ナザリック地下大墳墓、第九階層。
今日も元気にナインズが出かけていくと、一緒に朝食を取っていたアルメリアはひょいっと椅子を立った。
「――ん?花ちゃん、今日は学校行くか?」
アインズの問いにアルメリアは首を振った。
「行きません。低次元です」
程々に冷たく言い放たれた言葉にフラミーは苦笑した。
「でも、学校楽しいよ?ナイ君も毎日楽しそうでしょ?卒業するのが嫌になっちゃうくらいだと思うよ?」
「お母ちゃまは小学校卒業したですか?」
「あ、え、えっと〜……。ねぇ?お母さんは卒業はしてないけど……」
卒業出来るまで小学校を通いきれなかった貧困女子はごにょごにょと言葉を濁した。
その様子にアルメリアはやれやれ、とアインズのように首を振った。
「思った通りなのです。神様には小学校は不要なのです。リアは神様の子供だから良いのです」
メイド達がその通りとここぞとばかりに頷く。
「そ、そういうわけじゃないんだよ?お母さんも本当は小学校行きたかったんだけど――」
「全知全能の神様が学校でお勉強する事なんかないです」
「リアちゃん。お母さんは全知全能じゃないでしょ?」
「嘘です!お母ちゃまとお父ちゃまは全知全能です。子供騙しな嘘です」
アルメリアは熱い尊敬と捨て台詞を残して部屋を出て行ってしまった。
「フラミーさん、嘘でも卒業したって言えば良かったのに」
「咄嗟に嘘なんて言えませんよぉ」
フラミーがひぃーんと鳴き声を上げ、アインズはやはり精神が鎮静されない体は大変だなぁと思った。
アインズは咄嗟に鎮静されたり、自分で鎮静したりしながら上手いことあれこれと見栄を張って来た。それが客観的に見て良いことなのか悪いことなのかは分からないが、とても助けられて来たことは間違いがない。
「……九太に丸投げで悪いけど、やっぱり任せるのが良さそうですね。俺達じゃああ言われちゃうし」
アインズが小学校に通っていたと言った時にも、やはり「嘘です!」と言われてしまっている。
「ナイ君、今日もサロンだからーって張り切ってましたね」
「ですね。九太は本当に俺より良くできた男ですよ」
アインズは人の身でコーヒーに口を付け、自分の不出来に心の中で溜息を吐く。
「悟さんだって、よくできた人です」
頬杖をついてアインズを楽しげに眺めるフラミーの様子に、心がほぐされそうだった。
「はは。そうかな。じゃあ、まだまだ先にはなりそうですけど、俺も頑張ってよくできた人になります。文香さんを嘘吐きにはできないですからね」
斜め向かいに座るフラミーの髪を掬い、誓うように髪に唇を当てる。
二人は少し顔を赤くして照れ臭いように笑い合った。
メイド達は新しい本の一ページを決めた。
「しばらく毎日サロンを開こうと思うんだ」
休み時間にサラトニクが言うと、クラスは沸き立った。
「サラトニク様!じゃあ、僕の兄も誘っても良いですか!」
興奮しているクロードが身を乗り出す。
サラトニクはもちろん、と頷いた。
「カインさん昨日も来てくれてたよね。でも、カインさんはナインズ兄様がお声がけするかもしれないよ?」
「殿下に誘っていただけなかったら可哀想なので!」
「ははは。そうだね。念のためにだね」
「はい!――エリオ、行こう!」
お付きの男の子を手招き、クロードとエリオは教室を飛び出して行った。
チェーザレはシュルツ家の家令の息子だが、エリオはメイドの息子だ。
「お兄様を誘うついでに、殿下にも毎日サロンが開かれることをお伝えしなきゃね!」
「さすがクロード様!これで毎日クロード様も殿下のお側にいられますね!」
「へへへ。天才的だろぉ!」
クロードはずっと、カインのことなんか好きじゃなかった。母親のこともそうだ。
特に、クロードは四歳の時に母親が別棟送りになって以来片手で数えるほどしか母親と会っていない。
正直、寂しく思う事はなかった。
と言うのも、母親はカインにべったりで、クロードや一番下の双子の妹と弟の存在は殆ど無視していたから。
クロードも双子の弟妹もメイド――エリオの母親や乳母に育てられたようなものだ。後は父がよく構ってくれていた。
母はカインこそ次期当主になる子であり、カインこそランゲ市の頂点に輝く自らの星だと豪語していた。
四歳だったクロードにはどれもこれもよく意味のわからない言葉だった。
だが、よく分かる事もあった。
母親はカインしか可愛くなく、カインも弟と言う存在を疎ましく思っていたという事だ。
家の中で会っても、カインはクロードをまるで自分の何かを脅かす敵を見るような目をして挨拶もしてくれなかった。
――やはり、寂しくはなかった。
生まれた時から優しくしてもらった事なんか一度もなかったのだから。
だが、それも二年前に母親が別棟送りになってから全てが変わった。
カインから毎日のように父とクロード宛に手紙が届くようになった。二通来ていたわけではなく、一通の手紙の最後に書かれたカインからのメッセージを父が読んでくれていたのだ。
毎日毎日メッセージが添えられていたので、クロードは幼児塾で作った手紙を父に渡した。
中身は「おいしいケーキたべたいね」と言う、今にして思えばよくわからない手紙だった。四歳だったクロードにしてみれば、仲良くしようと言う精一杯の言葉だった。
次の手紙にどんな返事が来るかと思ったが、その日に返ってきた手紙にはクロードの手紙への返事はなかった。
せっかく仲良くしようと思ったのに、クロードは心底残念な気分になった。
次の日の手紙も、次の日の手紙もクロードの手紙への返事はない。
一方的にその日あったことを書き連ねた手紙だけが届く。
つまらない。そう思っていると、おおよそ一週間ほど経った日に手紙が二通届いた。
カインがクロードに宛てた手紙を別に送ってくれたのだ。
父に読んでくれと渡すと、父は手紙を開いて笑った。
『――クロードさま。元気にすごしていますか。冬休みには帰っても良いと、お父様に言われました。神都のケーキを買って帰ります。楽しみにしていてください』
その手紙の内容を聞くと、クロードは急いで次の返事を書いた。
それは「ふゆにいっしょにたべようね」と紙いっぱいに拙く書かれたものだ。ケーキの絵も入れた。
今度の返信も六日遅れて届いた。
手紙は特別な料金を払っていなければ、神都とバハルス州を行くのに三日は掛かることを理解できるようになるまでは少し時間がかかった。クロードから神都へ送る三日間、カインからランゲ市に返す三日間。カインは手紙を読むと次の日には必ず返事を出してくれていたのだ。
その冬にはカインはチェーザレと一緒に大きなケーキを買って帰ってきてくれた。
そして、制服のポケットからは――クロードのケーキの絵。一番似ている物を買ってきたと言ってくれた。
クロードは初めて兄に飛び付き、カインはクロードを「兄弟は大事に……そっと優しく」と呟いて撫でてくれた。
そこからのクロードとカインの関係はとても良いものになった。口いっぱいにクリームを付けてケーキを頬張る当時二歳だった双子の弟妹にもカインは優しかったし、チェーザレやエリオ、家令やメイド達とたまには同じ食卓で食事を取ろうと提案もしてくれた。
父もカインも揃って、皆でたくさんのテーブルと椅子をダイニングに運び込んだ冬の日は、生まれて今までの食事で一番楽しかったし、美味しく感じた。
冬にはナインズ殿下とアルメリア殿下の生誕祭もあり、皆で家中を飾り付けして、殿下方が生まれた事を祝った。
その晩にはナインズ殿下から手紙が届いた。それも、神殿の
家中大騒ぎの中、カインとチェーザレは手紙を開いた。
『――カイン、チェーザレ。今日手紙が届くように大神殿に送ってくれたんだね。とっても嬉しかったよ。手紙は夕方にナザリックに運び込まれるから、さっき読んだんだ。カインは可愛い弟達と楽しく過ごせてるかな。チェーザレも久しぶりにお父さま達に会えて嬉しいよね。僕もお休みだから毎日リアちゃんといられて嬉しいです。一郎太は二郎丸と相変わらず第六階層を駆け回って過ごしてるし、ナザリックは平和です。じゃあ、また学校で会えるのを楽しみにしています。ナザリックの外は寒いから、二人ともお体大切に。二人の友人、キュータ・スズキ。――ナインズ・ウール・ゴウンより』
皆感激してカインを褒め称えた。カインは手紙一つで大袈裟だと笑い、手紙を片付けると言ってチェーザレと部屋に上がって行った。
何となくクロードもその後を追いかけて走った。殿下からの手紙なんてすごい。すごすぎる。
だが――階段の上でカインはずっと泣いていて、チェーザレが背を撫でていた。
感激して泣いていると言うより、何かを後悔するような、反省するような涙だった。
どうして泣いているのだろうと思った。話しかけようとしたが、後をついてきた父に抱っこされてクロードはダイニングに戻った。
それから幾日か経ち、カインがまた寮に帰ると言う日には、クロードは初めて兄を思って寂しさを感じた。
『春には帰ってくるよ』
『やだ』
『また手紙を書くから』
クロードは頬を膨らませてカインの手を握ったままで拗ねた。
『チェーザレ、インク貸して』
『え?何するんですか?カイン様』
『僕な、キュータ様にすごいの教えて貰ったから』
チェーザレが荷物の中から新品のインク壺を取り出し、開けてカインへ差し出す。
カインは壺の中に指を浸し、クロードの手のひらに
『クロード、ナインズ様がこれは勇気が出る魔法の字だって教えてくれたんだよ。帰ってくる日に僕の手の平に書いてくれたんだ』
クロードは自分の手に書かれた字を眺め、カインを見上げた。
すごいお兄さんだ。素晴らしいお兄さんだ。
『勇気出た……』
『良かったね。じゃあ、僕達は行きます。お父様、またお手紙送ります』
『気をつけて行きなさい。馬車は長いから、乗り換えの時にちゃんとトイレに行くんだよ』
カインとチェーザレは良い返事をしてまた学校へ行ってしまった。
クロードはもう、その日から毎日毎日カインが次に帰ってくる日までを数えた。
こんなに楽しい冬は初めてだったから。それに、はじめての兄の温もりはクロードの中の欠けた何かを埋めてくれるようだったから。
以来、カインが大きな休みに帰ってくるたびにクロードはカインにべったりだった。双子の弟妹もカインと寝ると言ったり、家の中は全く違う場所に変わった。
そうして、また寮へ帰る時には必ず手にルーン文字を書いてもらった。
カインの使える魔法にクロードはいつも胸が躍った。――もちろん、本当にカインのルーン文字が効果を宿した事は一度もなかったが。
それに、カインの話すナインズ殿下や学校の友達皆の話は素晴らしかった。ナインズ殿下も友人達も、自分という人間を成長させてくれたと、いつも話してくれる。
クロードもいつかナインズ殿下のような自分を成長させてくれる人に出会いたいと思った。
――そして、入学式。
クロードはサラトニクに出会った。
女の子よりも男の子の方が背が小さいことが多い年頃なので、クロードは一番前の席だった。そして、サラトニクも。
奇跡的にクロードはたまたまサラトニクの隣の席だった。
一目惚れのようにクロードはサラトニクとべったり一緒にいた。
兄、カインと似た紫色の瞳は、特別な人になる証。
残念ながら、クロードの瞳は紫がかってはいるが殆ど青だ。
クロードは階段を登り切ると廊下を駆け、愛しい紫を求めた。
そして、兄のクラス。三年B組、バイス先生の担当教室。他のクラスは担任が変わる事もあるが、このクラスは一度も変わっていない。
扉を叩き、クロードは教室に顔をのぞかせた。
「お兄様!カインお兄様!」
昼食を取りに行く為に片付けを進めていた三年生達が一斉に入り口に振り返る。
すると、一番前の席にいた、一年生とそんなに背の高さの変わらない男の子がクロードの前に来た。その胸にはイタチ。
男の子は美しい銀色の髪をしていて、非現実的に白い肌をしていた。
「おや?――カイン!君の弟君だよ!」
「カイン君!ちっちゃな弟でしゅ!」
イタチも男の子と共に声を上げてくれる。その姿があまりにも可愛くて、クロードはイタチの頭を撫でた。イタチは鼻をもひもひ動かしながら、クロードに笑ってくれた。
「――クロード?どうしたんだろう」
教室の真ん中あたりの席からカインが出てきてくれると、クロードは飛びつきたい気持ちを抑えた。
「お兄様!今日からね、サラトニク様が毎日サロンするんだって!」
「うん、キュータ様に聞いたよ。それで?」
それで――それで。
「そ、それで……えっと……」
カインはすでに知っていた。クロードは何となく続く言葉を失った。
「――カイン様!クロード様は一緒にサロンに行こうって言いに来たんだよ!殿下も一緒に!」
エリオが助け舟を出してくれると、クロードは何度も頷いた。
すると、やはり真ん中のあたりの席から仮面を掛けた人が前に出てきた。
「――僕も?クロード君、カインと一緒にサロンに行きたいんじゃないの?」
「な、な、なまえ……僕の名前知ってるんですか……!」
クロードは瞳いっぱいに輝きを宿して仮面の男の子を見上げた。
「はは、知ってるよ。カインによく聞くもん。じゃあ、今日は皆でサロン行こうか」
女の子も男の子も皆「良いねぇ!」と賛成の声をあげてくれた。
「クロード、本当はキュータ様と話したかったんだろぉ」
カインにうりうりと頭を撫でられると、はちゃめちゃになった髪型のままクロードは笑った。
「へへ、へへへぇ。お兄様とも話したかったよ!」
「……ありがとう。僕もクロードと話したかったよ」
カインが優しく髪を直してくれる。
兄とは良いものだ。
クロードとカインの寮は同じ棟だったので、毎日待ち合わせをして一緒にお風呂に行っている。朝ごはんも近くの席が空いていれば必ずそばで食べる。たまにチェーザレと代わってもらってカインと同じ部屋で寝たりもする。
ふと父が恋しくなって寂しさを感じることもあるが、カインとエリオ、チェーザレがいればすぐに寂しさも忘れる。
クロードは鼻歌を歌い、エリオと共に学食へ向かった。
一方、学食へ向かわずに教室から教室を渡り歩く女の子が二人。
「――ユリヤ、いた?」
「いないよねぇ?」
マァルとユリヤはハナを探して五クラスある教室を全て確認した。
「やっぱり、もう学食に行ったのかな?」
「そうかもしれないねぇ!私達もご飯食べに行こぉ」
二人で手を繋いで学食へ向かい、今度は食事を取る一年生の顔を一人づつ覗き込んだ。
「いた?」
「いないねぇ?」
肩を落とし、食事を手に適当な席に座る。
あの黒髪ならある意味目立ちそうなものだと言うのにハナはどこにもいない。
「……一緒に行こうって誘いたかったのに」
「本当だねぇ。ハナちゃん、サロンでいっつも一人でいるもんねぇ」
彼女は多分友達がいるようなタイプではない。
昨日は嫌々だったとは言え、知っていることを教えてくれた恩もある。言っていることは少し難しかったが。
「お礼も言いたかったね」
「本当だねぇ。サロンで言おっかぁ」
二人は食事を取ると、もう一度他所のクラスを覗いてから自分達のクラスに帰った。
アルメリアは今日も学校が終わった後の二郎丸、クリスと共にサラトニクの屋敷に着いた。
一番乗りだ。
できればこのまま誰にも来ないでほしいが――いや、ナインズにはすぐにも来てほしい――サラトニクは人気者なのでたくさん子供達が来てしまうはずだ。
それをどことなくアルメリアは誇らしく思うと同時に、鬱陶しくも思う。
屋敷の中から出迎えのサラトニクと護衛のニンブルが駆け出してくると、アルメリアは優しい顔で微笑んだ。
「――ハナ様、いらっしゃいませ!」
「サラ。お前のために今日も来てやりました」
「はい。ありがとうございます。心より御礼申し上げます」
アルメリアがそっと手を差し出すと、サラトニクはそれを恭しげに取り、口元まで上げた。
――唇が触れる事はなく、手は離された。
本来ならば手を触れる事も恐れ多い天使だ。唇を触れさせるような不敬をサラトニクは犯さない。
だから、敬意を込めてここまでだ。
「サラ、今日は何を見せてくれるですか?」
「今日は一緒に朗読を聞きませんか?この世には美しい詩というものがいくつもあります!」
「良いですよ。お前となら楽しい時間になる気がします」
「ありがとうございます!では是非こちらに」
サラトニクは小さいながらもピッと背筋を伸ばして軽く腕を曲げた。アルメリアは腕に腕を絡めてエスコートされて行った。
二つの背中が離れていくと、二郎丸がクリスに問う。
「――ボク達はどうする?」
「ん〜……。行きましょうか?」
「そうだよね。アリー様のおそばにいなきゃだめだもんね」
「はい。あんまりお邪魔にならないところにいるように気をつけましょう」
二人の間で結論が出ると、二郎丸はサラトニクを真似て腕を曲げた。
クリスはおかしそうに笑うと二郎丸と腕を組んで歩き出した。エスコートと言うよりも戦友のような雰囲気だ。
前方ではアルメリアが振り返って待っていた。
「どうしたんです?」
「あ、ごめんなさい!」
「へへ、すみません」
「良いです。転んだりしてないなら」
二人は嬉しそうに笑い、鼻の下を人差し指でかいたり、肩をすくめたりした。
何だかんだとアルメリアは二人の事をいつも気にしてくれる。
最初の頃は外になんて行かないで一緒にナザリックにいて欲しいと何度も言われた。
ちなみに、クリスは週末にはエ・ランテルのツアレの下に帰るが、今は第九階層のセバスの部屋で寝泊まりしている。逆にセバスはエ・ランテルに毎日行っているので、夜には一人だ。
寂しくないようにアルメリアがよくお話をしに来てくれる。
その後にどうしても寂しくなると
四人はサロンに入ると、もう少し人が集まるまで待とうとお菓子を食べたりジュースを飲んだりして待った。
アルメリアの手はほとんど進んでいない。ナザリックの食事と比べれば世界中のどんな食事も劣って感じるだろう。
「――サラ、今日ハナはアルメリアにお水をやってきたんですよ」
「きっと綺麗に咲きますね。楽しみです」
「ここで咲く他のアルメリアはどうするんです?」
「花束にしてハナ様に捧げます」
「切っては可哀想です」
「……それでは、ハナ様が毎日見にいらしてくれますか?」
アルメリアは一瞬嫌そうな顔をしたが、渋々こくりと頷いてくれた。
「……仕方がないのです」
「ありがとうございます」
サラトニクが一切裏表のない顔で笑っていると、廊下に騒めきが訪れる。
他の子供達も来始めたようだ。
そう言えば今日サラトニクは、全然知らない上級生に「ナインズ殿下もいらっしゃる会が開かれていると聞いた」と話しかけられたりした。
ああ言う人達が来るのはよくない気がする。もちろん、サラトニクは丁重に断った。
「――サラ、来たよ」
部屋に入ってきたのはナインズだった。
アルメリアは即座にサラトニクの隣から立ち上がるとナインズへ駆けた。
「お兄ち――」
そして、その後ろにたくさん人間がいるのを見ると、ぴたりと止まった。
その中には見覚えがある人間が何人か。彼らは二度もナザリックに踏み込んだので覚えている。
アルメリアはそのままUターンしてサラトニクの隣に座り直した。
そして、一番後ろについてきていた男の子達も部屋に入ってくる。
「――サラトニク様!」
「あ、クロード!お兄様は誘えた?」
アルメリアの座る反対側、サラトニクの隣に男の子が座る。
アルメリアはこいつは見覚えがあるが、いまいちピンとこないと思った。
「誘えました!あれが僕の兄、カイン・フックス・デイル・シュルツです!」
指をさされたカインは早足で近寄ってくると、サラトニクの前に膝をついた。
「クロードの兄です。いつも良くしていただいて本当にありがとうございます」
「あ、いえ。カイン兄様。私の方こそクロードには良くしてもらってます」
「良かったね、クロード」
「はい!」
カインは嬉しそうに笑うと、サラトニクとクロードの頭を撫でてその場を離れた。
「良いお兄様だよね」
「ふふふ。お兄様は僕の自慢なんです」
ナインズ達もサラトニクに挨拶をすると空いている席や床に適当に座った。
そうしていると、どんどん子供達が増えて行く。
ほとんどの席が埋まったところで、執事のエンデカが本を開いた。
「――それでは、読まさせて頂きますね」
皆ドキドキとエンデカの朗読に耳を傾けた。
皆お駄賃を握って街に来た
小さなお喋りの声と朗読の声が響く部屋に、美しい少女が一人遅れて入ってきた。
アルメリアはそれが誰なのか知っている。あれも見所のある奴だ。
少女は真っ直ぐナインズの下へ行き、膝をついた。隣に座るエルミナスは小さいくせにどことなく男らしい顔をした。
「――ナインズ様、遅れてしまい申し訳ありませんでした」
「いいよ、クラリス。来てくれてありがとう」
クラリスは微笑み、ナインズをうっとりと見上げた。
「もったいないお言葉。して、ナインズ様。あのお方はいらっしゃいまして?」
「いるよ。よく探したら分かると思う」
クラリスは立ち上がってぐるりと部屋を見渡し、目的の人物を見付けられないことに焦りを感じている様子だった。
一人づつ顔を確認していると――ふと、目の前から声がした。
「クラリス」
見下ろすと、黒髪の眼鏡の少女。
クラリスは即座に膝をつき直した。
「――これは……ご挨拶にも伺わず」
「良いです。クラリス、お前はサラの花壇を見ましたか?」
「まだでございます」
「じゃあハナが案内してやります」
有無を言わせずにアルメリアが庭へ向けて歩き出すと、クラリスはナインズに頭を下げて共に庭へ向かった。
そして、クリス・チャンと二郎丸も庭の扉前へ移動していつでも外に出られるように待機した。
「――キュータ、席を変わってあげようか」
庭がよく見える場所に座るエルミナスがソファから降りるためにずりずりと尻を動かす。
「ありがとう、変わって貰っちゃおうかな」
ナインズは素直にその好意を受け取り、エルミナスはぴょんっとソファから降りた。
ナインズが移動して座りなおすと、ナインズの足元に座っていた一郎太もわざわざその足元に移動して座り直した。
アルメリアが端にある花壇を指さすと、クラリスは嬉しそうに頷いた。
「――よく育っておりますわね」
「夏になる前には咲くとサラが言っていました。これはアルメリアだそうです」
「ふふ、そうだと思いましたわ。今では殿下のお名前を口にすることは不敬だと言うことで、皆ハマカンザシと呼んでおります」
「そうか。知りませんでした。お前は本当に何でもよく知っているのです」
「恐れ入ります」
二人は仲睦まじく笑い合った。
クラリスは十歳になり、アルメリアとの身長差はおおよそ三十五センチ。ナインズとも十センチ近い身長差がある。もちろん、クラリスの方が大きい。
見下ろす不敬を重ねないためにクラリスはすぐに花壇を見守る体勢でしゃがんだ。
「クラリス、お前はこの花壇を美しいと思いますか?」
クラリスはアルメリアを見上げると、その瞳を覗くように目を細めた。
そして「――思いませんわ」
即答した。
「何故美しいと思わないのです」
「私にとっての美しいものはハナ様とナインズ様、それから陛下方。その下に守護神の皆様方、さらに下に私の両親。これだけです。他のものは――はっきり言って、全てが愚かしく下賤でございます。不要とも言えますわね」
クラリスがすらすらと過激極まりない言葉を重ねていくと、アルメリアは「く」と口から息を漏らした。
そして、「くははは!はははは!ははははは!!」
八重歯を見せて上機嫌に笑った。
クラリスは相変わらずニコニコと愛らしい笑顔を見せていた。
「お前は本当に面白いです!」
「恐れ入ります」
腹を抱えて大笑いすると、アルメリアは目の端の涙を弾いた。
「ははは――ふぅ。笑わせてくれます。お前の言う事はほとんど正解です。この世は不要なものがたくさんあります」
「うふふ、ご賛同頂けまして何よりでございますわ」
クラリスはパァッと明るい笑顔を見せた。
「――だが、クラリス。お前が不要と断ずる物の中にある本当に不要なものと必要なものを見分けられなければ、お前はいつまで経ってもお前が言う
アルメリアが無の顔で告げるとクラリスの顔が曇る。クラリスはアルメリアの向こうにアインズを見てしまった。
「……申し訳ありません。よく分かりませんでした。私は愚かしく下賤な、不要の存在でございますか?」
「今のままではそうです。自然は尊く美しい。何よりも大切に守られなければならないものだと分からなければ、お前は命の営みを理解しない下賤の仲間です」
「……申し訳ありませんでした。ハナ様は愚かな者がお嫌いだと言うのに」
「良いのですよ。でも、お前ともあろう者がサラに学ぶことがあるかもしれませんね」
「……サラトニク様はそれを理解して?」
「あれは優しすぎるのです。全てに優しいのです。不要にも要にも優しいのです。だから、ある意味分かっていますが、ある意味分かっていません。それでもお前の全てが不要だと言う意識は変えると思います」
クラリスがサロンの中のサラトニクへ向けた瞳は燃えるようだった。サラトニクのことは嫌いではないだろうが、何となく複雑な思いがありそうだ。例えば、ライバル同士のような。
「クラリス。私達は生かされている事を知るのです。光の神は命、光、風、水の力の源。闇の神は死、闇、土、火の力の源。聖書にあるでしょう」
「はい……。存じ上げております」
アルメリアはまだ花の咲いていない花壇の土の中に手を入れてすくった。
「土は落ちた物を殺して、バラバラにします。でも、それが全ての始まりです。バラバラになったものは土になります。水と命を吸い込む土ができて、風が種や虫を運んで、ここには次の命が生まれます。命というものが一体何なのか。お前達のように、下手に知能を授けられた生き物以外は自然と理解していることです」
クラリスは見た。
アルメリアがすくった手の中の土から芽が出て、草が伸び、花が咲き、いつしかそれが枯れて土に還って行く様を。
更にはアルメリアの手の中から大きな木が育っていくのが見えると、空を仰いだ。
そして太陽の眩しさに目を細め、命を手の中に収めているように見えるアルメリアに視線を戻した。
「――ハナ様……。御身は超常の存在にございます」
「当然です」
アルメリアが土を花壇に戻すと、重いものなど一つも持ったことがないような繊細な指の先にミツバチが止まった。
「土も虫も、育ちかけの草も、枯れてしまった葉も、全てが美しく尊いと知るのは、何もない世界を知る者と、生かされている事を知る者だけです。お父ちゃまとお母ちゃまは世界創造をする時に何もない場所を見ています」
すぐに飛び立ってしまったミツバチを見送るアルメリアは両親が世界とナザリックを創る姿を思い描いた。
今はいない"ぎるめん"と呼ばれる人々と共に完璧なナザリックと言う世界を創り、外の世界を両親が二人で創ったのだ。
クラリスは今すぐにもメモを取りたそうな顔をしていた。
「――あぁ、もちろんナザリックだけは特別です。この世で最も美しく、あるべきと定められた姿を保つ場所です。だからナザリックに生きる者達は皆この摂理を離れています。でも、お前達ナザリックに生きない者はそれを知らねばなりません。生と死の円環を」
「……素晴らしいご教授を賜りありがとうございます。何もない世界を知る者にはなれませんが……御方々に生かされていることは知っておりますわ。美しいと言えるようになるかは分かりませんが、不要とは言わないだけの教養を身につける事を誓います」
「そうですね。お前はサラと同じく見所がありますよ。賢い良い蕾です。私は外の者はお前とサラだけがいれば良いと思います。あとは関わり合うのも嫌です」
「あぁ……ハナ様……。ありがとうございます。救われるようですわ……」
アルメリアはクラリスに笑ってやるとサロンの中を眺めた。
こちらを見守る仮面をしたナインズと目があった事をはっきりと感じた。
「――お兄ちゃまは何もかもよく分かっているのです。ハナに何でも教えてくれるし、素晴らしいのです。もう立派な神様のようです!お父ちゃまとお母ちゃまが一対の存在なように、お兄ちゃまがリアの一部です」
「はい。その通りだと思いますわ。本当に……素晴らしいお方です」
「クラリス、お兄ちゃまのお嫁さんになりたいですか?」
「い、いえ。そんな恐れ多くて」
クラリスは十歳の少女らしく頬を赤くした。
「少なくとも、生死の円環を理解できない者をお嫁さんには認めないのです。頑張ればお前が一番乗りかもしれません」
「――な、なるほど。分かりましたわ」
シャキリと背筋を伸ばす彼女はどう見ても「恐れ多い」という感情よりも「お嫁さんになりたい」という感情が大きいように見えた。
ただ、正直言えばお嫁さんは一人もいらない。
ナインズのそばにはアルメリアがいれば十分だ。だが、真に賢い子ならば考えなくもない。話していてアルメリアも楽しいかも知れないから。
アルメリアはふんふん鼻歌を歌った。
クラリスはアルメリアの隣で一生懸命草の良さを理解しようとしているようだった。
そして、ご機嫌に過ごしているアルメリアに声がかかった。
「――ハーナちゃぁん!」
「ハナちゃん、今日も葉っぱ見てたんだね」
蕾と愚か者だった。
「まぁ。ハナ様、お知り合いですの?」
クラリスに問われる。クラリスは本当に面白い。愚かそうな存在達だが大丈夫か、と顔に書いてあるようだった。
アルメリアの返事はもちろん決まっている。
「違う」
蕾と愚か者は目を見合わせ、次の瞬間笑った。
「私達、もうお友達だもんねぇ!」
「お姉さん、ハナちゃんとは昨日お友達になったんだよ!」
「「――おともだち?」」
アルメリアとクラリスの声が重なる。
クラリスの声には明らかな不信感。
アルメリアの声には戸惑い。
自分を友達と示すはじめての存在に思わず動揺してしまった。
「ハナちゃん、何組なのぉ?」
「昨日ね、命のお話ししてもらったお礼言おうと思って学校でずっと探してたんだ!」
それを聞くとクラリスは一歩二人へ近付いた。
「……あなた達、ハナ様に命の円環を聞いたんですか?」
「そー!教えてもらったんですよぉ!」
蕾が嬉しそうに微笑むと、クラリスはアルメリアに振り返った。
アルメリアは自らにかかった石化魔法をようやく解除した。
「――ほんのさわりを話してやりました。それを一ミリも理解できない者と話すのは苦痛です」
「なるほど、そういう事でしたのね」
安堵したようにクラリスは微笑んでから二人へもう一度向き直った。
「あなた達、お名前は何と言うんですか?私はクラリス。クラリス・ティエール」
「クラリスお姉さん、私はマァル!」
「私はユリヤですぅ!」
「マァル様とユリヤ様。ハナ様の話す命のお話し、分かったかしら?」
二人は首を左右に振った。
「よく分かんなかったの。でもね、分かるようにたくさんお勉強する!」
「いつかちゃんと分かるようになるねぇ!」
「まぁ、偉いですねぇ」
クラリスは悪魔が人を騙す時のように笑って両手を叩いてやった。
アルメリアはクラリスを観察するのは楽しいなぁと思った。
だが、アルメリアに咲くかも分からない者に付き合う趣味はない。
そろそろサロンの中に戻ろうと決め――昨日のサラトニクとの会話がよぎった。
『丁寧に育ててやればいつか実をつけます』
『そうでしょうか……』
『はい。そうでなければ、光神陛下が生み出されるはずがないのですから』
『……それはそうです』
サラトニクの言うことは分かる。
分かるが、この二人に根気強く付き合ってやる義理はない。
一瞬ここに残ろうかと思ったが、アルメリアはやっぱりサロンへ戻ることにした。
二人と話し始めたクラリスを置いて行く。
「あ、ハナ様」
「ハナちゃん!」
「何組なのぉ!」
全く気安く話しかけてきて無礼千万だ。
サロンの入り口にはクリスと二郎丸がいてくれている。
二人はアルメリアが戻ってきた事を確認すると扉を開けっぱなしにしてサロンの中へ一足早く戻った。
サロンに戻ると、サラトニクの隣の席は取られていた。
けしからん。
アルメリアは今日は帰ることにした。
どうもどうも!ご無沙汰してます。男爵です。
リアちゃん、自然保護団体ナザリックで育ってるだけあるな……!
と、ここで私事なのですが……ナイ君を始めとして二郎丸やらサラトニクやら子供を産みまくったためか男爵も身籠りました。
つわりでだるくてお話が書けないという体たらく。
またしばらくお休みをくだちゃい……。というか不定期更新になりそうです。
フラミーさん、寝つわりで良かったね……!