眠る前にも夢を見て   作:ジッキンゲン男爵

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Lesson#8 ナインズと九太

 神都第一小学校、職員室。

 今日は今にも雨が降りそうな空模様だ。そろそろ雨季が来る。雨季を超えれば夏だ。

「おはようございますー」

「おはようございまーす。あ、バイス先生。校長先生がバイス先生をお呼びになってますよ。校長室でご来賓の方と待ってるそうです」

 バイスは自分の机に鞄を置くと、隣のクラスの女性教員、パースパリーに数度瞬いた。彼女は空の人(シレーヌ)なので姓は持たない。高い魔法適性を持つので、彼女もやはり第三位階の使い手だ。そして、熱い光の神の信奉者。

 ずっと教師になりたかったそうだが、セイレーン州で教鞭を取る教師達のほとんどは第四位階まで使える筋金入りの魔法詠唱者(マジックキャスター)らしく、第三位階程度の彼女では教員の試験に受からなかったそうだ。しかし、一歩セイレーン州を出ればセイレーン達はどこも引っ張りだこだ。

「来賓?朝からですか?」

「えぇ、何でも急いできて欲しいそうです」

 自分を訪ねて来る来賓に、バイスは一つだけ心当たりがあった。

 それは、つい昨日キュータ・スズキに持たせた手紙だ。

 急いで両親が出張ってきたのかもしれない。

 バイスは手に持っていたローブを着ると、ループタイについた魔法石をある程度あげた。

 ちなみに生徒達はローブとどこか南方風のシャツを制服として着ているが、教員は好きな服の上から教員用のローブを着ている。

「――では、ちょっと行ってきます。一年生教員のミーティング、なんなら先にやってて下さい。後から参加しますので」

「多分そうさせてもらう事になると思います。頑張ってくださいね!」

「頑張って――?」

 パースパリーの言葉に首を傾げると、向かいの席のアルガンもグッと拳を握りしめた。アルガンは殿下の教師かもしれないと目されるもう一人の教師なので仲良くしょっちゅう飲みに行っている。

「バイス先生、頑張ってください!」

 バイスは出勤している全職員達に心配そうな瞳で見送られてしまった。

(……あの手紙文は露骨だったかな)

 両親が怒って学校に来たのだとすると、この朝は長くなりそうだ。

 モンスターペアレントというものにはまだ一度しか遭遇したことがないが、あれは本当に疲れる。

 以前乗り込んできたモンスターペアレントはなんでいつまで経ってもうちの子が神との接続ができないんだと大層立腹していた。学校でもっとちゃんと教えろ、何なら魔力増幅系の装備を全生徒に用意するべきだ、なんて無茶を言われたものだ。

 今回は先にバイスがある意味喧嘩を売っているので気を引き締めていかねばなるまい。

 校長室の前にたったバイスは今一度自分の身なりを確認してから扉を叩いた。

 中からどうぞ、と校長の声が聞こえる。

 まだ誰もヒステリックにはなっていない様子だった。

「失礼します!」

 観音開きの扉の一枚を開けて入ると――バイスは状況が分からず固まった。

「こちらが一年B組を預かり持つ担任のバイス先生です」

「そうかい。よろしく」

 工芸品のように見事な白金のフルプレートに身を包む男性は座ったまま鷹揚に頷いてみせた。冒険者を親に持つような子供がいたかなと子供達との会話を思い出していく。だが、該当者はいない。

「あ、よ、よろしくお願いします…?ジョルジオ・バイス・レッドウッドです…?」

 理解が及ばず、語尾が上がってしまった。

「ジョルジオ・バイス・レッドウッド、今日一日だけ授業を見させてもらうよ。悪いけど、僕は心配性なんだ」

「は、はぁ…」

 校長に手招かれ、取り敢えず応接ソファに腰掛けた。

「えーと、どちら様でしょうか…?」

「僕の名前はツァインドルクス=ヴァイシオン。人は白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)と呼ぶ。これ以上の説明はいらないだろう」

 その言葉の意味をハッと理解すると、バイスは慌てて立ち上がった。キュータの腕輪のことなど吹き飛んだ。

「り、竜王!?そ、それでは、ナインズ殿下の授業参観ですか!?」

「そういう事になるね。もちろん僕は見ているだけだから、何も気にしないでくれて構わない」

「は、はい」

 はいと言っても気にしないことなど無理だ。

 本当にバイスの教室に殿下がいるなんて。どの子にも平等に関わってきたつもりだが、胃がギュッと締め付けられるようだ。先程のアルガン先生の様子にも得心がいった。

「では、白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)、バイス君と共に教室へどうぞ」

「悪いんだけど、ア――神王陛下も見ている気配がするから一度職員室へ行かせてもらうよ」

「え、えぇ!?それはもうもちりょ、もちろん!どの一年の教師も良い教師ばかりです!!」

 校長の声は神の名前が出た途端ひっくり返りそうだった。

 だが、バイスは竜王の腰に下がるものを指さした。

「――り、竜王様。大変言いにくいのですが……そちらの腰のものは……」

 どうみても剣だ。目の前の鎧が白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)だろうが何だろうが、子供を預かっているこの場所でそんな物騒なものを下げてうろつかれては困る。第一これが本当に竜王で神から派遣されてきたかなど分からないのだ。人みたいな格好をしているし。

「これは決して抜かない。抜く意味がないからね。誓って見せればいいのかな」

「い、いえ…できればこちらに置いて行っていただきたく……」

「何?これは特別な剣だ。そういう事はできない。それに君達程度の存在の前ではあってもなくても同じだよ」

「お、同じとは…?」

「剣を抜かなくても、この指先一つで君達を無力化(・・・)できる」

「あ、あはは……」

 バイスは校長に助けを求めて視線を送った。

「バイス君、大神殿からいらしてる神官様もこちらが竜王様であると言って下さったから、心配はいらないよ」

「そ、そうなんですか…?」

「やれやれ。置いていくことはできないけど、こうしよう」

 竜王は鎧の兜を掴むと、数度左右に振りながら頭部を外した。

 そこに頭はなかった。

 腰から外された剣は鎧の中にしまわれ、この鎧が空っぽであると理解する。

「これで良いだろう。僕が頭を外さなければ剣もだせない」

「あ、ありがとうございます」

「じゃ、教員室へ行こう」

 さっさと立ち上がると、竜王は自分のペースで行ってしまった。

 校舎の外からは子供達が遊び駆け回る声が、場違いなほどに明るく響いていた。

「ほら、バイス君!行きますよ!」

「は、は、は、は、はい!」

 バイスは慌てて廊下へ出ると、竜王が教員室に入ろうとしてドアノブに手をかけているのを慌てて止めた。

「あ、開けさせていただきますので!!」

「そうかい」

 バイスが扉を開けると、教師達が一斉に振り返った。

「い、一年生の教師陣はこちらです」

 恐る恐る案内し、固まる一年教師陣の下へ行く。

「よろしく。今日一日ナインズのクラスを見させてもらうよ。――アインズ、これで良いかな」

 竜王は軽く顎を上げ、虚空に向かって確認する。すると、こめかみに触れた。

「――アインズ。これでいいだろう?――何?別に僕は偉そうになんてしていないよ。――そうかい」と、手短に伝言(メッセージ)を済ませると、顎をしゃくった。「ア――神王陛下が来るそうだよ」

「「「「「へ!?」」」」」

 一年教員だけでなく、全学年の全教師達が慌てて立ち上がる。そこには黒々とした楕円が開いた。

 ゴクリと喉を鳴らさずにはいられない。

 中から骨の身が足を踏み出してくると、全員が数歩後ずさった。

 圧倒的な存在感と、抑えきれない畏れ。

 バイスは慌てて両膝をついた。

「――し、神王陛下……。よ、よ、よくぞいらっしゃいました……」

「担任だな。いつもナインズが世話になっている」

 神に軽く頭を下げられるとバイスは目を回しそうになった。

「いいいいいいえ、み、み、みんないい子ですから、ぼ、ぼ、僕の方こそ陛下には、お、お、お世話になって、あーと、えーと!!」

 何もうまく言えない。神は床に座るバイスに視線を合わせるようにしゃがんでくれた。

「いや。過保護な親で申し訳ない。こんな事は図々しいと分かっているんだが、ちょっとした事情で白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)が直接見なければならなくなった。悪いが、今日一日頼む」

「ひゃい!!」

「……じゃ、混乱するだけだから私はもう帰る。ツアー、頼んだぞ。だが、ナインズに話しかけたりするな」

「分かっているよ」

 神は全教員を見渡すと、一度頭を下げて闇の中へ戻って行った。

 頭を下げられた教員達は腰を抜かした。

「……こんな事で君たちは本当にナインズに物を教えられているのかい。僕はナインズを特別な子だと思っているし、正しく育って欲しいと思っている。本当は大人になるまで僕のところで預かりたいくらいだ。しっかりして欲しいところだね…」

 バイスは慌てて立ち上がった。神の子の教師としてみっともなくいつまでも座っていられない。

「そ、それはもう、も、もちろん!さぁ、行きましょう!!」

 竜王が自分の後ろについて来る。

 今日の日のことはきっと死ぬまで忘れないなとバイスは思った。近い未来、何度も忘れられないような事と遭遇するが、バイスはやはり死ぬその時まで今日の日のことを忘れなかった。

 階段を上がり、窓から差し込む日の光の落ちる廊下を進む。

 まだ少し時間が早いので、生徒の数は少ない。

「先生おはようございまーす!」隣のクラスの子に声をかけられ、バイスはいつもより威厳を意識して「おはよう」と返した。

 自分の教室に入ると、まだ数名しか登校していなかった。

「誰ー?」

 子供の何の悪気もない問いに、バイスはしっと口に手をやった。

「朝の会で話すから、とにかく失礼のないように!」

「えぇー?バイスンより偉い人ー?」

「バイスンじゃなくてバイス先生!」

 などと言っていると、竜王はまっすぐ窓へ向かい、外を眺めた。

(――ナインズ)

 曇天の校庭で一郎太と駆け回るナインズを眺める。教室にはどんどん子供が増えて行った。

 時間差で教室に上がると言っていたが、そろそろ遊ぶのをやめてきた方が良いんじゃないかと思う。こんなことを心配するために来ているんじゃないのに。

 新しく登校してきた子供達はあれ誰ー?生きてるー?とツアーを指差してはバイスに注意されていた。

 ナインズと一郎太は上位森妖精(ハイエルフ)のハーフの子供と合流すると、遊ぶのをやめて校舎へ向かった。

 ツアーも教室の隅へ行き、腕を組んで止まった。

「こいつ、動くぞ!」と子供が言うが、ツアーは無視した。

 ナインズも教室に入ってくると、ツアーをチラリと見て、少し緊張したような顔をした。

 そして、たくさんの友達たちに「キュータ君おはよー」「キュータおはよー」と声をかけられ、皆と挨拶を交わした。

「はーい、皆どんどん席についてー」

 子供は次から次へと教室に入って来る。

 アインズの建てた学校で何を教えているか知るためにも、今日と言う機会はぴったりだ。

 一席を残して、全ての席が埋まるとバイスはバインダーを開いた。

「ちょっと早いけど、今日はもう出席取りまーす」

 ツアーの存在が気になるのと、バイスがいつもと雰囲気が違うのとで、生徒達も少し緊張感があるようだ。

 一人一人呼び、呼ばれるたびに子供が返事をする。

 そして、最後に――「イオリエル・ファ・フィヨルディアは…今日も休みだな」

 一人だけチェックを入れ、バイスはバインダーを閉じた。

「さて、えー、皆気になってると思いますが、今日はある事情からそちらに白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)と言う竜王様が授業を参観します。竜王様は陛下方に言われていらしているそうなので、全員失礼のないように」

 さらりと紹介をすると、ハイ!と赤毛の少年が手を挙げた。

「はい、リュカ」

「陛下方にってことは、ナインズ殿下を見にきたの?」

「そうだね。後は、きっと皆が全員とちゃんと仲良くやっているか見にきたんじゃないかな」

 ツアーはバイスにチラリと視線を送られると、軽く手を挙げた。

「よろしく。僕のことは気にしないでいいよ」

「すげー!じゃあ、本当にこのクラスにナインズ殿下がいるんだ!」

「リュカ!このクラスにいらっしゃるんですね、だろ!」

「はは、いらっしゃるんですねー!」

「どうだろうね」

 ツアーはもう何も話すつもりはない。

 リュカはハーフ上位森妖精(ハイエルフ)を見た後、ナインズをじっと見つめ、座った。

(…気付きかけている子供もいるわけか)

 教師達も薄々勘付いている者もいるのかもしれない。

 気付かぬふりは子供より大人の方が得意だろう。

「じゃ、授業始めるぞー。国語の教科書開いてー」

 今日の授業は国語、算盤、魔法、宗学。昼食を挟んで、音楽だ。

 皆教科書を開いたり、筆箱を出したりするたびにちらちらとツアーを確認した。

 余程気になるらしい。

「昨日の続きからだから十三ページだぞー。今日は誰からにしようかな〜。中土月の二十九日だから――オーレリアン。オーレ、最初からニ個丸が付くまで読んでごらん」

 リュカとわりと仲のいいオーレが立ち上がり、スッと息を吸う。

「は、はい!えっと、火と、人の、せいかつは、いつも、いつしよです。すい…すい……」と読めずに悩んでいると、バイスから「水中都市な」と助け舟が出た。「――あ、水中都市いがいの、ほとんどの、ぶんめいを、もつ、生きものが、つかいます。まる」

「はい、そこまで。よく読めたな。じゃあ、先生から見て右隣ー」

 と、どんどん読み進めて行く。

 ツアーは自分の隣に立つ者にチラリと視線を送った。

 ナザリックで何度も見た事があるハンゾウ達だ。何なら昨日の夜ナインズと寝てた間もずっと近くに座っていた。

 不可視化しているのでクラスの誰も気付いていない。

 どんどん生徒達が読み進めて行くと、一番窓際のナインズの番が回ってきて、ナインズが読み始めるとハンゾウは感涙を流すように頷いて聴いていた。涙はハンゾウの体から離れると不可視ではなくなり、床に数的の水が落ちた。

「――水中都市には、完全に水の中にある都市と、半分だけ水の中にある都市があります。中でも、完全に水の中にある都市には水火という不思議な火があるのです」

 ナインズの読み方はとてもスムーズだった。言葉の意味をきちんと理解しながら読んでいるので聞いていて耳触りがいいし、聞いている方も言葉の意味を理解できる。

 言葉は話す方が理解をせずに話しては意味が通じないのだ。

「おー。キュータ、やるなぁ。よし、じゃあ、ここまで出てきた字を一回おさらいするぞー」

 教師が優しい公用文字を黒板に書いて行く。

 ツアーはそれを眺めながら、宵切姫はまだ公用文字が万全ではないが、よく二年でアーグランド文字を覚えたなと感心する。子供よりも基礎知識が多くあるとは言えよく頑張っただろう。

 その後も授業が穏やかに続き、算盤の授業が終わる頃にはバイスもツアーの存在にわりと慣れたようだった。

 十分程度の休み時間には、子供達がツアーの周りで、ツアーを真似て腕を組んで仁王立ちしたりした。

「な、キュータ!話しかけに行こうぜ」と、朝に発言したリュカがナインズに言った。

「え、ぼ、僕はいいよ」

「良いじゃん。すっげぇ鎧だしさ!」

 いやぁ〜とナインズが言っていると、上位森妖精(ハイエルフ)がリュカの肩を叩いた。

「キュータの家は魔法道具屋だから、ああ言うものもよく見るんじゃないかな?ね、キュータ」

「あ、エル。うん、まぁまぁよく見るかも」

「じゃあ、エル行こうぜ」

「いいよ、リュカ。行こう」

 ツアーは上位森妖精(ハイエルフ)はナインズの秘密に気付いていると思った。良い友達に恵まれている。

 二人はツアーの前に来ると、顔の前で手を振った。

「こんにちはー。竜王様、起きてる?」

「リュカ、失礼だよ。竜王様、こんにちは」

 ツアーは興味がないので無視した。

「…寝てる」

「そうなのかな…?」

 二人がナインズの下へ戻って行き、机を囲む。

「寝てた」

「え?寝てたの?」

 ナインズが振り向くと、ツアーは組んでいた手を下ろした。

「あ!起きてた!!」

 リュカが大声を出すと、隣で椅子を半分づつ分け合って座る女子達と、机に座る女子がリュカを睨みつけた。

「もー!リュカ君うるさい!」「ちょっとはキュータさんとエル様を見習って静かにして頂けませんこと」「うっさいなー。リュカ、あんた落ち着きなよ」

「お前たちの声の方がでけぇ!」

「失礼ね!」

「はは、皆賑やかだね」

 ナインズは楽しそうに笑った。一郎太も笑っている。

「キュータ君、私うるさくないよね?」

「オリビアはうるさくないよ。もちろん」

「オリビア"は"って、わたくしとイシューはうるさいって事ですの?」

「あー…レオネはちょっとうるさいかも」

「ちょっと!!キュータさんはオリビアにばっかり甘いんじゃありませんこと!イシュー、なんとか言って!」

 机の上に軽く腰掛けていた女の子はナインズに振り返ると、「あたしはレオネほど煩くないだろ」と不貞腐れたように言った。

「ははは。嘘だよ。二人ともうるさくないよ。レオネの声聞いてると元気が出る」

「だ、ちょ、どう言う意味ですの。もう」

「キュータ〜?あんまりレオネに意地悪するとくすぐるよ」

「してないしてない。イシューは優しいね」

「や、やさ…。いやぁ、別にあたしは二人の保護者っていうかさ。ね」

 ナインズはクスクス笑うと、立ち上がった。

「僕、ちょっとごめん」

「あ、キュー様?」

「一太はここにいていいよ」

 ツアーの方に歩いてくる――と思ったが、途中で曲がった。

「アナ=マリア。こないだ教えてくれた本、読み終わったよ」

「………ほんとに?ちょっと難しいご本だったでしょ?」

「うん。結構苦労した。難しい字がたくさんあったし」

「………お話はどうだった?」

「すごく素敵だったよ。こんなお話が身近にあったなんて驚いた。ツアレニーニャの時も驚いたけどね」

「………そうでしょ。キュータ君はきっと、気にいるって思ったの…」

「ありがとう。またいい本があったら教えてね」

「………うん。また一緒に買いに行こ」

「そうだね」

 よしよしと頭を撫でると、隣の席で山小人(ドワーフ)と一緒に本を眺めていた男子が振り返った。

「ねぇ、キュータ君。これどうやったら上手く使えるかな?」

「武器に刻むとしたらどうするのがいいじゃろう?」

 山小人(ドワーフ)は口調こそ老人だが、声は高く子供そのものだ。

「ロランとグンゼ、本当にルーン覚えるの?」

「位階魔法より面白いもんね」

「わしは立派なルーン工匠になりたいんじゃ!」

 ナインズは頷くと、ロランの机にある鉛筆を取った。

「これは変革や夜明けを意味するD(サガズ)だから……武器に刻むのは難しいけど……もし僕がやるとしたら……うーんと」置いてある紙にそっと書き込む。「上下に二つ組み合わせると、(スタン)になる。石を意味する文字だよ。この字の中には動きをサポートするE(エワズ)も含まれているから、モーニングスターみたいな打撃系の武器なら強くなるかも。試してみよう」

 ナインズがルーンを書き込んだ紙は軽く光を漏らし、それをぐしゃぐしゃに丸めた。

 それを持って数歩離れていく。

「投げるよ!」

「いいよ!」ロランが手を出すと、ナインズは下から優しく紙を投げた。

 それはロランの手の中に収まると、パシっと音を立てた。紙からなるとは思えない硬い音だった。

「……ほう」

 ツアーは思わず声を漏らした。

「「おぉー!」」

 ロランとグンゼも盛り上がる。

「紙だから上手くいっただけかもしれないけど、そんな感じかな」ナインズは照れ臭そうに頭をかきながら二人の下へ戻った。

「すごいよ!やっぱりすごいよキュータ君!」

「キュータにはわしの家の工房に一緒に来て欲しいくらいじゃ!」

「はは。全部お父さまに教えられただけだからすごくないよ。でも、グンゼの家は見に行きたいなぁ!」

「いつでも歓迎じゃ!」

 ナインズはグンゼと来週遊ぶ約束を取り付けながら、丸めた紙を広げ直して自分の書いたルーンが力を失うように上から塗りつぶした。ルーンは途中まで発光していたが、一部を塗りつぶすとぐにゃりと歪んでいった。

「…残念じゃのう。持って帰って親に見せたいんじゃが」

「誰かに取られると危ないからね。この紙があんなに硬いなんて誰も思わないだろうし」

「それもそうじゃな。今度うちに来た時、また書いてくりゃれ!」

「こんな事でよかったらいつでも」

 わいわいとあちらこちらで盛り上がっていると、教室にバイスが戻ってきた。

「はーい、皆席に着いて魔法と宗学の教科書出してー。三限が魔法で、四限目も宗学だから、今日は二時間かけてたっぷり勉強するぞー」

 じゃあね、とナインズは手を振り自分の席に戻って行った。ナインズの席にいた一郎太もエルと一緒に戻っていく。

「まず魔法の時間にたっぷり実技をやって、後半宗学でもう一度理論のおさらいだ。さ、今日もまずは製紙魔法を使ってみよう。皆杖を出してー」

 ナインズはツアーに振り返った。

 その目には外していいんだよね?と書かれているようだ。

 良いと言ったが、それでもきちんと確認をとって来るあたり、不覚にも愛らしさを感じてしまう。

 ほんの小さく頷くと、ナインズは嬉しそうな顔をして腕輪を外した。

「キュータ君、お母さま達良いって言ってくれた?」

 ナインズの隣に座る女子が小さな声で尋ねる。

「あ、うん。許してもらえたんだ。昨日は心配かけてごめんね」

「ううん。キュータ君のお母さま達なら、きっと良いって言ってくれると思ってたから」

「オリビアが取ってみたらって言ってくれたおかげだよ。ありがとうね」

 女の子のように整った顔でナインズが笑うと、オリビアは少し顔を赤くしてもじりと杖をいじった。

 一方、一郎太は首を伸ばしてナインズの様子を見ていた。腕輪を外してからずっとそうしている。

 やはり外すなとずっと言われて来たから、なんとなく心配なのだろう。こうしてお目付役のようにツアーがいては尚のこと。

(力は――今のところ大丈夫そうだね)

 暴走する様子はなく、ひとまずは安心だ。

 あちこちで呪文を唱える声が響く。

 

「<第零位階・製紙(ペーパーメイキング・0th)>!」

 

 ナインズが唱えると、ツアーはそちらを伺った。鎧なので視線は読まれない。

「で、できた…。やっぱり、これがなかったらできるんだ…」

「キュータ君、すごいすごい!」

 オリビアがパチパチと拍手をして、ナインズは感激したように紙を見つめた。

 そうしていると、バイスがナインズの様子に気付き寄って行った。

「キュータ!良かったな。お母さん達はなんだって?」

「あ、バイス先生。お父さまとお母さま、今日の放課後に腕輪の説明に来るって!」

「そうかそうか。ちゃんと手紙を渡してくれたんだな」

 バイスがナインズの頭に手を伸ばすと――ツアーと隣にいたハンゾウ達がぴくりと反応を見せる。

 ただナインズの頭を撫でただけだった。

 ツアーは反応しかけてしまった自分に苦笑した。

(……僕は守護神じゃないって言うのに)

「皆ー!キュータが完全に魔法を覚えたから、少し見せて貰えー!」

 ざわざわと子供達が寄って行く。

 ツアーとハンゾウのいるところからナインズが見えなくなると、ハンゾウはツアーと目を見合わせた。あちらもツアーがハンゾウを見えているとわかっているらしい。

 彼らは壁に登っていくと、天井からナインズを見守った。

 まぁ、何の変哲もない授業風景だ。

 ナインズも力を使う様子も、気付く様子もない。

 ツアーは少し過保護すぎたかと校庭に視線を投げた。

(この様子なら、一時間くらいなら良いか。少なくとも二年くらいは問題のある力の大きさにはならなそうだしね)と思い、ツアーは歩き出した。

(さて、帰るとしようかな)

 大神殿に一時的に鎧を置いて、今朝届いたと言うダイオリアーからの共和国の様子の報告の手紙を読みたい。あちらは少し困ったことになっているから。

 鎧はナインズが帰る時に一緒に鏡を潜らせれば良い。

 鏡の前には屍の守護者(コープス・ガーディアン)なるかなりの力を持つ守護神――だと思われる存在――が配備されていて、ナインズか一郎太と一緒でなければ鏡を潜らせてはくれないらしい。ツアーであれば倒せるが、わざわざ倒す必要もない。

「あ、竜王様!どちらへ?」

 バイスが尋ねると、ナインズの席に集まっていた子供達もツアーの移動に気が付いた。

「ジョルジオ・バイス・レッドウッド、僕の中で一つの結論が出たから、僕は行くよ」

「そ、そうですか…?」

 訳がわからないと言う様子だったが、バイスは一度両手を叩いた。

「じゃあ、皆竜王様を廊下までお見送りしよう!」

「「「「はーい!!」」」」

 子供達の返事が気持ちよく響く。

 ツアーが廊下に出ると、ナインズと一郎太も含め、皆が廊下に見送りに出てきた。

 それと同時に、アインズがこの場所を監視している雰囲気も消える。帰ってから特別報告する必要もなさそうだ。ツアーがこうして魔法の授業の途中で帰ったことが、全ての答えになるだろう。ツアーが教室にいた間、ずっとアインズに見られていた。

「それでは、竜王様、さようなら」

 バイスが言うと、子供達も「さようなら!」と声を上げ、皆手を振ってくれた。

 ツアーは「またねー!」と言うナインズにだけ手をふり返した。生徒達の中にいたので、誰に手を振ったかは分かるまい。ナインズの周りにいた子供達が「竜王様に手ぇ振って貰えたぁ!」と盛り上がっている。

(ナインズ、終わったらちゃんと腕輪を着けるんだよ)

 ツアーは一郎太と言うある種の監視にチラリと視線を送る。鎧に目はついていないので、野生的な勘でしかそれは感知できない。

 だが、一郎太は頷いた。

(ふ。古いぷれいやーの子孫か)

 ミノタウロス達はミノタウロスの国に引きこもっていたので、ツアーはわざわざ殺しに行ったりはしなかった。あの時の判断は間違いじゃなかったと思った。

 きっと、アインズはこの先ももしぷれいやーの子孫がいれば全員ナザリックに連れ帰ってくれるだろう。

 廊下の天井にはハンゾウ達がへばりつき、一応ツアーを見送ってくれていた。ナインズのそばにいるついでだ。

 歩くごとにガラン、ガラン、と中に仕舞い込んだ剣が揺れる音がする。階段に差し掛かると、一度頭を外して始原の剣を取り出した。いつもの場所に下げると何となく落ち着く。

 ツアーは午後の予定について思いを巡らせ、階段を降りていった。

 そして――「ない!!」と叫んだナインズの声がした。離れているので、普通の聴覚では聞き取り辛いようなものだ。

「――ナインズ!?」

 ツアーは一目散に教室に走った。その声は鬼気迫るものがあった。ナインズの心が不安と恐怖に揺れるのを感じる。

 ツアーは圧倒的なスピードで階段を駆け上がり、何事かと廊下を見ている子供達の教室の前を駆け抜ける。

 出過ぎたスピードは止まりにくく、片手で床をザザザと撫でながら止まり、扉を音を立てて開けた。

 バイスが竜王様!?と驚く。

「どうしたんだ!!」

「つ、ツアーさん!!僕の、僕の腕輪が!!」

 ナインズは泣きそうだった。周りの子供達が騒然とする。

「ハンゾウ!!腕輪はどこだ!!」

「ぼ、ぼくの…!僕の腕輪が…!!」

 ハンゾウは壁で不可視化していて、その場で首を振った。

「く、分からないと言うのか!?お前達それでも」アインズにナインズを任された護衛か、と言おうと思ったが途中で言葉を切った「――っくそ!!」

 ハンゾウは言われなかった言葉がなんなのかはっきりと理解している様子で、自分達の無力さを嘆くようだった。しかし、彼らはナインズの護衛としてはほぼ百点の行動をしていた。廊下に出た彼をきちんと見守り、常に側にいた。

 だが、そのナインズが健やかに過ごすためにあの腕輪は絶対必要不可欠なものなのだ。誰かに盗まれたとして、簡単に作り出せるものではない。制作には時間がかかるし、常闇の肉体もどれほどナザリックに溜まっているか分からない。

 ハンゾウ達は姿を消したまますぐに天井に上がり、上から腕輪を探し始めた。

「つ、ツアーさん!!」

 ナインズの中をもやりと力が動く。暴発するほどではないが、ツアーは急いでその手を握った。

「落ち着くんだ!大丈夫だと自分に言い聞かせろ!!僕がすぐに見つけてみせる!!あれは謂わば僕の一部なんだから!!」

 そう、あれはツアーの鱗から生み出されたツアーの一部なのだ。

 ツアーは竜の体も起こすと教室中の空気の流れ、力の集まる歪み、子供達の息遣い、自らの体の一部が漏らす気配、竜の持つ宝を求める本能、あらゆるものを駆使して感じとる。

「ツアーさん!見つからない!?ごめんなさい!僕が外したいなんて言ったから!!僕のせいだ!!」

「見つかる!!ナ――九太、君は何も悪くない!!僕が許した!!だが、静かにしていてくれ!!」

 教室はざわめいていた。

 ナインズの隣のオリビアが「キュータ君!?」と言うし、一郎太は慌てて腕輪を探している。

 ツアーはうまく力を見つけ出せずに焦った。近くにあるはずだ。あるはずだと言うのに、見付けられない。

 ツアーにあった始原の力はもうない。あれがあればすぐに見つけられたと言うのに――!

 ナインズがツアーの腕を引っ張る。ツアーはナインズの前に跪くと、立っているナインズを抱き締めた。

「この肝心な時に――!」

 今こそアインズに教室を覗いていて欲しかったが、残念ながら今その気配はない。

 フッ――と竜の身で息を吐く。一度頭を冷やした。

「九太、僕に君の力を貸してくれ」

「ど、どうやって!?」

「静かに。君はそのままで」

 抱きしめるナインズから感じるのは懐かしく愛しい力の波動。昔、フラミーが愛してやりたかったと言った子供にやってしまったと言っていたことを思い出す。魂の記憶がツアーに流れ込むようだった。

 その力にツアーは触れる。

 ナインズから始原の力を奪う事はできないが――彼の体を通して、目を閉じた暗闇の中、ツアーの体の一部が輝くのを感じた。

「――そこだ!!」

 そう言って手を伸ばした先は――顔を青くして震えている男の子が二人いた。

 ツアーはナインズから離れると、その身から始原の力の痕跡を失い、身を引き裂かれるような気分になった。

 震える男の子達は近づいて来たツアーを見上げて顎をガチガチ鳴らしていた。

「――出せ。出さなければどうなるか分かるな」

 その声はこの世界に君臨し続けた覇者のものだった。

「ち、ちが……ぼ、ぼくは…ぼくたちは……やってな――」

「――嘘だ」

 竜の知覚能力(ドラゴニックセンス)が否定する。同時に、ツアーは剣を戒めている紐を解いた。

「つ、ツアーさん待って!!」

 ナインズからの呼びかけに手を止めた。

「僕、お母さまにちゃんと言いたいことを言って、皆と喧嘩しろって言われたの」

「……よく彼女がそんなことを言ったね」

「うん。だから、僕が返してって言う」

「そうかい。君がそう決めたなら、僕は構わないよ。だが、出さなければ後のことは僕がやる」

「うん」

 ナインズは目を丸くしているバイスと子供達に見送られ、その男の子の前に立った。

「――カイン・フックス・デイル・シュルツ。チェーザレ・クライン。僕の封印の腕輪を返して。それは僕が、僕自身と周りの人達を誤って傷付けないためにお父さまが作った腕輪なんだ。僕のお父さまもそれに似た物を着けてる。返してくれないと――僕、本気で殴るよ」

「か、か、かいんさま…かいんさま……」

「ち、ち、ちがう…ぼぼくじゃない…。ぼくじゃ……」

「君だよ。ツアーさんが嘘だって言うんだから。これは推論じゃない。確定事項だ」

 ――似ている。

 ツアーはナインズの物言いや、その雰囲気がアインズにそっくりな事に少しだけ苦い顔をした。

 カインは震えるばかりで、一向に腕輪を出そうとしなかった。

「出せ!!」

 その怒声とともに、カインは泣き出した。

「うわぁー!!ちょっと、ちょっとびっくりさせようと思っただけなのに!!ちょっと叱られれば良いって思っただけなのに!!ぼくだって、お前が、お前がこんな腕輪してなかったらぁ!!うわぁぁーん!!」

 バイスも我に帰ると、慌ててカインの下へ駆けた。

 そしてローブのポケットをまさぐり、ナインズの腕輪を見付けた。

「キュ――い、いや、あの…殿下……こちらを……」

 バイスが膝をついて腕輪を差し出すと、ナインズはそれを受け取った。

「先生、僕はキュータ・スズキです。ツアーさん――いや、竜王はただ盗みを見過ごさなかっただけです。僕を助けたのは僕が取り乱していたのを可哀想に思っただけ。そして、盗みを働いたシュルツを客観的に見て叱っただけ」

 腕輪は腕の元の場所に戻され、ナインズは自分の席へ踵を返した。

 バイスはその小さな背中に何を言うべきかわからないようで、ツアーを見上げた。

「……どのような子供の物でも、勝手に盗んだり奪ったりする事は許されない事を、君達はよく覚えておくと良い。誰のものであってもだ」

「は!申し訳ありません!カイン、チェーザレ!早くお前達も頭を下げろ!!」

 バイスが泣きじゃくるカインの頭を押さえつけて下げさせる。

 ツアーはこの危険分子は殺してしまっておいた方が良いような気がした。弱く脆い人間の子供如き、手刀でも容易く首を刎ねることができるだろう。

 しかし、ここで切り捨てる事はやめておくべきだと頭を冷やす。

 それをするのはツアーの役目ではないし、ここは一応法治国家だ。例え、その法を破っても「仕方ないな」と(アインズ)が許す状況であってもだ。

「――カイン・フックス・デイル・シュルツ。チェーザレ・クライン。君達は二度とやらないと誓えるかな」

「や、や、やりません!」「やりません!!」

「そうかい。後は彼に許しを乞う事だね」

 ナインズはじっと椅子に座って自らの腕にはまる腕輪を睨み付けていた。もう二度と外すものかという気概が伝わってくる。それはそれでツアーとしてはある意味安心だが、ナインズがきちんと位階魔法を覚えられるかは心配だった。

 カインとチェーザレは震える足でバイスを支えに立ち上がり、ナインズの下へ行った。

「で、で、でんか…でんか……」

「……僕はキュータ・スズキだってば。君の言葉で言えばただの市井(しせい)の子だ。竜王が僕を一度でもナインズ・ウール・ゴウンだと呼んだか」

「い、いえ…いえ……」

 本当にアインズによく似ていると思う。ツアーは身を消したままでいるハンゾウの隣へ移動した。ハンゾウはこそこそとナザリックに連絡を取っているようだった。

「じゃあ、僕はキュータ・スズキなんだよ。だけど、君は僕がキュータ・スズキじゃ悪い事をしたと思わないかもしれないけどね」

「そ、そんな!そんなことありません!!僕は…ただ……君が羨ましくて……。君の持つ友達も、魔法も、その装備も……全部……。ちょっと困らせてやりたかっただけで……」

「僕が羨ましい?僕は何もできない。いつか強くなりたい、いつか大きくなりたい、いつか何でもできるようになりたい。そればっかりだ。いつも困ってるよ」

「申し訳ありません!申し訳ありません!!」

「僕は前に君に言ったはずだよね。志の高さを見せろって。国民としての自覚が足りないって」

「はい、はい……」

「僕は殿下なんて大それたもんじゃない。だけど、今日はたまたま竜王がいてくれた。たまたま腕輪を見付けてくれた。竜王がいなければこの腕輪は見つからなかった。僕はきっと家に帰ることもできずに、誰にも迷惑のかからないどこかへ消えるしかなかった。竜王がいなかったら君はそんな僕にどう責任を取ってくれたんだ。そう言うことまでよく考えたのか」

「何も…何も考えてませんでした……」

「そうだろうね。君達には、僕が昔から父に言われ続けている言葉を二つ教えておくよ。"お前は自分のやろうとしている事が、お前自身とお前の周りに本当に必要なのかよく考える必要がある"。"無駄に奪う事は未来のお前自身から奪うことに繋がる"。僕はこの言葉達を初めて聞いた時から片時も忘れた事はない。君達は今日僕から奪う事で、君達自身からもきっと何か大切なものを失うことになったと思うよ」

「お、お許しを…!」「どうか、お許しを!!」

「……その痛みを君達は君達自身で解決するしかないと思うと同情するよ。だから、許すと言葉にしておく。でも、一郎太のこともだけど、二度目はない」

「絶対にもうしません!!」「二度としません!!」

「下がってくれ。僕は疲れた」

 しかし、カイン達は下がる様子はなかった。

「…先生、授業を続けてください」

 バイスは弾かれたようにカインの腕を捕まえた。

「す、少し自習していて下さい!先生はカインとチェーザレと話します!」

 泣いて仕方のない二人が先生に引きずられるようにして出ていくと、ナインズは周りからの痛すぎる視線の中、ため息をついた。

「……キュータ君……」

「…オリビア、驚かせてごめん。僕、この腕輪がすごく大事だったんだ…」

「う、うん。あ、いえ。はい。そうですよね」

 そのよそよそしさに、ナインズは短杖(ワンド)と教科書を持つと、ロッカーへ向かった。

「あ、キ、キュータ君……」

 何をしているのかと見ていると、ロッカーに入っている全てを鞄に詰め込んだ。

「僕、今日は帰る。ツアーさん、行こ」

「良いのかい」

「……これじゃいられないよ」

 生徒達は硬直している。彼らには少し時間が必要そうだった。

「――そうだね」

 ツアーはそっとナインズの手を握ってやると、扉を開けた。

「あ、キュー様!」

 一郎太も慌てて荷物をまとめると、ロッカーの中に入れてある鞄に押し込んで後を追った。

「……バレた。たった二ヶ月や三ヶ月で」

 ナインズは目にいっぱいの涙を溜めていた。

「……まだバレたと決まった訳じゃないだろう」

「バレたよ……。皆が僕を見る目を変えたんだ……。明日から、お利口な神の子なのか、点数をつけられちゃうんだよ……」

「ナインズ、君はさっき、自分はキュータ・スズキだとハッキリと担任に告げたんだから、大丈夫だ」

「ナイ様、そうですよ!大丈夫です!」

 追ってきた一郎太はナインズの持つ鞄を持ってやり、手を握った。

「一太…君は授業受けて良いのに。魔法、使えるようになりたいんでしょ」

「ナイ様のおそばじゃなかったら、どこにも居たくないから良いんですよ!」

「……一太、ありがと」

「いえ!」

 三人が揃って外に出ると、外はしとしとと雨が降っていた。傘を開こうとすると、校門に転移門(ゲート)が開いた。

「――アインズか」

 三人はそのまま転移門(ゲート)に入り、転移門(ゲート)は閉じた。

「ナインズ、大丈夫か?」

 転移門(ゲート)の中では枕を殴りまくっているアルベドと、ソファに座るアインズ、フラミーがいた。枕がよく弾けないものだ。

 それから、転移門(ゲート)の前で待っていたアルメリアが駆け寄り、ナインズを抱きしめてくれた。

「にいに」

「……リアちゃん、僕、もう学校やめる。ごめん」

「ナインズ、そう言うな。大丈夫だ。私が今から皆の記憶を書き換えてきてやろう」

「お父さま…ごめんなさい…。」

「お前が気にする事じゃないよ。偉かったな。正直驚いたよ。私達はお前を誇りに思っている」

「皆の記憶は…僕が悪いんで…消さないであげてください…。」

「いいのか…?」

「はい…。きっと、記憶操作(コントロールアムネジア)は怖いから…。」

 アインズはこのやり取りはフラミーとしたことがあると思った。フラミーの身体特徴を知ったアルベドの記憶を書き換えるか尋ねた――あれは初めて聖王国に行った帰り、デミウルゴスの牧場でのいざこざの後のことだ。

「……お前がそう言うならやらないが……お前は本当にそれで良いのか?」

「うん……。僕がちゃんと席を離れる時に腕輪を持って行かなかったのが悪かったんだ……」

 ツアーはナインズの身の中で何かが歪もうとすることに気がついた。それをアインズとフラミーはカルマ値と呼んでいる。

「――ナインズ、君は悪くない。君はアインズ達や僕の言いつけを片時も破っていない。許された範囲で何もかもを行なっていたんだ。我慢することはない、君の思う事を聞かせてくれ」

「……ツアーさん」

「言って良いんだ。君はフラミーに喧嘩しても良いとも言われているんだろう」

 ナインズはギュッと拳を握りしめた。フラミーがナインズの頭を撫で、抱き上げようとすると、ナインズはやんわりと拒否した。一郎太もツアーもいる前で、子供のように母親に抱き上げられたくなんかないのだろう。

「……フラミー、僕の家へ転移門(ゲート)を開いてくれ」

「…帰るんです?」

「ナインズと少し話してくるよ」

 フラミーはそれがナインズのプライドのためだと言うことにすぐに気が付いた。

「…そうですね。ナイ君、ツアーさんの所にお出かけしておいで。――<転移門(ゲート)>」

 ナインズが無言でツアーと共に転移門(ゲート)を潜っていくと、一郎太はそれを追おうとし、フラミーは転移門(ゲート)を閉じた。

「いっくん、ごめんね。いっくんはリアちゃんと一緒に大神殿に行って、屍の守護者(コープス・ガーディアン)からナインズの分といっくんの分の温度耐性の指輪を持ってきてくれないかな?」

「わかりました!オレ、行きます!アリー様、行こ」

「…リアちゃんも行くです?」

「うん。リアちゃんもにいにの味方でしょ?だから、にいにのために取りに行ってくれるかな?」

「分かったです!にいにのために行くです!」

「二人ともありがとね。<転移門(ゲート)>」

 一郎太は大神殿に開かれた転移門(ゲート)に一歩足を踏み入れると、振り返ってアルメリアに手を差し伸ばした。

「アリー様、どうぞ」

 アルメリアはすぐにそれを取って転移門(ゲート)を潜っていった。

 ふぅー…と親達のため息が響く。

「アルベド、やめろ」

 枕を殴っていたアルベドはそれを即座にやめた。

「――は。申し訳ありませんでした」

「良い。気持ちはよく分かる。あぁ………最初からナインズとして通わせてやってた方がよかったのかな。俺のエゴだったっていうか……」

 アインズは呟くと、遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)を取り出した。

 フラミーが首を振る。

「それはそれで、きっとすごく悩みましたよ。位階魔法が使えなくて、周りの目を気にしちゃってた。それに、抑制の腕輪も神王陛下と光神陛下が言うなら外させてはいけないって、きっと先生もナイ君に外した状態で魔法を試させようとしなかった。お友達も、あんなに自然にはできなかった……」

「……利口な神の子なのか点数をつけられる――か。ナインズにはそう感じるんだもんな……」 

 

 鏡に映るナインズは初めて訪れたツアーの城を口を開けて見ていた。

 アインズは竜の体のツアーと鏡越しにちらりと目が合った。

「おいで、ナインズ」

 広い城の中に声が何度も反響した。

「そ、その体がツアーさんなの?」

「そうだよ」

 ナインズは薄暗いその場所で、足元を確認してから長い長い階段を登った。

「よく来たね。昔、フラミーはとても悩んでいた時毎日ここを訪れていたんだよ」

「お母さまが?」

「そうだとも。僕の顔に寄りかかって座っていた。その時、僕達はとても多くのことを話したんだ」

 階段を登り切り、ナインズは猫のように体を丸める大きな竜の顔の横に座った。

「君もここなら何を話しても良いんだ。さぁ、聞かせてくれるね」

 ナインズはツアーの巨大な牙を数度撫でると、ぽつりとこぼした。

「……僕は本当はシュルツなんか大嫌いなんだ」

「僕もあの子供は大嫌いだとも」

「……一太にひどい事を言うし、僕のものも盗るし、あんなやつ、あんなつ……」

「そうだね」

「……僕は本当は何も悪くなかったのに!あんなやつのせいで僕は皆に、皆と違うものを見るような目をされた!!」

「そうだとも。君は悪くなかった。とんでもない話だね」

「あんなやつ!あんなやつ!!大っ嫌いだ!!」

 ナインズは数度肩で息をした。

「君の言う通りだとも。この白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)もそう思っているんだ。それに、神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王も、フラミーもそう思っているよ」

「あんなやつ、いなかったら良かったのに!!許したくなかった!!あんなやつ、あんなやつ死――っくぅ……!」

 ナインズが何を言おうとし、何を堪えたのかツアーにも、鏡を覗く両親にも分かった。

 ナインズの言葉は強い力を持つ。望んで口にすれば叶わないことはない。

「……まったく君の言う通りだね。なのに、許してやって君は偉かった。だが、ナインズ。許さないと言うことも時には選んで良い。許したから君は偉かったんじゃない。自分の戦うべき相手かどうかを自分で決めたのが偉かったんだ」

「……あんなやつ喧嘩しても意味ないもん…。……なのに…どうしてあいつは僕の邪魔ばっかりするんだ!」

「君のことが羨ましいんだろう。君は身分もない子供でありながら、たくさんの友達がいて、魔法も使えた。それに、誰も持っていないようなものをたくさん持っている。皆、君に憧れていたよ」

「何も持ってないよ……。それに、僕は憧れられてなんかない……」

「何故そう思うんだい。どの友達も君をあんなに慕っているじゃないか」

「……仲良しなのと憧れは違うよ…」

「ナインズ。君も君の価値を受け入れて良いんだ。君は特別な子供だ。それは力や身分のことを言っているんじゃない。ナインズでも九太でもなく、君と言う生き物自身が持つ誰よりも気高い精神のことを言っているんだ。わかるかい?」

 ナインズは少し照れ臭そうに笑った。

「はは、僕って気高いの?」

「気高いさ。それを友達は皆感じていた。だから君はあのクラスで誰よりもたくさんの友達がいたんだ」

「……今はもう、お友達じゃないのかな」

「それは君次第だよ。君がまだ友達でいたいなら、明日学校に行った時いつも通りに振る舞えば良い」

「僕が九太でいたとしていても、皆僕をナインズだと思ったらジロジロ見てくるかも……」

「最初のうちは見られるかもしれないね。気になるならアインズにあの変な仮面を借りていけ。だけど、君と言う生き物がナインズでも、九太でも関係なく、君の精神だけを見つめてくれる本当の友達だけが君のそばには残るんだと言うことを僕が保証しよう」

「残ってくれるかな……」

「たくさん残るよ。僕も君とは友達だからわかる。一郎太もそうだろう」

 ナインズは少し心が軽くなったような顔をしてツアーを見上げた。

「僕、腕輪はもう取らない事にする」

「魔法の授業はとっても良いんだよ」

「ううん、次またツアーさんが一緒にいてくれるとは限らないから、取らない。いつかこれを着けたままで位階魔法を使えるようになるんだよね?」

「多分ね。君の魔力がその腕輪にかき消されないくらい育ったら、使えるようになるんだと思うよ。アインズの言う通り、外して少しは練習した方がいいのかもしれないね」

「……じゃあ、ナザリックでツアーさんがいる時だけこれ取って魔法の練習する」

「はは、ナザリックでそれを外すのはアインズが認めないんじゃないか」

 ツアーはおかしそうに笑った。地を揺らすような笑い声がナインズの背中にビリビリと伝わった。

「危ないから?」

「あぁ。そうだとも」

 ツアーは返事をしながら、ちらりとアインズの見ている気配へ視線をやった。

「帰ったらアインズに確認をすると良い。もし、ナザリックではいけないと言われたら――君はここに来て魔法を練習するんだね。僕になら魔法を当てても大丈夫だから」

「え!そ、そんなの危ないよ!」

「僕はこう見えてとても強いんだよ。君のそばにいるどの守護神よりもね」

「……アルより強い?」

「アル――あぁ、アルベド君か。もちろんだよ」

「じゃあ、じいよりも?」

「コキュートス君よりも強いさ」

「それなら……平気なのかな……」

「平気だよ。だから、ナインズ。君はいつでもここに来て好きなだけ練習をすれば良い」

 ナインズが頷く。

 ツアーは少し笑んだ。それはこの始原の力を持つ子供を手中にできるかもしれないと言う打算と、――そんな物を置いておいたとしても大切に思ってしまう甘さからの笑いだ。

「――ナインズ。僕は君を心から大切に思っている。君のそばにいると心も安らぐ」

 ナインズの中を流れる、感知できないほどに抑え込まれた魂の魔法はツアーに柔らかな息を漏らさせた。

「ツアーさんは僕が好きなんだね」

「……そうだね。君は生まれた時、皆ナイ君を待っていた、皆ナイ君が大好きだって感じたんだろう。それは今も変わらない。僕も君が正しく育つのがすごく楽しみだ。君さえいれば、何も怖くないとすら思えるんだからね」

「僕もツアーさんといると怖くない!」

 ツアーは目を閉じた。

(君はぷれいやーと戦える。君は世界を破壊しない。君は世界を愛してくれる。君は無闇に征服しない。君は僕を信じてくれる。君は――始原の力をきっと正しく使ってくれる。そして、正しく使わないでもいてくれる)

「ツアーさん、眠くなったの?」

「眠くない。だが、君がそばにいる時はこうしている方が心地良い」

 ナインズも目を閉じてツアーの大きな呼吸音に耳を済ませた。

 ツアーはナインズの中で歪みかけていたものが元に戻っていくのを感じた。




ナイ君……( ;∀;)明日からまたちゃんと学校いけるかな
そして「あの変な仮面」

次回Lesson#9 不登校と森妖精
あぁ〜( ;∀;)25日デェス

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