クルト=ドレヴァンは強烈な血の匂いに目を覚ました。
「こんな時間に……まさか、悪魔が戻ったか?」
寝床から抜け出し、強烈な光が差し込む皮扉をめくった。
同じようにして目覚めた者たちが、玄関先で辺りの様子を伺っていた。
皆悪魔の襲来かと疑ったが、改めてよく匂いを嗅ぐと、悪魔の匂いはどこにもなかった。
誰かがこんな時間に料理をしているのだろうか。
血の匂いが濃い方へ向かう。
「……ぐ」
寄れば寄るほど、想像を超える嫌な血の匂いに思わず腕で鼻を覆った。これは食欲をそそられる匂いではない。
そして、ドレヴァンはサイオーバを見つけると駆け寄った。
「サイオーバ。この匂いは一体――」
言いながら目を疑った。
家という家の玄関先に血が塗りたくられ、あちらこちらに血の水溜りができていた。
もはや、血で道ができている。
そして、玄関先にはその家の持ち主の――生首。生首は玄関先を彩る筆にされたようだった。
皮扉の隙間からは首のない胴体が見え隠れし、そこから血を垂れ流して川をつくっていた。
ドレヴァンは息を呑んで口を塞いだ。
地獄そのものの光景だった。
後ろで嘔吐する者達がいる。
そして、走って来た道を戻る者もいた。恐怖もあるだろうが、何よりも妻や子の無事を確かめるためだろう。
「だ、誰が……誰がこんなことを……!」
辺りは血の匂いが充満しすぎて、何の情報も手に入らなかった。
犯人は混乱させるため、わざとそこら中に血を塗っているのだろう。
サイオーバはその場で崩れ、「はは……はは……」と心を失ったように笑った。
ドレヴァンはこのままではいけないと自分を律し、叫ぶ。
この声を上げるのは久しぶりだ。非常事態にだけ許される遠吠え。
「オォーーーーーウゥ!オォーーーーーウゥ!!」
その遠吠えは生き残っている者達を正気に引き戻した。
ドレヴァンの下へ仲間が集まる。
「ド、ドレヴァン老!!」
皆泣きかけている。いや、泣いている者もいる。
「まずは怪我をして生き残っている者がいないか確かめろ!!決して一人になるな!!敵がまだ潜伏しているかもしれない!!何かおかしなことがあればすぐに知らせろ!!」
まだ若いキーガンは生まれたての子鹿のように震える足で、年長の
「ネヴィーヴさん、ま、待ってください!待ってください!!」
「そばを離れるな」
ネヴィーヴは手を差し出し、キーガンは縋るようにそれを取った。ネヴィーヴの手も、キーガンの手も震えていた。
二人は手を繋いで集落の中を歩いた。
知人達の生首を見るたびに、二人は絶句し、涙を流した。
目を閉じて寝たままの者もいれば、驚愕や恐れに彩られた顔のままの者もいる。
二人は皆が向かっていない集落の外側の家へ向かった。
そして、ふと一つの足音を聞き取った。
ぺちゃ、ぺちゃ、とたった一人。
生き残った子供かもしれない。
二人は足音がした方へ駆けた。
凄まじい血の匂いがしているが、嗅いだことのない匂いも、悪魔の匂いもないことは確認できた。敵はいないはず。
「おーい!!もう大丈夫だぞ!!こっちだ!こっちだー!!」
ネヴィーヴが叫び、辺りを見渡す。
どこにも子供はいない。恐怖で声が出なくなっているのかもしれない。突然大きな声を上げられて腰が抜けたのかもしれない。最後の力を振り絞り、倒れたのかもしれない。
キーガンとネヴィーヴは必死になって捜索した。
気のせいか、森の獣だったかと思い始めた時、茂みを覗き込んだキーガンの視界が回った。
何が起こったのかよく分からなかった。
そして、見慣れた顔に覗き込まれる。
「――ナ、ナツ。無事だったか!」
血塗れのナツは泣きながら笑い――キーガンの首に衝撃の熱が迸った。
熱い。熱い。熱い!
首に何が起こったのかと手を挙げ触れようとする。
が、手が動かない。それどころか声が出ない。
何が起こったのかわからない。
キーガンは助けを求めるようにナツを見つめ、視界が薄暗くなっていった。
キーガンが最後に見たものは、ネヴィーヴが「ナツ!良かった!」とナツに視線を合わせてしゃがみ――ナツが料理用の包丁を思い切り首に向かって薙いだ瞬間だった。
年老いて来たが、まだまだ現役だと自分をずっと信じて来たリドションは、息子と孫娘の生首を拾うと胸に抱いた。
「そんな……そんな……」
犯人への憎しみよりも、失ったもの達を思う悲しみに心が支配されていく。
若かった頃なら、怒りで駆け出していただろう。
だが、リドションは動けなかった。
あたりに脅威がないことが確かめられると、共に来ていた二人の仲間はリドションの肩を撫でて「あちらの家も確認して来ます……。何かがあったらすぐに呼んでください」と言い残して去っていった。
もうこの足は二度と動かないと思う。
二度とこの喉からは言葉が出ないと思う。
二度と涙が流れない日はないと思う。
ふと、リドションの肩に優しい手が触れた。
「――誰、ナツ。ナツ……」
この子は無事だったらしい。孫娘はナツが大好きだった。ナツに絵を見てもらうのが大好きだった。
「ナツ……ドゥランテが……。ドゥランテが……」
ナツはリドションの背をさすってくれ、リドションは生首を抱えて蹲るようにして泣いた。
そして、ドッと衝撃が襲った。
「――ッゲ」
猛烈な痛みが首の左半分を襲う。痛みの箇所を抑えようとすると、今度は反対側から再び衝撃が襲った。
そして、リドションはそのまま倒れた。
「骨が太い」
ナツの声が聞こえた。
意味がわからなかった。だが、あいつだ。
あいつが――。
リドションの中を強烈な憤怒が襲う。
それも束の間。リドションは二度と動くことはなかった。
向かいの家から組になっていた二人が出てくると、二人は身内の首を抱いて泣いて蹲るリドションを哀れに思い、「次……隣の家見て来ますね」と遠巻きに声をかけて隣の家へ入った。
「ここから絶対に動くんじゃないぞ!!変な匂いがしたら、すぐに呼ぶんだ!!」
父親がそう言い残し、サビーナとレマーティーは兄妹で抱き合った。
母親は父親を見送り、玄関の入り口からちらちらと外を伺った。
「か、母ちゃん!どうなっちゃってるの!!」
兄のサビーナが叫び、妹のレマーティーは不安で泣き出した。
「だ、大丈夫……大丈夫……。何人かが殺されたみたいなんだけど……。多分、大熊とかね。錯乱した何かが入って来たのかも」
「クマならすぐに皆が倒してくれる!?」
「もちろん。父ちゃんやサイオーバ老、ドレヴァン老がすぐにやっつけて、見せしめにクマを晒してくれるよ」
兄妹は少し落ち着き、互いを見て不器用な笑顔を作った。
子供達の様子に安堵し、母親は再び外を監視した。
(これはクマなんかじゃない……。ここからは何も見えないけど、一体何人が殺されたんだ……)
ふと、母親は血の匂いが近付いてくることに気がついた。さらに、嗅ぎ慣れた匂いも同時に感知した。
「――ナツ?」
皮扉から声をかけると、家の横から「おばさん、おばさん中に入れて」とナツの声がした。
母親はそっと皮扉を開いた。
「ナツ!あんた、そのカッコ……!」
家の陰に入るように立つナツは、護身用に持たされたのか、包丁を手に、全身が血まみれで目の下だけが綺麗だった。
涙が何度も伝ったのだろう。
「怖かったね!?さあ、中へお入り!!」
「本当に怖かった」
ナツを家に入れると、子供達は「ナツ!?」「怪我は!?」とナツへ寄った。ナツの後を小鳥が追いかけ、ともに入ってくる。
ナツは首を振った。
「大丈夫。私はどこにも怪我をしてないから」
「良かった!誰かのそばにいたの?」
「うん、さっきまでリドションといたの」
「も、もしかして……もしかしてその血……リドションさんの……」
レマーティーが言うと、ナツは泣きながら笑い、「そう。リドションの」と言った。
母親はゾクっと背を振るわせた。
つまり、リドションを殺した者がすぐそばに来ているかもしれない。逃げ延びたナツを追って。
「は、犯人は!?どんなだった!?」
母親が言う。
ナツは「私からは見えない」とだけ答えた。
誰が、どんな生き物が敵なのかすらわからない暗闇の戦いだ。
母親は明るい外に出ると、何もこちらへ向かっていないことを何度も何度も確認した。
ナツを追って敵が来ないとすると、敵はナツを見失ったか、
やはり悪魔の仕業ではないだろうか。悪魔の匂いはしないが、血で分からなくなっているのかもしれない。特に、悪魔は昨日の夜ナツと一対複数になった檻の中でナツを襲わなかった。
ナツは悪魔の捕食対象ではないのだ。
母親は注意深く外を見張ったまま、後ずさるように家に入り――転がった。
「……?」
声は出なかった。
いつの間にか自分の体を見上げている。
訳がわからない。顔のない自分の体だ。
そして、自分の体はバランスを崩して顔に向かって倒れた。
ドチュッンと、大好きな肉料理を作る時に聴き慣れた音がした。
体がぶつかった拍子に、顔はごろりと反対を向いた。
首のない子供達の体があった。
ナツは鼻歌を歌い、母親の大切にしている大包丁を手に取った。母親はとても料理上手で、いつも包丁係だった。よく研がれた美しい包丁だ。
「次はこれをもらって行こう。また随分切れなくなったし。えーと、これで何丁目かな?」
そして、包丁にナツの顔が写り――包丁越しに母親はナツと目があった。
「あ、犯人の顔、私からも見えたね」
ナツは清々しく笑うと、家を出ていった。
思考する力がない。
母親は何も思うことすらできずに息を引き取った。
次の不老不死こそ彼と目されるガルドルフは、隙なく辺りを見渡していた。
ガルドルフは魔法も使えるし、肉体も人一倍大きい。
一緒に同い年の仲間が四人も来ている。
「こっちに生き残った者はいないな……」
あまりの惨状にガルドルフは目を覆いたくなった。
これは食べるために殺されているわけでもない、ただの無意味な殺戮だ。
ガルドルフ達は一度来た道を戻った。
そこで、家から出てくるナツを見た。
「ナツ?ナツ!」
ナツはハッとガルドルフ達を見ると硬直した。
まるで人の前を横切ろうとした猫だ。
ガルドルフ達は血に塗れるナツに駆け寄った。
「ナツ、お前どうしてここに!そうだ、ドレヴァン老がお前の家を見に行っているはずだ!無事だと知らせなくちゃ」
ナツに手を伸ばし、ナツが包丁を握りしめている事に気がついた。
それは、この家に住む――イルムーガの包丁のはずだ。
イルムーガには子供も二人いる。先ほど父親ともすれ違った。
「ナツ、なんで包丁なんか」
「敵討」
その言葉はガルドルフの胸を熱くさせた。
「あぁ……あぁ……!大丈夫だ。必ず敵を討とう!!」
それと同時に、「――イルムーガは、もしや……」
ナツは頷き、とぼとぼとガルドルフのそばを離れて歩き出した。
ガルドルフは四人の仲間に「……確認してくれ」と頼んだ。
三人一組になるように分かれていく。
三人は家の中へ向かい、ガルドルフともう一人の仲間はナツを追った。
ナツはぶつぶつと何かを言っていた。
「許さない……。仲間を殺した罪……。それで生きながらえた命……。一人も許さない……。私の時間……。許さない……」
ガルドルフも気持ちは同じだ。
ナツは自分が起きている時間に惨劇が起きたことに胸を痛めているようだった。
「ナツ、あまり自分を責めるな。爪も牙もないお前には何もできない」
ナツはか弱い。体もとても小さいし、一体どんな敵なら彼女に倒せただろう。
そして、ナツは「あ!」と森の方を指差した。
ガルドルフと仲間は隙なく森を睨みつけた。
空からは変わった色の、赤と緑の羽の鳥が飛んできて――「ッボ」と言う仲間の声がして振り返れば、ナツが仲間の首へ、前面から思い切り包丁を振り抜いたところだった。
意味を理解するのにわずかな時間を要する。
だが、ガルドルフは早かった。
「ナツだ!!ナツが――!?」
仲間に全てを知らせようと声を張り上げたが、森の入り口からアンデッドが姿を見せた事でガルドルフの聡明な脳は混乱の極致に至った。
そして、ガルドルフの喉に信じられないほど重たい一撃が加わる。
包丁は頸椎で止まったが、気道、食道、動脈、静脈、全てを断ち切っていた。
首から血が吹き出して行く。
首に食い込んでいる包丁を取ろうとしながら、ガルドルフはその場に倒れた。
このアンデッドのせいでナツは狂ったのだろうか。
とにかく、誰かに伝えなければ。
ガルドルフはかろうじて動く指で、地面に「ナツ、犯人」と書き付けた。
そして、その手は踏み潰された。
「敵討に協力してくれるんでしょ。そう言うの、やめてよ」
ガルドルフはもう力が出なかった。
首に食い込んでいる包丁をギコギコとナツが引き抜こうとする。
痛みすらもうない。
ガルドルフは眠った。
ナツは包丁を取り返すと、一人目を殺し始めた時よりもよほど軽くなったように感じる体で森へ振り返った。
「――死神?」
アンデッドはじっとナツを見下ろしていた。
「……死神の一種と言ってもいい。お前は
ナツにアンデッドの言葉の意味はわからない。
どこからどう見ても――
「
ナツは血まみれの包丁をピッと横に振り、血が吹き飛んでいくのを見て笑った。
最初はこの包丁も持つだけで手も足もガクガクと重さに負けていたというのに、十人を殺した頃からか、包丁はどんどん軽くなっていき、ついには片手で持てるほどになった。
最初のうちは母子だけの家を狙って、まずは脅威になる母親を殺し、次に子供を殺してきたので両手で持っていても何とでもなったが、男達相手にも軽々と殺せるようになってしまった。
もはや何人殺したのか分からない。
百だろうか?二百だろうか?それとも、三百?
ナツは殺した人数を思うと、幸せに背中がゾクゾクと震えた。
皆、目の前で仲間が死んで、血が流れるところを見て混乱と恐怖に陥っている。
そうだ!この顔が見たかった!!
ナツは肩からピスケを下ろすと、足元に転がるガルドルフの生首にそっと差し出した。
ピスケはチュ?と首を傾げ、すぐにガルドルフの肉を啄んだ。
ナツに
だが、ピスケは喜んで食べてくれているので良かった。
やはり殺生は食と共にあるべき。
食われる気持ちはどうだ。
ナツは「はぁ〜」と幸せの吐息を漏らした。
「その皮膚の色、
アンデッドが言う。
鳥とはさっきの緑と赤の鳥のことだろうか。
だが、それよりも、皮膚の色がなんだと言うんだろう。
ナツは血に塗れて真っ赤になった自分の皮膚を見下ろした。
血で染められている。――いや、違う。
ナツはガルドルフの毛皮でごしごしと手を擦った。手の赤は取れることなく、赤銅色のままだった。
爪も、信じられないほどに長く鋭くなっている。
力が体の中を迸るようだ。
ナツはもっと殺さないと、とガルドルフの顔を捨てて立ち上がった。
「アインズさん、こっちこっち。あれあれ」
ナツはその声を聞くと心臓がバクバクと音を鳴らした。
「あ、食ってんのか」
振り返った先では、紫色の皮膚に白い翼を背負う、見たことも聞いたこともない種族。
ナツは何故か、その姿から目を離せなかった。
とてつもない憧れがナツの身を覆う。信じられないほど美しいが、それよりも、何故かこの人に従いたいと思わずにはいられなかった。
憧れの君は少し離れたところで見たこともない鳥が死骸を食っているのを眺めていた。
いいぞ、もっと喰らえ。
ああ、いつまでも眺めていたい。
ナツを連れて行ってほしい。
じゃり、と一歩近づくと――「ナツ!!」と、聞き知った声が響いた。
ナツはこの幸福な時間に水を指すのは誰だと、ぐりんと首を回した。
「……ドレヴァン」
堕ちてますねぇ〜〜。
殺しすぎてレベル上がりまくりじゃないですか。ということは殺人鬼ってかなりレベル高いんでしょうか?
皆さんもう少し人を疑うことを知ってください!
7/8 usir様におナツの挿絵をいただきました!!
こりゃもうびっちゃびちゃでいいですね!!!
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