「ラビ!!」
ラビは両親が駆け寄ってくると、目元と鼻を拭った。
「と、父さん。母さん……」
「良かった!無事で!!本当に良かった!!」
母親が泣いているところを始めて見た。父親と二人で抱きしめられる。その浜にはフラミーの他にディーや向かいに住むユラドもいた。
「た、旅人さん!ありがとうございました!本当にありがとうございました!!」
親達がフラミーに必死に頭を下げ、フラミーは事もなげに手を振った。
「母さん。僕さ、魔法のことで、もう一回話したいことがあるんだ……」
「分かってる……。分かってるよ……」
「僕さ……。字が……読めるんだ……」
「うん……うん……」
「本当に、嘘じゃなくてね……」
「うん……」
家族がそっと身を寄せ合っていると、くらげおばばが三人を見下ろした。
「それより、お供えが間に合ったおかげで海神が狩猟島に戻って良かったじゃないかい!!危ないところだったよ!!」
ぽかんと三人は口を開け、フラミーも数度瞬いた。
この背の翼を見て、あの力を見て、狩猟島の言葉を聞いて、なおも魔法と神の存在を信じられない者がいるとは驚きだった。
「え……お、おばば。耄碌しすぎじゃ……」
「誰が耄碌ババアじゃい!!お茶目な冗談もわかんないのかい。まったく。そっちの嬢ちゃん――じゃなくて、神様の魔法のおかげだって分かってるよ」
皆目を見合わせ、一斉に笑った。
「大奥様、心臓に悪いですよぉ」
フラミーが困り顔を作ると、おばばはチッチッチ、と指を振った。
「あたしゃおばあちゃんだよ。神様におばあちゃんって呼ばれるなんて、格好いいだろ?」
「あ、あはは〜……」
緊張感が霧散すると、フラミーの下には島民達が集まった。ラビを押し除け、次々と人が群がった。
「た、旅人さんは神様だったんかぁ!」
「魔法ってすんげぇなぁ!何かもっと見せてくれよ!!」
「そうだ!鳥だ!鳥を増やしてくださらないか!」
「それより、デカい船が欲しいな!!」
「その上等な衣を出してはもらえんだろうか!!」
皆好き勝手言い迫ると、フラミーはため息を吐いた。
『皆黙ってください』
透き通るような声は心の深くまで染み込み、口を開ける者はいなくなった。
その所業は流石神と言わざるを得ず、皆口をきけなくされたと言うのにさらに興奮していくのを空気が熱を帯びることで感じた。
「はぁ。これだからなぁ。まぁ、一つくらい何かしようとは思いますけど。神様と魔法を信じてもらわなきゃなりませんし」
フラミーは顎に手を当て数秒考えてからラビの方を見た。
「――ラビ君、こっちにおいで」
ラビが口をきけないままフラミーの前までたどり着くと、『話していいですよ』と優しく促された。
周りの者たちから軽いざわめきが生まれる。静寂は破られた。
「は、はい。神様」
「ラビ君は何か欲しいものはある?私ができる範囲で、になっちゃうけど」
「い、いいんですか!」
その言葉を聞いた瞬間、割とそばにいた知らない男がラビの首根っこを掴んだ。
「な、なぁ坊主。そこは、分かるだろ?皆のために、島がよくなる願いを言えよな?な?」
またその反対から、浜でよく会う近所のおばさんがラビの腕を引っ張る。
「ラビ君、私ずっとラビ君のお伽話は真実味があるって言ってたのよ。うちの子にもいつもお話を聞かせてくれてありがとね?だから、ね?」
さらに背後から服を引っ張られ、慌ててラビは振り返った。
「――おい、ラビ」
それは、ディーだった。
ラビはディーの望むことなら叶えてやってもいいと思った。ずっと友達でいてくれた彼に、何か返してやりたいと思った。
だが、ディーが続けた言葉は、周りの身勝手な大人たちとは全く違って――「お前、昨日宝物落としただろ。あれ、返してもらえよ」
「ディー……どうしてあれが僕の宝物だって……」
「言ってたじゃんか。昨日。僕の宝物が落ちちゃって、って。ま、魔法使えるようにしてくださいっていうのも手だけどさ」
ラビはギュッと締めた唇が震えた。
「ありが――」
「ダメに決まってるだろ!!そんなの!!」
また別の大人が叫ぶと、ラビとディーは肩を揺らした。
「島のためだ!島のため!!恩返ししたいとは思わんのか!!せっかく神が来て下すって、望みを一つ叶えて下さると言ってるんだぞ!!」
大人たちが寄ってたかって二人を責め始め、あたりは騒然とした。そもそも、欲しいものはあるかと聞いただけで、望みを一つ叶えるとは言っていないが、熱を帯びる人々はその二つを同じ言葉だと感じていた。
ラビの父親が割って入り、責め始めた男に指を突きつける。
「やめろ!!息子は昔から魔法があるって信じてきたんだ!!だから神がラビを選んでくれたのに!!好きなようにさせてやってくれ!!」
「そんなもん、子供たちは皆夢見てただろう!!うちの姪っ子だって魔法はあって、いつかお空を飛ぶって言ってたんだ!!」
「ラビのはそう言う次元じゃない!!本人も魔法の力でこの世の全ての文字を読めるんだ!!」
「うちの姪っ子の空を飛ぶっていうのも本当かも知れんだろ!!」
二人が取っ組み合いになりかけた瞬間――
「<
皆の視線は即座に神に吸い込まれた。
龍のごとくのたうつ白い雷撃が生じ、神の持つ杖から肩口までを荒れ狂った。バチバチと薪が弾けるような跡を残し、一拍の後、突きつけた杖の延長上にある雲めがけて落雷にも似た放電を発しながら雷撃が空を駆けていった。
雷が雲にぶつかると思った瞬間、ドゴォッと激しい音を立て、雲は爆散した。
ラビですら頭を抱えてその恐ろしい神罰から身を隠そうとした。
「……うるさいですよ。私はラビ君に望みを聞いたんです。――ラビ君、どうします?魔法を使えるようにしてくれって言うのはできないですけど、その宝物を見つけることはできますよ」
フラミーが尋ねると、ラビは悩むように自らの手のひらを眺めた。
「魔法を使えるようにはしてもらえないって言うのは……やっぱり……試練や鍛錬なく力を得ることは許されないからでしょうか……」
神が何かを答えるよりも早く、ディーが加勢した。
「神様、ラビはずっと誰にも言い分を信じてもらえなかったんです。だから、もう十分試練を乗り越えたと思います」
「ディー、そうじゃなくて、願うことだけで魔法使いになったりしたら、力も有り難く思えないし、正しく使うこともできないってことだよ。この神様は、闇の神様と対になってる神様なんだ。力は試練と対だから、試練だけを課すことも、力だけを先にくれる事もない。だから……僕にこの力をくれて……それに見合うだけの試練も与えられた……。そして、最後にはこうして……うん。そうだ」ラビは自身の中で強く納得した。そして――「光の神様、僕、願いを決めました」
フラミーにそっと先を促される。
ラビは両手を胸の前に組み、跪いた。
「どうか……どうか、ここで誰もが魔法を学べるようにしてください!!」
ザァっと風が立った。
島のためとさんざ叫んだ者達も、両親も、ラビも、ディーも、皆が満足げだった。
その場にいたただ一人を除いて。
「やれやれ。結局こうなるわけだね」
護衛の銀色の鎧がつまらなげに言う。
フラミーは空を再び杖でさし示した。
「ここ、カライ島で、誰もが魔法を学べるように!願いは聞き届けられました!<
霧雨が降り出し、空には二本の虹がかかり、島民たちが歓声を上げる。
帽子を脱いで放り投げ、万歳と一斉に唱和する。
ファンファーレのように口笛を高らかに吹き鳴らし、拍手をし、隣にいた者と肩を抱き合った。
黒尽くめの護衛が足が三本もある黒い鳥を空に放ち、鳥は「カライ島はこの時をもって、神聖フラミー・ウール・ゴウン魔導女王陛下の下に降った!!これより、カライ島は繁栄のときを迎える!!」と叫び、島中に新たな島の門出を知らせに行った。
信じられないほどの高揚感が島中を覆った。
ラビも皆に背を叩かれ、肩を抱かれ、抱きしめられ、泣きながら笑った。
悪かったと言ってくれる者。
バカにしてた訳じゃないとしらばっくれる者。
字を読む魔法を教えて欲しいという者。
皆調子がいいが、人間なんてものはその程度なのかもしれない。
ラビは空気に酔い切る前に島民達に背を向け、虹を見上げるフラミーに向き合った。
「神様!来てくれてありがとう!僕の願いを聞いてくれて!!ここに来てくれて!!ありがとうございました!!」
「いいえ。でも、いつまでも感謝してくださいね。魔法を超える力はありません。今後私がここを離れても、どうか皆に魔法の尊さを教え続けてください」
その言葉に、ラビは全く思いがけないことに、すぐに頷くことができなかった。
自分の後ろを見渡し、他の誰かが返事をしないことを確認してしまった。
旅人が来た時、自分が案内を頼まれたと思い込んで返事をした時のことが過ってしまったのだ。
ラビが躊躇っているのを感じたのか、ディーがその背を小突いた。
「お前が適任だよ!ラビ!!」
ラビは気恥ずかしそうにしながら、フラミーに頷いた。
「わ、わかりました!僕、きっと皆に魔法の偉大さを伝え続けます!!」
今までとやることは同じかもしれないが、ラビは何よりもそれが嬉しかった。
「頼みますね。私はこの後神官団を呼んで、いいように取り計らうように伝えます。それから、カライ島と神聖魔導国を行き来する方法も考えないといけませんね。この島の周りには魔物はいませんが、もっともっと沖に出ると、リヴァイアサンやクラーケンがいましたから」
「ま、魔物。そんなものが本当にいるんですね」
島を出ようとした者で生きて帰ったものはいない。そして、この島を訪れる者もいない。
ここは、想像を絶する海域に存在する奇跡の島だった。
「ここに海の魔物が一度も出なかったのは、きっとあの老亀がいるからなんでしょうね」
フラミーが狩猟島を示し、落ち着きを取り戻し始めた皆がその方向へ視線を吸い込まれる。
「神様、狩猟島はなんだったんですか?」
「私より、ツアーさんの方が詳しいかな。――ツアーさん」
呼ばれた鎧の男が頷く。
「……あれはアスピドケロンと呼ばれる太古から存在する亀だよ。僕たちが立っているここも、あの亀の父親らしいね。もっと小さいうちは海にも潜るし、陸にも上がる。だけど、体が大きくなりすぎれば動けなくなる。動けなくなれば意識もいつしか失ってただの島になる。そういう生き物だよ」
何事もなく言ってのけるが、ラビ達にはにわかには信じられない事実だった。
だが、フラミーの力と狩猟島の本来の姿を見せられて、尚もその言葉を受け入れられないようなものはいなかった。
「僕たちの住むカライ島が生き物だったなんて」
「だから家畜や動物が極端に少ないんでしょうね。まぁ、本国との行き来ができるようになれば食料もすぐに潤いますよ」
宴でソーセージを食べた者達は嬉しそうにあの味を思い出した。
「さ、それじゃあそろそろ。<
フラミーが魔法を唱え、楕円の闇が広がると、「ま、待ってください!!」と聞き馴染みのある声が響いた。
なんとか人をかき分けて現れたのはユラドだった。
「プラムさ――いや、神様!こ、これ!!」
慌てて取ってきたのか、汗だくのその手には赤海月草が握られていた。
赤海月草はユラドの手をチクチクと刺していて、手は痛々しく膨れていた。
「くれるんですか?」
「ど、どうぞ……!!」
フラミーは受け取ると、嬉しそうに毒草を抱いた。
「ありがとうございます!良いもの、たくさん見せてもらえて楽しかったです!<
ユラドの手の変調はすぐに引いた。
「わぁ……」
周りの者も感動してユラドの手を覗き込んだ。
「それじゃあ、皆さん。私と入れ違いで神官団が来るのでよろしくお願いします。私はこのまま行きます。多分、もう直接言葉を交わすことはないと思いますが、皆さんお元気でね。本当、楽しかったですよぉ」
神はバイバーイ、とフランクに手を振った。
「え、え!?神様!?」
ラビが思いがけず手を取って引き止めようとするが、その手は届くはずもなく、護衛の黒尽くめに抑えられてしまった。
「触れることは許されていません」
「か、神様!!これでお別れなんですか!?」
闇に足を踏み入れかけていたフラミーは振り返ると、手を空中のスリットに入れ、本を取り出した。
「もし、魔法を使えるようになれば……いつでも、そばに感じる。――らしいですよ!」
神は呆然とするラビの手にギュッと本を押し付け、開かれた常闇にするりと入って行ってしまった。
いなくなった後も、あの輝く翼から溢れた煌めきがまだ見えるようにすら錯覚した。
本当に、どんな絵よりも、どんな細工よりも美しかった。
人の姿だった時も美しかったが、あの人ならざる肌の色と翼のコントラストは、島民達の胸を激しく貫いた。文字通り、見たこともなかったから。
「……神様……」
ラビはいつまでも闇を眺めた。そして、ディーが隣から顔を覗かせる。
「何もらったの?」
「――あ、そ、そうか」
我に帰り、渡された本を見ると、そこには――
「魔法学の書……!」
その後、神と入れ違いで現れた人々は、「神官」というに相応しい清廉な格好をしていた。
皆浜育ちとは全く違う、色白で、柔らかく薄そうな手のひらをしていた。
彼らは誰もが上品な口調で、当たり前のように難しそうな文字を書き、島の暮らしを聞き取った。
その日から、島は信じられないほどに変わった。
水が出てくる魔法の蛇口、火の出る魔法のコンロ、物を冷やす魔法の箱、物を温め直す箱。
何もかもがこれまで島には存在しなかったものだ。
そして、誰もが「魔法があったらな……」と空想して来た物たちだった。
ラビは「だから、魔法はあるって言ったでしょ」とおかしそうに笑った。
それから、ラビの願った「誰もが魔法を学べるように」というものも、確実に実現へ向かった。
見窄らしい筆学所は取り壊され、跡地には
ラビを取り巻く環境は大きく変わった。
皆がラビに手を擦り合わせて低姿勢で関わってくる。
最初の頃はそれが気持ちよかったが、次第に今までの誰でもなかった自分を懐かしく思った。
自他共に認めるラビの一番の友達であるディーなどは鼻高々にふんぞり返る日々だ。
ラビはそれを嬉しく思った。自分と友人であるが故に肩身が狭い思いも時にはあった彼への恩返しの一部になると思ったから。
そんな風に島は変わりつつあったが、本国と安全な行き来が可能になるまでには多大なる時間がかかった。
怪物と呼ぶに相応しい魔物たちがうようよと行き来する海域で、イルカなんぞを眺めながらいとも簡単に海を渡れるのは神くらいだろう。
故に、ここを発見できてこなかった冒険者たちが役立たずの烙印を押されることもなかった。
様々な事情から海路に存在する怪物達を皆殺しにすることもできず、カライ島と本国を商人や人が自由に行き来するようになるには空挺の完成が待たれた。
それまでは、
この島でしか通用しない、力のない通貨を欲しがる商人がいるはずもなく、国のおんぶに抱っことなってしまった。
この
上質な魔法の込められた薬が神聖魔導国から齎される今、すぐに悪くなってしまう薬を懸命に作る必要もない。
とは言え、薬作りの一切をやめたわけではなく、神聖魔導国から伝わってくる新しい薬の作り方をムンムン言いながら始めていた。
そして、当たり前のように「あたしゃ神様におばあちゃんって呼ばれてたんだよ」などと嘯いている。
調子のいいおばばだが、実はラビと同様に昔を懐かしむ一人だ。
魔法がなかった不便な世界を惜しんだ。毎日海月草を愛で、おじじの教えと共に生きた世界を。
おばばとラビはまた、ラビが子供だった頃のように仲良くなったらしい。
ラビはこの島の人間で唯一神聖魔導国からの積荷の内容を書面で確認できる者として、その地位はどんどん上がって行った。
薬の作り方の説明書をおばばに読んで聞かせるのも、当然ラビだった。
神殿も建立が急がれるが、この辺境の地に高位の回復魔法を使える神官を常駐させておくはずもなく、どうしても薬は必要なものだったから。常駐するのは
両親は向かいに住む、ラビを嘲笑ったおばさんと今も交流を持っている。
ちなみに、図々しいおばさんは「私はラビちゃんがちっちゃい頃からずっと知ってて、たくさんいろんなお話を聞いてきたんだから」なんて周りの奥様方に威張っているらしい。
こちらもやはり調子のいいおばさんだ。が、他のおばさんに「調子に乗らないでよ」と突き飛ばされて足を挫いたのは、語る必要もない醜いお話。
一方、ユラドはどことなく肩身を狭くした。
最初から自身ではなくラビが旅人を案内していれば良かったとか、あんなにラビを内心バカにしていたのにとか、そんなことを自分自身に感じてしまっていたから。
悶えたくなる夜には、旅人扮する神と仲良く二日過ごした思い出を大切に反芻したらしい。
空想好きで、将来が危ぶまれ続けたラビは、島の誰よりも島に必要な者として人々に敬われた。
神聖魔導国から文官として働かないかと呼ばれた時に彼がそれを断ったのは、読めるだけで書けないという性質上から役に立ちきれないから――いや、やはり、育ったこの島を愛しく思ったためもあっただろう。
皆を見捨ててはいけないという気持ちが。
虐められたと復讐に燃え、皆を置いて広い世界へ行くことも可能だったのに。
彼は今もここにいる。
――だからこそ、なおさら島の者たちはラビを慕ったらしい。
海の底に沈んだ魔法学の書は、次第に藻が付き、ゆっくりと朽ちていった。
ラビくん……。よかったね……よかったね……。
ふららの神様ムーブ珍しくないですか!?
ナインズ君達も大きくなったし、あれからまた神様レベル上がったって……コト!?