「一郎太君、どうだったんだい!!」
「キュー様、仮面まで取ってミリガンと話してた!!」
「え!それは!!」
カインと、戻ってきた一郎太は大盛り上がりだった。
ナインズは腕輪をした抑制状態で<
「まさかキュータ様の女の子の趣味がああ言うタイプだったとはね」
「そりゃ今まで全然ダメだったわけだよなぁ!意外だよなぁ!」
「本当に!ちょっと芋っぽいっていうか、田舎くさいようなね。ある意味純朴に感じるのかな?そばかす顔だしね。おっと。もしお妃にでもなったら不敬になってしまうね」
「へへ。あんまり洗練されてない方がいいんだな!」
この二人、青春エンジョイ勢だった。
一方ナインズはまたワルワラに絡まれた。
「スズキ!あんなすごい<
「つ、使えたり使えなかったりなんだよ。僕ってそういう要領悪くって。えーと、なんだっけ。星のめぐりとか、なんかあるんだよね」
「本当だろうなぁ?」
「ほ、ほんと。魔力のちょうど良い量がなんか難しいよね。ははは」
「……魔法の感覚が
「ま、まぁね〜」
ワルワラは勝手に納得した。
授業はどんどん進み、昼休みになるとワルワラに誘われて学食に行った。
ナインズは学食をまだ使っていなかったので物珍しそうに辺りを見渡した。
「うわ〜。なんか懐かしい雰囲気だねぇ」
「そうか?」
小学生の間、一年の頃はよく学食で皆で食べたが、学年が上がれば上がるほど、応接室で友達たちと食事をすることが圧倒的に多くなっていた。
ある意味、ナインズにとって学食は割と憧れの場所かも知れない。
小学生の頃は分別のつかない子供も多く、仮面を外すとサインだの何だのと言う子も多くて息苦しいこともあったが、流石にこの年になれば大丈夫だろう。
事実、神都生まれ神都育ちの子達は無意味にナインズがナインズであるとは言いふらしていないようだったから。たまに廊下で挨拶をするが、子供の頃よりもっと自然で、優しい関係だった。
言いふらしたら誰が言ったのか神に見破られると思っているのもあるかも知れない。
各々食事を受け取り、良いところを探す。小学校の頃と違って学年が入り乱れていた。
空いている席に適当に座ると、ナインズは仮面を少し浮かせ、念の為顎の下からフォークをいれてみた。
「うーん、ダメか」
「キュー様またそれ試してるの?」
「子供の頃より上手くできるかと思って」
「無理でしょー」
二人は笑い、ナインズは大人しく仮面を外すことにした。
向かいに座るカインも懐かしいものを見る目で眺めた。
ワルワラはとりあえずお茶をすすりながら手元のノートを開いていた。実技の間に適当にメモしたことを、要点をまとめてノートに写そうというのだ。真面目だった。
「キュー様、それ外したら俺が持っといてあげますよ」
「別に置いといても良いんだけどね」
「なくなりますよぉ?な、カイン」
「ちょ、取ったりしないよ」
「はははは」
もう何年も前の事を笑って話せる友達がいるというのは良いものだ。ワルワラはさっぱりした性格で、自分の付いていけない話がある事を一つも気に留める様子はない。
ナインズは仮面を外すと、一郎太に渡した。
「うん。やっぱりない方がいいね。別に視界が狭くなったりするわけじゃないけどさ」
「本当ですね」
「ん?スズキも流石に飯の時は仮面――ん?」
ワルワラはノートから顔をあげ、繁々とナインズを見た。
「……な、なに?僕、あんまり見られるの得意じゃないんだけど」
「んー?」
ナインズは、やっぱり学食は早かったかなぁと思いながら、フォークを咥える。どことなく上目遣いでワルワラを見上げると、ワルワラはドッと笑い声を上げた。
「お前!!女みたいな顔してるな!!」
「な、なんだよぉ……」
「その潤んだ目!!綺麗な顔してるよお姫様!!」
「おい、ワルワラ流石に不敬だぞ」
「ははは!はははは!首席は一体何を隠してるのかと思ったら、その絵みたいな面だったか!!」
想像とは違った笑いに、ナインズも一郎太もカインも、ある意味ホッとしていた。
ナインズがこうして髪を伸ばしているのは、髪を切ると随分と父に雰囲気が似てしまう気がしているからと言う側面もある。子供の頃のおかっぱ頭に慣れすぎていたのもあるが。
髪の毛で随分印象が変わる。皆、父王の人としての姿はお写真の小さな静止画の中でしか見たことがないので、ナインズが思っていたよりも顔だけでは気付かれにくいのかもしれない。神殿に置かれている像はどれも骸骨だ。
神の子がいると最初から噂になっていた小学校の時との違いというのも実感した。
「ワルワラだって綺麗な顔してんじゃん。羨ましいよ。男らしいのにさ」
ナインズが言うと、ワルワラはニッと笑った。
「お前、ちょっとひょろひょろしてるもんな。スルターン小国じゃ、男も女もこんな風に上半身を隠し切ったりはしないぜ。当然ズボンは履くが、皆自慢の肉体の上に直接金銀財宝を着けるんだ。日焼け防止のために遮光ローブを羽織ることはよくあるけどな」
「へぇ〜。今度見せてよ。カッコ良さそう」
「良いぜ。夏になったらスルターン小国にも行こう。案内してやるよ」
「わ、外国かぁ!そう言うの良いねぇ。ふふ、学園生活学園生活」
ナインズは嬉しそうに食事を進めた。
そうしていると、ワルワラの背後にクレント教諭が立って、じっとナインズを見ていることに気がついた。
「――んと、クレント先生、何か?」
「――あ、いや。スズキ君、つい懐かしいと思ってね」
「ごめんなさい。僕たち、授業じゃないところで……どこかで会ってましたっけ」
ナインズが覚えていないだけで幼い頃に催されていた誕生会などで会っただろうか。それとも、たまに第六階層で行われている支配者たちのお茶会にいたか。
一生懸命考えたが、ナインズの記憶の中にジーダ・クレント・ニス・ティアレフの顔は出てこなかった。
訝しむような顔をしていただろうか。
クレント教諭は笑った。
「いや。何でもないよ。昔、君のお父上を馴れ馴れしくスズキと呼ばせて頂いた事をつい思い出した」
「――あ、そっか。そうでしたね」
「そう言うことさ。じゃあ、午後も励みたまえ。私は午後は師と魔導省に戻らなきゃいけない」
「はい、ありがとうございます」
「ふふ、痒いな」
彼の師――フールーダは女の高弟と話をしながらクレント教諭を待っているようだった。
「それじゃ」と言い残し、彼はナインズのそばを立ち去って行った。
その様子を見ていたワルワラは実につまらなそうだ。
「スズキ、そう言うことか」
「ど、どゆこと?」
「お前の父親は魔導学院出の魔導省勤めか」
「んー、そんなとこ」
「ち。将来を約束されたエリート二世だな」
「……どうだろうねぇ。僕は将来、何になるんだろう」
ナインズがため息混じりにフォークを置くと、一郎太は心配そうな顔をした。
「ナ――キュー様、何かなりたいものがあるんですか?」
「いいや。僕は何にもなりたいと思えていないよ。しかしならなければならない目標とやらなくてはいけない事は見えているつもりではいる。だがな、頂が高くて、たまに目眩を覚えるよ」
「……あんまり気負わない方がよろしいかと思いますよ。御身がされたいと思うことであれば、お父上とお母上であればお許しくださいます。もし、今のその目標を途中で放棄しても、笑ってよしと言ってくださいます」
「……実は私もそうだろうと思う。だからこそ、私は挫けてはいけないんだとも思う」
ナインズが言うと、カインは食べていた手を止め深々と頭を下げた。
「キュータ様、どうぞもう少し放埒であってください。少なくとも、今のあなたはそれを許されます」
「……二人とも気を使わせたな。やれるだけやってみるよ。普通にしてくれ」
「へーい」
「はい」
ワルワラは三人の様子は少し尋常じゃない気がした。とにかく、何か地雷を踏んだことは確かだ。
「親がお偉方で大変な事もあるんだな。勝手な事を言って悪かったよ。放埒さで言えば俺はかなり放埒だから、俺といれば大抵の事は馬鹿馬鹿しく思えるぜ?教えてやるよ」
「それは期待しちゃうなぁ」
ナインズがへらりと笑うと皆安心した。
アガートは授業が終わると、最近持ち歩くようになった小さな手鏡を取り出してせっせと前髪を整えた。
リップクリームを塗って、本当にこれで大丈夫か何度も確認する。
「レイ!どうかな!」
「あんたなりの百点!!」
「私なりかーい!」
もっと良い褒め言葉はないのだろうか。血に汚れた白衣を丁寧にたたみ、カバンにいれる。なぜこう言う時に限って荷物が多いのだろう。
皆帰り支度を始め、教室内は雑然としていた。
ふと、クラスのマドンナのミルリルの声がした。
「今日私たち学食でスズキ君の顔見ちゃったんだぁ!」
アガートの耳が象のように大きくなる。自分だけが知るあの顔を見られてしまったかと思うと、複雑な気持ちになった。
「えー!どうだった?ガリ勉っぽかった?」
「ううん、びっくりするくらいイケメンだった!」
「うそー!ミルリルが言うほど!?」
「うん!!本当にびっくりした!!明日は皆で学食行こうよ!見る価値しかない!!」
キャピってる。
アガートも彼の顔は素晴らしいと思うが、そんな事を声高に宣言したりするのはどうかと思う。特に、目立ちたくないと言っているのに勝手に喧伝されて可哀想だ。
どんどん支度を進めていると、レイは「なるほどなるほど」と頷いていた。
「仮面を取ったらもっと目立つって、ああいうことっすか」
「そゆこと。あいつの顔は本当に信じらんないくらい綺麗なの」
「明日から学食いく?」
「……行く」
「じゃなきゃ悪い虫が付きそうっすもんね」
「うん」
よっこらせ、と二人で荷物を背負い込む。
ちょうどその時、コンコンコン、と教室の後方の扉の縁がノックされた。
騒めいていた教室内で皆が振り返る。そこにはキュータがいた。
ミルリルが飛び上がり、キュータへ駆けた。
「スズキ君!どしたの!!」
「やぁミルリル。あれから手は痛くなってない?」
「う、うん!平気よ!ほら、柔らかいまんま!」
ミルリルは触ってくれと言わんばかりに両手をキュータに見せた。キュータはミルリルの手を取って傷がない様子を確認すると笑った。
「良かった。初めて鋸なんか使うとね。こう言う綺麗な手は痛くしやすいから気になってたんだ。でも、きっと少しづつ皮膚が厚くなっていくからね」
「……もしかして私のために来てくれた?」
可愛すぎる仕草でキュータを見上げる。キュータは「いや?」とあっけらかんと言い放った。
「今日はミリガン嬢を迎えに」
「……ミリガンさん?」
「あ、いたいた。ミリガン嬢、行く?」
「行く!!」
アガートはレイに挨拶する事も忘れて扉へダッシュした。
「君は入学式じゃなくても随分と荷物が多いんだねぇ。今日行ったらまた疲れるんじゃない?」
「いいの。薬学科だからいつもだもの」
ミルリル含め、皆の目が集まる。アガートは「さ、行くよ!」と颯爽と扉を潜った。が、キュータは動かなかった。
「友達は良いの?」
「ん?」
「あの子、一緒にいたけど。おーい、君も行くんじゃないの?」
キュータが声をかける先にはレイがいた。「ヤバ」と声をあげて鞄で顔を隠していた。
これはデートなのではと思っているのに、レイがいては――「ゲイリンさんも行くんだよね!二人いつも一緒だもん!!」ミルリルがわざわざレイの腕を掴んで扉まで連れてきた。
この女、オリビアやクラリスとかいう女子とは違って平気で邪魔をするらしい。
「あー……えーと、レイ・ゲイリンっす」
「よろしく、僕はキュータ・スズキ。あっちは一郎太」
と、示す先には一郎太もいた。
「あちゃー!」と顔に手を当てていた。
本当にあちゃーだよ。
人数も四人になると、「スズキ君、いってらっしゃーい!」とミルリルが手を振った。キュータも平気な顔で手を振りかえしている。
四人は出発した。
「……キュータ、全員にそんな真似してんの?」
思わずアガートの口から不満が漏れた。
「ん?そんな真似って?」
「女の子の手触ったり手振ったりさ。そんな事ばっかりしてると、いつか泣かれるよ」
「え……泣かれるの?」
キュータが目を白黒させている。アガートはやってしまったと言ってから思った。
「えーと!!スズキさんは神都育ちなんすよね!!」
「あ、うん。そんな所だよ。ゲイリン嬢は?」
「自分はレイでいいっす!私はブラックスケイル州のイサクションから!」
「黒き湖に近い方だね」
「へい、人も少ない田舎っすよ。私が生まれた時にはもう何ともなかったけど、昔は酷く戦争してたとか、悪魔が出たとかで随分人口が減ったらしいっす。もーうちの方じゃ、イサクション出身って聞いたら皆親戚かーなんつったりして」
なはなは、と気まずそうにレイが笑う。アガートの失態をなんとか水に流そうと必死になってくれている。キュータも釣られるように笑ってくれた。
「僕も、どちらかと言うと本当はそう言うところの育ちって言えるかもしれないな」
「なはは――へ?神都育ちなのに?」
「僕は神都と、もっと人の少ないところで育ってるんだ。一郎太なんか、僕から見たら本当親戚か兄弟だよ」
一郎太は軽く手を挙げて応えるに留め、特に何も言わなかった。
「そーなんすか?」
「うん、落ち着くよね。でも、やっぱり人が多いところも好きだな。ワクワクするよ。君ともこうやって話せたし、色んな話を聞けるしね。本とか、紙の上にはないことがたくさんあるって思わされる。都会が好きな愚かな若者だって、きっと大人は思うんだろうけどさ」
「……大人なんか、関係ないすよ。私も、田舎も落ち着いて好きだけど、キラキラして人に溢れる神都ってやっぱりワクワクするっす」
「だよねぇ」
「はいっす!」
四人は校門を出ると、キュータの向かう方に合わせるように雑貨屋に向かった。
自然とキュータと一郎太が前を歩き、二人で話し始めてしまうと、レイはアガートの隣を歩いた。
「本当、最初に思ったより首席も悪いやつじゃなさそっすね」
あんなにチャラチャラしてそうだのなんだのと言っていたくせに、爆速の手のひら返しだった。
「……はぁ。こうやって人の心集めていくわけだね。キュータって」
「いやー、スクールカーストトップって感じした。バロメッツちゃん達運ぶの手伝ってくれてる時もやっぱり別世界の野郎かなと思ってたんすけど……なんか共感してくれたりしてまじですごい。なんかもう友達って思わされたっす」
「惚れないでくれぇ。もうこれ以上やめてくれぇ……」
「いや……自分には不相応っすから。あんたさんもだけど」
アガートが頭を抱えていると、一郎太とキュータが先で立ち止まって待ってくれていた。
一行は雑貨屋に着いた。
「いらっしゃい。――って、こりゃ!ぼっちゃま!?そのお面、ぼっちゃまじゃないですか!?いらっしゃいませ!!お久しぶりですね!!」
雑貨屋の店主が嬉しそうにカウンターの向こうから出てきた。親はよほど顔が広い豪商か何かなのだろう。
「お久しぶりです、おじさん。いつもの飴四つください」
「はいはい、いやー懐かしいですねえ。三年ぶりかな?イシューは今もよく来ますよ!」
「ははは。本当に?こないだ入学式の後に皆で昼ごはん食べた時は飴咥えてなかったけどな」
「ぼっちゃまの前じゃしおらしくしてんですよ。今もじいさんの設計事務所行く前に寄って飴買ってって、椅子の上にあぐらいて飴咥えながら図面見てるってんだから呆れたもんだ。とは言え、男まさりだけどね、奴も男ってわけじゃないんですよ」
「男まさりねぇ。僕は男だ女だって参ったよ。同じ生き物じゃダメ?うちの母様もそうだけどさ、女も男もないって思っちゃうけど」
母親が女も男もないとはどう言う事だろう。それは昔馴染みらしい店主も思ったらしい。
「うーん?ま、そりゃダメでしょう。なんて、ぼっちゃまに説教なんかしちゃ怒られますかね?」
「いいや。何でも言ってほしい。ついさっきも、女の子に手を振ったりしてると泣かれるって向こうの子に怒られたとこ。でも、それってどゆこと?」
「ほ?はは。そりゃ、少しづつ分かって行くもんですよ。まぁ、ぼっちゃまなら百人や二百人くらい許されると思いますけどね。とは言え大事にした方がいいですよ。本音を言ってくれる人は」
「よく分かんないけどそう言うものなんだろうと僕も思う。こんなこと言われたのは初めてだったし。うーん……考えてみたら、この仮面も変って言われたし、変質者とも言われたな」
「そ、それは……参りましたね?」
「あぁ、参った。新しい文化圏の新しい価値観かね?」
キュータがぼつぼつと愚痴を言いながら飴を受け取ると、アガートは顔を赤くして小さくなった。
「……あんたそんなことまでスズキさんに言ってたわけっすか」
「言った……」
「面白がってもらえるうちに直さにゃただのうざいやつになるよ」
「反省してます……」
アガートは誤魔化すように指先をちょんちょんと合わせた。
「ん、二人ともあげる」
キュータはそれぞれ飴を差し出してくれた。
すぐに受け取ろうとすると「あ」とキュータは飴を高くして、渡してはくれなかった。
「……飴あげるなんて、女の子は泣く?」
アガートは私以外の女の子と言わなかった事を後悔した。
「す、少なくとも私は泣かないから」
「飴は泣かないんだね。レイは?」
「自分も泣かないっす。でも、一応聞きますけどスズキさんは彼女さんとかいないすよね?」
「いないぜ、キュー様にそんなの。それに、正直言えばそんな事で泣くような奴はキュー様の隣は無理かもなぁ」
飴を舐める一郎太が横から口を出す。アガートは味方になってくれていた一郎太が突然距離を取ってきたような気がして、悲しくなった。自分のせいだが。
「ミリガン嬢、気にしてるの?」
「……ちょっとだけね」
「気にしないでいいよ。君は君の思うようにしててくれれば。皆同じじゃゴーレムと変わらないし」
「キュータぁ。ふぁ〜ん、ごめ〜ん」
アガートが思いがけずポロポロ泣き出すと、キュータはギョッとしたのか肩が跳ねた。
「っい!?な、なんで!?どしたの!?」
「キュー様、女子泣かしてやんの。イオリエル以来じゃん」
「イオリを泣かせたのは一太だろ――じゃなくて、ミリガン嬢。落ち着いて。落ち着いて」
背中をさすられると、レイがにたにたしながらサムズアップしているのが向こうに見えた。
「キュータ、私って私でいいのかなぁ」
「あ、あぁ。もちろん。君には君にしかなれないんだから。当然だろ……?」
「ありがとぉ〜」
ひっぅ、ひっぅ、としゃくり上げていると、信じられないほど綺麗なハンカチが差し出され、アガートはそれで目を拭った。流石に鼻はかまなかった。
背中をさすられて落ち着いてくると、皆で外に出た。
「ハンカチ、洗ってから返すね」
「別にそのままで構わないよ?」
「ううん、ちゃんとしたい」
「アガートにちゃんと教室まで届けさせるんで!」レイが言う。
キュータは「うーん、そう?」と言って、その日は早々に解散した。
本当は
帰り道、アガートは大切にハンカチを握りしめていた。
「良い匂いすぎる……」
「アガートぉ、あんためんどくさい女っすねぇ。付き合ってもないくせに嫉妬してぐちゃぐちゃ言ったり泣き出したりさぁ」
「分かってるよぉ。でもなんかもう、止まんないよぉ」
「はー。とりあえず、荷物も重いし早く帰ろ。明日、ちゃんと旦那に謝ったほうがいいっす」
女二人の帰路は貰ったばかりの飴と少し濡れたハンカチだけが共だった。
「ってことがあって、参っちゃいましたぁ〜」
ナインズは珍しくだらけていた。アインズの部屋の応接ソファで靴も脱がずに寝転がっている。
投げ出しっぱなしの荷物はナインズ当番がせっせと片付けた。
アルベドやメイドは控えているが、ナインズの気持ちとしては男同士水入らずの条件だ。
「はー……。お前、ほんっとに女心が分かってないんだなぁ」
アインズだけには言われたくないだろう。アインズは知ったような口をきいた。とはいえ、この男ももう立派な既婚者になって長いが。
「女心って何ぃ?泣かないって言ったくせに泣くし、忠告してきたと思ったら怒ってるし、もーなんなのぉ」
「そりゃあ、お前。不要なタイミングで女子に触ったりしたらダメ何だから、忠告は正しいだろう」
「僕はただ差し出された手が傷になってないか見てあげたのに。そんなに不要なタイミングだったかなぁ」
ナインズがぷんぷん怒っていて、アルベドもぷんぷん怒った。
「全く不快な者共でごさいます。私なら、喜んでナインズ様にお触りいただくのに。いえ、まぁ、その女達も喜んでいるのでしょうが」
「……結局喜んでるの?どっちがいいの?」
「それはもう、触られた方がいいに決まっておりますわ!!」
「あー、アルベド。お前少し黙ってなさい。――ナインズ、女子に触れるのは過剰だと危険だ。傷の確認は確かに不要なタイミングとは言わないが、触れ合いは人の心を動かす。ただでさえお前の性格は好かれ易いんだから、トラブルの元だ」
「でも、僕皆に好きになってほしいなぁ」
「……違う違う。愛してほしいかってことだよ」
「……父様達みたいに全国民に愛されたい」
「………………違う違う違う」
アインズは「この息子大丈夫かな……」と心配になった。博愛主義が極まって、外で突然女の子を大量に妊娠させて帰ってきたらどうしよう。
皆、僕のことが好きだっていうから愛を与えてきたとか言って。
困る。全員ソリュシャン行きだ。最悪竜王達にいいように使われる。
「化け物級の博愛主義か……。流石に神の子の種族は伊達じゃないな……」
アインズは執務用の国璽を一度置くと、だらけ切っている息子の隣に座った。ナインズは流石に足をソファから下ろして居住まいを正した。
「父様、博愛主義ってダメなこと?」
「いや、それは別に悪くないけどな。だけど、そうじゃない愛を理解不能な感覚は修正したほうがいい。分かりやすく言ってやるから……あー、私に三分考える時間をくれ」
「はぁい」
何と言うべきか。アインズは骨の体から一回人の身になって考えた。そうしなければ、全ての感覚が淡白だから。
自分の足跡を辿る思考の旅へ出る。そう言えば、マーレに愛についてうまく教えられなかった過去もあった。色々な懐かしく甘酸っぱい、時にほろ苦い思い出を越え、旅はすぐに到着点に来た。
「――うん、そうだな。お前はナザリックに生まれただろ?」
「はい……」
「お前が分かっていない愛というのは、一生この地で生きていくという約束のことだ。この地で、老いも死にもせずに生き続ける約束のことだ。アルベド、お前もそう思うだろう?」
「はい。私もそのように愚行いたします。それこそが、愛でございます」
微笑んで聞いていたアルベドは軽く目元を拭っていた。彼女が今、第六階層で行われた初めての忠誠の儀の際にフラミーに言われた言葉を思い出しているのは想像に難くない。もしくは、天空城での廊下のアインズの誓いか。
とにかく、このナザリックに於いての明確な愛とは、この二点に尽きる。常にこの二点は、支配者達と守護者達のみならず、支配者同士でも課題だった。
「老いも死にもせずに生き続ける約束が……愛……」
「どうだ?そう思う相手はいるか?それだけの巨大な時間を負わせる覚悟を持てる相手の心だけ手に入れるように努力しろ。まぁ、多少触るのはいいからな。怪我をしているかの確認もそうだが、なんか分からんが、お前がこの程度はそういう愛にならないと自信がもてる程度だ。いいな」
「……すごい。よく分かりました」
「そうか。何よりだ。ま、もしそんな相手ができたら連れてこい。ただし、相手の了承を取ることを忘れるなよ。これが欠けたらその愛の約束は絶対に続かないからな」
アインズはよっこらせ、とナインズの隣から再び執務机に戻った。
「父様?」
「なんだ」
「僕……それ、連れてきてもいい……?」
「え"」
アインズは潰されたヒキガエルのような声を上げた。
アルベドは卒倒した。