その日、アーウィンタールの旧帝城の中は慌ただしかった。
「サラトニクの準備は!」
「遅いですね…。私が確認に行ってまいります!」
ジルクニフの声が響き、執事のエンデカが駆け足でサラトニクの下へ行った。
「ええい…!サラトニク、遅い!フラミー様がお見えになる前に部屋にいなくては失礼だと分かっているのか!」
今日ロクシーは用事があり出掛けている。こういう時に限っての不在だ。
ジルクニフは室内をうろうろしてエンデカの戻りを待ったが、わずか数秒で我慢ならずにフラミーを迎える部屋を後にした。
サラトニクの部屋へ向かう。メイド達が頭を下げてすれ違って行った。
部屋の前に着くと扉は開け放たれていた。
「サラトニク!何をやっているんだ!」
「――ジルクニフ様、サラトニク様はもうこちらをお出になられたそうです!」
サラトニクの部屋にあるドレスルームからエンデカだけが飛び出してきた。
「何!?すれ違わなかったぞ!あのバカ息子はどこで何をやってる!!探させろ!!もう後十分もせずにお見えになるぞ!!もし早くいらしたらどれだけ失礼か分かっているのか!!」
フラミーはいつも時間ぴったりにくるが、わざわざ女神に迎えに来させて、待たせるなど言語道断だ。
ジルクニフはエンデカやすれ違うメイド達にサラトニクを探すよう指示を飛ばした。
「サラトニクを見付けて今すぐ連れて来い!!今すぐだ!!」
すると、――父上!と遠くから声が聞こえた。
窓の外だ。割れてしまうギリギリの勢いで窓を開け放ち、下の中庭を覗くとサラトニクがいた。
手には花の植えられた鉢が抱えられていて、見上げている顔には土が付いていた。
「何をしている!!早く部屋に来い!!」
「ち、父上!今戻ります!ちょっと、ちょっと待ってください!」
「待つのは鮮血帝ではなく世界創造の女神だと分かっているのか!!」
サラトニクは土のついた顔を腕でぐいと拭くと、鉢を抱えたまま一階のピロティーに入って行った。
「あの顔で行かせられるか!本当に何をやっているんだ!」
ジルクニフの怒りは最高潮だった。
階段を駆け上がって来る音がし、ジルクニフは一足先にフラミーが転移して来る部屋へ入って行った。
「エンデカ、ロウネ。サラトニクの顔を洗って来る時間は」
「難しいかと。もう陛下がいらっしゃいます」
「では今すぐ絞ったタオルを持って来い!」
「すでにお持ちしております」
「……そうか」
エンデカはほかほかのタオルを手にしていた。
「――父上!お待たせいたしました!」
サラトニクの金色の髪には美しい装飾が着けられ、アメジストの宝玉を納める瞳は優しそうな形に垂れていた。
「サラトニク!何をしていた!!」
「私は――わぶっ」
有無を言わせずにエンデカはサラトニクの顔をごしごしと拭いてやった。
「サラトニク様!今日はアルメリア様からお召しに預かっている事をお分かりですか!」
「わ、分かってる。わ、私は――むぶっ、私はこれをアルメリア様に――わぶっ!もう!え、エンデカ!やめてよ!もう!」
エンデカはサラトニクの顔を拭き終わると、今度は鉢を一度床に置かせ、土に汚れた手を丁寧に拭き始めた。
「それで何をしてたんだ!」
「お花を取ってきました!私がずっと育ててたお花です!」
サラトニクが自慢げに差し出した花はたった一つだけ咲いているが、殆どが蕾のままだった。
「こんな殆ど咲いてもいない花をアルメリア殿下にお渡しするのか!?誰か咲いている花を今すぐ用意しろ!」
ジルクニフが指示を飛ばす中、サラトニクは鉢を抱えた。
「父上!もうすぐ全部咲きます!庭師のカーディオが言ったもん!」
「もうすぐって……いまはまだ咲いてないだろう!!」
「でもひとつ咲いたから!大事に育てたからあげたいの!」
「何かお贈りしたいなら宝石やお召し物とかもっとあるだろう!」
「アルメリア様は
「最もらしい事を言って!お前にアルメリア殿下の何が分かる!」
「分かる!私はナインズ様の次にアルメリア様の事が分かります!!」
「そんな不遜な――」
「エル=ニクス様!いらっしゃいます!」
エンデカの通達に全員が急いで膝をつく。
部屋の真ん中には地獄へ続くとしか思えない黒々とした門が開いていた。
頭を下げていると、軽やかな靴音が音楽を奏でた。
「こんにちは。皆さん楽にしてくださいね」
その言葉に全員が頭を上げた。
もくれんの花びらの白さもくすんで見えるほどの純白に輝く翼を背負った華奢で小柄な体。肩から背へと波打つ長い髪は月の輝きのようだった。
「――フラミー様。本日は我が愚息をナザリックへお招きいただきましてありがとうございます」
「いえいえ。こちらこそ遊んでもらっちゃって。アルメリアは外の人も外も苦手なんですけど、サラトニク君には慣れてるから助かってるんです」
「身にあまる言葉をいただき、
ジルクニフは深々と頭を下げた。
「じゃあ、サラトニク君のことはまたお預かりしますね」
「は!よろしくお願いいたします!」
ジルクニフは頭を下げ、サラトニクは大喜びでフラミーの下へ駆けた。
「陛下!よろしくお願いします!」
「ふふ。サラ君よろしくね。リアちゃんね、サラ君が会いたいってお手紙くれたから会える日をとっても楽しみにしてたんだよぉ」
「わぁ!ありがとうございます!じゃあ父上、行ってきます!」
「……くれぐれもご無礼のないようにな」
ジルクニフの言葉にサラトニクは頷き――フラミーと手を繋いで闇の中へ消えていった。
「……あいつ、度胸だけはある」
「エル=ニクス様と違ってお腹は痛くならないタイプかもしれませんね」
ロウネが苦笑すると、エンデカは顔を逸らしてぷっと笑いを漏らした。
「ええい!お前たち粛清されたいのか!」
「ははは。いえいえ、とんでもありません」
アーウィンタールの元帝城は今日も賑やかだ。
「アルメリア様ー!」
「サラァー!こっちです!こっちです!」
アルメリアが手招く下へサラトニクは駆け出し、すぐに前まで来ると膝をついた。
「本日はおめしにあずかり、心からおんれい申し上げます」
「いいですよ!仕方ないから遊んであげます!」
「ありがとうございます!アルメリア様、今日私はアルメリア様にこれを持ってきました!」
サラトニクが咲きかけの花の植わった鉢を差し出すと、アルメリアはそれを受け取り、じっと眺めた。
「外の花です?」
「はい!私が育てました!」
「お花よりもたくさん葉っぱがぼうぼうです」
「す、すみません。突然今朝咲いちゃったから……」
「良いです。サラが本当に自分で育ててたって分かります。これはリアちゃんが寝るお部屋におきます!」
それはつまり、フラミーの寝室だ。
「サラ、礼を言います。ありがとぉ」
アルメリアは嬉しそうに鉢を抱えて笑った。
「アルメリア様、私の方こそありがとうございます!」
「ふふ、良いですよ!この花のこと、聞かせて欲しいです!」
二人は原っぱにぺたりと座り、鉢を間に置いた。
「春に種を蒔きました。それで、芽が出た時とっても嬉しかったんです!」
「リアちゃんもバロメッツにたまに構ってやります。植物は可愛いです!
「はい!それで、ずっとどんな花が咲くんだろうって楽しみにしてました。そしたら今朝庭師のカーディオが咲いたって教えてくれました!咲いたらアルメリア様にあげようって決めてて、それで、えっと、呼んでもらえたのが今日で良かったです!」
「どうしてリアちゃんにくれるって決めてたんです?」
「私の一番大事なものを差し上げると決めてたからです!」
「にへへぇ。サラは外の人間なのに外の人間じゃないみたいです」
幸せに微笑みあい、肩をくっつけるようにして二人で座る。
その様子を眺め、手を振るわせる男が一人。
「……近い」
アインズはフラミーの隣で漏らした。
「良いお友達ですねぇ。きっとリアちゃんのお外嫌いを治してくれますよ」
「外の子供ならサラトニク以外にもクラリスとかもっといるのに……!」
「三つも年上のお姉さんより、やっぱり同い年の子が良いんですねぇ」
「っく……!」
「ははは。く、じゃないですよ」
「ぐぬぬぬ!」
パパは早くも娘がお嫁に行く想像をして苛立った。
一方、最古の森を歩く七人の子供達。
「夏休みの宿題の自由研究、オレ最古の森の事にしようかなぁ」
一郎太が言うと、ナインズも頷いた。
「僕もそうしようかな。皆もそうするよね?」
ナインズの問いにロラン、リュカ、カイン、チェーザレが「そうするー」と声を上げた。なんと言っても高いお金を払って鏡を潜っているのだから、ここを題材にしなければもったいないだろう。
エルミナスだけは悩むようだった。
「私はどうしようかなぁ……。最古の森の何を研究すればいいのか全く思い付かないし……」
「こんなに不思議な事がたくさんあるのに?」ロランが首を傾げた。
「どれが不思議?」
「あの木にくっ付いてる家とか、どうやって建ててるのか僕には不思議だなぁ」
「大人の殆どが<
「へー!面白いねぇ!神都じゃ<
少し興奮するロランの隣で、リュカが木を見上げる。その視線の先には<
「すげぇなー。第三位階まで使える
「ふふ、文化と魔力の違いだね」
「僕は自由研究、最古の森の建物のこと書こーっと!」
ロランの自由研究のテーマが決まり、リュカもこれぞと言うテーマを思いついた。
「じゃあ俺は魔法が使える人達の職業調べる!魔術師組合や冒険者以外になってる第三位階の使い手について!」
「わぁー、良いねぇ。僕は何にしようかなぁ」
ナインズも何か良い案がないかキョロキョロと見渡した。知らないものばかりの最古の森ではなんでもテーマになる。
「――あ、僕は最古の森に生えてる花の図鑑を作ろうかな!摘んでノートに貼ってくの!」
「キュー様が花の図鑑作るなら、オレは葉っぱの図鑑作ろーっと!」
「キュータ様と一郎太君も決まりですね。チェーザレ、お前は何にする?」
「カイン様はどうするんですか?」
「うーん、ロランの研究に少し似ちゃうけど、僕は
「じゃあ僕もカイン様と同じにお屋敷の中でできる事にしようかな……。何かいいのないですか?」
「えー?思い浮かばないなぁ。チェーザレも自分で考えろよ」
カインが手近なところに落ちている枝を拾うと、それに付いている葉っぱを一郎太が摘んだ。
「さっそく一枚目ゲット!エル、これ何だ?」
「そこに生えてるマルアルの木の葉っぱだと思うよ。皆自分の住む木の周りに飾りとして植えてるんだ」
「へー!マルアル、ね。聞いたけど多分オレ忘れるなー。帰ったらまた聞くかも」
「ふふ、良いよ。――チェーザレも植物図鑑にしたらどうだい?」
エルが振り返ると、チェーザレはいい香りのするパン屋を見上げていた。
「エル様!僕、やっぱり最古の森で使われる字の一覧表作ります!」
パン屋の看板には複雑な文字があった。
「いいかもしれないね。私はどうしようかな……」
エルが唸る。
「急がなくても夏休みは始まったばっかりだからゆっくり考えるといいと思うよ!」
「そうだね。キュータの言う通り、もう少し悩もうかな」
七人はぞろぞろと最古の森を散策した。
お昼はパン屋で買ったパンを食べながらうろうろした。
ナインズは花を摘むたびに、花の根が埋まっていると思われるところに
ロランが一緒にしゃがんでそれを眺める。
「キュータ君。これ、再生のルーンだよね!」
「そうだよ!ロランはもう殆ど覚えちゃってすごいね。自由研究、ルーン文字でも良いんじゃない?」
「へへへ。僕もちょっとそう思ったぁ。冬休みの自由研究はルーン文字にしようかなぁ」
二人で地面にごちゃごちゃと字を書き始めると、リュカと一郎太は見たことのない虫を追いかけ回し、カインとチェーザレだけはちゃんとエルの観光案内に耳を傾けた。
その後、夕方になる前にエルの屋敷に帰ると、屋敷の中は妙に慌ただしい雰囲気だった。何を用意してだとか、急いで、だとか。使用人たちが声を上げる。
「なんだー?」
一郎太が見渡し、エルも首を傾げた。
「なんだろう?珍しいね」
使用人たちに指示を出していた一人のメイドが大勢の帰宅に気が付くと、駆け寄って来た。
「エルミナス様、ご友人の皆様!おかえりなさいませ。今夜は是非晩餐にご出席をとシャルパンティエ様が仰せですので、用意が済み次第お部屋にお呼びに伺わせていただきます!」
この慌ただしさにエルは心底納得した。
「あ、そう言う事ですか。じゃあ、自由研究のことをまとめたりするんで、私達は一度部屋に戻らせていただきます」
「はい!」
エルは未だかつてない程丁寧に頭を下げられ、数度頬をかいた。
「じゃ、行こーぜ!早く行かないとオレ葉っぱの名前忘れちゃうよ!」
「一郎太はもー忘れてんだろ!」
「リュカもエルに教えてもらった職業もう忘れたろー!」
「もちろん俺も忘れた!!」
赤毛の二人は楽しそうに笑い声を上げた。
皆でエルの部屋に戻ると、部屋の中には沢山の花が飾られていて、四台のベッドがぴったりとくっ付けて置かれていた。
エルはその様子に、ナインズに一人で円形ベッドに寝てもらい、後の六人は皆で仲良く肩を寄せ合って寝てくれと言うことだなと理解した。子供の大きさなら、シングルベッドを四台もつなければ十分寝られる。一台あたりの横幅は約百センチなので、簡単に言えば横幅だけで四メートルもあるのだ。
布団だけ取りに行って用意することになると思っていたのに、わざわざベッドを出してもらえるなんて思いもしなかったので、エルはやはり何となくソワソワした。
「わー!皆で寝よー!」
ナインズが並ぶベッドに向かおうとすると、エルは慌ててそれを止めた。
「あ、キュータ。ここで寝るなんてそんなこと言わないで!」
「え?あ、そうだね。四台だから、ここで寝る子とあっちで寝る子、じゃんけんとかで決めようね!」
そうじゃないが、皆と眠れるとウキウキしているナインズに水を差す気になれず、エルは困ったように笑った。
「まぁ……良いんだけどね」
「ん?うん!」
七人はそれぞれの自由研究のテーマに合う拾ってきた
カインはエルの部屋をうろうろと歩き回り、間取りを作った。
ロランは今日見て来た色々なツリーハウスの外観をいくつか書き込んだ。上手くはないかもしれないが、店や家の違いを細かく記しておく。
リュカはエルの言う通りに、第三位階を扱える
チェーザレもその横で、
ナインズと一郎太はノートに花や草を貼る前に、エルにアドバイスされて花や草を押し花にした。花と草は早く押し花になるように太陽を意味する
夏休み開始早々に始まった自由研究に、皆が熱中して取り組んだ。
あっという間に外の日が落ちていき、自由研究は室内にノックの音が響くと共に一時的に終了となった。
入って来たのはベテランの香りがするメイドだ。
「――エルミナス様、皆様。晩餐の用意が整いました」
「あ、はい!皆、ご飯だよ」
皆お腹すいたと口々に言い、カインはまた鏡の前へ行った。
身だしなみをきちんと整え、チェーザレにも見てもらう。
「キュー様は顔のはどうするんです?」
一郎太が自分の顔を指さすと、ナインズは視界に入ってこない嫉妬マスクに触れた。見えないので着けていることをしょっちゅう忘れる。
「うーん、外さないと食べられないかなぁ」
「無理だと思いますよぉ」
試しに嫉妬マスクを斜めにして、その下から握っていた鉛筆を差し込んでみる。
「無理だねぇ」
「無理ですねぇ。部屋にしますか?」
「ううん、なんか悪いしちゃんと食べる。行こっか」
「はーい」
準備の済んだ友達たちの下へ行く。
ロランとリュカはとても緊張していそうだった。
カインは元貴族の子だが、こちらの二人は神都の庶民の子なので晩餐なんて言葉はそうそう使わないし、使うような席に出ることもない。
「ロラン、俺平気?」
「へ、平気。リュカ、僕も平気?」
「うん、平気」
神都の幼馴染同士身なりの確認を徹底した。
「では、ご案内いたします」
ベテランメイドの後に続き、カインは歩きながら屋敷の間取り図の続きを書いた。アリの巣のような絵だが、六歳にしてはまぁ上出来な方だろう。
大きな二枚組の扉の前に着くと、チェーザレが持ってきておいた鞄にカインのノートと鉛筆をしまった。
一郎太と違って本当にお付きという感じがする。
「なぁ、チェーザレ。オレに教えてよ」
「何をですか?一郎太様」
「なんか、その役に立つやつ!オレ、キュー様に何もしてないから!」
それを聞くとナインズは嫉妬マスクの下で瞬いた。
「一太は僕のこと守ってくれてるでしょ?」
「なんか、もっとあるじゃないですか。チェーザレは色々カインにやってるし、クリスもアリー様のおままごとで水出したりしてるし」
「はは、一太は今のままで良いよ。兄弟はそういうことしないんだから」
それを聞くと一郎太は電球のようにパッと顔を明るくし、頷いた。
「じゃあいっか!」
「うん!良いよ!」
その様子をナザリックで見ていた誰かはペットと言う身分が羨ましくてハンカチを噛んだが、二人が知る術はない。
話が終わると、大扉が開いていく。
ロランとリュカはソワソワしながらそれを見上げた。
「お進み下さいませ」
中には立派な長机が出されていて、青いテーブルライナーが机のセンターに掛けられていた。テーブルを飾るのは花ではなく、葉のつく枝や
皆立ってナインズ達を迎え、エルの父は大変良い笑顔だった。
長机の中心に父が立って待っていて、その前に上品そうな女性。
机の両端には四人の兄姉達と、美しい
一番奥には兄キルエルと姉アリマト、その反対側の端に兄ラウドミアと兄イヴォニン。
アリマトとイヴォニンは若干不服そうに立っている。
ラウドミアはニッコリ笑って一郎太に手を振った。赤毛が綺麗だと言っていたし、人間よりも何となく亜人の方が心を許しやすいのかもしれない。
一郎太も軽く手を上げると、父親が口を開いた。
「やぁ、学友の皆様には晩餐にご出席いただけて光栄に存じます。紹介がまだだったので先に妻達をご紹介いたします。私の向かいにいるのが正妻のイヤリエーラ。長男のキルエルの母です。キルエルとアリマトと共にいるのは側室のニーフ、アリマトの母です。そして、ラウドミアとイヴォニンと共にいるのが二人の母、サヴァラ。よろしくお願いいたします」
ナインズは一生懸命覚えようとしたが、よく分からなかった。
だが、エルの父は真っ直ぐこちらを見て言ってくれたので頭を下げた。
「ご紹介ありがとうございます。素敵な席にご招待いただけて嬉しいです」
「いえいえ。キュータ様はそちら、私の斜め向かいにどうぞ。そのお隣に一郎太君。反対側にカイン君とチェーザレ君。こちら側、私の右手にリュカ君とロラン君。左手にはエルミナス。さぁ、どうぞ掛けてください」
屋敷の主人の斜め前が上座らしい。確かに、真隣に座っては話しにくい。
次々とメイド達によって椅子が引かれていく。
ナインズは言われた通り、正妻と紹介されていた女性の右隣に一郎太と着いた。
正妻を挟んで左側にカインとチェーザレも着く。
リュカとロランは怖々とエルの父の右隣に並んだ。
リュカはエルの父のすぐ隣になるのを恐れてロランに先を越される前にアリマトの隣を陣取った。
そして、エルも怖々と父の隣に着いた。父の隣で食事を取るのは初めてだった。
「エルのお父さま、エルのお母さまは来ないんですか?」
ナインズが尋ねると、アリマトが臭いものを嗅いだように顔を顰めた。
「ご友人様。エルミナスの母は奴隷でしてよ」
「――アリマト。奴隷ではないよ。使用人だと言っているだろう?」
向かいに座るキルエルが嗜める。
エルの父は軽く額の汗を拭った。
「アリマト、いつも言っているだろう。奴隷の解放宣言は成ったと」
「そうでしたわ。では、使用人と同じ食卓を囲む者がいまして」
「僕の家はそう言うこともあります。労うために同じ食卓で食事を取ることもあるんです」
「……神都は変わってますのね?」
そこで父の大きな咳払いが響いた。
「ンン!今日はせっかく皆様も来ているので、エルミナスの母も呼んでおります。――おい」
声を掛けられたメイドが使用人の通用口へ行き、エルの母を連れて来た。
大変恐縮している様子で、きちんとした格好をしている。綺麗な服はあれしかないのかもしれない。と言うのも、あれは入学式の時に着ていた服だからだ。
「し、失礼いたします」
席は引いてもらえなかったが、最後の一つのエルの隣の席にチョコリと座った。
それと同時に、エルの母の隣になったイヴォニンが席を立つ。
「父上、何のおつもりですか。アリマトの言う通りです。神都がどうかは知りませんが、ここは最古の森。使用人と同じテーブルでものを食べるなんて」
たった四歳くらいに見える少年とは思えない大人びた言葉がすらすらと並んでいく。
ナインズはその点だけは不思議と感心した。
アルメリアならば『お父ちゃま!やです!リアちゃんやんや!!』と癇癪を起こすだろう。
だが、彼らの言い分はナインズの中ではなんとも評価できなかった。難しいところだった。
使用人と食事を取らないと言うのは、守護者達も一緒に食卓を囲むときはいつもとても恐縮しているし、毎日守護者達と食事を取るわけではないのでありえない発想だとも思わない。だが、たまにくらい良いじゃないかとも思う。毛嫌いすることはないのだ。
「イヴォニン。そう言う考え方はもう終わりにしなさい」
「父上には呆れさせられますよ。人間を愛玩動物として使っていた所までは良いですが、昔は皆生まれたところで殺してしまっていたのに物好きにも程があります」
ナインズはギョッとした。愛玩動物というものが何なのかはよく分からないが、昔は人とのハーフ
エルが何故冷たく当たられても全てを受け入れ、むしろ感謝しているのかよく分かった。奴隷でも生かしてくれて、今こうして家族として迎えようとする姿勢はエルにとって心底ありがたいことなのかもしれない。
「イヴォニン、食事の席でそう言うことを言うんじゃない。席に着きなさい」
「私の席をラウドミア兄様と変えていただけるなら座ります」
「ではラウドミア、変わりなさい」
「良いですよ。その方が一郎太君と話しやすいからね。さぁ、イヴォニン。私と場所を変わろう」
ラウドミアはニコニコと変わらない笑顔ですぐに席を変わった。
「……こっち側だと使用人が目に入りますね」
「ふふ、仕方がないね。どちらかしかないんだから。こちらに戻るかい?」
「それなら隣よりはこちらの方がまだ良いです」
ようやくこれで席が決まった。
左から、
アリマト、リュカ、ロラン、エルの父、エル、エルの母、ラウドミア。
向かい側、同じく左から――
キルエル、チェーザレ、カイン、正妻、ナインズ、一郎太、イヴォニン。
机の両端、一番館の主人から遠い所謂二つのお誕生日席にそれぞれ側室が掛ける。子供達の方が側室達よりも身分が上なのだろう。
イヴォニンが隣にくると、一郎太は口を開いた。
「そう言うこと言うなよな。オレはオレの前がエルの母上で嬉しいぞ」
「一郎太さん、価値観は人それぞれですよ」
大人のように一蹴された。
エルの父親はまた汗を拭った。
「……では、そろそろ食事を」
その声に、メイド達が揃った動きで前菜をサーブしていく。
美しい見たこともない料理が運ばれ、美味しそうなジュースが注がれていく。
チェーザレが皿を覗き込むと、カインは軽く小突いた。マナー的に恥ずかしかったのだろう。
リュカとロランは皿の上に指をさして「これなんだろうね!」「こっちなんかすげぇぞ!」と盛り上がっている。
そんな中、エルの父はアルコールの香りのするグラスを軽く上げた。
「――エルミナスと学友の皆様の健やかなる成長と、神聖魔導国の益々の繁栄を願って」
「「「「「成長と繁栄を願って」」」」」
エルミナスと兄姉達が唱和する。
ようやく食事が始まり、子供達は皆襟にナプキンを挟んだ。
コックのような人が前菜の中身を紹介して行く。小難しい言葉が並んでいた。
ナインズがどれから食べようかなと悩みながら置かれている箸を手に取る。最古の森はカトラリーはスプーンと箸が使われているようだ。
ふと、一郎太がツンツン、と肩を叩いた。
「キュー様、まだ着いてますよ」
「――あ、そうだったね」
ナインズが仮面に手を掛けると、食べようとし始めていた学校の友達は皆一度箸を置いた。
エルミナスの父もそれに気付き、一度箸を置いた。
子供達と側室は食事を始めていて、あれこれと楽しげに話をしていた。
「キュー様、外したらオレが持ってますよ!お付きっぽいから!」
「はは、ありがとう。じゃあ、一太に任せるね」
ナインズは仮面を外すと、顔を左右に振った。雨に濡れる蜘蛛の巣のように細く繊細な煌めきが飛ぶようだった。
前髪が勝手に整って金色の目の上に降りる。
目の前に座っていたエルはその様子をどこか恍惚と眺めた。
「我が殿下、お召し上がりください」
「わぁ。エル、むずむずするからキュータで良いよぉ」
仮面を一郎太に任せる。一郎太は鞄も何も持っていないので椅子の背もたれと背の間にそっとそれを置いた。
「キュータ君……本当に……」
エルの隣の母親が呟く。
さらに、その隣のラウドミアは目を丸くしていた。
「……え?キュータ君?……私達、どこかで会ったこと……え?」
その様子に一郎太の隣にいたイヴォニンが首を傾げ、軽く身を乗り出すようにナインズを確認した。
「……え?」
リュカの隣のアリマトは目を見開き、ナインズを注視していた。
「あの……えっと、あんまり見られると、僕食べにくいかも」
ナインズが苦笑すると、エルの父はまた汗を拭った。
「申し訳ありません。子供達はあまり、こう……慣れていないもので」
「何にですか?」
「その……神に連なる存在にと言いますか」
それを聞くと、リュカが笑った。
「はは!キュータに慣れてんのって、俺たちのクラスだけだもんなぁ!」
ロランも頷く。
「で、でもさ。キュータ君が素顔で仮面取ってるところは多分クラスの皆も慣れてないよね」
「ロランの言う通りだね。キュータ様の素顔を見慣れてるのなんて、一郎太君くらいかな」カインは何故か自慢げだった。
「僕達もまだ三回目ですもんね。カイン様!よく見させて頂いた方が良いですよ!」
「う、うるさい。恥ずかしいことを言うな。キュータ様は見られるのがあんまりお好きじゃないんだぞ」
「ははは!何見てんだってまた一郎太に怒鳴られるな!」
カインとチェーザレにリュカが笑い、ナインズと一郎太も笑った。
硬直する兄姉をよそに、学校の友達たちは食事を進めた。
「我が殿下、殿下も気になさらずに召し上がって下さい」
エルが進める。エルは素顔を晒す時のナインズには不思議と敬語だ。
ナインズは箸を取り直し、宝石のように綺麗な食事を摘んだ。
「これ、なぁに?」
「クラムボンのすり身と林檎のアンサンブルだそうです」
「クラムボン?それってどんな生き物?」
「最古の森の川でぷくぷくしてる生き物です。香りのいい身をしてるんですよ」
「はぇ〜今日は見なかったね?」
「ふふ、クラムボンはすぐに死んでしまうから、珍しい生き物なんですよ。私も食べるのは初めてです」
変わった生き物もいたものだ。ナインズはクラムボンを食べ、ぷくぷく笑った。
「ふふ、美味しいね」
「本当ですね。お気に召したようで何よりです」
「エルのお父さま、珍しいものを食べさせてくれてありがとうございます」
「いえいえ、とんでもございません。こちらこそそう言っていただけるだけで嬉しく思います」
前菜の皿が下げられて行くと、空のスープ皿が並び、ナインズからスープが注がれる。
給仕の青年の手は震えていた。
「大丈夫ですか?」
「は!も、問題ありせ、ありません!」
噛んでいた。
スープも初めて食べる味だった。
兄姉達はまだ半分硬直していて、測りかねていると言った雰囲気だ。
エル以外はキュータと呼ぶのだから、似て非なる子供、いやいや殿下と呼ばれて返事をしているのだからやっぱり殿下、と頭の中でぐるぐると考えた。
そんな中、アリマトが口を開いた。
「エルミナス、そちらは殿下ならば……何故皆殿下のお名前をお呼びしないの?」
エルは席の遠いアリマトとギリギリ目を合わせてから答えた。
「アリマト姉様、こちらは勝手にお名前を申し上げる事も憚られるほどに高貴なお方です。皆一度だけ名乗り上げて頂きましたが、そう呼ぶようにと言われているもう一つのお名前で呼んでいます」
「……どうしてお前みたいな子がそれほどの方とお友達になれるの。信じられないわ」
「殿下が慈悲深くいらっしゃるおかげです」
それを聞くと、ナインズは首を振った。
「エル、それは違うよ。僕が慈悲深かったんじゃなくて、エルや皆が慈悲深かったんだよ。誰でもない僕に優しくしてくれた。僕、たくさんいい友達ができて良かったなぁ」
嬉しそうに笑うナインズにエルはうっとりと目尻を下げた。
「殿下、小学校で過ごす日々を私はきっと生涯忘れません」
「僕も忘れないよ。あ、ちょっとは忘れちゃうかも」
エルとナインズの笑い声が響く。
その時、エルの父がエルの頭をくしゃりと撫で、エルは硬直して父を見上げた。こんな真似をされたのは生まれて初めてだった。嬉しさよりも奇妙さの方がよほど大きい。
「ち、ち、父上……様……?」
「良かったな。殿下がお前を理解して下さって」
「あ、は……はい。ほんと……そう……ですね……?」
「人の本質を見抜くことは容易なことじゃない。生き物は皆神の名の下に平等だと口で言われても、平等にできる者は多くない。それができるお前は素晴らしい大人になる。私はお前を育てたとは言えないが、お前の中に私の血が流れていると思うだけで私は誇らしい」
「あ、ありがとう……ございます……?」
その様子を見ていたイヴォニンは不満ありげな顔をし、思い付いたようにナインズを見た。
「殿下、明日のご予定は?」
何も決まっていないので、ナインズは皆を見渡した。
「明日どうする?」
「魚釣りと観光はどうかなと私は思っていましたが――」エルの言葉は途中でイヴォニンによって遮られた。
「殿下、お決まりでないなら、明日は私達
七人は目を見合わせた。
「通ってない学校なんて入って良いの……?」
「殿下であればどこにだってお入り頂けるはずです。私が教師達に話も付けます!」
「……皆どうする?」
「オレはどこ行っても面白いです!」
一郎太の声に、皆が頷く。ナインズはエルに視線を送った。
「エルは魔法学校嫌いだよね?」
「いえ、もう卒業しましたから私も構いませんよ」
明日の予定が決まると、皆他愛もない会話をして食事を進めた。
食後に味のない炭酸水が出され、それも飲んでしまうと皆いっぱいになったお腹をさすった。
「今日は食べたことないものたくさん食べられて良かったなぁ。最古の森って面白い」
ナインズが言うと、エルは頷いた。
「私も食べたことのない物がありました。殿下のためのスペシャルメニューですね」
「美味しかったし、綺麗だったもんねぇ。エルのお父さま、ありがとうございました」
「とんでもございません。腕のいいコック達のおかげです。何でも携わる者があってこそですね」
「コックさん達にもお礼を伝えてください。そう言えばエルのお父さまはどんなお仕事をしてるんですか?」
「私は城で行政に携わっております」
「わぁ、エルはお城に行ったことがないし、いつか一緒に行けるといいですね」
エルはすぐにふるふると首を振った。
「い、いや。殿下、そう言うわけにもいきません」
「そうかな?お父さまの仕事って簡単に見られるものじゃないの?」
「難しいと思います」
ナインズはしょっちゅうアインズが働く部屋で遊んでいたのであまりその感覚は分からなかった。
納得できないままに頷き、下げられていくデザートの皿を見送った。
食事が終わり子供達が部屋に帰って行くと、エルの父はよろけるように立ち上がった。
「……アラ様に謁見するよりも疲れた」
エルサリオン旧王城で働いていてもアルバイベームとはそうそう言葉を交わす機会などない。エルの父親も片手で数えられるくらいの回数廊下ですれ違って挨拶を交わしたのと、自分のいる部署の報告に上司と共に謁見に上がれた二、三度程度しか話したこともない。働く階が全く異なるし、殆どの旧王城勤めがアルバイヘームと話したことがないほどに、彼は神聖な存在だ。
森中に出かけ雨を降らせている間も、強力な魔法を使い、休みなしであちらこちらに行かねばならないアルバイヘームに無礼にも話しかける者は少なかったほどだ。
そんなアルバイヘームと話すよりも気を使うとは。
いつ兄姉から失言が飛ぶかと思ったが、失言もありつつ、なんとか無事に食事会が終わって良かった。
明日の晩餐も共にするだろうが、身が持たない気がする。
最古の森は成長の途中だ。
多少のことは多めに見てもらいたかった。
エルの父は窓辺に座ると、渡り廊下で繋がる隣の棟の一室を眺めた。
(……本当にエルミナスと同じ部屋でいいのか……?)
その夜、エルの父はほとんど眠れなかったらしい。
エルパパお腹痛い痛いでかわいそう!
次回Lesson#15 魔法学校と森の王
明日もあげちゃうぜ!
そして男爵は最近なろうで魔法陣と異世界の話を書いているらしい
https://ncode.syosetu.com/n5439gq/
ブックマークしてもらうと男爵が喜ぶらしい!!