眠る前にも夢を見て   作:ジッキンゲン男爵

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Lesson#7 封印と抑制

「はーい、皆杖出してー」

 何度目かの魔法の授業。

 未だ神との接続を新たに果たした子供は一人もいない。

 だが、子供たちのやる気は減ることなく、むしろ増える勢いだ。

 皆が何としても魔法を覚えたいと意気込み、今日も短杖(ワンド)を取り出した。

「今日はいつもと少し違う角度から魔法の勉強をしようと思います!」

 バイスはそう言うと、黒板に手のひらサイズの長方形を書いた。

 カツカツと音を立て、隣に「製紙」と書き込む。

「はい!今日は製紙!読んで字のごとく、紙を製作するゼロ位階の魔法です!」

 皆板書されたものをノートに取った。

「これは高度な魔法なので、生活魔法ではないと言われることもありますが、先生は生活魔法だと思っています。諸説ありますが、生活魔法と魔法を分ける明確な差は無く、人々が何のために使っているのかと言うことが重要ではないでしょうか。さて、今日の魔法はいつも練習する<温加(アドウォームス)>よりも消費魔力は多いです!ゼロから物を作り出すわけですからね。なので、魔力が少ない子にはそもそもかなり難易度が高い魔法ですが――温度よりも形のある物の方がイメージは掴みやすいですよね?」

 子供達は頷いた。

「なので、潜在魔力さえあれば、と言う但し書きが付きますが、この製紙の魔法はとっかかりを得やすいのです!」

 説明しながら板書をしていたが、ここでチョークを黒板の縁に置く。数度手を叩いてチョークの粉を落とした。

「では、早速先生が見せるんだけど、その前に皆この黒板に書かれてるくらいの大きさの四角をノートに書いて下さい。あまり大きすぎない様にねー。イメージとしてはメモ帳くらいの大きさだからね」

 皆定規を取り出し、真四角や長方形を各々ノートに書き込んだ。

「書けたかな?では、その四角の大きさの紙を作ることを意識します。慣れるまではこれをしないと、作った紙の大きさがバラバラだったり、縁が汚らしく欠けたり、厚みもまだらになってしまう事があるからね」

 バイスは最初に黒板に書き込んだ四角を杖の先で数度撫で、「この大きさだぞー」と呟いてから詠唱した。

「――<第零位階・製紙(ペーパーメイキング・0th)>!」

 呪文と共に黒板の四角の上に紙が生まれ――ひらひらと落ちていった。

 バイスが拾い上げて見せてくれると、紙の形は黒板のフリーハンドで描かれていた少し歪んだ四角そのものだった。

「と、こう言う感じです。第一位階のものならもっと薄く、より白いものが作れます。製紙工場で作る物と同じくらいのクオリティのものなので、皆の教科書に使われている紙が作れると思うと分かりやすいですね。第二位階であれば、非常に薄く、真っ白な紙を生み出せます。高級でとても柔らかいから、貴族の紙なんて呼び名もついてるんですよー。これを覚えられると、聖書を編む仕事に携われる確率が上がりますね!」

 そこで一度話を終えると、バイスは目の前に座っている山小人(ドワーフ)のグンゼ・カーマイドに今生み出した紙を渡した。

「じゃあ、グンゼから回すから、皆しっかり触ってよく確認して、その紙を生むんだってイメージしてねー。後何枚か送るから、喧嘩するなよー」

 バイスはせっせと紙を生み出しては前に座っている子達に渡していった。

 ナインズは早く触ってみたいと、教室を回る紙へ熱い視線を送っていた。

「ね、キュータ君」

「――どしたの?オリビア」

「私、今日の今のお話全部知ってたよ!」

 オリビアは少し得意げだ。ナインズはアルメリアにしてやるのと同じように小さく拍手をした。

「すごいなぁ。オリビアは賢いね。僕は知らない事ばっかりだったよ。そう言えばオリビアは紙をたくさん見てきたから、この魔法は使えるかもよ!」

「あ、そっか」書店の娘のオリビアは今初めて気付いたとでも言う様な顔をした。「私、頑張るね!」

「うん、僕も頑張るよ!」

 前に座っているキングは紙を受け取ると、日に透かしてみたり、匂いを嗅いだり色々試してからチョッキーに紙を渡した。

 チョッキーも小さな手で素早く紙全体を触り、切れ目を見たりしてからキングに返した。

 手が短いのでキングから後ろに渡してもらった方が楽なのだ。

 キングはよいこらせと体の向きを変え、オリビアに差し出した。

「フィツカラ〜ルドさ〜ん。どうぞぉ〜」

 オリビアはそれを笑って受け取った。自然な笑顔だ。

「――キング君、ありがと」

 オリビアはキング嫌いを克服しようと、最近は積極的に話している。話してみれば、のんびり屋の彼の好感度は上がって行った。

 さて、ようやく回ってきた紙はゴワゴワしていて分厚く、若干黄ばんでいる。

 ナインズはこんな紙は初めて見た。表裏をよく確認して、触り心地をきちんと覚える。おそらく、綺麗な紙をイメージしてはゼロ位階のこの魔法はうまく使えない。

「……よし。この紙を作るんだ。この紙だ。この紙だ」

 ナインズは唱えながらオリビアとよく紙を触った。

「ふふ、キュータ君張り切ってるね。私は普段見てるからもう平気!」

「じゃあ後ろに回すね」

 ナインズが紙を送って杖を握ると、オリビアは試してみようとしていた手を止めた。

 ナインズのノートを覗き込むと、丁度良い大きさの四角が書き込まれている。

 それから、ナインズのノートにはページを縦に左右に分ける線が入っていて、左側にはオリビアの見たことのない文字が書き込まれている。右側には共通公用文字だ。

 オリビアはいつもその文字はどこの物なのだろうと思っていたが、聞きはしなかった。

 初日に砂漠の出身かと問うた時、彼は否定だけをしてどこの出身なのかは言わなかったのだ。

 おそらく知られたくない、何か少し問題のある地域なのだろう。これは偏見かもしれないが、ミノタウロスと共に育ってきたような育ちの土地柄なのだから、知られたくないと思うことは仕方のないことだ。

 もちろん、オリビアは一郎太を野蛮だとか、恐ろしいとかは思ったことはない。一番最初は少し驚いたが、むしろ大好きな友達のうちの一人だ。

 これはどの生徒も思っていることだ。

 知性のある者を口にすることを禁忌とする神の教えを守れないミノタウロス達は、種族的には可哀想な存在と言っても良い。

 神から最も遠い生き物だ。

 ――だから、誰もナインズのことを神の子だと一ミリも思わないのだろう。

 

「――<第零位階・製紙(ペーパーメイキング・0th)>!」

 

 ナインズが唱える。しかし何も起こらなかった。

「え?」

 いや、起こらなくなかった。製紙とは無関係なことが起こったのだ。

 ナインズの腕輪が一瞬わずかに光りをこぼし、光はすぐに消えた。

「キュータ君、何か光ったよ?」

「なんで…?」

 自らの腕に着く白金(プラチナ)の腕輪は何事もなかったような顔をしている。

 ナインズは腕輪を数度叩いたが、腕輪には何の反応もない。

「今の何だったの?」

 問われてもわからない。

 物心ついた時から、寝る時も食事の時も風呂に入る時も常に着けて来たこの腕輪が光ったことなど、ただの一度もないのだから。

「さぁ…」

 二人でじっと腕輪を見ていると、皆の席を渡り歩いて様子を見ていたバイスが来た。

「ほら、キュータ、オリビア。やってみて。去年は一年生で五人も神との接続を果たしたんだから、諦めないで」

「バイス先生、違うの。キュータ君の腕輪が光ったから」

「ここは窓際だから光を反射したんじゃないか?さぁ、二人とも杖を持って」

 二人はそう言うこともあるかと杖を握った。

「さ、唱えてごらん」

「「<第零位階・製紙(ペーパーメイキング・0th)>!」」

 詠唱と共に、再びナインズの腕輪はわずかな光を漏らした。

「ほら!また!光ったでしょ!」

「おや?確かに光ったね。キュータ、それはどう言う効果がついた腕輪なんだ?」

 ナインズは首を振った。

「知らないんです。でも、お父さま達はこれを封印の腕輪か抑制の腕輪って呼んでて――あ、足を速くしたりとかはないですよ」

「それは分かってるよ。しかし、封印の腕輪とはまた随分物騒な雰囲気の名前の腕輪だなぁ。うーん。でも、抑制とか封印とかって言うくらいなんだから、それがキュータの魔法の何かを邪魔してるんじゃないのか?」

「封印の腕輪が……僕の邪魔を……?」

「どれ、外してみなさい。魔力に反応していたとすると、うまくいくかもしれないよ」

 バイスが手を伸ばしてくると、ナインズはパッと手を背の後ろに隠した。

「だ、だめだよ!これは外しちゃいけないんです!」

「大丈夫だから。せっかく神との接続が叶いそうなのにもったいないだろう」

「だめです!僕はこれを自分で外したことなんか一回もないんだから!」

「……一回も?」

 訝しむ様な目だ。それはナインズをおかしな子供だと思ったのではなく、キュータの親が一体何を目的にキュータに物騒な雰囲気のマジックアイテムを着けさせ、これ程までに強く拒否するくらい外してはいけないと教え込んで来たのかと言うこと。

 バイスは何かきな臭さを感じた。

 高級そうな耳飾り、物騒な腕輪。

 封印や抑制が、キュータの成長を妨げる力を持つとしたら、これは――ある種の虐待と呼んでも良いかもしれない。

「キュータ、お前はお父さんやお母さんに、何か怖い思いをさせられたことはないか?」

「え?ないです」

 慎重に見極めなければいけない。

 バイスは本当に子供達を愛している。この国の未来を支える子供達を大切に思っている。

 もし、キュータ・スズキが親に何か酷い扱いを受けている様なことがあれば絶対に食い止めなければいけないだろう。そう思ったのだ。

 彼の健やかな成長を縛り付ける様な真似は断じて許されない。

 バイスはもう一度まっすぐナインズを見つめた。

「キュータ、その腕輪は一度外してみよう。な?」

「だめです……」

「頼む。先生はお前が心配なだけなんだ。十秒でいい。いや、五秒。五秒でいいよ」

「えぇ……ぼく……ぼく……」

「キュータ君、外してみたら?とったら魔法使えるかもしれないって先生も言ってるし」

「オリビア…。でも、僕は本当にこれを外しちゃいけないってお父さま達に言われてるんだ……。取るとすごく危ないから、僕のためにも皆のためにも着けてなきゃいけないって……」

 あなたのため、皆のため。その言葉は子供を縛る最も簡単な言葉だろう。

「危ないって、何が危ないんだ?」

「わかんないけど…皆言ってる。メイドの皆もこれを磨く時には僕の腕にはめたまま磨くの」

「……ふーむ。キュータ、これを外して何か怖いことが起きても、先生なら止められそうだとは思わないか?」

「……ごめんなさい。思えない」

 以前あったカインとのいざこざでキュータの言い分を信じなかった事から信頼されていないのかもしれないと、バイスは思った。

 バイスは犯人探しをするつもりはなかった。あの場に本当に犯人がいれば、あれ程怒っていたキュータの姿を見て反省し、自分のやった事の間違いに気付いたはずだ。

 あれはキュータが乾かしたと言っていたし、後から他の生徒に聞いたところ、確かに服は泥まみれだったそうだ。

 ただ、不思議なのは魔法を使って服を乾かしたそうだと言うのに、彼は位階魔法を使うことはできない。それに、乾かしたりする魔法は第一位階からだ。

 あまり生徒達を疑ってはいけないと思い、バイスはその後深くあの時のことを調べたり追求したりはしなかった。

 

「先生はこう見えて、凄腕の魔法詠唱者(マジックキャスター)なんだよ。そのくらいじゃなきゃ、神都第一小の担任は任せてもらえない。先生は謂わば、神々に認められて選ばれたエリートだよ」

 と言いながら、バイスは恥ずかしくなった。

 

 バイスは神都に魔導学院ができて直ぐに入学し、フールーダ・パラダインを始めとした名だたる魔法詠唱者(マジックキャスター)の下で三年学んだ。

 卒業後三年は魔術師組合にいたが、当時お世話になった恩師に声をかけて貰い、教師として働き始めた。最初は副担任として六年生を受け持ち、去年は二年生の担任になり、今年は一年生の担任だ。

 若くして第三位階まで操るバイスは魔法への高い適正を買われて早くクラスを持つことができた。

 彼はエリートといえばエリートだが、世の中にはもっとすごい人々がいるだろう。

 そんな人々を多く間近で見てきたバイスは自分の言葉に赤面せずにはいられない。

 

 特に――こうして、目の色を変えて見つめられると辛い。

 

「神々にって、アインズ・ウール・ゴウンに認められたの?」

 キュータは途端にバイスを信用したような雰囲気だった。

「……まぁ、ね」

 今回一年生を持つ教師は公平性を保てる、真実の信仰を持つ者にしか任せられないと言われ、全教師がたくさんの試験を受けさせられた。性格診断のようなものまであった。一年生は全部で五クラスあるが、担任の五人全てが試験でトップの成績を収めた教師達だ。

 謂わば神々に認められたと言っても過言ではない――ような気がしないでもない。

 校長すら誰がナインズ・ウール・ゴウンか分からない中で入学者が決まり、クラス分けをするのだから一年の担任は誰も気を抜けないはずだった。

 だが、先日教師仲間で飲み会に行ったところ、バイスとアルガンと言う教師を除いて皆どことなく解放されたような身軽さを帯びていた。

 口々に言っていたのは、「バイス先生は大変ですね」「アルガン先生も大変ですね」だ。

 エルミナス・シャルパンティエと言う上位森妖精(ハイエルフ)――と称している少年は、それを隠れ蓑にしている殿下に見えて仕方がない。彼は上位森妖精(ハイエルフ)の話を全くしないのだ。

 後は、D組にいるラファエロ・ダル・セルビーニと言う少年だ。バイスは会ったことはないが、従者を三人も連れて学校に通っているらしい。非常に薄い金色の髪をしていて、緑と黄色の間のような色の瞳をしているらしい。生まれは神都だが暫く他所に住んでいて、今年帰ってきたと言っているとか。ちなみに、彼も魔法を使えるらしい。

 魔法を使える子は後一人いるが、女の子だし今は学校に来ていないのでこの二人が怪しかった。神の子が魔法を使えないなんてことはないはずだから。

 

 バイスは照れ臭そうに頬をかきながら、一つのことに気付いた。

「キュータ、陛下を呼び捨てにしちゃ失礼だ。アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下か、神王陛下。もしくはアインズ・ウール・ゴウン様とお呼びしなちゃいけないよ」

「あ、アインズ・ウール・ゴウン様…。ははは」

 何がおかしいのか分からないが、キュータの笑顔はどこか晴れ晴れとしていた。

「……それで、腕輪は取れるかな」

「うん。アインズ・ウール・ゴウン――様に先生が認められてるなら、取ります」

 そう言ってキュータが腕輪に触れた瞬間――ざわりと空気が揺れたようだった。

 

 クラスに突然大勢の人が現れたような不思議な感覚。

 バイスは何事だと思った。

 

 その時「――キュー様!!」

 一郎太の大声が教室に響いた。

「――一太、どしたの?」

「い、いけません!!封印の腕輪は絶対に外しちゃいけないってお父上達が言っていました!!」

 血相を変えて――と言っても毛むくじゃらの顔だが――一郎太はナインズの席まで駆けてきた。

 魔法の練習をしていた子供達が皆何事かとこちらを見ている。

「あぁー…一郎太は席に戻って」

「バイスンは黙って!キュー様、本当にそれを外すの?」

「うん、先生はアインズ・ウール・ゴウン――様に認められたんだって。その先生がとったら魔法使えるかもって言うから、とってみようかな」

「……そうなの?バイスン」

 バイスは大袈裟な咳払いをした。

「ンッンンーン!バイスンじゃなくて、バイス先生。一郎太、バイス先生だぞ。さ、納得したなら席に戻って」

「……いや、オレはここにいる」

 一郎太はそう言うと、ナインズの前に座るチョッキーを抱き上げ、チョッキーの席に座った。絶対に戻らないと言う鋼の意志を感じた。この二人はたまに無駄に強情だ。

「わぁ!一郎太君、とってもあったかいでしゅ!」

 チョッキーは小さな手で杖を持ったままだっこされた。

 二人とも制服を着ているが、顔は毛むくじゃらなので毛と毛のせめぎ合いだ。

 バイスがそう思っていると、キュータは腕輪を腕から抜いた。

 コトン、と音を立てて机の上に置かれる。

 その腕輪は見れば見るほど高級そうだった。安月給ではないが、これはバイスでは買えないだろう。

 

「キュー様、平気……?」

「うん、平気みたい」

 

 キュータは自分の身に何の変化も起こらない事を確認すると、短杖(ワンド)を手にした。

「じゃあ、やる!」

「うんうん、やってみなさい」

 バイスはこれで腕輪の真意が分かるはずだと少し身を乗り出した。

 これでキュータが魔法を使うことができれば、親に手紙を出す必要があると思った。

 どう言うつもりでキュータに封印の腕輪なんて言う物を着けさせていたのか、親を学校に呼び出し、話し合いをした方がいいだろう。

 

「<第零位階・製紙(ペーパーメイキング・0th)>!」

 

 バイス、一郎太、オリビア、チョッキー。

 皆がノートを覗き込む。

 そこにはぽふっと音を立てて紙が生まれていた。

「え!えー!すごい!キュータ君、一番に神との接続ができたー!!」

 オリビアが大きな声で盛り上がると、皆がそれを見るために身を乗り出して確認した。

「キュー様すっげぇ!でも、早く腕輪着けて着けて」

 一郎太が腕輪をキュータの腕に戻す。

 バイスは嬉しそうに紙を持つキュータの頭を一度撫でた。

「よくやったなぁ、キュータ!二学期や三学期になる前に使えるようになる子がいるとは思わなかったよ!――で、もう一度使えそうかな」

 キュータは魔力切れを起こしている様子はなく、即座に頷いた。

「いいよ!<第零位階・製紙(ペーパーメイキング・0th)>!」

 キュータの腕に戻された腕輪は再び光を放ち、魔法が発動することはなかった。

 バイスは確信する。あの腕輪はキュータの成長を妨げるものだと。

「あれぇ…。やっぱりだめかな…」

「きっと魔力切れですわ!キュータさん、おめでとう!」

 腕輪のやりとりをあまり見ていなかったレオネがオリビアの向こうから嬉しそうに言うが、キュータの魔力にはまだ余裕がある様子だ。

「――キュータ。先生はキュータが魔法を使えるようになったとお家の人に手紙を書くから、お父さんお母さんに渡してくれるかな?」

「あ、はい!嬉しいなぁ!」

「本当に良かったな。――皆ー!先生は手紙を書きに職員室に行ってくるから、暫く自習しててくださーい!」

「「「「はぁーい!」」」」

 バイスが教室を出て行くと、生徒達は続々と席を立ってナインズの周りに集まった。

 レオネがオリビアと椅子を半分づつ分け合い座る。

「ねぇキュータさん。どうやったんですの?どんな感じでしたの?」

「ん…と…グッてやってシュンって感じかも」

 言ってから気づいた。それは父が前に教えてくれた事だ。本当にそう感じてしまうとは。

「へぇー!そういう感じですのね!ね、今日残って魔法の練習しませんこと?わたくし参考にさせていただきたいんです!」

「あ、うん!もちろん良いよ!」

 私も、僕も、と声が上がり、ナインズは笑った。

 そんな中、品よく私もと声がした。エルだ。

「キュータ、おめでとう。君からしたら当たり前かもしれないけど、私にもお祝いさせてくれるね」

「エル!ありがとう!エルが教えてくれたお陰だよ!」

「はは、とんでもない。私は何もしていないよ。キュータが持っているものが良かったんだ。さすがです――と言わせてくれるね」

「そんな」

 ナインズは照れ臭そうに笑い、今作ることができたごわごわの紙を手にした。

「これ、帰ったらお父さま達に見せるんだ。ふふ」

「きっとご両親も喜ぶだろうね」

 皆がナインズの下へ集まる中、二人だけ集まらない子供もいた。

「――エル様に教えてもらえたら…僕だって…」

 カインはチェーザレと二人で何度も魔法を唱えた。しばらく落ち着いていた嫉妬心がまたもやむくむくと膨れ上がっていく。

「やっぱりスズキはずるいですよね」

「…今日の放課後やるって言う魔法の練習会、僕たちも出るか」

「そうしましょう!そこできっと使えるようになりますよ!」

「よし……今日で僕達も魔法を覚えるぞ」

 カインが出席を決めると、バイスが戻ってきた。その手にはきちんと封蝋が押してある封筒。立派な褒め言葉がたくさん書いてあるのかと思うとカインは羨ましかった。

「皆ちゃんとやってたかー?ほら、席に戻って戻って」

 バイスはまっすぐナインズの下まできた。

「――じゃあ、キュータ。これをお父さんお母さんに渡してくれるね。勝手に開けたりしちゃダメだぞ」

「うん!ありがとう、先生」

 ナインズはそれを受け取ると、嬉しそうに笑った。

 カインはその様子を横目に捉えながら、フンと鼻を鳴らした。

 

+

 

 放課後。いつもの友達たちの他に、グループの違うような子供達も教室に残った。

「よーし、もっかいやってみる!」

 ナインズは杖を出し、ノートに描かれた四角を杖で数度撫でてから呪文を唱えた。

「<第零位階・製紙(ペーパーメイキング・0th)>!」

 固唾を飲んで見守っていた子供達は残念そうな声を上げた。

 紙は生み出されなかったのだ。

 そして、やはり腕輪が僅かに光を漏らした。

「ねぇ、キュータ君。それ着けてたらダメだと思う。取らなくっちゃ」

 オリビアの提案にナインズは悩んだ。

「……でも、これは本当は取っちゃいけなくて……」

「何も起こらなかったし、無くさないでねって意味でお母さま達は取らないでって言ってたんじゃない?」

 常識的に考えればそれが一番しっくりくるだろう。

 しかし、一郎太とエルは反対だ。

「ダメだよ。キュー様、それ取るのはせめてバイスンがいる時じゃないと」

「……私も取らない方がいい気がするな。キュータのお父上様達が言っていたんだもんね?」

「うん…。なのに…取らなきゃ魔法を使えないなんて…おかしいよね……」

 ナインズが腕輪に視線を落とすと、エルが「少し休憩しよう」と言い、授業と終礼後のお祈りと聖歌合唱からずっと続いていたこの時間に一時的に終止符を打った。

「キュー様、トイレ行こ!」

「うん。あぁあ…。これ着けたまま魔法って使えないのかなぁ」

 ぞろぞろと何人もトイレへ向かう。

 教室には一度自分の席に戻って魔法を練習する子供達と、カイン、チェーザレがいた。

「一度僕達も席に戻るか。――ん?」

 キュータの魔法学の教科書に栞のように挟まれているものがあった。

 カインはそれをスッと引き抜いた。

「あ、カイン様。これバイス先生が書いてた手紙ですよ」

「……これが」

 中を見てみたかった。

 どれほどの賛辞が書かれているかと思うと、羨ましい気持ちが噴き出るようだ。

(……ちょっとくらい、見てもいいか)

 カインは一度周りの生徒がこちらを見ていないことを確認する。一番窓際の席なので、他の子供達から見えないように背を向けてから、封の隙間に魔法の杖を差し込み、封蝋を剥がそうと引っ張った。

 チェーザレが興奮するような顔をしている。

 ペーパーナイフがあれば割と簡単に封蝋は剥がすことができるのだが、杖では少し苦労する。

 ペリ…と最初のとっかかりが剥がれると、それはポンっと軽い音を立てて開いた。

 少し封筒が破けたが、教科書に挟み直せば家に帰るまで気付くまい。

 親はキュータが開いたと思うだろうし、調べる手立てはない。

 手紙を開いたカインは上から急いでそれを読んだ。

 大人がどう言う言葉で子供を褒めるのか知りたい。

 夏休みに実家に帰った時、こんな素晴らしい褒め言葉を言ってもらったと嘘でも父に言いたかった。

 しかし、「――なんだこれ」

「カイン様、何ですか?」

 チェーザレに説明しようとすると、廊下からガヤガヤと子供達が戻ってくる声がした。

 急いで手紙をしまい、教科書に挟み直す。

 カインは窓の外を眺めている振りをし、察したチェーザレもそれに倣う。

「――じゃあ、もう少しやってみよっか」

 まるで皆の輪の中心のような顔をしてキュータが戻ってくる。

「キュータ君がたくさん紙を作れるようになったら、うちの隣で働いてね。製本もしてるから、きっと紙を作れる人を雇ってくれるもの!」

 オリビアが嬉しそうに見上げると、キュータはその頭をさらりと撫でた。

「ありがとう、オリビア。でも、僕は神殿で働くことになるかも」

「キュータ君は神官様になりたいの?」

「んー、そう言うわけではないんだけど、そうなるのかなぁって」

「お父さま達が神官様の魔法道具を作ってたらそうなっちゃうのかな」

 オリビアは腕を組むと少し悩むような声を上げた。

 キュータとオリビアは揃って二人で座り、他の子供達はまたそれを囲むようにした。

「では、キュータさんはわたくしと一緒に働けますわね」

「あ、レオネはやっぱり神官になりたいの?」

「なりたい、ではなく、なるのですわ!わたくし、きっと陛下方と殿下方に立派にお仕えしてみせますの!」

「ふふ、レオネならできるよ。きっと仕えてもらう方も嬉しいと思う」

 キュータが言うとレオネは照れ臭そうに笑い、大きく頷いた。

「そうですわよね!ふふ、治癒室の女神官様も素敵ですし、頑張りますわ!」

「うん。誰よりも素敵な女神官になれるよ」

 レオネは少しだけ頬を赤くすると、ちらりとエルミナスとオリビアを見てから顔をぷるぷると振った。

 その後、何度やってもキュータは紙を作れず、エルが二枚紙を生み出して皆に見本として見せ、練習会は終わった。

 カインは鞄に短杖(ワンド)をしまうと、チェーザレを連れて寮への帰路についた。

「――カイン様、カイン様。手紙、何が書かれてたんです?」

「なんか変な手紙だった。最初はスズキが魔法を使って紙を生み出したって。でも、さっきは無理だったよな。本当はあいつ、魔法使えないのかな」

「変ですよね。それで?」

「それで、よく分かんないんだけど、続きはスズキの腕輪の着用をやめさせるように検討してほしいとか、一度学校に話に来てくれとか、なんかそんなだった」

「腕輪?あの魔法の?」

「そうらしい。やっぱりあの腕輪はルール違反なんじゃないか。本当にムカつくやつ」

「あんなの隠しちゃいましょうよ!」

「バカ。あいつは腕輪を外さないだろ」

「うーん、それはそうですね」

 寮に着き、玄関をくぐると軽く靴の泥を落とした。

 そのまま二階の自分達の部屋へ上がり、窓から隣の棟を眺める。

 こちらの棟は二人部屋だが、隣の棟は一人部屋で――エルミナスが住んでいる。従者と寝泊まりできないため、カインの家は一人部屋を少しも検討しなかった。

「……エル様はお優しいから、スズキに魔法を一回でもいいから使わせてあげて欲しいとか陛下方へお願いしたのかな」

「ずっりぃ!本当あいつずるいですよ!魔法の耳飾りと魔法の腕輪なんかして、腕輪はルール違反みたいだし。耳飾りも色んな効果があるとか言って前にリュカに自慢してましたよ」

「色んな効果?魔法の装備の効果は一つじゃないのか?」

「なんか色々って言ってましたよ」

 二つ以上の効果を持つ魔法の装備はとてもとても高価だ。

 普通の家庭では魔法の装備なんてものは父親がたった一つだけ魔法時計を持っているか、もしくは一つもないくらいだ。

 いくつも魔法の効果がついているなんて、元貴族の家でも、家宝にして置いておくような代物だ。

「……それは嘘吐いたんだろ」

 カインは蔑むように言うと、部屋に戻ってきて部屋に明かりを灯すエルを窓から眺めた。エルは大切そうに壁に何かを貼った。

「あいつらさえいなければ……。スズキ達さえ……」

 そうだったらエルから慈悲をかけて貰い、わずかでも魔法を使えたのは自分かもしれない。

 あんな奴こそ親にたくさん叱られれば良いのに。

 ルール違反の腕輪も、大切にしている耳飾りもなくなってしまえばいいのに。

 カインはシャッとカーテンを閉め、備え付けてある永続光(コンティニュアルライト)を灯した。

 

+

 

 ナインズは自室に鞄を置くこともせずにアインズの部屋へ走った。

 まだ今日は執務をしている時間だろう。アインズの部屋は執務用の部屋と化している。寝室はほとんど使われておらず、フラミーの部屋が家族の部屋兼フラミーの執務室として機能している。

「お父さま!お父さま!見て、見てみてー!」

 扉を開けてもらい、鞄を開けると魔法学の教科書を取り出した。

「お、帰ったな。ふふ、解ってるぞ?良いことがあったんだろう」

 骨の姿のアインズが書類から顔を上げた。

「そー!!どうして分かるのー!」

「分かるとも。お前のことなら何でもな」

「へへぇ!」

 ナインズは今日のことをいち早く伝えたかった。

 机の方へ向かいながら大切に持って帰ってきた手紙を――「あ、あれ?」

 ナインズは手紙が開いたり、寄れたりしないように大切に教科書に挟んできたと言うのに、それは開いていた。

「どうした?ナインズ」

「あ、あの…僕……」

 大きな魔法の教科書と、赤い美しい封蝋が剥がれた手紙、それから黄色くゴワゴワした紙。

 アインズは執務用の椅子から腰を上げると、ナインズの前にしゃがんだ。

「何だ?大丈夫か?」

「あのね、僕先生に手紙持たされたの…。でも、これ、僕じゃないんだよ。僕開かなかったもん。勝手に開けちゃダメって言われたから…」

 アインズは恐る恐る差し出された開いている手紙と、重ねられているゴワゴワの紙を受け取ると、魔法のモノクルを取り出した。

「まぁ、何かの拍子に開いてしまうこともあるだろう。九太はちゃんと持って帰ってきてくれたって父ちゃんは分かってるぞ」

「は、はい!僕、ちゃんと持って帰ってきた!」

「うん、偉いぞ。ありがとな」

 まだ黒いままの髪を撫でてやると、ナインズは嬉しそうに目を細めた。

 骨の目ではモノクルを挟んでおけないので、アインズは一度人の身になってソファに座った。隣にナインズも張り付くように座る。

 後ろでアルベドが片付けを始めているが、今日はもう任せてしまうことにする。アルベドも元からそのつもりだ。

「どれどれ?先生はなんて言ってるのかな?」

 アインズがモノクルを目元に挟み、手紙を開く。

 ナインズはもうドキドキして仕方がなかった。

「中土月二十八日。薄暑の候、キュータ・スズキ君のお父様、お母様におかれましてはますます御清祥のこととお喜び申し上げます。さて、本日キュータ君は製紙魔法を使い、紙を生み出すことに成功しました。――おぉー!九太、やったのか!もしかしてこれかな?」

 少しわざとらしいような驚き方だったが、ナインズは何も思わなかった。

 アインズは一緒に渡されたゴワゴワの紙を手に嬉しそうに笑った。

「はい!僕やりました!」

「すごいじゃないか!やっぱり父ちゃんの教え方が悪かったんだなぁ。私は学校でちゃんと教えて貰えばお前ならすぐに使えるようになると思ってたんだ。魔法学はフールーダも監修しているんだからな」

「へへへぇ」

「じゃあ、シャルティアとコキュートスにも教えてやらなきゃいけないな。二人を呼びに行けるか?」

「行けるよ!シャルちゃんの部屋の場所わかる!」

「そうか。じゃあ、コキュートスと第五階層で落ち合ってから上に上がってくれ。第四階層の地底湖には気をつけて、くれぐれも転ばないようにな」

「はーい!!お母さまも呼ぶね!」

「文香さ――っと。フラミーさんと花ちゃんは私が呼ぶからお前には守護者を頼めるか?コキュートスとシャルティアはきっとお前の口から聞きたいだろうから、お前にお願いしたいんだ」

「分かりました!僕いくね!」

 ナインズは嬉しそうに笑うと守護者たちを呼びに行くべく立ち上がった。

「――あぁ、九太。鞄と教科書は部屋に置いてから行きなさい。片付けられるな?」

「できます!」

 今度こそ部屋を飛び出していくと、アインズはとても渋い顔をした。

「昼間に腕輪を外して初めて魔法を使ったと聞いた時はそう言うことかと納得したが……しかし、これは参ったな」

 ナインズが持って帰ってきた教師からの手紙には、ナインズの健やかなる成長を願うのであれば、封印の腕輪などと言うものはさせるべきではないのではないかと記されていた。

 どんな効果のものなのか学校に来て説明し、それの必要如何を話し合おうとも。

 教師の手紙は宥めるようだが、それ以上に親としてのあり方を問うようだった。

「腕輪を外せば魔法が使える…。子供を預かり教育する立場の者からすればこの手紙は当然の内容だな」

 ぺらりとアルベドへ送る。アルベドはその手紙の内容に目を通すと、不快げに眉を寄せた。

「どうなさいますか?各種族の持つ文化を尊重するために、本来なら服飾品に関して教師が口を挟むことは禁止されています。神殿から学校全体へ圧力を掛けることも可能ですが」

「子供に危険が及ぶ時には教師にも指導が可能だ。それに、神殿から圧力をかけて黙らせてはナインズへの私達親の接し方についての根本解決になったと教師は思わないだろう。ナインズも一郎太も今日腕輪を外すことを何度も躊躇っていたし、今後も躊躇うだろう。バイス先生――だったか。彼のいないところではナインズは決して外さなかったんだ」

 言いつけをよく守る、本当にいい子になった。

 学校の様子をたまに遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)で見ているが、それは常々思う。クラスメイトと喧嘩もしていたようだが、それも親の介入を学校が必要に思わない程度のものだ。力があるのにこれは上出来だろう。

 教育最弱集団だと思っていたナザリックだが、ナインズはアインズよりもよほど良くできた男として成長している。

 シャルティアはたまにナインズを見る目がアレ(・・)だが、皆概ね子供に背中を見せる大人として――双子は年長者として――恥ずかしくない存在として振る舞っている。

「……私はツアーを呼ぶ。腕輪を外したところでナインズが誤って何かをしでかした時の被害を見積もるためにな。アルベドはフラミーさんを呼んでくれ」

「かしこまりました。では、一度失礼いたします」

 アルベドが後の片付けをアインズ当番と部屋付きのメイドに任せて部屋を出ていく。

 アインズも転移門(ゲート)を開くと、ツアーの下を訪れた。

「――そうかい。イル=グルがね」

 割と楽しげな声だ。

「はい!また是非ヴァイシオン様の下を訪ねたいとおっしゃっておりました」

「僕が君に酷い扱いをしていないか調べたいんだろうね」

「いえ、そう言うわけでは――」

「冗談だよ。さて、君はもう下がってくれるかな。アインズが来たようだ」

 神のいる場所として相応しい階段の上で、ツアーが顔を持ち上げた。

 その前には、美しく着飾っている蠍人(パ・ピグ・サグ)がいた。

「――神王陛下いらっしゃいませ。では、私はこれにて。また明日議事録を持って参上いたします」

「うん。助かるよ」

 ツアーが気まぐれで拾った生贄の姫はここに勤めて二年と半年が経ち、アインズがここに来るとたまに会う。

 宵切姫は深々とアインズに頭を下げてからツアーの部屋を後にした。

「――あれは字は書けるようになったのか?」

 アインズがそう言って階段を上がると、ツアーは少し得意げな顔をした。

「なったよ。公用文字はまだ今ひとつだけどね。アーグランド文字はもう十分書ける。イル=グルがよく躾けてくれたおかげと、僕が慈悲深かったからだね」

「ほー」

 イル=グルって誰だっけ、とアインズは少し思ったが、知っていて当たり前のような口の利き方をされたので特別訪ねなかった。

「それで、今日はどうしたんだい」

「ナインズに着けさせている抑制の腕輪があるだろ?」

「始原の力を封印していると言っても過言ではない――封印の腕輪だね」

 抑制の腕輪を封印の腕輪と呼び始めたのはツアーだった。ツアーはくんっと顎をしゃくり、その視線の先にあった鎧が動き出した。

「確認するかい。冬に確認したばかりだけど」

 鎧が話すと、アインズはすぐさま頷いた。

「頼む。今日ナインズは学校で抑制の腕輪を外したんだ」

「何だって?あれだけ外しちゃいけないと言っているのに。やれやれ…」

 鎧が転移門(ゲート)へ向かって歩き出すと、アインズも竜の顔の前から転移門(ゲート)へ引き返した。

「それがなぁ、位階魔法を使おうとすると光るみたいなんだよ。恐らく位階魔法の魔力も抑え込まれているんだ」

「なるほど。君の制御の腕輪も位階魔法に転用できるんだったね。しかし、ルーン魔術と言ったかい。あれは使えていたじゃないか」

「ルーンは特殊すぎる。抑制の腕輪に押さえ込まれて漏れ出る程度の魔力でも良かったのか、抑制の腕輪に引っかかるほどの魔力も使わなかったと言う事だろう」

「じゃあ、もうルーンを使うしかないんじゃないかな。君も理論の指南しかできないところが問題だね」

「それなんだが、学校から腕輪がナインズに悪影響を与えてるんじゃないかとお叱りの手紙をもらったんだよ」

「お叱り?」

 ツアーの鎧が首を傾げる。そして、後ろの竜の身から軽い笑い声が漏れた。

「――なんだよ」

「いや、何でもないとも。君に意見する存在が僕とフラミー以外にいたとは驚きだね」

「……相手はアインズ・ウール・ゴウンを叱っているんじゃない。鈴木家の親を叱っているんだ」

 二人は転移門(ゲート)を潜った。

「――ツアーさん、いらっしゃぁい」

 アインズの部屋に来ていたフラミーが手を振る。アルメリアも軽く手を挙げた。

「ツアー、いらっしゃいです」

「やぁ、アルメリア。先に君の力から確認しようかな」

 ツアーがアルメリアの前にしゃがむと、アルメリアの手を取った。

「……ツアー、リアちゃんのこと好きなの?」

「ん?まぁ、そうだね。割と好きだよ。じゃ、腕輪を取るよ」

 漆黒の腕輪を抜いてやると、アルメリアは嬉しそうに瞳を輝かせた。

「それ、もうしないでいいです?」

「ダメだよ。少し静かにしてくれるかな」

「なんで!ツアーじゃないと外しちゃいけないんだから!もう持って帰って欲しいです!」

「君は本当にこれが嫌いだね。でも、我慢して着けるしかない」

「お母ちゃま、リアちゃんもうこれやだ!」

 アルメリアはツアーの鎧の手の上に手を乗せたまま振り返った。

「それをしないと、リアちゃんもリアちゃんの周りの人も危ない目に遭うからダメだって言ってるでしょ?」

「リアちゃん危なくないのに!」

 アルメリアはブゥーっと思いっきり頬を膨らませ、その腕にはまた腕輪が戻された。不服そうだが、赤ん坊の頃のように外してしまおうとはしなかった。

 ツアーが立ち上がると、アインズはアルメリアの頭の上に乗る小さなお団子をもひもひと押した。

「花ちゃん、アルベドと一緒にナインズを迎えに行ってやってくれないか?にぃには今コキュートスとシャルティアを呼びに行ってるんだ」

「お父ちゃまがゲートで呼んであげればいいです!」

「……父ちゃんは今ツアーを呼ぶために転移門(ゲート)を開いて疲れちゃったんだ。今どの階層にいるかも分からないから、行ってくれるか?」

「じゃあ仕方ないです。行くです!」

 アルメリアは自分の当番のメイドとアルベドを手招きすると、部屋を出て行った。

「どうだった?」

「アルメリアは前回からたいして変わっていないようだね。それより、アインズ。アルメリアをあまり甘やかすな。ナインズなら何かを頼まれれば口答えしないですぐに行くだろう」

「甘やかしてない…。これはもう性格だよ。アルメリアはナインズより自立的と言うか…疑うことを知ってるんだ」

「それはいい傾向ではないだろう。特にアルメリアは腕輪を外したがるんだから。はい、わかりましたと答えるように躾けろ」

「アルメリアもナインズもシモベじゃない。嫌だと思う時には嫌だと言えばいいし、やりたくない事はやりたくないで良いんだ。それの折り合いをつけさせたり、やりたくなるように気を配ってやるのが親の役目なんだから」

 ツアーは納得行くような行かないような雰囲気で腕を組んだ。

「ね、ツアーさん。大丈夫。リアちゃんは抑え付けなくても、誰かを傷付けたり世界をどうこうしたりしようとしたりなんてしないですもん」

「……フラミー、僕もそう信じたくはあるけどね、僕の言うことも分かるだろう。反抗して暴走してからじゃ遅いんだ」

「分かりますよ。いい子で何でも親の言うことを聞くナインズの方が安心できるんでしょ。でも、ね。物の学び方はそれぞれだからね。ナイ君は言われたらジッと何でもよく聞いて、それを理解しようとするけど、リアちゃんは何で、どうして、って反抗しながら学んでいくタイプなの。分かってあげてね」

 ツアーはフラミーの耳にかかる蕾を取ると手の中でそれをクルクル回した。

「君たちはなぜ子育てに関しては絶対神として振る舞わないのか理解に苦しむよ」

「どんなに偉い人でも、子供といるときはただの親なんですよ」

「君達ももう神なんかやめて全ての力を無くして静かに暮らせば良いのにね」

 ツアーが苦笑しながら言うと、アインズはフラミーをソファに座らせた。

「神様でいるのも世界のためだから仕方ないな。美しい世界のためなら、国民が多少暑苦しくても我慢もする。――で、フラミーさん。これ先生から来た手紙です」

 フラミーは差し出された手紙を受け取り、モノクルを付けるとすぐに読み始めた。

「………うーん………そうかぁ。まぁねぇ…」

「学校はなんだって?」

「腕輪がナイ君の成長に悪影響かもしれないって感じですね。魔法を使えるようになることが正義ってくらいの教育させてますから。仕方ないけど」

「悪影響どころかいい影響しかないと思うけどね…。僕も読んでもいいかな」

 フラミーから手紙を受け取り、ツアーは公用文字で書かれた手紙を上から下まで読んだ。

「教師達にはナインズだと知らせても良いんじゃないかい」

「特別扱いされるだろ。そんなものはナザリック内で十分だ。この世の全てが自分に傅くべき存在だなんて思ってほしくない」

「その点については僕も同感だけれど、彼は事実特別な子供なんだ。僕にとっても、世界にとってもね。だから、必要な特別扱いは受けた方がいい」

「そりゃ私達にとってもナインズは特別だし…必要な特別扱いもあるとは思っている。でもな……普通の子供として大きくなって欲しいんだ。もしいつかこのナザリックを治めるとしても、私から世界の一部を引き継いだとしても、親になったとしても、ただの子供として生きた時間はナインズのためになる。世界のためにもなる」

 ツアーはアインズとフラミーの前に座るとフラミーの耳から取った花を返した。ナインズやアルメリアがこの世の全てが自分のためにあり、見下ろすべき存在だと思えば世界は混沌かもしれない。

「そうかい。僕は世界の全てをナインズに任せた方がいい気がするよ。君よりナインズの方が優しい」

「優しく育てているのは私達なんだからナインズの育て方にあんまり文句を付けるなよ」

「文句じゃなくて、意見だよ。あれこれ話し合えるのはフラミーと僕しかいないだろう。僕なりの優しさだよ」

 アインズは膝に頬杖を付くとため息をついた。

「――俺もお前には一部感謝してるよ」

「それは良かった」

 フラミーがアインズの頭を撫でると、部屋の扉が叩かれた。

「入れてやれ」

 部屋付きのメイドに顎をしゃくると、手を繋いだナインズとアルメリア、それからどっさり守護者全員が入ってきた。

 アウラとマーレ、デミウルゴスは呼んだ覚えはない。だが、ナインズが張り切って自分の階層を通っていけば何かと問い、一緒に行きたいと言っても仕方ない。

「あ!ツアーさんも来てたんだね!」

 ナインズがアルメリアの手を引いて部屋に入ってくると、ツアーはまだ黒いその髪を撫でた。

「やぁ、ナインズ。今日君は腕輪を外したそうだね」

「――え、や、何で知ってるの?」

 ナインズは悪いことをしたと思っているのか目を泳がせた。

「聞いたからだよ。じゃ少し取らせてもらうよ」

 腕輪は抜かれ、ツアーはしばらくナインズを見つめた。

「ツアー、どうだ?」

「……アルメリアやドラウディロンより成長が早いね。だけど、純然たる竜王の子とはやはり違うみたいだ」

「そうか…」

 アインズは困ったように唸った。

「ツアーさん、僕これ取ったけど、大丈夫だったよ?ツアーさんがいなくても何も起こらなかった」

「そうかい。それは何よりだ。だけど、取らないでくれるね」

「……僕、これしてると魔法使えないみたいなの。ダメかな……」

「ダメだ。これは君だけでなく、アインズとフラミー、引いては世界のためでもある」

 ナインズはがっかりしたように肩を落とした。

「ツアー、魔法の授業の時だけ外すわけにはいかないか」

 アインズが言うと、ナインズは瞳を輝かせた。

「ツアーさん!魔法の時だけ!魔法の時だけだから!」

「な?良いだろ?ナインズがルーン魔術だけでなく位階魔法も使えた方が、お前も安全だと思わないか?」

 ツアーは悩んだ。大変悩んだ。

 位階魔法が使えるようになることはナインズがナインズの身を守るために必要なことだ。

 もし腕輪を外さないと位階魔法を使えるようにならないようなことがあれば、始原の力が大きくなる前に済ませた方がいい。位階魔法を使えないまま大人になり、何か危険が迫ったときに始原の力を使うような事は避けたい。

「……まぁ、まだ大した力でもないからね。魔法の授業だけだよ」

「良いの!」

「仕方がないからね。でも、いつか君もアインズみたいに腕輪を付けていても位階魔法を使えるようになったら、僕が外す以外は片時も外しちゃいけないよ」

「わかった!そうするね!!ありがとう、ツアーさん!!」

 ナインズがツアーの鎧にペタリとくっつくと、ツアーは優しく頭を撫でてやった。

 ナインズの髪は黒から銀へと緩やかに変わっていった。

 そして、横から不服そうな声がする。

「リアちゃんも取りたいです」

「リアちゃんも学校行って魔法の授業受けるようになったら、授業中だけとって良いんだよ」

 フラミーがアルメリアに言うと、アルメリアは瞳を輝かせた。

「じゃあリアちゃんも学校いく!にいにと行くです!」

「再来年ね。学校楽しみだねぇ」

「すぐ行きたいです!リアちゃんはお利口さんだからもう学校行けます!」

「あらぁ、リアちゃん。再来年ならクリスちゃんもいるのに、今年行っちゃうの?」

「……クリスも行くです?」

「行くですよ〜」

「じゃあ、再来年になったら行くです!」

「そうだね。えらいなぁ。リアちゃんはもう少しお家でお勉強しようね」

「するです!」

 アルメリアは腕輪をクルクルと自分の腕で回しながら鼻歌を歌った。

「さ、じゃあツアーを帰すか」

「アインズ、僕は明日神都へ行くよ。明日だけは僕も一緒にクラスに行って授業を見させてもらう。一時間くらい腕輪を外していても、ナインズの中で何かが変わったり、起こったりしないように確認しておく」

「あぁ、それは助かるな。任せるよ。じゃあ、お前は明日の朝ナインズと大神殿に行くと良い。その後、ナザリックに戻ってこい。明日評議州に返してやる。とりあえず、今日は泊まっていけ」

「ツアーさん!僕と一緒に寝よ!第六階層でまた寝よ!お話聞きたいなぁ!」

 ナインズは朧げながら、アルメリアの生まれた日にツアーと湖畔の水上ヴィラで過ごした事を覚えていた。

「……そうだね。じゃあ一晩鎧が世話になるね」

「何も飲み食いしないんだ。気にするな。こっちこそナインズが世話になる」

 アインズも随分ツアーに寛容になった。

 その後、夕食を皆で済ませると、アルメリアは一足先に寝た。ナインズも明日の支度を済ませて全て持つと、ツアーを連れて第六階層へ上がって行った。

「一太ー!二の丸ー!」

 そう呼びながらツアーの手を引いて湖畔へ駆ける。

 ナインズの声を聞いた一郎太と二郎丸は二つ並ぶコテージから飛び出してきた。一郎と二郎も顔を出した。

「ナイ様!どしたの!?」

「ナイ様、こんばんはー!」

「一太!二の丸!ツアーさんが遊びにきてくれたから、連れてきたよ!」

「やぁ、一郎太・ダ・ワイズ・シュティーア・クレータ・シンメンタール。それから、二郎丸・ル・サージ・クー・クレータ・シンメンタール」

 このナザリックに於いて、一郎太と二郎丸の名前をフルで言える者はかなり少ない。

 アウラ、一郎、二郎、花子、梅子。そのくらいだろう。つまり、アウラ以外はミノタウロスの身内たちだ。

 アウラは流石にこの階層を管理しているだけあり、きちんとフルネームを覚えていた。マーレは不要だと思っている。余談だが、花子と梅子にもちゃんとした名前がある。

「ツアーさん久しぶりだねー!オレは一郎太で良いよ!」「ボクも二郎丸でいいよー!」

 一郎太はツアーの鎧をポンポン叩いた。

「そうかい。明日君と一緒に神都へ行く。それから、一応学校での過ごし方も見させてもらうよ」

「お、オレちゃんと勉強してるよ!見張らなくても大丈夫!」

「いや、君ではなくてナインズの様子を少し見ておきたいんだ」

「ふふ、実はねー、明日から魔法の授業は腕輪をとっても良くなったんだよ!」

「え!そーなの!ナイ様やりましたね!」

 二人は手を繋ぎ合うとワーイワーイと分かりやすく喜んだ。

「じゃあ、ナインズ。今日はもう寝るんだ」

「ツアーさんもう寝るの?せっかく来たんだから、一太たちと遊ぼう!」

「いや、夜は寝るものだろう。遊ぶのは日の出ている間だけだ。それとも、まだフラミーなしでは寝られないのかい?」

 ナインズはカッと顔を赤くした。

「そ、そんなことないよ!僕はいっつも一人で寝てるんだから!!」

 一郎太と二郎丸に言うように答えた。まだ親と寝ないと寝付けないなんて、恥ずかしいような気がした。

「そうかい。じゃあ、行こう」

 ツアーが歩き出すと、ナインズは二人に手を振ってヴィラへ去っていった。

「ね、ツアーさんは本当は竜なんだよね!いつか見てみたいなぁ!」

「良いよ。今度フラミーと一緒に来ると良い」

 ヴィラの中には相変わらず布団が一組だけ敷かれていた。

 二人で一枚を使ってね、ではなく、ツアーに寝る場所はいらないだろうと言う乱暴な理由だ。

 枕元に明日着て行く制服と鞄を置くと、ナインズはいそいそと布団に入り、布団をめくった。

「はい!一緒に寝よ!」

「――ナインズ、君は本当に良いね。優しく穏やかだ。」

「ツアーさん前も言ってた!僕は皆に優しくいたいんだ。だって、皆僕に優しくしてくれるから」

「そうかい。偉いじゃないか」

 ツアーは鎧をナインズの隣に入れると、ナインズを抱えてやった。

「わ、な、なんか恥ずかしい」

「…恥ずかしい?前はこれが良かっただろう」

「はは、子供の頃の話だよぉ」

「まだ君は子供だろう」

「もー」

 えへえへと笑うナインズは硬いツアーの腕枕で目を閉じた。

「ツアーさん、僕きっと強い男になる」

「そうだね。君は世界の命運を握る一人だから。僕も君が今の心根のまま強くなる日を望んでいるよ」

「うん、ツアーさん。怖くないからね」

「……そうだね」

 ナインズから寝息を漏れると、ツアーも竜の瞳を閉じた。

 

+

 

「九太は本当に偉いなぁ…」

 遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)を覗く鈴木悟は心底感心したように呟いた。

「ねぇ、本当。私の子供なんて思えないくらい」

 文香も笑う。

「いやぁ…俺の子供とも思えない…。本当に九太、俺より賢くなっちゃいますよ。どうしましょう」

「ふふ、望むところでしょ?」

「えぇ〜お父さん立場なぁい。九太はもう公用文字も書けるのに〜」

 アインズ達は未だに英語と同レベル程度にしか公用文字を読めない。つまり、ほとんど読めない。

 アインズは少しジタバタすると、パチリと目を開いているアルメリアと目があった。

「………花ちゃん、夢だ。忘れて眠れ」

「お父ちゃま、にいにより頭いくないです?」

「いいに決まってるだろう。私にわからん事などない。眠れ。――<睡眠(スリープ)>」

 アルメリアはかくりと眠りに落ちた。

「……油断も隙もない」

「ははは。子供達にくらい普通でいれば良いのに」

「いやぁ〜…切り替えられないですよ。それに、これが本当の父ちゃんだって知られたら……守護者達に何かの拍子にバラされるかも……」

「……それはちょっと怖いですね」

 見栄っ張りな二人は苦笑を交わし、布団に入った。




ツアーと行くのに、カイン君はなんかいけないこと考えてそうじゃん

次回Lesson#8 ナインズと九太

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