眠る前にも夢を見て   作:ジッキンゲン男爵

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Lesson#9 不登校と森妖精

「……カイン、チェーザレ。先生は正直言ってガッカリした。ナ――いや、キュータ君も言ってたけど、人の物を盗るなんて絶対に許されない事だ」

 治癒室のベッドに座らされたカインは震えながら泣いていた。

「だって…だって……知らなかったんだもん……。あの子がそうだなんて……知らなかったんだもん……」

「キュータ君が誰でも関係ない。人から物を盗ったから、先生も竜王様もあんなに怒ってたんだ。キュータ君も怒ってただろう」

「ちょっと困った顔を見たら、返そうと思ってたもん!!なぁチェーザレ!!」

「そうですよ!ロッカーに入れて返そうと思ってた!!」

「それでも盗ったことは許されない」

「でもあの腕輪はそもそもいけない物なんでしょ!?先生だってあんな腕輪はやめさせてって手紙に書いてたくせに!!」

「……お前、どうしてそれを知ってるんだ?」

 カインはハッとすると口を閉じ、握りしめる手を見つめた。

「はぁ……。カイン。先生はカインの家に手紙を書かなきゃいけないから、涙が止まったら先に二人で教室に戻りなさい」

「せ、先生!!やだよ!!家は関係ないのに!!」

「関係なくない。ちゃんと親御さんから謝ってもらった方がいい。――これは、カインとチェーザレのためでもあるんだよ」

 そうだ。彼らが神から見放されれば、この先どんな人生が待っているかなんて分からない。

 バイスはカインとチェーザレの頭をぽんぽん、と叩くと、厳しい表情をする女神官に頭を下げた。

「神官様、申し訳ないのですが、カイン・フックス・デイル・シュルツとチェーザレ・クラインをもう少しここに置いてやってください」

「……構いませんが、手紙の内容には気を付けられますよう」

「……はい」

 それは、神の子から腕輪を取り上げて竜王に怒られたとか、そんなことを書くなと言う事だろう。誰が神の子かは伏せられなければいけない。

 バイスが治癒室を出ていく。

 カインは自分の脳みそは全部スパゲティでできているのではないかと思った。頭の中はぐちゃぐちゃで、かき混ぜられて大惨事だ。

 なぜあの時あんな事をしてしまったんだろうと何度も後悔した。

 たまたま皆がキュータの席の周りに集まった。

 そして、竜王が帰ると言ってたまたま皆がキュータの席から離れた。

 たまたま皆の意識が竜王に引っ張られた。

 カインも廊下へ向かおうとした時、たまたま腕輪が二人の目についた。

 たまたま誰も見てなかった。

 今なら隠してやれる。

 こんなルール違反は許さない。

 困った困ったと言って焦る顔が見られる。

 帰るまでに見つからなかったら、親に怒られたと次の日に落ち込む姿を見られる。

 ――そんな簡単ないたずら心と、一種の正義感だった。

「シュルツ君、クライン君。そろそろ教室に戻りなさい。ご迷惑をおかけした方にもう一度よく謝ってきた方が良いでしょう。それに、バイス先生がお戻りになった時にまだいないと心配します」

 二人はぐしりと目元を拭うと、よろけながら立ち上がった。

「……はい」

 とぼとぼと治癒室を後にし、階段を登って行った。

 カインの教室はガヤガヤと騒々しかった。

 そして、カインが扉を開けるとシン…と途端に静まり返った。

「あ………」

 キュータの席と、一郎太の席には誰もいなかった。

 じろじろと皆に見られながら、自分の席に座る。

 もうバハルス州に帰りたかった。

 二人が先に座ると、やがてひそひそと皆が話を始めた。

「シュルツ達と話さない方がいいよ」「もし本当にキュータ君がナインズ殿下だったらどうなるの?」「竜王様が助けたんだから殿下だよ」「でも違うって言ってたよ」「竜王様が慈悲深かっただけ?」「普通竜王をツアーなんて呼べないよ」「それに竜王様の一部でできてる腕輪だって」「うわぁ、高そう…」「そんなの普通の人に買えるの?」「だからスズキ君家は大神殿も贔屓にしてる魔法道具屋なんでしょ?」「キュータ可哀想だったなぁ」「あいつら反省してんのかな」「おーやだやだ」「神都に来たってのに田舎みたいな発想だったし」「ミノタウロスはなんとかって言ってたよね」「一郎太、よく許してやったよね」「これであいつらいなくなるんじゃないの」「裁き?」「裁きだよ」「裁きだね」

 カインは聞こえないふりをして机に突っ伏した。

 寝ているふりをするしかなかった。

 そして、もし市に裁きが下ったら――そう思うと、もう世界には今日で滅んでほしかった。矛盾しているかもしれないが、自分のせいでそんなことになったと誰にも知られずに済むなら何でもよかった。

 お腹が痛くなっていく。

 そうしていると、教室の扉が開けられる音がした。

「あ……そうだよなぁ」バイスの呟きは、どう考えても帰ってしまった二人に向けた物だ。「――ほら、皆自習してろって言っただろー」

 バイスは何事もなかったように言うと、カインとチェーザレの下へ来た。

「カイン、チェーザレ。先生の手紙は明日か明後日お家に届くから。良いな」

「お、送るの…?僕が持って帰るんじゃなくて…?」

「お前は寮なんだから持って帰れないだろう。さ、しょげてても仕方ない。切り替えて」

 重たい空気の教室で、バイスはパンパン、と手を叩いた。

「皆、明日キュータ――君がまた登校してきても、変な目で見たりしないように。いつも通りに迎えてやろう。キュータ君も言ってたけど、彼は殿下じゃないかもしれない。誰が殿下かなんて誰もわからないんだ。確かめようがない。だから、今日のことは忘れて、普通にしてやろう!きっとキュータ君もそれを望んでる!」

 子供達がいい返事をするのに頷く。そして、バイスはつい君付けで呼んでしまったが、これまで通りに接するのなら君付けもやめようと心の中で決めた。

 子供達には二種類いて、キュータがナインズだと確信したような子と、まだキュータがナインズなのかどうか決めかねている雰囲気の子がいる。

 バイスは確信していた。あの二人のやりとりはどう考えても初対面のものではないし、どこか傲慢な竜王が血相を変えてどうこうする子供が殿下じゃないわけがない。

 しかし、子供達も今まで通り、バイスも今まで通りだ。あの子が学校に元気に通ってくれるようにバイスは数秒の祈りを捧げた。祈りはきっと届くのだから。

「――じゃあ、授業始めるぞー。えーと、一、二、三……」と席を数えて行く。「皆、一番後ろの列の子達以外は前後でグループになりましょう。前に座ってる子が後ろ向きに座ってねー」

 全部で三十八名のクラスなので、二人組の席が横に四列、縦には五列。廊下に一番近い縦の列だけ四列になっている。

 皆、席の向きを変えて後ろの子達と一つの長机を共有した。

 一番後ろの五列目の子達は組む人がいないため二人ペアだ。

 グループは全部で十一。バイスは十一枚の紙を生み出すと一グループに一枚づつ配った。

「皆で触ってよく確かめろー」

 今日は個人で練習をした後に、最後の十分程度こうするつもりだったが、教室の空気が悪いのでもうグループにした。グループワークは低学年のうちはむしろ集中力が切れやすいので長時間やるのは得策ではない。

 カインはチェーザレと隣り合っていて、前には空の人(シレーヌ)のペーネロペーと、神都出身のトーマ・バイ・ニコレ、通称トマが座っている。

 トマは影は薄いが、そう言うことで人を差別するような性格ではない――が、流石にカイン達には話しかけなかった。

 ペーネロペーも、この神都ではどちらかと言うと珍しいセイレーン種なので少数派(マイノリティ)として、人を避けたりはしないが――こちらもやはり、カイン達には話しかけなかった。

 チェーザレとカインの間にも会話はなく、二人と一人づつに別れているような有り様だった。

(……これは根深そうだなぁ)

 クラスの誰もがエルミナス・シャルパンティエがナインズ・ウール・ゴウンだろうと思っていたし、ミノタウロスを従者として連れているキュータの事を、もしやなどと思ったことはなかっただろう。一体どんな田舎から出てきた子なのだろうと思ったはずだ。

 バイスはすぐに、その発想そのものがもはや差別であったと自分を叱責した。これは神に試されていたと言っても過言ではなかったかもしれない。

(……誰が殿下でも関係ない。子供達は皆平等なんだ…。カイン達が誰から物を盗んでも罰は必要だ……)

 クラスはカインとチェーザレを残して、徐々にいい雰囲気を取り戻して行った。

 

+

 

「僕、スッキリしたから学校戻るね」

「そうかい?嫌になればまたいつでもここに来ると良い。気を付けて行くんだよ」

「うん!ありがとう、ツアーさん」

 ナインズはツアーの大きな顔に一度抱き付くと階段を降りて行った。

「――アインズ、ナインズがお帰りだよ」

 言わなくても迎えの門は開いただろうが、ツアーがアインズに連絡を取ったと思った方がナインズは見られていたと思うよりも気が楽だろう。

 階段の下に転移門(ゲート)が開く。

 ナインズは一度振り返り、ツアーに手を振って転移門(ゲート)をくぐって行った。ツアーは尻尾と鎧の手をあげて応えた。

 

 ナザリックに戻ると、家族に「おかえり」と言われ、部屋にはまだ一郎太がいた。

「あ、一太。ごめんね、待たせて」

「いえ!大丈夫ですよ」

「……僕、もっかい学校行こうかな…なんて思ってるんだけど、どうかな?」

 一郎太は毛むくじゃらの目を少し見開いた。

「いつでも付いていきます!でも、ナイ様が嫌なら明日にしたって良いんですよ?」

「ううん。大丈夫。なんか、出てきちゃったけどさ…。明日になったら今日よりもっと行きづらい気がして。それに、ツアーさんと帰ったと思われるより、少しどこかにいたって言ったほうが良いかなって」

 いつものナインズの様子だった。

「――それもそうですね!じゃあ、行きましょう」

 一郎太が部屋の扉へ向かうと、ナインズはあっとある事に気がついた。

屍の守護者(コープス・ガーディアン)が耐性の指輪持ってるまんまだった!」

「オレ、アリー様ととってきました!――ほら」

 一郎太の手の中には指輪が二つ輝いていた。

「あ、ありがとう!リアちゃんも!」

「リアちゃんはすごく偉いので!褒めてくれても良いです!」

 えへんとアルメリアが胸を張るとナインズはアルメリアを十六レベルの豪腕で持ち上げた。

「ありがとう!リアちゃんは偉いよ!えらーい!」

「へへへ!にいに、嬉しそうです!」

「うん!僕、ちゃんと腕輪をしてても魔法を使えるようになるよ!きっとリアちゃんに教えてあげるね!」

「にいに!リアちゃんもこんなもの着けてても魔法使えるようになるです!」

 二人はギュッと抱き合い、離れた。

「じゃ、行ってきます!」

「あ、ナインズ。これを持っていけ」

 アインズはシュッとブーメランのように仮面を投げた。

「――っと、あ、これ」

 それはナインズがナインズ・ウール・ゴウンとしてどこかに行く時、もしくはアインズがアインズ・ウール・ゴウンとしてどこかに行く時、周りの人に気付かれないようにするための――「嫉妬マスクだ。持ってけ。一度第七階層で黒焔の悪魔(アミー)に掛ければ小さくなる。」

「うん!わかった!一太、行こう!」

「はい!」

 二人は部屋を飛び出して行った。

「子供ってほっといても大人になっちゃうのかもしれませんね」

 フラミーが言うと、アインズは静かに頷いた。

「…まぁ、一日も早く社会人にするって誓いもあるし…ね」

「なんだか、ちょっぴり寂しいです」

「ん、そうですね…。おいで」

 フラミーはアインズの膝に乗ると、昔のようにアインズの首に縋った。

「…リアちゃんも乗って良い?」

 見上げるアルメリアに笑い、アインズは手招いた。

「もちろん。花ちゃんもおいで」

 もさもさの翼だらけだ。

「……ベドちゃんも乗っていい?」

 アルベドの提案にアインズは目を逸らした。

 

+

 

「じゃあ、お願い!」

 屍の守護者(コープス・ガーディアン)に指輪を渡し直し、ナインズと一郎太は大神殿を駆けた。

 何故だかおかしくなって、ナインズと一郎太は大笑いしながらバタバタと階段を降りた。

 フラミーを象るステンドグラスに見守られ、二人は「近道しよう!」と職員通用口ではなく、大聖堂の方へ駆けた。

「――ナインズ殿下!?学校はどうされたんですか!?」

 途中で神官長に問われると、ナインズは手を振った。

「ナインズだってバレたかもしれないから帰ったの!」

「え、えぇ!?」

「でも大丈夫!僕、また行くから!」

「殿下ー!?」

「へーきへーき!やっぱりまだバレてないかもー!」

 ナインズは一郎太と走った。

 神官が大聖堂内へ出入りするところから飛び出すと、神殿の中には朝と違い随分人がいた。

「――っとと。静かに行かなきゃね」

「ほんとですね」

 二人は怒られないように静かに歩いた。美しく大きな薔薇窓の中心にはアインズがいて、それの周りには話に聞く至高の四十人がいる。

 ナインズはいつか皆に会ってみたいと思うが、リアルという恐ろしい場所に行かなければならないとも聞くので、早く皆もこっちに来れば良いのにと思った。

 大人達が真剣に祈りを捧げ、神官が美しい聖歌を歌っている。

 中には、大陸の東、東陸の噂をしている大人もいた。神聖魔導国は殆ど関わりを持たないが、東陸にはたくさんの小さな国があり、近頃では東陸にある一番大きな共和国との雰囲気が悪いらしい。このままでは戦争もあり得るのではないかと、神都ではもっぱらの噂だ。友好国からの救援要請を貰えば、神聖魔導国は軍を出すかもしれない。出兵の際には魂喰らい(ソウルイーター)が戦争へ行ってしまうので乗合馬車(バス)の便数が減るとか。

 難しい話だった。ナインズにはまだよく分からない。

 そんな中、ナインズはある少女に目を止めた。

「――あれ?あの制服」

 それはナインズ達が着る服と同じ制服だった。ローブのフードに付いている模様は青なので一年生のものだ。

 少女は十人も座れる礼拝用の長椅子に座り、寂しそうな、まるで心を失ったような顔で薔薇窓を眺めていた。

 ナインズと一郎太は目を見合わせた。

「学校、もう終わっちゃった?」

「いえ…多分、まだ三限目の終わりくらいですよね?」

 二人は足を止め、こそこそと少女の後ろの長椅子に入って行った。

 そして――「ね、君。何してるの?」

「ッキャヮ!!」

「っえ!?」

 ナインズが声をかけると共に、少女は驚いて飛び上がった。ナインズも思わず飛び上がる。

 二人は椅子から半端に腰を上げた状態で顔を合わせた。

 周りの大人に咳払いをされ、こそこそと座った。

「な、何者…?誰じゃ……?」

 少女は不安そうにナインズを見上げた。口調はまるで老人のようだった。

 少女の髪は花のように薄いピンク色で、何か甘く良い香りがした。

「僕はキュータ・スズキ。君の名前は?」

「オレは一郎太!」

「……此方(こなた)は………――フラル」

「フラル、宜しくね。君、神都第一小学校の子だよね?」

「…その通りじゃ」

「僕達も第一小なんだ。ほら、お揃いでしょ」ナインズは立って自分の身なりを見せた。「フラルはここで何してるの?学校は?」

「…学校は…そのな…」

 フラルはもじもじすると俯き、そのまま何も言わなくなった。

「オレ達今からガッコー行くから、フラルも行こうぜ」

「だが……」

「何だ?あ、もしかして治癒に来てんのか?神官呼んでやるぞ?」

「……そう言うわけではないが……此方にはどうしても叶えたい事があるのじゃ」

「叶えたいこと?」

「あぁ。だから、学校に行っている暇はないんじゃ」

 妙にきっぱりとした言葉だった。

「でも、学校に通うのは子供の義務だよ?」

「……此方は、子供ではない。子供というのは親がいて、親に守られている者達のことを言うものであろ」

「ごめん。…どういう意味?」

「…其方(そなた)には関係ない。早く学校へ行け」

「フラルと一緒じゃないと行けないよ」

「何故。先生に頼まれたか?」

 ナインズは首を傾げた。

「いや?でも、君寂しそうだから」

「……寂しくない者がこの世にいるか…。皆ひとりぼっちじゃ」

「フラル、学校に行けば寂しくないよ。僕も今日は少し学校行きたくなかったんだけどさ。僕達と一緒に行こう」

「うるさい。ほっておけと言っておるのが分からんか。此方はここで祈りを捧げなければならんのじゃ。其方のような泡沫(うたかた)の命の人間とミノタウロスとは話とうない」

 フラルがフンと顔を背けると、ピンク色の髪を割って長く尖った耳が見えた。

「おい、種族で人を示したりまとめたりするな。キュー様相手に失礼だぞ。口を弁えろよ」

「知らぬ」

「フラル、僕は人の子じゃない。僕が長命なら話してくれるの?」

 ナインズはそう言うと、髪の下に普段は隠されている小さく尖った耳を見せた。

「……其方、ハーフ森妖精(エルフ)か?」

「違うよ。でも、多分命が長い生き物」

 ナザリックの者に寿命はないとアインズが言っていた。

「……此方よりは早く死ぬ。此方は純血の森妖精(エルフ)じゃ」

 フラルは静かに席を立ち、すたすたと大聖堂の入り口へ向かってしまった。

「ちぇ、変なやつ。不敬だってのに」

「…まぁまぁ。僕達も行こっか」

 ナインズは一郎太を宥めながら長椅子から離れた。

 大聖堂から出ると、外は雨が降っていて、ナインズは傘を持っていないことに気が付いた。

「…傘忘れたね」

「フード被れば大丈夫ですよ!」

 一郎太がローブのフードを被ると、ナインズも面白そうに笑ってフードを被った。

「ローブって、もしかして雨の日のためにあるのかな?」

「そうかもしれないですね!」

 それはレインコートだ。――などと教えてくれる大人もおらず、二人は雨の中駆け出した。

「全然平気だね!」

「ですね!――あ、あいつ!」

 前方にはフラルが歩いていた。傘も持たず、フードも被らずにびしょ濡れだった。

「……あぁ、もう…!」

 ナインズは早く学校に行きたいのにと思いながら、フラルの手を取った。

「っきゃ!!ま、また其方か!ハーフ森妖精(エルフ)が!」

「ハーフ森妖精(エルフ)じゃない!フラル、こっち来て!」

 大神殿の前庭に生える木の下に連れていくと、そこの地面はほとんど濡れていなかった。

「はぁ…。フードくらい被りなよ」

 ナインズはポケットからハンカチを取り出し、その頬を拭くと――パシッと手は叩かれた。ナインズのハンカチは地面に落ちた。

「やめよ。子供扱いするでない」

「お前――!」

 一郎太が怒ろうとすると、ナインズは弾かれたハンカチを拾った。少しだけ泥がついたのでパンパンっと叩いてポケットにしまい直した。

「子供扱いなんかしてないよ。君は女の子だから、風邪を引いたら可哀想だと思っただけだよ。君、耐性の装備持ってないんでしょ」

「……それが子供扱いだと言うのじゃ。此方は一人で生きていかなければならんのだから!」

「君は一人が好きなの?」

「そうじゃ!悪いか!!」

「悪くないよ。でも、一人で生きていくなら、やっぱり風邪は引かないほうがいいね」

 フラルはここまで無だった顔を赤くするとごしごしと顔を濡れた袖で拭いて走って行ってしまった。

「……あんのおんなぁ!」

「はぁ…僕ってなんか今日付いてないね」

 ナインズが苦笑すると一郎太がその頬の水滴を拭った。もしょもしょの手の甲で。

「行きましょう。ここからオレが最高の一日にしてあげますよ」

「はは、一太はすごいなぁ」

 二人はまた雨の中駆け出した。一郎太はもっと早く走れるだろうに、ナインズのスピードに合わせてくれた。

 二人が校門を潜ると、ちょうど三限の終鈴が鳴ったところだった。

 昇降口に入ると濡れたローブを脱いだ。

 一郎太がさっさとそのまま行こうとすると、ナインズは足を止めた。

「――ナイ様?」

「…はは、ここまで来たのにやっぱりなんか……なんか……」

 足が突然重たくなったようだった。

 授業と授業の間の休み時間は生徒がウロウロするほどの時間もないので、昇降口には他に生徒はいなかった。

 階段の上から賑やかな声がする。

 ナインズはやっぱり明日にしようかな、と少し思った。

「オレが連れてってあげますよ!」

「へ?」

 一郎太は背負っていた鞄を前に抱えるように背負い直すと、ナインズの前に背を向けてしゃがんだ。

「どうぞ!」

「はは、どうぞって」

「いーから、ナイ様!」

「じゃあ…」

 ナインズはキョロキョロと左右を見渡し、誰もいないことを確認すると一郎太の肩に手を乗せ跨った。

「――よっ!」

 一郎太はすぐに立ち上がり、階段へ向かった。子供の頃から一郎太はナインズをどこにも置いて行かない。歩けなくなったり走らなくなったりすればこうしておぶってくれていた。

「ははは、ははは。僕達って変だね!変すぎるよ!途中で帰ったと思ったら戻ってきておんぶして歩いてるなんて!」

「へへへ。ナイ様、オレがいれば楽しいでしょ!さぁ、もうちょっとです!」

 階段を登り切るとそこで下ろしてくれた。本当に一郎太といれば楽しかった。

「ははは、はぁー。面白かった」

「へへ。教室着いたら、ローブ乾かさなくちゃいけませんね」

「ふふ、そうだね。椅子にかけておけば帰る頃には乾いてるかな」

「乾いてなかったらルーンしてくださいよ!」

「そうだね。乾かしちゃおっか!」

 二人は楽しげに笑い、教室に入った。

 ハッと全員が振り返り、バイスも目を丸くしてナインズを捉えた。三限の魔法の授業と四限の宗学の授業は地続きなので、バイスは授業準備のためにクラスを出なかったらしい。

「き、キュータ!一郎太!」

「はは、ど、どうもぉ」

 ナインズは笑うとほんの少し湿っている髪の毛をさらりと触った。

「ふ、二人とも戻ってきたのか!あー良かった!四限は一緒に受けような!」

「バイスン、暑苦しいな!」

 駆け寄ってきたバイスに一郎太は笑った。

「キュータ!おかえり!」「一郎太君もおかえりー!」

 友達たちも変わらぬ様子でナインズに手を振った。

「――は、はは。はは……ふふ…。ぅ……」

 ナインズがひとつ、ふたつ、と涙を落とすとオリビアが駆け寄った。

「キュータ君!」

 ドンっとぶつかり、抱きしめてくれると、ナインズは数度瞬いた。

「――は、へ」

 いくら普段アルメリアとベタベタしているとは言え、身内でもない女の子に抱きしめられたのは初めてのことだった。

「ごめんね!私、変な態度してごめんね!泣かないで!」

「おりびあ…君はほんとに、ほんとに優しいんだね」

「ううん!キュータ君、大丈夫だから!」

 ナインズはオリビアの頭を撫でるとそっと離れた。

「うん、オリビアも皆もいるから、大丈夫。ありがとう。今日はとんでもない日だなって思ったけどね。はは、一太も、連れてきてくれてありがとう」

 一郎太は自分の席に座り、ピースサインを作った。

「任せてください。オレはキュー様がこんなにちっちゃい頃から知ってんですから」

「一太の方が半年遅く生まれたのにね。ふふ。――オリビア、座ろう!」

「うん!」

 二人が席に着くと、ちょうど四限の始まりを知らせる予鈴が鳴った。

 ナインズは思ったよりなんでもなかったなと機嫌よくバイスの話に耳を傾けた。

 しかし、その背に集まる視線は感じる。皆、ナインズがナインズなのかそうではないのか確かめたくて堪らないというような雰囲気だ。

 つまり――(バレてはないみたいだけど……)

 誰が見てるのか確認したいと思うが、視線を読まれたくない。

 そんな時のための嫉妬マスクだが、授業中に唐突にそれを被る事もできない。

 ナインズは子供達の視線を感じながら四限を過ごした。

 四限の終鈴が響くと、ふっと肩の力を抜いた。

 そして、バイスが近づいて来る。

「なぁ、キュータ。今日お父さんとお母さんが腕輪の説明に来るのは変わらないと思って良いのかな…?」

「あ、はい。ちょっと帰りましたけど、特別何も言ってなかったです」

「そっ…かぁ。うん、そうだよな。はは、いや。な。何でもないんだ。念のために聞いただけ」

 バイスはそっかそっか〜と言いながら教室を出て行った。

 なんとも言えない背中だった。

「キュータ、お昼に行こう」

「――あ、エル。そうだね。行こ!」

 ナインズは宗学の教科書を抱き、オリビアに一度笑んでから立ち上がった。

「今日の最後は音楽だから、音楽の教科書も持って食堂に行こう。食堂の方が音楽室に近いからね」

「そうだね。えーと、音楽音楽」

 ロッカーに宗学の教科書をしまい、ナインズは音楽の教科書を抱き直した。

 ロッカーを閉め、「じゃ、行こ!」と言うと、一郎太とロランも駆け寄ってきた。

 この四人でいつもの四人が揃った。

「キュータ君、もう今日は帰っちゃったと思ったよ!」

「はは、なんか、スッキリしたから戻ってきちゃった」

「僕、スカッとしたよぉ!キュータ君てたまにハッキリ言うよねぇ」

 ロランも教科書を抱えると、四人は廊下へ向かった。

 ――そして、ナインズは足を止めた。

「――キュー様、構わない方がいいですよ」

 一郎太が言う。

 ナインズの視線の先には、いつもチェーザレと一緒だったはずのカインが一人で座っていた。

 チェーザレはどこへ行ったのだろうと軽く見渡したが、どこにもいなかった。

 彼の精神を慰めるのはナインズの役目ではない。

 役目では――ない。

「キュータ、今はよした方が良いよ。反省する時間も必要だからね。優しくすることが全てじゃないよ」

 エルに背を押され、ナインズはようやく教室を後にした。

 四人でいつもと変わらない廊下を進む。

 寂しそうな背中が頭から離れない。

 ナインズが教室に振り返ると、オリビア、レオネ、イシュー、アナ=マリアも廊下に出てきた。

「キュータ君、私達も一緒にご飯行く!」

「………キュータ君、本の話しよ」

「わたくし達を誘わないなんて、どう言うつもりかしら!」

「カインが気になるならあたしもガツンと言うよ!」

 身の回りがどんどん賑やかになっていく。

 賑やかになればなるほど、ナインズはカインの背中を忘れられなくなった。

「――ごめん、皆先に行ってて!すぐに行くから!!」

「あ、キュー様!」

 ナインズが教室に戻っていくと一郎太も追いかけた。

「シュルツ!!」

 バンっと扉を開くと――カインは肩を揺らし、振り向いた。帰ろうとしていたようで、胸には鞄が抱かれている。

 ナインズが近付こうと進むと、カインはダッと駆け出し、教室を出ていってしまった。

「あ…行っちゃった…」

「……キュー様、人が良すぎるよ」

 一郎太は少し呆れたような顔をしていた。

「はは、ごめん」

「キュー様がそうしたいなら良いけどさぁ。でも、さっきキュー様も言ってたけどシュルツの痛みは自分で解決するしかないと思いますよ」

「ん……そうだね」

 二人は教室を後にし、皆の待つ食堂に行った。

 食事を受け取り、席を探すと、きちんと二つの席に音楽の教科書を置いていてくれていた。

「皆ごめん。いきなりどっか行って。席取っておいてくれてありがと。」

 エルは優しそうに笑った。

「私は構わないよ。キュータがしたいと思うことをすれば良い」

「僕も良いよ!そう言えば、キュータ君。さっきグンゼが来て、来週グンゼの家の工房に遊びに行く予定変えなくていいよね?って確認してったよ。僕、勝手に良いよって言っちゃった」

「ありがとう、ロラン。迎えてもらえるなら行きたいって思ってたんだ」

 食事を進めながら、そう言えばとナインズはさっきの大神殿のことを思い出した。

「ねぇ。オリビア、神都って森妖精(エルフ)は少ないよね?」

森妖精(エルフ)?うーん、あんまり見ないよね。ハーフ森妖精(エルフ)はたまに見るけど、森妖精(エルフ)はエイヴァーシャー市からあんまり出たがらないらしいよ?」

「そうなんだ…?どうしてだろ?」

「昔神聖魔導国がまだスレイン法国って名前だった時、センソーしてたらしいからかなぁ?」

 オリビアの言に、レオネは付け足すように口を開いた。

「それだけではありませんわ。特に、森妖精(エルフ)は耳を切られて奴隷にされていたそうですから、いくら陛下方がお戻りになって野蛮な行為がなくなったとは言え、神都にはあまり近寄りたがらないのだと思いましてよ」

 エルは自分の暮らしていた最古の森とは正反対の出来事にじっと耳を傾けていた。

「……キュータ、君は突然どうして森妖精(エルフ)の話を…?」

「あ、エル。それがね、さっき大神殿でうちの制服着てる女の子に会ったんだ。フラルって言って、純血の森妖精(エルフ)だって。知ってる子いないかなと思って」

「フラル…。森妖精(エルフ)には珍しい名前のような気がするけど……地域の文化の差かな」

「………キュータ君。その名前、光神陛下のお名前に似てる」

 ナインズはアナ=マリアの言葉を反芻すると、「え?」と聞き返した。

「………光神陛下。フラミー様のお名前に似てる」

「フラル…。ホントだな?あんま陛下方に似せた名前は付けちゃいけないんじゃなかったっけ?」

 イシューはエルに尋ねた。エルは普通の子供より色々なことを知っているので、こう言う時に大抵辞書のようになんでも答えてくれる。

「そのはずだね。神殿から国籍登録を断られるらしいよ。でも、森妖精(エルフ)で僕達と同じくらいの歳って言うと、四十五歳前後だから光神陛下のご降臨より先に産まれた子かもしれないね」

「よ、四十五かぁ。すごい歳。バイス先生より上だね」ロランはどこか苦笑混じりだった。

「だからフラルってスッゲェ生意気だったんだなー。四十五歳かぁ。フラルの奴、キュー様が濡れた顔拭いてやろうとしたらハンカチ弾き落としたんだぜ」

「一太、良いの。そう言うこと言わないで」

「はは、キュー様そしたら、今日は付いてないな〜って言ってたんだ。すっげー落ち込んでた!」

「もー!一太!僕は普通にしてたでしょー!」

 ナインズがぽこぽこと一郎太を叩くと皆笑った。

「それにしても、大神殿かー。キュータ、三限の間そんなとこで落ち込んでたの?」

 イシューはサクランボの枝をプッと皿に出し、頬杖をついた。

「ん…まぁ、そんなとこ。はは」

「やれやれ。仕方ないから――ほら、これあげるよ」

 イシューはいつも腰に付けている小さなウエストポーチから、学校の外にあるパン屋で買える棒付きの丸いキャンディを取り出した。彼女はそこに筆記用具も入れていて、移動教室の時に荷物が少ないようにしている。

 キャンディは一つを咥え、一つを差し出した。

 男気あふれる姿だった。

 甘い物も好きだが、それ以上に口からキャンディの棒が出てるのが彼女的には格好いいらしい。ほとんどのお小遣いをキャンディに使っていると言っていた。

「ん、食べなよ。あたしのオゴリ!」

「おごり?」

「そー!物をあげる時、大人はオゴリって言うの!」

「ありがとう。嬉しいなぁ。イシューはいっつもこれ持ってるよね」

「ふふ、そーさ!あたしの家は父さんも祖父ちゃんもいっつもキセル咥えて設計図書いてんの。だから、あたしこれ食べてるとキセル吸えるくらい大人になったみたいな気分になるんだ!」

 ニカッと歯を見せると、頬にはエクボができた。

 ナインズはドット柄の包装を剥いて口に入れた。口からはキセルや巻きタバコのように飴の棒が出た。

「――わかるかも。でも、イシューは大人みたいじゃなくて、大人だよ」

「へへ、そうだと良いな。うちには兄ちゃんも弟もいないから、あたしが祖父ちゃんと父さんの設計事務所継ぐの。だから、ふんわりした夢見る女の子って感じでいたくないんだ」

「へぇ、もう将来のこと考えてるんだ…。すごいなぁ…」

「神都には多いよ。大人になったら何になるって決めてる子。あたしの場合は近くにお手本も住んでるしね」

「お手本?」

「そ!シルバ兄ちゃんって言うの。シルバ兄ちゃんは来年設計の私立学校入るんだ。今十五歳なんだよ。あたしの父さんは大聖堂の設計に関われなかったけど、祖父ちゃんとシルバ兄ちゃんのお父さんは関われたすごい人たちで――って、キュータの家の方が凄そうなのに自慢するなんて、逆に恥ずかしいかな」

 朗々と語っていたが、イシューは少し恥ずかしそうにして話を切った。

「…ううん。イシューはすごいよ。僕はまだ将来のことってよく分からないもん。もっと聞かせて」

「そ、そう?へへ、あのさ。シルバ兄ちゃんって、小学生だったときに神王陛下と光神陛下にお会いしたことがあるんだって」

「そうなの?」

「うん。友達のラーズペールさんと、ディミトリーさんと一緒に会ったんだって……って、聞いたことない?」

 その質問に、ナインズは少しイシューを見る目を変えた。この質問は、まるでナインズであるかどうかの確認のようだと思ったのだ。

 アインズ達からその話を聞いたことがないか、と言われたような気がした。

「……ないよ」

 この話はここまでだ。ナインズは飴を咥えたまま立ち上がると、お盆を持った。

「僕、先に片付けてくる」

 席を立ち去ろうとすると、ツンっとその袖が取られた。お盆の上の食器がカチャ…と少し触れ合った音がした。

 危ないなと思い、そちらを確認すると――袖を引っ張ったのはオリビアの隣に座っていたアナ=マリアだった。オリビアの後ろから身を乗り出していた。

「………キュータ君。シルバさんと、ラーズペールさん、それからディミトリーさんは"試される大下水道"って言う本を学生の身でありながら去年出版したの。神都では大ベストセラー。神官の皆様の目にも止まったくらい……」

「――あ、そ、そうなの?」

「………うん。今度貸してあげる。それとも、一緒にオリビアちゃん家に買いに行く?」

 ナインズは自分の早とちりを反省した。

 イシューが心配そうに見つめている。

「買いに行こ。……イシューも一緒に来てくれる?」

「も、もちろん。ごめん、キュータの知らない話ばっかりして……」

「ううん、イシューの話はどれも面白いよ。ありがとう」

 などと話している間に、一郎太がちょこちょこと自分の食器を片付け、ナインズの持っているお盆も持って行ってくれた。

「――さて、そろそろ音楽室に行こうか」

 エルが立ち上がると、全員立ち上がり、イシューは口から飴を取り出した。

「キュータ、歩く時は口から飴出さなきゃだめだかんね!歩きながら飴を咥えてると、転んだときに喉を飴で突いて死ぬ!――って、いっつも祖父ちゃんが言ってる」

「う、うわ。死ぬって言ってるの?」

「そ!!死ぬ!!」

「はは、なんか豪快なおじいさん。分かったよ」

 ナインズは笑うと、口から飴をだして音楽室へ向かった。

 イシューのおじいさんはきっと、じいと同じで大きな虫型なんだろうなと思った。

 

+

 

「ふふ、今月は二冊も買えちゃった」

 オリビアの書店を出たナインズは鼻歌混じりだ。

 毎月一万ウールのお小遣いを持たされ、三ヶ月目になるので通算三万ウールを貰った。今月はすでに一冊買っていたが、一万ウールまるまる残っていたのだ。

「良かったですね!それ、オレも読みたいなぁ!」

「良いよ!一緒に読もうね」

 二人の後ろでオリビアとアナ=マリアが手を振る。

 隣にはエルとイシュー。

 イシューはいつもの飴を舐めながら二人の隣を歩いた。歩きながらなので咥えてはいない。

「ね、キュータ、一太、エル様。良かったら帰る前に大聖堂見に行かない?」

「ん?なんで?」

「あたしの祖父ちゃんが担当したところ、見せたいんだ!」

「あぁ!良いね!エルはどうする?」

「私は今日はやめておくよ。母から仕送りが届くから、早く寮に帰らなきゃいけないんだ。お誘いありがとう」

「――そんじゃ学校まで競走!用意ドーン!!」

 一郎太が早口にスタートを告げて走り出すと、エルは困ったように笑った。

「は、走るのぉ?ま、待ってくれよー!」

「エルも頑張れ!男だろー!」と飴を持つ手で手招きながら走るイシューは女の子だと言うのに男の子くらい早い。髪型もベリーショートだし、余程ナインズとエルミナスの方が女の子じみているかもしれない。

「一郎太は本当に速いね!!」

「イシューも早いぜ!転ぶなよ!」

 ナインズはエルにペースを合わせて走っているようで、一郎太とイシューはかなり速く学校に着いた。

「はぁ、はぁ…!い、いくらなんでも…ちょっと…走りすぎたかも…!」

 イシューはごしりと額の汗を拭いた。

「はは!もう息上がってやんの!」

 二人は笑い合った。

 息を整えていると、ようやくナインズとエルも追い付いた。

「はぁ、はぁ…い、一郎太…。も、もう……いきなり走るの、やめて……!」

 エルはひぃひぃと声をあげていた。

「ひひ。ごめんごめん!次はスタートの合図をもっと長くするよ!同時に走りたいもんなー!」

「そ、そういう問題じゃないし……いきなりってそういう意味じゃないよ…!」

 突っ込んでいるが、エルは楽しそうに笑っていた。

 すると、校門から出てきた別の学年や他のクラスの方達が、笑っているナインズを見て何かをヒソヒソと話した。

 遠巻きにじっとナインズを見ている子供もいる。

 ナインズはその沢山の視線に、少しづつ自分の笑顔が硬くなっていくのを感じた。

 ――来なければ良かった。どうして皆そんなにナインズ・ウール・ゴウンを見たいんだ。お利口にしてるのに。

 そんなことを止めどなく考え始めた時――「キュータ!」

 エルに呼ばれ、ナインズはハッとした。

「キュータ、一郎太、イシュー。私は寮に帰るね。皆ももう行きな。競走して」

「あ、う、うん。気をつけてね」

「じゃあな、エル!また明日!」

「エル様も仕送りのお小遣い受け取ったら飴買いなー!力も出るからねー!」

 三人はエルに手を振ると、走って大聖堂に向かって行った。

(キュータが殿下だったと確信した子が話を漏らしたか……)

 エルミナスはナインズの背を眺める子供達をちらりと見ると寮への帰路に付いた。

 昼休みはまだそうナインズをジロジロ見ている子は少なかったが、昼休み中に話が回ったようで、放課後からは随分ナインズを見る子供が増えた。

(……優しき我が殿下……。お可哀想に……)

 寮に付くと、寮母さんに優しく迎え入れられ、エルミナスは三階の自分の部屋に帰った。

 部屋の中にはこれまでナインズが書いたルーンを真似して書いた小さな紙が何枚か画鋲で貼られていた。

 エルミナスはルーンへ力を込める事はできない。だが、こうしておくだけでナインズに守られているような気持ちになった。ずっとエルミナスを守り続けてくれるナインズに。

(皆が殿下だって気付いたんじゃ、私も守られてばかりじゃいられない……)

 今日グンゼとロランに書いてやっていたルーンをメモしてきた紙を壁にあて、ギュッと画鋲を壁に押し込むと手を組んだ。

(殿下…。殿下をお守りするだけの力を私はきっと――)

 

+

 

 大聖堂の入り口に着くと、夕暮れ時だがまだまだ人は多くいた。

 いつも職員通用口から出入りしていたので、こんな時間にもこれだけ人がいる事をナインズと一郎太は初めて知った。

「うわぁ…皆お祈り…?」

「多分ね。純粋に大聖堂見に来てる人もいると思うけどね」

 イシューは大聖堂の本堂に入る前に、廊下のような前室に設けられた、オシャシンや神殿ごとにあるちょっとしたお土産が売られているカウンターへ向かった。

「あのカウンターね、祖父ちゃんのいたチームが作ったんだ!あそこにカウンターを付けるって決めたのもそうなの!」

 誇りに思っているようでイシューの顔はキラキラと輝いていた。

「すげぇー!大神殿の一番最初に目につく所じゃん!」

 一郎太もナインズも感心したようにあたりを見渡した。

「それにね、天井のアーチ、あれは昼に話したシルバ兄ちゃんのお父さんがいたチームがすごく拘って、実際に建て始めてからもずっとずっと悩んで作ったんだって!」

「建築家ってすごいんだねぇ〜」

 三人は天井を見上げた。

 ちなみに神官達はナインズの姿を見ると、頭を下げたくなる気持ちをグッと抑えてそのままでいた。

 だが、一人だけ神官がまっすぐこちらに近付いてくる。

 ナインズはちらりとそれを見ると、あの神官は友達といる事に気付いていないんじゃないかと焦った。

「い、イシュー!こっち!」

「――へ?」

 手を握ってオシャシンカウンターへ向かった。

 一郎太もあの神官は何を考えとんねんと思った。

「き、キュータどしたの」

「いや、ほら、ねぇ。写真見たいでしょ?」

「う、うん。オシャシンは見たいけど……高いからあんまり子供だけで近付くのは…ちょっとね」

「そうなの?」

「一枚八万ウールもするんだよ。皆オシャシン欲しくってオシャシン用の貯金してるんだって。また新しいの出たらすぐに買えるようにね。あたしのお気に入りはあれ。陛下方の結婚式の時のオシャシン」

 イシューの指差す方にある写真はアインズの机にも飾られているものだ。

「あぁ、あれねぇ」

 その隣には――両親が天空城の池でちゅっちゅしている写真だった。

 ナインズは、今までそれを恥ずかしいと思ったことはなかったが、女の子と一緒に見ると何故か無性に恥ずかしいような気がした。

 あまりにも当たり前すぎる光景だと思っていたが、不思議なことに、少し、目を逸らしたくなった。

 ふぃ…とカウンターから開きっぱなしの大扉の向こうへ視線を送ると、真後ろにはにっこり笑った神官がいた。

「――あ…と……」

「やぁ!いらっしゃい」

 ナインズが何を言うかと悩んでいるうちに、神官が機嫌良さそうに声を掛けてきた。

「――ん?あ!レオネパパ!」

「イシューちゃん、今日はお祈りかな?偉いねぇ」

「ううん!祖父ちゃん達の作ったところをキュータと一郎太に見てもらってたの!」

「そっかぁ」レオネの父は数度頷くと、ちらりとナインズとイシューの繋がれた手に視線を落とした。「――レオネは今日は一緒じゃないのかな?」

「そうなの。先にオリビアの本屋さんに寄ったんだけど、トマがロランのこと呼んだらレオネが反応しちゃってさぁ。また喧嘩になっちゃって、ロランもトマもレオネも先に帰っちゃった!」

「そ、そうか〜。帰っちゃったか〜。レオネはキュータ君や一郎太君とも仲良くしてるんだろう?一緒に来られれば良かったのにね〜」

「本当にね。まったくまったく」

 イシューは大人の真似事のように数度頷いた。

「じゃ、私は行くね。あんまり遅くなりすぎないようにね」

「はーい。さよならー」

 レオネパパはたくさんの神官の視線を浴びながら大聖堂の中に戻って行った。

 ナインズは小さく安堵の息を吐いた。すると、イシューが繋いだままの手を引っ張った。

「キュータ、一郎太。せっかく来たから、お祈りもしてこ!」

「ん、そうだね。お祈りね、お祈りお祈り」

 お祈りとは何をするのかいまだによく分からない。

 両親に何か叶えて欲しいことを心の中で唱えたり、世界平和を願ったりするらしいが――やはりピンと来ない。言いたい事は直接言えば良いとも思っている。

 ちなみに、一日の授業終わりにお祈りをするが、割と謎の行為だ。ナインズにとっては目を閉じるだけの時間とも言える。

 三人は大聖堂の中を進み――ナインズはぴたりと足を止めた。

 あの薄ピンクの髪と尖った耳は「――フラル…」

「え?フラルって、昼に言ってた?」

 イシューがぴょんぴょん跳ねてフラルを確認しようとした。

「うん。話したくないって言われちゃってるからなぁ」

「ふーん、変な子だね?うちの制服着てるし、あたし話してきてあげるよ」

 イシューはフラルの座る長椅子に入り、横へ横へとずれて行った。

 ナインズと一郎太はまたその後ろに入っていく。

「やっほー」

 気軽すぎる挨拶に、フラルはイシューの来た方とは反対側を確認した。自分じゃない誰かに話しかけたと思ったようだ。

「――誰じゃ?今日はずいぶん知らぬ者に会うな」

「あたし、イシュー・ドニーニ・ベルナール。第一小の一年生。あなたは?」

「…… 此方(こなた)も一年じゃ」

「そうだと思った。フードの模様、お揃いだもんね。あなたフラルって言うんでしょ?何組?」

「――あ、えっ…何故……その名を……」

「キュータに聞いた」

 イシューは後ろに座るナインズと一郎太を平気で指さした。二人は言うなよと言う顔をした。

「……昼間のハーフ森妖精(エルフ)じゃないか」

「ハーフ森妖精(エルフ)?キュータが?」

 ナインズは困り顔で笑い、ぽりぽりと頬をかいていた。

「どうでも良いが、もう行ってくれんか」

 フラルはぷいと正面を向き直した。

「なんか、聞いてたより変わった子だね。エイヴァーシャーから来たの?」

「……此方はずっと神都に住んでおる」

「あれ?そうなんだ。あたしも神都生まれ神都育ちだよ。でも、あんたのことは見たことないなぁ」

「……何が言いたいのじゃ?森妖精(エルフ)の癖にとでも言うか?」

「そんな事言わないよ。誰だって神都に住んでいいでしょ。それより、学校には行かないの?」

「行かん」

「なのに制服着てんの?」

「…制服でなければ寮母が外に出してくれんのじゃ」

「寮母…?神都育ちなのに寮に入ってんの?変わってんね」

「ええい、うるさい小童じゃ。此方には叶えたい事があるのじゃ。良いからもう行け。此方はここで祈りを捧げねばならん」

 一郎太はまたかと頭をかいた。

「なぁ、フラル。叶えたいことってなんなんだぁ?陛下方も忙しいんだから下んない願いなんて――」

「一太!!」

 ナインズの大きな声に一郎太ははっと口をつぐんだ。

 神官達もこちらを見ている。だが、誰も特別注意には来なかった。

「ごめん、ごめんフラル…」

 フラルの目にはいっぱいの涙が溜まっていた。

「……――くせに」

「え?」

「何も知らぬくせに!!教師も其方らも此方のことなど何も知らんくせに!!ほっとけと言っているのが分からんか!!」

 大聖堂中に声が響くと、流石に神官達が駆け付けてきた。

「――君。何をそんなに騒いでいるんですか。ここはそう言う場所じゃないんだから、静かにしなきゃだめでしょう」

 ただの注意だったが、フラルの耳には叱責に聞こえ――神官をギュッと睨みつけた。

「くぅ……なんで、なんで此方ばっかりぃ!」と言いながら、目に溜まった涙は流れ始めてしまった。「ふわぁー!!人間なんか、人間なんかぁー!!」

「あ、あ、フラル…。本当にごめん。一太も悪気があったんじゃなくて――」

「此方にかまうな!!」

 神官達もナインズが絡んでいるため手を出せない様子だった。助けになりそうな大人達は、困ったように目を見合わせ、少し肩をすくめるだけだった。

「あー…ね、お、落ち着いて。僕にできることなら、何でもするから……」

「では其方が母上を生き返らせてくれるのか!!できるか!?何でもするのだろう!!」

「生き――え?」

「此方は光神陛下にお願いしてるのだ!!ずっとここで、ずっと願っておるのだ!!」

「君、家族が…?」

「此方を大切にしてくれていた母上もついに死んでしまった!分かったらほっとけ!!」

 誰も引かない様子を見ると、フラルは神官をかき分けて反対側へ向かって行き、大聖堂を出て行ってしまった。

「……お、オレやっちゃった」

 一郎太が硬直し、イシューも苦笑している。

「…一太!ここでイシューと待ってて!」

「あ、キュー様!」

 今日は走りっぱなしだ。

 ナインズは走った。

 神官ではない大人に大聖堂の中を走るなと怒られながら進んだ。

 外はもう夕暮れを超えて宵闇が迫って来ていた。夜が来る前には帰らなくては。そうしないと、この姿は――。

 前庭には祈りを済ませて帰る人々や、永続光(コンティニュアルライト)に照らされた大神殿を眺める人々。

 どこへ行ったとナインズはキョロキョロと見渡し、小さな背中を見つけた。

「フ、フラル!!」

 フラルはナインズの声を聞くと、逃げるように駆け出してしまった。

「ま、待って!待って!!」

 ナインズの足は速い。とても速い。

 ぐんぐん距離を縮めると、走るフラルの前に立ちはだかった。

「はぁ、ま、待って…。本当にごめん……」

「はぁ…はぁ……なんなんじゃ……其方は一体何がしたい……」

「君の願いはわかったよ。僕は僕にできることなら何でもするって言ったでしょ…」

「何もできないくせに!」

「…うん、でも、試させて……」

「何を!」

「復活」

 昼に上がった雨が作る水溜りが揺れた。

 静寂が降りた二人の耳にはそんな音すら聞こえたようだった。

「……は?」

「聞いて。僕は僕にできることを全部やってから…明日、またこの時間にここに来る。だから、きっと君もここに来て」

「馬鹿にしておるのか…?それとも……ハーフ森妖精(エルフ)の特性かタレントでもあるのか……?」

「ハーフ森妖精(エルフ)じゃないけど……でも、でも……僕達、君の事何も知らないのに…本当にごめん…。僕には祈りの声が聞こえないから……」

「…意味が分からんな……」

 そう言いながらも、復活の言葉にどこか希望を隠せない様子だった。

「一つだけ教えて。君のお母さまはいつ死んじゃったの?」

「……下水月の風の曜日、三日じゃ……。年老いて……死んだ」

「年老いて…?」

 森妖精(エルフ)は長命のはずなのに――ナインズはきっと、疑問を感じている顔をしたのだろう。

 フラルは重い口を開いた。

「…此方はスレイン法国との戦争中に生まれ、真実の両親を亡くし、憎むべきはずの人間に拾われた……。幸せじゃったが…愛してくれた養父は数年前に逝ってしまい、ついに養母も逝ってしまった……。エイヴァーシャーに身寄りも無く、育った神都にも身寄りがない……。其方に分かるか……。この哀れな此方の気持ちが」

 ナインズは首を振った。

「……分からない。僕はそんなに辛い思いをしたことない。でも、僕にできることはするって誓う。だから、明日必ずまた来て」

「……ふん。此方はいつでもここにいる。――あ」

「ん?」

「……其方、髪が――」

 ナインズははっと髪を触ると、黒い色がさらさらと抜け始めていた。

「――じゃあ、明日ね!!」

「あ、待て!其方こそ待て!!」

 待てない。

 ナインズは一目散に大聖堂へ走り、遊歩道へ向かい、ガサガサと木をかき分けた。

「ど、どうしよう…どうしよう……」

 茂みの中でしゃがみ込み、色を失っていく髪に触れた。普段この頭でアインズ達と出かけるときにも一般の者の目に触れるようなことはなかった。

 なんとか色を取り戻そうと、何か良いルーンがないか考えるが、全く思いつかない。

 そうしていると、茂みの外からキュー様ー!と一郎太が自分を呼ぶ声がした。

「い、一太ぁー!!」

 情けない声で助けを呼ぶ。

 硬い蹄が石畳を叩く音がどんどん近付いてきた。

「キュー様!!時間が!!――うわ!!もうだめだ!!」

 ナインズの髪はもうすっかり銀色に、目の下には亀裂が入っていた。

「ど、どしよ…。僕、なんか本当今日だめだ…」

「えっと、えっと、オレが陛下を呼びに――いや、神官を呼びに――いやいや、うーんと、うーんと…」

 悩んでいると、一郎太ー!キュウター!とイシューの声もし始めた。

「と、とにかくフード!フードかぶってください!」

 ナインズのローブを引っ張り、ギュッとフードを被せると同時に、一郎太の頭はパシンッと叩かれた。イシューだ。

「一郎太!いきなり走り出すやつがあるかぁ!」

「あ、はは。ごめんな。……イシュー、見た?」

「見たって何を?あ、そこにキュータもいるの?そんなところで落ち込んでても仕方ないじゃん」

 ――イシューの腕が伸びてくる。

 ナインズはどうしようどうしようと頭の中で何度も呟き――「嫉妬マスク」と耳元で声がし、ハッとポケットから小さくした嫉妬マスクを取り出した。

「――キュータ、何その変なの?」

「あ、はは。いや。いやぁ…ねぇ…?」

 ナインズの顔にはぴたりと嫉妬マスクが着き、深く深くフードをかぶってようやく茂みを脱出した。

「えーと、イシューもう暗いし送るよ。すっごく遅くなっちゃったね」

「んーん。いいよ。デスナイトのいる道知ってるし、キュータも危ないから」

「ダメだよ。君だって女の子なんだから。行こ」

 身体中についている葉っぱをはたき落とし、大神殿前庭を抜けるために歩き出した。

「はは。キュータ、別にあたしは女の子って柄じゃないよ」

「良いの。僕でも多分君のこと守るくらいはできるから。行こ」

「はは。あ、ありがとね」

 三人で歩き出すと、ナインズはふぅーと息を吐いた。

 それから、フラルは一人で帰れただろうかと少し心配になった。

「あの森妖精(エルフ)は可哀想だったけどさぁ、大聖堂は面白かったね」

 イシューが言うと、二人は頷いた。

「次はレオネも一緒に来られたら良いよねー。レオネパパもいるし!」

「そーだなー!」

 一郎太は大変賛成のようだが、ナインズはそれはちょっと辛いと思った。

 しかし、神官達は本当にナインズが誰なのか自分の子供にも話していないんだなと好感度を上げた。

 神殿の話をしながら学校から三ブロック程離れたところまで行くと、イシューは「じゃ、もう近いから」と言って一人で走って帰った。

 ナインズは最後まで笑顔で見送ったが――イシューの背中が見えなくなるとスッと表情を失った。ちなみにずっと嫉妬マスクをしているので表情は見えていない。

「……帰ろっか」

「そうっすね」

「なんか、すごく疲れたよ僕…」

「ナイ様、あんまり色々なことに関わりすぎると死んじゃいますよ?陛下がカロー死は一番憎むべき死だって。生への感謝と喜びを忘れるからいけないんだって」

「……本当にカロー死しそう。あぁ…帰ったら僕第五階層行かないと……」

「何でですか?」

「……僕、できることは全部するって言ったでしょ。僕になんかできないか見てみる」

「えぇ…?ほっとけないんですか…?」

「なんかねぇ〜。僕もほっときたいんだけどさぁ〜………。一太が泣かせるからぁ……。女の子にはもっと優しくしてやってよぉ……」

「す、すみません。本当、申し訳ないです」

 ナインズが泣き言を漏らすと、一郎太はペコペコ頭を下げた。

 

+

 

「……ソレデ、フラルト言ウ森妖精(エルフ)ノ家族ヲオ探シニ…?」

 コキュートスは凍河を覗き込むナインズと、それを手伝う一郎太の前でぽり…と頬をかいた。

「一太が泣かせたから僕約束しちゃったの…」

「……シカシ、失礼ナガラオ坊ッチャマノオ力ヲ超エタ願イノヨウナ気ガ致シマスガ……」

「あぁー!コキュートス様も一緒に探してよー!オレのせいでナイ様が変な約束しちゃったんだからー!」

「一郎太、オ坊ッチャマニアマリゴ迷惑ヲオ掛ケスルンジャナイ。仕方ガナイ奴メ……。オ坊ッチャマ、特徴ヲオ教エクダサイ」

「……ん…と… 下水月の風の曜日、三日に死んじゃったって。神都から来てるはずなの。この辺だよね?」

「四ヶ月程前デスネ…。一応探シテハ見マスガ、残ッテイルトハ限リマセン。ソレデモ宜シイデショウカ」

「残ってないって、どうして?死んだ人は皆ここで眠り続けるんじゃないの?」

「――順番ガクレバ次ノ新シイ姿ヲ与エラレ旅立チマス。モシクハ、アルベキ次ノ場所(・・・・)ヘ送ラレマス」

「あ、そっか…。宗学で先生も言ってた。僕もいつか旅立たせる事ができるようになるのかな?それが僕の将来の仕事かな?」

 コキュートスはプシュー…と息を吐いた。

「……マダ将来ノ事ハ分カリマセン。デハ、ソノ日運ビ込マレタ者達ノ体ヲ出シマショウ」

 静かに控えていた雪女郎(フロストヴァージン)が腕を振る。

 氷の中から出てきた体はどれも綺麗にされている。汚らしく見苦しい遺体のままでこのナザリックに置いておくことはできない。

 どの遺体も安らかに眠っているだけのように見えた。

 身近に遺体があるのが当たり前で、なおかつアンデッドにも囲まれ慣れているナインズに遺体への忌避感や穢れ意識はない。

「――特徴ハ分カリマスカ?」

「ん…と……おじいさんとおばあさんだから……」

 ナインズが呟くと、若い死体は氷の中に埋めなおされた。老人の死体はいくつもある。

「……他ニ何カ分カレバ良イノデスガ」

「エイヴァーシャー大深林との戦争中にフラルを拾って育ててくれたって…」

「デハ、聖典上ガリデハナイデショウカ。ココデ探ス前ニ、古イ聖典ノリストヲ確認シタ方ガ宜シイカモシレマセン」

「そっか……。フラルには明日またって言ったけど、明日には間に合わなそうだね」

「仕方ノナイコトデス。サァ、ソロソロオ戻リ下サイ。アインズ様トフラミー様モ学校デノ話シ合イヲ終エテオ帰リニナッテイル事デショウ」

「そういえば先生に腕輪のお話しするって言ってたっけ。……戻ろっか、一太」

「そうですね。行きましょう!」

「爺、この遺体はしばらく取っておいてくれる?」

「カシコマリマシタ」

 二人は揃いの制服姿で帰って行った。




エル君、狂信者一歩手前?
そしてじいは安定して可愛いわね〜!

次回Lesson#10 聖典と家族
27日です!

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