眠る前にも夢を見て   作:ジッキンゲン男爵

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Lesson#21 人と異形

「この島の外には魔法があるはずなんだ……」

 十五才程度の青年――ラビ・テランバードは遥かなる海を見て呟いた。

 人口一万人程度の島の周りは見渡す限りの海。

 ラビの立つこの浜辺も、ほんの数十歩進めけば何十メートルもの深さになる。

 碧く深い海はタラやニシン、カキやアサリなどの恵みを島民に与えてきた。時には島を襲う猛烈な嵐を連れて来る事もあるが、母なる海はいつでも人々に優しかった。

 

「まぁーたラビの"魔法はある"が始まった。魔法なんて信じてるのは子供だけだって」

 誰へ聞かせたわけでもなかったラビの呟きは耳聡い友人、ディー・ラトラムによって否定された。

 

「……ディーは本当に魔法が無いって思う?」

「思う。あったら来る日も来る日も潮干狩りを父さん達に言い付けられるような生活なんか送ってるわけないだろ」

 ディーは短いスコップでザクザクと浜を掘り、目当てのアサリを見付けるとポイとバケツへ放った。

「――今日も明日もアサリとワカメの汁。渡り鳥がすぐそこにいるって言うのにさ。魔法があるなら渡り鳥を増やして見せてほしいよ」

 

 渡り鳥は捕り過ぎれば来年からこの島に渡ってきてくれなくなる。昔の島の人々は海や空からの恵みを無尽蔵に取っていた。海も空も、どれだけ何を奪ったとしてもいつまでも変わらずにあると信じていたのだ。

 しかし、海と空が無限だと言う幻想が打ち砕かれ、島に飢饉が訪れてからは目の前にどれだけ無防備な渡り鳥がいたとしても、猟を許された村の男達以外が鳥を獲ったりしてはいけないと決まった。

 

「魔法って言ったって、そんな……鳥を増やしたりできるような万能なものではないと思うけどなぁ」

「じゃあ、どう言うもんなの」

 

 ラビはアサリを掘り返しながら問いに答えた。

「………竜王が持つ魔法は、南にあった町(・・・・・・)を広大な砂漠に変えるような……破壊的な力を持つ物だったんだよ」

「またそれか。南にあった町って一体どこなんだか。第一竜だって御伽話の生き物じゃんか」

「いないとは限らないよ。魔法だって――いや、いいや」

 

 これ以上話す気はないとばかりにラビは立ち上がった。パンパンと膝を叩き、砂を落とす。

 今夜と明日の朝食べる分と、近所の人に売る分だけのアサリを入れたバケツを取り、浜から村へ踵を返した。

 

「……ラビは変わんないなぁ」

 

 ディーの呆れ混じりの声が風に消える。

 

 ラビは昔から変わり者だ。男のくせに、まるで幼い少女のように夢見がちなことを言う。

 

 浜は海水に湿っていて、打ち上げられた海藻が所々で干からびようとしていた。

 この浜には海藻だけではなく、このどこまでも広がる海に乗って、どこかからか見たこともないおかしな物が流れ着いて来る事がある。

 

 ディーが最初にラビをおかしなやつだと思ったのは、ちょうど十年程前。

 

 今日のように嵐の翌日で――よく晴れた、親に潮干狩りを言いつけられた日のことだ。

 

+

 

「ディー!見てよ!ディー!!」

 

 興奮するラビの声に、蟹をいじくって遊んでいたディーはすぐに顔を上げた。

 

「瓶でもあった?」

 

 割れていないガラス瓶などは大変希少だ。島内にガラス工房はたった一つしかない事もあり、大人に高く買い取って貰えることもある。

 砂に一瞬足を取られそうになるのも気にせずに、ディーはすぐにラビの下へ駆けた。

 

「ううん!今日のはすっごいよ!ほら!」

 その手の中には額に納められた絵があった。

「うわぁ!竜が戦ってる絵だ!すっげぇー!」

 

 蒼穹の空を飛び、睨み合う竜と多くの種族の者達。同じく天空にある城は禍々しい雰囲気を放ち、その姿を雲間よりのぞかせていた。竜と共に飛ぶ白磁の頭部をもつおぞましい筈の髑髏は、城を背にする者達よりも神々しく描かれている。

 

「なんか、変な絵。悪者みたいな奴が主役なのかな」

「ねぇ、絵なんかより裏を見てよ!」

 興奮しているラビはすぐに絵をひっくり返した。

「――何?裏なんかつまんないよ」

「つまんないもんか!ほら――これ!"神話の終わり"だって!それから、ええと……スルシャーナ様は八欲王に弑され……竜王もまた、八欲王によって多くが殺された。神話と竜王の時代の終わりをここに残す……!」

 ラビは絵の裏にびっしりと連なる記号に視線を落としながら、そう言った。

 

「……何言ってるの?」

「何って?"神話の終わり"が多分この絵の題名なんだよ!ディーも読んで!」

 指をさした先は、何らかの不可解な記号が連なっていた。

「読めるもんか!こんな滅茶苦茶な記号!」

「…滅茶苦茶な記号…?ディーにはこれが読めないの?」

 ラビは信じられないような目をした。馬鹿にしたようではなかったが、ディーにはそう聞こえた。

「……ラビの嘘つき!ちょっと人より字を読むのが得意だからって!適当なこと言ったって僕は騙されないからな!馬鹿にするなよ!」

 

 ディーはまだ何も取れていないバケツを引っ掴むと村へ駆けた。

 

+

 

 あれからだ。

 あれ以来、ラビは浜で何かを拾うと、大人が誰も読めないはずの島の外の言葉を読んだ。

 しかし、大人も読めないと言うのに、読めるはずがない。――それこそ、魔法でもなければ。

 

 字が滲まずに届くのは油絵や彫刻くらいだ。油絵の裏に書かれた説明や題名をラビが読んでみせるたびに、大人は「想像力豊か」だと微笑ましく聞いていた。

 ――が、青年になってもラビの「読むごっこ」は決して落ち着くことはなかった。

 

 絵やぐずぐずになった本、絵付けされた皿の破片が嵐の後に流れ着いたと聞くたびにラビはどこまでも出かけた。

 人口たった一万人程度のこの島は、村や山を突っ切ると裏の海岸までは二時間ほどでたどり着く。

 そして、物を拾ったと言う人から――買い取らせてもらえそうならお金を払ってでも――ガラクタや本、絵を貰って帰るのだ。

 ここ数年は漂着物も減ったので、漂着物を見つけたと聞いた時のラビの喜びようは苦笑せずにはいられない程である。大変な思いをしてまで漂着物を見に行き買い取る彼は変わり者だと島の軽い噂だ。

 そして、この島では珍しく眼鏡をかけている。昔流れ着いた歪んでいた丸眼鏡を、わざわざ修理してかけているのだ。

 

 ラビは村へ戻る道を進みながら、幼い日に馬鹿にするなと怒って帰ったディーの背中を思い出していた。

(……それでも魔法はある。……そうじゃないと、僕のこの文字を読む力はなんだって言うんだ……)

 茶色い大きな瞳は悔しげな色に染まっていた。

 誰も信じはしない。誰にも読めはしないのだから、ラビの読む言葉の正解不正解がわからない以上、仕方がないことだ。

 ラビは子供の頃から何でも読めた。大人が読むような難しい本でも何でもだ。その時は「たくさんお勉強して偉いね」と大人達に言われた。

 ただ、目に映れば読むことができるだけなのに。

 しかし、ディーが怒って帰ったあの日まで、ラビは誰もが同じ力を持っていて、同じように文字を読んでいるのだと思い込んでいた。

 読むことはできても、書くことはできなかったので、それまで違和感を感じることがなかった。

 

 ラビはこの力は魔法ではないのかとずっと思っている。

 

 ラビだって、この力がなければ流れ着く絵や本に描かれる御伽話のようなことを信じはしなかっただろう。

 地味で、誰にも証明できない力だった。

 

 村に入ると、子供達が女達に混じって漁の網の点検や補修をしていた。

 子供達はラビが浜から戻ってきたのを見ると手を振った。「御伽話」を聞かせてくれる楽しいお兄さんだと思われている。

(ねぇ)ね!ラビと遊んで来てもいい?」

「まだ全部終わってないでしょう?明日の晩に魚を食べられないわよ」

「魚より鳥が食べたいのにぃ……」

 子供達はラビに手を振り終えると、渋々網の補修点検に意識を戻した。

 網修復隊の間を通り過ぎ、家へ向かう。

 すぐに小さな平屋建ての家に着いた。どこの家も似たような作りで、茶褐色の屋根が可愛らしい。日に照らされ、赤い色が抜けて真っ茶色にみすぼらしくなると屋根瓦を変える合図だ。

 

「ただいまー」

 玄関を潜ると、母親が忙しそうに動き回っていた。

「あぁ、ラビおかえりなさい。あなたねぇ、こんなにガラクタばっかり集めて……浜の砂で床がじゃりじゃりになってるじゃない」

 

 母親の手にはラビが海から拾ってきた――宝物。

 

「あ!やめてくれよ!どれも僕のだってのに!!」

 ラビはアサリの入ったバケツを乱暴にテーブルに置くと、母親が勝手に持ち出してきた絵をふんだくった。

「砂を落としておいてあげようとしただけでしょうが。もう、これじゃいつまで経っても片付かないじゃない。あの部屋じゃ何がどこにあるのかも分からないでしょう」

「分かる!僕にわかればいいだろ!ほら、早くアサリの砂抜きしてよ!床より晩ご飯がじゃりじゃりする方が問題なんだから!」

「はいはい……」

 母親のため息混じりの声を背に、バタンっと思い切り扉を閉めた。

 

 ラビの部屋は海に流れ着いたものでいっぱいだ。文字が書かれていないものは基本的に集めていないが、それでも部屋中を埋め尽くしている。

 確かに多少床はジャリジャリしているので、ラタンで編まれた掃き出し窓の網戸を開け放つと部屋の隅に置いてあるモップで外に砂を掃き出した。

(ガラクタなもんか……!海一つ渡れない僕らに世界を教えてくれる手がかりなのに!)

 ――そう、このカライ島の者達は海を渡れない。

 渡ろうとした者は一人として帰らなかった。煽られても転覆しないような、絵に描かれるような立派な船でなければ海は渡れないのだ。

 どれほど遠くに行けば、どの方角に行けば、この見事な絵を描き、魔法を使う者達がいる国に行けるのだろう。

 ラビは掃き出し窓に縁取られる広い外の世界へ思いを馳せた。

 

+

 

「今日の魔法の授業はゼロ位階の<温加(アドウォームス)>を使ってみましょう――と、思っていましたが……その……よろしいでしょうか?」

 担任のパースパリーはご機嫌を伺うようにひとりの生徒に視線を送った。

 

「良い」

「あ、ありがとうございます」

 

 全員がチラチラとアルメリアを見てくるが、アルメリアにはどうでも良かった。

 こんな何の役にも立たなそうな魔法を覚える意味が分からないので、座って聞いてはやっているが時間の無駄としか思えない。

 だが、皆が杖を握って魔法を唱える。下等生物のための下等魔法だ。

 通路を挟んで左隣にいるクリスの様子をチラリと伺うと、クリスは真面目に下等魔法の練習をしている。

 クリスは魔法ではなく体術を鍛えて伸ばしているので使えていない。それは二郎丸も同様だ。

 さらにサラトニクの様子も伺う。

 彼の様子は真剣そのもので、何としても魔法を覚えてみせると言う気迫に満ちている。

 

(皆物好きです。リアは覚えるならシモベ達が使うような魔法は御免です)

 

 なんと言っても、両親が覚えられる魔法の数は決まっていると言っていたのだから。

 アルメリアが使える魔法は、昔ナインズが一生懸命教えてくれた<魔法の矢(マジック・アロー)>ただひとつ。

 第一位階の魔法だが、アルメリアはかなり熱心に練習して覚えた自慢の魔法だ。

 ただ、腕輪をしていると使えない。

 薄紫色の腕にはめられている忌々しい不快な封印の腕輪。

 何故わざわざ魔法を封印されなければならないのかも分からない。

 外は危険がいっぱいだとナザリックで習ってきたと言うのに、こんな物をしていれば何かがあった時に<魔法の矢(マジック・アロー)>も打てない。

 アルメリアは、ナインズと違ってルーン魔術も使えないのに。

 

 ――不安だった。

 

 下等生物達の考えている事はよく分からない。それが普通だとアルベドもデミウルゴスも言う。

 なのに何故アインズもフラミーもアルメリアとナインズをわざわざこの動物園のような場所に放り込もうというのだろう。

 サラトニクもそうだ。

 何故サラトニクはアルメリアが人間と通じ合うことで花を咲かせると思っているのだろうか。

 

 殆ど後ろ姿に近い横顔を見つめていると、サラトニクは視線を感じたようでパッとアルメリアへ振り返り微笑んだ。

(……まぁ、嬉しそうだから許してやります)

 そう、サラトニクは本当に嬉しそうなのだ。

 少し硬いくらいの笑顔を返してやると、アルメリアは大嫌いな封印の腕輪をそっと腕から抜いて机に置いた。

 魔法の授業中は外して良いと言われているので、ここぞとばかりに体の軽さを堪能した。

 別に魔法の練習をするためではない。これを外すと翼すら軽く感じるのだ。

 小さなため息を吐くと、ふと強い視線を感じた。

 チラチラ、というよりもジロジロ見られている感覚。

 誰がそんな無礼な真似をしているのかと探ると、サラトニクのサロンに来ていた何も理解できない人の子だった。

 名前は――忘れた。

 目が合うと少し躊躇いがちに手を振ってきたが、無礼なので無視することにした。

 それからしばらく暇つぶしに魔法学の教科書を読んでいると、「できたぁ〜!!」と大きな声が響いた。

 下らない魔法に大喜びをしている者は、サロンに来ていた蕾だった。

 担任がそちらへ駆けていき、クラスメイト達が皆祝福するような視線と感嘆をあげる。

 アルメリアは自分の人を見る目に満足すると同時に、馬鹿馬鹿しいと教科書を閉じた。

 

「皆、マンテッリさんが果たした"神との接続"の感覚を聞いてみましょう!ユリヤさん――ユリヤ・マッテオ・マンテッリさん、どうでした?」

 ユリヤはとても晴れやかな顔で応えた。

「えっとぉ、お空の上からお花畑を見つけた鳥さんみたいな気持ちになりましたぁ!」

 アルメリアは自分の初めての"神との接続"はどんな具合だったかよく覚えていない。

 しかしそれも仕方がないことだろう。

 接続相手は自分の親達なのだから、常に親達といるアルメリアに覚えていろという方が酷なはずだ。――と思っている。

 

 どことなく上の空でいると、ユリヤはアルメリアの方を向いた。

「殿下、ありがとうございますぅ!」

 アルメリアは別に何もしていないが、神の子が来た日に神との接続を果たしたのだから――何もしていないと思ってはいたが、アルメリアが見込んでやったおかげかもしれない。

 もちろん、ユリヤはアルメリアが花だとは気が付いてはいまい。

 アルメリアは尊大に頷いた。

「良い。これからも精進すると良いです」

 キャーッと教室中から憧れそのものが声になって上がる。

 

 そして時間は過ぎ、あっという間に授業は終わった。

 

「――アリー様?魔法の練習はされなかったんですか?」

「クリス、私にあの魔法が必要だと思うですか?」

「ふふ、全く思いません!必要とあれば、私が覚えて見せます!」

「それならわざわざ意味のない事を聞くんじゃないです」

「はぁい!」

 

 二人で話していると、すぐ隣に座る男の子が声をかけた。

「で、殿下はどんな魔法を使えるの?いや、ですか……?」

 どんな返事が来るのだろうとワクワクして仕方がない顔をしている。

 だが、アルメリアに答えるつもりはない。

 ただでさえ話すつもりのない相手が、名乗りも挨拶もせずに突然話しかけてきたのだ。

「――アリー様は第一位階の魔法をお使いになるんですよぉ!それより、ジェニ君はまずご挨拶からした方が良いです!」

 クリスの言葉に男の子はどうするべきなのか悩みながら後に頭を一度下げた。

「えっと……俺はジェニ。ジェニ・フーゴ・ヘルツォーク……です。殿下は第一位階を使うなんて流石ですね!きっと、殿下はできないことなんてないんですよね!」

「当たり前です」

 ピシャリと答え、ジェニは尊敬の瞳でアルメリアを眺めた。

 周りで盗み聞きしていた子供達の瞳も輝いていた。

 

 その後、二時間目の宗学を終えると、アルメリアは人間に話しかけられる前にさっさと教室を後にしようと荷物をカバンに入れた。

「丸、クリス。お兄ちゃまとご飯を食べる約束をしてるので案内してください」

 二郎丸は宗学の教科書と魔法の教科書に顔を埋めるようにしていたが、すぐにそれを閉じた。

「あ、はい!そうですね!ナイ様がお待ちですからね!僕、ちょっと教科書後ろに置いてきます!クリス、お願い!」

「はーい!アリー様、サラ君は誘いますか?」

 アルメリアはちらりとサラトニクを見ると、サラトニクは蕾の下へ行き何かを一生懸命聞いていた。

「誘ってください」

「はーい!」

 クリスがサラトニクの下へ駆けていく。

 いくつか言葉を交わしている様子を眺めていると、五人ほど女子がアルメリアを囲んだ。

「で、殿下!良ければあの……私達とお昼ごはんはいかがですか!」

 また挨拶もなしに。

 アルメリアが「下がれ」と言おうとした時――そのツンと尖った耳に声が聞こえた。

 

 ――本気で殿下に話しかけにいくの?

 ――う、うん。オラ、どうしても話したいことがあって。

 ――やめておけば?

 ――な、なんでだ?

 ――……うーん。だって、田主丸(たぬしまる)さぁ……。

 ――だってお前、なんか変な臭いするだろ!!

 ――わ、お前言い方考えろよ。

 ――お、オラ……臭いなんて……してただか……。

 ――あー!男子ぃ!田主丸君泣かせたー!

 

 それは、教室の後方の扉の外からの声のようだった。

「――殿下?」

 アルメリアは廊下の外にいる者たちは野蛮な生き物だと思った。

 二郎丸はまだ戻ってこないのかと振り返ると、教科書をしまい終わった二郎丸がアルメリアの下へ戻ってくるところだった。

 そして、扉の外で泣いている者の姿がアルメリアの

目に映った。

 

 頭の上に濡れた皿を乗せた二足歩行の亀のような姿の者が、しくしくと目元を拭っている。

 それは人ではなく、どこからどう見ても異形だった。

「――下がれ」

 アルメリアは自らを取り囲み始めた生徒達に静かに告げると席を立った。

「あ、で、殿下」「アリー様?」「アルメリア様?」

 サラトニクとクリス、二郎丸もアルメリアの席に戻って来たところだったが、全員を背に残して廊下に続く観音開きの扉を開いた。

 

「人の子。何をしているんです」

 廊下には違うクラスの子供達が集まっていて、アルメリアに声をかけられた皆が希望や憧れ、優越感に瞳を輝かせた。

「で、殿下!」「初めまして!!」「私に話しかけてくれたんだよ!」「オレだよ!」「すごーい!!」「殿下は綺麗ですね!」「皆殿下が困るから一人づつ!」

 子供達の視線は一斉にアルメリアに注がれた。

 泣いていた亀はちらりとアルメリアを見上げた後その場をそっと離れた。

 

「待ちなさい。お前、挨拶もなしにどこへ行くんです」

「殿下!」「お昼ご飯ですか?」「このクラス、エル=ニクス君もいますよね!」「これからは毎日来るんですか?」

「お前!待ちなさい!」

「田主丸君?」「殿下、田主丸君は調子悪いんですよ!」「それより、殿下は本当にナザリックに暮らしてるんですか?」「ナザリックってどんな場所ですか!」

 怒涛の声掛けと、ますます増える子供達を前にアルメリアの顔は険しくなり――

「下がれ!!」

 アルメリアの大きな声に、廊下は途端にしんと静まり返った。

 子供達をかき分け廊下を見渡すと、亀は廊下の遠く先、階段へ曲がろうとしていたところだった。

 アルメリアは亀の後を追って廊下を駆け、靴がキュッとなる勢いで角を曲がった。

 

「お前!」

「……え?」

 

 亀は階段に座り、拭った丸い涙をそっと頭の皿の上に乗せたところだった。

 そのままの姿で、目を丸く見開き、硬直してしまっていた。

「お前、この私に話したいことがあるんですよね?それを挨拶もしないで立ち去るなんて、無礼です」

「あ、あの……失礼しました……」

「名乗りなさい。お前の名前は?」

 口を開こうとするが、すぐに首を左右に振った。

「オラは臭いから近付かない方がいいだす……。ご気分を害したくないだすよ……。話しかけてくださって、ありがとうございましただ……」

「馬鹿を言うな。私は名乗れと言っているんです」

 ――逡巡。

 亀は頭の皿の上にある水が溢れないように、顔を前に向けたまま頭を下げた。

「オラは……田主丸って言うだす」

「言えるじゃないですか。私の名前はアルメリア・ウール・ゴウンです。その田主丸が、この私に何を話したかったんです?」

「オラが生まれた川は隣の大陸にあるんだすが、去年神聖魔導国になってからすごく綺麗になって……魚も蛍も増えて……。オラ達河童は皆嬉しくて……どうしてもお礼を言いたかったんだす」

「そうでしたか。お前とお前の種族からの感謝は確かに受け取りました」

「あ、ありがとうございます」

「良い。田主丸、お前は別に臭くないです。お前からは綺麗な川の匂いがするだけです。人の子にはそれが分からないんですよ。気にしなくていいです」

 

 田主丸は微笑んだ。

 

「やっぱり、殿下も陛下も素晴らしいお方々だす」

「当然です。田主丸、人間に疲れたらもうこんな場所来なくたっていいんですよ」

「いや、オラも立派な河童になりてぇだすから、オラ頑張るだすよ!オラ達河童は川の主。川でいっちばん賢くねぇとなんね。それじゃ、殿下。本当にありがとうございました!オラ、ご飯食べたらセイレーン達と裏の水浴び場行かなきゃいけねぇだすから、これで!」

 清々しい顔で田主丸が階段を駆け降りていく。

 アルメリアは後に隣の大陸で水神とすら呼ばれるようになる異形の背を見送った。

 

(――立派な河童になるのに、どうしてこんな人間達に囲まれた場所が必要なんです……)

 

 河童になる予定はないが、アルメリアの中には疑問が残った。




オラオラオラオラオラァ!!
え?どうやったらアルメリアちんは人間に好意的になるの?( ;∀;)

冒険が始まる気配を残しつつ!!!!!!

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