森の中。
斜めに切り立つ大岩の下、トラ吉は全てを懐かしむように座り込んだ。
「この岩……。ここで間違いない……」
訪れたことによって、それまで見つけられなかった理由がはっきりと分かった。
豪雨によって付近で土砂崩れでもあったのか、水の流れが変わっていたようだ。大岩のすぐそばには緑の沼が生まれていた。
沼一つで森の印象は大きく変わる。森の景色は果てしなくどこまでも似ていて、大まかな印象が変化すれば認識することは困難になる。
「……懐かしいな……」
トラ吉は辛そうに唇を噛んだ。
日はまだ暮れていないが、後一時間もすれば夕暮れが訪れるような時間だ。丸一日かかった訳だが、よく辿り着けたものだ。
全てはツアーが当時見た木々の影の向き――つまり日の光から推測した位置によって可能になったことだ。信じられない記憶力。
トラ吉は長寿の種は
一行は姿形もわからないアイテムを捜索した。
こちらの草をかき分け、あちらの岩の影を見る。
魔法の痕跡を調べても反応はない。
朝はほんのりと立ちこめていた霧も、今は晴れていた。
「だめですね」
アインズが肩をすくめる。
フラミーは苦笑した。
「やっぱりありませんね。プランB、やりましょうか」
「そうしましょう。それじゃ」とアインズは
沢の水を飲んで休憩し始めていた兄弟は後一滴を飲み干し、トラ吉は自分が倒れていたであろう所を感慨深げに眺めてから、ようやく三人が集まった。
「はい、王様」
「神王陛下、どうかなさいまして」
「中々霧に会えませんねえ」
各々がバラバラと返事をする。こう言う気兼ねのない感じは中々に悪くない。
「あぁ。お前達、もうじき夕暮れが来る。その前に、お前達を転移魔法で先に里へ戻してやろうと思う」
ここから里までは丸一日かかった。
三人はアインズがアルベドを送り帰したことも見ているし、もうアインズ達が転移魔法を使えると理解しているので帰り道を心配している様子はまったくなかった。
「ありがとうございます。神王陛下」
「……王様達はどうするんで?」
懐疑的な視線だ。なぜ一緒に帰らないのかと。
「私達はもう少しだけ調べ物をしてから戻るつもりだ。無論、すぐに宿に戻る。トラ吉、向こうのことを頼む」
「分かりました!ディナーは任せておいてくだされ!」
アインズが
「……マチとナオ、あいつら俺たちが雲を見つけて独り占めしようとしてると思ってるな」
アインズはやれやれ、とため息を吐いた。
「ははは。最初に雲を見つけたら自分たちがもらうって言ってましたしね」
「ですよねぇ。そんなことしないってのに」多分。
「さて、デミウルゴス、パンドラズ・アクター。お前達もこちらへ来てくれ」
手招かれると、パンドラズ・アクター、デミウルゴス両名は即座に探索を中断して集合し、膝をついた。
「は。只今」
「お待たせいたしました」
一秒も待っていない。先ほどの三人の集合の遅さとは比べ物にならない。守護者達は相変わらずストイックすぎた。
「……うむ。えー、プランBは分かっているな?」
「もちろんでございます。フラミー様、並びにウルベルト・アレイン・オードル様に変身したパンドラズ・アクターと共にライトフィンガード・デーモンを召喚。殺生を禁じた後、マジックアイテムの捜索へ放ちます」
「その通りだ。マジックアイテムを見つけた者は即座に里へ戻るようにも伝えろ。それでは各員行動を開始せよ」
「「は!」」
「はーい」
フラミーも返事をすると、アインズは慌てて頭を下げた。パンドラズ・アクターとデミウルゴスに言ったつもりがフラミーにまで指示をしたみたいになってしまった。
「すみません、フラミーさん。よろしくお願いします」
「いえいえ!腕がなりますね〜」
その隣で、パンドラズ・アクターは実に懐かしい山羊の姿へと変わっていた。
美しい毛並み、長いまつ毛、闇を切り裂く黄金の瞳。
アインズもフラミーも、その姿に胸をどきりと打たれた。無論、デミウルゴスも。
「ウルベルトさん……」
「師匠……」
「ウルベルト様……」
パンドラズ・アクターは頭を下げたのち、こほんと咳を吐いた。
そして――「お前ら皆なんちゅー顔してんだか……。ほら、しけた面してないで。やるんでしょ。悪魔召喚」
それを聞いた瞬間デミウルゴスは喉の奥にグッと熱いものが込み上げたのを感じた。
ウルベルトは腕をグイングインと大きく回した。
「ウルベルトさぁーん!」
フラミーがばふんっともそもその胸に飛び込むと、パンドラズ・オードルは背をぽんぽん、と叩いた。
「――と、演じてみました。皆様が少しでも、懐かしく幸福なお気持ちになれたのでしたら、このパンドラズ・アクター、何よりも嬉しく思います」
ウルベルトの顔でパンドラズ・アクターが微笑むと、フラミーは涙ぐんだ顔で何度も頷いた。
「はひ、はひ!すごかったです!!なんだか、また会えたみたいな気分になりました!!」
「……完璧じゃないか」
アインズも懐かしい友の声と仕草に目元を払った。
パンドラズ・アクターがくるくると手を回して頭を下げる。
全く何もわからなかったのはツアーだけだった。
「……ちなみに聞いておくけど、悪魔達は消えると思っていいんだね?」
ツアーは空気が読めなかった。
「あぁ、消える。安心しろ」
そんはぶっきらぼうなやりとりを行うと、フラミーは杖を掲げ、デミウルゴスは両手を広げ、パンドラズ・オードルは眼前を指差し――
「「「
三人の声が重なる。
ギャギャギャギャギャギャギャ!
黒い穴から、愉快そうに笑うライトフィンガード・デーモンが大量に出てくる。
皆
「皆さん!今日はアイテム探しですよ!不老不死の霧と雲を発生させる物を探しています!でも、姿形がわからないんで、マジックアイテムだと思ったらとりあえず持ってきてください!」
悪魔達はフラミーの言葉におとなしくギャーイ!と従った。
「あ、そうそう。殺生は禁止なんで、気をつけてくださいね!草木を手折ることもいけません!」
本来ならこうして命令を口にする必要はそうない。
精神の奥深くで繋がりがあるので、そこの糸である程度の意思は伝えられるのだ。
宝を盗む性質を持つ悪魔達は意気揚々と出発していった。
「これでよしっと」
一行は里に戻った。
戻った先では、まだトラ吉達が井戸端会議をしていた。
深い深い森の奥。
迷わずにここまで辿り着き、無事に帰れる者がどれほどいるだろう。
特に――この種族の者達に囲まれて。
「……異変か?」
月明かりの如き美しい銀色の毛。闇を見通す金色の瞳。肉や骨を噛み砕く鋭い牙。
旧西方三大国にもいたワーウルフの近縁種だ。ワーウルフより、一層原始的な種族とも言う。
彼らは本来この森で暮らしてきた種族ではなかった。百年ほど前はもっと北にある山の麓で集落を持っていたが、当時見たこともない巨大な毒花が原因の病で多くの同胞が倒れた。あちらこちらで一斉に花は咲き、一気に
この森に名前はない。もちろん、かつての森にも名前はない。森は誰のものでもないから。
そんな
全く嗅いだことのない匂いが遠くから漂ってくる気がする。
まだ「気がする」程度の感覚だが、ドレヴァンは嫌な予感に襲われていた。
「……
この森には先住民がいた。
移住してきた当初は無防備な
夜行性の
毎日の食事には命をかけて肉の少ない
だが、老人や大人はたまに「お腹いっぱい
若者では食べたこともない者も多い高級食品になっている。
昔はなんと言っても攫い放題だったのだ。無防備で、馬鹿で、ほいほい付いてくる。夜に里に行けばそっと攫って帰れたくらいだ。
ドレヴァンは赤く陽に照らされる家の外へ出た。
寝起きの目に夕暮れは眩しすぎる。
うっ、と声をあげて手で日光を防いだ。ドレヴァンの目は他の
目が慣れると「ほう」と息を吐いて手を下ろした。
出てきたドレヴァンの家は――いや、
くり抜かれた木は当然立ち枯れていて、ほとんどの木は三メートル程度のところから折れて無くなっている。
屋根はあるが、もはや苔むしすぎて後からかけたものなのか、木の残った部分なのかどうかは判別できない。
向かいの家から仲間が一人出てくる。見た目はドレヴァンより年をとっている。一部毛が薄くなりかけているところもあるほどだ。
彼はドレヴァンと同じく左右で色の違う瞳をしていた。
「――ドレヴァン、いい夜だな」
「バチェ=サイオーバ。いい夜だな」
「この匂い、一体なんなんだ?」
サイオーバが言う。ドレヴァンは首を振った。
「わからん。生まれて初めての匂いだ」
「……
サイオーバはドレヴァンと同じ事を思ったようだ。
と言うのも、この集落には
最初は越してきたばかりの
だが、その
女はこう言ったのだ。
『私のおじいちゃんは不老不死なんだから!私を食べたりしたら、絶対におじいちゃんが許さないんだから!!』
これは百年も前の話だ。
今を生きる若者達の祖父母の頃の話だ。
「私のおじいちゃんは不老不死なんだから!私を食べたりしたら、絶対におじいちゃんが許さないんだから!!」
「うっひゃっひゃっひゃっ!!」
「ひー!ひー!言うに事欠いて、不老不死とはなぁ!!」
「そのじいさんに、命乞いの仕方を教わった方が良かったんじゃねぇかぁー!?」
腹を抱えて笑っていると、
「ほ、本当だもん!!今すぐはあんた達の存在に気づかなくても、不老不死のおじいちゃんが、いつか
痛みから発せられる絶叫は実に良い。
拷問などは趣味ではないが、
この森は以前住んでいた北の森より肉食の者が多くなく、獲物も豊富だ。
巨大毒花から逃れるためにこちらへ来たが、もっと早く移住してきていれば良かった。
特に大した労力もなく
「さて、そろそろ料理だ」
「何が良いかねぇ」
「何にしても
女が嬉しそうに
今日は決めていた人数の
集落は一つで、皆で家族だ。
狼はそもそも犬属の中で最も狩猟を協力して行う生き物で、社会性も高い。
「丸焼きにするか、せっかくだからこれは少し炙って調理しながら皆で食べる刺身にするか、煮物にするか……」
料理担当が手元のカゴに掛けてある革をサッと退ける。
そこには、
今まな板に乗せた
「筋はじっくり煮込まなきゃな!」
「ははは。筋煮込みは子供達が待ちきれなそうだ」
「ふむ。そしたら、この子供の
「い、嫌だ……。嫌だ、嫌だ嫌だ!!おじいちゃん!!トラ吉おじいちゃん!!」
「脳みそはスープにしようじゃないか!さあ、そろそろ檻の分も出してきてくれるかい!」
寸胴を手にした女が言うと、男達は食料を入れている木の家の中へ入り、えっちらおっちら檻を抱えて出てきた。
足首から先と、手首から先がない
止血はされているようで、足首と手首は硬く結ばれ、その先はどす黒くなった布が当てられている。
魔法で干すのだから、一見先に足首と手首を落としておく必要はないように思われるが、
割と骨ばった生き物なので、干さないまま筋を茹でると骨が多くて食べ辛い。だが、一手間かけ先に干してやると、手で肉を軽く割いて中から骨をつるんっと出すことができる。そして骨は脳みそのスープの出汁を取る。
この森で暮らし始めて、
真四角の檻の中は
ふと、檻から出された一人が今日捕まえてきたばかりの
「……ナツ?おナツじゃないか……?」
ぐったりしていると思ったが、まだ言葉を発する元気があったとは嬉しい限りだ。
筋や骨ばった部位以外はやはり新しく元気なうちに食べるのが一番!
これから一人づつ逆さに釣って、動脈を切って血を全て抜いて、血は綺麗に洗った腸に詰めてブラッドソーセージにする。脂肪も入れるので、脂肪のよりわけもあるし、腸の洗浄もあるし、血と脂肪を詰めた腸を茹でる必要があるし、屠殺したばかりの肉の料理もある。最後はハエが湧かないように骨を焼いて、砕いて、粘土と混ぜて、成形して、超高温で焼いて白い美しい器にする。
――わざとハエが沸くようにする者も一人は必要だが。集落の真ん中に置いてウジを大量に沸かせ、やりたいものが好きにウジを掬って沢へ行き釣りをする。
と、血を捨てないための生活の知恵だが、食事を作るのは一大事業となる。
皆で汗水垂らしながら、刺身をつまみに解体や洗浄、料理をする。
素晴らしい時間だ。
檻から
そっと一人づつ置いていく。
皆啜り泣いていて、なんとも良い雰囲気だった。
「……隣のカケおじさん?」
まな板の上で、包丁が研ぎ終わるのを待っている
先ほどの思ったより元気だった
「あぁ……!やっぱり、やっぱりおナツじゃないか!!」
何故か瞳をキラキラさせていて実にイキがいい。
「カケおじさん!カケおじさん!!」
「ト、トラ吉じいさんはおナツちゃんがここに連れてこられてることは分かってるかな!?」
「し、知らない!知らないと思う!!でも、必ず気付いてくれると思う!」
「あ、あぁ!あぁ!そうだ!トラ吉じいさんはなんて言ったって村の頭脳だ!!地獄帰りの不老不死は伊達じゃない!!」
包丁を研いでいた
「……また不老不死って言ってるよ?」
「言ってるねぇ?」
包丁係は目を見合わせた。
よくわからないことは本人に聞くのが一番だ。
まな板の上の
「ひ、ひぃいい!」
「ねぇねぇ、そのトラ吉じいさんって本当の本当に不老不死なの?」
まな板の
「皆に伝えた方がいいかね?」
「じゃあ、私伝えてこようかな」
包丁を持ったまま次々と檻から
「あのさ、トラ吉じいさんってどうやら本当に不老不死らしいよ。どうする?」
男達は一瞬ぽかんとした。
あれほど賑やかだったお料理会はしん……と静寂に満たされた。
それを破ったのは、
「本当だ!!」「トラ吉じいさんは俺たちのひいひいじいさんの時代から生きてる!!」「その知恵で
手足が落ちている分、体力も相当減っているだろうに
だが、これだけ元気なら期待できる。脂肪もあまり多すぎてはソーセージの食味が悪くなるので実に良い頃合いだ。
食欲に囚われかけた者と、不老不死の話に集中した者と、集落は二分した。
そして、不老不死の話に着目できた冷静な
痛そうな声を上げられると、「獲ってやったぜ!」と言う気持ちが盛り上がってしまう。
が、今は抑える。
周りの
「答えるのは一人で十分だ。
「い、痛……!ち、違う……!トラ吉じいさんは、霧が集まって雲になったのを食った日から老いなくなったと言っていた……!」
「ふーん?変な話だなぁ。どこでも聞いたことがない」冷静な
一番遠くにいる者は「いや!?なんだって!?」と大声を返した。
「そっちの
「あ?ああ!まかせろ!!」
そして、適当な
証言が一致する。
「ふーむ、俺たちは夜霧を毎晩見ている。だが、雲になる霧は見たことがない。本当の話なのか?」
「ほ、本当だ……!ついこの間、里のカツ太も霧が雲になるのを見て食った……!」
「そいつも不老不死?」
「……わからない。まだ時間が多くは経過していない……。だが、カツ太は確かに雲を食べている……!その証拠に、カツ太の傷の治りの速さは尋常じゃなくなった……!トラ吉じいさんと同じようにだ!きっといつかカツ太も
「なるほど。二人も霧が雲に変わったのを食べて不老不死になったか。夜霧では難しいんだろうか?昼間の霧を確かめたいが……俺たちも毎日のように昼間起きていればガタが来る……。いつでも出るものってわけじゃないんだろ?」
冷静な
「皆!
皆「いいよ〜」「一人減っちゃうけど?」「ははは〜誰かの分がなくなるぞ」「えー?皆で少しづつ量減らそうよぉ」「その分はまた今夜一人攫ってくればいいさ」と実に気楽だ。
晩御飯の肉が一切れなくなるだけで、不老不死の不思議な雲を見つけられるかもしれない。なら、それでいい。
「じゃあ、誰を食べないことにするか」
その言葉は
子供がいると訴える者、明日結婚すると訴える者、身籠っていると訴える者、まだ成人もしていないと訴える者、ばあさんに別れを言えていないという者、自分は手足が無くても目がいいと言う者、霧が出る条件を教えると言う者。
情に訴えようとしてくるが、正直別の種族で、尚且つ食糧の言うことなど全く響かなかった。
つまるところ、種族と生活、文化の違いだ。
冷静な
「お前にする。確か、ナツと言ったな」
鼻血まみれのナツは歓喜の表情を浮かべた。
他の
冷静な
トラ吉の玄孫……!!攫われたと思ったらこんなところにいたんか!
次回#157 悪魔の襲来
嫌な予感しかしない。明日です!