座れると良いですね!入ってくるときにナイ君達が見られるようなところ!」
花子を連れ保護者入り口に向かった。
真っ白な廊下には、天井にまで細緻な彫刻がなされていた。何かを象っているわけでは無い、幾何学模様だ。いくつもステンドグラスがはめられ、太陽に照らされて白い床に模様を落とす。
ナインズはすごいところだと、純粋に廊下の様子に目を見張っていた。
一方一郎太はナインズを何と呼ぼうか悩んでいた。
キュータ様、キュータ、キュー様。
呼び捨てでいいと言われたが、ナイ様と呼び続けてきたのでなんとなく今更呼び捨てにするのは憚られた。
「――キュー様?」
「なぁに?一太」
いつもとは違う黒い髪がさらりと揺れる。綺麗なおかっぱからはいつものピアスが見え隠れしていた。そして、腕には決して外してはいけないと言う封印の腕輪。
ナインズと一郎太はそれが何を封印する物なのかまではよく知らない。
「オレ達クラスは一緒みたいですけど、席が離れちゃうかもしれません」
「僕は大丈夫だよ!一太は不安?」
「大丈夫です!」
二人をクラスに届けると上級生達は去っていった。
教室に入ると、教師が到着した生徒達に席の場所を教えていた。
「君達入っておいで。お名前は?」
「オレは一郎太です。こちらはキュータ・スズキ様」
「一郎太君とスズキ君、お友達なんだね。一郎太君はそこの席、スズキ君はそっちの席に座ってね」
一郎太は教卓の目の前から三番目、ちょうど真ん中だ。一方ナインズは窓際の前から二番目。
「ナ――キュー様、何かあったらいつでもオレの事呼んでね」
「はは、一太も何かあったらいつでも僕に言ってね」
二人の主従的な関係に特別疑問を持つ者も少ない。
人の口に戸は立てられないもので、どこで漏れたのか神都の学校にナインズ・ウール・ゴウンが通うと言う噂は国中に広がっていた。思い当たる情報源は大神殿に勤める神官達か、フラミーのお茶会に参加していたママ友か。
是非一緒に学ばせたいと、ここ二年程は就学通知書が届いた金のある家は子供を近くの寮に入れ、わざわざ神都の学校に通わせた。
そんな芸当ができるのは近隣で市長や区長を仰せつかっている者たちや、かつて貴族だった者たち、大商人などの羽振りのいい者達ばかり。神都に元から暮らしていたような者たちも大概はいわゆるエリート。
今日の入学式に立ち会うのが執事だったり、従者として長年仕えていた家の子供が一緒に通ってくれたり、そんなことはごくありふれた事だ。
ナインズが自分の席に着こうとすると、隣にはもう女の子が座っていた。
机は二人掛けの長机で、背の高さが近しい者同士でペアを組んで座らされているようだった。
というのも、中には四足歩行の者や、もうどう見ても大人にしか見えないような
前から後ろに行くに連れて机の高さが上がるように配置されている。
ナインズの前には、イタチがちょこりと椅子に座っている。そのお隣は二足歩行のオオサンショウウオだ。言葉を話せれば異形種だって国民なので当たり前だ。ナインズはナザリックで異形に囲まれているので、それほどは驚かなかった。
「こんにちは。僕、隣の席になったナ――キュータ・スズキ」
隣の女の子は太陽の光を集めたような金色の髪をしていて、前髪は真っ直ぐパッツンに切られている。
女の子は椅子を引いて、ナインズが後ろを通れるようにした。
「初めまして!私はオリビア・ジェリド・フィツカラルド。神都の生まれです」
スレイン州の者の名前は大抵三つ並びだ。
「フィツカラルドさん。よろしくね。僕は――ちょっと遠いところ」
「お名前が珍しいからそうかと思いました。黒い髪だし、ディ・グォルス州から?女の子かと思うくらい綺麗なお顔ですね」
「そうかな…。フィツカラルドさんの方がよっぽど綺麗だよ」ナインズの口からは滑らかに称賛が溢れ出た。
アインズはいつもフラミーとアルメリアを可愛い綺麗と言っているし、ナインズも同じように母と妹を毎日可愛い綺麗と言っている。
「あ…えへへ。ありがとうございます。ここは砂漠と違って涼しいでしょう?」
「あ、僕はディ・グォルスの生まれってわけじゃないんだ」
「そうなんですか?残念。色々な人がいると父と母がよく言っていたので、たくさん調べてきたんですけど。黒髪黒目といえば南方でしょう」
「へぇ、フィツカラルドさんは勉強家なんだね」
「ふふ。そうでもないですよ!でも、生まれを決めつけちゃいけないとも言われているので、ちょっと失敗です。すみませんでした」
「気にしてないよ。知ろうとしてくれてありがとう」
ナインズはアルメリアを除くと、たまにナザリックに遊びに来るラナーの娘のクラリスと、コキュートスとセバスに鍛えられているクリス・チャンしか女の子は話したことはない。内心は緊張していたが、オリビアは嬉しそうに笑った。
席に着くと、ナインズはオリビアを避けるように一郎太の様子を見た。
一郎太はまだ隣の席に誰も来ていない。ナインズと目が合うと手を振ってくれた。
「あ、はは」
手を振りかえしていると、周りがざわめいた。
何だろうかと、皆の視線の向こうを確認すると――美しい銀髪の少年がいた。髪の長さは肩に触れるくらいはあり、真っ直ぐで、額を出していてとても美しかった。瞳も薄いグレー。肌はどこまでも白く、わずかに尖った耳をしている。
「――エルミナス・シャルパンティエ君。君はあそこね」
示された先は一郎太の隣。背の順で決められる席は男女のペアになるとは限らない。
「――ミノタウロスかぁ。初めてみたなぁ」
その物言いはとても大人びているように感じた。
「よろしく、オレ一郎太」
「よろしく。私はエルミナス・シャルパンティエ。優しそうな子が隣で良かったよ」
「オレも!」
クラス中がエルミナスを見ていた。
まさかあれが――?
そう言う空気だった。
ただ、ナインズと一郎太は良い友達になれそうくらいの感想だったが。
「あのお方、そうなんですかね」
オリビアに言われた意味が分からず、ナインズは首を傾げた。
「そうって?」
「ほら、あの噂です。神都の学校に――」と、オリビアが説明しようとすると、担任が手を叩いた。
「皆、これで同じクラスの仲間が全員揃ったよ。さて、このクラスは僕、ジョルジオ・バイス・レッドウッドが担任します。今年も色々な種族の皆が集まった。体の大きさも生まれも違う。姿形が違うことは、一瞬抵抗を覚えることかもしれないけれど、全ての生き物は神王陛下と光神陛下の下に平等だとよく覚えておいてほしい。一つのクラスとして、皆で仲良くすごしましょう。――あ、先生のことはバイス先生と呼んでね」
担任の挨拶が終わり、ナインズが拍手をすると、周りからもちらほら拍手が漏れた。
「はは、ありがとう。さぁ、講堂に行きましょう。鞄は名前の書かれているロッカーに入れてね。前に座っている子から順番にロッカーに寄って、廊下に出て列を作ってください」
「「「「はぁーい」」」」
子供達が声を上げる。一番体高の小さいイタチとオオサンショウウオを先頭に皆廊下へ向かった。
「私、にょろにょろはだめなんです…。怖いよ……」
オリビアが言うと、ナインズはオリビアに手を出した。
「大丈夫。姿が違っても怖くないよ。僕には
「……スズキ君、ありがとう」
二人は手を繋いで進みだした。すると、後ろからナインズの肩が叩かれた。振り返れば女の子が二人手を繋いでいた。
一人は髪を高い位置で二つに結んだ赤と金の間のような色のツインテールで、一人はナインズよりも短い茶髪だ。まるで男の子のようだった。
「オリビアのお隣の子、わたくしはレオネ・チェロ・ローランですわ。わたくし達、お家が近くて私立の幼児塾に一緒に通っていたのよ」
「あたしはイシュー・ドニーニ・ベルナール。オリビアの隣にいたの気が付いたか?」
「あ、ローランさん、ベルナールさん。気付いてなかった。ごめんね。僕はキュータ・スズキ。よろしくね」
「「よろしくぅ」」
列は一階で降りたところで止まり、担任が声を上げる。
「皆、ここからは講堂に入るから、静かにね。入ったら、僕の言うように席に着くように」
注意事項が終わり、少しざわめいていた子供達が静かになってから担任は再び進んだ。
講堂に入ると、ナインズは両親を探してキョロキョロとあたりを見渡した。
前方にある椅子は先に講堂に入った隣のAクラスの一年生が座り始めており、手前にはずらりと保護者達が座っている。ちなみにナインズのクラスはBだ。
「あ、お母さま」
手を振るフラミーにナインズは小さく手を上げて答えた。
隣のオリビアの親も近くにいたのか、同じ方向に手を振る。
「スズキ君のお母さま、とっても綺麗なのね」
「うん。お母さまはとっても素敵なんだ。お父さまがいつも言ってる」
「仲良しなのね。私のお父さまとお母さまもとっても仲良しなの。今度よかったら遊びに来てね」
「良いの?嬉しいなぁ。僕ね、学校中の皆と友達になりたいんだ」
「私もたくさんお友達作りたい!」
「フィツカラルドさんはもう二人友達がいるから良いね」
「スズキ君もミノタウロスのお友達がいるでしょ?教室に入ってきた時ちょっぴりびっくりしちゃった」
「ふふ、一郎太は友達っていうか兄弟みたいかも」
ナインズは楽しそうに笑った。前の人に続き、奥から椅子に掛ける。
「――キュー様、キュー様」
後ろからの小声にナインズはすぐに振り返った。
「一太、僕の後ろだったの」
「へへ。ここの席は近かったですね」
一郎太がピースサインを作ると、隣に座っているエルミナスがナインズへ手を伸ばした。
「キュータ・スズキ君、私はエルミナス・シャルパンティエ。一郎太の隣なんだ。よろしくね」
「シャルパンティエ君、よろしく。僕のことはキュータで良いよ」
「じゃあ、キュータ。私もエルで良いよ」
「エル。仲良くしてね」
「こちらこそ」
ナインズは後へ体を捻り、握手を交わした。
オリビアとレオネ、イシューも手を伸ばす。
「私はオリビア・ジェリド・フィツカラルドと申します。どうぞお見知り置きを。フィツカラルド家は書店をやっておりまして、聖書の販売などをしております。気兼ねなくオリビアとお呼びください」
「わたくしの名前はレオネ・チェロ・ローランですわ。代々神官を勤めている家系で、神都の生まれですの。私のこともレオネとお呼びくださいまし」
「あたしはイシュー・ドニーニ・ベルナール。イシューで結構です。祖父は大聖堂の建築に携わったと聞いております。どうぞよろしくお願いします」
驚くほどに丁寧だった。
ナインズは訳がわからなくなりそうだったが、デミウルゴスに「自分に言われていることでなくても、人の話したことは覚えておいた方が良い。どんな時に役に立つかわからない」と教えられているのできちんと覚えておこうと数度頭の中で復唱した。
(フィツカラルドさんは本屋さん、ローランさんの家は神官、ベルナールさんのおじいさんは建築家。――ん?神官ってことは、ローランさんのお父さんは朝大神殿にいたのかなぁ)
分からなかった。正直神官の顔と名前は覚えきれていない。役職付きの神官も怪しい。誕生日や何かの行事の際に年に数度しか会わなかったのだ。
「オリビア、レオネ、イシュー。よろしく。私のことはエルと呼んでね」
「はい、エル様!」
三人娘はきゃいきゃい喜び握手を交わした。
「キュー様、陛――お父上とお母上に気付きました?」
「あ、うん。手ぇ振ってた。花子もいたね」
「はい!母者の方がオレより緊張してそうだった」
「僕のお父さまも」
二人は顔を寄せ合いくすくす笑った。
すると、エルミナスが口を開いた。
「――一郎太はキュータのお付きなのかな?」
「ん?あぁ。生まれた時からね」
「そうかい。ミノタウロスがいるのは確かバハルス州の方だって言うし、二人はそっちの方から?」
「んー。昔はそうだったって父者が言ってた。でも、今は違うところに住んでる。
「僕もバハルス州じゃないよ」
「へぇ。きっと良いところの子達なんだろうね」
「エルも良いところの子なんだろ?男なのに自分のこと私って言ってるもんね」
一郎太が言うと、エルは少し困ったように眉をハの字に寄せた。
「はは、どうだろうね」
楽しい会話は先生の登壇とともに終わりを告げた。
――皆様ご静粛に。
入学式は開式の挨拶とともに始まった。
『本年度も多くの子供達が神都第一小学校に入学しました。本校は他校と違い、遠方から親元を離れて通う子供達も多くおり、学生寮も持ちます。大神殿と魔導学院に程近い立地を持つ、神聖魔導国初めての由緒ある小学校で学びたいと思う事は実に自然なことでしょう。開校当初、ここでは実際に神の生み出したユリ・アルファ先生とソリュシャン・イプシロン先生が教鞭を取られていた程です。神聖魔導国の未来を担う多くの子供達がこの神都第一小学校で勉学に励みます。そして――」
難しい話だ。飽きてきている子供達もいたが、ナインズはじっと話に耳を傾けた。
まだ若干六歳だが、知恵者達は手を抜くことなく、数えきれない言葉を彼に教えた。ナザリックの外の小学校なんかに通わせなくても良いと支配者達が思ってくれるように必死で教えた。ナインズも勉強の時間を自らの義務であると自覚してよく聞いた。
ナインズは大人の話を聞くことにかなり慣れていた。
だが、話を聞いていたナインズに変調が訪れる。
『――最後に、今皆様が一番気になることは、神々の子であるナインズ殿下がこの中にいらっしゃるかと言うことだと思います。私達教員は陛下方と殿下のご意志を尊重したいと思っていることに加え、どの生徒がナインズ殿下であるとは存じ上げません。殿下がどなたなのか教員に尋ねられてもわからないと、保護者の皆様にはこの場をもって先にお伝えいたします。生徒の皆さんも、例えこの人が殿下ではないかと思ったとしても、それを問い詰めるような真似はしないように』
ナインズは何故自分がいるかどうか知りたいのだろうと思った。
ちゃんと良い子なのか知りたいのだろうか。
そう思うと、途端に自分が点数を付けられる立場にいるような気がして心が小さく萎むようだった。
一郎太が隣にいれば手を握って欲しかった。
ナインズが俯くと、ナインズの座っている椅子の足がコンコンと蹴られた。
ちらりと振り返ると一郎太が頷いた。ナインズの様子に一郎太は敏感だ。
ナインズは一郎太が一緒に来てくれていて良かったと微笑んだ。
校長の話が終わり、国歌斉唱と言われて全員が立ち上がる。
だが、ナインズと一郎太は国歌を少しも知らなかった。歌っているフリをして過ごした。ナインズにとって、それが生まれてはじめて何かを誤魔化した瞬間だった。
何とか歌も終わると、変わる変わる人が挨拶をしていき、担任が誰だとか、親の会の会長が誰だとかを一気に紹介された。
『続いて、ご来賓をご紹介いたします。本年は大神殿より最高神官長様がいらしております』
最高神官長は今朝会った。ナインズは少し背を正して話を聞いた。
『本日、最高神官長として、陛下方よりお言葉を賜って参りました。陛下方はお友達を大切に、自分の周りの仲間を全員尊い存在だと思って過ごすようにと仰いました。どなたがナインズ殿下だとしても、礼儀正しく全ての仲間に関われば、何の問題もないのです。たくさんのお友達を作って、たくさん学んで、未来の神聖魔導国を支えてほしいと、皆さんの成長を楽しみにしていらっしゃいます。さて――」
これまた長い挨拶だった。途中、何度か最高神官長はナインズと目があった。
ようやく最高神官長の話も終わると、在学生が校歌を歌い、一年生は見送られた。
入ってきた時よりもナインズは胸を張って講堂を後にした。
「長かったなー。オレ寝ちゃうかと思った」
各々のクラスに戻りながら、一郎太が言う。
「はは。大人はたくさん話すんだね」
「本当に。あ、でも陛下のお言葉は短くって分かりやすかったですよ!」
二人の横にエルも追いついてくると、女子三人も追いついてきた。いや、他にもたくさん人がエルについてきているようだった。
「陛下は私達子供のレベルに合わせてくださっていたね」
エルが言うと、レオネが横から身を乗り出した。
「流石陛下でしたわ!わたくし、陛下をすごく尊敬してるんですの。なんと言っても、神官の子ですもの」
「そ、そうかい。私もとても尊敬しているよ」
周りが流石だと喜ぶ様子にエルは頷いた。
教室から顔を出している担任が「トイレに行きたい子は今トイレに行きなさーい」と声をかけている。
エルの取り巻きの半分はトイレに消えていった。
「エル、人気者だなぁ」一郎太が言う。
「こんなことは生まれてはじめてだよ。何なんだろう…」
「エルの優しそうな雰囲気が皆大好きなんだって、僕は思うよ」
「はは、そうかな。キュータと一郎太は普通に接してくれるから嬉しいよ。もしかして、皆私の生まれを分かっているから………」
エルが暗い顔をしてそう言うと、残っていた取り巻きが少し浮かれたように「お生まれ!」と声を上げた。担任が見兼ねて、トイレに行かないなら早く教室に戻るように促す。
取り巻き達は小走りで教室に入っていったが、三人はゆっくり教室に向かった。
「エルはどこから来たの?」
「私はエルサリオン州の最古の森から来たんだ。昔、奴隷だった人間の母と
「エル、そんなことない。神聖魔導国に於いて全ての命は平等だよ。君はそもそも奴隷の子なんて名前じゃない。
両手を握って真っ直ぐにいうと、大人びているエルだと言うのに、少し瞳が潤んだ気がした。
「……ありがとう……。私はずっと不安だったんだ。最古の森の差別は減り始めたけど、人間は昔木を多く伐りすぎた。歳を取っている人達や子供はまだ人間に大してすごく抵抗がある……。母はなけなしの財産を払って私がここで学べるように色々なことを手配してくれたんだ」
小学校には基本的にお金はかからない。だが、最古の森から転移の鏡をくぐるには相応の料金が必要だし、もし寮に暮らせば寮の代金は大きく掛かってくる。きちんと通えるくらいの距離に小学校は一つは建っているので、わざわざ学区を出て別の小学校に通わせたいならば、相応の金がかかるのは当然のことだ。
「なのに……ここでも私が馴染めなかったら、母はなんて言うんだろうって……怖いんだ……」
「大丈夫。僕たちは差別をしない。古い人や何も分からない子がエルに色々言ったかもしれないけど、気にしちゃいけないよ。ミノタウロス王国も人間は奴隷か家畜だけど、今ミノタウロス王国にいる王様は人間との間の子供なんだよ。ねぇ、一太」
「そうそう。ミノス王って言って、面白いおっちゃんなんだよ。世界は変わっていくもんだからさ、あんまり周りの人を疑わない方がいいぜ」
「キュータ…一郎太……」
「エル、皆君が大好きなだけだからね。自分で自分の価値を減らしたらもったいないよ」
「君達は大人だね…。ありがとう。でも、僕の生まれは皆には明かさないでほしい」
「エルがそう言うなら言わないよ、約束する」
三人はようやく席についた。
ナインズは、最古の森に根深く残る人間への偏見の話はアインズにしなければいけないと、しかと心のメモに書き留めた。
生徒達がクラスに戻ってくると、親達もクラスに入ってきた。
沢山の教科書と、いくらかの教材、それから一本の杖を渡されてその日は終わった。
「九太、一郎太、ちゃんと先生の話を聞いて偉かったな。荷物が多いから持ってやろう」
教科書は全てがハードカバーで、革に型押しの装幀がなされいるこれでもかと分厚い代物だ。
アインズ達が学校という物をこの世に送り出すまで、一般庶民の家に本と言うものは一冊あれば奇跡のようなもので、どの家にも両手で開くような
そんな世界で、一年だけ使う使い捨てのような教科書は普及するはずもなく、教科書は小学校時代を過ごす六年間、ずっと使うことになる。学校を卒業する頃には表紙の皮は擦れて年紀が入った見た目になることが殆どだ。計算も魔法の基礎も、字の読み書きの方法も、これまでは貴族の子供が家庭教師に教えられるのか、専売の者達が苦労して手に入れてきた知識であり、一般の家庭の子供がおいそれと触れられる機会などなかった。
なので、貴重な知識の集約体である教科書は、卒業してもハードカバーに掛けられた革を当て直して大切に保管される。アインズや、教師を指導するユリ・アルファがそうしろと言った事はないが、今では装幀屋が学区に何軒か建っているのが普通になった。そう言った店には必ず美的感覚に優れた種族の者と、型押しする為の強い力を持つ種族の者がいる。
どの店で装幀を施すのがお洒落だとか、高級店で装幀する事がステータスだとか、憧れの先輩の古い装幀革を貰うだとか、新たな文化が生まれていくのは必定だ。皆卒業の日には自慢の一冊と、よく学んでぼろぼろになった古い装幀革を持っていくらしい。
ナインズはべらぼうに重たい手提げを一つアインズに渡し、一郎太は花子に渡した。
学生リュックに入れられている分は自分で持った。
「――じゃあ、私はあっちだから」そう言ってエルは学校の向こうを指さした。
エルの隣にいる女性は、母というにはかなり年老いていて、祖母のようだ。――いや、長命の
「エル、エルは今どこに住んでるの?」
「私は今日から寮に住むよ。よかったら今度遊びにきてね」
「寮?寮は子供しか住めないよね?」
「うん、母は一度最古の森に帰って、
「……奴隷は解放されたはずなのに一緒に暮らせないの?まだ奴隷なの?」
ナインズが尋ねると、アインズはその頭をギュッと押し込むようにした。
「っわわ、お、お父さま」
「九太!人は奴隷なんかじゃない。馬鹿者が口を弁えろ。エル君のお母さん、どうか気を悪くされないでください」
「いえ、いえ。キュータ君のお父さん、気にされないでください。――キュータ君。奴隷解放されても、進んでこれまでの主人の下で働きたいと言う人はたくさんいるのよ。見ての通り、私はおばあさんでしょう?私はきっと、エルが子供のうちに死んでしまうの。だから、エルとエルのお父様の縁が切れてしまわないように、働かせて貰っているのよ。それに、シャルパンティエ様はお賃金だってきちんと下さる。でも、エルには偏見の少ない神都で伸び伸び大きくなって欲しい。だから、離れ離れになっても、エルにとっては素敵な時間になるはずよ」
「そうなの……。エル、寂しいね」
「うん、少し…寂しい……」
エルの母親は皺々の手でエルの頭を撫でた。
「夏休みには最古の森に帰って来られるように、転移の鏡を潜れるチケットを買って送ってあげる。だから、寮の応募に通った奇跡をもっと喜ばなくっちゃ。神都は話に聞いていたより、ずっと素晴らしい場所だもの。ここなら、あなたの短い耳もきっと目立たない」
「うん。そうだね。……母上、きっとたくさん手紙を書きます」
「私もたくさん手紙を書くわ。毎日の楽しかったことを聞かせてね」
「はい」
エルと母親はそっと抱き合った。
「じゃあ、私達は行くね。キュータ、一郎太。もし良かったら、夏には私と一緒に最古の森に遊びに行こう」
「うん、絶対に行くよ。それじゃあエル、また明日。エルのお母さまもお達者で」
「キュータ君、一郎太君、本当にエルと仲良くしてくれてありがとうね。夏に会えるのを楽しみにしているわ。お父さまとお母さま方もありがとうございます。どうかエルをよろしくお願いいたします」
エルの母は嬉しそうに微笑み、フラミーもエルの母に頭を下げた。
「こちらこそ良くしていただいてありがとうございます。長い学校生活、よろしくお願いいたします。エル君も、よろしくね」
「はい。では、失礼いたします」
エルが帰ろうとすると、周りからは「エルミナス様ー!」と黄色い声が上がり、エルは本当になんなんだろうかと苦笑し手を振った。
「良い友達ができてよかったな」
アインズが言うと、ナインズは嬉しそうに頷いた。
「はい!他にも友達ができました!」
そう言っていると、少し離れたところにいるオリビア達がナインズに手を振った。
手を振りかえし、親同士が頭を下げ合う。
「女の子も友達になれたのか。お前、すごいな」
アインズが言うとナインズはへへんと胸を張った。
「当然です!」
「そうか。お前にはどうやら私にはない才能があるらしい……」
リアルでも
「ねぇ、お父さま。帰ったら僕、最古の森に行きたい」
「……エル君のお母さんに会うためにか?」
「ううん。タリアト君とお話ししたいの」
ナインズの瞳は真剣だった。
「ふむ……。良いだろう。たまには乾期でなくてもアルバイヘームに会いに行くか。さあ、帰ろう」
一行は来た道を戻り、大神殿の正面からではなく、神官達が出入りをする小さな職員通用口のような扉から入って行った。
「エルもナザリックに呼んであげられたら良いのにって思っちゃいますね、ナイ様。」
「本当だね。僕も呼んであげたい」
「…それはできんのだから、エル君が寂しくないように、学校ではたくさん仲良くしてあげなさい。寮に暮らす子は他にもたくさんいる。お前達が誰も寂しくない学校を作るんだ」
「はい!」
その後子供達は今日の学校であった事を楽しげに話し合い、
最古の森、アルバイヘームの城。
フラミーは最古の森がよく見渡せる城のテラスに出ていた。緑色の雨が最古の森全土に降り注ぐ。
「行き渡ってるかな」
「きっと行き渡っております。思わぬ恵みに森も喜んでいる事でしょう」
タリアトは自らの女神に微笑んだ。
テラスには雨宿りをするために数羽の小さな鳥達が身を寄せている。
「気持ちいいなぁ。緑の匂いがします!」
「えぇ、雨の匂いもいたします」
「あぁあ。ずっとここに居たくなっちゃいますね」
欄干に腰掛けてフラミーが言うと、タリアトも隣に腰掛けた。
「泊まって行かれたって良いんですよ。部屋なら売るほどある。夜には蛍が飛ぶし、きっと君は気に入ると思う」
「お泊まりもいつかしたいけど、でも、アルメリアがまた怒っちゃうから。ナインズが学校に通うようになったら遊んでもらえなくなるしつまんないって言ってるの」
「はは。アルメリア様らしい。ところで、フラミー様は女中に子供を見させないのですか?」
「んー、メイドの皆によく見て貰ってますけどね。でも、私の子だから。私の家族だから。私が一番側にいてあげたいんです…。なんて、そんな当たり前の願いもうまく叶えられない人が世界にはたくさんいる事を……私は知ってるのに……」
フラミーの笑顔はあまりにも息苦しく、胸が締め付けられるようなものだった。
「……君は本当に心が美しいね。殿下方はお幸せです。それに、君の下に付く全ても幸せだ。誰もが君で良かったと思っているよ」
「そうだと良いなぁ」
「そうですとも」
二人は楽しそうに笑いあった。
そうしていると、城の中からナインズが駆け出してきた。
「タリアト君!タリアト君!そろそろお話ししても良いかな!」
「殿下、そう言えば今日は殿下が私に話があるからいらしたんでしたね」
フラミーが頷く。
「そうなの。学校で
「ハーフ?どの種族とのですか?
「――人間なんです」
フラミーが告げると、タリアトは少し目を細めた。
「タリアト君、ここには差別があるよ!奴隷解放宣言をしたんだから、もう人間の差別はおしまい!」
「最古の森が神聖魔導国の下に入り、人間は木を伐る事をやめました。このエルサリオン州、私の下には最古の森だけでなくアリオディーラ市もあります。そこには人間が暮らし、私は最古の森を愛するように分け隔てなく人間と接しております。どうかご安心ください」
「……神都の学校で僕の友達に
「……難しい問題です。差別はやめろと言われてやめられるものではありません。ですが、今一度そう言う思想を捨てるように通達いたしましょう。人間を奴隷と呼んだり、人間との間の子供を蔑むような真似はやめるようにと。近頃では表立った差別はなりを潜めておりましたが、ふとした時にその意識が外に出てしまうのかもしれません。
「お父さまも時間がかかるって言ってた……」ナインズの視線は、城のガラス張りの扉越しにデミウルゴスと共に何かを話すアインズへ向けられた。「タリアト君なら、一生懸命差別をなくしてくれるよね?」
「もちろんです。今の最古の森の主はフラミー様なのですから」
ナインズはフラミーにそうなのかと視線を送る。
「ナイ君。お母さん達も努力するからね」
「はい!」
タリアトがナインズの銀髪をさらりと撫でていると、デミウルゴスが姿を現した。
「フラミー様、そろそろお時間です」
「はい!じゃあ、タリアトさん。また雨が足りなそうな時には呼んでくださいね。乾期じゃなくてもいつでも来ますから」
「ありがとうございました。また私からも伺います」
「待ってますね。ソロン君にもよろしく伝えて下さい。ナイ君も、お話聞いてもらえて良かったね」
「タリアト君、ありがとうございました」
「いえ。どうぞお気をつけて」
ナインズは一度タリアトの足下に駆け、タリアトは膝を付いた。
二人は仲のいい友人のようにそっと抱き合い、離れた。
フラミーが雨を降らせにくる時、いつもナインズは付き添い、「いつか僕がここに雨を降らせて守ってあげる」とタリアトに言っている。二人の間には信頼関係があった。
「お願いね、タリアト君」
「ご安心を」
ナインズは頷き、フラミーの手を取ると二人でデミウルゴスの下へ行った。アインズが
フラミーとナインズはもう一度タリアトへ振り返り、
タリアトはしとしとと雨が降る森へ振り返る。
「――シャグラ・ベヘリスカ。君が命を捧げて守った森を、私はよりよくして見せるよ」
ついに学園編だぁ!
ナイ君お利口さんすぎるよぅ
それで、共和国はどうなった!!
レッドウッド先生、赤木先生って感じ?
次回Lesson#2 お外嫌いと最強の女子
11日です!うおー!隔日であげるぞぉ!!