眠る前にも夢を見て   作:ジッキンゲン男爵

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#150 孤独に効く魔法

 まとまったゴミを庭に出し切ると、ラビは麻キャンバス地の無地のショルダーバッグを肩にかけ、重たい足を引きずって筆学所へ向かった。

 皆が昨日の船着場でのことを知っているのかと思うと、恥ずかしくてたまらなかった。

 

 村はとにかく浮かれに浮かれていた。

 漁に出もしないで船着場で雑談をする漁師もいるし、旅人を真似て耳に蕾を刺している女もいる。朝の浜仕事の手を止める大人や、まだ筆学所に通うほどの年齢ではない手伝いの子供の姿もちらほら。

 

 耳を澄ませると、皆が皆旅人の話をしているようで安堵の息が漏れた。

 

 道を曲がると、「オーッス!」と言う大声とともに、背中をバンッと叩かれた。

「――っ!な、なんだ。ディーか。おはよう」

「あ?ラビ、疲れた顔してるなぁ」

「……ん、まぁ。ちょっとよく寝れなくて」

「はは、もしかして夜に旅人の船見に行った?」

「いや……」

 ラビはたった一夜でやつれたようだった。

「……んじゃさ、今日は昨日より人も少ないだろうし、筆学所終わったら旅人の船見に行く?」

「いや、僕はいいや」

「なー良いじゃん。昨日はラビのせいであんま見れなかったしさー」

「……ごめん」

「そう思うならさ!な、行こう!きっとみたらラビもテンション上がるよ!どうやったら強くて長距離を渡れる船を作れるのか調べようぜ。そんでさぁ、今後どんどん旅人の島の人とか来るようになったら、俺たちも一回くらいは旅に出てみたりして」

「……」

「それにしても旅人の島ってどんなとこなんだろうなぁ!昨日、俺のいとこがクラゲおばばの所に向かってる旅人に甘い物貰ったらしいんだ。すっげーうまかったんだって!樹液より黄金色で、夜光貝の貝殻よりキラキラしてて、真珠より丸かったって言ってた!そんなもん、どうやって作んだろうな!」

「……もういいよ」

「そんなの、それこそ魔法でもなきゃ――」

「もういいって!!」

 

 ラビはディーを泣きそうな目で見つめると、すぐそこに見えていた筆学所へ向かって翔けて行ってしまった。

「な、なんだよ。ラビのやつ。せっかく元気付けてやろうってのにさ……」

 後を追うようにディーも筆学所へ向かった。

 平家建ての建物に、部屋はたった五つ。外から直接扉をくぐればすぐさま長机と椅子が並ぶ教室だ。靴を履き替えたり、廊下があったりはしない。なんといっても地面が剥き出しだから。

 教室には正面に大きな黒板が一つと、師範が座るラタンの椅子が一つ。

 

 ラビはいつもの席に既に座っていて、鞄を枕にして机に突っ伏していた。

 ディーはラビの隣に座ると、話しかけるか悩んだ。

「おはよ!ラビ、ディー」

「ディー、おはよ〜!ラビ、ねんね?起きなよ〜!」

「あー、ユクモ姉さん、それにミミル。今日は家の手伝いは?」

 ユクモはこのクラスの最年長の生徒で、ミミルは最年少だ。

 彼女たちは家の手伝いの手が空いた時にだけ筆学所に来る。来たり来なかったりで通っていると、習いたいことを習いきれない者もいるため、年齢性別は常にバラバラだ。と言っても、おおよそ六歳から十六歳程度だが。

 ラビはユクモとミミルのことを無視して突っ伏していた。

「今日は手伝いはないのよ。それより、旅人の話聞いた?村の人が船にベタベタ触るから、船隠しちゃったんですって」

「えーそうだったのか。俺今日も船見にいこうと思ったのにな」

「私もよ。でもディーとラビはいいじゃない。昨日昼間のうちに間近で見てたでしょ。あんなに人かき分けて前に行っちゃってさ。私は後ろの方だったから全然見えなかったんだから」

「でも俺、全然ゆっくり見れなかったぜ。ラビが旅人に話しかけたから!」

 それを聞いたミミルは「え!」と声を上げた。

「ラビ、旅人とお話ししたのぉー!どんなこと話したのかミミル聞きたぁい!」

「私も聞きたいわ。師範が来るまででいいから、ねぇ。旅人とどんな話をしたの?ラビ、ねぇ。起きて」

 ユクモが軽くラビを揺すると、ラビはゆっくりと顔を上げた。

 ミミルはキャー!と嬉しそうに拍手をし、登校してきた年下の子供たちもラビの周りに集まってくる。ミミルがこう言う反応をしている時は、大抵ラビの魔法の御伽噺を聞かせてもらえる時だから。

 

「ね、ラビ!どんなことお話ししたのぉ!」

「……ミミル、別に旅人となんて話せてなんてないよ」

「えー!ラビの嘘つき!」

「……う、嘘……つき……」

「だってだってお話ししたんでしょ!あ!魔法!魔法のことは聞けた?あーまたラビのあれ聞きたいなぁ!魔法の御伽噺!」

 それまで机をじっと見ていたラビは突然ガタンと立ち上がった。

「う、うるさいな!どうせ嘘の魔法の御伽噺ばっかりしてたよ!!もうほっとけよ!!」

 ラビの怒声と共に教室はしん――と静まり返った。

 

「ラ、ラビ。何よ。興奮しすぎて寝不足だからって八つ当たりは――」

「どうせユクモ姉さんだって僕のことほら吹きだって思ってるんだろ!!」

「べ、別に私は魔法のことなんて」

「あぁ、そうだよ!!魔法なんかないよ!!これで満足かよ!!」

「ラ、ラビ落ち着けよ。皆びっくりしてんじゃん」

 ラビがさらに怒鳴ろうとすると、「なんじゃなんじゃ……」と師範が教室に入って来た。

 

「何をそんなに騒いでおる」

 

 泣きそうな顔をするまだ小さな生徒達は師範に駆け寄った。師範は子供達の髪をさらりと撫で、着席を促した。

「皆座りなさい。今日は村長から頼まれ事がある」

 教室の空気は悪いままだったが、師範は続けた。

「旅人が来た港に一番近いこの筆学所で、旅人を歓迎する横断幕を作って昼の会合に持って行くことになったんじゃ。さあ、皆イカ墨インキ(セピア)を出して」

 

 まだ何も書かれていない横断幕が床いっぱいに広げられる。皆がそれの周りに集まり、教室の雰囲気は徐々に良くなって行った。

 

 そして、昼前には乾かした横断幕を抱え、皆で会合のところへ向かった。

 皆が楽しげに話しながら道を行くが、ラビは一人とぼとぼと歩いた。どことなく腫れ物のように扱われているのが伝わって来た。朝、あれだけ怒鳴り散らせば当たり前だった。

 ラビは二度も大きなため息を吐いた。一つは居心地の悪さに。一つは旅人のあの「えーっと……はは。魔法、ですか?」といった時の迷惑そうな雰囲気が忘れられなくて。

 正直、合わせる顔がない。

 

 祭りを催す広場に向かって皆澱みなく進んでいく。広場は狩猟の無人島が見える場所にある。祭りの時にはそちらに向かって、海に感謝を捧げるからだ。

 

 道の先からは鳥の焼ける匂いと、生まれてこの方嗅いだことのない香りが漂って来ていた。

 その香りは鯨を焼いた時とも、ウツボを唐揚げにした時とも違う。ジューシーで香ばしい香りだ。

 誰かの腹がグゥ〜と鳴る。

「……これ、何の匂い?」

 たまらず尋ねる者がいたが、答えられる者はいなかった。

「一口くらい貰えるのかな?」

「も、もしかしたら変なもんかもしれないぜ」

「そ、そうね。はは。貰ったら後悔するかも」

 とかなんとか強がりを言うが、皆心の中では「一口くらい食べてみたい」と思っていた。

 行きたくないと思っていたのはラビただ一人だった。

 

 たどり着いた広場ではマグロの解体ショーをやっていて、その隣では大沖太夫が丸焼きにされている。たっぷりのタレを塗りながら、ぐるぐると火の上で回される鳥の肉は子供達の目を釘付けにした。

 そして、網の上では全くみたこともない肉が所狭しと焼かれていて、島のお偉いさん達が頬張っては「うまい!!」と声を上げていた。

 

「ほれ、何をぼさっとしとる。せっかく書いた横断幕じゃ。旅人の後ろに掲げにいくぞ」

 師範の促しがなければ皆いつまでも匂いを嗅いで突っ立っていたかもしれない。

 一段ほど高い位置にいる旅人は、鶏肉の一番良いところを削いで渡され嬉しそうにそれを頬張った。その左右にはそれぞれ護衛の鎧の騎士と、黒ずくめのお付き。

 村長や狩猟頭、漁業組合のお偉方がそばで一緒に食事をしているのもよく見える。

 

「もし、ホーチャの村長さんやい」

 師範が声をかけると、皆馴染みのあるおじさんが振り返った。

「あぁ、師範!持って来てくれましたか!」

「うんむ。――旅人さんや、うちの筆学所の子供達があんたさんに歓迎の言葉を書いて来たぞい」

「あら、ありがとうございます!」

 皿からカジュアルに顔を上げた旅人は本当に真っ白だ。

 昨日近くで見る事が叶わなかった子供達はスケトウダラの白子よりも白い肌をまじまじと見た。

 作り物でもこれほど美しい顔は見た事がなかった。爪でさえも、「こうだったら良いのに」と思ったそのままの形だった。

 そばで同じ空気を吸っていたい。その瞳に写されたままでいたい。特別なこの人の心に残りたい。

 

 その思いは幼い者ほど強く、子供達は一斉に口を開いた。

 

「「「「⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎!⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎!?⬛︎⬛︎⬛︎!!」」」」

 

 もはや一言も聞き取れないほどに声が混ざり合っていた。

 旅人が一瞬きょとんとしていると、黒ずくめのお付きの者がピッと手を上げた。

「失礼。プラム様に話しかけるのであれば、一人づつ。きちんとご挨拶をしてからにしてください」

 旅人も「一人づつゆっくりね」と笑いかけてくれる。

 子供達は骨抜きだった。

「はいはいはーい!僕から僕からー!!」

 元気よく手をあげて何度も飛び跳ねる男児に、旅人は先を促した。

「えっと、初めまして!僕はティクマ!!どうしてこの島に来たんですか!!」

「本当は別の目的地を目指してたんだけど、こっちのズアちゃ――じゃなくて……パンドラ君がこの島を見つけてくれたの。楽しそうだったから寄っちゃった」

「へー!!良い島でしょ!!寄ってよかったね!!」

 旅人が頷くと、また子供達が「はいはい!」と手を挙げる。

「じゃあ、あなた」

「はい!はじめまして!私はヨチル!旅人さん、ここに暮らしても良いのよ!どう!」

「うーん、そうだねぇ。やっぱり向こうの生活もあるし、中々ね。でも、きっと近い将来私の国とここは行き来がすごく楽になると思うよ」

「えー!そしたら遊びに行くね!お家にも!」

「ありがとう。嬉しいなぁ」

 また一人の会話がひと段落すると、皆が「はいはいはい!」と手を挙げる。

「それじゃあ、そこの女の子」

「やったー!ミミルはね、ミミルはね!魔法について聞きたいの!!」

 

 ミミルが飛び跳ねながら言うと、旅人の後ろで横断幕を張りながら気配を殺していたラビは作業の手を止めた。

 そして、そっとその場から離れようと背を向けた。

 

「――あ、ラビ」

 ディーが声をかけたが、ラビは立ち止まらずにこそこそと広場の出口を目指して歩みを進めた。

 

「あ、はは。魔法についてかぁ。うーん、魔法のどんな事が知りたいの?」

「あのね、あのね!鳥!鳥を増やしたいの!!だから、そう言う魔法が知りたいの!」

「鳥かぁ」

 広場にいる大人達が可愛い子供の空想だと微笑ましいものを見る目をしている。

 あの年頃までは、ラビもこうして見守ってもらえていたのだろう。

 今となっては、ネジの緩んだ変人扱いだが。

 ラビは歩きながら、そんなことできるわけがないと思った。

 そして――

「魔法はね、なんでも思い通りにできるものではないんだよね。だから、鳥を増やしたりすることは難しいかなぁ」

 ラビは思わず足を止めた。

 それは以前、自身がディーへ言ったのとほとんどおなじセリフだったから。

 

「……魔法は鳥を増やしたりできるような万能なものではない……」

 

 それまで確信を持っていた言葉だが、こうして魔法がないと分かってからこのセリフを言うと、まるっきり子供をはぐらかしているようにしか聞こえなかった。

 

 きっと、ディーもずっと、証明できないからのらりくらりとラビが話をぼかしていると思っていただろう。

 

 ため息を吐いたラビの横をクラゲおばばがすれ違った。そして、旅人に向かって指をさす。

「あんたね、あんまり子供達に変なこと言い聞かせないどくれよ。ここにはただでさえ夢みがちな坊主がいるんだから。――っほら!あんたのことじゃい!!」

 ボン、と背中を叩かれ、ラビは思いがけずクラゲおばばに振り返った。

「いっつ!この――」

 怒鳴ろうとすると、旅人とぱちりと目が合った。

「誰がクソババアだい!シャキッとする!!たった九歳のミミルと言ってる事が同じじゃないかい!!」

 周りがドッと笑い声を上げる。

 ラビを詳しく知らない様子の別の村の者達は、近くにいたホーチャ村の者から笑い混じりに話を聞かされ、共に笑った。

 

 たまらなくなり、ラビは走って逃げ出した。

 背中にはいつまでもいつまでも嘲笑が張り付いた。

 

 広場は嘲笑の対象を失い、じっくりと落ち着きはじめた。

 ユラドは「あぁあー……。ほんっとにあいつは……」と心底呆れた声を出した。

「まぁまぁ、皆さんあんまり笑わないであげてください」

 プラムが嗜めると、いよいよもって嘲りは消えた。

「えっと、鳥を増やす魔法でしたっけ。確かにそんなの聞いたことないですけど、でも、やっぱりそう言うことを真面目に考える人があっと言うような発見をするものですよ。うちの国にもいますもん」

 ユラドはうっとりとプラムを見つめた。

 なんと言う優しさ。見ず知らずの――いや、それどころか初日に意味不明な質問をしてきた恥晒しをここまで丁寧に擁護してやるなんて。

 

「いつまでも夢みたいなこと言ってるあの子がそう言うふうになるとは思えないね」

 おばばがため息を吐くと、ラビをあまりよく知らないウルボリは顎髭をかきながらつぶやいた。

「……そんなにあいつはしょっちゅう魔法魔法って言ってんのかい?」

「あぁ、そーさ。ずーぅっと言ってんのさ。もっとガキンチョだった頃にはあたしの畑にもよく来てたもんだよ。その頃はあたしの解毒薬が魔法の一種で、このあたしを魔女だと思ってたんだけどね。少し大きくなったらどうも違うと気付いたと見えて、滅多に来なくなったけどね。な、の、に、銭湯に行ったら噂を聞いちまったよ」

「何の?」

「魔法の修練で忙しいとかなんとか言って、筆学所も行かずにしばらく引きこもってるってさ。ほんっとにバカじゃないかと思ったね」

「ははは、本当は筆学所でなんか嫌なことでもあったんだろうよ!そう心配しなくても、落ち着いたらバカみたいなことも言わなくなるさ」

「心配なんかしとらん!!」

 ウルボリが豪快に笑い飛ばす。

「だいたい、このまま大人になっても潮干狩りしか能のない変人になって困るのはあたしじゃないよ!」

「そーかいそーかい。それが心配なんだな」

 おばばはムキー!と顔を真っ赤にして怒った。

 その心中は「本当に困ったよ」だった。

 

+

 

「あんた、今日もたくさんいい水海月草が取れたよ。またいい解毒薬が作れるから、そしたら漁師の馬鹿どもに配ってやるさ」

 

 おばばが生涯を誓い合ったおじじが他界して早一年。

 誰かの世話になると言うのは性に合わず、よく会いに来てくれていた息子夫婦や妹夫婦にはつっけんどんな態度を取ってしまい、あまりしょっちゅう会うことは無くなった。

 おばばは一人暮らし。毎日一人で水海月草の世話をした。

 おじじがやっていたように丁寧に水をやり、収穫したところのメモを取り、虫が付けば一匹づつ手で取った。

 

 解毒薬なんてそんなにたくさんはいらないとよく言われる。

 だが、おばばはおじじが作っていた量を守って作る。

 毒に侵されることなんか日常生活ではそうそうない。

 まだよちよち歩きの赤ん坊が誤って赤海月草に触ってしまうとか、漁師がドクアオウツボに噛まれるとか、素潜りの連中がクロアンドンクラゲに刺されるとか。そんなものだ。

 一週間に一体何人が薬を必要とするだろう。

 

 だが、生の薬は数日経てば効果を失う。もしくは腐る。おじじはいつ方々の村々で患者が出てもいいように、休まず解毒薬を作った。

 漁師連中はそれはそれは有り難がるが、他の島の連中は「あんなに水海月草を増やすことなんかないのに」と言う。

 おばばはもっと良い薬を作りたかった。長く保ち、一家にひとつは解毒薬を置いておけるようなものを作りたかった。

 だから、失敗してしまう分も考慮して、とにかくたくさんの水海月草が必要だった。

 おじじが亡くなる前はこんなに腰も痛くなかったはずなのに。

「――やれやれ。あんたより、あたしの方がよっぽど働きもんさね」

 おばばはおじじが気に入ってかぶっていた帽子に笑う。

 すると、「ごめんくださーい!」と若い女の声が響いた。

「誰か来たかいね」

 どっこらせ、と水海月草の入るカゴを置くと、おばばは玄関へ向かった。

 

「はいよ。今行くよ」

 

 腰が痛くてどうもうまく動けなくなってきた気がする。

 おばばが玄関に着くと、泣く少年を抱えた女がいた。

「あ、あの!この子――」

「なんじゃい。坊主のくせに泣いて。どこが痛いんじゃ。見せてみい」

 おばばは少年の手を見ると「はん」と鼻で笑った。膨れ上がり充血した手は、まるで酷い火傷痕のようだ。

「あんた、水色で透き通ったもん触ったんじゃないかい」

 少年は泣きながら何度も頷いた。

「そりゃカツオノカンムリだよ。バカだね。今良くしてやるから待ってな」

 おばばはここ数日で一番よく出来た解毒薬を保存した瓶を取る。玄関には、こうして解毒薬を受け取りに来る者が来るので、薬棚をおいている。

 瓶を開け、少年の右手にかけてやる。手は膨れ上がっていたのがわずかに小さくなった。

 少年は驚きに目を丸くした。

「痛くない……」

「バカ言うんじゃないよ。まだ痛いはずなんだから。まだ何日かかかるよ。これを持っていきな。三日分だよ。いいかい、三日忘れずにかけるんだ。それでもまだ腫れてたら、続きの分をとりに来るんだね」

「あ、ありがとうございます。すみません」

 母親が頭を下げる。

「ふん。いつもはそんなにいらないって言うくせにね。必要になったら来るんだから、ほんっと、若いのは礼儀知らずだよ」

 おばばはぶつぶつと文句を言った。

 尋ねてきた母親は瓶を受け取り、持ってきていた袋から食材をいくつも取り出した。

「お礼、足りますか?」

「どうだかね。ほら、さっさと帰んな!あたしゃ忙しいんだよ!全くおじじがろくでもないタイミングで死んだせいだね」

 おばばはぶつぶつ言いながら部屋の奥へ戻っていき、途中でふと足を止めた。

「瓶は割るんじゃないよ。ちゃんと返しとくれ」

「あ、はい。――ラビ、帰るよ。まだ痛いかもしれないけど、少ししたら治るから」

「お、お母さん。でも聞きたいことが――」

「いいから。早く」

「で、でも!ねぇ、お母さん!」

 少年は痛くない方の手を母親に引かれて帰っていった。海月畑を何度も何度も振り返って。

 そして、その日からと言うもの、少年はしょっちゅうここにきた。

 

「ねぇ、おばばは魔女なんでしょ?」

 

 一人で水海月草の世話をするくらいしかすることのないおばばは笑った。

「そうさ。あたしはこわぁい魔女さ。あんたなんか指先一つで吹き飛ばせるんだからね」

「えぇ!じゃあ、じゃあさ!竜王も倒せる?」

「あったりまえじゃないか。あたしを誰だと思ってんだい」

「すごいなぁ!おばばがいるからこの島は平和なんだね!」

「あたしゃおばばじゃないよ。大奥様だよ」

「おおおくさま?何それ」

「あんたはほんとにバカだね。それより、あんた瓶拾いはやめたんだろうね」

 ラビはベンチの上で足をぷらぷらさせた。

「やめないよ。だって、島の外のことが書かれてるかもしれないじゃん」

「はー……。あんた、またカツオノカンムリなんか触ったら死ぬかもしれないよ」

「大丈夫だよ。青い瓶はよく確認してから拾うようにするから」

「やめときって」

「へーき!ねぇ、そんなことより僕にも魔法教えて!僕、字を読むことしかできないんだよ」

「あんたが変なもん拾うのをやめたら教えてもいいよ」

「えー!!なんでさー!!」

 

 おばばの孤独を埋める魔法のような存在は、その後大きくなっても、ごくたまにはここを訪れた。

 

+

 

 おばばは昔のことを思い出しため息を吐いた。

「あたしにも責任があって気持ちが悪いだけさ」

 ユラドやウルボリ、村長は首を傾げた。

 

 すると、話を聞いていたプラムが「あのー」と遠慮がちに手を挙げた。

 おばばが先を促すように顎をしゃくる。

「魔法の修練、私はいいと思います!」

「若いあんたには分からないかもしれないけどね、そう言うことを言うと本気にするような子供もいるんだよ。そうなったら、いつまで経っても大人になれなくて可哀想じゃないかい」

「確かに誰でも使えるようになるとは限らないですけどね。試してみなきゃ使えるか使えないかはわからないじゃないですか」

「あたしには分かるよ。使えない」

「えぇ……。そんなにあの子って適性がないんですか?というか、魔法適性の有無って大奥様が調べたんですか?」

 

 ユラドは話を聞いていて、いくらなんでもプラムはラビの肩を持ちすぎだと思った。というか、ラビに恥をかかせないようにといってもムキになりすぎだ。魔法が本当にないことも確かめられていないのに、若者をバカにしないでほしいと言いたいのはわかるが、そんなものは悪魔の証明だ。

 

「……あたしゃ頭が痛くなってきた。もうあんたとこの話はしたくない」

「あ、あの、大奥様が魔法適性の有無が分かるなら、その方法を教えてもらえませんか?お礼ならしますから。もしかして生まれながらの異能(タレント)ですか?それとも何か特別なアイテムとか?どうしてもそれを知りたくて――」

 プラムは容赦なくおばばに詰め寄った。

 おばばは偏屈だが、怒りっぽいわけでは無い。

 だが、こうも「どうせ魔法がないなんて証明できないんだろ。どうだ」とあからさまな態度を取られては――

「いい加減におし!!あたしゃ魔法なんて大嫌いだよ!!言葉も聞きたくない!!」

「そ、そんな。そこをなんとか……」

 おばばはフン、と怒りの声を上げると焼けるソーセージの方へ向かって行こうとした。会場にいる者たちが顔を上げておばばの方を向く。

 おばばの前にはいつの間にかプラムの護衛――パンドラズ・アクターが立ちはだかった。

 

「あ、あ、パンドラの兄ちゃん。行かせてやれよ。な?」

 ウルボリが空気を読んでくれと精一杯の表情と仕草をするが、パンドラズ・アクターはウルボリを一瞥もしなかった。

 

「魔法適性の有無の確認方法をプラム様はお聞きになっています。申し訳ないですが、それを教えていただくまではここを離れられては困ります」

「そんなもん生きてきた経験でわかるだろ!!そんな事も言われないと分からないのかい!!もうお退き!!」

 プラムとパンドラズ・アクターは即座にリュウオウの方へ振り返った。

「――嘘は言っていないね」

「じゃあ、やっぱり生まれ持った異能(タレント)かな?」

「だとすれば貴重ですね」

「うん、かなりレアだね。学校でも早いうちに適性の有無が分かったらいいよね」

 おばばはソーセージを皿にとり、むっしゃむっしゃと頬張った。

 

「――プラムちゃん、ちょっといくらなんでもあそこまでする事はなかったんじゃねぇか?」

 ウルボリが困り顔で言うと、プラムはすぐに頭を下げた。

「あ、すみません。うちじゃ魔法適性の有無を調べる術っていないんですよね。だから、つい」

 ユラドとウルボリ、村長の頭の上にはてなが浮かぶ。何かが噛み合っていないおかしな感触があるのだ。

 皆が何かがおかしいと言う顔をしていたのだろう。プラムは慌てたように言葉を続けた。

「あ、ほら。魔法を使える人がたくさんいたら便利になりますし、野蛮な事も減らせるじゃないですか。毎日水を汲みに行くことだって、火を起こす一苦労だってなくなりますし!でも、適性があるかないかを、やってみなくちゃ分からないのが効率的じゃないなーなんて――」

 

 聞いていた者たちは眉を顰めた。

 ユラドすら、悪意なく発せられた野蛮という言葉に臭いものを嗅いだような顔をした。

 

「俺達にゃプラムちゃんが何を言ってるのか分からねぇ。確かに魔法が使えたら便利だろうよ。だけどそんなもんを引き合いに出して、野蛮なんて言うのはいくら客人だって許されないことじゃないか?そっちの島がどんな島かは知らないけどな。俺らは先祖代々受け継いできた俺らなりの技術っちゅーもんがある」

 プラムに対して言いたいことをウルボリが全て言ってくれる。

 村長連中は腕を組んで、今までの穏やかな雰囲気は一切ない。島の若い者(ラビ)のためとはいえ、おばばと揉めた事ももちろん影響している。あれは年輩の者を敬わない非常に礼を失した態度だった。

 おそらくプラムはずっとこの島の色々なことを野蛮だと思っていたのだろう。だから、魔法なんていう存在すらしないものを引き合いに出して、マウントを取ろうと言うのかもしれない。

「あ、すみません。でも魔法は便利ですよね?」

「知らねぇな」

「でも、魔法使える人は良いなぁとか……」

「そんなもん夢見てんのはガキンチョだけだ。もう良い加減にしてくれ。魔法なんて存在すらしないもんで、あんたらと揉めたくねぇ」

 

 ウルボリが睨むでも怒るでもなく言うと、プラムは瞬きをし、数秒止まった。

 

 そして――

「え?」

 一言漏らし、もう一度首を傾げた。

 

「え?」




え???????
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