「あ、あー……んん。すまないな、戦士長殿。君の大切な決断の時に」
アインズは骨の頬をぽりぽりと掻いた。
「あ……いや、気にしないでくれ。魔導王陛下」
「ゴウンで良いとも」
「はは。ゴウン陛下……。王国には、あなたを誤解した者が多くいるが、私はあなたの慈悲深さをよく知っている。だからと言うわけではないが、申し訳ない。私は王の剣。王から受けた恩義に懸けて、これを譲る事はできない」
そう言うガゼフは困ったように笑っていた。
「見てください」
場違い娘のフラミーが手の中に持っていた写真を見せる。
そこにはいつもと変わらないアインズと、何故かしてやったりと言う表情のレエブン侯、複雑極まる王の顔、そして、アインズの手を見つめて――驚く表情の中に歓喜が覗き見えるガゼフが写っていた。
ガゼフは光の神が見せた自分の本当の感情に言葉を失った。
自分は、この王の中の王に誘われた自分を誇らしくなってしまったのだ。
フラミーはまじまじとカラー写真に見入る戦士長に、満足げに頷く。
「いい写真ですよね。焼増しできるようになったら差し上げます!」
フラミーはガゼフと国王を順番に眺めたのち、レエブン侯をちらりと見ると、この人は誰だろうと思った。
アインズはせっかくシリアスなシーンだったのに、と一瞬思ったが、もうすっかりおかしくなってしまった。
「はは。ランポッサⅢ世、戦士長殿。私の国では皆自由だよ」
周りにはまるで眠っているように綺麗な死体の平原が広がっている。
そして、視界の端に映るおぞましい黒い仔山羊と、ぐちゃぐちゃに砕かれた王国の腐敗の象徴たる貴族達。
濃いという言葉を遥かに通り越したところにあるほどの濃密な血の臭い。
国王は目を瞑った。これはきっと罰なんだろう。
国民も貴族も御しきれなかったくせに、何かを守った気でいた自分への。
「自由……。久しぶりに聞いたような気がしますな……」
王は言葉を絞り出した。
「……分かりました。我がリ・エスティーゼ王国は、これより貴国の言葉に従いましょう……。属国化を……」
完敗だった。
「…………え」
アインズはこんな重要な事を一人で決めるのはまずいとなんと返答すれば良いのか分からなかった。
姫を仲間にしたいと思っていたアルベドやデミウルゴスはそうなってしまっても姫と良好な関係を築けるだろうか。
割と仲良くしているようなのに、ここで新しい友情に疵をつけるような真似は避けたかった。
ここは言葉を濁すなどの手段で逃げるべし。アインズは方針を決めた。
「これほど重要な話を口頭だけで進めるのは危険だ。きちんとした場で文面に残して行おうじゃないか。」
ランポッサⅢ世が了承すると、ガゼフもレエブン侯もホッと一息ついた。
王国にはこれで家長のいない貴族と、男手のない農家しか残っていないのだ。
レエブン侯は王女との秘密の約束がこれで果たせたことに安堵した。
姫を送り出す協力は容易だったが、あの宣戦布告じみた手紙を貴族の代表者から出させるのは中々骨が折れた。
自分の頑張りを心の中で褒め、自分と妻、愛する息子――リーたんとの約束された未来に早くも想いを馳せる。
そして、同時にこれだけの力を行使する相手のことを、リーたんに正しく伝え話して聞かせる必要があると確信する。
アインズは詳しい話はまた後程と言い残すと、フラミーと共に後ろに下がって行った。
そして、アインズは子供のようにフラミーの耳に手を当ててこっそりと耳打ちした。
「フラミーさん、あれお願いします」
「あれです?」
「神話に付き物の」
フラミーは何を言いたいのか悟ると、バッとアインズの方を向き、げぇ……と嫌そうな顔をした。
「こんなに無理ですよぉ。私、死んじゃいます……」
「ふふふ、そう言うと思いました。なので実は俺、今回は作戦考えて来たんですよ。想像よりたくさん死んじゃいましたけど」
そう言うと、アインズはユグドラシルの、上から数えたほうが早いほどに高価なスクロールを取り出した。
「まさか……アインズさん……」
アインズがニヤリと笑った気がした。
「アルベドとデミウルゴスの初めての現地のお友達のために、やってやろうじゃないですか!」
娘と息子の心優しいお友達のためならばと、いつもは勿体ない病のはずのパパだが、大盤振る舞いを決めていた。
アインズの手の中のスクロールが空中で燃えて消える。
ザッと音を立てて現れたのは最高位の天使が複数体。
「お友達のため……。――シャルティア!!デミウルゴスさん!!マーレ!!」
フラミーは街に向かって魔力の多い守護者を呼ぶと、自分たちが呼ばれたとすぐにわかった守護者三人が走ってくる様子を確認した。
杖をギュッと両手で握ると破れかぶれに魔法を唱えた。
「<
はははと笑うとアインズも二本目のスクロールを燃やす。超位魔法を打てればアインズでもスクロールなしで天使は呼べるが、今はクールタイムだ。
アインズの隣でフラミーも魔力がなくなるまで高位の天使を呼び続けた。
そして天使にも天使を呼ばせる。
そこには、もう数えきれない量の天使が現れていた。
フラミーはこんなもんかと目の前の天使軍団を見た。
「それじゃあ皆さん……!行動を開始せよ!!」
「あ、それ懐かしいですね。」
楽しそうな支配者達は、今その手で命を奪った人々を無差別に生き返らせていった。
アインズは復活魔法を持たない為自分の天使に指示を出すだけだが。
大歓声とともにエ・ランテルから人々が走って溢れ出して来る。
それを一瞥もせず、シャルティアに魔力を渡されながら、フラミーは天使に混じって一心不乱に人を生き返らせた。
悪魔なのに……悪魔なのに……とぶつぶつと文句を言い、時にひぃーん!と泣き声をあげながら。
アインズは、デミウルゴスとラナー王女の「お見事です」と言う言葉にそれはそれは満足げに頷き、一番の感謝はフラミーへ、と駆けずり回る女神を指し示した。
大切な子供達の友人に微笑む。顔は動かないが。
そして、可愛い仔山羊達をナザリックに送ってやった。
生き返らされたものは、これまで自分の身に起こっていた恐ろしい事実をエ・ランテルの街の人々に肩を預けながら教えられた。
神官達は復活したばかりでふらふらの人々をこぞって回復した。
以前フラミーに命を奪われた――事を知らず、救われたと信じて疑わない――ンフィーレア・バレアレと、モモンに報酬をごまんと渡したリィジー・バレアレも大量のポーションを馬車に乗せ、人々に配って歩いたが、とても量が足りず、最後は薬草をそのまま配って回った。
皆が神官とバレアレ家に大層感謝した。
粛清に来たはずの兵士を何の憂いもなく手助けする人々のその姿はあまりにも美しかった。
やっと人は一つになれるのかもしれないと思わせるほどに。
聖典達は殆ど儀仗兵扱いだったことに、もっと役に立ちたいと不満を抱いていたが、全てがもうどうでもよかった。
これを本国で伝えることが今回の自分達の役目だと思い至ったのだ。
この素晴らしい光景を、神殿から巫女姫を介して見ている神官長達は生で見たかったとさぞ悔しがっていることだろう。
蒼の薔薇は、いつの間に現れたのかリグリットを伴って顔を青くするフラミーに近付いて行き、跪いた。後にも多くの冒険者達が続く。
「復活の神フラミー様、貴女様のお力をお借りしている蒼の薔薇、ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラです。足元にも及ばぬこの力ですが、是非お使いください」
「このリグリット・ベルスー・カウラウも捧げましょう」
「私はイビルアイ。私も捧げるぞ」
フラミーは三人と、その後ろに同じく跪く冒険者達を見た。
正直、第九位階の復活魔法一人分にもならなそうだと思う。
しかし断って食い下がられても面倒だ。
「あぁ、ありがとうございます。ラキュースさんリグリットさん、イビルアイさん。じゃ失礼して……<
フラミーが手の平を向けると冒険者達はばたりと息絶えたように倒れた。
慌てる双子忍者とオーク戦士に、倒れた三人は大笑いしながら「ほんとに根こそぎ全部持ってかれた」と告げた。
その後、昼前から始まった地獄の復活作業は数えきれない量の天使を伴っていながらまるで終わる気配がなかった。
街の人々は日が暮れても、月が昇っても続くその作業を前に、もう冬の近付いた寒空の下毛布やスープを持ち出して、復活後の動けない人々に分け与えたりしていた。
魔力切れを起こした天使が、復活させられた人々を街の者達の前にどんどん運んでいく。
エ・ランテルの人々は皆また思い出していた。
ザイトルクワエに何もかもを奪われ、身を寄せ合って南広場で食事をとることだけを楽しみに生き凍えながら眠っていた日々を。
それは確かに強い痛みを伴う日々だったが、神聖魔導国があったから、闇の神・神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王がいたから、光の神・フラミーがいたから、常に希望を胸に抱いていられた。
今と同じように決して一人ぼっちになる者はいなかった。
町中の、老若男女問わず、子供すら眠らず神々と天使達へ祈りを捧げた。
守護者達からも受け取った魔力が空っぽになる頃、フラミーはぺたりと床に座った。
「ひぅ……。ちょっと……休憩です……」
アインズは顔を青くするフラミーの前に膝をつきしゃがんだ。
「……や、やっぱりちょっと多すぎましたね……?すみません……」
天使すら魔力がなくなっている。フラミーも魔力の欠乏から調子が悪そうだった。
「フラミーさん、こんなもんにしましょう。本当にありがとうございました」
「……でも、子供達のため、子供達のお友達のためですから、頑張ります」
フラミーが立ち上がろうとすると、アインズは手を差し伸ばした。
「俺の魔力も使ってください」
そして日が昇る。
昼前になり、漸く終わりが見え始めると、たくさんいた天使達は時間制限を迎え光の粒となって消えて行った。
そんなことには目もくれず、フラミーはアインズと手を繋ぎ、法国のギルド武器破壊以来アインズの無尽蔵に尽きることのない魔力を直に使いながら人を生き返らせ続けた。
あともう少し程度、と言うところまで来ると、フラミーは輝き宙に浮かんだ。
人々が眠い瞼をこすって様子を見ていると、光はパンと弾け、六枚三対だったはずの翼は一対増え、八枚四対になった。
フラミーはしばしアインズと何やら盛り上がった後――再びアインズと手を繋ぎ直すと、一度に十人もの人々が動き出した。
その日の夕暮れ時にはついには全ての人を生き返らせた。
と、言いたいところだが殆どの貴族は生き返らなかった。
その恐ろしい経験から、復活を拒否し、灰となって消えた。
魔導国へ謝罪しなければならないと思い至ったものや、恐れよりも愛する家族を思い出したもの、王の役にもっと立ちたいと思ったもの。
善良な一握りの貴族が息を吹き返したのだった。
フラミーさん、何か未発見のクラスを獲得!