眠る前にも夢を見て   作:ジッキンゲン男爵

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Lesson#10 聖典と家族

「神々はこうしてご降臨下さったわけですね。そして、ニグン・グリッド・ルーイン様が約束の地へ駆け付けた、と」

 翌日、社会の授業中。バイスが言葉を切ったところでちょうど終鈴が響いた。

「はい、今日はここまで。来週はニグン様の話からやるから、皆帰ったら今日のところ一回はノート確認して復習しておけよー。じゃあ、教科書とノートを閉じてお祈りするぞー!そのあと聖歌歌うからなー」

 座ったまま一分程度の黙祷をし、子供達は声を合わせて歌った。

 帰る前に必要なことを終えると、「皆さんさようなら」とバイスが声をかけ、「さよーならー!」と子供達も返した。

 ナインズは挨拶を終えると、いそいそと帰り支度を始めた。

「キュータ君、今日このあと時間あるかな?」

 オリビアが席を立ったナインズを見上げた。

「あ、ごめんね。今日ちょっと用事があるから急ぐんだ」

「そうなの?」

「うん。また来週」ナインズは軽く手を振るとロッカーへ向かった。

 急いで荷物をまとめる様子に、一郎太も急いだ。

「皆、じゃあねー!僕今日急ぐから!」

 ナインズは手を振り、教室を飛び出して行った。

「あ、キュー様ー!」

 一郎太もドタバタと出ていくと、オリビアはがっかりしながらノートと教科書を抱えた。

「…今日は皆で大神殿行こうって誘いたかったのに」

 登校してもヒソヒソ噂話、学食に行ってもヒソヒソ噂話、移動教室でもヒソヒソ噂話。

 疲れてしまったのだろうか。

「オリビア、キュータさんはいませんが、お祈りに行きましょう。わたくし、昨日お父様にたまには大神殿にいらっしゃいって叱られましたし」

 レオネがぶぅーと頬を膨らませ、帰り支度を済ませたアナ=マリアが寄ってくる。

「………私も行く。大神殿の書庫……行きたい」

「では皆様も行きませんこと?」

 イシューとエル、それからロランも「行く行く!」「行こうかな」「良いよー」と応えた。

 レオネはロランは誘ってないのにと思った。

 

+

 

 大神殿、神官通用口。

 ナインズと一郎太は軽く当たりを見渡してから大神殿に入って行った。

「で、どうするんですか?」

「まずは聖典長のレイモンさんに話を聞いてみようかな。今日いるかな?」

 二人はいつも出入りしている部屋を通り過ぎ、儀式のプールがある方へ向かって歩いた。

 神官や聖典しか入れない中庭には、何かおしゃべりをしている紫黒聖典がいた。

「クレマンティーヌさーん!」

 ナインズが中庭を出ると、四人は立ち上がった。

「お、殿下じゃーん。やっほー」

「殿下、おかえりなさいませ」

「ナインズ殿下、一郎太君、おかえりなさい!」

「今日は女の子と一緒じゃないんですね」

 番外席次はニヤリとした。

「ただいまー!もしかして、昨日見てた?」

「はは!昨日どころか、私ら毎日見てんだよー?」

 クレマンティーヌの言に、レイナースは「見ているんですよ」と訂正した。

「え、えぇ?そうなの…?」

「そー。登校中危なくないよーにね。朝は人が少ないからさー」

「僕ちっとも気付かなかったなぁ…。あ、でもネイアちゃんは見てないでしょ?」

 と言うのも、ネイアは――「申し訳ありません。身重なので、今は殿下のおそばにはいられないんです」

 一人だけ大きなお腹をしていた。

 ネイアは去年、神都の竜舎番になったティトと結婚した。紫黒聖典の寮を出て、今はティトと二人で暮らしている。聖典に選ばれるだけの力を有する面々は子供を産み、末代まで神々に仕えるようにと神官達からも言われている。ネイアの力は今や父パベル・バラハに比肩する。

 余談だが、パベルは意外にもネイアの結婚に肯定的で、娘が生まれたら死んだ母の名をつけて欲しいと言っているそうだ。ティトには重い義父だろう。

「ネイアちゃん、お腹見せて!」

「はい」

 ネイアは冷えないように着ていたローブを脱ぎ、腹がよく見えるようにした。

「おっきいね!こないだの僕のお誕生日の時にはまだぺったんこだったのに!」

「光神陛下のおかげですくすくと育っております。ありがとうございます」

「うーん、お母さまはすごいなぁ」

 ナインズはネイアの膨らんだ腹を撫で――中から強い振動を感じた。

「あ、申し訳ありません。蹴ったんじゃなくて、タッチしたんだと思います」

「きっとお話しして欲しいんだよ!僕、お母さまのお腹の中にいた時ヴィクティムがお話ししてくれるの大好きだったもん!ヴィクティムの声とお母さまの声はずっと聞こえてたんだよ!」

「さ、さすが殿下!そっか…神々は………うん、そうだよね」

 ネイアはふんふん頷き、何か新しい神話を思い付いているようだった。

「殿下の祝福がネイアの子にも分かったのですわ」

 ネイアの腹を撫でるナインズを見たレイナースが言う。

 ナインズは祝福を与えるにはどうすれば良いんだろうと思った。

「祝福…。祝福祝福」

 呟きながら、自分の中のありったけの知識を総動員していく。そして、一つひらめくと持っていた鞄を下ろした。

「ちょっと待ってね。あ、ネイアちゃん座って」

 中からインク壺を取り出し、座ったネイアの腹を捲った。

「殿下?」

「僕にできる精一杯だよ!」ナインズは指先をインク壺におとし、ネイアの腹に文字を書き込んだ。「――停滞のI(イサ)。豊穣のQ(イング)。パートナーと贈り物のG(ギューフ)

 一郎太は首を長くしてその様子を覗き込んだ。

「……全てを混ぜ合わせて――(カルク)

 書き込んだ文字は光を漏らすと、すっとネイアの腹に焼き付くように馴染んだ。これで擦っても消えない。

「ナイ様、これなんなんですか?」

「聖杯だよ。聖杯は子供を育てる体内の神聖な器を意味するんだって、お父さまがくれた本に書いてあった。創造と生命の字なの。――ネイアちゃん、赤ちゃん元気に育つと良いね」

 ネイアは座っていたベンチから降り、地面に跪いた。

「ナインズ殿下、殿下の素晴らしい御温情に心からお礼申し上げます。いつまでも末永く御身にお仕えすることを誓います」

 レイナースも更なる祝福に深く頭を下げた。

「殿下、ありがとうございました。殿下は我が国の宝ですわ…」

「はは、大袈裟だなぁ。気にしなくっていいよ」

 賢いナインズだが、年相応に地面に座り込んでインク壺をしまい直した。

 のち、ネイアに刻まれた文字は子の誕生と共に消えてなくなる。しかし、ネイアは無意味だとしても毎日同じ文字を同じ場所に書き続けた。

 ネイアが神の子の祝福を受けた子供を産んだ聖女と呼ばれるようになるまで、あと数年。

「さてと。今日ってレイモンさんいるかな?」

 インク壺をしまい、指先が青黒いままのナインズが尋ねる。

「いますよー。レーモンちゃんに何か御用ですか?」

「うん!ちょっと昔聖典にいた人について聞きたくって」

 番外席次の耳が髪の下でぴくぴくっと動く。

「昔?それなら、私が分かるかも知れません。どの聖典ですか?」

「あ、ルナちゃんは長いんだもんね。えっとね、昔スレイン法国とエイヴァーシャー大深林が戦争してた頃の人」

「……エイヴァーシャーと旧法国の戦争はとても長いです。多くの聖典隊員が誕生し、そして死にました。何か他に分かることはありますか?」

「んーと、最近寿命で死んじゃったの。下水月の風の曜日、三日だって」

「それは火滅聖典にいたフローラ・ファ・フィヨルディアだと思います。私達も聖典のよしみで葬儀に立ち会いました」

「フローラ……。フローラの娘、フラル……?」

「フラル…?フィヨルディアにそういう名前の娘はいなかったかと思いますが」

「え、そ、そうなの?戦争の時に拾ってきた森妖精(エルフ)の女の子、フラルって名前じゃないの?ずっと大聖堂にいる子だよ?」

「……拾ってきた森妖精(エルフ)は、確かイオリエル・ファ・フィヨルディア。当時の聖典には決して許されないことです。私たち神殿機関も、イオリエルの存在はつい最近知ったばかりでした」

「イオリエル・ファ・フィヨルディア?」

 それは毎朝バイスが出欠を取る時に「今日も来てないな」と言う名前だ。

「イオリエルだとしたら、僕達同じクラスだ。クラスに森妖精(エルフ)はいないよね?」

 問われた一郎太が頷く。

「いませんね。隣のクラスとかにはいるみたいですけど」

「そうでしたか。……じゃあ、きっとあの大聖堂にずっといる森妖精(エルフ)がフィヨルディアの拾ってきた森妖精(エルフ)なのね……。葬儀の時も出てこなかったけれど……」

 番外席次はどこか遠い目をした。

「……フラルは――イオリエルは言ってた。命の短い人間とは話したくないって。身寄りもないって……。お母さまを生き返らせたいって……」

「………そうですか。少し興味が湧きました。話して来てみます」

 番外席次は身軽な訓練着のまま中庭を出て行った。

「一太、僕達も行こう!」

「はい!」

 子供達もドタバタと出ていく。

「――レーナ、ネイアを頼む」

「わかったわ。ネイア、急がなくて良いのよ」

 クレマンティーヌが走って三人を追いかける中、ネイアとレイナースはゆっくり歩いて大聖堂へ向かった。

 クレマンティーヌはすぐに前をいく三人に追いついた。

「番外、あんまいじめんなよ?」

「……いじめないわ。クインティアじゃないんだから」

 職員通用口から大聖堂を出る。

 番外席次がキョロキョロと当たりを見渡し――祈りを捧げに来るといつもいる森妖精(エルフ)の娘を見つけた。

「いたわ。行きましょ」

 長椅子に座り、ぼうっと薔薇窓を見上げている。

 ナインズと共にまっすぐそちらへ向かっていると、自分に近づこうとしている者の存在に気付いたようで、森妖精(エルフ)の娘は訝しむような目をした。

「……ハーフ森妖精(エルフ)、其方は何を連れてきた」

 クレマンティーヌと番外席次は少し眉を寄せた。

「うんと…。フラルのお母さんを知ってる人たち」

「……何?」

「――あなた、イオリエル・ファ・フィヨルディアね」

「……其方は何者じゃ」

「私は紫黒聖典、番外席次。絶死絶命よ。私が名乗るなんて滅多にないんだからありがたく思いなさい」

「せ、聖典……?」

「そうよ。フローラと一緒に戦ったことはないけれど、私はフローラを知ってるの」

 フラルは自分がイオリエルではないと否定しなかった。

 番外席次はナインズと二人でイオリエルを挟むように座った。後ろの列にクレマンティーヌと一郎太も座る。

「イオリエル、あなた長いこと外にも出られないで暮らしていたんでしょう。あなたの喋り方は老いてからのフローラと、フローラと共に火滅聖典にいたガディヴァにそっくりだわ」

「……そうじゃろうか……。此方(こなた)は人間の父上と母上に……似ているだろうか……」

「えぇ、本当にそっくりよ。たまに大神殿で気安く話しかけてきていたもの。本当に鬱陶しかったわ」

 後ろに座るクレマンティーヌが咳払いした。

「――イオリエル。外に出られずに育ったせいで、外の者が全て敵に見える気持ちは私もよく分かるわ。まぁ、私の場合は全員弱者に見えていたけれどね。自分より先に皆死んでいくし」

「……其方は…絶死絶命様はいったい……」

 番外席次は髪に隠れる長い耳を見せた。

森妖精(エルフ)…?」

「違うわ。私はアウラ様とマーレ様が象徴王になる前に王だったクソッタレと人間の間の子よ。でも、そうね。森妖精(エルフ)の血が濃いと思うわ。歳の重ね方も、力も、何もかもがクソッタレに近い。だから、私もこの大神殿からほとんど出たことはなかったわ。あなたと一部は同じね。禁忌の子よ」

「……此方も……外に出ては行けないと父上達に言われ続けた。父上達は此方を隠して育ててくれた……。感謝はしているし…父上達の事は愛しい……。だが、だが…!拾って帰らずに、何故エイヴァーシャーに置いて行ってくれなかったのだと思わずにはいられん!!こんな…こんな気持ちになるなんて…!!父上も母上もあんまりじゃ!あんまりじゃ!!」

 イオリエルの瞳からはぽつぽつと涙が落ち、ナインズはポケットからハンカチを出すとそっとその目元を拭いた。

「子供扱いするなと言うに!」

 イオリエルがナインズの手を払おうとすると、パッとそれは番外席次に取られた。目にも止まらぬスピードだった。

「あなたは子供よ。そのお方に八つ当たりしないで」

「うぅ…!もう子供でなんか居とうない!父上も母上も、此方がいつかこうして一人ぼっちになると分かっていながら、此方が外など知らぬ木偶の坊になると分かっていながら、何故此方を拾って帰ったのじゃ!!此方はもう自由な大人になりたい!!母上に、母上に会いたくて眠れぬ夜など嫌じゃぁ!!うぅぅ…!!」

 ナインズはそのあまりの悲痛な叫びに一つ、二つと涙を零した。

「イオリエル…。本当に寂しかったんだね……」

「うぅ…此方に優しくするな…。其方も、其方もどうせ先に死ぬ……。此方を置いて…皆死ぬのじゃ……。何も知らぬ此方を置いて……」

「僕は君より先に死なない。きっと死なないよ…。だからもう泣かないで」

「うぅ……ハーフ森妖精(エルフ)の分際でぇ」

 イオリエルはナインズに縋るようにすると、ナインズは可哀想なイオリエルを抱きしめた。

 二人分の子供の泣き声が大聖堂に響いた。

「イオリエル……僕、試してくるよ。だから、ここで待ってて。できるか分からないけど、でも、やってみるから…」

「其方なんかに何ができる……。精々長生きするくらいが関の山じゃ……」

「そうかもしれない……。僕にはそれしかできないかもしれない。でも、どうか待ってて……」

「………此方はいつでもここにいる……」

「ありがとう、必ず戻るって約束するよ」

 ナインズはイオリエルにハンカチを握らせると、立ち上がった。

「ルナちゃん、僕は一回帰る。一太とイオリエルを頼む」

「かしこまりました。お気を付けて」

 長椅子の上に立ちあがり、前の列の長椅子の背もたれを一つ跨ぎ――普通の子供がやれば叱責だ――ナインズは長椅子の列を出て行った。鞄も置きっ放しだった。

「……絶死絶命様……。あれは一体、何者なんじゃ……」

 イオリエルは自分より少しお姉さんに見える番外席次を見上げた。

「……悪いけど、言えないわ。聞くならご本人に伺いなさい」

 

+

 

 ナインズは慌てて出迎えた雪女郎(フロストヴァージン)とコキュートスと共に、昨日遺体を出してもらった場所に辿り着いた。

「爺!!爺の言う通り昔聖典だった人だった!火滅聖典だったって!!名前はフローラ・ファ・フィヨルディア!ガディヴァの奥さん!!」

「装飾ヲ外サセテ見マショウ。名前ガ書イテアルカモシレマセン」

 凍河の中からいくつも老婆の死体が出てくると、コキュートスは全員の指輪やペンダントを外した。コキュートスにスレイン法国の字は読めない。

 ナインズだってほとんど読めない。だが、オリビアが普段公共文字とスレイン文字を書くので少しは読める。

 ナインズは指輪の中を覗いたり、ペンダントの裏を確認したりして、彫られている名前を確認していく。

 遺体とはいえ、全裸ではフラミーが怒るので損傷のある服は<修復(リペア)>で直されたり、きちんと着せられている。装飾品についてはある程度価値のありそうな物を着けていれば死体ごとシュレッダーに掛け、そうではないものは放置している。死体はどんどん手に入るし、アイテムの選り分けは無駄に手間がかかる。

 ちなみに、近頃では遺体の回収速度がアンデッド創造速度を上回っているので、パンドラズ・アクターの手が空いた時に多すぎる遺体はシュレッドする。肉体は治してからシュレッドした方が価値が高いということが判明しているので、どう使うにしても損傷があるものは全回復だ。遺体は麦より金貨の排出率が良いためナザリックは潤っている。国民はどんどん増えてどんどん死んで、どんどんナザリックに遺体を送るのが一番ナザリックの為になる。

 ナザリックから見ると、国民総家畜だ。それも、従順な。

「――あった!!これだ!!」

 ナインズは一つのペンダント――いや、認識表(ドッグタグ)に刻まれた文字を読んだ。

「フローラ・ファ・フィヨルディア!!火滅聖典第四席次!!イオリエルのお母さま!!」

 静かに眠り続ける老婆を残し、すべての遺体が再び凍河に埋められる。

 ナインズは老婆の体を囲むように円を描き、どうしようかと苦しげに目を閉じた。

「再生……誕生に必要なもの…」

「オ坊ッチャマ……」

「死と再生のY(エイワズ)……二つ重ねて……年を意味する(イア)。年を巻き戻せ、O(オシラ)。生命の樹よ、S(エイワズ)……J(ジュラ)、命のサイクルを――」

 ナインズは指を赤くしながら雪の上にルーンを書き続けた。

 何文字も何文字も、遺体を囲むようにしていく。時に重複し、ルーンはいつしか願いの文章へと変わって行った。

 老衰で死んだ人を生き返らせることなど、神と呼ばれる母にもできるのだろうか。

 きっと、父の持つ、命の時間――死までの日数を巻き戻す秘技と合わせなければ、叶わない。

 ナインズは自分の思う魔法陣を完成させた。

「頼む!!目を開けてくれぇ!!」

 魔力を流し込むように魔法陣を叩くと、魔法陣はゴシュゥッと光の柱を吐き出した。

 第五階層中の僕達がその様子を見上げた。今日休みを言い渡されている八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)も、コキュートスの家の屋根の上からそれを見た。

 光の柱は天を突くと消えて行った。

 ナインズは光が消えた魔法陣の中へ走った。

「フローラさん!!」

 横たわっているのは老婆だった。

 呼吸をしていない。ナインズはその胸に耳を当てた。

 ――心臓は動いていなかった。

「……っく!もっかい!!」

 書いた文字を手のひらで払って消していると、コキュートスが一息で消してくれた。

 今度は形を変えて、フローラに回路を伸ばし、別の場所に魔法陣を書く。

 叩くと同時に魔法陣だけが光り、フローラには何も起こらなかった。

「も、もっかい!!」

「オ坊ッチャマ、オ指ガ……」

「大丈夫!!」

 またコキュートスに消してもらい、フローラを楕円で囲む。

 楕円の外側にルーンを書き込んでいき、最後に叩く。

 文字だけが光りを放ち、何も起こらずに消えた。

 何度繰り返しても結果は同じだった。

「――も、もっかい!次は本当にできる!!」

 細かな氷である雪に傷つけられた赤い指を再び雪に下ろすと、その手はコキュートスに包まれた。

「オ坊ッチャマ、残念デスガ……」

「……うぅ…爺……!僕は……僕はぁ……!」

 ふわぁーんと声をあげてコキュートスに抱き着いて泣いた。もっともっと子供だった頃のようだった。

「僕はどうして何にもできないんだぁ!寂しいって泣いてる女の子一人救えないくせに、何が神の子だよぉ!どうして!どうしてぇ!!」

「オ坊ッチャマ…オ坊ッチャマハ十分良クヤラレマシタ。アナタ様ハマダコレカラオ力ヲ得テイクノデス……」

「爺ぃ…!」

 ナインズが落ち着くまで、コキュートスは背を叩いてやった。

 流れる涙は温度耐性の指輪をするナインズの体から離れると凍りつき、ポト、ポト、と音を鳴らして落ちた。

 しゃくりあげる声が次第に消えていく。

「……爺、ごめんね」

 落ち着いた声で告げると、ナインズはコキュートスから離れた。

「イエ。オ気ニナサラズ。オ坊ッチャマ、フラミー様トアインズ様ニオ願イシテミテハ如何デショウカ…」

「……ううん。お父さま達のお力は借りられないよ…。ナザリックにとって必要な事なのか考えれば――これはそうじゃないって、分かる…」

「……デハ、セメテ、ソノオ指ヲ治スタメニフラミー様カペストーニャヲオ呼ビシマショウ」

「ううん。僕もっかい大神殿に行ってくるから、向こうで誰かに治してもらうね」

 ナインズは雪の中から立ち上がると、下の階層へ行くため去って行った。

 コキュートスは小さな背中を見送った。

 ナインズの中の、ルーンのレベルが一つ上がった事がぼんやりと解った。

 

+

 

 長椅子に座る番外席次はイオリエルと話していた。後ろにはクレマンティーヌとネイア、レイナース、一郎太が座っている。

「イオリエル、私も誰も自分を理解してくれない日々にうんざりしていたわ。どいつもこいつも無能で弱いし――私と対等に生きてくれる存在なんか一人もいないと思ってた。ずっと……寂しかった」

「絶死絶命様も…」

「一人にしないで欲しかった。それは今も同じ。難しい任務に出るたびに、いつも思う。紫黒聖典の誰か一人でも死んでしまえば、私はまた狂うんじゃないかって。だから、必死に弱い紫黒聖典を守ってやってる」

 クレマンティーヌは言いたいこともあったが、その話をじっと静かに聞いた。

「……でも、どれだけ守ってやっても、いつかは私の仲間達は死ぬわ。そうなったら、私はまたひとりぼっちになるかもしれない」

「怖くないのですか…?」

「怖いわ。とても怖い。だけど、私はもうフラミー様からの祝福に気付いてる。あなたにも気付かせてあげるわ。仕方がないからね」

「光神陛下の祝福があるならば…此方が今一人ぼっちなわけがないと思います……」

「そうよ。一人ぼっちじゃないわ。私があなたの後見人になる」

 イオリエルは見開いた目で番外席次を見つめた。

「だ、だが…此方は…此方は……ハーフ森妖精(エルフ)よりもきっと長生きで……」

「そうね。でも、私はそう簡単には死なないわ。それに、イオリエル。いつか誰もが自分の親とは別れる運命にあるのよ。巣立つ時を迎える前にその日が来たあなたは不運だけど、いつかあなたも私の下を巣立つ。そのあと私も死ぬわ。どう。私と来ない」

 イオリエルの瞳にはいっぱいに涙が溜まり、薔薇窓から落ちてくる色取り取りの光を反射した。

「……絶死絶命様……どうか、その時まで此方と共にあってください……」

「契約成立ね」

 小さな少女が小さな少女を慰める光景だ。

 クレマンティーヌとレイナースは次世代を育てることの大切さを胸が痛いほどに感じた。

 それは神に仕える為だけでなく、この仲間の側に命を落とした後でも寄り添う為に――。

「――イオリエル!」

 その声に、皆イオリエルから顔を上げた。

 走って戻って来た様子のナインズがいた。

「……ごめん。僕、ダメだった……。ごめん……」

 イオリエルは立ち上がると、ナインズの下へ歩き、静かにナインズを抱きしめた。

「……其方のお陰じゃ……。ありがとう……。母上は戻らないが、其方は此方に新しい家族をくれた……。ありがとう……」

「あたらしい…かぞく……?」

 事情がわかっていないナインズが言葉を繰り返す。

 番外席次はナインズの下へ進み、跪いた。

「イオリエル・ファ・フィヨルディアは、紫黒聖典、番外席次。絶死絶命が引き受けます。我が妹として、私が神王陛下の下へ召すその日まで」

「ルナちゃん……!ありがとう!イオリエル、良かったね…!本当に良かった……!」

「ありがとう…。其方は神の使いじゃ……」

 ナインズは甘い香のする髪の中に顔を埋め、イオリエルも優しい体温に顔を寄せた。

「其方の名前を、もう一度教えてくれるか……」

「……僕が嘘を吐いても、君はこの先何百年もずっと友達でいてくれるかな」

 短い沈黙。それはイオリエルがナインズの正体を悟った時間のようだった。

「………許す。此方こそ…フラルではなかったのだから……」

「ありがとう……。僕はキュータ。キュータ・スズキだよ」

「キュータ様、ありがとう……」

 二人は身を離し、両手をつなぎ合った。

「……この手、どうしたんじゃ…」

 ナインズの手は冷え切り、人差し指と中指は真っ赤になって震えていた。素肌で雪の上に字を書きすぎて細かい擦り傷がたくさんできている。

「はは、ちょっとね。後で治してもらうよ」

「此方が治そう…。さっきまでなかった…。此方のために…何かしてくれたのであろ……」

 イオリエルは制服のローブから短杖(ワンド)を取り出した。

「<軽傷治癒(ライト・ヒーリング)>」

 ナインズの手は癒された。大した傷ではなかったのだ。

「……すごい、イオリエルは魔法を使えるんだね」

「第一位階じゃ。大した事はない」

 イオリエルがはにかむ。

 すると「――ちょっと!!」と耳馴染みのある声が大聖堂中に響いた。

 何事かと二人は声の主の方へ視線をやり、番外席次は席に戻った。

「キュータ君に触んないでよ!」

 オリビアと、学校の皆がいた。エルは止められなかった事を申し訳なく思っているような顔をしていた。

「あれ、オリビア?どうしてここに?」

「昨日イシューと一郎太君と三人で来たって言ってたから、私、今日は皆で来たかったの……」

「そっかあ。じゃあ、ちょうど良かったね」

 ナインズが一ミリも何も気にしていない顔で笑うと、オリビアは納得いかないような顔をしてイオリエルを睨んだ。

「キュータ君。その子、フラルちゃんって子?生意気なんでしょ?」

「え?そんな事ないよ。すごく良い子。そうそう、名前はフラルじゃなくてイオリエル・ファ・フィヨルディアだったんだ。同じクラスだよ」

「……ふーん」

「ふふ、キュータも隅に置けないなぁ」

 エルが笑うと、イオリエルは「……森妖精(エルフ)?」と首を傾げた。

「違うよ。私は……ん……と…上位森妖精(ハイエルフ)と人のハーフなんだ。君は純血の森妖精(エルフ)なんだっけ」

 イオリエルが頷く。

「そうじゃ。だが、育ちは神都じゃ」

「私の育ちは最古の森だよ」

 レオネはジッとエルを見つめると、自分の手に視線を落とした。

「……やっぱりエル様は殿下じゃありませんでしたのね」

「え?はは、それはそうだよ。そんな事初めて言われたな。光栄だけど、そんな間違いをしたら殿下に失礼だと思うよ。まぁ――殿下はそんなことで怒るようなお方じゃ無いとも思うけどね」

 エルが肩をすくめ、一郎太が頷く。

「そう…でしたのね……」

「うん。皆にはちゃんと話してなかったけど、改めて言っておくよ。皆は私を差別するような子達じゃないし、私も守られてばかりはいられない…。私は上位森妖精(ハイエルフ)のハーフで、年も二十四なんだ」

 皆、大した驚きを感じず、むしろスッキリしたような顔をしていた。

「若いのう」

 イオリエルが言うが、皆お兄さんだなと思った。

「それはそうと、其方ら皆神都第一小の子供なんじゃな」

 イオリエルは全員の身なりを見た。

「その通りでしてよ。わたくし達、皆B組ですの」

「イオリエル、君も僕たちと同じB組だよ。皆同じクラス」

「そうじゃったか……。此方ももっと早く学校に行けば良かった……」

「あれ?あんた、祈りはもう良いの?」

 イシューが覗き込むと、イオリエルは他人のふりをして耳を傾けている新しい家族に笑った。

「良いのじゃ。キュータ様が……新しい家族を連れてきてくれたから。それに、キュータ様がいつまでも一緒だと約束してくれた」

 ロランがヒューゥと口笛を吹いた。

「キュータ君!!」

 オリビアが詰め寄り、ナインズは何で怒っているんだろうかと瞬いた。

「ど、どしたの…?オリビアも頑張って長生きしようね…?」

 そのお誘いにオリビアはパッと花のように笑った。

「うん!キュータ君と長生きする!」

 

 話を聞き続けていたクレマンティーヌとレイナースはナインズは将来苦労しそうだなと思った。

 

+

 

 帰り道。

 ナインズと一郎太は大聖堂より向こうに暮らしていると言って皆と違う方向へ向かって遊歩道を歩いて行った。イオリエルはもう少し大聖堂にいるらしい。

 大聖堂からの帰り道は、来た時のメンバーだけになっていた。

「やっぱり、キュータさんは殿下ですのよね」

 レオネが言うと、共に帰っていた友達たちが唸るような声を上げた。

「…どうしてそう思うの?」

「オリビア。キュータさんに膝をついてた白と黒の子、あの子は多分紫黒聖典と呼ばれる人ですわ。お父様に聞いたことがありますもの。わたくし達、キュータさんに対して不敬なんじゃないかと思うと……」

「……それでもキュータ君はキュータ君だもん」

 オリビアはぽつりとこぼし、エルミナスは頷いた。

「そうだね。キュータが殿下だとして、彼はそう扱われる事を望むかな。私にはそう思えないよ」

 大人びた口調。エルミナスはやはり殿下だと思われる物を全て兼ね備えていた。

「……誰が殿下なのか聞くような真似は慎むように先生方は仰っていましたわ。でも、もう一度聞かせていただきますが……エル様は本当に殿下じゃありませんのよね?」

「違うよ。これは私が自分の身分を隠したいから言ってるんじゃない。純粋に、あの優しき殿下に失礼だと心から思っているから否定しているんだよ」

「エル様はキュータさんが殿下だともっと前からお気付きになっていまして?」

「――そうだね。私はキュータが一郎太の服を乾かしてやった日にそう思った」

「そんなに前から……。やっぱり神の文字に魔法を込めるなんて普通の子にはできませんものね」

「まぁね。でも、私がキュータが殿下なんじゃないかって確信したのは……ルーン魔術よりも、あの日の彼のシュルツ君への言葉だよ。言っていたこと全て、私にはとても真似することはできない。あの時のキュータはまさしく王だった。もし彼が殿下でなければ、もう学校に殿下はいないんじゃないかと思うよ」

 皆、しん…と静まり返った。

 足音だけの静寂を破ったのはアナ=マリアだった。

「………キュータ君は立派。でも、キュータ君が殿下だって名乗るまでは………私もオリビアちゃんと同じでキュータ君を殿下だって意識したくない」

「わたくし達……今のままでいいんでしょうか……」

 ロランは「いんじゃない?」と軽々しい声を上げた。

「僕はキュータ君が殿下だとか殿下じゃないとか関係ないと思うよ。だって、殿下は友達をたくさん作りたいから身分を伏せて学校に通われてるんでしょ。キュータ君も友達たくさんほしいって言ってるし、僕は誰とでも友達でいることがどこかにいる殿下にとって一番不敬じゃない行動だと思う」

「あたしもロランに同感。レオネは帰ったらパパにどうしたらいいか聞いてごらんよ。多分同じこと言うからさ。――じゃ、あたしは帰るよ!こっちだからさ!皆また来週!」

 イシューは飴を一つレオネに握らせて帰っていった。

「……そうですわね。わたくしも、今まで通りにいたしますわ。おかしな事を言ってしまってすみませんでした。では、皆様。わたくしもあちらですから」

「うん、気をつけてね。また来週」

「また来週!ごきげんよう!」

 レオネは足取り軽く帰って行った。

「………レオネちゃん、大丈夫かな」

「アナ=マリア、レオネは殿下にすごく憧れてたから仕方ないの。最初の頃、エル様と喋れたーってとっても喜んでたもん。だから、キュータ君に失礼な真似したって思って落ち込んじゃったんだと思う」

「はは。もしかして、私を殿下だと思ってたから皆私をエル様なんて呼ぶのかい?てっきり歳上だと勘づかれてるからそう言ってるのかと思ったよ」

「エル様って感じするからエル様はエル様なの!」

 オリビアは言うと、アナ=マリアの手を取って駆け出した。

「じゃあ、二人ともまた来週!」

「………さよなら」

「じゃあねー!」

「また来週ー!」

 

 子供達はそれぞれの家に帰って行った。

 

 そして、新しい家に帰った子供もいる。

 

此方(こなた)はイオリエル・ファ・フィヨルディア。ご厄介になりますじゃ」

 翌日にはたくさんの荷物を持ったイオリエルが紫黒聖典寮に入った。

「こ、ここで暮らすの?ガッコーの寮にいたんじゃなかった?」

 クレマンティーヌは大量の荷物を運び込む番外席次に尋ねた。

「寮は出てきたわ。校長と寮母に話したから大丈夫」

「大丈夫って…。あんたらフィヨルディアの家もあんでしょーに」

「流石に聖典上りの家だから、ここから近いわ。今と同じようにちゃんと定期的に掃除に帰らせるつもりよ。今日と明日で片付けて、安息日明けから登校させるわ」

「いやいや、そうじゃなくてー…なんつーのかなー…」

「何。クインティア文句あるの」

「文句っつーか、ここに暮らしていいってレーモンちゃん言ったわけ?ここは全部神殿が金出して回ってんだよ」

「良いそうよ。キュータ様が最高神官長に事情をお話くださったそうで、紫黒聖典見習いって事になったわ。イオリエルを拾ってきたのもそもそも聖典だし」

「まじ…?このちみっこいのが見習い…?番外もちびだけど」

「うるさいわね。イオリエルは第一位階魔法も使えるわ。いないでしょ。魔法使えるの。それに、流石に元火滅聖典にしごかれてただけあって才能は十分よ。毎冬ヴェストライアの所で訓練すれば成長も早いでしょ」

「回復魔法を使えます。もっと精進するから…置いてはくれんじゃろうか…」

「ふーん……。レーナ、どーするー」

 声をかけられた副隊長は軽く荷物の中身を確認していた。そして、制服を羨ましそうに見ると箱に戻した。

「私は構わないわよ。回復魔法を使えるって事は、キュータ様だけでなくフラミー様のお墨付きでしょ。順当に育って力を付ければ第四席次ね。もしこれ以上力が付かなくて聖典に入れなければルナと一緒にフィヨルディアの家に引っ越せばいいんだもの」

「んじゃーいっか。部屋はまだまだあるし。好きな部屋使いなー。だけど、ここはガッコーの寮なんかとは違って食事は持ち回りの当番だし、洗濯は自分だからねー。それでもヘーキ?」

 イオリエルは頷いた。

「覚えますじゃ。何でも覚えてみせる!」

「気合は十分だね。教育は番外がするんでしょー?」

「当たり前じゃない」

「そりゃよかった。んじゃー取り敢えず、今後のイオの簡単な一日を説明する。紫黒聖典の朝は早いからね。まず番外と朝食作る。できたら皆で朝食食べて、会議して、通学路の見回りに行かなきゃいけない。――その時、番外と一緒にガッコー行きな」

「絶死絶命様と…!」

 瞳を輝かせる様子にクレマンティーヌは小さく笑った。

「そー。んで、帰ってきたら掃除。掃除は毎日しろっていうのが大神殿の言い分だからねー。あっちは毎朝やってるけど、私らは時間見つけて適当にやってる。簡単な掃除が終わったら今度は夕食作り。夜も皆で食べる。一日の報告をしあったら、風呂。広い風呂だから適当にいつでも入ってよし。そしたら寝る。週末は訓練。わかった?」

「分かりました!!此方は何でもできるようになるぞ!」

「頑張ってー。それから、隊長の私から見習いのイオにひとつ任務を言い渡すよ。良い?」

「はい!」

「キュータ様がもし学校でお怪我されたりしたら、すぐに癒やしてさしあげること。それが見習いの仕事っちゅーことで。他のことはあんまり気負わなくていーよ。キュータ様は――誰でもない誰かなんだから」

「隊長、ありがとうございます!お任せくださいですじゃ!」

「……本当に老人みたいな喋り方だなー。ま、いっか」

 ネイアが出て少し静かになった家は、前にも増して賑やかになった。

 ネイアも産んで落ち着いたら戻ってくるつもりでいるし、今は日中大神殿でできる書類仕事はネイアに全部丸投げ中だ。

 

 その後、番外席次は新しい家族の荷物の片付けをぶつぶつ文句を言いながら手伝った。




これはヒロイン臭がしますじゃわね!?

次回Lesson#11 謝罪と神様
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