眠る前にも夢を見て   作:ジッキンゲン男爵

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#146 間違いを認める時

 ラビは魔法学書を抱いて一目散に家を飛び出していた。

 母の「北の丸崎港の方に真っ白な船が来たんですって」と言う言葉を聞いた次の瞬間だった。

 それは、魔法学の書を拾った岩礁地帯のすぐそばの港だ。

 潮の流れが神聖魔導国の方を向いているのだろう。

 

 ついに来た。

 ついに来てくれた!

 

 この島を出ることもできず、魔法を使うこともできない、蛙でいるしかなかった人々の住む、この島に!!

 

 母はラビの背に向かって「一緒に行かない!?」と叫んだが、魔法を信じない者には会わせられない。

 この島の者が魔法を嘘っぱちだと馬鹿にする前に、とにかく一番にラビが会わなくては。神聖魔導国から来たのだから、魔法を否定することは彼らの神の力を否定することに他ならない。

 ジリジリと照りつける太陽を横目に喉が焼けるほどに走った。

 

「――あ、ラビだ!」

 大きな道に出ると、筆学所の生徒達も見物に行くのか同級生たちがラビを指差す。

 ディーが「おーい!ラビー!」と手を振るが、それに応える暇もなく走った。

 

 時に人の庭を抜け、時に階段を駆け下り、草で脛が切れる事も厭わずに闇雲に走った。

 

 ついに辿り着く――!!

 

 そう思った先には、黒山の人だかりがあった。桟橋状の船着場が壊れてしまうのではないか心配になるほどの人数。

 浜仕事をしていた者も、家にいた者も集まっているので老若男女を問わない。

 

「すごいわねぇ。あんなに綺麗な船見たことある?」

「それよりも変な格好してるそうなのよ。見た?」

「御伽噺に出てくるみたいな銀色の鎧を着てるんですって」

「黒尽くめで顔を隠してるって」

「銀色の髪をしてるそうよ」

「おいおい、そりゃ白髪じゃねぇか?」

「若いらしいのに苦労してんだなぁ」

「可哀想だわ。この島に住みたいって言うかしら」

「ここからじゃ何も見えないな」

 

 ラビは何度もジャンプをして船を見ようとしたが、かろうじて帆が見える程度だった。

 人をかき分けるしかない。そう思ったとき、ラビの肩にポンっと手が置かれた。

「おい、ラビ。聞こえてんだろ?」

 全く聞こえていなかった。余程ここで立ち往生していたのか、筆学所の友人たちが来ていた。

「――ディー」

 

「島の外の船が来たってな!それより、お前ここのところ筆学所サボって何してたの?」

「……魔法の練習」

「まぁたラビの魔法はある、だ」

 ディーはやれやれと首を振った。

 ラビはもうディーに付き合っている時間はないと「すみません」と声を掛け、必死に人をかき分けた。

「――おい!ラビ!おいってば!っもー、世話が焼けるなぁ!」

 その後をディーも追ってくる。

 二人は「いてぇな!」「押すなよ!」「ちょっと!」と注意されながら進んだ。

 そして、ついに一番先頭にいた人物を押し出すことで白亜の船の前に転がり出た。

 そう、文字通り転がり出てしまったのだ。

「っうわ!!」

 それと同時に、ラビがここまで大切に抱いてきた魔法学の書は船着場の向こうへ放り出され、バシャンっと派手な音を立てて沈んだ。

「あ!!あ!!」

 これだけは守り抜くと決めていたのに、ラビは桟橋を覗き込み、この下の海の深さに愕然とした。船着場なのだから浅くては船が座礁するためかなりの深さがある。

 

「――大丈夫です?」

 

 優しい声に顔を上げれば――彫刻が喋っているかのような絶世の美女がいた。いや、美少女だろうか。

 黎明の海が凪いだ水しぶきを上げ、宝石のように煌めく様を遥かに上回る透き通った銀髪。太陽が沈んで行く時に放つよりも濃厚な金色をした瞳。浜育ちではあり得ない、生まれたばかりのような白い肌。

 話したいこと、聞いてほしいこと、羅列してはキリがないほどにあったと言うのに、ラビは咄嗟に言葉を紡ぐことができなかった。

 当然だ。これほどの絶世の美女が自分に話しかけて来ては、男だろうが女だろうが萎縮してしまう。もしや天が作った存在ではなかろうかと。

 

「……あ……あ……」

「大丈夫そうですね。――それじゃ、この島案内してくれますか?」

 願ってもない提案にラビは大慌てで首を縦に振った。

「あ、は、はい!!でも、今、僕の宝物が海に落ちちゃって――」

 

 大声で返事をした瞬間、取り囲む野次馬からドッと笑い声が上がった。

 聞いた事もないほど多くの笑い声に、ラビは呆然とするしかなかった。何がそんなにおかしかったのか。

 銀髪の旅人も、きょとんとした目でラビを見ていた。

 ――理由はすぐに分かった。

 

 銀色の鎧を着た旅人の前に二人の男が立っている。

 この辺りの浜を取りまとめている漁師頭のウルボリと、若い衆の中でも今最も注目されているユラドだ。

 隣家の失礼極まりないおばさんの息子だが、ユラド本人は良い奴のようだと、たまに挨拶を交わす時に思っていた。

 ウルボリは豪快すぎる笑いを飛ばすと、ラビに大量の刺青が入っている手を伸ばした。

「おう!!坊主、お前にカライ島の案内は荷が重すぎるだろう!!」

 ラビは半ば無理やり立ち上がらされると、恥ずかしさで真っ赤に染まった顔をさっと背けた。

 こんな年端も行かぬ子供に、この島初めての旅人の案内が任されるわけがないし、何より旅人も案内を頼んだりするはずがない。

「――ラビ?君、ラビ・テランバードじゃないか?」

「なんだ?ユラドの知り合いか」

「あぁ、おやっさん。ラビは俺んちの隣に住んでるんだ」

「ほーう?」

 このやり取りだけで、自分は漁師のリーダーだときちんと知っているウルボリに認識されていないことを思い知った。

「ラビは空想が好きでね。よく子供達におとぎ話を聞かせてるのさ。まぁ、そんなことは今はどうでも良いか。――さあ!皆、島の外から来たはじめてのお客様を案内するから退いてください!!」

 皆がざわめきながら、ゆっくりと道を開けていく。

 

 銀色の髪をした旅人は、黒子のような姿をした者と眩いまでに輝くプラチナの全身鎧の者を引き連れてラビの前を通り過ぎた。

 

 魔法学の書も海の底へ落ちた。

 島の外の人とも話せない。

 こんなの、あんまりだった。

 だが、腐ってしまっては何も変わらない。

 ラビは全てを振り切るように声を上げた。

 

「あ、あ……あの!!」

「――っうわ、ラビ!よせよ、カライ島の恥晒しになるぞ!」

 ディーが周りにヘラヘラと「すんませ〜ん」と言いながら腕を引っ張るが、ラビは思い切りそれを振り払った。

「離せよっ。――すみません!!旅人さん!!すみません!!お願いします!!僕の話を聞いて!!」

 銀髪の旅人は立ち止まり振り返った。

 

「どうしました?」

 

 美しいだけでなく優しい人で良かった。

 旅人が話を聞こうとしたからか、周りの野次はそっと止み、そこには静寂が訪れた。

 

「あ、あの!僕、ま、魔法!!魔法のことを聞きたくて――」

 

 静かになったのでちゃんと伝えられるはずだったが、ラビは自らその言葉を切った。

 それは、旅人が明らかに「困ったな」という顔をしたから。

 

「えーっと……はは。魔法、ですか?」

 

 これまで幾度となく見てきた表情。

 ラビの脳内には大人たちの扱いに参るような顔がいくつも浮かび、「作り話し」と断じられて来た屈辱が一気に襲った。

 もしかしたら、自分はおかしいのかもしれない。

 自分だけが読める文字も、都合よく魔法学の書が流れ着いたのも、何もかもが幻。

 読めると思いこんでいただけの都合が良い夢。

 

 この世界には魔法なんて、存在しない。

 

 今この時は幼少期から夢にまで見た瞬間だったが、こんな事ならこの時が来なければ良かったのに。

 皆、何度もラビに教えてくれた。

 魔法なんか存在しないと。

 あぁ、自分の頭がおかしいと認識することがこれほど辛いなんて。

 自分は狂っていたなんて。

 何故一度でも自分を疑わずにここまで来てしまったんだろう。

 目の前が真っ暗になり、輝いていたはずの景色は薄汚い灰色へと変わった。

 

 ラビはこれまで自分が信じて来た全てを手放した。

 

「――なんでも……ないです」

 

 静かに告げ、そっと踵を返す。

 大人達は目を見合わせて道を開けた。

 ラビの耳にはヒソヒソと押さえられた声が届いた。

 

 ――ほら、テランバードさんの所の。

 ――あぁ……。少しアレ(・・)なんだってな。

 ――可哀想にねぇ。

 ――あそこの奥さん、すごく働き者でしょ?

 ――あの子が浮かないように、筆学所にもよく行ってるって。

 ――何をしに?

 ――掃除よ。師範に見離されないように。

 ――苦労してるのね。

 ――あれじゃ将来漁協にも農協にも雇ってもらえないわ。

 

 知らなかった。

 もしかしたら、これまでも聞こえていたのかもしれない。

 だが、聞こうとして来なかった。

 

 ラビは人集りを抜けると、あまりの息苦しさに胸を抑えた。

「な、ラビ。大丈夫?」

 しつこく付き纏ってくるとさっきまで思っていたはずのディーが、これほどまでに優しく見えるなんて。

 彼は魔法は無いと言ったことはあっても、ラビを馬鹿にしたことなんか一度もなかった。

 ディーはラビの背を摩り、そのすぐそばを歩いてくれた。

 そして、角を一つ曲がると――

 港の方からドッと空気が揺れるような笑い声が上がった。

 

 ラビはその場で蹲りたい気持ちを抑え、なんとか膝を支えた。

 これまではこんな笑い声もなんともなかったのに。

 魔法を信じられない愚かな島民なんて思っていたのに。

 

 ラビの瞳には初めて涙が浮かび、ポツリとひとつ溢れた。

 

「ラビ?」

 生まれた時から聞いていた一番優しい声だった。

 顔を上げると、急いで来たのか額に汗を浮かべた両親がいた。

「父さ――お父さん、お母さん……」

 少し背伸びをして、父さん母さんと呼んでいたはずなのに。

 ラビはディーの目も気にせずにその場で蹲り、膝を抱えて泣いた。

 十五にもなって恥の上塗りだと思ったが、これまで十五年間、父母はこの恥辱の中自身を見限らずに見守り続けてくれていたのかと思うと耐えられなかった。

 魔法学の書を拾った日、母が「どれだけこれまで……」と言葉を切ったのが辛かった。

「あらあら……」

 母親はいつも通りだった。

 ここまで届いてしまう笑い声が、誰を笑うものなのか察しているだろうに。

 両親からすれば、これもいつも通りだったのだろう。

 変わったのはラビの気持ちだけだった。

 

「――ラビ、旅人はもういいの?」

 

 ラビは何度も頷き、膝を涙と鼻水でずぶ濡れにした。

 そっと頭を撫でられ、その手は肩を優しく叩いた。

 

「そう、じゃあ帰りましょ。あなた、何かやることあるんでしょう?良いもの拾ったんでしょ?」

 

 瞳を輝かせて魔法学の書を抱えて帰り、寝食を惜しんで齧り付いて勉強した。

 母のことなど少しも考えはしなかった。

 

「もう……もういいんだ……。ごめんなさい……」

「いいの?じゃあ、また次の嵐が来るのを待ちなさいな」

「……それも……それも……もう……いいんだ……」

 

 両親が目を見合わせたのが伝わって来た。

 ラビは涙が止まると、そっと母親から離れて立ち上がり、一人家へ向かって歩き出した。

 あまりにも切ない背中だった。

 

 両親もディーも、ラビの後をゆっくりと着いて行く。

 そして、両親はそっとディーへ視線を送った。

 ディーはそれが説明を求めるものだと理解し、ラビに聞こえないように小さな声で言った。

「――あいつ、旅人に聞いたんだ」

「何を?」

 父親――ノバは心の中で「まさかな」と思いながら、わかり切った事を聞き返した。

「いつものやつ。魔法について」

「……そうかぁ。旅の人はなんだって?」

「困って笑ってた」

「そうだよなぁ」

 

 隣で妻も残念そうな顔をしていた。

 だから一緒に行きたかったのに、そう言いたげだった。

 遠くから皆で眺め、異文化に目を輝かせ、いつものラビの空想を食卓で聞く。

 そんな時間を過ごしたかったのに。

 もう何日もラビと一緒に食事を取っていなかった。

「――いつかは気付いたことだよ。いつまでも子供のままじゃいられない」

 ノバはそっと妻の肩を抱くと、妻は頷いた。

 そして、ディーへ握った手を伸ばした。

「ディー、いつもありがとな」

 ディーは首を傾げてから、手を差し伸ばし返すと、その手にはそっといくらかの駄賃が渡された。

「え、なんだよ。おじさん」

「お前も恥ずかしかったろ。友達でいてくれてありがとうな」

「やめてよ。ラビは変なやつだけど、魔法どうこう言わなきゃ良い友達なんだから」

 渡したはずの駄賃はすぐに返され、ディーはラビの背を追って駆けた。

「――おーい!ラビー!潮干狩り行こうぜー!」

 ラビは泣き腫らした顔で振り返ると、不器用すぎる笑顔を返した。

 

「ありがたいな」

「……ほんとに」

 

 もちろんラビにもディー以外の友達はいる。

 小さい子にも好かれている。

 だが、ディー程真っ直ぐラビといてくれる子は他にはいない。

 

「旅人の船、見に行く?」

「後でまた見に行けばいいさ」

「そうね」

 

 両親はスコップとバケツを手に浜へ駆けた二人の幼い頃の後ろ姿を思い出した。




ラビくんのHPは0よ!?

(∵)oO(フラミー様はご観光へ行かれる所だというのに呼び止めて不敬ですね)

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