その日、エ・ランテル市中に触れが出された。
それはラナー王女に届いた王国の書状が転写されたもので、神聖魔導国以外から救われることのなかったエ・ランテル市民の心を激しくかき乱した。
曰く――
第三王女 ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ。
長きに渡るエ・ランテルの調査ご苦労だった。
都市長パナソレイ・グルーゼ・デイ・レッテンマイアと、エ・ランテルの民はこれより一週間で粛清されるだろう。
それまでに呪われた地を離れ、王都へ帰還するよう偉大なるランポッサⅢ世も勧めておられる。
エ・ランテル市民が王都からの支援を待たず、神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国による実効支配を拒否しなかった事は明確なる国家への叛逆であろう。
王家より借り受けた尊きリ・エスティーゼの地を、あろう事か他国の王に恭順し、不当な取引に因って売り渡した行いは王家発足以来他に類を見ない大罪だ。
又、エ・ランテルの民は税を納める国民の義務を放棄し、現在も国家の運営に損害を与え続けている。
ついては市民を扇動した代償として神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国とエ・ランテルの民へは相応の償いを――――
その不愉快な書状の隣には、簡潔に三日後南広場に神聖魔導王とフラミーが降臨すると書かれた物が貼り出された。
誰も自らの手で育てた愛する新天地を離れるつもりはなかったし、神々がこの地を救わないとも思わなかった。
が、それでも安堵の一息をつかずにはいられず、思わずへたり込む者が続出したらしい。
そして、三号川は工事をストップさせた。
早朝。
かつてエ・ランテルの人々が肩を寄せ合い食事を取っていた南広場に、今となっては懐かしい巨大なタープが張られた。
以前とは違い中心に川が流れているが、人々はたった数週間前には当たり前だった光景に、かつての雨に打たれ、食事と風呂だけを楽しみに生きていた自分たちの姿を幻視した。
まだ神は広場に姿を見せていないが、声がかかる前に誰もが率先して床に座ったり、跪いたりしていた。
そして、この浮かれた一行も。
「ロバー、やっぱりもっと前に行くか?よく見たいだろ?神様達」
ソワソワするロバーデイクにヘッケランが声をかける。
「そうよ、滅多に見れるものじゃないんだもの。その点に関してはこの戦争に感謝ね!」
せっかく引っ越してきたばかりで戦争だなんてとここ数日文句を言い続けたイミーナがフフン、と鼻を鳴らした。
「イミーナ……。それは幾ら何でも不謹慎」
「「お姉様ふきんしんってなぁに?」」
妹達が首を傾げた。
「ははは、この大人数でこれより前は難しいので、ここで我慢しますよ」
「しっ!セバス様が見えたみたいよ!」
広場の中心、ザイトルクワエを背に現れたセバスが口を開いた。その声は魔法に乗せられているようで、広場中に問題なく届いた。
「魔導王陛下と、フラミー様の御成です」
全守護者、漆黒聖典、陽光聖典、風花聖典、火滅聖典、水明聖典、土塵聖典と――それから、都市長と仮州知事が跪く。
広場の人々は自分達の身なりが失礼にあたらないかを今一度確認した。
渦巻くような闇が開いた。
温かい闇だ。
夢を見る前に見る温かい闇だ。
人智を超越した神々が闇より降臨すると嗚咽する者もいた。
自分達の街、今の優しい生活、全てはこの二柱によって支えられているのだと。
(えぇー……)
アインズは思ったよりも人々の温度が高い事に若干引いていた。
「アインズ様よりお言葉を頂戴します」
アルベドの声に、アインズは余計な思考を追い出し、散々練習し、頭に叩き込んで来た言葉を紡ぐ。
「――我が民、我が子らよ」
人々の真剣な眼差しが痛い。
「私はもっと早く王国へ手を打たねばならなかった。そうしなかった事で皆を不安にさせた事を、まずは謝ろう」
ラナーは神聖魔導王のザイトルクワエ討伐以降の計画に瞠目していた。
おそらく神聖魔導王はこの戦いで邪魔な能のない貴族を葬るつもりだろう。
ザイトルクワエ戦で戦士長ごと王を殺していれば、貴族は神聖魔導国を侮る事をせず、恐れこの機会は訪れなかったかもしれない。
あの時戦士長を生かして帰し、ザイトルクワエに破壊させた街道を避けて帰るその身にブレイン・アングラウスを回収させ、クライムとセバスに出会わせる。
ブレインはまるで何者かの手で操られるかのようにまっすぐ王女の元へたどり着き、エ・ランテル近郊の出来事を伝えてきた。
そして――それに応えたラナーの元には叡智の悪魔が現れた。
どうやって神聖魔導王が知ったかは分からないが、ラナーの望みは恐らく続く言葉によって叶える前段階を済ませるだろう。
「だが、安心するのだ。我がエ・ランテルは決して蹂躙されない。我が民の血は流させない。そのために、私とフラミーさんが出よう。そして、この情報をいち早く我々に知らせ、街と無辜の民の命を守ろうとその肉親にも背を向けた気高き王女に、喝采を」
万雷の喝采の中ラナーは立ち上がる。
全ては、クライムのため。
私はここで新たな地位を得る。
慈悲深きものとして死の神の下で権勢を振るう。
あらゆるしがらみから解き放たれた暁にはついにクライムと添い遂げるだろう。
絶対に、何を使っても魔導王とフラミーを失望させてはならない。
この神々は、慈悲深い振りをしているが、失望させれば――――。
戦争の日、人々は三号川の内側から祈るように地平と偉大なる二つの背中を見つめた。
冷たい秋の風は、動悸に襲われて火照る体を撫でた。
神々はそれぞれ腕を一振りする。それに呼応するように突如として十メートルにもなろうかという巨大なドーム型の魔法陣が二つ展開された。
二人は左右に並び、互いの魔法陣は重なり合った。
その幻想的な光景はエ・ランテルから様子を見守る者達の目を奪った。
魔法陣は蒼白い光を放ち、半透明の見たこともない文字と記号を浮かべている。
それは目まぐるしく形を変え、一瞬たりとも同じ姿にはならない。
王国から驚きの声が上がるのが風になって届いて来た。
それは見事な見せ物を見たときにあげるような、緊張感の全くないものだ。
――しかし、勘の鋭い者達は困惑していた。
目の前の十四万の王国兵は、かつての同胞だ。
どうか苦しみなく逝かせてやって欲しいとエ・ランテルの人々は願った。
今や母なる木となったこの魔樹を討伐した神々が負けると思っている者は一人もいない。
神さま……近くの誰かの囁きが聞こえる。
次の瞬間、二柱の周りを回っていた魔法陣が砕け散り、願いは聞き届けられた。
これまで吹いていた風とは違う――黒い息吹が、王国軍の陣地を吹き抜けた。
王国兵左翼七万、右翼七万。
その場の命は即座に全て――奪われた。
馬すらも突如と糸が切れたように倒れ伏した。
目の前の十四万人が痛みも、恐怖もなく命を奪われた事に、人々は慈悲深き神々に感謝した。
そして、今倒れた人々から無数の青い透けるような光の塊が尾を引きながら飛び、光の神の下へ収まって行った。
僅かに生き残る、陣地の奥に身を置いていた身分の高い者達含む一万人程度の兵はパクパクと口を動かした。
あまりにも信じがたい光景に、脳がそれを受け入れる事を拒否する。しかし、起き上がる者は一人もいなかった。
「う、うそだ……」「かみなどと……」
ぽつりぽつりと拒絶の言葉が紡がれ――どよめきと恐怖から逃れようとする叫びがうねりとなって生き残った者達を包み込んだ。
そして、エ・ランテルの誰かが空を指差した。
それに誘われるように次々と皆が空を仰いだ。視線の先には光を一切反射しない、空に黒いインクをポタリと落としたような漆黒の球体。
徐々に球が大きくなっていく。
わずかなざわめきの中――やがて、十分に実った果実は落ちる。
球体は大地に触れると、熟しきった果実が爆ぜるように弾けた。
ドプリと辺りに黒い液体が辺りに広がると、闇に染まった地に、ぽつんと一本の木が生えた。
続くように二本、五本、十本と伸び始めた木は風もないのにうねり――決して木などという可愛らしいものではないことを知らしめた。
メェェェェェエエエエエエ!!!
可愛らしい山羊の鳴き声が響き渡った。いくつも重なる鳴き声が続く。
コールタールは蠢き、噴き上がるように黒いカブのような生き物は現れた。
果実にはいくつもの亀裂が入り、べろりと剥けると中には真っ赤な舌が見え――。
メェェェェエエエエエェェエエ!!!
粘液をだらだらと垂らす大量の口から可愛らしい山羊の鳴き声が溢れた。
山羊は疾走しだした。
きっとあそこに並んでいた兵士達だって誰もエ・ランテルに来たくはなかっただろう。
半分の者は帝国との戦争の時にエ・ランテルで起きた神話の戦いを見たし、中にはエ・ランテルに親戚が住む者だっていただろう。
神に楯突く気などなかったんだと証明するかのように――自分達を駒のように扱い、重税によって苦しめた、後方に控える貴族達に向かった。
「見て見て!見てください!」
フラミーの興奮した声が響く。
「すっごく綺麗ですよぉ!経験値ってこんな風に見えるんですね!」
愛らしい子山羊達が駆け抜ける中、フラミーの装備する黒いガントレットには絶え間なく経験値が――いや、魂が吸い込まれていった。
「本当ですね。これで何レベル分くらいなんでしょう」
アインズも楽しげに笑い、続けた。
「あーそれにしてもすごかったですね。
「えっ、十匹ですか!すごい!ウルベルトさんにも見せてあげたかったなぁ!こういうの大好きだったし!」
「ウルベルトさんが聞いたら間違いなく俺もやるって大騒ぎしますね!」
ゲーマーは自分たちの打ち立てた前代未聞の新記録を素直に喜んだ。十数万人の死者などどうでも良かった。
二人で喜び合っていると、アインズはぴくりと顔を上げた。
「お、あっちに見つかったみたいです。ずっと戦士長仲間にしたかったんですよねえ。なんかアルベド達は王女様仲間にするって言ってたけど」
「戦士長さんって勇者っぽいですもんね!お姫様を仲間にしたい人と勇者を仲間にしたい人と、皆それぞれ好きな人とパーティー作るのが一番ですね」
「ま、それはそうですね!――<
アインズがふわりと浮かび上がるとフラミーは翼を広げた。
目的の人物を見付け、凍り付いたように止まる十匹の子山羊達の間をするりと飛び、ガゼフと王の近くまで来ると二人は地に降り、歩いた。
そこにはレエブン侯も控えていて、背後にはたくさんの戦士団がいた。
「ま……魔導王……殿……」
王はかすれた声を絞り出す。
「ランポッサⅢ世よ。私は大切な子供達とただ平和に、静かに暮らしたいだけなのだよ。分かるかな」
アインズは恐れるように瞳を揺らす王から視線を外した。
「戦士長殿。ザイトルクワエ来襲以来だな」
ガゼフは静かにうなずいた。
「私は言葉を飾るのは好まない。だからこそ、単刀直入に言おう」
アインズは骸骨の手を差し伸べた。
「共に来い」
フラミーはなんと素晴らしい光景だろうと思った。
出かけるつい一時間前にパンドラズアクターが持ってきたカラー版のカメラを取り出し、画角を確認すると少し後ずさる。
全員の表情がよく見えるようにとその馬鹿でかいカメラを横に向けた。
ドキドキとガゼフの返事を待つアインズはその怪しい挙動に気付きもしなかった。
チャカっジー……――。
全くもって場違いな音が響き渡った。
「あはっ!」
フラミーはカメラから出たこの世界初めてのカラー写真に思わず喜びの笑いが漏れてしまった。
振り返ったアインズは数度瞬くように瞳の赤を明滅させた。
え?ちょっと!
空気読んでくださいよフラミーさん!